或る牛乳工場の思い出 中谷宇吉郎  今度の粉乳の中毒事件は、今までの數々の悲慘な事件の中でも、もっとも慘ましい話である。アメリカの新聞にも、これは大きく取りあげられ、かなり詳しい記事が出た。日本の内閣がかわった時よりも、大きい紙面を割いたであろう。そして森永が、誠意のこもった謝罪廣告をしたことには、好意的な報道をしていた。  砒素劑が、粉乳製造過程の中に使われることは、全然知らなかったので、そういう危いことをしていて、今まで何ともなかったことに、むしろ驚異の感を抱いた。牛乳工業というものは、よほど清潔に、且つ愼重にやられて來ていたものであろう。  それで思い出したが、一九四九年に、短期間アメリカを訪ねた時、雪印乳業會社からの依頼で、アメリカの牛乳工場を視察したことがある。當時の日本は、まだ敗戰の混亂から拔け出ていなかった。それで衞生方面の施設なども、思うようには出來ていなかったので、アメリカの牛乳工場の新しい施設を見て來てくれと頼まれたわけである。  それでシカゴへ行った時、アメリカでも一流の大牛乳會社の工場を訪ねたことがある。巧い紹介が得られたので、技師長が、親切に工場を隅から隅まで、詳しく見せてくれた。  廣い工場のどの區劃へ行っても、隅から隅まで掃除が行き屆いて、床まで洗い淨めたようになっていた。そして大きいタンクも配管も皆磨き立てたように光っていた。驚いたことには、人間がほとんどいなくて、ところどころに見張の男が立っていたくらいであった。要するに機械と裝置とが、仕事をしているので、これならいくらでも清潔に出來るはずである。もちろん裝置や機械そのものを清潔にするのは、人間のすることであるが。  私は良い機會なので、この工場内の寫眞を撮らせてくれと頼んでみた。しかし技師長は「それは會社の規則で禁ぜられている」という。それで私は「規則なら止むを得ないが、牛乳の操作を、こういう風に清潔に且つ衞生的にすることを、日本の業者に見せ、日本の牛乳工業を衞生的にすることは、良いことではないか」と、押してみた。  そしたら技師長が一寸考えて、「工場の寫眞を撮ることは禁ぜられているが、私の寫眞を撮ることは差しつかえない」と言った。そして方々希望するところに立って寫眞を撮らせてくれた。  アメリカでは、規則は何でも非常に嚴重に守る習慣になっているが、こういうものの分った面もあるようである。食品工場の完全な運營には、規則八分、人情二分というくらいのところが、丁度いいのであろう。日本ではその逆になりかねないので、こういう話は今はしない方がいいのかもしれない。 底本:「百日物語」文藝春秋新社    1956(昭和31)年5月20日発行 入力:砂場清隆 校正:木下聡 2026年6月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。