星野くんの二塁打 吉田甲子太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)飛球《ひきゅう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)少年|野球団《やきゅうだん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#5字下げ] ------------------------------------------------------- [#5字下げ]一[#「一」は中見出し]  当たりそこないの飛球《ひきゅう》が、ふらふらと遊撃手《ゆうげきしゅ》の頭上をこえていった。左翼手《さよくしゅ》が、もうれつないきおいでつっこんできた。だが、球は、その一メートルばかりまえにポトリと落ちた。  R《アール》町の応援団《おうえんだん》は、「わあっ。」と、わきたった。  まったく、ひろいもののヒットである。  R《アール》町の少年|野球団《やきゅうだん》、R《アール》クラブは、一回に一点、二回に一点を入れて、二点の勝ちこしのまま、相手《あいて》の、T《ティー》市少年|野球団《やきゅうだん》、T《ティー》クラブを六回まで無得点《むとくてん》におさえてきた。ところが、七回の表《おもて》に、いっきょ、その二点を取りかえされ、同点に追いこまれてしまった。こうなると、R《アール》クラブの選手《せんしゅ》たちは、追われる者の心ぼそさを感じないわけにはいかない。延長戦《えんちょうせん》に持ちこまれそうな不安《ふあん》をいだきはじめていた。  そこへ、七回のうら、R《アール》クラブの最後《さいご》の攻撃《こうげき》で、最初《さいしょ》の打者、岩田《いわた》が、安打で一|塁《るい》に出たのだ。応援団《おうえんだん》が色めきたったのもむりはない。  よし、ここで一点。その一点で、勝敗《しょうはい》がきまるのだ。R《アール》クラブの選手《せんしゅ》たちの顔は、急に明るくなった。郡内《ぐんない》少年|野球《やきゅう》の選手権大会《せんしゅけんたいかい》の、出場チームになることができるかもしれない。  八番打者、投手の星野《ほしの》が、先のほうを四分の一ほど黒くぬった愛用《あいよう》のバットをさげて、バッターボックスへはいろうとした。だが、そのとき、伝令《でんれい》がきて、かれはベンチへよばれた。  一|塁《るい》では、ランナーの岩田《いわた》が足をそろえて、ぴょん、ぴょんと、はねている。足ならしをして、走塁《そうるい》の準備《じゅんび》をしているのだ。  星野《ほしの》は、それをちらっと見て、ベンチへ行った。キャプテンの喜多《きた》と、監督《かんとく》をしている大学生の別府《べっぷ》さんが、かれを待っていた。 「星野《ほしの》、岩田《いわた》をバントで二|塁《るい》へ送ってくれ。氏原《うじはら》に打たせて、どうしても確実《かくじつ》に一点かせがなければならないから。」  別府《べっぷ》さんは、正面から星野《ほしの》の目を見て、はっきりといった。  別府《べっぷ》さんがそういうのもむりはなかった。きょうの星野《ほしの》は、投手としてはかなりできがよかったけれども、打者としては、ふるわなかった。投手ゴロひとつ、三|振《しん》ひとつ、という不景気《ふけいき》な成績《せいせき》だ。だが、星野《ほしの》は元来《がんらい》、よわい打者ではなかった。当たれば、そうとうな大ものをかっ飛《と》ばすほうだった。だから、かれは、この三回めの打撃《だげき》で、名誉《めいよ》を回復《かいふく》しようと、ひそかにはりきっていたのだ。こんどは、きっと当たる。なんとなく、そういう予感《よかん》を持っていた。それだけに、かれは、別府《べっぷ》さんのことばにたいして、「はい。」と、すなおな返事がしにくかった。 「打たしてください。こんどは、打てそうな気がするんです。」 「『打てそうな気がする』くらいのことで、作戦《さくせん》を立てるわけにはいかないよ。ノーダンなんだから、ここは、正攻法《せいこうほう》でいくべきだ。わかったな。さあ、みんなが待っている。しっかり、やってくれ。」  ぐずぐずしているわけにはいかなかった。 「はあ。」  あいまいな返事をして、星野《ほしの》がひきかえすうしろから、キャプテン喜多《きた》のひくい声が、追っかけてきた。 「たのんだぞ。星野《ほしの》。」  星野《ほしの》は、明るい、すなおな少年だった。人の意見にさからって、あらそうようなことは、このまなかった。しかし、きょうのバントの命令《めいれい》にだけは、どうしても服《ふく》しにくかった。安打が出そうな気がしてならないのだ。バントのぎせい打でアウトになるのは、もったいない気がする。  だが、野球の試合《しあい》で、監督《かんとく》の命令《めいれい》にそむくことはできない。星野《ほしの》は、別府《べっぷ》さんの作戦《さくせん》どおり、バントで岩田《いわた》を二|塁《るい》へ送るつもりでバッターボックスにはいった。 [#5字下げ]二[#「二」は中見出し]  T《ティー》クラブの投手は、なかなか投げない。バッテリー間のサインは、しんちょうをきわめた。  やっと、サインがきまって、投手がプレートをふんだ。  ランナーの岩田《いわた》は足の早い選手《せんしゅ》ではなかった。だから、なるべく塁《るい》からはなれて、走塁《そうるい》に有利《ゆうり》な態勢《たいせい》をとろうとした。  投手は、ランナーのほうにも、じゅうぶん、注意をはらっている。  ランナーは、じりじりと、塁《るい》をはなれはじめた。  あっ、少し出すぎた……。バッターボックスにいる星野《ほしの》がそう思うのと同時に、投手は一|塁《るい》へ矢《や》のような球《たま》を送った。あぶない。岩田《いわた》は、すなけむりをあげて、塁《るい》へすべりこんだ。  塁《るい》しんは、手のひらを下にして、両手をひろげている。セーフ! あぶなく助かったのだった。一|塁《るい》のコーチャーが、大声でランナーに何かいっている。  岩田《いわた》のはりきった動作を見ているうちに、星野《ほしの》の打ちたい気持ちが、また、むくむくと頭をもたげてきた。  ――打てる。  きっと打てる。  確実《かくじつ》にヒットが打てさえすれば、むりにバントをするにはおよばない。  かれは、しせいを少しかえた。心もち、またを大きく開いて、左足を、ちょっとまえへ出した。とたんに、投手が第一球を投げこんできた。予想《よそう》どおりのつりだま。しかし、星野《ほしの》のもっともすきな近めの高い直球《ちょっきゅう》……。  星野《ほしの》は、大きくふった。  当たった……。バットのまん中に当たったボールは、ぐうんとのびて、二|塁《るい》と遊撃《ゆうげき》の間をぬくあざやかなヒットになった。中堅手《ちゅうけんしゅ》が転《てん》てんするボールを追って、やっと、とらえた。そのまに、ランナーは、二|塁《るい》、三|塁《るい》。  ヒット! ヒット! 二|塁打《るいだ》だ。  R《アール》町の応援団《おうえんだん》は総《そう》だちになった。ぼうしを投げあげる気の早い者もある。  ボールは、やっと、投手のグローブにかえった。  星野《ほしの》は、二|塁《るい》の上に直立《ちょくりつ》して、両手をこしに当てて、場内を見まわした。だが、このとき、星野《ほしの》は、別府《べっぷ》さんがにがい顔をして、ベンチからかれのほうを見ていることには、気がつかなかった。  星野《ほしの》の一|撃《げき》は、R《アール》クラブの勝利《しょうり》を決定的《けっていてき》にした。九番打者の氏原《うじはら》が、右翼《うよく》に大|飛球《ひきゅう》をあげ、それがぎせい打になって、岩田《いわた》がホームインしたからである。  R《アール》クラブの郡内《ぐんない》野球|選手権大会《せんしゅけんたいかい》出場は確定《かくてい》し、星野仁一《ほしのじんいち》は、この試合《しあい》の英雄《えいゆう》となった。 [#5字下げ]三[#「三」は中見出し]  郡内《ぐんない》少年野球|選手権大会《せんしゅけんたいかい》の日どりは、さしせまっていた。だから、星野《ほしの》たちのチームは、自分の地区《ちく》からの出場権《しゅつじょうけん》をかくとくした試合《しあい》のあくる日も、練習《れんしゅう》を休まなかった。選手《せんしゅ》たちは、定められた午後一時に、町のグラウンドに集まって、やけつくような太陽《たいよう》の下で、かたならしのキャッチボールをはじめた。  そこへ、監督《かんとく》の別府《べっぷ》さんがすがたをあらわした。選手《せんしゅ》たちは、別府《べっぷ》さんのまわりに集まって、めいめい、ぼうしをぬいで、あいさつをした。  キャプテンの喜多《きた》は、いつものとおりに、打撃《だげき》の練習《れんしゅう》をはじめるものと思って、バットを取りにいった。別府《べっぷ》さんは、喜多《きた》からバットを受け取ると、 「みんな、きょうは、少し話があるんだ。こっちへきてくれないか。」 といって、大きなカシの木かげにいって、あぐらをかいた。  選手《せんしゅ》たちは、別府《べっぷ》さんのほうを向き、半円をえがいて、あぐらをかいた。 「みんな、きのうは、よくやってくれたね。おかげで、R《アール》クラブは待望《たいぼう》の選手権大会《せんしゅけんたいかい》に出場できることになった。おたがいに喜《よろこ》んでいいと思う。ところで、きのうのみんなの善戦《ぜんせん》にたいして、心からの祝辞《しゅくじ》をのべたいのだが、ぼくには、どうも、それができないのだ。」  補欠《ほけつ》も入れて十五人の選手《せんしゅ》たちの目は、じっと別府《べっぷ》さんの顔を見つめている。別府《べっぷ》さんの、おもおもしい口調《くちょう》のそこに、何かよういならないものがあることを、だれもがはっきり感じたからである。  別府《べっぷ》さんは、ひざの上に横たえたバットを、両手でゆっくりまわしていたが、それをとめて、静《しず》かにことばを続けた。 「ぼくが、監督《かんとく》に就任《しゅうにん》するときに、きみたちに話したことばを、みんなはおぼえてくれているだろうな。