手なしむすめ グリム Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)粉《こな》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|通《つう》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)お妃さまが[#「お妃さまが」は底本では「お姫さまが」] -------------------------------------------------------  ある粉《こな》ひきの男が、だんだん貧乏《びんぼう》になりました。そして、とうとうしまいには、粉ひきの水車《すいしゃ》と、そのうしろにはえている一本の大きなリンゴの木のほかには、なにひとつないようになってしまいました。  あるとき、粉ひきが森にはいって、たきぎをとっていますと、見かけたことのない、ひとりのおじいさんが粉ひきのところへやってきて、 「おまえは、なんでそんなにほねをおって木を切っているのだね。おまえが、水車のうしろに立っているものをわしにくれると約束《やくそく》すれば、わしはおまえを金持《かねも》ちにしてやろう。」 と、いいました。 (それは、あのリンゴの木のことにちがいない。)  粉《こな》ひきはこう考えましたので、 「いいですよ。」 と、こたえて、その知らない男に証文《しょうもん》を書きました。  すると、その男はあざけるようにわらいながら、 「三年たったら、またきて、わしのものをもっていくぞ。」 と、いって、それなりどこかへいってしまいました。  粉《こな》ひきがうちへかえってきますと、おかみさんがむかえにでて、いいました。 「どうしたんだろうねえ、親方《おやかた》。いったいどこから、お金《かね》がだしぬけにうちんなかへはいってきたんだろうねえ? そこらじゅうの箱《はこ》が、きゅうに、みんなお金でいっぱいになってしまったじゃないか。だれももってきたわけじゃなし。どうしたわけなんだか、あたしにゃさっぱりわからないよ。」  すると、粉《こな》ひきはこたえていいました。 「そりゃあ、森のなかでおれがであった、どこかの男のやったことさ。なにしろ、そいつはおれに宝《たから》ものをうんとくれるって約束《やくそく》をしたんだからな。そのかわり、おれは水車《すいしゃ》のうしろに立ってるものをやるって証文《しょうもん》を書いたんだ。あの大きいリンゴの木なら、やったってかまやしないさ。」 「まあ、おまえさん。」 と、おかみさんはぎょっとしていいました。 「それは悪魔《あくま》だよ。そいつのいうのはリンゴの木じゃなくて、うちのむすめのことなんだよ。あの子はちょうど水車のうしろに立って、庭《にわ》をはいていたんだもの。」  その粉《こな》ひきのむすめというのは、まことに美しい、信心《しんじん》ぶかい子でした。むすめは、それからの三年間というものは、神《かみ》さまをうやまい、おこないをつつしんでくらしました。  いよいよ、約束《やくそく》した期限《きげん》がきれて、悪魔《あくま》がむすめをつれていく日がきました。むすめはからだをきれいにあらって、チョークでじぶんのまわりにひとすじの輪《わ》をかきました。  悪魔は、はやばやとやってはきましたが、むすめに近よることはできませんでした。悪魔は腹《はら》をたてて、粉《こな》ひきにいいました。 「むすめから水をみんなとりあげちまって、からだをあらえないようにしろ。でなきゃ、おれはむすめをどうすることもできないじゃないか。」  粉《こな》ひきは、おそろしいものですから、いわれるとおりにしました。  あくる朝、悪魔《あくま》がまたやってきました。けれども、むすめは両手を顔にあてて泣《な》いていましたので、その手は涙《なみだ》にぬれて、すこしもけがれがなく、きよらかでした。ですから、悪魔はまたしてもむすめに近よることができません。それで、悪魔は気のくるったようにおこって、粉ひきにいいました。 「むすめの両手を切っちまえ。でなきゃ、おれはむすめに手がだせねえ。」  粉《こな》ひきはびっくりして、こたえました。 「自分のほんとうのむすめの手が、どうして切れましょう。」  すると、悪魔は粉ひきをおどして、 「おまえがおれのいうとおりにしなけりゃ、おまえはおれのものだ。おれはおまえをさらっていくぞ。」 と、いいました。  