いいなずけ ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)お嬢《じょう》さん [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)Ⅰ -------------------------------------------------------  こま[#「こま」に傍点]とまり[#「まり」に傍点]が、ほかのおもちゃのあいだにまじって、同じ引出しの中にはいっていました。あるとき、こまが、まりにむかって言いました。 「ねえ、おんなじ引出しの中にいるんだから、ぼくのいいなずけ[#「いいなずけ」に傍点]になってくれない?」  けれども、まりは、モロッコがわの着物を着ていて、自分では、じょうひんなお嬢《じょう》さんのつもりでいましたから、そんな申し出には返事もしませんでした。  そのつぎの日、おもちゃの持ち主の小さな男の子がきました。男の子は、こまに赤い色や、黄色い色をぬりつけて、そのまんなかに、しんちゅうのくぎを一本、うちこみました。こまが、ブンブンまわりだすと、ほんとうにきれいに見えました。 「ぼくを見てよ」と、こまは、まりに言いました。「ねえ、今度は、どう? いいなずけにならない? ぼくたち、とても似合ってるもの。きみがはねて、ぼくが踊《おど》る。きっと、ぼくたちふたりは、だれよりもしあわせになれるよ」 「まあ、そうかしら」と、まりが言いました。「でも、よくって。あたしのおとうさんとおかあさんは、モロッコがわのスリッパだったのよ。それに、あたしのからだの中には、コルクがはいっているのよ」 「そんなこといや、ぼくだって、マホガニーの木でできているんだよ」と、こまが言いました。「それも、市長さんが、ろくろ台を持っているもんだから、自分で、ぼくを作ってくれたんだよ。とっても、ごきげんでね」 「そうお。でも、ほんと?」と、まりが言いました。 「もし、これがうそ[#「うそ」に傍点]だったら、ぼく、もう、ひもで打ってもらえなくったって、しかたがないよ」と、こまは答えました。 「あなた、ずいぶんお口がうまいのね」と、まりは言いました。「でも、だめだわ。あたし、ツバメさんと、はんぶん、婚約《こんやく》したのもおんなじなのよ。だって、あたしが高くはねあがると、そのたびに、ツバメさんたら、巣《す》の中から頭を出して、『どうなの? どうなの?』ってきくんですもの。それで、あたし、心の中で、『ええ、いいわ』って言ってしまったの。だから、はんぶん婚約したようなものでしょ。でも、あなたのことは、けっして忘れないわ。あたし、お約束《やくそく》してよ」 「うん、それだけでもいいや」と、こまは言いました。そして、ふたりの話は、それきり、おわってしまいました。  あくる日、まりは、外へ連れていかれました。こまが見ていると、まりは、鳥のように、空高くはねあがりました。しまいには、見えないくらい、高くはねあがりましたが、でも、そのたびに、もどってきました。そして、地面にさわったかと思うと、すぐまた、高く飛びあがるのでした。そんなに高くはねあがるのは、まりが、そうしたいと、あこがれていたからかもしれません。でなければ、からだの中に、コルクがはいっていたためかもしれません。けれども、九回めに飛びあがったとき、まりは、どこかへ行ってしまって、それなりもどってきませんでした。男の子は、いっしょうけんめいさがしましたが、どうしても見つかりませんでした。 「あのまりちゃんが、どこに行ったか、ぼくは、ちゃあんと知っている」と、こまは、ため息をついて、言いました。「ツバメくんの巣の中にいるのさ。ツバメくんと結婚《けっこん》してね」  こまは、そう思えば思うほど、ますます、まりに心をひかれていくのでした。まりをお嫁《よめ》さんにもらうことができなかっただけに、いっそう、恋《こい》しさがましてきました。まりがほかの人と結婚したって、そんなことは、なんのかかわりもありません。  こまは、あいかわらずブンブンうなりながら、踊りまわりました。そのあいだも、心の中で思っているのは、いつもまりのことばかりでした。こまの頭の中に浮《うか》んでくる、まりのすがたは、ますます美しいものになっていきました。  こうして、幾年《いくねん》も、たちました。――ですから、今ではもう、ふるい、ふるい、恋の物語になってしまったわけです。  そして、こまも、もう、若くはありません。――ある日のこと、こまは、からだじゅうに、金《きん》をぬってもらいました。こんなにきれいになったことは、今までにもありません。今では金のこまです。こまは、ビューン、ビューン、うなっては、はねあがりました。そのありさまは、まったくすばらしいものでした。ところが、とつぜん、あんまり高くはねあがったものですから、それきりどこかへ行ってしまいました。  みんなは、さがしに、さがしました。地下室までおりていって、さがしましたが、どうしても見つかりません。  どこへ行ってしまったのでしょう?  こまは、ごみ箱《ばこ》の中に、飛びこんだのです。そこには、いろんなものがありました。キャベツのしん[#「しん」に傍点]だの、ごみだの、とい[#「とい」に傍点]からおちてきたじゃりだのが。 「こいつはまた、すてきなところだ。ここじゃ、ぼくのからだにぬってある金も、すぐ、はげちまうな。だけどまあ、なんて、きたならしいやつらのところへ、きたもんだ!」  こまは、こう言いながら、葉をむきとられた、細長いキャベツのしん[#「しん」に傍点]と、ふるリンゴみたいな、まるい、へんてこな物のほうを、横目でみました。ところが、それは、リンゴではありません。それこそ、年をとって、かわりはてた、まりの姿だったのです。まりは、幾年ものあいだ、といの中にはいっていたものですから、からだの中に水がはいりこんで、すっかり、ふくれあがっていたのでした。 「あら、うれしいこと。お話し相手になるような、仲間がきてくれたわ」と、まりは言って、金をぬった、こまをながめました。「あたし、ほんとうは、若い女の人の手で、ぬっていただいてね、モロッコがわの着物を着ているのよ。からだの中には、コルクもはいっているの。でも、だれにも、そんなふうには見えないでしょうねえ。あたし、もうすこしで、ツバメさんと結婚するところだったんですけど、あいにくと、といの中に落っこちて、そこに、五年もいましたの。それで、こんなに、水でふくれてしまったんですわ。そりゃあねえ、若い娘《むすめ》にとっては、ずいぶん長い年月でしたわ!」  けれども、こまは、なんにも言いませんでした。心の中では、むかしの恋人《こいびと》のことを思っているのでした。でも、話を聞いているうちに、これが、あのときのまりだということが、だんだん、はっきりしてきました。  そのとき、女中がやってきて、ごみ箱をひっくりかえしました。そして、 「あら、こんなところに、金のこまがあるわ」と、言いました。  こうして、こまは、また、お部屋の中にもどって、名誉《めいよ》をとりもどしました。けれども、まりのほうは、それからどうなったか、わかりません。こまも、むかしの恋のことについては、それきりなにも言いませんでした。どんなに好きな人でも、五年ものあいだ、といの中にいて、水ですっかりふくれあがってしまっては、恋もなにもおしまいです。おまけに、ごみ箱の中で会ったのでは、いくらむかしの恋人でも、とてもわかるものではありません。 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2021年4月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。