一夜のうれい 田山花袋 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)早《はや》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)熱涙|綿《わた》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)尊《たつと》[#ルビの「たつと」はママ]し -------------------------------------------------------  夜は早《はや》十時を過ぎたり。されど浮《うき》立たざる心には、臥床《ふしど》を伸べんことさえ、いとものうし。まして我は寝《い》ねてだに、うれしき夢見るべき目あてもあらぬ墓《はか》なき身なれば、むしろ眠らずして、この儘《まま》一夜を闇黒の中《うち》に過すべきか、むしろこの一夜の永久なる闇黒界にならんことを、慈悲ある神に祈るべきか。かく悲しく思いつづけつつ、われはなお茫然としておりたれど、一点の光だにわれを慰《なぐさ》むるものもあらぬに、詮方《せんかた》なくてやがていねたり。  枕に着くれば、如何なる熱情も静まるものとかねて聞きしが、われのはそれと反対にて、空想は枝に枝を生じ、またその上に枝を生じて、果てしなく狂い出《いだ》ししこそ墓なけれ。何故に、われはかく迄この世の中おもしろからぬか。何故に、かく迄このわが身の楽しからぬか。死、死という事などは、わが身に取りては、何のわけもなきことなり。  つらつら観ずれば、人の命なるもの、尊《たつと》[#ルビの「たつと」はママ]しと思えば、尊ときに相違なけれど、尊《とうと》からずと見る時は、何のまた些少《いささか》の尊さのあるべき。かつそれ、稀には百歳の寿を保つものありといえども、生れて直ちに死する人もあり、或《あるい》は長生するやも料《はか》られざれども、また今直ちに何事か起り来るありて、俄《にわ》かに死するやも料られざるにはあらずや。否、それのみにはあらじ、地震起り海嘯《つなみ》来《きた》るときは、賢愚貴賤何の用捨もなく、何の差別もなく、一度に生命《いのち》を取らるることもあるにあらずや。  然《しか》るを、わが身のみ、如何でかこれに異ることのあるべき。たとえ今日は自殺せざるとも、明日如何なる災ありて、死することなしとも限らず、これを思えば、今直ちに死するとも、また少しの遺憾もなしかつまた自から殺すは、卑怯なりという人もあれど、死せんと欲する心の出でて、これを断行し得たる以上は、たとえ自から刀を手にしたりとも、これ果して我の業か、天為なるか知るべからず。さば道理の上に於ては、今直ちに自殺するとも、まことに何の遺憾もなきが如し。されどもし仮に匕首《ひしゅ》を喉に擬するとするに、何故か知らねど、少しく躊躇して、断行すること能《あた》わざる一点の理由の存するが如きを覚ゆ。  あわれこは何故か、われは自からも覚《さと》ること能わざれども、こはいまだ確かにその程までの極点に達せざるが故なるべし。否、或はわが身の勇気に乏しきが故にはあらざるか。われとて強いて死を願うにはあらざれども、この面白からぬ世にありながら、我はこれを断行する能わざるを思えば、われながらあまりに意気地なきことなり。  ああまたしても心に浮び出ずるか、かのなつかしき梅子の君よ、君とだに伴いてあらんには、世は楽しくかつうれしきものなるを、入谷の里に朝顔を見に行きたる朝、如何にうれしく楽しかりしか。両国の川開きに打ち連れ立ちて行きにし夕、如何に楽しくなつかしく思いたりしか。月夜に琴を弾くことを、この上なく好むという君の言葉を聴きし時のこと、わが遠き旅路にいで立つことを悲しみてくれたる時のこと、思い出ずれば、嬉しとも嬉しく、楽しとも楽しきものを、如何なればわれはかく悲しきことをのみ思い出でて、自から死なんとまで思えるか。梅子の君よ、御身は何故にかくまで思えるわれを捨てて、またわが傍《かたわら》へは来《きた》らんとはせざる。ああかの無邪気なる昔、かの楽しかりし昔をたどりて見れば、わが身は今も御身の傍にあるが如くに覚ゆるものを。わが膝に泣き伏す御身の背《せな》を撫でいる如く覚ゆるものを。  かく思《おもい》来りて、われは遂に堪えず、われは死することを好まず、死することを好まずと、いきまきて心の中に叫びたり。叫ぶやがて、涙は雨の如くあふれ出でぬ。あわれこの溢《あふれ》出ずる涙を思うままに溢出さしめ、思うままに声を挙げて泣き叫ばしめたらんには、幾何《いくばく》かわがこの悲しみを洗い去ることを得しなるべけれど、人に聞かるるの恐れあれば、われは声を忍びて、かたく顔を衾《きん》に押し当てて欷歔《すすりあ》げしに、熱涙|綿《わた》に透りて、さながら湯をば覆えしたるごとく、汗は流れて、熱をやみたる人のごとく、いとあつし。  ここに至りて、われは甚だしく労《つか》れ、あたかも小児《こども》が慈母に抱かれて泣き止みたるが如く、またやさしき保姆《うば》のかなしき守歌《もりうた》をきかせられたるが如く、いつか熟眠の境に入りぬ。  かくてこの長き冬の夜に、寒けき月が或《あるい》は綿の如き雲の中をくぐり、或は墨のごとき黒雲に蔽われ、或は晴れ、或はくもりて、独り静かに大空をわたり行くをも知らず、時々|月明《げつめい》に驚きて騒ぎわたれる烏の、ねつかぬ乳呑児《ちのみご》を嚇《おど》すたよりとなるをも知らず、今こそはおのれの天地なれといい顔に、犬の高き遠吠《とおぼえ》を火の見やぐらに響かすとも知らず、凄《すさま》じき風の吹き来りて、ねやの雨戸をがたがたと揺《うご》かすとも知らず、時々ひびく遠寺の鐘が、たえず無常を告ぐるとも知らず、東の窓の明くなりたるに驚きて、眼さむれば、あたかも小児が朝|起《おき》出でて、未《ま》だ母の乳房にありつかぬ中の如く、泣き出したきまでに、いとかなし。むしろよべ泣きて寝入りしままに、蘇えらでもよかりしものと。 底本:「天変動く 大震災と作家たち」インパクト出版会    2011(平成23)年9月11日第1刷発行 底本の親本:「文藝倶樂部 第二巻第九編臨時増刊 海嘯義捐小説」博文館    1896(明治29)年7月25日 初出:「文藝倶樂部 第二巻第九編臨時増刊 海嘯義捐小説」博文館    1896(明治29)年7月25日 入力:持田和踏 校正:noriko saito 2023年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。