あぢさゐ 永井荷風 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)或《ある》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)駒込|辺《あたり》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地から1字上げ] -------------------------------------------------------  駒込|辺《あたり》を散策の道すがら、ふと立寄った或《ある》寺の門内で思いがけない人に出逢った。まだ鶴喜太夫《つるきだゆう》が達者で寄席へも出ていた時分だから、二十年ぢかくにもなろう。その頃折々家へも出入をした鶴沢宗吉《つるざわそうきち》という三味線ひきである。 「めずらしい処で逢うものだ。変りがなくって結構だ。」 「その節はいろいろ御厄介になりました。是非一度御機嫌伺いに上らなくっちゃならないんで御在《ござい》ますが、申訳が御在ません。」 「噂にきくと、その後商売替をしなすったというが、ほんとうかね。」 「へえ。見切をつけて足を洗いました。」 「それア結構だ。して今は何をしておいでだ。」 「へえ。四谷も大木戸のはずれでケチな芸者家をして居ります。」 「芸人よりかその方がいいだろう。何事によらず腕ばかりじゃ出世のできない世の中だからな。好加減《いいかげん》に見切をつけた方が利口だ。」 「そうおっしゃられると、何と御返事をしていいかわかりません。いろいろ込入《こみい》ったわけも御在ましたので。一時はどうしたものかと途法にくれましたが、今になって見れば結局この方が気楽で御在ます。」 「お墓まいりかね。」 「へえ。先生の御菩提所もこちらなんで御在ますか。」 「なに。何でもないんだがね。近頃はだんだん年はとるし、物は高くなるし、どこへ行っても面白くないことずくめだからね。退屈しのぎに時々むかしの人のお墓をさがしあるいているんだよ。」 「見ぬ世の友をしのぶというわけで。」 「宗さん。お前さん、俳諧をやんなさるんだっけね。」 「イヤモウ。手前なんざ、ただもう、酔って徘徊する方で御在ます。」  話をしながら本堂の裏手へ廻って墓場へ出ると、花屋の婆《ばばあ》は既にとある石塔のまわりに手桶の水を打ち竹筒の枯れた樒《しきみ》を、新しい花にさしかえ、線香を手に持って、宗吉の来るのを待っていた。見れば墓石もさして古からず、戒名は香園妙光信女《こうえんみょうこうしんにょ》としてあるので、わたしは何心もなく、 「おふくろさんのお墓かね。」 「いえ。そうじゃ御在ません。」と宗吉は袂《たもと》から珠数を取出しながら、「先生だからおはなし申しますが、実は以前|馴染《なじみ》の芸者で御在ます。」 「そうかい。人の事はいえないが、お前さんも年を取ったな。馴染の女の墓参りをしてやるような気になったかな。」 「へへえ。すっかり焼きがまわりました。先生お笑いなすッちゃいけません。」と宗吉はしゃがんで、口の中に念仏を称えていたが、やがて立上り、「先生、この石塔も実は今の嚊《かかあ》には内々で建ててやったんで御在ます。」 「そうか。じゃ大分わけがありそうだな。」 「へえ。まんざら無いことも御在ません。親爺やお袋の墓は何年も棒杭《ぼうぐい》のままで、うっちゃり放しにして置きながら、頼まれもしない女の石塔を建ててやるなんて、いい年をしていつまで罰当りだか、愛想がつきます。石がたしか十円に、お寺へ五円、何のかのと二拾円から掛っています。」 「どこの芸者衆だ。」 「葭町《よしちょう》の房花家《ふさはなや》という家にいた小園《こその》という女で御在ます。」 「聞いたことのあるような名前だが。」 「いえ。とても旦那方の御座敷なんぞへ出た事のあるような女じゃ御在ません。