某月某日 〔午後十時すぎ〕 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)躯《からだ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き] -------------------------------------------------------  午後十時すぎ。桜木町駅前の市電の停留所で、一人の酔っぱらいが喚いている。安全地帯は鉄柵で囲ってあるが、彼はその柵に凭れて、躯《からだ》ぜんたいをぐらぐらさせながら喚く、年は五十がらみ、工員ふうの、痩せた小柄な男である。「なんでえ、七百両ぽっち。みんな呑まずにいられるかってんだ、この泥棒」彼は危なく倒れそうになる。「押すな」と彼はどなる。「押すな、危ねえぞ」と彼は手をふり回す。「ちえっ、三つき分も溜ってる月給を、七百両ぽっちでどうするんだ、やい、七百両ぽっち家へ持って帰れるかよ、泥棒」彼はまた倒れそうになる、「泣いても泣ききれねえ、おらあ泥棒になってやる、強盗だってなんだってやってやる、嬶や餓鬼なんか、おれが強盗したってなんだって、やい押すな」彼は鉄柵にしがみつく、「泥棒、やい泥棒、ざまあみやがれ、みんな呑んじまったぞ、泥棒」そして彼はついにぶっ倒れてしまった。 [#地付き]「日本経済新聞」(昭和二十九年十一月) 底本:「暗がりの弁当」河出文庫、河出書房新社    2018(平成30)年6月20日初版発行 底本の親本:「雨のみちのく・独居のたのしみ」新潮文庫、新潮社    1984(昭和59)年12月20日発行 初出:「日本経済新聞」    1954(昭和29)年11月 ※〔〕付きの副題は、作品の冒頭をとって、ファイル作成時に加えたものです。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:noriko saito 2025年6月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。