金銀の衣裳 夢野久作 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)母娘《おやこ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二人|切《きり》 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ずん/\ -------------------------------------------------------  昔或る処に貧乏な母娘《おやこ》がありました、お父様は早くになくなつて今はお母様と娘のお玉と二人|切《きり》でしたが何《なに》しろ貧乏なので其日其日《そのひそのひ》の喰べるものもありません、只《ただ》お母様が毎日毎日|他所《よそ》へ行つて着物の洗《すす》ぎ洗濯や針仕事をしていくらかの賃金を貰つて来てやつと細《ほそ》い煙を立てゝ居《を》りました。処が此《この》お玉と云ふ娘は生れ付きまことに縹緻《きりやう》がよくてとても人間とは思はれぬ位で名前の通り玉の様に美しく月の様に清らかな姿をして居《を》りましたから近所の村や町の人々は皆《みな》不思議がつて砂利の中に玉が湧いたと云ひ囃して居《を》りました。お母様も家《いへ》が貧乏な丈《だ》けにこれを聞くにつけてもお玉の美しいのがいぢらしくてなりませぬ。あゝ若《も》しこれが大金持ちか王様の娘であつたならば美事な着物を何枚も着せて大勢の人々に見せびらかさうものを、折角|此様《このやう》に天人の様な美しい娘を授かり乍《なが》ら着せるものは汚い黒い襤褸《ぼろ》しか無い、嗚呼《ああ》何《なん》と云ふ情《なさけ》ない事であらうと娘の顔を見る度に涙を流して居《を》りました。  処が丁度|此《この》玉が七つになつた年の春の事で御座いました、何処《どこ》から飛んで来たものか一匹の蠶《かひこ》の蛾が這入《はひ》つて来まして破《あば》ら家《や》の隅の柱にとまつて卵を沢山に生み付けて行《ゆ》きました。これを見るとお母様は不図《ふと》思ひ付いてこれこそ神様から娘によい着物を下さると云ふ体徴《しるし》であらうと思ひまして其《その》卵のかへるのを待つて居《を》りますとやがて沢山の蠶が生れまして床《とこ》の上を這ひ初めました。これを見るとお母様は直《すぐ》に隣りの金持ちの裏の畠から桑の葉を千切つて来て床《とこ》の上に撒いて遣りますと蠶は皆《みな》桑の葉の香気《にほひ》を慕ひ寄つて来ましたから床《とこ》の上に仕切をしてすつかり其中《そのなか》に集めてしまひました。  それからお母様は毎夜毎夜出て行つて隣の家《いへ》の裏畠から桑を千切つて来ては蠶に遣りました、他所《よそ》の物を盗むといふことは悪い事には違ひありませぬがお玉の可愛《かあい》さが胸一パイになつて居《を》るお母様の身に取つては善い事も悪い事も考へる隙《ひま》がありませんでした。  其中《そのうち》に蠶はずん/\大きくなつて最早《もはや》二三日ばかりすると繭をかけると云ふ一番大切な時になりました、お母様はいつもの通り金持ちの家《いへ》の裏の畠に桑を盗みに行《ゆ》きますと其《そ》の夜《よ》は美しい月の夜《よ》で今まで毎晩葉を千切られた桑の樹が皆《みな》枝ばかりになつて白い光りの下にズラリと並んで居《を》りました。  母親は今更悪い事をしたと思ひました、清らかな月の光りを見るのが恥かしくなりました、左様《さう》して只《ただ》悲しさの余り畠の中に泣き伏して居《を》りました。  金持ちの家《いへ》では今年《こんねん》に限つて桑の葉が足りないのを不思議に思つてそれとなく見張りを付けて居《を》りますと見張《みはり》の者は此《こ》の有様を見つけましてそつと家《うち》へ知らせましたからそれと云ふので大勢で桑畠を取り捲いて一時《いちじ》にわつと襲ひかゝりました。  母親は驚いて起《た》ち上《あが》りました、そして捕《とら》へ様とするのを振り切つて逃げ出しましたがあまり夢中に走つた為に桑畠の中にある深い/\古井戸に落ち込んだのを気がついたものは一人もありませんでした。