城を守る者 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)甲斐《かい》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)長男|通胤《みちたね》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#5字下げ] ------------------------------------------------------- [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] 「甲斐《かい》のはるのぶと槍《やり》を合せることすでに三たび、いちどはわが太刀《たち》をもって、晴信を死地に追いつめながら、いまひと打ちをし損じて惜《お》しくものがした」  上杉輝虎《うえすぎてるとら》は、けいけいたる双眸《そうぼう》でいち座を見まわしながら、大きく組んだよろい直垂《ひたたれ》の膝《ひざ》を、はたと扇で打った。 「だが、このたびこそは、勝敗を決しなければならぬ。うちつづく合戦で民のちからは衰え、兵もまた労《つか》れた。いたずらに甲斐との対陣をながびかすときは、思わぬ禍《わざわい》が足下からおこるとみなければならぬ。善くも悪くも、このたびこそは決戦のときだ、このたびこそは勝敗を決するのだ」  かれの声は、館《やかた》の四壁をふるわして響きわたった。  弘治《こうじ》三年(一五五七)七月、越後《えちご》のくに春日山《かすがやま》の城中では、いま領主うえすぎ謙信《けんしん》を首座として、信濃《しなの》へ出陣の軍議がひらかれていた。集っているのは上杉の四家老、長尾越前政景《ながおえちぜんまさかげ》、石川備後為元《いしかわびんごためもと》、斎藤下野朝信《さいとうしもつけとものぶ》、千坂対馬清胤《ちさかつしまきよたね》をはじめ、二十五将とよばれるはたもと帷握《いあく》の人々であった。……上杉と武田との確執について、ここに精《くわ》しく記す要はあるまい。「川中島《かわなかじま》合戦」といわれる両家の争《あらそ》いは天文《てんもん》二十二年(一五五三)から永禄《えいろく》七年(一五六四)まで、十年余日にわたってくりかえされたものであるが、このときはその四たび目の合戦に当面していたのである。 「さればこのたびは全軍進発ときめた」  輝虎はつづけて云《い》った。 「留守城《るすしろ》の番はいちにん、兵は五百、余はあげて信濃へ出陣をする。したがって留守城番に誰を置くかということは」 「申上げます」  とつぜん声をあげて、石川備後が座をすすめた。 「仰《おお》せなかばながら、わたくしは信濃へお供《とも》をつかまつりまするぞ。留守番役はかたくお断わり申します」 「越前めも、留守役はごめんを蒙《こうむ》ります」  長尾越前がおくれじと云った。するとそれにつづいて列座の人々がわれもわれもと出陣の供を主張し、留守城番を断わると云いだした。もっとも善かれ悪かれ決戦ときめた戦《いくさ》である、誰にしてもこの合戦におくれることはできないにちがいない。みんな肩肱《かたひじ》を張って侃々《かんかん》とののしり叫んだ。  輝虎はだまっていた。いつまでもだまっているので、やがて人々はだんだんとしずまり、ついにはみんなひっそりと音をひそめた。  そこで輝虎はあらためて一座を見まわし、よく徹《とお》る澄んだ声で云った。 「おれから名は指さぬ。しかし誰かが留守城の番をしなければならぬのだ。誰がするか」 「……わたくしがお受け申しましょう」  しずかに答える者があった。みんなあっといった感じで声の主を見やった。それは四家老のひとり、千坂対馬清胤であった。すると列座の人々はひとしく、ああ千坂どのか、という表情をし互いに眼と眼でうなずき合った。 「そうか、対馬がひき受けるか、ではこれで留守はきまった」  輝虎は、そう云って座を立った。  人々は自分が留守役になることはあたまから嫌った。それにも拘《かか》わらず千坂対馬がみずからそれを買って出たことで、あきらかに一種の軽侮を感じた。しかし、それは対馬が合戦に出ることを嫌った臆病者《おくびょうもの》という意味ではない。当時の武士たちは、合戦に参加することを「稼《かせ》ぐ」といったくらいで、臆病ゆえに戦場を嫌うなどということは有り得ることではなかった。