死者を嗤う 菊池寛 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)渡《わた》った |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)十時|頃《ごろ》 -------------------------------------------------------  二三日降り続いた秋雨が止んで、カラリと晴れ渡《わた》った快い朝であった。  江戸川縁《えどがわべり》に住んでいる啓吉《けいきち》は、いつものように十時|頃《ごろ》家を出て、東五軒町《ひがしごけんちょう》の停留場へ急いだ。彼《かれ》は雨天の日が致命的《フェータル》に嫌《きらい》であった。従って、こうした秋晴の朝は、今日《きょう》の裡《うち》に何かよい事が自分を待っているような気がして、何となく心がときめくのを覚えるのであった。  彼は直《す》ぐ江戸川に差しかかった。そして、小桜橋《こざくらばし》と云《い》う小さい橋を渡ろうとした時、ふと上流の方を見た。すると、石切橋と小桜橋との中間に、架《か》せられている橋を中心として、そこに、常には見馴《みな》れない異常な情景が、展開されているのに気が附《つ》いた。橋の上にも人が一杯《いっぱい》である。堤防《ていぼう》にも人が一杯である。そしてすべての群衆は、川中に行われつつある何事かを、一心に注視しているのであった。  啓吉は、日常生活においては、興味中心の男である。彼はこの光景を見ると、直ぐ足を転じて、群衆の方へ急いだのである。その群衆は、普通《ふつう》、路上に形作らるるものに比べては、かなり大きいものであった。しかも、それが岸に在《あ》っては堤防に、橋の上では欄杆《らんかん》へとギシギシと押《お》し詰《つ》められている。そしてその数が、刻々に増加して行きつつあるのだ。  群衆に近づいて見ると、彼等は黙《だま》っているのではない。銘々《めいめい》に何か喚《わめ》いているのである。 「そら! また見えた、橋桁《はしげた》に引っかかったよ。」と、欄杆に手を掛《か》けて、自由に川中を俯瞰《みおろ》し得る御用聴《ごようきき》らしい小僧《こぞう》が、自分の形勝の位置を誇《ほこ》るかのように、得意になって後方に押掛《おしか》けている群衆に報告している。 「何ですか。」と啓吉は、自分の横に居合せた年増《としま》の女に訊《き》いた。 「土左衛門《どざえもん》ですよ。」と、その女はちょっと眉《まゆ》を顰《しか》めるようにして答えた。啓吉は、初めからその答を予期していたので、その答から、何等の感動をも受けなかった。水死人は社会的の現象としては、極くありふれた事である。新聞社に居る啓吉はよく、溺死人《できしにん》に関する通信が、反古《ほご》同様に一瞥《いちべつ》を与《あた》えられると、直ぐ屑籠《くずかご》に投ぜられるのを知っている。が実際死人が、自分と数|間《けん》の、距離《きょり》内にあると云う事は、全く別な感情であった。その上啓吉は、かなり物見高い男である。彼もまた死人を見たいと云う、人間に特有な奇妙《きみょう》な、好奇心に囚《とら》われてしまった。彼は幾何《いくばく》かの強力《ごうりき》をもって、群衆の層の中へと、自分の身を割込《わりこ》ませて行ったのである。が、その群衆はかなりの密度を持っていて、容易には新来者を容《い》れないのである。啓吉は、懸命《けんめい》に努力して、群衆の中心へ這入《はい》る事が出来た。が、まだ自分の前には二三人、人が居て水面の一部をも覗《のぞ》き込む事は出来なかったが、大抵《たいてい》の様子は判った。死人は啓吉の立っている岸の直ぐ下の水中に在るらしい。そして巡査《じゅんさ》一人と、区役所の人夫が二、三人とで、しきりに引揚《ひきあげ》に掛《かか》っているらしかった。 「這入らなきゃ、駄目《だめ》じゃないか。思切ってはいっちまえよ。そんな手附じゃ引っかかりこはないよ。」  と、一番形勝の位置に居る、橋の上の群衆は、盛《さか》んに人夫等を、指導している。が、その人夫達はなるべく手足を濡《ぬ》らさないように、なるべく汚《きたな》い思いをしないように、なるべく労力を費やさないように、手際《てぎわ》よく引揚を、試みているらしい。  その裡に群衆は、ますます殖《ふ》えて行った。