真説 石川五右衛門『後編』に期待す 坂口安吾 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)清冽《せいれつ》 -------------------------------------------------------  檀君が五右衛門を書くために、はじめて大阪へたつという晩、私たちは銀座で酔っ払った。石川淳もいたようだ。新大阪の記者が檀君につきそっていたね。彼が汽車に乗りおくれないように監視するためであった。  酔っ払う檀君と、それを監視しつつある記者君との滑稽な悪関係は、五右衛門が完結するまでひきつづいて行われる運命のようである。  しかし檀君の監視者は新大阪の記者君だけではないのである。彼は年中誰かに監視されている。私のところへ現れるにも、たいがい監視者をひきしたがえて現れる。共に酔い共に泣くという美談があるが、檀君の場合はすこし、ちがうね。監視者が泣くのは原稿ができないためであるし、檀君が泣くのはワッハ、アッハと笑いすぎるためである。  しかし、檀君もよく戦った。五右衛門を書くことは特に勇ましい戦のようであったらしいね。  彼の五右衛門は明るい。そしてカッタツである。監視者の涙のように清冽《せいれつ》でもある。特に文章がダイナミックで、天に飛ぶように躍動している。  だが何よりもこの小説の魅力を構成しているのは、底に鋭くひそみ、みなぎっている作者の詩魂でしょう。 「誰だ?」  と、玄八、おどろく。  こういう文章を、檀君どこで会得したのか知らないが、鋭い刃物のようにひらめき、それ自体が詩でもあるが、それが作中人物に直結して、ついに物語をなして行くダイナミックな構成が美しい。  後編というのがタノシミだね。いよいよ、秀吉現れ、ここにシノギをけずることになるのだそうだが、檀君がどういう「真説」を創りだすか、たまらない興味がある。  すでにこの小説の躍動的な面白さ美しさは、天を飛び、史実の領域を遠く下界へ捨て去って、直線を描いて三昧境《さんまいきょう》を走っている。前編では五右衛門よりも怪しげな曲者《くせもの》がタクサン現れ、美女も現れて、情緒テンメンたるものがあり、楼門の上で、ネロが孔子になって道を喝破しそうなオモムキが現れてきたね。  これに対抗する秀吉は、タダじゃアすまないね。どんな秀吉が現れるだろう。どんな美人が現れるのだろう。淀君なんかも現れますかね。  前編の五右衛門はもっぱら山野を走り大海を荒れまわったが、これより都会人との人間関係にどういう綾の葛藤を描き、風雲を起すか。檀君すでに勝算歴々、自信マンマンの如くであるが、益々監視者と共に酔い共に泣き、快作の完成をいのりますよ。 底本:「坂口安吾全集16」ちくま文庫、筑摩書房    1991(平成3)年7月24日第1刷発行 底本の親本:「新大阪 第一〇三〇号」    1951(昭和26)年5月30日発行 初出:「新大阪 第一〇三〇号」    1951(昭和26)年5月30日発行 入力:持田和踏 校正:ばっちゃん 2023年12月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。