第一看板がよくない家でしたし、芸もないし、手前見たようなものでも、昼日中一緒につるんで歩くのは気が引けたくらいで御在ましたからね。芸者の位というものは見る人が見るとすぐわかるので御在ますからね。」  寺の門前に折好く植木屋のような昔風の家づくりの蕎麦屋が在ったので、往来際の木戸口から小庭の飛石づたい、濡縁《ぬれえん》をめぐらした小座敷に上って、わたしは宗吉のはなしを聞いた。       ×   × 「もうかれこれ十四、五年になります。手前が丁度三十の時で御在ました。始めて逢ったのは芳町じゃ御在ません。下谷《したや》のお化新道《ばけしんみち》で君香《きみか》といって居りました。旦那の御屋敷へ御けいこに上って御酒をいただいた帰りなんぞに逢引をした事が御在ました。その時分には、アノ、旦那もたしか御存じの通り、新橋に丸次《まるじ》という色がありましたが、しかし何をいうにも血気ざかり、いくら向《むこう》からやんや言われても、いやに姉さんぶった年上の女一人、後生大事に守っちゃいられません。御贔屓《ごひいき》の御座敷や何かで、不時の収入《みいり》がありますと、内所《ないしょ》で処かまわず安い芸者を買い散らしたもんで御在ます。一人きまったのがあって、それで方々遊び歩くのは、まず屋台店の立喰《たちぐい》という格で、また別なもんで御在ます。ネエ、先生。はじめて湯島天神下の×××で君香を買ったのもそんなわけで御在ます。何しろ十時頃に上って十二時過には家へ帰っていようというんですから、女のよしあしなんぞ択好《よりごの》みしちゃ居られません。何でも早く来るやつをと、時計を見ながら、時によると、×の来ない中《うち》から仕度をさせ、腹ばいになって巻烟草《まきたばこ》をふかし、今晩はといって手をつくやつを、すぐに取つかまえるというような乱暴なまねをした事もあります。その晩はまずそういった調子です。暫《しばら》くして座敷へ来たのを見ると思ったよりは上玉《じょうだま》でした。何も彼も忘れずにおぼえて居ります。衣裳は染返しの小紋に比翼の襟が飛出しているし半襟の縫《ぬい》もよごれている。鳥渡《ちょっと》見ても、丸抱えで時間かまわずかせぎ廻される可哀そうな連中です。つぶしに結《ゆ》った前髪に張金《はりがね》を入れておっ立てているので、髪のよくない事が却《かえ》って目につきました。しかし睫毛《まつげ》の長い一重目縁《ひとえまぶた》の眼は愛くるしく、色の白い細面のどこか淋しい顔立《かおだち》。それにまた撫肩《なでがた》で頸が長いのを人一倍衣紋をつくった着物のきこなしで、いかにもしなやかに、繊細《かぼそ》く見える身体《からだ》つき。それに始終|俯向《うつむき》加減に伏目になって、あまり口数もきかず、どこかまだ座敷馴れないような風だから、いかにも内輪《うちわ》なおとなしい女としか思われません。長くこんな商売をしていられる身体じゃない。さぞ辛い事だろうと、気の毒な心持になったのが、そもそも間違《まちがい》のはじまりです。人は見かけによらないという事がありますが、この女ほど見かけによらないのもまず少《すくな》う御在ます。」 「柄にもない。一杯|食《くわ》されたんだね。」 「まアそうで御在ます。後になって見れば、女の方じゃ別にだまそうと思ってかかった訳でも無いんでしょうが、実に妙な意地張りずくになって、先生、わッしゃ全く人殺《ひとごろし》をしようと思ったんで御在ます。思出すと今でもぞっといたします。ところが、わたしよりも一足先に殺した奴があったんで、わたしは無事で助かりました。わたしの名前は好塩梅《いいあんばい》に出ませんでしたが、その事は葭町の芸者殺しというんで新聞にも出ました。下谷から葭町へ住替をさせたのは、わたしが女から頼まれてやった事で、その訳はこの女には〆蔵《しめぞう》という新内《しんない》の流《なが》しがついていました。