道灌山 ――えたいの知れぬ話―― 佐藤春夫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)勿《な》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]はしがき[#「はしがき」は中見出し]  一つの奇妙な事実談を語りたいと思う。或は少しも奇妙事ではなく、至極ありふれた事の一角だけが表面に現れて大部分が埋れかくされているためにえたいが知れないのかも知れない。そういう事が世の中には多い。きっとそんな事であろう。ともかくもえたいの知れない話である。 [#7字下げ](一)[#「(一)」は中見出し]  あれは何時だったか知ら。この家ができたのが関東大震災の翌々年の二月、それからこの家へ最初に電話の取りつけられたのはその年か、その翌年かの五月ごろでもあったろうか。するとかれこれ三十年ぐらい昔の話、その間にわたくしも壮年期から老年期に入ったばかりか、あいだに戦争などがはさまったせいもあって、あのころの家常茶飯事はおおかた忘れてしまったのに、あの話だけがふしぎと記憶に深い。それにしてもどれだけ正確に思い出せるやら。 [#7字下げ](二)[#「(二)」は中見出し]  あの頃の習慣で、執筆はいつも深夜になっていたため、自然と朝起きるのがおそく、ひとりで朝飯と昼飯とを兼ねた十一時ごろの食事をすまして一服しているところへ、けたたましく電話がかかって来たので困った。人々はみなわたくしの書斎の掃除でもしていたらしかった。  由来、電話と云うものは性に合わない上に子供のころから薬局生や看護婦を頼む習慣がついてしまって嫌いなのだが、台所の要求によって自分では一切電話に出ない条件づきで設けた電話なのである。  折口信夫氏は電話で呼び出されると何か大事出来のようで不安である。電話は魚屋や八百屋を呼び出すものだと不きげんであったと聞いている。  ジョセフィン・ベーカーも電話ぎらいで一切電話口へ出ないが、電話に出ない現代の女は彼女と英国のクウィンぐらいなもので大した気位だと云われているとか聞いて、僕はこの黒人の踊り子を折口さんぐらいに好きになったものであった。  しかし折口氏は知らず、わたくしはジョセフィンとともに気位が高いのではなく、未開人のためにこういう社交的な文明の利器が性に合わないのである。  電話はしきりに鳴る。出渋っていたが、是非なく重い尻を持ち上げて、自分で出てみると、聞きおぼえもない女の声がいきなり、 「お前さん、目白坂の佐藤かい?」  とこう高飛車に来たので面くらいながらも貴様は一たい何者だとも云わないで、 「そうです。そちらは?」  と問うと、今度は、 「道灌山だよ」 「え、道玄坂ですか?」 「道玄坂じゃないよ、――ドウカンヤマ。わかったかい。ドウ、カン、ヤマ。」  わたくしは以前一度道玄坂に住んだ事はあったが、道灌山には何のゆかりもなかったものである。 「道灌山はわかりましたが、道灌山のどなたですか」 「お前さんでなく、主人を電話口へ出しなさい」 「わたくしが主人ですよ」 「書生ではない? それでいて道灌山がわからないのかい?」 「道灌山ではわかりませんが、どなたですか」 「道灌山だよ。どなたもヘチマもないよ、お前さんの神さんの姉さんを忘れたのかい?」  と語気もはなしも、益々出でて益々おかしい。 「わたくしの家内はひとりっ子で、姉さんも、兄も弟も無いはずですが、何かの思い違いではありませんか、それとも電話の間違いではありませんか――こちらは××局の○○○番ですが」 「電話の間違いだろうって? とぼけなさる勿《な》!」  と云い放って置いて、先方では何やらコソコソと内輪話をはじめた様子が洩れ聞えて来るのであった。  わたくしは、しばらく受話器をさし置いたまま、腑に落ちない気持のうちに、さては? と思いはじめた。何かわたくしの身寄りだと称することを他人に証明する必要のある人間が向うの電話口にいるのだな、きっと! それにしてもわたくしの妻の姉であるという事は果して何の利益があるというのであろうか。とても思いも及ばない。だが、わたくしは何事とは知らず、この不可解な電話のなかに、好もしからぬ犯罪の臭気を感じながら、ぼんやりと、電話器の前に立っていると、ベルは再びけたたましく鳴り出した。わたくしが再び受話器を取り上げると、今のさっきと同じ声が、 「お前さん、目白坂の佐藤かい?」  と先方の云う事は今のさっきとまるで同じ事である。こちらの答えるのも今のさっきと同じよりほかに云い方もない。嘘はどのようにでも云えるだろうが、真実は同じ云い方しかできないからである。  