曇天 永井荷風 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)衰残《すいざん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一層|幽婉《ゆうえん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)咡 -------------------------------------------------------  衰残《すいざん》、憔悴《しょうすい》、零落《れいらく》、失敗。これほど味《あじわ》い深く、自分の心を打つものはない。暴風《あらし》に吹きおとされた泥の上の花びらは、朝日の光に咲きかける蕾《つぼみ》の色よりも、どれほど美しく見えるであろう。捨てられた時、別れた後《のち》、自分は初めて恋の味いを知った。平家物語は日本に二ツと見られぬ不朽《ふきゅう》のエポッペエである。もしそれ、光栄ある、ナポレオンの帝政が、今日までもつづいていたならば、自分はかくまで烈《はげ》しく、フランスを愛し得たであろうか。壮麗なるコンコルトの眺《なが》めよ。そは戦敗の黒幕に蔽《おお》われ、手向《たむけ》の花束にかざられたストラスブルグの石像あるがために、一層《いっそう》偉大に、一層|幽婉《ゆうえん》になったではないか。凱旋門《がいせんもん》をばあれほど高く、あれほど大きく、打仰《うちあお》ごうとするには、ぜひともその下で、乱入した独逸《ドイツ》人が、シュッベルトの進行曲を奏したという、屈辱《くつじょく》の歴史を思返す必要がある。後世のギリシヤ人は太古祖先の繁栄を一層強く引立たせる目的で、わざわざ土耳古《トルコ》人に虐《しいた》げられていたのではあるまいか、自分は日本よりも支那を愛する。暗鬱《あんうつ》悲惨なるが故《ゆえ》にロシヤを敬う。イギリス人を憎む。エジプト人をゆかしく思う。官立の大学を卒業し、文官試験に合格し、局長や知事になった友達は自分の訪ねようとする人ではない。華族女学校を卒業して親の手から夫の手に移され、児《こ》を産んで愛国婦人会の名誉会員になっている女は、自分の振向こうとする人ではない。自分は汚名を世に謳《うた》われた不義の娘と腕を組みたい。嫌われたあげくに無理心中して、生残った男と酒が飲みたい。晴れた春の日の、日比谷公園に行くなかれ。雨の降る日に泥濘《でいねい》の本所《ほんじょ》を散歩しよう。鳥うたい草《くさ》薫《かお》る春や夏が、田園に何の趣きを添えようか。曇った秋の小径《こみち》の夕暮に、踏みしく落葉の音をきいて、はじめて遠く、都市を離れた心になる……  自分は何となく気抜けした心持《こころもち》で、昼過ぎに訪問した友達の家を出た。友達は年久しく恋していた女をば、両親の反対やら、境遇の不便やら、さまざまな浮世の障害を切抜けて、見初《みそ》めて後の幾年目、やッとの事で新しい家庭を根岸《ねぎし》に造《つく》ったのだ。その喜ばしい報道に接したのは、自分が外国へ行ってちょうど二年目、日本では梅が咲く、しかしかの国ではまだ雪が解けない春の事で、自分は遠からず故郷へ帰ったならば、何はさて置き、わが出発の昔には、不幸な運命に泣いてのみいた若い男、若い女、今では幸福な夫と妻、その美しい姿を見て、心のかぎり喜びたいと思っていた。しかし自分はどうした訳であろう。ただ何という事もなくがっかり[#「がっかり」に傍点]したのだ。一種の悲愁《ひしゅう》と、一種の絶望を覚えたのだ。ああ、どうしたわけであろう。どうしたわけであろう。  毎日の曇天《どんてん》。十一月の半過《なかばす》ぎ。寂《しん》とした根岸の里。湿った道の生垣《いけがき》つづき。自分はひとり、時雨《しぐれ》を恐れる蝙蝠傘《こうもりがさ》を杖《つえ》にして、落葉の多い車坂を上《あが》った。