粉《こな》ひきはこわくなって、いうとおりにすると悪魔《あくま》に約束《やくそく》してしまいました。そこで、むすめのところへいって、いいました。 「ねえ、おまえ、おとうさんがおまえの両手を切らないと、悪魔がおとうさんをつれていってしまうというんだよ。それで、おとうさんはこわくって、ついそうすると悪魔に約束《やくそく》してしまったんだよ。おとうさんは、こまりきっているんだから、どうかたすけておくれ。おまえにひどいことをするのを、どうかゆるしておくれ。」  すると、むすめはこたえて、いいました。 「おとうさん、あたしのからだは、どうかおとうさんのいいようになすってください。あたしはおとうさんの子ですもの。」  むすめはこういって、両手をさしのべて、おとうさんに切らせました。  悪魔《あくま》はまたまたやってきました。けれども、むすめは手首《てくび》のない腕《うで》を顔にあてて、長いことさめざめと泣《な》きましたので、腕は涙《なみだ》にぬれて、すこしのけがれもなく、きよらかでした。  これには、さすがの悪魔もとうとうこうさんして、むすめをうばいとる権利《けんり》をすっかりなくしてしまいました。  粉《こな》ひきはむすめにいいました。 「おとうさんは、おまえのおかげで、たいへんなお金《かね》をもうけたんだよ。だから、おまえの生きているあいだは、おまえをうんとだいじにしてやるよ。」  けれどもむすめは、 「あたしは、ここにはいられません。どこかよそへまいります。きっと、なさけぶかい人たちが、あたしにいるだけのものはくれるでしょう。」 と、いいました。  それから、むすめは手首《てくび》のなくなった腕《うで》を背中《せなか》にしばりつけてもらって、朝日がのぼるといっしょに旅《たび》にでかけました。  一日歩きつづけていくうちに、とうとう、夜になりました。そのとき、むすめはある王さまのお庭《にわ》にでました。お月さまのあかりですかしてみますと、そのお庭にある木には、美しいくだものがすずなりになっています。でも、そのなかへはいっていくことはできません。なぜって、お庭のまわりには堀《ほり》がありますもの。  むすめは一日じゅう歩きどおしで、おまけに、ひと口も食べものを口にいれていないのです。いまはもう、おなかがすいてたまりません。それで、 (ああ、あのなかへはいっていって、あのくだものを食べたいわ。でないと、あたしおなかがへって、死《し》んでしまうわ。) と、思いました。  そこで、むすめはひざまずいて、神さまのみ名《な》をよび、おいのりをしました。すると、とつぜん、天使《てんし》があらわれて、お堀《ほり》の水門《すいもん》をとじてくれました。ですから、お堀はすっかりかわいて、むすめはそこをとおっていくことができました。  むすめはお庭《にわ》にはいりました。天使《てんし》もいっしょについていきました。むすめはくだもののなっている木を見ました。そのくだものというのは、ナシでした。けれども、そのナシはすっかり数がかぞえてあったのです。むすめはその木に近よって、ナシをひとつ口で木からとって食べました。こうして、おなかのへっているのをふさぎました。けれども、ひとつきりで、それいじょうは食べませんでした。  庭師《にわし》がそれを見ていましたが、そばに天使《てんし》が立っていたものですから、こわくって、あのむすめは幽霊《ゆうれい》だろうと思って、だまっていました。人をよぶ勇気《ゆうき》も、幽霊に話しかける勇気もなかったのです。  むすめはナシを食べおわりますと、おなかがいっぱいになりましたので、そこをでて、やぶのなかにかくれました。  そのお庭の持《も》ち主《ぬし》の王さまが、あくる朝、お庭におりてきました。ナシの数をかぞえてみますと、きょうはひとつたりません。そこで王さまは、 「ナシはどこへいったのだ。木の下におちてもいないのに、ひとつたりなくなっているぞ。」 と、庭師《にわし》にいいました。  すると、庭師《にわし》はこたえていいました。 「じつは、ゆうべ幽霊《ゆうれい》がはいってまいりました。その幽霊は、手が両方ともありませんでしたが、口でナシをひとつ食べたのでございます。」  王さまは、 「その幽霊《ゆうれい》は、どうして堀《ほり》をわたってきたのだ。してまた、ナシを食べてから、どこへいったのだ。」 と、たずねました。 