人形つかい ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)芝居《しばい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)Ⅰ -------------------------------------------------------  いかにも楽しそうな顔つきをした、かなりの年の人が、汽船に乗っていました。もし、ほんとうにその顔つきどおりとすれば、この人は、この世の中で、いちばんしあわせな人にちがいありません。じっさい、この人は、自分で、そう言っていましたよ。わたしは、それを、この人自身の口から、ちょくせつ聞いたのです。  この人は、デンマーク人でした。つまり、わたしと同じ国の人で、旅まわりの芝居《しばい》の監督《かんとく》だったのです。この人は、一座のものを、いつもみんな、引きつれていました。それは、大きな箱《はこ》の中にはいっていました。というのも、この人は人形つかいだったからです。この人の話によると、生れたときから陽気だったそうですが、それが、ある工科大学の学生によって清められ、そのおかげで、ほんとうにしあわせになったということです。  わたしには、この人の言う意味が、すぐにはわかりませんでしたが、まもなく、この人は、その話をすっかり説明してくれました。これが、そのお話です。  あれはスラゲルセの町でしたよ、と、この人は、話しはじめました。わたしは、駅舎で芝居をやっていたんです。芝居小屋もすばらしいし、お客さんもすばらしい人たちでした。といっても、おばあさんが二、三人いたほかは、みんな堅信礼《けんしんれい》もすんでいない、小さなお客さんたちでしたがね。  するとそこへ、黒い服を着た、学生らしい人がきて、腰《こし》かけました。その人は、おもしろそうなところになると、かならず笑って、手をたたいてくれました。こういう人は、ほんとにめずらしいお客さんなんですよ。そこで、わたしは、この人がどういう人か、知りたくなりました。人に聞いてみると、地方の人たちを教えるために、つかわされてきている、工科大学の学生だということでした。  わたしの芝居は八時におしまいになりました。だって、子どもたちは、早く寝《ね》なければいけませんでしょう。わたしたちは、お客さまのつごうを考えなければなりませんからね。九時になると、学生は講義と実験をはじめました。今度は、わたしが聞き手にまわりました。  しかし、講義を聞いたり、実験を見たりしているうちに、なんだか、とてもふしぎな気持になりましたよ。たいていのことは、わたしの頭をすどおりしてしまいましたが、これだけは、いやでも考えさせられましたね――われわれ人間が、こういうことを考えだすことができるとすれば、われわれは、地の中にうめられるまでに、もっと長生きできてもいいはずだが、とね。  あの学生のやったことは、ほんの小さな奇蹟《きせき》にすぎませんでしたが、なにもかもが、すらすらといって、まるで、自然に行われているようでした。モーゼや預言者の時代であったら、あの工科大学の学生は、国の賢者《けんじゃ》のひとりとなったにちがいありません。それが、もし中世の時代だったら、おそらく、火あぶりにされたでしょうよ。  その晩、わたしは一晩じゅう、眠《ねむ》れませんでした。つぎの晩にも、わたしが芝居をやっていると、その学生は、また見にきてくれました。で、わたしは、すっかりうれしくなりました。わたしは、ある役者から、こんな話を聞いたことがあります。その役者が、恋人《こいびと》の役をやるときには、お客の中の、ただひとりの女の人のことだけを、心に思い浮《うか》べて、その人のために役を演じて、ほかのことは、小屋からなにから、いっさい忘れてしまうというのです。わたしにとっては、この工科大学の学生が、その「女の人」になったのです。この学生のためにのみ、わたしは、芝居をして見せることになったのです。  芝居がおわると、人形たちはみんな、舞台《ぶたい》に呼びだされました。そして、わたしは、工科大学の学生からブドウ酒を一ぱい、ごちそうになりました。学生はわたしの芝居について話し、いっぽうわたしは、学生の学問について話しました。あのとき、わたしたちは、おたがいに、たいへん楽しく話しあったように思います。  それにしても、あのとき、学生の言った言葉は、今もなお、わたしの頭にこびりついています。というのは、その話の中には、学生自身でも、説明できないようなことが、たくさんありましたからね。たとえば、一片《いっぺん》の鉄がコイルの中を通ると磁石になるといったことがらも、その一つです。ほんとに、これはどういうわけでしょうか? 霊気《れいき》が、それに働きかけるのです。しかし、その霊気は、どこから来るのでしょう? わたしの考えでは、この世の中の人間についても、同じではないか、という気がしますね。