りこうもののエルゼ グリム Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)食卓《しょくたく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)とび[#「とび」に傍点] -------------------------------------------------------  あるところに、ひとりの男がおりました。男には、ひとりのむすめがありました。このむすめは〈りこうもののエルゼ〉という名まえでした。  さて、このむすめがすっかり大きくなりましたので、おとうさんはおかあさんにいいました。 「もうむすめをよめにやろうじゃないか。」  すると、おかあさんはこたえました。 「ええ、およめにもらいたいっていう人がきましたらね。」  やがて、遠くのほうから、ハンスという人がやってきて、エルゼをおよめさんにもらいたいといいました。ただ、このひとは、りこうもののエルゼがみんなのいうとおり、ほんとうにりこうならもらうけれど、ということでした。 「いや、それなら、このむすめはまったくりこうですよ。」 と、おとうさんがいいました。  おかあさんはおかあさんで、 「まあ、この子は風が通りをふきすぎるのが見えたり、ハエがせきをするのもきこえるんですからね。」 と、もうしました。 「そうですか。」 と、ハンスがいいました。 「エルゼさんがほんとうにりこうでなけりゃ、わたしはもらいませんよ。」  みんなは食卓《しょくたく》につきました。やがて、食事《しょくじ》がおわりますと、おかあさんがいいました。 「エルゼや、地下室《ちかしつ》へいって、ビールをもってきてちょうだい。」  そこで、りこうもののエルゼは壁《かべ》からビール入れをとって、地下室へおりていきましたが、たいくつしのぎに、とちゅうで、ふたをいきおいよくパクンパクンとならしました。  地下室《ちかしつ》へはいりますと、エルゼは小さいいすをもちだして、それをたるのまえにおきました。つまり、こうすれば、からだをまげる必要《ひつよう》がありませんから、背中《せなか》のいたむようなこともありませんし、またもうひとつには、思いがけないわざわいをこうむることもないのです。  それから、エルゼはビール入れをじぶんのまえにおいて、せんをひねりました。ビールが入れもののなかにながれこんでいるあいだも、エルゼは目をあそばせておくようなことはしませんでした。壁《かべ》について、だんだん上のほうを見てゆきました。こうして、あっちこっちとながめているうちに、じぶんの頭のま上に十字《じゅうじ》のとび[#「とび」に傍点]口《ぐち》がつきささっているのが目にとまりました。これは、左官屋《さかんや》さんがうっかりそこにつきさしたまま、わすれていったものなのです。  これを見ますと、りこうもののエルゼは泣《な》きだしました。そして、 「あたしがハンスさんのおよめになって、やがて子どもが生まれて、その子が大きくなる。そして、あたしたちはその子をこの地下室《ちかしつ》へよこして、ビールをつぎださせるとする。そうすると、あの十字《じゅうじ》のとび口《ぐち》がその子の頭の上におちてきて、その子を殺《ころ》してしまうわ。」 と、いいました。  エルゼはそこにすわりこんで、やがておこるふしあわせのことを思って、せいいっぱいの声をはりあげて泣《な》きさけびました。  上にいる人たちは、飲《の》みものを待《ま》っていましたが、りこうもののエルゼは、いつまでたってももどってきません。そこで、おくさんが女中《じょちゅう》にいいました。 「地下室へいって、エルゼはどこにいるのか見てきておくれ。」  女中はおりていきました。と、どうでしょう。エルゼはたるのまえにすわりこんで、大声をあげて泣いているではありませんか。 「エルゼさん、どうして泣いていらっしゃるんですか。」 と、女中はたずねました。 「ああ、これが泣かずにいられて。」 と、エルゼがこたえていいました。 「あたしがハンスさんのおよめになるわね。そのうちに子どもが生まれて、大きくなる。そしてその子を、飲《の》みものをつがせにここへよこす。そうすると、きっとあの十字《じゅうじ》のとび口《ぐち》がその子の頭の上におちてきて、その子を殺《ころ》してしまうわ。」  それをきいて、女中《じょちゅう》は、 「まあ、うちのエルゼさんは、なんてりこうなんでしょう。」 