死体置場への招待 ――ある老フェミニストより 森於菟 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地から1字上げ] -------------------------------------------------------  拝啓  お嬢さん、わたしは死体屋です。  こんなことをいうと「キャー、あらいやだ」とあなたはおっしゃるかもしれない。  でもほんとうです。わたしは死体屋です。うす汚れた白衣を毎朝まとって、皺だらけの手にキラリと光るメスをもって、モルグの中に降りてゆく死体屋です。  でも殺し屋ではありません。そればかりか、この世で一番尊い職業だと思っています。 「そう、どうせ職業に貴賤はないでしょう。でもわたしには関係ないわ。そんなお仕事、あんたみたいに棺桶に片足突っ込んだお爺さんにお似合いよ」とあなたはおっしゃろうとしている。  でも、美しいお嬢さん。わたしが自分の職業をあえて「尊い」というのはなにも負け惜しみからではありません。また老人の強情からでもありません。  女性、つまりお嬢さんが一番美しくみえる職業なればこそ「尊い」と自信をもっていえるのです。  一番あなたに大切な男性、それはあなたの美しさを最も賛美する男性ではないでしょうか。  わたしはお嬢さんがさらに美しくなる秘密を知っています。それはわたしのモルグの死体たちの仲間にお入りになることです。  お嬢さん、あなたはまた驚かれましたね。あいすみません。  でも、わたしは信じていることをそのままいってみただけのことなんです。いや、単なるわたしの信念ではありません。事実を申したまでです。  わたしのモルグの死槽中にある液体ほど、あなたのお肌を美しくするものはありません。それはあなたのやわらかなお肌を玉のように磨くのです。  わたしは自分の仕事を忘れて、しばしあなたのお美しさにみとれるのです。わたしはこの世にご自分の肌のきたなさを歎く不幸な方々がおられることを知っています。そしてお嬢様がたはひとしくおきれいで、お可愛らしくあるべきだと希望するわたしの胸はしめつけられるような気がするのです。  でもわたしのモルグではそんな悲しみは全くないのです。  最近、科学的に研究された立派な化粧品が世間に出廻るようになり、お嬢様がたの美しさはますます輝きをまして参りました。  でもわたしのモルグの化粧水ほどあなたの秘められた美を実現するものはありますまい。  モルグの化粧水はアルコールとほんの少しのフォルマリンとヘモグロビンや蛋白質がたっぷり入った血液から成っています。  アルコールはまずお嬢さんのお肌を消毒し、かつ汚れを取ります。  この世の化粧水にもアルコール成分が入っているものが多いでしょう。『熱いトタン屋根の上の猫』というエリザベス・テイラーが主演した映画がありましたね。あの中にも多分アルコールで体をふいてオーデコロンをつけるといった科白があったような気がしましたが。  次にフォルマリンです。これは物質を硬化させる役をします。つまりアストリンジェントの役をするのです。あなたのお疲れ気味のお肌にピリリと生気を与え、若々しい張りをもたせます。  次に血液中の動物蛋白はあなたのお肌に栄養をたっぷり与えるでしょう。  もしあなたがご希望なら、美容研究家と相談のもとに、蛋白質の含有量に従って死槽をお嬢様用、マダム用と分けてもよいと思います。  さらに共存するヘモグロビン色素はお肌をほんのりと紅色に染め上げるという仕上げの役を致します。  お嬢さん、わたしはお嬢さんがこの世にいつまでもご健康で生きられることを心から希望するものです。  でも万が一の不幸ということもありましょう。こんなに自動車が路面を埋めつくしている昨今ですから。いや驚かしているのではありません。  お可愛らしいお嬢さん、驚かないで下さい。  わたしはあなたをご安心なさるようにと申しているのです。  モルグにさえいらっしゃれば。白い羽根をつけ、白いネグリジェをつけ天国へとびたたれる前に、もう一度ご自分のお肌を真珠のように輝かせてみてはいかがでしょうか。  モルグの入口でお待ちしております。[#地から1字上げ][#1段階小さな文字](昭和三十五年五月)[#小さな文字終わり] 底本:「耄碌寸前」みすず書房    2010(平成22)年10月15日第1刷    2011(平成23)年2月10日第4刷 底本の親本:「医学者の手帖」科学随筆文庫、学生社    1978(昭和53)年9月25日発行 入力:津村田悟 校正:hwakayama 2024年8月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。