漁師とそのおかみさんの話 グリム Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)漁師《りょうし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)まい日|魚《さかな》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#挿絵(fig59746_01.png、横473×縦348)入る] -------------------------------------------------------  むかしむかし、ひとりの漁師《りょうし》とそのおかみさんがおりました。ふたりは、海のすぐそばの小屋《こや》に住んでいました。漁師はまい日|魚《さかな》つりにでかけました。あけてもくれても、魚つりばかりしていました。  あるとき、漁師《りょうし》はつりざおのそばにすわって、きらきらかがやく水のなかをじっとのぞきこんでいました。漁師は、いつまでもすわったきりでした。  と、とつぜん、つり糸が水底《みなそこ》ふかくぐんぐんしずんでいきました。漁師がさおをあげてみますと、大きなヒラメがかかっていました。すると、そのヒラメが漁師にむかっていいました。 「ねえ、漁師《りょうし》さん、おねがいだから、わたしを生かしておいてください。わたしは、ほんとうはヒラメではなくって、魔法《まほう》をかけられている王子《おうじ》なんです。あなたがわたしを殺《ころ》したところで、なんの役《やく》にたちましょう。食べてもおいしくはありませんよ。どうかもういちどわたしを水のなかにいれて、にがしてください。」 「よしよし。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「そんなにいろいろいいたてなくてもいい。口のきけるヒラメなら、にがさずにおくもんかい。」  こういって、漁師はきらきらかがやいている水のなかへ、もういちど魚《さかな》をはなしてやりました。ヒラメは水底《みなそこ》へもぐっていきましたが、あとへ長い血《ち》のすじをのこしていきました。そこで、漁師は立ちあがって、おかみさんのいる小屋《こや》にかえっていきました。 「おまえさん、きょうはなんにもとれなかったのかい。」 と、おかみさんがたずねました。 「うん、なんにもだ。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「ヒラメを一ぴきとりはしたがな、そいつが魔法《まほう》をかけられた王子《おうじ》だっていうもんだから、またにがしてやっちまった。」 「で、おまえさん、そいつになんにもたのまなかったの。」 と、おかみさんがたずねました。 「そうよ。」 と、漁師はいいました。 「いったい、なにをたのもうっていうんだい。」 「あきれたねえ。」 と、おかみさんがいいました。 「こんな小屋《こや》にいつまでも住んでるなんて、いやんなっちゃうよ。このなかはくさくって、胸《むね》がむかむかするじゃないの。小さなうちをひとつほしいっていやあよかったのに。もういっぺんいって、そのヒラメをよびだしてさ、わたしたちゃ小さなうちがほしいっていってごらんよ。きっと、くれるから。」 「それにしてもなあ――」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「なんだって、もういっぺんいくんだい。」 「だってさ、おまえさん、そいつをつかまえて、またにがしてやったんだろ。だから、きっと、なんとかしてくれるさ。すぐいっといでよ。」 [#挿絵(fig59746_01.png、横473×縦348)入る]  漁師《りょうし》は、それでもまだ気がすすみませんでしたが、おかみさんに反対《はんたい》しようとも思いませんので、海へでかけていきました。さっきのところへきてみますと、海はすっかりみどり色と黄色になっていて、もうきらきらひかってはいませんでした。  漁師《りょうし》は海べに立って、こういいました。 [#ここから4字下げ] 小人《こびと》さん 小人さん きておくれ ヒラメさん 海のヒラメさん おれの女房《にょうぼ》のイルゼビルが おれの思うようにならんのだ [#ここで字下げ終わり]  すると、あのヒラメがおよいできて、いいました。 