「だれですか、雪のように白い着物《きもの》をきた人が天からおりてまいりまして、その人が水門《すいもん》をとじて、水をとめてしまいましたので、幽霊《ゆうれい》はお堀《ほり》をとおってくることができたのでございます。その人は天使《てんし》にちがいないと思いましたので、わたくしはおそろしくなって、たずねもいたさず、人もよばなかったのでございます。幽霊はナシを食べてしまいますと、またもとの道をもどっていきました。」 と、庭師《にわし》はこたえました。  それをきいて、王さまはいいました。 「おまえのもうすとおりなら、今夜はひとつ、わしがおまえのそばで番《ばん》をしてみよう。」  くらくなりますと、王さまはお庭におりました。王さまは坊《ぼう》さんをひとりつれてきました。この人は幽霊《ゆうれい》に話しかける役《やく》だったのです。三人は木の下にこしをおろして、気をつけていました。  ま夜中《よなか》ごろに、むすめがやぶからはいだしてきて、木のところへいって、ゆうべとおなじように口でナシをひとつ食べました。むすめのそばには、天使《てんし》が白い着物《きもの》をきて、立っていました。  そのとき、坊《ぼう》さんがすすみでて、いいました。 「おまえは神《かみ》さまのところからきたのか。それとも、人間の世《よ》のなかからきたのか。おまえは幽霊《ゆうれい》なのか、人間なのか。」  すると、むすめはこたえていいました。 「あたくしは幽霊《ゆうれい》ではございません。神さまのほかは、みんなから見すてられているあわれな人間でございます。」  王さまはいいました。 「たとえ、おまえが世界《せかい》じゅうのものから見すてられていても、わしは、おまえを見すてはしないぞ。」  王さまはむすめをじぶんのお城《しろ》につれていきました。たいそう美しく、信心《しんじん》ぶかいむすめでしたので、王さまは心のそこからこのむすめがすきになりました。そして、むすめに銀《ぎん》の手をこしらえてやって、じぶんのお妃《きさき》さまにしました。  それから一年たったとき、王さまは戦争《せんそう》にいかなければならなくなりました。そこで、王さまは、わかいお妃さまのことをおかあさまにたのんで、こういいました。 「妃がお産《さん》の床《とこ》につきましたら、どうかくれぐれもいたわってやってください。そして、すぐにわたしに手紙《てがみ》をくださいませ。」  やがて、お妃《きさき》さまは美しい男の子を生みました。そこで、年をとったおかあさまは、いそいでそのことを手紙に書いて、うれしい知らせを王さまにおくりました。  ところが、その使《つか》いのものが、とちゅうでとある小川の岸でやすみました。長い道のりを歩いて、くたびれきっていたものですから、使いのものはぐっすりねこんでしまったのです。  するとそこへ、あの悪魔《あくま》がやってきました。こいつは、信心《しんじん》ぶかいお妃《きさき》さまをひどいめにあわせてやろうと、そのことばかり考えていたのです。そこで、さっそく、使いのもっている手紙をべつのとすりかえて、それには、お妃さまが[#「お妃さまが」は底本では「お姫さまが」]みにくい子を生んだと書いておきました。  王さまはその手紙を読みますと、びっくりして、たいそうかなしみました。けれども、じぶんがかえるまで、お妃さまをだいじにいたわってやってもらいたい、とへんじの手紙を書きました。使いのものはその手紙をもってひきかえしましたが、まえとおなじ場所《ばしょ》でやすみますと、またまたそのままねこんでしまいました。  そこへ、またも悪魔《あくま》がやってきて、使いのポケットにべつの手紙をいれました。それには、お妃《きさき》さまを子どももろとも殺《ころ》してもらいたい、と書いてあったのです。  年よりのおかあさまは、この手紙をうけとって、ひどくびっくりしました。でも、どうしてもほんとうとは思えませんので、もういちど王さまに手紙を書きました。けれども、そのたびに、悪魔《あくま》がにせの手紙とすりかえてしまいますので、くるへんじはいつもおんなじことばかりでした。しかもいちばんおしまいの手紙には、殺《ころ》した証拠《しょうこ》に、お妃《きさき》さまの舌《した》と目をとっておいてもらいたい、とさえ書いてあるではありませんか。  年よりのおかあさまは、なんの罪《つみ》もないものの血《ち》をながせといわれたのをかなしんで、泣《な》きました。そこで、夜になるのを待《ま》って、一ぴきのメジカをつれてこさせ、その舌《した》と目とを切りとって、それをしまっておきました。