厄介な話だなと受話器を手から掛け放したと思うとたんに、またしてもベルが鳴りひびいて同じく三度目の同じ電話である。こうして同じ電話が、三度、四度、五度、六度。こちらでも三度、四度、五度、六度、同じ電話を繰り返した。  いくら突っぱねても、何度でもこりずにまたかかって来る。その度を増す毎に、先方は言葉も語調も益々ぞんざいに荒々しくなってくるばかりで、話の内容は最初のとおり依然として変りはない。  わたくしは考えはじめた。まさかいたずらでもあるまい。それよりもヒョッとすると気違だなと思いはじめた。  その執拗さにほとほと手を焼いたわたくしは、或は気狂いか犯罪者としか思えないような、こんな電話の取次を交換局に対して中止するように懇願する方法は無いものであろうか。せめては先方はどこの何人がかけているのかだけでも知ることができないものであろうか。そんな事を申出てみたいと思いながら、そんな申込みのできるものやら、否や、できるとすればその番号を何番へ連絡するべきものかも知らないで、ひたすらに当惑し切っていると、又しても何度目かの電話のベルに又かと眉をひそめながらも受話器をとると早速耳には、 「お前さん、目白坂の佐藤かい?」  である。うんざりしながらもわたくしは今度は返事を変えて、 「その電話なら、先ほどから云うとおり人違いでしょう。そんな事は知りません」  とこちらも自然と幾分は声が荒くなってきっぱりと云った。先方はなお荒々しく、 「お前さん、神さんの姉を思い出さないと云うのかい。それならそれでいいからね」  と何だか笠に着ておどかしめいて来た。 「それでは電話はもうおかけ遊ばす勿《な》」  とわたくしはわざと声をしずかに語調を改めてみたものであった。――相手にどういう反響があるものかと験してみようという気になったらしいのは、わたくしに幾分のゆとりが出たのでもあったろうか、先方のおどかしに対してユーモラスに身をかわしたつもりであったろうか、今はもう思い出せないが、少し口調をかえてみた事だけはおぼえている。多分腹立しさのある頂点へ来ると自動的にスウィッチの切りかえになる装置が、わたくしの頭に、或は一般の人々の頭にあるらしい。 「何と云う云い草だね! それは?」  こちらでも何か云おうかなどと考えている最中にちょっとした地震があった。わたくしはす早く受話器を掛け残すとそのまま室の出口に身がまえした。  何しろ、大震災の記憶もまだあたらしい頃であったし、何らの被害も蒙らなかったわたくしにまで、地震の恐怖は大きく残っていたものであった。  しかしわたくしは自分で設計して十分にすじかいを入れさせたこの家に就ては、出来上ったばかりではあり、そう簡単に倒れもしないだろうという信頼もあり、地震の方も当分は大丈夫だろうと思いながら部屋の天井の中心でゆったりと揺れている電燈を見ながら、(柱時計はとまらなくとも、電燈があれだけに動くのはちょっとした地震だったのだ)必要があったら、いつでも飛び出せるような位置に、その態勢で構えて、地震よりも、また電話が鳴り出しはしないかとその方により多く気を取られながら居た。  そこへ今まで二階で掃除をしていた女連が地震のおさまった今になって、はしたなくどやどやと下りて来た。 「何だい騒々しく」  わたくしは先ず彼女たちをたしなめた。そうして二階での地震の状態を問うてみると、大したものではなかったが、一度にドカッと来たのでドキリとしたが家がゆれないので騒がなかったと云う。それに何だっていそいで下りて来たのだと云うと、 「さっきから度々電話のベルが鳴るので、早く電話に出なければと気がもめて」  まのぬけたようなこの云い分にわたくしは思わず笑い出した。  何を笑うかと問われて今のさっきあれほど悩まされた電話に就て説明した上で「お前さんのお神さんの姉さん」なるものに就て何か心あたりはないかとわたくしの神さんに問うてみると彼女は狐につままれたようにキョトンとしていた。  彼女は地震の直前まで花柳界にいたのだから、肉親ではなく、その方面でも自ら姉さんと名乗り出るような人も居ないかと念を押してみたが、そういう人物も絶対に無かった様子は、今にしてその前後を考えてみても更に疑うべき節はなかった。 「おかしいわね」 「おかしいのだ、全く」  と話はそれっきりでおしまいになって、もし今度もう一度そんな電話があったとしたら、一度先方の云うとおりに、その女の妹の亭主になりすましてみて、先方の話がどう発展するか聞いてみれば、も少しは事情を判断する手がかりもつこう。先刻だっても、そういう出方も無いではなかったのに、そこに気がつかなかったのは智恵のない話。