「なんです、おかみさんはなにがほしいっていうんです。」 「いやなあ。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「おれはおまえをつったろう。だから、おまえになにかたのめばよかったと、女房《にょうぼ》のやつがいうんだよ。あれはもうぼろ小屋《ごや》に住むのはいやで、小さなうちが一|軒《けん》ほしいんだそうだ。」 「おかえりなさい。おかみさんには、もううちができていますよ。」 と、ヒラメがいいました。  こういわれて、漁師が家にかえってみますと、おかみさんはもう小屋にはいませんでした。そこには小さな家が一|軒《けん》たっていて、おかみさんは戸口のベンチにこしかけていました。おかみさんは漁師《りょうし》の手をとって、いいました。 「まあ、はいってごらん。まえよりはずっといいよ。」  ふたりはなかへはいりました。家には、小さな玄関《げんかん》と、小さなりっぱな居間《いま》と、ベッドのおいてある小べやがありました。それに、台所《だいどころ》も食堂《しょくどう》もあります。どのへやにもじょうとうの道具《どうぐ》がそろっていて、入り用なものは、すず[#「すず」に傍点]やしんちゅう[#「しんちゅう」に傍点]でまことにみごとにそなえつけができていました。さらに家のうしろには、ニワトリやアヒルのいる小さな庭《にわ》もありましたし、いろんな野菜《やさい》や、くだものの木のうわっている、ちょっとした畑もありました。 「ごらんよ。」 と、おかみさんがいいました。 「わるくないじゃあないか。」 「まったくだ。」 と、漁師《りょうし》がいいました。 「ずうっとこのまんまでいてもらいたいもんだ。もう、これでいいとしてくらそうぜ。」 「まあ、よく考えてみようよ。」 と、おかみさんはいいました。  それから、ふたりはなにか食べて、ベッドにはいりました。  こうして、一週間か二週間は、うまいぐあいにすぎました。ところが、そのうちに、おかみさんがこんなことをいいだしました。 「ねえ、おまえさん、このうちはせますぎるよ。それにさ、庭《にわ》だって畑だって小さすぎるよ。ヒラメは、もっと大きいうちだってあたしたちにくれられたろうにねえ。あたしゃ大きい石のお城《しろ》に住んでみたいよ。ヒラメのところへいって、お城をもらっといでよ。」 「あきれたなあ、おまえ。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「このうちでたくさんじゃないか。なんだってお城に住みたいなんていうんだ。」 「なにいってんだい。いいから、いっといでよ。ヒラメにゃそのくらいのこと、いつだってできるんだよ。」 と、おかみさんがいいました。 「そいつあ、いけねえよ、おまえ。」 と、漁師はいいました。 「ヒラメはこのうちをおれたちにくれたばっかりじゃないか。いますぐいくなんて、おれはまっぴらごめんだ。そんなことをすりゃ、ヒラメだって気をわるくすらあ。」 「いいから、いってきてよ。」 と、おかみさんがいいました。 「そのくらいのこと、ヒラメならうまくやってのけるよ。よろこんでしてくれるさ。さあさあ、いっといでよ。」  漁師《りょうし》は気がおもくて、いきたくはありませんでした。 「こいつは、どうもよくねえ。」 と、漁師はひとりごとをいいましたが、しかたなくでかけていきました。  海にきてみますと、水の色はすっかりスミレ色とあい色と灰色《はいいろ》になっていて、おまけにどろっとしていて、もうまえのようにみどり色や黄色ではありませんでした。でも、まだおだやかでした。  漁師《りょうし》はそこに立って、いいました。 [#ここから4字下げ] 小人《こびと》さん 小人さん きておくれ ヒラメさん 海のヒラメさん おれの女房《にょうぼ》のイルゼビルが おれの思うようにならんのだ [#ここで字下げ終わり] 「どうしたんです、おかみさんは、いったいなにがほしいんです。」 と、ヒラメがいいました。 「それがなあ。」 と、漁師《りょうし》ははんぶんびくびくしながら、いいました。 「大きな石のお城《しろ》に住みたいっていうんだよ。」 「おかえりなさい。おかみさんは戸口に立っていますよ。」 と、ヒラメがいいました。  