と、いいながら、じぶんもエルゼのとなりにこしをおろして、そのふしあわせをかなしんで泣《な》きはじめました。  しばらくたちましたが、女中はもどってきませんでした。上にいる人たちは、飲《の》みものがほしくてなりませんので、こんどは、主人《しゅじん》が下男《げなん》にむかっていいました。 「地下室《ちかしつ》へいって、エルゼと女中がどこにいるか見てきてくれ。」  下男がおりていってみますと、りこうもののエルゼと女中がならんですわって、ふたりいっしょに泣いています。それを見て、下男は、 「あなたがたは、いったいなにを泣いているんですか。」 と、たずねました。 「ああ、これが泣かずにいられて。あたしがハンスさんのおよめになるわね。そのうちに子どもが生まれて、大きくなる。そしてその子をここへ飲みものをつがせによこす。そうすると、あの十字のとび口が頭の上におちてきて、子どもを殺してしまうわ。」 と、エルゼがいいました。  それをきいて、下男《げなん》は、 「うちのエルゼさんは、なんてりこうなんだろう。」 と、いいながら、じぶんもエルゼのそばにこしをおろして、声をはりあげておいおい泣《な》きだしました。 [#挿絵(fig59844_01.png、横400×縦555)入る]  上ではみんなが下男を待《ま》っていましたが、いつまでたっても下男はもどってきません。そこで、主人《しゅじん》がおくさんにむかって、 「地下室《ちかしつ》へいって、エルゼがどこにいるか見てきてくれないか。」 と、いいました。  おくさんがおりていってみますと、どうでしょう、三人そろって泣《な》いているではありませんか。おくさんは、そのわけをたずねました。すると、エルゼは、そのうちに生まれるじぶんの子どもが大きくなって、ビールをつぎにここへよこしたとする、そうすると、あの十字《じゅうじ》のとび口《ぐち》がおちてきて、そのために子どもは殺《ころ》されるかもしれない、と話しました。  それをききますと、おかあさんもおなじように、 「まあ、うちのエルゼは、なんてりこうなんだろうねえ。」 と、いって、そこへすわりこんで、みんなといっしょに泣《な》きはじめました。  上にいる主人《しゅじん》は、なおしばらく待《ま》っていましたが、おくさんはいっこうにもどってきません。しかも、のどはますますかわいてくるばかりです。そこで、 「これじゃ、わしがじぶんで地下室《ちかしつ》へいって、エルゼがどこにいるか、見てこなくちゃならない。」 と、いいました。  主人は地下室へおりていきました。すると、みんながそこらにずらりとならんで、泣いているではありませんか。主人がわけをきいてみますと、エルゼはいつか子どもを生むかもしれない、その子がビールをつぎにきて、ちょうどここにいるとき、上にある十字のとび口がおちてでもくれば、殺《ころ》されてしまう、というのです。つまり、みんなが泣《な》いているのは、まだ生まれていないエルゼの子どものためだったのです。それをきいて、おとうさんは、 「エルゼは、なんてりこうなんだろう。」 と、大きな声でいって、じぶんもそこにこしをおろして、いっしょに泣きだしました。  おむこさんは、長いこと上でひとりで待《ま》っていましたが、だれひとりもどってきませんので、こう思いました。 (みんな、下でわたしを待っているんだろう。わたしも下へいって、みんながなにをしているか見てこなくちゃなるまい。)  おむこさんが下へおりてみますと、五人ともすわりこんで、世《よ》にもあわれなようすで泣《な》きさけんで、かなしんでいます。しかもそのかなしみかたは、ひとりずつじゅんじゅんにひどくなっているではありませんか。 「いったい、どんな不幸《ふこう》がおこったんですか?」 と、おむこさんがたずねました。 「ああ、ハンスさん。」 と、エルゼはいいました。 「あたしたちが結婚《けっこん》すれば、子どもが生まれるでしょう。そのうちに、その子が大きくなるわね。そしてその子を、あたしたちがここへ飲《の》みものをつぎによこすかもしれないでしょう。そのとき、あの上につきささっている、十字《じゅうじ》のとび口《ぐち》がおちてでもくれば、その子の頭をくだいてしまって、子どもはそれっきりになるかもしれなくってよ。これが泣《な》かずにいられて。」 「わかりました。」 と、ハンスがいいました。 「そのくらい頭がよければ、わたしのうちのことにはじゅうぶんです。