それで話が面倒になったら事実が事実だからいくらでも訂正の余地もあったものを。  何しろ、あまり意外な出方だったうえに話は思いがけない方へ思いがけない方へと持って行かれて、すっかりドギモを抜かれた形はどこまでも間が抜けていた。  わたくしはぼんやりした自分を口惜しがりながらも、どうしても腑に落ちないあの電話が奇妙にわたくしの興味をそそるのをおぼえて、その正体をつかまえたいと思いつづけていた。  ところが道灌山の「わたくしの神さんの姉さん」は、あの時のわたくしの電話で、義弟[#「義弟」に傍点]にはすっかり愛想を尽かしてしまったものとみえて、それっきり二度とふたたびは何の音沙汰もなくなってしまった。 [#7字下げ](三)[#「(三)」は中見出し]  この妙な電話の後、一年だか、二年だか、三年だか、そのへんがどうも明確でなくなっているのだが、何にせよ、あの電話の印象が、まだそれほどにぼやけてしまってはいなかったから、精々のところ三年かと思う。  その三年の間に、わたくしは別にそんな不可解な姉さんのある女だから疎んじたというわけでもなく、性格の不調和が日毎に目立って来たのに気がついてその女は去った。  或る晩秋初冬の一日、寒冷前線の通過でもあったのか、うすぐもりの朝から底冷えがしてひる過ぎには時雨が降り出してだんだんと雨脚はしげく、まだ三時すぎと思うのに夕方近くのように暗いなかで電燈をとぼしてわたくしはわびしく読書をしていた。  書斎のわたくしに女中は客を取次いだ。紹介も何もない見ず知らずの人だと自ら名告るのが、わたくしにちょっと伺いたい事があるから、ここまで出てほしいと、台所口にいるのだと云う。どういう用件かと問わせてみようとすると、既にそれは聞いてみたが、あまり要領を得なかったと云う。そういう訪問者にうっかり会うと、合力を頼まれたりすることがよくある。それで客の風体などを聞いてみるが、女中の返答は更にはきはきしないが、四十がらみの実体そうな男で、警戒を要する人柄でもなさそうなことを云うが、この裏書きが第一にあまり信用もならない。  しかしあの頃は、書生かたぎで、それに第一今日ほどは物ぐさでもなかったし、ままよどんな奴が何を云って来たのか、格別、暴漢に襲われるようなおぼえも無い身ではあり、せびられたにしたところが大金もない身軽さと気まぐれな物好きも少しは手つだって、その男がいるという台所口の方へ下りて行ってみた。男は入口の前にいるらしい。  さて、まず、すりガラスの少し透明にのこっているあたりから、そっと様子を伺ってみるが、様子はよくわからない。だが、ここまで出て来たのだから、鬼でも蛇でも出て来いとばかり、戸をからり開けると、軒下に立って空模様を見上げるように立っていた男は不意をくらったように振り向きざま、帽子を脱いで下駄箱の上に置いたが、こちらに向き直るとほとんど同時に上り框の前に手をついてわたくしの足もとにうずくまり、頭を低く垂れているのは、いかにも恐縮した様子でもあるが、顔を見せたくないのかと思えないでもない。しかし挨拶は、 「これはご当家のご主人さまで、わざわざ見ず知らずの者のために……」  と鄭重を極めている。さてふところから大形の紙入れをもそくさと取り出すと、なかから普通よりは大き目な名刺を取り出して、わたくしの足もとへ置いた。(名刺があるのに、なぜこの名刺を先に、女中に渡さなかったものだか、わたくしにはわからなかった)名はもう忘れているが、北区西ヶ原あたりの住人で糧秣商とあった。云うべき事もなくただ黙って突っ立っているわたくしに向って彼は、 「ご主人、突然に参りまして、つかぬことを伺いますが、ご当家さまは何か新潟県にご関係がおありでございましょうか」  と切り出したものであった。全く藪から棒の質問である。 「はてね」とわたくしは先方の意をはかり兼ねながらも、突立った形から先ずしゃがみ直して、さておもむろに、 「僕は紀州、和歌山県の者で、新潟県とは格別の縁故もありません。強いて申せば、二三人の友人があり、またただ今、お取次をした女中が新潟県の出身というが、これも何のゆかりもなくひょっこり来ただけの者です。新潟県が一たい僕にどうかしたというのですかね」  先方の質問が漠然としているから、わたくしの返答もぼんやりとしたもので、逆に反問に出たのである。すると、 「こちらのお屋敷は新潟の前島さまのお屋敷あとでござりましょうか」 「左様、ふるい逓信大臣の前島密さんのお屋敷あとであったという事です。これも手に入れて後、他から聞いた話でしたが」 「そういたしますと、あなたさまは前島さまご縁故のお方ではござりませぬので?」 