では、なぜ人々が千坂対馬に軽侮を感じたかというと、……いや、ここではそれを説明するいとまはない。春日山城の軍議が終って、千坂対馬がおのれの屋敷へ帰ったところへ話を続けるとしよう。  清胤が屋敷へ帰ると間もなく、長男|通胤《みちたね》がひどく昂奮《こうふん》した顔つきではいってきた。かれは生来の病身で年は二十三歳、色白の小柄なからだつきはいかにもひ弱そうにみえるが、眉宇《びう》と唇《くち》もとには不屈な性格があらわれている、……しずかに座った通胤は、そのするどい眼をあげてきっと父を見あげた。 「父上、このたび四度目の御出馬に、留守城番をお願いなされたと申すのは事実でございますか」 「……それがどうかしたか」 「父上みずから留守城番をお望みなされたのかどうかを、うかがいたいのです。お館よりのお申付けでございますか、それとも、ご自身お望みなされたのでございますか」  清胤は黙ってわが子の眼を見ていた。通胤もまた父の眼を刺すように瞶《みつ》めていた。父と子はその一瞬、まるで仇敵《きゅうてき》のように互いをねめ合ったのである。……しかし、やがて清胤がしずかに答えた。 「お留守役は、おれが自らお館へ願ってお受けしたのだ。おまえそれが不服だと云うのか」 [#5字下げ]二[#「二」は中見出し] 「父上!」  通胤はさっと色を変えながら、 「こなたさまは、世間でこの千坂家をなんと評判しているかご存じでございますか」 「知っていたらどうする」 「千坂は弁口《べんこう》武士だ、戦場へは出ずに留守城で稼ぐ、そう申しているのをご存じですか」 「…………」 「それをご存じのうえで、このたびも留守役をお望みなされたのでございますか」  千坂対馬が信濃出陣に供をしたのは、第一回のときだった。それも、川中島へ出は出たものの、しんがりにあって、主に輜重《しちょう》の宰領に当っていた。戦場の功名手柄というものが人間の価値をきめる時代にあって、輜重の宰領などという役が軽くみられるのは当然である。ことに、千坂対馬は平常から経済的手腕にぬきんでていたし、私生活はほとんど吝嗇《りんしょく》にちかく、稗《ひえ》を常食として焼味噌《やきみそ》と香《こう》のもの以外には口にしないという徹底したものであった。  だから、輜重の宰領をしたときには、「千坂どのは算盤《そろばん》で稼いだ」と云われたし、二回、三回と続けて留守城番を勤めたときには、「兜首《かぶとくび》の二つや三つより、千坂どのは留守役で二千石稼ぐ」という評判がたったくらいであった。 「世間の噂《うわさ》くらいは、おれの耳へもはいる。俗に人の口には戸がたてられぬというとおり、誰しも蔭《かげ》では公方《くぼう》将軍の悪口も申すものだ。云いたい者には云わせて置くがよい。言葉を一万積み重ねても、蠅《はえ》一疋《いっぴき》殺すことはできぬものだ」 「よくわかりました。しかし蠅一疋殺すことのできぬ言葉が、あるときは、人をも殺すちからを持っていることにお気づき下さい。父上はそれでご満足かもしれませんが、わたくしはいやでございます、通胤は御出馬のお供をつかまつります」 「……ならん」 「父上のお許しは待ちません。わたくしは信濃へまいります」 「……ならん、おまえは父と残るのだ」 「いや、たとえ御勘当を受けましょうとも、このたびこそは出陣をいたします、ご免」  云い捨てて、立とうとする通胤の、袴《はかま》の裾《すそ》を、清胤は足をあげてはたと踏みとめた。 「ゆるさんぞ通胤、おまえは千坂家の長子だ。父のおれがゆるさぬと申したら動くことならん。おれならでは留守のかためができぬからお受けしたまで、戦場ご馬前《ばぜん》で働くのも、留守城を預ってかたく護《まも》るのも、武士の奉公に二つはない。うろたえるな!」  通胤は身をふるわせながら居竦《いすく》んでいたが、やがて悄然《しょうぜん》と立って自分の部屋へ去った。  それとほとんどいれちがいに、五人の客が訪ねて来た。親族のなかに口利《くちき》き役がそろって、用件はやはり留守役のことだった。……かれらもまた口を揃《そろ》えて清胤の非をなじった。親族一統の面目にかかわるとまで云いたてた。  通胤は客間から聞えてくる罵《ののし》りの声に耳をすましていたが、やがて裏手へおりてゆくと、馬をひきだして屋敷を出て行った。  