千人を超《こ》した群衆が、この橋を上流下流、四五十間の間ぎっしりと詰めかけている。が、その裡のホンの少数のみが、引揚作業を、目撃《もくげき》し得る位置にあったが、その人達は、自分の看《み》ている事を、後方へ報告する義務を怠《おこた》りはしない。 「男ですか、女ですか。」 「どうも女らしいですよ、今|髪《かみ》が見えたようですから。」 「こんな水の浅い川で死ねるのでしょうか。」 「夜通し、這入っていると、凍《こご》え死《じに》に死ぬのですよ、もう水の中が冷いですからね。」  と、啓吉の直ぐ横に居る洋服を着た男と、啓吉の前に、川中を覗き込んでいる男とが、話している。  すると突然《とつぜん》、橋の上の群衆や、岸に近い群衆が、 「わあ!」と、大声を揚げた。 「ああとうとう、引掛けやがった。」と所々で同じような声が起った。人夫が、先に鉤《かぎ》の附いた竿《さお》で、屍体《したい》の衣類をでも、引掛けたらしい。 「やあ! 女だ。」とまた群衆は叫《さけ》んだ。橋桁に、足溜《あしだまり》を得た人夫は、屍体を手際よく水上に持ち上げようとしているらしい。  群衆は、自分達の好奇心が、満足し得る域境に達したと見え、以前よりも、大声を立てながら騒《さわ》いでいる。が、啓吉には、水面に上っている屍体は、まだ少しも見えなかった。  しかし、彼は人間、しかもその生前には、その身嗜《みだしな》みのために、絶えざる考慮《こうりょ》を払《はら》ったに違《ちが》いない、女性の身体《からだ》が、ゆで蛸《だこ》か何かのように、鉤に釣《つ》るされて、公衆の面前、しかも何等《なんら》の同情もなく、軽佻《けいちょう》な好奇心ばかりで、動いている群衆の面前で、引揚げられると云うことは、その屍体に対する侮辱《ぶじょく》のみではなく、人間全体に対する、酷《ひど》い侮辱であるように思われて、憤《いきどお》りと悲しみの混じったある感懐《かんかい》に、囚われずにはいられなかったのである。  すると、突然「パシャッ」と、水音がしたかと思うと、群衆は一時に「どっ」と大声を立てて笑った。啓吉は、最初その場所|外《はず》れの笑いの意味が、分らなかった。いかに好奇心のみの、群衆とは云え屍体の上るのを見て、笑うとは余りに、残酷《ざんこく》であった。が、その意味は周囲の群衆が発する言葉で直ぐ判った。一度水面を離れかけた屍体が、鉤の脱《は》ずれたため、再び水中に落ちたからであった。 「しっかりしろ! 馬鹿《ばか》!」と、哄笑《こうしょう》から静《しずま》った群衆は、また人夫にこうした激励《げきれい》の言葉を投げている。  その内に、また人夫は屍体に、鉤を掛ける事に、成功したらしい。群衆は、 「今度こそしっかりやれ。」と、叫んでいる。啓吉は、また押し詰まされるような、気持になった。彼は屍体が群衆の見物から、一刻も早く、逃《のが》れる事を、望んでいた。すると、また突然水音がしたかと思うと、以前にも倍したような、笑声が起った。無論、屍体が、再び水面に落ちたのである。啓吉は、当局者の冷淡《れいたん》な、事務的な手配と、軽佻な群衆とのために、屍体が不当に、曝《さら》し物にされている事を思うと、前より一層の悲憤《ひふん》を感じた。笑っている群衆も、群衆である。水中へ飛び込んで、抱《だ》き上げない人夫も、人夫である。定《き》まった日給で働いている人夫だ、そうした義侠的《ぎきょうてき》行動をしないのも無理のない話ではあるが。  が、この時彼はふと、二三年前、浅草で見た活動写真の事を思い出した。それは、米国のユニヴァサルのフィルムで、非常に肥満した女優を、主人公《ヒロイン》とした、追掛け沢山《たくさん》の、喜劇であった。そして、大女の女優が、真先になって、追掛けた後、かえって自分が湖水の中へ、転落する。それを皆《みな》が寄ってたかって救助にかかる。投げ込んだ縄《なわ》に女優が掴《つか》まる。皆が力一杯引き揚げるが、ちょうど水面から、一間ばかり離れると、縄を引いている連中の力が抜けて、ダラシなく縄を緩《ゆる》めるので、女優は、水音高く再び水中に落込んでブクブクやる。それを見ると、見物は訳もなく嬉《うれ》しがった。その段取を、幾回となく繰返《くりかえ》すに連れて、潮のような哄笑が、見物席に幾度も、湧《わ》き立った。啓吉も、腹を抱《かか》えて、笑った一人である。