そこで、漁師《りょうし》はひきかえして、家へかえろうと思いました。ところが、もどってみますと、そこには大きな石のお城《しろ》がそびえています。おかみさんは、ちょうど階段《かいだん》の上に立っていて、いまなかにはいろうとしているところでした。おかみさんは漁師の手をとって、 「なかへおはいりよ。」 と、いいました。  こういわれて、漁師《りょうし》がおかみさんといっしょになかへはいってみますと、お城《しろ》のなかには、大理石《だいりせき》をしきつめた、大きな入り口の間《ま》がありました。そして、そこには召使《めしつか》いたちがおおぜいいて、大きな扉《とびら》をつぎつぎとあけてくれました。  ぐるりの壁《かべ》は、みんなぴかぴかひかっていて、美しい壁かけがかかっていました。へやのなかのいすやテーブルは金《きん》でできていて、天井《てんじょう》からは水晶《すいしょう》のシャンデリアがさがっていました。そして、どのへやにもどの小べやにも、すっかりじゅうたんがしきつめてありました。しかもテーブルの上には、ごちそうや、とびきりじょうとうのブドウ酒《しゅ》が、いまにもテーブルをおしつぶしてしまいそうなくらい、いっぱいのせてありました。  それから、お城《しろ》のうしろには大きな庭《にわ》があって、そこには馬小屋《うまごや》も牛小屋もありました。そして、りっぱな馬車《ばしゃ》も、いく台かおいてありました。  また、世《よ》にも美しい草花や、おいしいくだものの木のうわっている、大きなすばらしい花壇《かだん》もありました。それにまた、たっぷり半マイル[#1段階小さな文字](一ドイツマイルは七・五キロメートル)[#小さな文字終わり]はある遊園《ゆうえん》もあって、そこには大きなシカでも、小さなシカでも、ウサギでも、人のほしいと思うものは、なんでもおりました。 「どう、よかあない。」 と、おかみさんがいいました。 「まったくよ。」 と、漁師《りょうし》がいいました。 「ずうっとこのまんまでいたいもんだ。おれたちゃこのきれいなお城《しろ》に住むんだぞ。これでもう、いいとしようぜ。」 「まあ、よく考えてみようよ。」 と、おかみさんはいいました。 「とにかく、ねるとしようよ。」  こうして、ふたりはベッドにはいりました。  つぎの朝、おかみさんのほうがさきに目をさましました。ちょうど夜《よ》があけたばかりのところでした。おかみさんは、ベッドのなかから、目のまえにひろがっているすばらしい土地をながめました。  漁師《りょうし》はまだ手足をのばして、ねていました。すると、おかみさんはひじで漁師の横《よこ》っ腹《ぱら》をつっついて、いいました。 「おまえさん、おきて、窓《まど》のそとを見てごらんよ。ねえ、あたしたち、ここらじゅうの王さまになれないもんかね。ヒラメのとこへいっといでよ。あたしたちゃ、王さまになりたいんだもの。」 「いやんなっちゃうなあ、おまえ。」 と、漁師《りょうし》がいいました。 「なんだって王さまになんかなりたいんだ。おれは王さまなんぞ、ごめんこうむる。」 「へえ、そうかい。」 と、おかみさんがいいました。 「おまえさんが王さまになりたくなけりゃ、あたしが王さまになるよ。ヒラメのとこへいってきとくれ。あたしゃ、王さまになりたいんだよ。」 「おどろいたなあ、おまえ。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「どうしてまた、王さまになんかなりたいんだ。おれは、そんなこというのは、いやだよ。」 「なにがいやなのさ。」 と、おかみさんはいいました。 「ぐずぐずいわずに、さっさといってきとくれよ。あたしゃ、どうしたって王さまになるんだから。」  そこで、漁師《りょうし》はでていきましたが、おかみさんが王さまになりたいなどというものですから、すっかりよわりきっていました。 (こいつはよくねえ。よくねえこった。) と、漁師は思いましたので、いきたくはありませんでした。しかし、どうにもしかたなく、でかけていきました。  海べへきてみますと、海はすっかり黒ずんでネズミ色をしていました。水は底《そこ》のほうからブツブツわきかえっていて、くさったようないやなにおいが、ぷんぷんしていました。  漁師《りょうし》はそこに立って、いいました。 [#ここから4字下げ] 小人《こびと》さん 小人さん きておくれ ヒラメさん 海のヒラメさん おれの女房《にょうぼ》のイルゼビルが おれの思うようにならんのだ [#ここで字下げ終わり] 「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんです。」 と、ヒラメがいいました。 「それがなあ。」 と、漁師はいいました。 「王さまになりたいっていうんだよ。」 「おかえりなさい。おかみさんはもうのぞみどおりになっていますよ。」 と、ヒラメがいいました。  そこで、漁師《りょうし》はかえっていきました。お城《しろ》のそばまできてみますと、お城はまえよりもずっと大きくなって、大きな門にはすばらしいかざりがしてあります。扉《とびら》のまえには番兵《ばんぺい》が立っています。そこらじゅうに、おおぜいの兵隊《へいたい》がいて、たいこやラッパもたくさんありました。  お城《しろ》のなかへはいってみますと、なにもかもがほんものの大理石《だいりせき》に金《きん》をとりあわせたものばかりでした。ビロードのおおいには、大きな金のふさがついていました。  大広間《おおひろま》の扉《とびら》があきますと、そこには宮中《きゅうちゅう》のお役人《やくにん》が、ひとりのこらず、いならんでいました。そして漁師《りょうし》のおかみさんは、金とダイヤモンドでできている高い玉座《ぎょくざ》にすわり、大きな金のかんむりをかぶって、金と宝石《ほうせき》のしゃく[#「しゃく」に傍点]をもっていました。そして、おかみさんの両がわには、わかい侍女《じじょ》がそれぞれ六人ずつ一|列《れつ》にならんで立っていました。そのひとりひとりは、頭の高さだけじゅんじゅんに背《せ》がひくくなっていました。  漁師はおかみさんのまえまで歩いていきますと、立ちどまって、いいました。 「おやおや、おまえは王さまになったのかい。」 「そうだよ、あたしゃ王さまだよ。」 と、おかみさんはこたえました。  漁師《りょうし》はそこにつっ立ったまま、おかみさんをじろじろながめていました。こうして、しばらくながめてから、漁師はいいました。 「なあ、おまえ、おまえが王さまたあ、すばらしいこった。もうこのうえのぞむのはよそうぜ。」 「それがねえ、おまえさん。」 と、おかみさんはちっともおちつかないようすで、いいました。 「あたしゃあ、すっかりあきあきしちまって、もうどうにもがまんができないんだよ。ヒラメのところへいってきとくれ。あたしゃ王さまなんだから、こんどは、どうしても皇帝《こうてい》になりたいんだよ。」 「じょうだんじゃないよ、おまえ。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「どうしてまた、皇帝になんかなりたいんだ?」 「おまえさん、ヒラメのとこへいってきとくれよ。あたしゃ、皇帝になりたいんだもの。」 「だがなあ、おまえ。」 と、漁師はいいました。 「ヒラメだって、皇帝《こうてい》になんかするこたあできない。おれは、ヒラメにそんなこというのはいやだ。皇帝といやあ、国じゅうにひとりっきりしかいないもんだ。いくらヒラメだって皇帝をこしらえるこたあできない。どうしたって、そんなこたあできない。できやしないよ。」 「なんだって。」 と、おかみさんがいいました。 「あたしが王さまで、おまえさんはただの、あたしの夫《おっと》なんだよ。すぐいってくれるね。さあ、すぐいってきておくれよ。ヒラメは、王さまだってこしらえたんだもの、皇帝《こうてい》だってこしらえられるさ。あたしゃ、どんなことをしても皇帝になりたいんだよ。すぐいってきておくれ。」  漁師《りょうし》はどうしてもいかなければなりません。それで、でかけるにはでかけましたが、なんだか心配《しんぱい》で心配でなりませんでした。そして歩きながら、ひとりで考えました。 (こいつぁあ、よくねえ、よくねえことになるぞ。皇帝《こうてい》たあ、あんまりあつかましすぎらあ。ヒラメだって、しまいにゃいやになっちまうぞ。)  こんなことを考えながら、海べにきてみますと、海はまっ黒で、どろどろしていました。そして、底《そこ》のほうからブツブツわきかえりはじめましたので、たちまち、あわだらけになりました。