「そうです、これも偶然手に入れた土地でした」  相手は、何故か、それきり黙っていよいよ恐縮している様子であった。今度はわたくしの方から問いを発する番であった。 「それで、あなたは何で、そういうことを問いに来られたのですか」 「それがでございます。わたくし道灌山のお邸へ……」  相手は云いかけて言葉をと切らせたのでわたくしは、 「道玄坂のお邸ですか」 「いえ、道玄坂ではございません、道灌山でございますよ」  わたくしは二三年前のあの電話を思い出さないでは居られなかった。わたくしは心ひそかによろこんだ。先年の謎がどうやら解けかかって来たような気がしたものだから。 「あ、道灌山でしたか、その道灌山のお邸というのは何町何番地の何様ですか」 「最初に図面を書いていただいて場所はよく存じ上げて居るのですが町名や番地は失念しましたが、お名前は石崎さまと仰言いました」 「その石崎さまがどうかしましたか?」 「左様で、不意にお引越しあそばされましたのでして」  相手はこの時まで伏せていた顔を上げて、わたくしを見上げたようである。わたくしも彼の顔を注意してみた。所番地を知らないなどうさんげなと思わぬでもなかったのに、見れば、粗野なおやじではあるが、実直げで、何ら悪党らしい感じは受け取らなかった。女中の鑑定だってまんざらでもない。わたくしは袂をさぐって煙草を一本ぬき出して火をつけている間に、相手はやっと云うべき言葉を見つけ出したかのように、 「気がついてお隣さんで伺ってみますと、何でも急のお思い立ちでお引越しとか。一時知り合いのところへ荷物を頼んで置いて、すぐ友だちの家の近所に家が見つかる手はずになっているから、話がきまり次第改めて移転通知を差上げますと云って出たまま、まだ移転通知がないから引越先はわからない。ところでお隣さんのお話では、石崎さまは目白坂の前島さまやそのお屋敷あとにある佐藤さま――というのはつまりこちらさまの事のようですが――とはお身内のように聞いていたから、そちらへ廻ってみたら、もしやお荷物でもお預けになっているか、それともお友達やお引越先でもわかるかも知れないという事で、手前、こちらさまへ伺いに出てみましたような次第で」  と云い方がわるいのか、聞き方が悪いのか話が妙にこんがらかって不明瞭であるから、性急なわたくしは短兵急に、 「お話の様子では石崎とやらは近所をそう云いくるめて、夜逃げでもしたと云うのでしょうか」 「さあ? そこはどうでございましょうか。何しろ突然のお引越先がわかりませんので」 「それはいけないね。ところでわたくしの方は先刻からも云うとおり越後の前島さんのような名門とは何の縁もゆかりもありませんし、またその石崎さんとやらも一族どころか名前もはじめて聞くのですが」  わたくしはさっきから思い出しつづけていた道灌山の姉の電話の話をこの男に聞かしてやったものであろうか、その必要もなかろうかなど、とつ追いつ思いながら、 「何をする家ですかその石崎というのは」 「しもた家さんですが、何をなさるお人とも存じませんが、厩があって馬を飼っていらっしゃるのですから、あるいは軍人さんでもあろうかと思って居りましたが――お好きでお道楽に飼って置かれましたものか」  話の漠然としている点はいつまで経っても同じことなのでわたくしは一層じれったくなってしまって、ちょっと水を向けてみた。 「それで、あなたはナンですか、その石崎さんから何か損害でもかけられて居るのではございますまいか。それだと少し思い当るところも無いではありませんが」 「いやいや、滅相もない。秣《まぐさ》を三四度お運び致しましたが、お代はその都度きちんと頂いて居ります。それだけにいけません。手前はそんな銭金のことで石崎さまを追っかけて居るのではございません。今度もまた秣のご注文をおとどけ致しますのでして、何しろ相手が生き物だけに気が揉めます。早くおとどけしなければとあせって居ります。この前差し上げたのはもう無くなっている日取りになって居りますので、わたくし荷車を引っぱって、飢えている馬をこうして追っかけている騒ぎですよ。車はすぐそこの空地に置いて参りましたが」 「なるほどなるほど」相手のその話もわたくしには実のところまだ十分には腑に落ちないのだが、これ以上わたくしが深く追及するすじ合いでもないと思って、うなずいて置いて、 「それはお困りですな。