巴里《パリー》の墓地に立つ悲しいシープレーの樹を見るような真黒《まっくろ》な杉の立木に、木陰の空気はことさらに湿って、冷《ひやや》かに人の肌をさす。  淋しくも静かに立ち連った石燈籠《いしどうろう》の列を横に見て、自分は見晴しの方へと、灰色に砂の乾いた往来の導くままに曲って行った。危《あやう》い空模様の事とて人通りはほとんどない。ところどころの休茶屋《やすみぢゃや》の、雨ざらしにされた床几《しょうぎ》の上には、枯葉にまじって鳥の糞《ふん》が落ちている。幾匹と知れぬ鴉《からす》の群ればかり、霊廟《おたまや》の方から山王台《さんおうだい》まで、さしもに広い上野の森中《もりじゅう》せましと騒ぎ立てている。その厭《いと》わしい鳴声《なきごえ》は、日の暮れが俄《にわ》かに近《ちかづ》いて来たように、何という訳もなく人の心を不安ならしめる。自分は黒い杉の木立の間をば、脚袢《きゃはん》に手甲《てっこう》がけ、編笠《あみがさ》かぶった女の、四人五人、高箒《たかほうき》と熊手を動し、落葉枯枝をかきよせているのをば、時々は不思議そうに打眺《うちなが》めながら、摺鉢山《すりばちやま》の麓《ふもと》を鳥居の方へと急いだ。掻寄《かきよ》せられた落葉は道の曲角に空地も同様に捨てられた墓場の隅《すみ》、または赤土の崩れから、杉の根が痩《や》せひからび[#「ひからび」に傍点]た老人の手足のように、気味わるく這《は》い出している往来際に、うず高く積み上げられ、番する人もなく、燃《もえ》るがままに燃《もや》されている。しかし閃《ひらめ》き出《いず》る美しい焔《ほのお》はなくて、真青《まっさお》な烟《けむり》ばかりが悩みがちに湧出《わきいだ》し、地湿《じしめ》りの強い匂いを漲《みなぎ》らせて、小暗《おぐら》い森の梢高《こずえだか》く、からみつくように、うねりながら昇って行く。ああ、静かな日だ、淋《さむ》しい昼過ぎだ、と思うと、自分は訳もなく、その辺に冷たい石でもあらば腰かけて、自分にも解《わか》らぬ何事かを考えたくて堪《たま》らなくなった。  しかし突然、道は開けて、いそがし気《げ》に車の馳《は》せ過ぎる鳥居前の大通りに出た。大通の両側、土手の中腹のそこここに、幾時代を経たとも知れぬ松の大木がある。松の大木はいかなる暴風《ぼうふう》、いかなる地震が起っても倒れはせぬ。いかなる気候の寒さが来ても枯れはせぬと云わぬばかり、憎々しく曇天の空に繁り栄えて、自分がその瞬間の感想に対して、驚くほど強い敵意を示すものの如《ごと》く思われた。すると、その憎らしい幹《みき》の間から、向うに見下《みおろ》す不忍《しのばず》の池《いけ》一面に浮いている破《や》れ蓮《はす》の眺望《ながめ》が、その場の対照として何とも云えず物哀れに、すなわち、何とも云えず懐《なつか》しく、自分の眼に映じたのである。敗荷《はいか》、ああ敗荷よ。さながら人を呼ぶ如く心に叫んで、自分はもはや随分《ずいぶん》歩きつかれていながらも、広い道を横切り、石段を下りて、また石橋を渡った。  雨に剥《は》げた渋塗りの門をくぐって、これも同じく、朱塗りの色さめた弁天堂の裏手へ進んで行くと、ここにも恐しいほどな松の大木が、そのあたりをば一段|小暗《こぐら》くして、物音は絶え、人影は見えない浮島のはずれ。自分はいいところを見付けたと喜んで、松の根元の捨石《すていし》に労《つか》れた腰を下《おろ》した。松の根は巌《いわ》の如く、狭い土地一面に張り出していて、その上には小さい木箱のような庚申塚《こうしんづか》、すこし離れて、冬枯れした藤棚《ふじだな》の下には、帝釈天《たいしゃくてん》を彫り出した石碑が二ツ三ツ捨てたように置いてある。蜘蛛《くも》のようにその肩から六本の手を出したこの異様な偶像は、あたりの静寂を一層強めるばかりでなく、その破損《はそん》磨滅《まめつ》の彫刻が、荒廃の跡に対して誰《た》れもが感ずる、かの懐しい悲哀をも添えるのである。  