しかもその上を、つむじ風がふきまくるものですから、水はちりぢりにちぢれました。このありさまを見て、漁師はおそろしくなりました。けれども、浜《はま》べに立って、いいました。 [#ここから4字下げ] 小人《こびと》さん 小人さん きておくれ ヒラメさん 海のヒラメさん おれの女房《にょうぼ》のイルゼビルが おれの思うようにならんのだ [#ここで字下げ終わり] 「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんですか。」 と、ヒラメがいいました。 「それがねえ、ヒラメさん、皇帝《こうてい》になりたいっていうんだよ。」 と、漁師《りょうし》はこたえました。 「おかえりなさい。おかみさんはのぞみどおりになっていますよ。」 と、ヒラメがいいました。  そこで、漁師は家にかえりました。もどってみますと、お城《しろ》ぜんたいが大理石《だいりせき》づくりになっていて、まっ白な石《せっ》こうの彫像《ちょうぞう》もおいてあれば、金《きん》のかざりもついていました。  扉《とびら》のまえでは兵隊《へいたい》たちが行進《こうしん》して、ラッパをふいたり、大だいこや小だいこをうちならしていました。お城のなかでは、男爵《だんしゃく》や伯爵《はくしゃく》や公爵《こうしゃく》が、家来《けらい》としていったりきたりしていました。そしてその人たちが、純金《じゅんきん》でできている扉《とびら》をあけてくれました。  漁師《りょうし》がなかにはいってみますと、おかみさんは玉座《ぎょくざ》にすわっていました。その玉座は、ひとかたまりの金《きん》でつくってあって、高さはたっぷり二マイルぐらいもありそうでした。そして、おかみさんは金のかんむりをかぶっていましたが、その高さがまた、三エレ[#1段階小さな文字](二メートル)[#小さな文字終わり]ほどもあって、ダイヤモンドとルビーがちりばめてありました。それから、かたほうの手にはしゃく[#「しゃく」に傍点]をもち、もういっぽうの手には皇帝《こうてい》のしるしの、宝珠《ほうじゅ》をもっていました。  そのうえ、おかみさんの両がわには、近衛兵《このえへい》が二|列《れつ》にずらっとならんでいました。それがまた、身《み》のたけ二マイルもある大男から、ひとりずつじゅんじゅんに小さくなって、おしまいはわたしの小指《こゆび》ぐらいしかない小男までがならんでいるのでした。そのまえには、ちょうどおなじ数だけの公爵《こうしゃく》と伯爵《はくしゃく》が立っていました。  漁師《りょうし》はそのなかを歩いていって、まんなかに立ちどまって、いいました。 「おまえ、皇帝《こうてい》になったのかい。」 「そうだよ、あたしは皇帝だよ。」 と、おかみさんはこたえました。  それから、漁師はまた歩いていって、立ちどまりますと、おかみさんをつくづくながめました。しばらくこうしてながめてから、いいました。 「なあ、おまえ、おまえが皇帝《こうてい》たあ、すばらしいこった。」 「おまえさん、なんだってそんなとこにつっ立ってるんだい。あたしゃ皇帝になったけど、こんどは法王《ほうおう》にもなりたいんだよ。ヒラメのとこへいってきとくれ。」 と、おかみさんがいいました。 「あきれてものもいえねえな。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「いったい、おまえがなりたくないってものは、ないのかい。法王《ほうおう》になんかなれっこねえよ。法王といやあ、キリスト教《きょう》の世界《せかい》でたったひとりしかいないんだからな。いくらヒラメだって、法王はこしらえられねえよ。」 「おまえさん、あたしゃ法王《ほうおう》になりたいんだよ。さあ、はやくいってきとくれよ。あたしゃ、なんでもかんでもきょうのうちに法王になりたいんだもの。」 と、おかみさんがいいたてました。 「いやだよ、おまえ。」 と、漁師《りょうし》はいいました。 「おれは、そんなこというのはごめんだ。そいつはよくねえぜ。あんまりあつかましすぎるもの。ヒラメにだって、おまえを法王《ほうおう》にするなんてこたあ、できやしないよ。」 「おまえさん、なにをばかなこといってんだい。」 と、おかみさんがいいました。 「皇帝《こうてい》にすることができるんなら、法王にだってできるはずさ。さっさといってきとくれ。