あなたはほんとうにりこうだから、わたしがおよめさんにもらいます。」  こういうと、ハンスはエルゼの手をとって、上につれていって、結婚式《けっこんしき》をあげました。  ふたりがいっしょにくらすようになって、しばらくたってからのことでした。ハンスがエルゼにむかって、 「おまえ、おれはそとではたらいて、金《かね》をかせいでくるよ。おまえは畑へいって、麦を刈《か》っておくれ。それで、パンをつくるから。」 「ええ、あなた、あたしそうしますよ。」  ハンスがでかけたあとで、エルゼはおいしいおかゆをこしらえて、それを畑へもっていきました。畑のはずれまできますと、エルゼはひとりごとをいいました。 「なにをしよう。さきに刈《か》ろうかしら、それとも食べようかしら。ええい、さきに食べようっと。」  こうして、エルゼはふかいおなべにはいっているおかゆを、すっかり食べてしまいました。さて、おなかがいっぱいになりますと、エルゼはまたまたいいました。 「なにをしよう。さきに刈《か》ろうかしら、それともねようかしら。ええい、さきにねよっと。」  こうして、エルゼは麦畑のなかにねころんで、ねてしまいました。  いっぽう、ハンスはとっくにうちにかえってきたのですが、エルゼはいつまでたってももどってきません。そこでハンスは、 「うちのエルゼは、なんてりこうなんだろう。おまけに、はたらきもので、うちへかえってきて、ごはんを食べようともしない。」 と、いいました。  しかし、エルゼはいつまでたってもそとにいます。そのうちに、日がくれてきました。そこでハンスは、畑へいって、エルゼがどのくらい刈《か》ったか見てこようと思いました。ところが、いってみますと、どうでしょう、刈れた麦は一本もなくて、エルゼは麦畑のなかにねころんで、ぐうぐうねむっているではありませんか。  これを見ますと、ハンスはおおいそぎでうちにひきかえして、小さな鈴《すず》のたくさんついている鳥をとるあみをもってきて、それをエルゼのからだのまわりにかけておきました。それでもまだ、エルゼはねむりつづけていました。  こうしておいて、ハンスはうちにとんでかえり、入り口の戸に錠《じょう》をおろしました。そして、じぶんのいすにこしをおろして、しごとをしていました。  あたりがまっくらになってから、ようやく、りこうもののエルゼは目をさましました。おきあがりますと、からだのまわりがかちかちして、おまけに、ひと足歩くたびに、たくさんの鈴《すず》がカランカランとなります。それをきいて、エルゼはびっくりしました。そして、ほんとうにじぶんがりこうもののエルゼなのかどうか、わからなくなりました。それで、 「あたしは、りこうもののエルゼなのかしら、それとも、そうじゃないのかしら。」 と、思わずいってみました。  しかし、じぶんではそれになんとへんじをしたらいいのかわかりません。それで、しばらくまよっていましたが、とうとう、こう考えました。 (うちへいって、あたしがりこうもののエルゼかどうか、きいてみよう。うちのものなら知っているにちがいないわ。)  エルゼはじぶんのうちの戸口にかけていきました。ところが、戸には錠《じょう》がおりています。そこで、エルゼは窓《まど》をコツコツたたいて、 「ハンスさん、エルゼはうちにいるの。」 と、大声できいてみました。 「うん、うちにいるよ。」 と、ハンスはこたえました。  それをきいて、エルゼはびっくりぎょうてんして、 「あらまあ、それじゃ、あたしはりこうもののエルゼじゃないんだわ。」 と、いって、ほかのうちの戸口にいきました。  けれども、だれもかれも、カランカランという鈴《すず》の音をききますと、どうしても戸をあけてくれようとはしませんでした。ですから、エルゼはどこにもとめてもらうことができなかったのです。  こんなわけで、エルゼはこの村からかけだしていきました。それきり、エルゼのすがたを見かけたものはひとりもありませんでした。 底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社    1980(昭和55)年6月1刷    2009(平成21)年6月49刷 入力:sogo 校正:チエコ 2021年12月27日作成 2023年9月5日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。