自選 荷風百句 永井荷風 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)口吟《こうぎん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)短冊|色帋《しきし》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)雞 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)つれ/\ ------------------------------------------------------- [#3字下げ][#中見出し][#割り注]自選[#割り注終わり] 荷風百句序[#中見出し終わり]  わが発句の口吟《こうぎん》、もとより集にあむべき心とてもなかりしかば、書きもとどめず、年とともに大方《おおかた》は忘れはてしに、おりおり人の訪《とい》来りて、わがいなむをも聴かず、短冊|色帋《しきし》なんど請《こ》わるるものから、是非もなく旧句をおもい出《いだ》して責《せめ》ふさぐことも、やがて度重《たびかさな》るにつれ、過ぎにし年月、下町のかなたこなたに佗住《わびずま》いして、朝夕の湯帰りに見てすぎし町のさま、又は女どもと打《うち》つどいて三味線《さみせん》引きならいたる夜々のたのしみも、亦おのずから思返されて、かえらぬわかき日のなつかしさに堪えもやらねば、今はさすがに棄てがたき心地せらるるものを択《えら》みて、老《おい》の寐覚のつれづれをなぐさむるよすがとはなしつ。 [#2字下げ]昭和|丑《うし》のとし夏五月 [#地から1字上げ]荷風散人 [#改ページ] [#5字下げ]春之部[#「春之部」は中見出し] [#ここから2字下げ] 墨《すみ》も濃《こ》くまづ元日の日記かな 正月や宵寐《よひね》の町を風のこゑ 暫《しばらく》の顔《かほ》にも似たりかざり海老《えび》 羽子板や裏絵さびしき夜の梅 子を持たぬ身のつれ/\や松の内 [#1字下げ][#1段階小さな文字]九段坂|上《うへ》の茶屋にて[#小さな文字終わり] 初東風《はつこち》や富士見る町の茶屋つゞき まだ咲かぬ梅をながめて一人《ひとり》かな [#1字下げ][#1段階小さな文字]清元なにがしに贈る[#小さな文字終わり] 青竹《あをだけ》のしのび返《がへし》や春の雪 [#1字下げ][#1段階小さな文字]市川左団次|丈《ぢやう》煙草入《たばこいれ》の筒に[#小さな文字終わり] 春の船名所ゆびさすきせる哉《かな》 [#1字下げ][#1段階小さな文字]自画像[#小さな文字終わり] 永き日やつばたれ下《さが》る古帽子《ふるぼうし》 [#1字下げ][#1段階小さな文字]浅草画賛[#小さな文字終わり] 永き日や鳩も見てゐる居合抜《ゐあひぬき》 [#1字下げ][#1段階小さな文字]柳嶋《やなぎしま》画賛[#小さな文字終わり] 春寒《はるさむ》や船からあがる女づれ 葡萄酒《ぶだうしゆ》の色にさきけりさくら艸《さう》 紅梅《こうばい》に雪のふる日や茶のけいこ 出《で》そびれて家にゐる日やさし柳 [#1字下げ][#1段階小さな文字]銀座裏の或《ある》酒亭にて二句[#小さな文字終わり] よけて入《い》る雨の柳や切戸口《きりどぐち》 傘さゝぬ人のゆきゝや春の雨 [#1字下げ][#1段階小さな文字]妓楼の行燈《あんどう》に[#小さな文字終わり] しのび音《ね》も泥の中なる田螺《たにし》哉 室咲《むろざき》の西洋|花《ばな》や春寒し 日のあたる窓の障子《しやうじ》や福寿草《ふくじゆさう》 うぐひすや障子にうつる水の紋《あや》 色町や真昼しづかに猫の恋 [#1字下げ][#1段階小さな文字]画賛[#小さな文字終わり] 門《かど》の灯《ひ》や昼もそのまゝ糸柳《いとやなぎ》 石垣にはこべの花や橋普請《はしぶしん》 [#1字下げ][#1段階小さな文字]送別二句[#小さな文字終わり] 笈《きふ》[#ルビの「きふ」は底本では「おひ」]を負《お》ふうしろ姿や花のくも 行先《ゆくさき》はさぞや門出《かどで》の初ざくら 鼬《いたち》鳴く庭の小雨《こあめ》や暮《くれ》の春 行春《ゆくはる》やゆるむ鼻緒《はなを》の日和下駄《ひよりげた》 