神さまは、人間を時のコイルの中を通過させます。そうすると、霊気が働きかけて、ナポレオンのような人や、ルーテルのような人や、あるいはまた、それと似たような人が、できあがるのです。 「全世界は、奇蹟の連続ですよ」と、学生は言いました。「ところが、われわれは、それになれすぎているものだから、あたりまえのことのように思っているんです」  それから、学生はいろいろと話したり、説明したりしてくれました。で、とうとう、わたしは、すっかり目を開かれたようになりました。そこで、わたしは、もしこんなに年をとっていなければ、すぐにでも工科大学へはいって、この世の中のことを、いろいろと調べてみたいんだが、まあ、それができないにしても、わたしはもっともしあわせな人間のひとりだと、正直に白状しました。 「もっともしあわせな人間のひとりですって!」と、学生は、ひとことひとことを、味わうように言いました。「あなたは、ほんとうにしあわせなんですか?」と、学生はたずねました。 「ええ」と、わたしは答えました。「わたしはしあわせですよ。わたしが、一座のものを連れていけば、どこの町でも、大かんげいをしてくれます。といっても、もちろんわたしにも、一つの願いがありますがね。それが、ときどき、ばけものか、夢《ゆめ》にあらわれる悪魔《あくま》のように、わたしにおそいかかってきて、わたしの上きげんを、めちゃめちゃにしてしまいます。つまり、その願いというのは、生きた人間の一座の、ほんとうの人間社会の、劇場監督になることなんです」 「それでは、あなたは、人形が命を持つことを、望んでいらっしゃるんですね。人形たちが、ほんとうの役者になることを望んでいらっしゃるんですね」と、学生は言いました。「そして、あなた自身が監督になれば、それであなたは、完全に幸福になると、信じていらっしゃるんですか?」  学生はそれを信じませんでしたが、わたしは信じました。わたしたちは、さらにそのことについて、いろいろと話しあい、とうとう、意見もほとんど一致《いっち》しました。そこで、わたしたちは、グラスをかちあわせて、かんぱいしました。ブドウ酒はたいへん上等なものでしたが、その中には、なにか魔法《まほう》のくすりでも、はいっていたんでしょうよ。なぜって、いつもなら、いい気持になって、酔《よ》ってしまうのですが、このときは、そうではなくて、逆に、わたしの目は、はっきりとしてきたんです。  と、きゅうに、部屋の中に太陽がさしこんできたように、明るくなりました。その光は、工科大学の学生の顔から、さしているのです。思わず、わたしは、永遠の若さで、地上を歩きまわっていたという、大昔《おおむかし》の神さまたちを、思わずにはいられませんでした。わたしが、そのことを言うと、学生はほほえみました。わたしは、この学生こそ、姿をかえた神さまか、そうでなければ、神さまの家族のものにちがいない、と、ちかってもいいとさえ、思ったほどでした。――ところが、ほんとうに、そうだったんですよ――わたしのいちばんの願いが、かなえられたんです。人形たちが生きて、わたしは生きた、ほんとうの人間の一座の、監督になったんです。  わたしたちは、お祝いのかんぱいをしました。学生は、わたしの人形を一つのこらず、木の箱《はこ》につめて、それを、わたしの背中にしばりつけました。そして、わたしを、ドスンと、コイルの中に入れました。そのとき、ドスンと落ちた音が、いまでも、わたしの耳に聞えてきますよ。わたしは、床《ゆか》の上に横たわりました。これは、ほんとうの話ですよ。すると、一座のものが、みんな箱から飛びだしてきました。つまり、霊気が、みんなの上に働きかけたってわけです。人形という人形が、すばらしい芸術家になりました。みんながみんな、自分で、そう言うんです。そして、このわたしは、監督になったんです。  第一回めの上演の準備は、もうすっかりできあがりました。ところが、一座のものがひとりのこらず、なにか、わたしに話したいことがあるというんです。お客さんもおんなじです。踊《おど》り子《こ》は、自分が片足で立たないと劇場はつぶれてしまう。なにしろ、自分は舞踊《ぶよう》界の大家なんだから、それにふさわしいように、待遇《たいぐう》してもらいたい、と、言いだしました。すると、皇后《こうごう》の役をやった人形は舞台の外でも、皇后としてあつかってもらいたい、そうでないと、へたになってしまうから、と、言いました。  また、手紙を持って登場する役の人形は、一座の中でいちばんの色男役のつもりで、もったいぶっていました。なぜって、芸術の世界では、小さいものも、大きいものと同じように重要なのだから、と、この男は言いたてました。いっぽう、主人公役は、自分が出るときは、いつも幕切れのまえでなければこまる、なぜなら、お客さんはそこで拍手《はくしゅ》するのだから、と、言いました。