象徴の烏賊 生田春月 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)或《あ》る |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)漠雲の中|哄笑《こうせう》する ------------------------------------------------------- 或《あ》る肉体は、インキによつて充《み》たされてゐる。 傷つけても、傷つけても、常にインキを流す。 二十年、インキに浸つた魂の貧困! 或る魂は、自らインキにすぎぬことを誇る。 自分の存在を隠蔽《いんぺい》せんがために 象徴の烏賊《いか》は、好んでインキを射出する。 或る蛇は、常に毒液を蓄へてゐる。 至大の恐怖に駆られると、蛇は噛《か》みつく。 致命の毒を対象に注入しながら 自らまた力尽きて斃《たふ》れる旱魃《かんばつ》の河! 或る蛇の技術は、自己防衛とその喪失、 夏夕の花火、一瞬の竜と天上する。 或る貝は、海底に幻怪な宮殿を築く。 あらゆる苦悩は重く、不幸は塩辛く、 利刃に刺された傷口は甘く涙を流す。 或る真珠の涙は、清雅な復讐《ふくしう》である。 奸黠《かんかつ》な商売の金庫に光空しく死せども、 美しい夫人の手に彼の涙は輝く。 或る植物は、常にじめじめした湿地に生え、 その身をあまりに夥多《くわた》なる液汁に包む。 深夜、或る暗い空洞から空洞へ注ぎこまれ、 その畸形《きけい》なる尻尾を振つて游泳《いうえい》する 或る菌はしばしば死と復讐の神である。 漠雲の中|哄笑《こうせう》する、目に見えぬものは神である。 底本:「日本の詩歌 26 近代詩集」中央公論社    1970(昭和45)年4月15日初版発行    1979(昭和54)年11月20日新訂版発行 底本の親本:「象徴の烏賊」第一書房    1930(昭和5)年6月 入力:hitsuji 校正:The Creative CAT 2023年4月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。