ぼくは、きみたちがぼくを監督《かんとく》としてむかえることに賛成《さんせい》なら、就任《しゅうにん》してもいい。町長からたのまれたというだけのことでは、いやだ。そうだったろう、喜多《きた》くん。」  喜多《きた》は、別府《べっぷ》さんの顔をみて、強くうなずいた。 「そのとき、きみたちは、喜《よろこ》んで、ぼくをむかえてくれるといった。そこで、ぼくは、きみたちとそうだんして、チームの規則《きそく》をきめたのだ。いったん、きめたいじょうは、それを守《まも》るのが当然《とうぜん》だと思う。また、試合《しあい》のときなどに、チームの作戦《さくせん》としてきめたことには、ぜったいに服従《ふくじゅう》してもらわなければならない、という話もした。きみたちは、これにもこころよく賛成《さんせい》してくれた。それで、ぼくも気持ちよくきみたちと練習《れんしゅう》を続けてきたのだ。おかげで、ぼくらのチームも、かなり力がついてきたと思っている。だが、きのう、ぼくはおもしろくない経験《けいけん》をしたのだ。」  ここまで聞いたとき、「これは自分のことかな。」と、星野《ほしの》はかるい疑問《ぎもん》をいだいた。けれども、自分が、しかられるわけはないと、思いかえさないではいられなかった。  ――なるほど、ぼくは、きのう、バントを命《めい》じられたのに、かってに、打撃《だげき》に出た。それはチームの統制《とうせい》をやぶったことになるかもしれない。しかし、その結果《けっか》、ぼくらのチームが勝利《しょうり》を得《え》たのではないか……。  そのとき、別府《べっぷ》さんは、ひざの上のバットをコツンと地面においた。そして、ななめ右まえにすわっている星野《ほしの》の顔を、正面から見た。 「まわりくどいいい方はよそう。ぼくは、きのうの星野《ほしの》くんの二|塁打《るいだ》が気にいらないのだ。バントで岩田《いわた》くんを二|塁《るい》へ送る。これがあのとき、チームできめた作戦《さくせん》だった。星野《ほしの》くんは不服《ふふく》らしかったが、とにかく、それをしょうちしたのだ。いったん、しょうちしておきながら、かってに打撃《だげき》に出た。小さくいえば、ぼくとのやくそくをやぶり、大きくいえば、チームの統制《とうせい》をみだしたことになる。」 「だけど、二|塁打《るいだ》を打って、R《アール》クラブをすくったんですから。」 と、岩田《いわた》がたすけぶねを出した。 「いや、いくら結果《けっか》がよかったからといって、統制《とうせい》をやぶったことに変《か》わりはないのだ。……いいか、みんな、野球は、ただ、勝てばいいのじゃないんだよ。健康《けんこう》なからだをつくると同時に、団体競技《だんたいきょうぎ》として、協同《きょうどう》の精神《せいしん》をやしなうためのものなのだ。ぎせいの精神《せいしん》のわからない人間は、社会へ出たって、社会を益《えき》することはできない。」  別府《べっぷ》さんの口調《くちょう》が熱《ねつ》してきて、そのほおが赤くなるにつれて、星野仁一《ほしのじんいち》の顔からは、血《ち》の気《け》がひいていった。選手《せんしゅ》たちは、みんな、頭を深くたれてしまった。 「星野《ほしの》くんはいい投手だ。おしいと思う。しかし、だからといって、ぼくはチームの統制《とうせい》をみだした者を、そのままにしておくわけにはいかない。」  そこまで聞くと、思わず一同は顔をあげて、別府《べっぷ》さんを見た。星野《ほしの》だけが、じっとうつむいたまま、石のように動かなかった。 「ぼくは、こんどの大会に星野《ほしの》くんの出場を禁《きん》じたいと思う。とうぶん、きんしんしていてもらいたいのだ。そのために、ぼくらは大会で負けるかもしれない。しかし、それはやむをえないことと、あきらめてもらうよりしかたがない。」  星野《ほしの》は、じっと、なみだをこらえていた。  ――別府《べっぷ》さんのことばは、ひとつひとつ、もっともだ。自分は、いままでいい気になっていたのだ。  かれは、しみじみと、そう思わないではいられなかった。 「星野《ほしの》くん、異存《いぞん》があったら、いってくれたまえ。」  別府《べっぷ》さんのことばに、星野《ほしの》は、なみだで光った目をあげて、はっきりと答えた。 「異存《いぞん》ありません。」  別府《べっぷ》さんを中心とした少年|選手《せんしゅ》たちの半円は、しばらく、そのまま、動かなかった。  ぎらぎらする太陽《たいよう》の光線《こうせん》が、人かげのないグラウンドに、白くはねかえっていた。 底本:「新版・星野くんの二塁打」大日本図書    1988(昭和63)年1月31日第1刷発行 底本の親本:「秋空晴れて」大日本図書    1967(昭和42)年12月 初出:「少年 第2巻第8・9号」光文社    1947(昭和22)年8月1日発行 ※表題は底本では、「星野《ほしの》くんの二|塁打《るいだ》」となっています。 入力:kompass 校正:noriko saito 2024年2月19日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。