彼は、このフィルムのヤマで、フィルム作者が頭を搾《しぼ》って考え附いた場面で、いかにも巧《たく》みに、群衆の笑いの心理を、掴んでいたのである。  ところが、現在啓吉の目撃している、屍体引揚げの場面も、この活動の場面と全く同じではないか。ただ快活な喜劇の女優の代りに、悲惨《ひさん》な屍体があった。がその他の境遇《きょうぐう》は、全く同じである。そしてフィルム作者が、見物の哄笑を惹起《じゃっき》するために、考え出した場面が、屍体を中心として、実人生の間に皮肉に再現されているのに過ぎなかった。  啓吉は、群衆が哄笑する心理が、判ったようにも思った。が、それでも、啓吉の感情は、それ等の哄笑を正当視《ジャスチファイ》する事が出来なかった、死者を嗤《わら》っている群衆を、啓吉の感情はどうしても許さなかったのである。人間が人間の屍体に対して、こんなに笑ってもいいものかと思った。見物の笑いは啓吉に取っては、人間が人間の死をあざ笑っているようにも、思われたのである。  三度目に屍体が、とうとう正確に鉤に掛ったらしい。 「そんな所で、引揚げたって、仕様がないじゃないか、石段の方へ引いて行けよ。」と、群衆の一人が叫んだ。これはいかにも、時宜的《タイムリイ》な助言であった。人夫は屍体を竿にかけたまま、橋桁から石崖《いしがけ》の方へ渡り、石段の方へ、水中の屍体を引いて来た。  石段は啓吉から、一間と離れぬ所にあった。岸の上に居た巡査は、屍体を引揚げる準備として、石段の近くに居た群衆を追い払った。そのために、啓吉の前に居た人々が、払い除《の》けられて啓吉は見物人として絶好の位置を得たのである。  気が附くと、人夫は屍体に、縄を掛けたらしく、その縄の一端《いったん》を掴んで、屍体を引きずり上げている。啓吉はその屍体を一目見ると、悲痛な心持にならざるを得なかった。希臘《ギリシャ》の彫刻《ちょうこく》で見た、ある姿態《ポーゼー》のように、髪を後ざまに垂《た》れ、白蝋《はくろう》のように白い手を、後へ真直《まっすぐ》に反《そ》らしながら、石段を引ずり上げられる屍体は、確に悲壮《ひそう》な見物《みもの》であった。殊《こと》に啓吉は、その女が死後の嗜みとして、男用の股引《ももひき》を穿《は》いているのを見た時に悲劇の第五幕目を見たような、深い感銘《かんめい》を受けずにはいなかった。それは明かに覚悟《かくご》の自殺であった。女の一生の悲劇の大団円《カターストロフ》であった。啓吉は暗然として、滲《に》じむ涙《なみだ》を押えながら面を背《そむ》けてそこを去った。流石《さすが》に屍体をマザマザと見た見物人は、もう自分達の好奇心を、充分満たしたと見え、思い思いにその場を去りかかっていた。  啓吉も、来合せた電車に乗った。が、その場面《シーン》は、なかなかに、啓吉の頭を去らなかった。啓吉は、こう云う場合に、屍体収容の手配が、はなはだ不完全で、そのために人生における、最も不幸なる人々が、死後においても、なお曝し物の侮辱を受ける事を憤らずにはいられなかった。それと同時に啓吉は、死者を前にして哄笑する野卑《やひ》な群衆に対する反感を感じた。  その内フト啓吉は、今日見た場面を基礎《きそ》として、短篇《たんぺん》の小説を書こうかと思い付いた。それは橋の上の群衆が、死者を前にして、盛んに哄笑している裡に、あまり多くの人々を載《の》せていた橋は、その重みに堪《た》えずして墜落《ついらく》し、今まで死者を嗤っていた人達の多くが、溺死をすると云う筋で、作者の群衆に対する道徳的批判を、その裡に匂《にお》わせるつもりであった。が、よく考えてみると、啓吉自身も、群衆が持っていたような、浮《う》いた好奇心を、全然持っていなかったとは、云われなかったのである。 底本:「世界は笑う〈新・ちくま文学の森13〉」筑摩書房    1995(平成7)年9月25日第1刷発行 底本の親本:「現代日本文學大系 44 山本有三・菊池寛集」筑摩書房    1972(昭和47)年10月20日初版第1刷発行 初出:「中央文學」    1918(大正7)年6月号 ※表題は底本では、「死者を嗤《わら》う」となっています。 入力:hitsuji 校正:友理 2022年2月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。