地体《じたい》浮気で男にほれっぽい女とは知らないから、わたしも始めての晩、御用さえ済めば別にはなしのある訳もなし、急いで帰ろうとすると、「兄さん、お願いだから、もう一度お目にかからせてね。」と×××に憂《うれい》のきく淋しい眼元。袖にすがっていきなり泣落しと来たんだから、こたえられません。全体座敷で口数をきかない女にかぎって×へ廻ってから殺文句《ころしもんく》を言うもんです。それから通い出して丁度|一月《ひとつき》ばかり。逢った度数《かず》で申そうなら七、八遍というところ。お互に気心が知れ合って、すっかり打解《うちとけ》ながら、まだどこやらに遠慮があって、お互にわるく思われまい。愛想をつかされまいという心配が残っている。惚れた同志の一番楽しい絶頂です。君香はきかれもしないのに、子供の時からいろいろと身の上ばなしをした末に、新内|語《がたり》の〆蔵との馴れそめを打明け、あの人はお酒がよくないし、手慰《てなぐさ》みもすきだし、万一の事でもあると困るから、体好《ていよ》く切れたい。そのために一時この土地をはなれて、田舎へでも行こうかと言います。此方《こっち》はのぼせている最中だから、この場合、「うむ。そうか。じゃア行ってきなさい。」とは云えません。「お前の胸さえきまっているなら、お前のからだはおれが引受けよう。そんな無分別な事をせずと、東京にいてくれ。」と乗出さずには居られません。芸者の住替をする道は素人じゃないから能《よ》く知っています。周旋屋《しゅうせんや》の手にかかって手数料を取られ、碌《ろく》でもない処へはめ込められるより、わたし自身で道をつけてやる方が結局女の為めだと考え、お参りからすぐに親里へドロンをきめさせ、借金もなろう事なら今までの稼高《かせぎだか》だけでも負けさせて住替の相談をつけてやろうと考えました。君香の実家は木更津だそうで、親爺は学校か町役場の小使でもしていたらしい。兎《と》に角《かく》悪い人じゃないようでした。わたしは一先《ひとまず》当人を親里へ逃して置いて、芸者家へは当人から病気になったから、二、三日帰れないという手紙を出させ、陰に廻って、そっと東京へ呼戻《よびもど》して、抱主《かかえぬし》との話がつくまで毎日逢っていようと言うんです。もともと逢いたい見たいが第一で、別に女を喰物《くいもの》にしようという悪い腹は微塵もないんですから、逃す時にも当座の小遣銭《こづかい》、それから往復の旅費、此方《こっち》へ呼もどしてから、本所|石原町《いしはらちょう》に知っている者があったので、その二階を借りるやら、荷物は残らず芸者家へ押えられているから、さしずめ着がえの寝衣《ねまき》に夜具も買う。わたしの身にしては七苦八苦の騒ぎです。何しろその時分は丸次の家の厄介になっていた身ですから、公然《おおびら》に余所《よそ》へ泊るわけには行きません。昼間か宵の中《うち》忍んで行くより仕様がないので、自然出稽古はそっちのけ、御贔屓のお客はしくじる。師匠からは大小言《おおこごと》。忽《たちまち》の中に世間は狭くなる。金の工面には困ってくる。さてそうなると、いよいよつのるが恋のくせ。二度と芸者には出したくないような気がして来ます。いずれは住替と、話はきまっているものの、一日でも長くこのまま素人にさして置きたいという気になって、諸所方々無理算段をしながら、もしや、君香がそれと知ったら、済まないと思って早く住替をしようというにちがいない。そう云う気にならせまいと、わたしは何不自由もしない顔をして、丁度夏の事でしたから、或日《あるひ》は明石縮《あかしちぢみ》一反、或日は香水を買ってやった事もあります。貸二階にばかり引込んでいても気が晴れまいからと、人目を忍んでわざわざ場末の活動へ連れて行き帰りには鳥屋か何かで飯をくう。君香は何も知らないから嬉しがって、「兄さん、わたしこの儘《まま》でこうして素人でいられたら。」