もう出陣の支度をはじめたとみえ、活気のあるざわめきが辻々《つじつじ》に漲《みなぎ》っている。かれは追われるような気持でその街並を駆っていたが、石川備後の屋敷へ来ると馬をおりた。……そこでも小者や家士たちが右往左往していた。武具の荷や、糧秣《りょうまつ》の山がそこ此処《ここ》に積みあげてあり、黄昏《たそがれ》の濃くなりつつある庭にはあかあかと、篝火《かがりび》が燃えあがっていた。 「おお千坂の若か、ようみえたな」  備後為元は白いもののみえはじめた髭《ひげ》を食いそらしながら、すでに鎧下《よろいした》を着けて、大股《おおまた》に客間へはいって来た。 「この通りとりちらしてある。なにか急な用でもあってみえたか」 「ぶしつけなお願いにあがりました」 「わかった、信濃へつれてゆけと云うのだな、そうであろう」 「いいえ違います」  通胤はさっと蒼《あお》い額《ひたい》をあげて云った。 「かねて親共とのあいだにお約束つかまつりました、菊枝《きくえ》どのとわたしとの縁談、いちおう破約にして頂きたいと存じまして……」  為元の眼がぎろりと光った。 「それはなぜだ、どういう仔細《しさい》で破約しろというのか。わけを聞こう」 「仔細は申し上げられませぬ。ただ、わたくしの考えといたしまして、ぜひとも菊枝どのとの縁組を無きものにして頂きたいのです」 「そうか、……そうか」  為元の眉《まゆ》がけわしく歪《ゆが》んだ。 「云えぬと申すなら聞くまい。しかしそれは対馬どのも承知のうえの話であろうな」 「いやわたくし一存でございます。一存でございますが、妻を娶《めと》る者はわたくし、その当のわたくしがお断わり申しますからには、べっしてうろんはないと存じます」 「よし、たしかに破約承知した」  こえ荒く云って、床板を踏み鳴らすように為元は立った。 「用事と申すのはそれだけか」 「はい」 「出陣のかどでに娘へのよき置き土産ができた。わしの思ったほどおぬしは利巧ではなかったな」  投げつけるような声の下に、通胤はただ低く頭を垂《た》れていた。 [#5字下げ]三[#「三」は中見出し]  ほとんど全軍をひっさげて、輝虎が信濃へ進発すると同時に、千坂対馬の名で、――武家にて貯蔵米のあるものは、三日以内に一粒も余さず城中お蔵へ納《おさ》むべし。違背ある者は屹度《きっと》申付くべき事。  という触書《ふれがき》が廻った。そして、その日から千坂家の者が各屋敷をめぐり、びしびしと督促《とくそく》してすべての貯蔵米を城へ運びこんでしまった。……当時、遠征の軍を送るのに、もっとも重要なものは糧道の確保であった。輜重は軍と共に進むけれども、それで戦の全部がまかなえるわけではない。武具、兵粮《ひょうろう》、医薬の類《たぐい》はたえずあとから補給しなければならぬ。ことに前にも記した通り、武田家との戦はすでに連続四回にも及び、領内の民たちはかなり疲弊していたから、留守城の武家にある貯蔵米を召上げるのはふしぎではなかった。しかし、「一粒も余さず」というのは過酷だった。  人々はなによりも先に、  ――そろそろ千坂どのが稼ぎだしたぞ。  という疑惑をいだいた。  こうして貯蔵米をすっかり御蔵へ納めたうえ、こんどは各家の家族をしらべ、平時のおよそ半量ほどの米を一日分ずつ、毎日に割って配分することになった。それも「野菜を混じて粥雑炊《かゆぞうすい》として食すべき事」という厳しい注意つきであった。  女や子供は城中へあがり、矢竹つくりや武具の手入れを命ぜられた。これまで曾《かつ》てそんな例はなかったのである。そして、留守城番として残された五百人の兵は、毎日半数ずつ交代で、矢代川《やしろがわ》の岸に沿った荒地の開墾にくり出された。  不平はそこから起った。  ――われらは留守城を護るために残されたのだ、百姓をせよとは申付かっておらんぞ。  ――だい一、この合戦のさなかに荒地を起してどうしようというのだ。此処《ここ》へ稲でも植えて、今年の秋の兵粮にでもするつもりか。  ――千坂どのの専横《せんおう》も度が過ぎるぞ。  いちど不平が口にされると、にわかに次から次へと弘《ひろ》まりだした。  対馬清胤はしかしびくともしなかった。そんな悪評はかねて期したことだと云わんばかりに、触れだした条目はぴしぴし励行《れいこう》させ、たとえ女子供でも容赦がなかった。  