それから、おかあさまはお妃さまにむかっていいました。 「わたしには、王さまのおっしゃるように、とてもあなたを殺《ころ》させることはできません。でも、あなたもここに長くいるわけにはいきませんから、子どもをつれてひろい世《よ》のなかへでておいでなさい。そして、ここへは二度とかえってこないようになさい。」  おかあさまは、お妃さまの背中《せなか》に子どもをしばりつけてやりました。かわいそうに、お妃さまは、目をまっかに泣《な》きはらして、たちさっていきました。  お妃《きさき》さまは、とあるうっそうとした大きな森のなかにはいりました。そこで、お妃さまは地面《じめん》にひざまずいて、神《かみ》さまにおいのりをしました。すると、神さまの天使《てんし》があらわれて、お妃さまをある小さな家へつれていってくれました。みれば、その家には、「ここには、だれでもただで住めます」と、書いた小さな看板《かんばん》がかかっています。  そのとき、家のなかから、雪のように白いおとめがでてきて、 「よくいらっしゃいました、お妃さま。」 と、いって、お妃さまを家のなかへ案内《あんない》しました。  おとめはひもをといて、お妃《きさき》さまの背中《せなか》から小さな男の子をおろしました。そして、お妃さまの乳房《ちぶさ》にあてがって、お乳《ちち》をのませました。それがすむと、こんどは、すっかりしたくのできている美しい、小さな寝床《ねどこ》に、男の子をねかせました。そこで、かわいそうな女がたずねました。 「あたしがお妃《きさき》だったことを、あなたはどうして知っていらっしゃるのですか。」  すると、白いおとめはこたえていいました。 「あたしは天使《てんし》です。あなたと、あなたのお子さまのお世話《せわ》をするように、神《かみ》さまからつかわされたのです。」  こうして、お妃さまはこの家に七年のあいだいて、手あつい世話をうけました。そして、信心《しんじん》ぶかいおかげで、神さまのおめぐみによって、切りとられたお妃さまの手首《てくび》が、もういちど、もとのようにはえたのです。  いっぽう、王さまはやっと戦場《せんじょう》からかえってきました。そして、まっさきに、妻《つま》と子どもにあいたい、といいました。  それをきいて、年よりのおかあさまは泣《な》きだして、いいました。 「あなたは、なんというひどいひとでしょう。わたしに、なんの罪《つみ》もないふたりの命《いのち》をうばえと書いてよこすなんて、あんまりではありませんか。」  そして、悪魔《あくま》のすりかえた二|通《つう》の手紙《てがみ》を王さまに見せて、なおもことばをつづけました。 「わたしは、あなたのいいつけどおりにしましたよ。」  こういって、その証拠《しょうこ》に舌《した》と目玉をだして見せました。それを見たとたん、王さまはかわいそうな妻《つま》と子どもの身《み》の上《うえ》をかなしんで、おかあさまよりももっとはげしく泣《な》きだしました。そのようすを見ますと、年よりのおかあさまはいじらしくなって、 「安心《あんしん》なさい。妃《きさき》はまだ生きています。じつは、わたしはメジカをこっそり殺《ころ》させて、ここにある証拠《しょうこ》の品《しな》をとっておいたのですよ。そして妃には、わたしが背中《せなか》に子どもをしばりつけて、遠くへいくようにもうしつけました。二度とここへはもどってこないと約束《やくそく》させたうえでね。だって、あなたが妃のことをひどくおこっていると思いましたからね。」 と、いいました。  それをきいて、王さまはいいました。 「青空のつづくかぎり、どこまでもわたしはまいります。かわいい妻《つま》と子にめぐりあうまでは、飲《の》み食《く》いもいたしますまい。それまでに、ふたりがなくなるか、うえ死《じ》にでもしなければ、おそらくめぐりあうことができましょうから。」  それから、王さまは七年ばかりも、あちこちと歩きまわって、けわしい岩のがけも、ほら穴《あな》も、どこからどこまでさがしてみました。しかし、ふたりはどこにも見つかりません。それで、とうとう王さまも、きっと、ふたりは力がつきて、死《し》んでしまったのだろう、と思いました。  王さまは、このあいだじゅう、ずうっとのみもしなければ、食べもしなかったのですが、それでも神《かみ》さまが生かしておいてくださいました。  