と言って泣きます。昼間だけ逢っているんじゃ、もう、どうしても我慢ができない。一晩はお袋が病気だと、丸次の手前を胡麻化《ごまか》し、その次は時節柄さる御贔屓の別荘へお伴をすると云いこしらえて、三日ばかりとまって、何喰わぬ顔で新橋へ帰って来ますと、イヤハヤ、隠すより顕《あらわ》るるはなし。世間は広いようでも狭いもの。丸次の家で使っている御飯焚《ごはんたき》の婆の家が、君香のいる家のすぐ二、三|軒《げん》先《さき》で、一伍一什《いちぶしじゅう》すっかり種が上っているとは夢にも知らないから、此方《こっち》はいつもの調子で、「今更切れるの、別れるのと、そんな仲じゃあるまい。冗談もいい加減にしな。」と甘く持ちかけたから猶更《なおさら》いけない。「宗さん。人を馬鹿にするにも程があるよ。」ときっぱり、丸次は長烟管《ながぎせる》で畳をたたき、「お前さん、それほどあの女が恋しいなら、わたしも同じ芸者だよ。未練らしい事を云って邪魔立てはしないから、立派に世間晴れて添いとげて御覧。憚《はばか》りながらまだ男ひでりはしないからね。痩せても枯れても、新橋の丸次といえば、わき土地へも知られている顔だよ。そうそう踏みつけにはされたくないからね。立派に熨斗《のし》をつけて進上するから、ねえ、宗さん、後になっていざこざのないように一筆書いておくんなさいよ。その代りこれはわたしの志《こころざし》さ。」と目の前につき付けたのは後で数えて見れば百円札が五枚。いくら仕《し》がない芸人でも、女から手切《てぎれ》を貰って引込むような男だと、高をくくられたのが口惜《くや》しいから、金は突返《つっかえ》して、高慢ちきな横面《よこつら》を足蹴《あしげ》にして飛出そうと立ちかかる途端、これさえあれば君香の前借も話がつくんだと、卑劣な考《かんがえ》がふっと出たばかりに、何にも云わず、おとなしく証文をかいた時は、我ながら無念の涙に目がかすみ、筆持つ手も顫《ふる》えました。わたくしがその後三味線引をやめたのも芸人でなかったら、あの耻はかかされまいと、その時の無念がわすれられなかったからで御在ますよ。  しかし五百円をふところにして丸次の家を出ると、その場の口惜しさ無念さは忽《たちま》ちどこへやら。今し方別れたばかりの君香に逢い借金を返すはなしをしたら、どんなに喜ぶことだろうと思うと、もう矢も楯もたまりません。電車の来るのも待ちどしく、自動車を飛して埋堀《うめぼり》の家へかけつけて見ると、夏の夜ながら川風の涼しさ。まだ十二時前なのに河岸通《かしどおり》から横町一帯しんとして、君香の借りている二階の窗《まど》も、下の格子戸も雨戸がしまっています。戸を敲《たた》くと下の人が、「お帰んなさい。」と上り口の電燈をひねって、わたしの顔を見、「あらお一人。」というから、「お君は。」と問い返すと、「御一緒だと思ったら、ほほほほほ。」と何だか雲をつかむようなはなし。いつものように君香は先刻《さっき》わたしの帰るのを電車の停留場まで送って行き、それなり家へはまだ戻らないのだな。明日《あした》の昼頃までおれの来ないのを承知しているからは、事によると今夜は帰るまい。どこへ行きゃアがった。前々から馴染のお客もないことはあるまい。一番怪しいのは新内の〆蔵だ。と思うと二階へ上ってもじっとしては居られません。何かの手がかりをとその辺をさがしても衣類道具は、まだ下谷の芸者家へ置いたままの始末だから、ここには鏡台一ツなく、押入には汚れたメレンスの風呂敷づつみが一つあるばかり。それらしいものは目にはつかないので猶更いらいらしてまた外へ出た。  埋立をした河岸通は真暗で人通りもなく、ぴたぴた石垣を甞《な》める水の音が物さびしく耳立つばかり。御厩橋《おんまやばし》を渡る電車ももうなくなったらしく、両国橋の方を眺めても自動車の灯《あかり》が飛びちがうばかり。ひやひやする川風はもうすっかり秋だ。