通胤は自分から五百人の兵たちの中にまじっていた。かれは父に対する悪評のまっ唯中《ただなか》にいて、兵たちと共に鍬《くわ》をふるい、黙々と荒地の開墾をやっていた。……みんなはわざと通胤に聞かせるように、しきりに千坂対馬の専横を鳴らし不法を数えたてた。しかし、なんと云われても通胤は半句の弁解もしなかった。まるで父に代って世間の鞭《むち》に打たれているような感じだった。  家へ帰っても、かれは父とは口をきかなかった。清胤もわが子を避けるようすだった。ときたま眼が合うと通胤は父にむかって射通すような視線を向けた。……かれの胸には、あの日父の云った言葉がまざまざと残っていた。  ――戦場御馬前の働きも留守城を護るのも武士の奉公に二つはない。  父ははっきりとそう云った。  ――おれならでは留守城のかためがならぬからお受け申したのだ。  そうも云った。あの言葉が通胤を此処へひきとめたのである。五人の親族に面詰《めんきつ》されながら、自ら留守役を買って平然とうごかなかった態度が、戦場へぬけて出ようとする通胤の足をとめたのだ。しかし、父の仕方は、予想以上に専横だった。貯蔵米を根こそぎとりあげ、女子供を城中にとどめて、矢竹を作らせ武具の手入れをさせる。また五百人の城兵に矢代河畔の荒地を起させるなど、すべて城代の威光を不必要に濫用《らんよう》すると云われても仕方のないことばかりだった。  ――あのときの言葉は、やはり父の口舌の弁にすぎなかったか。「留守城で稼ぐ」と云われるのが本当だったのか。  通胤は父の言葉に惹《ひ》かれて、戦場へぬけて出なかったことを後悔した。そして自分はできるだけの事をして、父のつぐないをしようと心をきめていた。  八月中旬の或《あ》る日、城へあがった通胤は、二の曲輪《くるわ》で思いがけぬ人に呼びとめられた。 「千坂さま、もし……千坂さま」  小走りに追って来る人のこえにふりかえってみると、石川備後のむすめ菊枝だった。  菊枝は色白のふっくらしたからだつきで、いつも眼もとに温《あたた》かい頬笑《ほほえみ》をたたえている娘だった。二年まえから縁組の約束があったのを、父の悪評に耐えかねて、通胤は自分から破約した。父に対する反抗の気持もあったが、もっと強く、その悪評のなかへ菊枝をひき入れるに忍びなくなったからである。それ以来、会うのは今日がはじめてだった。 [#5字下げ]四[#「四」は中見出し] 「かような場所でお呼びとめ申しまして、まことに不躾《ぶしつ》けではございますが」  娘は眼もとを赤くしながら、眩《まぶ》しそうに通胤を仰ぎ見て云った。 「ぜひあなたさまのお口添えをお願い申したいことがございまして」 「……なにごとでしょうか」  通胤は罰を受ける者のように、眼を伏せ頭を垂れた。娘の温かい眼もとには、男の心をよく理解したやさしい憐《あわれ》みの色がにじんでいた。 「ご承知のように、わたくし共女子や子供たちの多くは、お触れによってずっと城中にあがり、矢竹つくりやお物具《もののぐ》のお手入れをいたしておりますが、いまだにいちども屋敷へ下げて頂けぬ者が多うございます」 「さぞ御不自由なことでしょう」 「いま合戦の折からゆえ、不自由はどのようにも忍びますけれど、お物具の手入れは終りましたし、矢竹つくりは屋敷にいても出来ますことゆえ、お城から下げて頂けますようお願い申したいと存じます」 「それならわたくしがお伝え申すより、係《かか》りへじかにお申出でなさるがよいと思いますが」 「それはあの、もう再三お願い申したのですけれど、……御城代さまからどうしてもお許しが出ませんので」  通胤ははっと息をのんだ。  ――此処でもまた父が。  そう思うと恥ずかしさで身が竦むような気持だった。 「そうですか、ではわたくしからすぐに話してみましょう」 「ご迷惑なお願いで申しわけございません」  もっとなにか云いたげな娘の眼から、逃げるようにして通胤は館へあがった。しばらく待たされてから、父の前へ通されたかれは、すぐに菊枝のたのみを伝えた。……清胤はふきげんに眉をひそめたまま黙って聞いていたが、通胤の言葉が終ると言下に、「ならん」と云った。 「なぜいけないのですか、矢竹つくりだけなら屋敷へさがってもできると思いますが」 「どうあろうと、そのほうなどの差出るところではない。さようなことを取次ぐなどは筋違いだ。