春|惜《を》しむ風の一日《ひとひ》や船の上《うへ》 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]夏之部[#「夏之部」は中見出し] [#ここから2字下げ] 夕風《ゆふかぜ》や吹くともなしに竹の秋 よし切《きり》や葛飾《かつしか》ひろき北みなみ [#1字下げ][#1段階小さな文字]待つ人の来ざりしかば[#小さな文字終わり] 水雞《くひな》[#ルビの「くひな」は底本では「くいな」]さへ待てどたゝかぬ夜《よ》なりけり [#1字下げ][#1段階小さな文字]築地閑居[#小さな文字終わり] 夕河岸《ゆふがし》の鰺《あぢ》売る声や雨《あま》あがり 御家人《ごけにん》の傘張る門《かど》や桐の花 明《あけ》やすき夜《よ》や土蔵《どざう》[#ルビの「どざう」は底本では「つちぐら」]の白き壁 青梅《あをうめ》の屋根打つ音や五月寒《さつきさむ》 八文字《はちもんじ》ふむや金魚のおよぎぶり 荷船《にぶね》にもなびく幟《のぼり》や小網河岸《こあみがし》 [#1字下げ][#1段階小さな文字]四月十八日[#小さな文字終わり] 物干《ものほし》に富士やをがまむ北斎忌《ほくさいき》 芍薬《しやくやく》やつくゑの上の紅楼夢《こうろうむ》 卯《う》の花や小橋《こはし》を前《まへ》のくゞり門 百合《ゆり》の香《か》や人待つ門《かど》の薄月夜《うすづきよ》 蝙蝠《かうもり》やひるも燈《ひ》ともす楽屋口《がくやぐち》 石菖《せきしやう》や窓から見える柳ばし 一《ひと》ツ目《め》の橋や墨絵のほとゝぎす [#1字下げ][#1段階小さな文字]向嶋|水神《すゐじん》の茶屋にて[#小さな文字終わり] 葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 散りて後《のち》悟るすがたや芥子《けし》の花 わが儘《まま》にのびて花さく薊《あざみ》かな あぢさゐや瀧夜叉姫《たきやしやひめ》が花かざし 拝領の一軸《いちぢく》古《ふ》りし牡丹《ぼたん》哉《かな》 涼しさや庭のあかりは鄰《となり》から 枝刈りて柳すゞしき月夜哉 涼風《すずかぜ》を腹《はら》一《いつ》ぱいの仁王かな 鞘《さや》ながら筆《ふで》もかびけりさつき雨 五月雨《さみだれ》の或夜《あるよ》は秋のこゝろ哉 住みあきし我家《わがや》ながらも青簾《あをすだれ》 蚊ばしらを見てゐる中《うち》に月夜哉 藪越《やぶご》しに動く白帆《しらほ》や雲の峯 [#1字下げ][#1段階小さな文字]中洲《なかず》眺望[#小さな文字終わり] 深川《ふかがは》や低き家並《やなみ》のさつき空 みち潮《しほ》や風も南のさつき川 [#1字下げ][#1段階小さな文字]妓《ぎ》の持ちし扇《あふぎ》に[#小さな文字終わり] 気に入らぬ髪|結直《ゆひなほ》すあつさ哉 秋近き夜《よ》ふけの風や屋根の草 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]秋之部[#「秋之部」は中見出し] [#ここから2字下げ] 蘭《らん》の葉のとがりし先《さき》や初嵐《はつあらし》 稲妻《いなづま》や世をすねて住む竹の奥 [#1字下げ][#1段階小さな文字]女の絵姿に[#小さな文字終わり] 半襟《はんえり》も蔦《つた》のもみぢや窓の秋 [#1字下げ][#1段階小さな文字]四谷怪談画賛四句[#小さな文字終わり] 初汐《はつしほ》や寄る藻《も》の中《なか》に人の骨 樒《しきび》売る小家《こいへ》の窓や秋の風 人のもの質《しち》に置きけり暮の秋 川風も秋となりけり釣《つり》の糸 象《ざう》も耳立てゝ聞くかや秋の風 鯊《はぜ》つりの見返る空や本願寺《ほんぐわんじ》 庭下駄《にはげた》の重きあゆみや露の萩《はぎ》 かくれ住む門《かど》に目立つや葉雞頭《はげいとう》 浅草《あさくさ》や夜長《よなが》の町の古着店《ふるぎみせ》 糸屑《いとくづ》にまじる柳の一葉《ひとは》かな [#1字下げ][#1段階小さな文字]病中の吟[#小さな文字終わり] 粉薬《こぐすり》やあふむく口に秋の風 降り足らぬ残暑の雨や屋根の塵《ちり》 秋の雲雨ならむとして海の上 引汐《ひきしほ》や蘆間《あしま》にうごく秋の雲 物足《ものた》るや葡萄《ぶだう》無花果《いちじゆく》倉ずまひ [#1字下げ][#1段階小さな文字]芝口《しばぐち》の茶屋|金兵衛《きんべゑ》[#ルビの「きんべゑ」は底本では「きんべえ」]にて三句[#小さな文字終わり] 盛塩《もりしほ》の露にとけ行《ゆ》く夜《よ》ごろかな 柚《ゆず》の香《か》や秋もふけ行く夜の膳《ぜん》 秋風や鮎《あゆ》焼く塩のこげ加減《かげん》 [#1字下げ][#1段階小さな文字]小波大人《さざなみうし》追悼[#小さな文字終わり] 極楽《ごくらく》に行く人送る花野《はなの》かな [#1字下げ][#1段階小さな文字]妓の写真に[#小さな文字終わり] 吉日《きちにち》をえらむ弘《ひろ》めや菊日和《きくびより》 行秋《ゆくあき》や雨にもならで暮るゝ空 秋雨《あきさめ》や夕餉《ゆふげ》の箸《はし》の手くらがり 雨やんで庭しづかなり秋の蝶《てふ》 昼月《ひるづき》や木《こ》ずゑに残る柿|一《ひと》ツ [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]冬之部[#「冬之部」は中見出し] [#ここから2字下げ] 初霜や物干竿《ものほしざを》[#ルビの「ものほしざを」は底本では「ものほしざお」]の節《ふし》の上《うへ》 降りやみし時雨《しぐれ》のあとや八《や》ツ手《で》の葉 釣干菜《つりほしな》それ者《しや》と見ゆる人の果《はて》 箱庭《はこには》も浮世におなじ木《こ》の葉《は》かな 古足袋《ふるたび》の四十《しじふ》もむかし古机《ふるづくゑ》 [#1字下げ][#1段階小さな文字]代地河岸の閑居二句[#小さな文字終わり] 北向《きたむき》の庭にさす日や敷松葉《しきまつば》 垣《かき》越しの一中節《いつちゆうぶし》や冬の雨 よみさしの小本《こほん》ふせたる炬燵《こたつ》哉《かな》 小机《こづくゑ》に墨|摺《す》る音や夜半《よは》の冬 冬空や麻布《あざぶ》の坂の上《あが》りおり 門《もん》を出《で》て行先《ゆくさき》まどふ雪見かな 雪になる小降《こぶ》りの雨や暮の鐘《かね》 湯帰《ゆがへ》りや燈《ひ》ともしころの雪もよひ 窓の燈やわが家《や》うれしき夜《よる》の雪 寒き夜《よ》や物読みなるゝ膝《ひざ》の上《うへ》 冬ざれや雨にぬれたる枯葉竹《かれはだけ》 襟《えり》まきやしのぶ浮世の裏通《うらどほり》 落《おち》る葉は残らず落ちて昼の月 落残《おちのこ》る赤き木《き》の実《み》や霜柱 荒庭《あれには》や桐の実つゝく寒雀《かんすずめ》 昼間から錠《ぢやう》さす門《かど》の落葉哉 冬空や風に吹かれて沈む月 寒月《かんげつ》やいよ/\冴《さ》えて風の声 [#1字下げ][#1段階小さな文字]小松川漫歩三句[#小さな文字終わり] あちこちに分《わか》るゝ水や村千鳥《むらちどり》 寒き日や川に落込《おちこ》む川の水 大根《だいこ》干す茅《かや》の軒端《のきば》や舟大工《ふなだいく》 下駄|買《か》うて箪笥《たんす》の上や年の暮 [#1字下げ][#1段階小さな文字]麻布閑居[#小さな文字終わり] 座布団《ざぶとん》も綿《わた》ばかりなる師走《しはす》哉 行年《ゆくとし》や鄰《となり》うらやむ人の声 [#ここで字下げ終わり] 底本:「麻布襍記 ――附・自選荷風百句」中公文庫、中央公論新社    2018(平成30)年7月25日初版発行 底本の親本:「荷風全集 第十四卷」中央公論社    1950(昭和25)年10月25日発行 初出:「おもかげ」岩波書店    1938(昭和13)年7月10日 ※「灯《ひ》」と「燈《ひ》」の混在は、底本通りです。底本の親本、「おもかげ」岩波書店1938年7月10日第1刷発行、「おもかげ」岩波書店1938年7月30日第2刷発行、「荷風句集」細川書店1948年2月25日刊行では、「灯」に統一されています。 ※表題は底本では、「[#割り注]自選[#割り注終わり] 荷風百句」となっています。 ※ルビの誤植を疑った箇所を、「荷風全集 第二十巻」岩波書店、1985(昭和60)年4月5日発行の表記にそって、あらためました。(底本の「編集付記」に「難読と思われる語には岩波書店版『荷風全集』等を参照し、新たにルビを付した」とあるので) 入力:kompass 校正:砂場清隆 2020年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。