向河岸《むこうがし》の空高く突立っている蔵前の烟突《えんとつ》を掠めて、星が三ツも四ツもつづけざまに流れては消えるのをぼんやり見上げながら、さしずめ今夜はこれからどこへ行こう。新橋はもう縁が切れている。ここに持っている五百円。あんなに耻をかかされて、手出しもならず。押しいただいて貰って来たのは、そもそも誰のためだ。玉子の殻がまだ尻ッぺたにくっついている水転《みずてん》のくせにしやがって、よくも一杯喰わせやがったな。胸糞のわるいこんな札びらは一層《いっそ》の事《こと》水に流して、さっぱりしてしまった方がと、お蔵《くら》の渡しの近くまで歩いて来て、じっと流れる水を見ていますと、息せき切って小走りに行過《ゆきすぎ》る人影。誰あろう、君香です。 「おい。おれだ。どこへ行く。」と呼留《よびと》めた声はたしかに顫えていました。 「あら。兄さん。」と寄り添うのを突放《つっぱな》して、「何が兄さんだ。ここにおれが居ようとは思わなかったろう。ざまア見ろ。男をだますなら、もうすこし器用にやれ。」  女は砂利の上に膝をついたまま立上ろうともせず、両方の袂《たもと》で顔をかくし、肩で息をしているばかり。何とも言わないから、「おい、好加減にしな。」と進寄《すすみよ》って引起そうとすると、君香は何か手荒な事でもされると思ったのか、その儘わたしの手にしがみつき、 「兄さん。気のすむように、どうにでもして下さい。わたし本望《ほんもう》なのよ。兄さんに殺されりゃアほんとうに嬉しいのよ。どうせ、生きていたって仕様のない身なんだから。」とまた土の上に膝をつき、わたしの袂に顔を押し当てあたり構わず泣きしずむ。  此方《こっち》はすこし面喰って、「もういい。もういい。」と抱き起し背をさすれば、君香はいよいよ身を顫わし涙にむせび、「兄さん、みんなわたしが悪いんです。打たれても蹴られても、わたし決して兄さんの事を恨みはしないから、思い入れひどい目に会わして頂戴。ヨウヨウ。」と身を摺りつける様子の、どうやら気味わるく、次第に高まる泣声は河水に響渡《ひびきわた》るような気もしてくるので、始の威勢はどこへやら、此方からあべこべに、「おれがわるかった。堪忍しなよ。」と気嫌を取り取りやっと貸間の二階へつれもどりました。  一時狂気のように上ずッた心持がすこし落ちついて来ると、乱れた鬢《びん》をかき直し、泣脹《なきはら》した眼をしばたたいて、気まりわるげに、燈火《あかり》を避けてうつ向く様子のいたいたしさも、みんな此方の短気からと後悔すれば、いよいよいとしさが弥増《いやまさ》り、いたわる上にもいたわる気になりますから、女の方では猶更嬉しさのあまり、思出したようにまたしゃくり上げる。イヤモウ、手放しの痴言放題《のろけほうだい》、何とも申訳が御在ませんが、喧嘩するほど深くなるとは、まったく嘘いつわりのない所で御在ます。  君香は芸者家のはなしが大分むずかしくなって、親元の方へ弁護士を差向けるとかいうはなしを聞き、以前世話になった周旋屋の店が、すぐ河向《かわむこう》の須賀町《すがちょう》なので、内々《ないない》様子をききに行ったのだと言うので、「そんなら早くそう言やアいいのに。」とわたしは百円札を並べて見せ、証文は丸抱《まるがかえ》の八百円というのだから、これでどうにか一時話がつくだろうと、その夜は行末の事までこまごまと、抱き合いしめ合い、語りあかして、翌日《あくるひ》の朝早く、わたしは新橋の方さえ遠慮がなくなれば世の中に怖いものはないのだから、えばって、下谷の芸者家へ出かけ、きれいに話をつけて来ました。  さて一月《ひとつき》二月《ふたつき》は夢中でくらしてしまいましたが、これまでに諸所方々不義理だらけの身ですから、やがて二人とも着るものは一枚残らずぶち殺してしまって、日にまし秋風が身にしむ頃には、ぶるぶる蒲団の中で顫えているようになりました。