左様《さう》して皆《みな》取り逃がしたと思つて残念がつて帰つて行《ゆ》きました。  処が可愛想《かあいさう》なのはあとに残つた娘のお玉です、翌《あく》る朝|夜《よ》が明けてもお母様が居《を》りませぬから泣き/\近所《きんしよ》[#ルビの「きんしよ」はママ]を尋ねてまはりましたが固《もと》より古井戸に落ちてしまつたお母様が帰つて来《き》やうがありませぬ。其中《そのうち》に誰《たれ》云ふと無く桑|盗人《ぬすびと》はお玉の母親に違ひ無いと云ふ事が評判になりまして可愛想《かあいさう》に其《その》娘のお玉までも憎まれて此《この》村を追ひ出されてしまひました。  娘は村を追ひ出されても行《ゆ》く先もありませぬ、又乞食する術《すべ》も知らず只《ただ》声を限りに泣き叫びながら広い/\野原の方へ参りました。  其中《そのうち》に日が暮れて又|昨夜《さくや》の様な清らかな月の光りがさし昇りました。お玉はお腹は減るし足は疲れるし只《ただ》情無《なさけな》さに「お母さん/\」と泣き叫び乍《なが》ら何処《どこ》を当《あて》ども無く広野原を歩いて行《ゆ》きましたが其中《そのうち》に泣き疲れて只《と》ある叢《くさむら》の中に倒れて眠つてしまひました。  悲しい其夜《そのよ》が明けますと北国《ほつこく》の皇太子は家来を大勢連れて此《こ》の野原へ狩猟に来ましたがやがて叢《くさむら》の中に睡《ねむ》つて居《ゐ》るお玉を見つけて其《そ》の美しいのに驚いて眼のさめるのを待つて身の上を尋ねますと只《ただ》「お母様が居《ゐ》ない」と泣くばかりで手の付け様もありませぬ。それから狩猟も何《なに》も止《よ》してしまつて家来が手を分けて探しますとやがて其中《そのうち》の一人は近所《きんしよ》[#ルビの「きんしよ」はママ]の村の桑畠の中の古井戸から微《かすか》に女の叫び声が聞こえるのを聞き付けて縄を入れて引き上げて見るとこれがお玉のお母様でしたから喜び勇んで皇太子の前に連れて来ました。又|其中《そのなか》の一人は同じ村外れの一軒の廃《あば》ら屋《や》から金色《きんいろ》の光りが輝き出《いで》て居《ゐ》るのを見て不思議に思つて覗《うかが》つて見ますと何様《どう》でせう、蠶《かひこ》は皆《みな》お玉の母親の心に感じたものか眼も眩《まばゆ》い金銀の糸を吐いて大きな繭を家中《うちぢう》にかけて居《を》りましたから今まで真暗《まつくら》なみじめなお玉の家《いへ》の中はまるで王様のお住居《すまゐ》の様に光り輝いて居《を》りました。  皇太子はお玉|母娘《おやこ》を先立てゝやがて此家《このうち》に這入《はひ》りまして眼の前の不思議に感心をしました、左様《さう》して此《この》娘が大きくなつたらば自分の后《きさき》に貰ひたいと望みました。  母親に逢つたお玉の喜び娘の出世を喜ぶ母親の喜び此《この》様な美しいお后を見つけた皇太子の喜び、王様御夫婦の喜び、取り分けても世にも珍らしい金銀の繭を見た人々の驚きそれやこれやで世界は喜びと驚きに満ち/\たかと思はれました。  年月《としつき》は矢の様に経《た》つてお玉が十七の時に始めて此《この》国のお后の位に備はりました。国々から集まつた大名や殿様は皆《みな》其《そ》の儀式の華やかなのに驚いて只《ただ》もう感心してしまひましたが其《その》中でも金銀の衣裳を着たお玉の美くしさは唯一人として頭を上げて真面《まとも》に見る事が出来た者はありませんでした。 底本:「定本 夢野久作全集 全8巻 6」国書刊行会    2019(令和元)年5月24日初版第1刷発行 底本の親本:「九州日報」    1919(大正8)年6月30日 初出:「九州日報」    1919(大正8)年6月30日 ※初出時の署名は「萠園」です。 入力:佐藤すだれ 校正:木村杏実 2021年12月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。