わたくしの家は厩に人間が住んでいるようなていたらくで、ご覧のようにとても馬のような大荷物を預かるような場所もありませんが、そんなやっかいな荷物を預れと持ち込まれたら、さぞ迷惑な事でしょうね」  わたくしはそんな話にはもう取合わないという調子でこう云っていたのが彼に通じたものか相手は、 「それはどうもおいそがしいところを飛んだお邪魔さまで」とこの親切な秣屋は下駄箱の上から脱ぎ捨ててあった古いハンティングを取り上げると、雨着代りに着込んでいた色褪せた筒袖のモジリ外套の前をかき合せ掻き合せて軒に踏み出し、小降りながらまだ降りつづく空をちらと見上げて、 「これや今夜もまだ上りませんな。ご免」  と小腰をかがめてから帽子を引っかぶってわたくしの家のあたりを見まわしながら帰って行った。  やっぱりちと[#「ちと」に傍点]へんなうろんな話だなと思いはじめたわたくしは、曲り角で消えて行った彼のあとを追っかけるともなく飛び出して、小雨のなかに秣屋の消えた方をのぞき込んでみると、果して秣だか何かは知らず、ともかくもこもをかぶせた小さな荷をのせた手車の、そのへんに置いてあったらしいのを片手で曳き出しているモジリの筒袖外套のうしろ姿のシュルレットがなだらかな坂道を下り遠ざかって行くところであった。彼はこれからどこへ行こうと云うのであろうか。もうあきらめて西ヶ原の家へ帰るだろうか。わたくしは小雨に濡れながら物好きにわびしくしばらくそれを見送っていた。  何も東京中に秣屋はあの男ひとりと云うではないし、失踪者も行った先で秣を別に注文できないわけでもあるまいに、その注文者もあてどもなく何処までも馬の饑を案じて追っかけ捜すというのも、律気者のしわざとしても、やはりちと腑に落ちにくい。さればと云って、そんなこしらえごとを種に、わたくしの家の様子をさぐりに来る必要も無いしそんな様子とも見えなかった。  一切が奇妙である。そうして大都会のしぐれの日らしい趣が無いでもない。わたくしはやっと事件(というほどの事でもないが)そのものをはなれてそういう風に感じはじめたが、道灌山から来たというその地名だけが依然として印象に深かった。  立ち出でたついでに、わたくしはわが家の角にある街頭のスウィッチをひねってみると、ほのぐらいなかに黄ばんだ光がぼやけうるんでいる。見あげた空はどんよりと、明日もやはりしぐれらしかった。 [#7字下げ](四)[#「(四)」は中見出し]  あの電話の話も、この秣屋の事も、ともに意想外にどこまでも疑わしく取りとめのない点で何か共通のものを感じさせるものがあるばかりか、どちらも道灌山という地名で何かのつながりがあるような気は、その当時からしていたものだが、今でもその気がしてならない。  わたくしはこの断片的な二つの事実をいつまでも得忘れず、そのつながりをどこかに見出してみようと骨折ってみたが、どう空想を働かし、推論を操ってみても、結局は一つのものにはならない。そればかりか二つとも嘘の話のような気がしてくる。それでいてどちらもわたくし自身で、この目がこの耳が体験した事実なのだからどこまでもへんである。  わたくしはこの二つのなかに関聯を見出すことをあきらめてからももう二十年ぐらいになる。そうして最後にこの二つの断片的事実を、事実のままでここにこうして投げ出した。  こんな事実をどう解釈したらいいものであろうか。誰かこれに関聯を与えてくれる人が有るかも知れない。  関聯は終に誰にも見つからないとしても、せめては二つとも事実だと人々が承引するであろうか。何でこんな事実が起ったか。それともまずい作り話を事実と押しつけようとするのだと拒むだろうか。わが筆力の不足である。  わたくしがこれを書いてみる理由はこのとおり単純である。読者にこの二つの場合にわたくしの受取った狼狽にも似た当惑の幾分を伝え得れば、わが能事は終る。  そうしてわたくしはあの事実の記憶を現実のなかへまぎれ入った夢のたぐいとしてこれで忘れよう。あまり煩わしいから。  わたくしはただへんな記録をつづっただけである。間違っても一種の詩などとは思ってもらいたくない。詩というものはすべてもって明確なものだから。 底本:「たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集」平凡社ライブラリー、平凡社    2015(平成27)年7月10日初版第1刷 底本の親本:「定本 佐藤春夫全集 第14巻」臨川書店    2000(平成12)年5月10日初版発行 初出:「群像 第十一巻第一号」    1956(昭和31)年1月発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:持田和踏 校正:noriko saito 2026年6月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。