さいごに、王さまは、とある大きな森のなかへはいりました。そしてその森のなかで、小さな家を見つけますと、その家には「ここには、だれでもただで住めます」と、書いた看板《かんばん》がかかっていました。そのとき、家のなかから白いおとめがでてきて、王さまの手をとって、家のなかへ案内《あんない》しました。そして、 「よくいらっしゃいました、王さま。」 と、いいました。それから、王さまに、 「どこからいらっしゃいました。」 と、たずねました。 「あちこちと歩きだしてから、もうぼつぼつ七年になります。妻《つま》と子どもをさがしているのですが、どうしても見つからないのです。」 と、王さまはこたえました。  天使《てんし》は王さまに食べものと飲《の》みものをあげましたが、王さまはそれをことわって、ただすこしやすませてもらいたい、と、いいました。王さまは、ねようと思って、横になりました。そして、じぶんの顔にハンカチをかけました。  そのとき、天使は、お妃《きさき》さまと子どものいるへやにはいっていきました。この子のことを、お妃さまはいつも〈かなしご〉と、よんでおりました。天使はお妃さまにむかって、 「お子さんをつれて、でていらっしゃいませ。殿《との》さまがおいでになりましたよ。」 と、いいました。  そこで、お妃《きさき》さまは、王さまのねているところへいきました。そのとき、王さまの顔からハンカチがおちました。それを見て、お妃さまがいいました。 「かなしごや、あなたのおとうさまにハンカチをひろっておあげなさい。もとのようにお顔にかけてあげるのよ。」  子どもはハンカチをひろって、もとどおり王さまの顔にかけました。王さまは、うとうとしながら、この話をきいていたのですが、もういちど、こんどは、わざとそのハンカチをおとしました。男の子はじれったくなって、お妃《きさき》さまにいいました。 「おかあさま、ぼくのおとうさまの顔にハンカチをかけるなんて、へんじゃないの。だって、ぼくには、この世《よ》のなかにおとうさまっていないんでしょう。ぼくが、天にましますわれらの父よ、っておいのりをならったとき、ぼくのおとうさまは天にいらっしゃるんだって、神さまなんだって、おかあさまはおっしゃったじゃないの。こんな山男みたいな人、ぼく知りゃあしない。おとうさまじゃないや。」  王さまはこれをきくと、おきあがって、 「あなたはどなたですか。」 と、お妃さまにたずねました。 「あたくしは、あなたの妻《つま》でございます。そしてこれが、あなたの子どもの〈かなしご〉でございます。」 と、お妃《きさき》さまがこたえました。  すると、王さまは、お妃さまの血《ち》のかよっている、ほんとうの手を見て、 「わたしの妻《つま》は銀《ぎん》の手をしていたはずだ。」 と、いいました。  そこで、お妃さまはこたえました。 「おめぐみぶかい神《かみ》さまが、ほんとうの手をもとのようにはやしてくださったのでございます。」  そして、天使《てんし》がおへやにいって、銀の手をもってきて、王さまに見せました。そこで、王さまははじめて、これがじぶんのかわいい妻《つま》であり、子どもであることを知ったのでした。  王さまはふたりにキッスして、心からよろこびました。そして、 「これで、おもい石がわたしの胸《むね》からおちた。」 と、いいました。  そこで、神さまのお使《つか》いの天使《てんし》は、もういちどみんなにごちそうをだしました。  それから、三人そろって、王さまの年とったおかあさまのところへかえっていきました。  どこもかしこも、大よろこびでした。王さまとお妃《きさき》さまは、もういちど婚礼《こんれい》の式をあげました。そして、ふたりは一生《いっしょう》をおわるまで、たのしくくらしました。 底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社    1980(昭和55)年6月1刷    2009(平成21)年6月49刷 ※誤植を疑った箇所を、「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社、1988(昭和63)年2月23刷の表記にそって、あらためました。 入力:sogo 校正:チエコ 2021年11月27日作成 2023年9月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。