二人相談ずくといったところで、お君はもともと箱無しの枕芸者ですから、わたし一人覚悟をきめ義太夫の流しとまで身をおとしました。 「お君、お前はよっぽど流しに縁があるんだ。新内と縁が切れたら今度は太棹《ふとざお》ときたぜ。しかし心配するな。その中《うち》先《せん》の師匠に泣きを入れて、どうにかするから、もう暫《しばら》くの中辛棒してくれ。」と毎夜山の手の色町を流している中風邪を引込んでどっと寝ついてしまいました。ここでいよいよ切破《せっぱ》つまって、泣きの涙でお君を手放す。お君は須賀町の周旋屋から芳町の房花家へ小園と名乗って二度とる褄《つま》。前借はほんの当座の衣裳代だけで、四分六の稼ぎという話だったが、病気が直ってから、会いに行って見ると大きな違いで、前借は分《わけ》で七百円。しかもその金の行衛《ゆくえ》は、一体どうなったんだときいて見ても、女の返事はあいまいで判然としない。わたしは内心ここ等《ら》があきらめ時だ。長くこんな女と腐れ合っていちゃア到底うだつが上がらないと思いながら、どうもまだ未練が残っています。新橋の女からはその頃詫びの手紙が届いていながら、此方は落目になっているだけ、フム、人を安く見やアがるな。男地獄じゃねえ。さんざッぱら恥をかかして置きやがって、今更腹にもない悪体《あくたい》をついたもよく言えたもんだ。それ程おれが可愛けりゃ小色《こいろ》の一人や二人大目に見て置くがいい。姉さんぶった面は真平御免だと、ますますひがみ根性の痩我慢。どうかしてもう一度お君を素人にして見せつけてやりたいと意地張った気になります。とは云うものの、わたしはまた時々、どうして、あんな働きもなければ、かいしょもない、下らない女に迷込んでしまったんだろうと、自分ながら不審に思うこともありました。  年は丁度|二十《はたち》、十四、五の時から淫奔《いたずら》で、親の家を飛出し房州あたりの達磨茶屋《だるまぢゃや》を流れ歩いて、十八の暮から下谷へ出た。生れつき水商売には向いている女だから、座敷はいつもいそがしく相応に好いお客もつくのだが、行末どうしようという考《かんがえ》もなく、慾もなければ世間への見得もなく、ただ愚図愚図でれでれと月日を送っている。どこか足りない処のあるような女です。それが却《かえっ》て無邪気にも思われ、可哀そうにも見えて諦めがつきません。一口に言えばまず悪縁で御在ます。仕様のない女だと百も承知していながら、さてこの女と一緒に暮していますと、此方《こっち》までが、人の譏《そし》りも世間の義理も、見得も糸瓜《へちま》もかまわぬ気になって、ただ茫然《ぼんやり》と夢でも見ているような、半分痲痺した呑気な心持《こころもち》になって、一日顔も洗わず、飯も食わずに寝ていたような始末。成ろう事なら、このまま二人乞食にでもなったら、さぞ気楽だろうと云うような心持になるので御在ます。  わたしはお君が葭町へ去《い》った後も、二人一緒に居ぎたなく暮した昨日《きのう》の夢のなつかしさに、石原町の貸二階を去りかね、そのまま居残って、約束通り、月に一度なり二度なりと、お君がおまいりの帰りか何かに立寄ってくれるのを、この世のかぎりの楽しみにして、待ち焦れていました。尤《もっと》も表向《おもてむき》は手が切れた事になったんで、中に人もはいり、師匠の方も詫《わび》が叶い、元通り稽古を始めましたから、食う道はつくようになりました。  お君はその後二、三度尋ねて来て、わたしが気をもむのもかまわず、或晩《あるばん》とまって、翌朝《あくるあさ》もお午頃まで居てくれた事がありましたが、それなりけり。一月たち二月たち、三の酉も過ぎて、いつか浅草に年の市が立つ頃になってもたよりが有りません。忘れもしない。その年十二月二十日の夕方、思いがけない大雪で、兜町《かぶとちょう》の贔屓先へ出稽古に行った帰り道、寒さしのぎに一杯やり、新大橋から川蒸汽で家へ帰ろうと思いながら、雪の景色に気が変り、ふらふらと行く気もなく竈河岸《へっついがし》の房花家をたずねますと、小園を入れて三人いる筈の抱《かかえ》はもう座敷へ行ったと見えて、一人もいない。亭主もいなければ女房同様の姉さんの姿も見えず、長火鉢の向《むこう》に二重廻を着たまま煙草をのんでいるのは、お君の小園をここの家へ入れた周旋屋の山崎という四十年輩の男。その節《せつ》顔は見知っているので、 「その後は。」と此方から挨拶すると、周旋屋は猫を追いのけ、主人らしく座蒲団をすすめて、 「おいそがしう御在ましょう。わるいものが降り出しました。師匠。実はちいッと御相談しなくちゃ、成らない事があるんで、この間からお尋《たずね》申そうと思いながら、今夜もこの雪でかじかんでしまいました。」と薄ッぺらな脣《くちびる》からお獅子のような金歯を見せて世辞笑いをする。 「じゃ丁度好い都合だ。御相談というのは何かあの子のことで。」 「はい。小園さんのことで。丁度誰も家にはいないそうですから、今の中《うち》御話をしてしまいましょう。」と切り出した周旋屋山崎のはなしを聞くと、お君は房花家へ抱えられると早々、どっちから手を出したのか知らないが、今では主人の持ものになり、ごたつき返した末女房同様の姉さんは追出されてしまった。ついてはどうにとも師匠の気がすむようにしようから、綺麗に小園さんを下さるようにと、主人から依頼されているのだと云う。事の意外にわたしは何とも言えず山崎の顔を見詰めていると、 「師匠、お察し申します、恥を言わねば理が聞えない。実はあの子にかかっちゃ、手前も一杯くっているんで御在ますよ。」 「何だ。お前さんも御親類なのか。」 「手前は、あの子がまだ房州にいる時分の事で、その後は何のわけも御在ませんが、何しろ十六の時から知っていますから、あの子の気質はまんざら分らない事も御在ません。どうせ、長続きのしっこは無いから、御亭《ごてい》の言いなり次第、取るものは取って、一時話をつけておやんなすったがどうでしょう。まず来年も、桜のさく時分まで続けば見ものだと、わたしは高をくくっていますのさ。」 「お前さん、御存じだろう。〆蔵の方は一体どうなっているんだ。」 「ここの大将は師匠の事ばかり心配して、〆蔵さんの事は何も言わないから、手前も別にまだ捜《さぐ》っても見ません。あれはまず、あれッきりで御在ましょう。」 「小園はお座敷かしら。」 「二、三日|前《ぜん》から遠出をしているそうで。外《ほか》の抱は二人ともあの子が姉さんになるのなら、わきへ住替えるというんで、一人は昨日この土地ですぐに話がつきました。もう一人は手前の手で、年内には大森あたりへまとまるだろうと思っています。」 「ああそうかね。実は一度逢った上でと思ったが、そうまで事が進んでいちゃア愚図愚図云う程《ほど》此方の器量が下るばかりだから、何も云わずに引下りましょう。後《あと》の事はよかれ悪《あ》しかれ、お前さんへおまかせしよう。その中《うち》一度石原の方へも来て御くんなさい。」  わたしは穏《おだやか》に話をして、まだ降り歇《や》まぬ雪の中を外へ出た。周旋屋と話をしている中、いつともなく覚悟がついてしまったので御在ます。もともと承知の上で二度芸者をさせた女の事。好いお客がついて身受になるというのなら、いかほど口惜しくっても指を啣《くわ》えてだまって見ていようが、抱主《かかえぬし》の云うがままになって、前借も踏まず、長火鉢の前に坐って姉さんぶろうと云うからには、もうこのままにはして置けない。人形町の通へ出ると直ぐに目についた金物屋の店先で、メス一本を買い、雪を幸《さいわい》今夜の中にどうかして居処をつきつけたいと、手も足も凍ってしまうまでその辺をうろついていましたが、敵《かたき》の行衛がわからないので、一先《ひとまず》石原の二階へ立戻り、翌日からは毎日毎夜、つけつ覗《ねら》いつしていましたが姿は一向見当りません。