空気は上野の森中《もりなか》よりも、一層湿気多く沈んでいる。今ではひろびろと遮《さえぎ》るものなく望まれる曇った空は、暗い杉や松の梢の間から仰ぎ見た時よりも、一段低く、一段重く、落ちかかるように濁《にご》った池の泥水《どろみず》を圧迫している。泥水の色は毒薬を服した死人の唇《くち》よりも、なお青黒く、気味悪い。それを隔《へだ》てて上野の森は低く棚曳《たなび》き、人や車は不規則にいかにも物懶《ものう》くその下の往来に動いているが、正面に聳《そび》える博覧会の建物ばかり、いやに近く、いやに大きく、いやに角張《かどば》って、いやに邪魔《じゃま》くさく、全景を我がもの顔にとがんばっ[#「がんばっ」に傍点]ている。ああ、偉大なる明治の建築。偉大なる明治の建築は、いかにせば秋の公園の云いがたい幽愁《ゆうしゅう》の眺めを破壊し得らるるかと、非常な苦心の結果、新時代の大理想《たいりそう》なる「不調和」と「乱雑」を示すべきサンボールとして設立されたものであろう。その粗雑なる、豪慢《ごうまん》なる、俗悪なる態度は、ちょうど、娘を芸者にして、愚昧《ぐまい》なる習慣に安んじ、罪悪に沈倫《ちんりん》しながら、しかも穏《おだや》かにその日を送っている貧民窟《ひんみんくつ》へ、正義道徳、自由なぞを商売にとて、売りひろめに来た悪徳新聞の記者先生の顔を見るようだ、と自分は思った。  自分は実際心の底から、その現代的なるを嘆賞《たんしょう》する。同時に自分は、現代的なるこの建築の前に、見るも痛ましく枯れ破れた蓮の葉に対しては、以前よりも一層烈しい愛情を覚えた。日本の蓮《ロータス》は動《うごか》し難《がた》いトラジションを持っている。ギリシヤの物語で神女《ナンフ》が戯《たわむ》れ浮《うか》ぶ水百合《ネニュフワール》とは違う。五重の塔や、石燈籠《いしどうろう》や、石橋や、朱塗《しゅぬり》の欄干《らんかん》にのみ調和する蓮の葉は、自分の心と同じよう、とうてい強いものには敵対する事の出来ない運命を知って、新しい偉大な建築の前に、再び蘇生《そせい》する事なく、一時《いっとき》に枯れ死して、わざわざ、ふてくされ[#「ふてくされ」に傍点]に、汚い芥《あくた》のようなその姿を曝《さら》しているのであろう。  曇った空は、いよいよ低く下りて来て、西東、何方《どちら》へ吹くとも知れぬ迷った風が、折々さっと吹き下りる。その度毎《たびごと》に、破れた蓮の葉は、ひからびた茎の上にゆらゆら動く。その動きを支え得ずして、長い茎はすでに真中《まんなか》から折れてしまったのもたくさんある。揺れて触れ合う破《や》れ葉の間からは、ほとんど聞き取れぬほど低い弱い、しかし云われぬ情趣を含んだ響《ひびき》が伝えられる。河風に吹かれる葦《あし》の戦《そよ》ぎとも、時雨《しぐれ》に打たれる木葉《このは》の咡《ささや》きとも違って、それは暗い夜、見えざる影に驚いて、塒《ねぐら》から飛立つ小鳥の羽音にも例《たと》えよう、生きた耳が聞分けるというよりも、衰えた肉身にひそむ疲れた魂ばかりが直覚し得る声ならざる声である。  真珠のような銀鼠色《ぎんねずみいろ》した小鳥の群が、流るる星の雨の如く、破《や》れ蓮にかくれた水の中から、非常な速度で斜めに飛び立った。空の光を受けた水の面《おもて》の遠い処《ところ》は、破れ蓮の間《あいだ》々を、眩《まぶ》しいほどに光っている。その光の増すにつれ、上野の森は次第《しだい》に遠く見え、その上の曇った空は怪《あや》しくも低くなり、暗くなって行く。冬の夕暮が近付いて来たのだ。野鴨《のかも》が二三羽、真黒な影かとばかり、底光りする水面に現れて、すぐまた隠れてしまった。けたたましい羽音と共に、烏《からす》の群れが、最初は二羽、それから三羽四羽と引きつづいて、自分の頭の上の松の木にとまって啼《な》き出した。それに応《こた》えて、上野の森の方からは、なおも幾羽と知れず、後を追って飛んでくるらしい。