さがれ」 「父上、お言葉ではございますが、今日はいささか通胤にも申し上げたいことがございます。父上が城代の御威光をふるって、事を専断にあそばすことが、お留守城の人々をどのように苦しめているかお考えになったことがございますか。父上はかつて『留守城のかためはおれならでは』と仰《おお》せられました。戦場も留守も奉公に二つはないと仰せられました、あのときのお言葉は、この通胤を云いくるめる一時の方便にすぎなかったのでございますか」 「云いたいだけのことを申せ、聞くだけは聞いてやる、もっと申してみい」 「もうひと言だけ申しあげます、通胤は信濃《しなの》へまいります、せめて殿の御馬前にむくろを曝《さら》し、千坂の家名のつぐないを致します。もはやお目通りはつかまつりません」 「死にたいとき死ねる者は仕合《しあわ》せだ。好きにしろ」  通胤は席を蹴《け》って立った。  屋敷へ帰ったかれは、小者《こもの》の藤七郎《とうしちろう》を呼んで信濃への供を命じ、すぐに出陣の支度をととのえた。生きて還《かえ》るつもりはない、道は唯一つ、いさぎよく戦場で死ぬだけである。祖先の墓に別れの詣《もう》でをしたかれは、折から降りだした小雨をついて、午《ひる》さがりの道を信濃へ向って出立した。……雨は強くなるばかりだったが、少しでも道を進めたいと思って、馬を急がせた。走田《はしだ》の郷《ごう》へかかる頃には、とっぷりと暮れかかった。すると、その部落を通りぬけようとした時である。  ――わあっ。  という人々の喚《わめ》き声がおこって、道のまん中へばらばらと人が駆けだして来た。みると七八人の農夫たちが手に手に得物を持って、一人の旅商人ふうの男を追いつめているところだった。通胤はすばやく馬を乗りつけ、 「これ待て、なにをする」  と制止しながらとび下りた。農夫たちはいっせいに振返ったが、春日山城の者とみたのであろう、なかでも年嵩《としかさ》のひとりが進み出て、 「これはよい処《ところ》へおいで下さいました。いま此処へ怪《あや》しい奴《やつ》を追い出したところでございます」 「怪しい奴……その男か」 「はい、麻売り商人だと申して、数日まえからこの街道をうろうろしておりましたが春日山のお城の模様などを訊《たず》ねまわるのがてっきり諜者《ちょうじゃ》とにらみましたので」 「いや、いや、ち、ちがいます」  旅の男はけんめいに叫んだ。 「私は近江《おうみ》の麻売りで、この土地へまいったのは初めてですが小栗《おぐり》へはちょくちょく商売に来ています。決して諜者などという怪しい者ではございません」 「よしよし、騒ぐには及ばぬ」  通胤はじっと男の様子を見やりながら、 「諜者であるかないかはしらべてみればわかることだ、前へ出ろ」 [#5字下げ]五[#「五」は中見出し] 「決して、決して怪しい者ではございません。どうかおゆるしを願います」 「怪しいとは申さぬ。しらべるだけだから前へ出ろというのだ」 「はい、はい、私はこの通り」  と云って前へ出るとみた刹那《せつな》、男の右手にぎらりと刃《やいば》が光り、体ごとだっと通胤へ突っかけて来た。みんな思わずあっと云った。まさに虚《きょ》をつく一刀である。しかし極めて僅《わず》かなところで刃は、躱《か》わされた。そして通胤が、右へひらきながら抜き打ちに浴びせた一刀は、逆に男の背筋をしたたかに斬《き》り放し、かえす太刀で太腿《ふともも》を薙《な》いでいた。  男は悲鳴をあげながら顛倒《てんとう》した。そして地上に倒れながら、片手を自分の髪のなかへいれ、白い紙片のようなものをひきだすと、それをずたずたに裂《さ》いて捨て、そのままがくっとのめってしまった。  通胤はとっさに走《は》せ寄り、男の裂き捨てた紙片を拾うと、人々から離れて、道ばたの杉の巨木の蔭《かげ》へはいり、手早く紙片をつぎ合せてみた。瀕死《ひんし》の手で裂いたのだから、つぎ合せるのにひまはかからなかった。かれは夕闇《ゆうやみ》のなかで、紙片に書いてある文字を走り読みしたが、にわかに顔色を変え、低く、口のなかであっと叫んだ。かれは卒然とふりかえり、 「藤七郎、その男はまだ息はあるか」 「いえ、もう絶息しております」 「しまった」  通胤は呻《うめ》くように云ったが、 「よし、おれは城へ戻る。おまえはあとの始末をしてこい」  そう云うとひとしく、通胤は馬へとび乗っていっさんに城下のほうへ駆け戻って行った。  