感付かれたと思ったから、油断をさせようと、二、三日家に引込んでいますと、その年もいつか暮の二十八日。今夜こそはと、夜店をひやかす振りで様子をさぐりに、灯のつくのを待って葭町の路地という路地、横町という横町は残りなく徘徊したが、やッぱり隙がない。よくよく生命冥加《いのちみょうが》な尼《あまっ》ちょだと、自暴酒《やけざけ》をあおって、ひょろひょろしながら帰って来たのは、いつぞや新橋から手切を貰って突出《つきだ》された晩、お君に出会った石原の河岸通。震災後ただ今では蔵前の新しい橋がかかっているあたりで御在ます。人立ちがしていますから、何気なく立寄って見ると、身投の女だというもあり、斬られて突落されたのだと云うもあり、そうじゃない、心中で、男ばかり飛込み女は巡査につかまったのだと云うもあり、噂はとりどり。訳はさっぱり分りませんが、何やら急に胸さわぎがして来ましたので、急いで家へ帰って見ますと、稽古につかう五行本《ごぎょうぼん》の上に鉛筆でかいた置手紙。 「急におはなしをしたい事があって来ましたけれど、あいにくお留守で今夜はいそぎますから、お待ち申さずに帰ります。三十日の晩に髪結《かみゆい》さんの帰りにまたお寄り申します。おからだ御大事に。君より。」  そのまま息をきって警察署へ馳けつけ様子をきくと、殺されたのは、やっぱり蟲の知らせにたがわず、お君でした。うしろから背中を一突《ひとつき》刺されて川の中へのめり落ち、救上《すくいあ》げられたものの息はもう切れていました。わたしの懐中にメスが在ったので、申訳ができず、御用になろうという時、派出所の巡査が自首した男だと云って連れて来たのは新内流《しんないなが》しの〆蔵だ。その申立《もうしたて》によると、〆蔵はお君がわたしと一緒に暮らしていた時分にも、二、三度逢引をした事もあったとやら。殺意を起したわけはわたしの胸と変りは御在ません。抱主の持物になって姉さん気取りで納《おさま》ろうとしたのが、無念で我慢がしきれなかったと云うのです。  お君は実際のところ、そういう量見で房花家《ふさはなや》の亭主と好い仲になったのか、どうだか、死人に口なしで、しかとはわかりません。わたしへの手紙から見れば、そういう考《かんがえ》でした事だとも思われない。口説《くど》かれると、見境いなく、誰の言う事でもすぐきくのが、あの女の病いでもありまた徳でもあり、そのためにとうとう生命をなくした。それにつけても、お君はあの晩わたしの家へ寄りさえしなければ、〆蔵に突かれはしなかったろう。わたしが家にいて、一緒に帰りを送って行ったら無事であったにちがいはない。それとも〆蔵のかわりに、わたしがとんだお祭佐七《まつりさしち》になったかも知れませぬ。人の身の運不運はわからないもので御在ます。  その後あの辺もすっかり様子が変って、埋堀も御蔵橋もあったものじゃ御在ません。今の女房を持って大木戸へ引込んだはなしも一通り聞いていただきたいと思いますが、あんまり長くなって御退屈でしょうから、いずれその中、お目にかかった時にいたしましょう。」 [#地から1字上げ](昭和六年辛未正月稾) 底本:「花火・来訪者 他十一篇」岩波文庫、岩波書店    2019(令和元)年6月14日第1刷発行 底本の親本:「荷風全集 第十六巻」岩波書店    2009(平成21)年6月24日第2刷発行 初出:「中央公論 第四十六年第三号」    1931(昭和6)年3月1日発行 ※初出時の表題は「紫陽花」です。 ※初出時の署名は「荷風散人」です。 ※「烟草」と「煙草」、「灯《あかり》」と「燈火《あかり》」の混在は、底本通りです。 入力:入江幹夫 校正:きりんの手紙 2023年10月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。