あたしゃ皇帝で、おまえさんは、ただのあたしの夫《おっと》なんだよ。すぐいってきてくれるかい。」  こういわれますと、漁師《りょうし》はびくびくして、でていきました。けれども、からだの力がすっかりぬけてしまったようです。からだはがたがたふるえ、ひざ[#「ひざ」に傍点]やふくらはぎ[#「ふくらはぎ」に傍点]はがくがくしていました。  風が陸地《りくち》の上をビュウビュウふきまくっています。雲は矢《や》のようにはやくとんでいます。日がくれかかって、あたりがくらくなってきました。木《こ》の葉《は》が、木からバラバラとおちてきました。水は煮《に》えくりかえるように、とどろきゆれて、バチャバチャと岸べをうっていました。  遠くのほうに、いくそうかの船《ふね》が見えました。船は波《なみ》の上で、おどったりはねたりしながら、鉄砲《てっぽう》をうって、たすけをもとめていました。  しかし、空のまんなかには、まだわずかながら青いところが見えました。そのまわりは、ひどい嵐《あらし》のときのように、まっかでした。  このありさまに漁師《りょうし》はすっかりおじけづいて、おどおどしながら、浜《はま》べに立って、いいました。 [#ここから4字下げ] 小人《こびと》さん 小人さん きておくれ ヒラメさん 海のヒラメさん おれの女房《にょうぼ》のイルゼビルが おれの思うようにならんのだ [#ここで字下げ終わり] 「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんですか。」 と、ヒラメがいいました。 「それがねえ。」 と、漁師《りょうし》はこたえました。 「法王《ほうおう》になりたいっていうんだよ。」 「おかえりなさい。おかみさんはのぞみどおりになっていますよ。」 と、ヒラメがいいました。  そこで、漁師はかえっていきました。もどってみますと、こんどは、りっぱな宮殿《きゅうでん》でかこまれた大きな教会《きょうかい》のようなものがたっています。  漁師《りょうし》が人ごみをおしわけていきますと、そのなかは、何千というあかりであかあかとてらされていました。おかみさんは金《きん》の衣装《いしょう》を身《み》につけて、まえよりもずっと高い玉座《ぎょくざ》にすわり、大きな金のかんむりを三つもかぶっていました。  そのまわりには、坊《ぼう》さんたちがおおぜいいました。それから、両がわには、ろうそくが二|列《れつ》に立てられていました。そのなかのいちばん大きいのは、世界《せかい》でいちばん大きい塔《とう》ぐらいもふとくて大きく、いちばん小さいのは台所《だいどころ》の豆《まめ》ろうそくぐらいしかありませんでした。  皇帝《こうてい》や王さまがひとりのこらずそこにいて、おかみさんのまえにひざまずいて、そのくつにせっぷんしていました。 「おまえ――」 と、漁師《りょうし》はいって、おかみさんをじろじろながめました。 「法王《ほうおう》になったのかい。」 「そうだよ、あたしは法王だよ。」 と、おかみさんはいいました。  それから、漁師はそばへあゆみよって、おかみさんをじいっと見つめました。そのようすは、まるで明るいお日さまを見ているようでした。こうして、しばらく見つめてから、いいました。 「なあ、おまえ、おまえが法王《ほうおう》たあ、すばらしいこった。」  けれども、おかみさんは、まるで木のようにしゃちほこばって、身動《みうご》きひとつしません。  そこで、漁師《りょうし》はいいました。 「おまえ、もうこれでいいとしろよ。おまえは法王《ほうおう》なんだぞ。もうこれいじょうのものにはなれやしねえ。」 「まあ、よく考えてみるよ。」 と、おかみさんはいいました。  こうして、ふたりはベッドにはいりました。けれども、おかみさんはまだ満足《まんぞく》してはいませんでした。おかみさんは欲《よく》の皮《かわ》がつっぱって、どうしてもねむることができません。こんどはなんになってやろうかと、そんなことばかり考えていたのです。  漁師《りょうし》のほうは、すぐにぐっすりとねむりこんでしまいました。むりもありません。一日じゅうかけずりまわったんですからね。  ところがおかみさんのほうは、どうにもねむることができず、ひと晩《ばん》じゅう、ごろごろねがえりばかりうっていました。