父は屋敷へさがったところだった。通胤が庭から広縁へまわると、清胤はちょうど居間へはいろうとしていた。かれはつかつかと近寄って、声をひそめながら、「一大事でございます」と云った。清胤はぎらりと眼をふり向けたが、わが子のさしだす紙片をみると、黙って受け取って部屋へはいった。  燈火《とうか》の下に置かれた紙片には、左のような文言がしたためてあった。 (――予《かね》て申合せし如《ごと》く、尾越《おごし》どの旗挙《はたあ》げの儀はかたく心得申し候《そうろう》、援軍ならびに武具の類、当月下旬までに送り届け申すべく候、そのほか密計の条々《じょうじょう》相違あるまじく、懇《ねんご》ろに存じ候、小田原《おだわら》) 「尾越どの」とは上杉輝虎の義兄にあたる長尾|義景《よしかげ》のことで、げんざい尾越の城主として上杉家一方の勢力をにぎっている。「小田原」というのは北条氏実《ほうじょううじざね》にちがいない。すなわち文面は北条氏と長尾義景とのあいだに交わされた密書で、義景の謀叛《むほん》を北条氏が援《たす》ける意味のものである。 「父上……その密書いかが思《おぼ》し召《め》しますか」  通胤は走田での出来事を手短かに語りながら、父の眼色をじっと瞶《みつ》めた。……清胤は黙ってその紙片に燭《しょく》の火をうつすと、燃えあがる火を見ながらしずかに云った。 「この書面、そのほうのほかに見た者があるか」 「読んだのはわたくしだけでございます」 「そうか」  清胤はふかく頷《うなず》き、やがてしずかな低い調子で云った。 「尾越どのと小田原との密書が、わしの手にはいったのはこれで三度めだ」 「三度めと仰せられますか」 「小田原北条の死間《しかん》(わざと斬られる間者)のたくみか、それともまことに尾越どのにご謀叛の企《くわだ》てがあるか、殿このたびの御出馬直前より、しばしばかような密書が手に入る……もし北条の死間のわざとすれば、上杉一族離反のたくみにかかわるもとい、また尾越どの謀叛とすれば、殿お留守の間が大切、……いずれにしても世間に知れてはならぬゆえ、今日までわし一人の胸にたたんで出来るだけの事をして来た」 「父上……」 「矢代川の荒地を起す必要はなかった。ただ尾越どのの不意討ちがある万一の場合の備えだった。貯蔵米を召しあげたのも、女子供も城中にとどめてあるのも、みなその万一の場合の備えだったのだ」  清胤は低く息をひきながら云った。 「その仔細《しさい》を話せば、誰も不平を云うものはなかったであろう、……しかし、この理由を云えば御一族のあいだが離反する、家臣の心が動揺する。人心を動揺させず、なお万一に備えるために、つねづね不評なわしが留守をお受けし、専横の名にかくれて、大事を守らねばならなかったのだ」 「父上、……申しわけございません」  通胤は崩れるように庭へ坐《すわ》り、せきあげる涙と共に云った。 「通胤は愚者でございました。お赦《ゆる》し下さい父上、どうぞお赦し下さいまし」  清胤はじっとわが子のせきあげる声を聞いていた。ながいこと相離れていた父と子の心が、いまこそ紙一重《かみひとえ》の阻《はば》むものもなく、ぴったりと互いに触れあうのを感じた。 「わかればよい、それでよいのだ」 「…………」 「明日にでも石川へまいって、縁談破約をとり消してまいるか」 「はい、いまさらお詫《わ》びの申しようがございません」 「詫びるには及ばぬ。これからもまだまだ父の悪評を忍ばなければならぬのだ、……殿の御凱陣《ごがいじん》まではな」  もはやいかなる悪評を怖《おそ》れようぞ。通胤の前には光に満ちた道がひらけた。たとえ世人から罵詈讒謗《ばりざんぼう》をあびようとも、千坂|父子《おやこ》のまごころは弓矢神こそみそなわすであろう。 「父上、通胤は明日石川どのへまいります」  かれはそう云って高く額をあげ、力強く立上がった。 底本:「戦国武士道物語 死處」講談社文庫、講談社    2018(平成30)年7月13日第1刷発行    2018(平成30)年7月20日第2刷発行 初出:「講談雑誌」博文館    1942(昭和17)年8月号 入力:Butami 校正:noriko saito 2021年6月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。