松の実が二ツばかり、鋭い爪に掴《つか》まれた枝から落ちて、ピシャリと水の上に響いた。水の上に映っている沈静したすべての物の影が、波紋と共にゆらゆら動いて、壁紙の絵模様のようになる……。面白い眺《ながめ》である。しかし自分は余りに騒がしく鳴き叫ぶ烏の声に急《せ》き立てられて、ついに水際の捨石から立上らねばならなくなった。  自分は今日始めて見る、名ばかし美しい観月橋をば、心中非常な屈辱を感じながらも、仕方なしに本郷の方へと渡って行く。四五日ほども引続いて、毎日曇っていた冬の空は、とうとう雨になった。満池《まんち》の敗荷はちょうど自分の別れを送る音楽の如く、荒涼|落寞《らくばく》の曲を奏《かな》ではじめる。自分は外套《がいとう》の襟《えり》を立て返したばかりで傘はささず、考えるともなく、池と森とを隔てて、今日の昼過ぎ訪問した根岸の友達の事を考えながら歩いた。  池にのぞむ人家《じんか》にはもう灯《ひ》がついている。それが美しく水に映る。自分はありあり友達夫婦の額《ひたい》を照らす、ランプの火影《ほかげ》を思い浮べた。火影は実に静かである。静かであるだけ、いかにも鈍い、薄暗い。ああ、恋の満足家庭の幸福というものは、かくまで人間を遅鈍《ちどん》にするものだろうか。一時二人の結婚は到底《とうてい》不可能だと絶望していた時分、二人はまだ外国へ旅立たなかった自分の書斎を、せめてもの会合場にしていた。その頃、彼《か》の女《じょ》の若い悲しい眼の中《うち》には、何という深い光が宿っていたであろう。彼《か》の男《おとこ》の光沢《つや》ある唇《くちびる》から出る声の底には、何という強い反抗の力が潜んでいたであろう。ああ、その頃二人は、いかに月の光を愛したか、いかに花の散るのを見て悲《かなし》んだか。二人は自分と共々《ともども》、青春に幸多い外国の生活、文学、絵画、音楽、社会主義、日々《にちにち》起る世間の出来事、何につけても、活々《いきいき》した感想を以《もっ》てそれらを論じた。わずか数年の後、恋の満足を遂《と》げてしまった二人の男女《なんにょ》は、自分が質問する日本の衣服の、その後における流行の変遷《へんせん》さえ多くは語らなかった。目下妊娠していて子供が男子《おとこ》であってくれればよいという事ばかり云っていた。夫は勤めている会社に、このまま、おとなしくさえしていれば、将来生活にこまる事はない。妻は下女のいいのが無くってこまるという事を話した。  ああ、二人の胸には堪えがたい過去の追想も、止《や》みがたい将来の憧憬《どうけい》もなくなったのだ。今頃二人は、時雨《しぐれ》の音する軒《のき》の下で、昼過ぎ自分に話したような、同じ事を繰返しながら、ランプの光のかげに日本の習慣とてさも忙し気に、晩飯をかき込んでいるのであろう。  自分はこれから何処《いずこ》に行こうか。雨はさかんに降ってくる。上野の鐘が鳴る前世紀の人達が幾百年聞き澄ましたそれと同じ寂滅無常《じゃくめつむじょう》の声。この声に促《うなが》されて、東洋の都市は歓楽《よろこび》もなく、哀傷《かなしみ》もなく、ただ寝よ、早く寝よ、夢さえ見る事なく寝よとて暗くなって行くのだ。自分は、ヴェルレーヌの一句を思付《おもいつ》いた。自分は日本の国土に、「あまりに早く生れ過ぎたか。あまりに晩《おそ》く生れ過ぎたか。」 [#地から1字上げ](明治四十一年十一月作) 底本:「21世紀の日本人へ 永井荷風」晶文社    1999(平成11)年1月30日初版 底本の親本:「荷風全集第四卷」岩波書店    1964(昭和39)年8月12日発行 初出:「帝國文學 第拾五卷第三」大日本圖書    1909(明治42)年3月 入力:きりんの手紙 校正:入江幹夫 2021年4月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。