そして、こんどなれるのはなんだろうと、いっしょうけんめい考えていましたが、なにひとつ思いつくことができませんでした。  そうしているうちに、とうとう、お日さまがのぼりだしました。おかみさんは東の空が明るくなってくるのを見ますと、ベッドのはしにからだをおこして、そっちのほうをじっとながめていました。こうして、窓《まど》のそとにお日さまがのぼってくるのを見ますと、おかみさんは、 (ふん、あたしにも、お日さまやお月さまをのぼらせることはできないもんかね。) と、こんなことを考えました。 「おまえさん。」 と、おかみさんはいいながら、漁師《りょうし》のあばら骨《ぼね》をひじでつつきました。 「おきて、ヒラメのとこへいってきとくれ。あたしゃ神《かみ》さまになりたいんだよ。」  漁師はまだねぼけまなこでいましたが、びっくりぎょうてんして、ベッドからころげおちました。そして、じぶんがききちがえたのではないかと思って、目をこすりこすり、 「ねえ、おまえ、いまなんていったんだい。」 と、たずねました。 「おまえさん。」 と、おかみさんはいいました。 「あたしゃあね、じぶんでお日さまやお月さまをのぼらせることもできないで、お日さまやお月さまがのぼっていくのを、ただぼんやりながめているだけじゃ、どうにも承知《しょうち》ができないんだよ。じぶんでのぼらせることができないようなら、もう一時間だっておちついちゃいられないよ。」  こういって、おかみさんはおそろしい顔をして漁師《りょうし》をにらみつけたものですから、漁師はふるえあがってしまいました。 「さあ、さっさといってきとくれ。あたしゃ神《かみ》さまになりたいんだよ。」 と、おかみさんがいいました。 「なあ、おまえ。」 と、漁師《りょうし》はいって、おかみさんのまえにひざまずきました。 「そんなこたあ、ヒラメにゃできやしないよ。皇帝《こうてい》や法王《ほうおう》にならすることもできるけどさ。おねがいだから、このまま法王でがまんしていてくれよ。」  それをききますと、おかみさんはものすごく腹《はら》をたてました。髪《かみ》の毛《け》はさかだってぼうぼうになり、胸《むね》ははだけました。そうして、漁師をけとばして、さけびました。 「あたしゃあ、もうがまんできない。もうこれっぱかしもがまんできない。おまえさん、いってくれるかい。」  そこで、漁師《りょうし》はあわててズボンをはいて、気がくるったようにかけだしました。  ところが、おもては、ものすごい嵐《あらし》があれくるっていましたので、漁師はほとんど立っていることもできないくらいでした。  家や木ぎはひっくりかえり、山やまはぐらぐらゆれて、岩はごろごろと海のなかにころがりおちました。空はまっ黒で、かみなりがとどろきわたり、いなびかりがぴかぴかひかっていました。海は教会《きょうかい》の塔《とう》か山ぐらいもあるまっ黒な大波《おおなみ》をもりあげていました。その大波のひとつひとつのてっぺんには、白いかんむりのようにあわがわきたっていました。  漁師《りょうし》は大声をはりあげてどなりましたが、じぶんの声もきこえないくらいでした。 [#ここから4字下げ] 小人《こびと》さん 小人さん きておくれ ヒラメさん 海のヒラメさん おれの女房《にょうぼ》のイルゼビルが おれの思うようにならんのだ [#ここで字下げ終わり] 「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんですか。」 と、ヒラメがいいました。 「それがねえ、神《かみ》さまになりたいっていうんだよ。」 「おかえりなさい。おかみさんは、もとのぼろ小屋《ごや》のなかにいますよ。」 と、ヒラメがいいました。  ふたりは、それからずうっと、いまでも、その小屋のなかにすわっていますよ。 底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社    1980(昭和55)年6月1刷    2009(平成21)年6月49刷 ※表題は底本では、「漁師《りょうし》とそのおかみさんの話」となっています。 入力:sogo 校正:チエコ 2020年10月28日作成 2023年9月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。