それから、プリマドンナは、自分が出るときは、赤い照明にしてもらいたい、それが、自分にはよく似合うのだから、と言いました――そして、青い照明ではいやだ、と言うのです。  みんなのうるさいことといったら、まるで、ハエがびん[#「びん」に傍点]の中で、ブンブンいっているようでした。しかも、このわたしは、そのびんの中にいなければならないんですよ。なにしろ、監督ですからね。息はつまりそうになるし、頭はくらくらしてくる、わたしはこの上もなくみじめな人間になってしまいました。今までに見たこともないような、とんでもない種類の人間の中にはいってしまったのです。わたしは、もう一度みんなを箱の中に入れてしまいたい、と思いました。もうどんなことがあっても、監督にはなるまい、と思いました。わたしは、みんなにむかって、正直に、きみたちは、なんのかんのと言ったって、けっきょくは、人形にすぎないじゃないか、と、言ってやりました。すると、みんなは、いきなり、わたしに打ってかかりました。  気がついてみると、わたしは、自分の部屋のベッドに寝《ね》ていました。わたしが、どんなふうにして、そこへもどってきたかは、工科大学の学生は知っていたにちがいありません。けれども、わたしはなんにも知りませんでした。月の光が、床の上にさしこんでいました。そこには、人形の箱がひっくりかえっていて、人形たちは、大きいのも小さいのも一つのこらず、つまり、わたしの商売道具がみんな、ほうり出されていました。わたしは、のろのろせず、すぐさま、ベッドから飛びだしました。すると、みんなは、箱の中にはいっていきました。ある者は頭のほうから、ある者は足のほうから、というぐあいに。わたしは、ふたをして、その箱の上に、どっかと、腰《こし》をおろしました。そのときのようすは、絵にでもかいておきたいようでしたよ。あなたには想像できますか。わたしには、今もなお目に見えるようですよ。 「さあ、おまえたちは、そこにはいっているんだよ」と、わたしは言いました。「わたしは、もう、おまえたちが、血と肉を持つようになることを、願わないよ」  わたしは、たいへん気が楽になりました。わたしは、この世で、もっともしあわせな人間になりました。あの工科大学の学生が、わたしの心を清めてくれたのです。わたしは、なんともいえない幸福な気持にひたっているうちに、箱にこしかけたまま、いつのまにか、寝こんでしまいました。そして、朝になっても、――いや、ほんとうは、もう、お昼になっていました。びっくりするほど、寝坊《ねぼう》をしてしまったものです――わたしは、まだ箱の上に腰かけていました。あいかわらず、しあわせな気持でした。なにしろ、前から胸にいだいていた、あのたった一つの願いが、ばかばかしいものであるということを、知ったのですから。わたしは、工科大学の学生のことをたずねてみました。すると、あの学生は、まるでギリシャやローマの神さまたちのように、もう、消えうせてしまっているのでした。このときからというもの、わたしは、世にもしあわせな人間なんですよ。幸福な監督なんです。わたしの一座のものは、りくつをこねません。お客さんも、おんなじです。みんな、心の底からよろこんでくれています。  わたしは、自分の芝居を、自由に組み立てることができます。いろんな芝居から、自分の好きな、いちばんいいところを、取ってきても、だれひとり、腹をたてる者もありません。大きな劇場では、今は見むきもされませんが、三十年前にはお客をひきつけて、涙《なみだ》を流させた、というような作品を、わたしは取りあげて、小さいお客さんたちに、やってみせるのです。そうすると、小さいお客さんたちは、むかし、おとうさんやおかあさんが泣いたように、泣いてくれるのです。わたしは、「ヨハンナ・モンフォーコン」や「ダイヴェケ」を上演します。でも、ちぢめてですよ。というのは、小さいお客さんたちは、長たらしい愛のおしゃべりなんか、きらいですからね。あの人たちが好きなのは、不幸です。それも、てっとり早いのが、好きなんです。  わたしは、今までにデンマークを、すみからすみまで旅してまわりました。そして、あらゆる人を知り、またわたしも、あらゆる人に知られました。いま、わたしはスウェーデンに行くところです。もしスウェーデンでも、運がよくて、お金をたくさんもうけたら、わたしはスカンジナビア会にはいるつもりです。でも、もうけなければ、はいりませんよ。この話は、あなたが同じ国のかただから、申しあげるのです。  そして、同じ国の人間であるわたしは、この話を、さっそくそのまま、お伝えしたわけです。ただお話ししたいばっかりにね。 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1989(平成元)年11月15日34刷改版    2011(平成23)年9月5日48刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。