カエルの王さま または鉄のハインリッヒ グリム Grimm 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)姫《ひめ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|階《かい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#挿絵(fig59498_01.png、横363×縦458)入る] -------------------------------------------------------  むかしむかし、まだどんな人ののぞみでも、思いどおりにかなったころのことです。  あるところに、ひとりの王さまが住んでいました。この王さまには、お姫《ひめ》さまがいく人もありましたが、みんなそろって、美しいかたばかりでした。なかでもいちばん下のお姫さまは、それはそれは美しいので、世《よ》のなかのいろんなことをたくさん見て知っているお日さまでさえも、お姫さまの顔をてらすたびに、びっくりしてしまうほどでした。  王さまのお城《しろ》の近くに、こんもりとしげった森がありました。森のなかには古いボダイジュが一本立っていて、その木の下から泉《いずみ》がこんこんとわきでていました。  暑《あつ》い日には、お姫さまは森のなかにはいっていって、このすずしい泉のほとりにこしをおろしました。そして、たいくつになりますと、金《きん》のまりをとりだして、それを高くほうりあげては、手でうけとめてあそびました。これがお姫さまにとっては、なによりもたのしいあそびだったのです。  ある日、お姫《ひめ》さまが、いつものように金《きん》のまりをなげあげて、あそんでいるうちに、ついうけそこなってしまいました。まりは地面《じめん》におちると、そのまま水のなかへころころところがりこみました。  お姫さまはまりのゆくえをながめていましたが、まりは水のなかにしずんで、見えなくなってしまいました。泉《いずみ》はとてもとてもふかくて、底《そこ》はすこしも見えません。  それで、お姫さまはしくしく泣《な》きだしましたが、その泣き声はだんだん大きくなりました。お姫さまとしては、あのまりを、どうしてもあきらめることができないのです。こうして、お姫さまが、泣きかなしんでいますと、だれかお姫さまによびかけるものがありました。 「どうなさったんですか、お姫さま。お姫さまがそんなにお泣きになると、石までも、おかわいそうだと泣きますよ。」  お姫さまはびっくりして、声のするほうを見まわしました。すると、そこには、一ぴきのカエルが、きみのわるい、ふくれた頭を水のなかからつきだしています。 「あら、おまえさんだったのね、年よりのカエルさん、いまなにかいったのは。」 と、お姫さまがいいました。 「あたしはね、金のまりが泉《いずみ》のなかにおちてしまったんで、泣いているのよ。」 「心配《しんぱい》しないで、泣くのはもうおよしなさい。わたしがいいようにしてあげますからね。でも、あなたのまりをひろってきてあげたら、わたしになにをくださいますか。」 と、カエルはいいました。 [#挿絵(fig59498_01.png、横363×縦459)入る] 「大すきなカエルさん、おまえさんのほしいものは、なんでもあげるわ。」 と、お姫《ひめ》さまはいいました。 「あたしの着物《きもの》だって、真珠《しんじゅ》だって、宝石《ほうせき》だって。それから、あたしのかぶっている金《きん》のかんむりだって、あげてよ。」  すると、カエルはこたえました。 「着物も、真珠も、宝石も、金のかんむりも、そんなものは、なんにもほしくはありません。そのかわり、もしあなたがわたしをかわいがってくださろうというのなら、わたしをあなたのお友だちにしてください。そうして、あなたの食卓《しょくたく》にならんですわらせてくださって、あなたの金《きん》のおさらで食べ、あなたのかわいいさかずきでのませてください。それから夜になったらば、あなたのちっちゃなベッドにねかせてください。もしこれだけのことを約束《やくそく》してくださるなら、水のなかにもぐっていって、金のまりをとってきてあげましょう。」 「ええ、ええ、いいわ。」 と、お姫《ひめ》さまはいいました。 「金《きん》のまりをとってきてくれさえすれば、おまえのおのぞみのことは、なんでも約束してあげるわ。」  でも、心のなかでは、 (おばかさんのカエルね。カエルなんか、水のなかのなかまのそばで、ギャア、ギャア、ないていればいいのよ。人間のお友だちになろうなんて、とんでもないわ。) と、思っていたのでした。  カエルは、お姫《ひめ》さまから約束《やくそく》してもらいますと、頭をひっこめて、水のなかにもぐっていきました。それから、しばらくすると、またうかびあがってきました。見れば、たしかに、金《きん》のまりを口にくわえています。カエルは、そのまりを草のなかにぽんとほうりだしました。  お姫《ひめ》さまは、じぶんの美しいまりがもどってきたのを見ますと、うれしくってうれしくって、それをひろいあげるなり、そのまま、とんでいってしまいました。 「待《ま》ってください、待ってください。」 と、カエルは大声でさけびました。 「わたしもいっしょにつれてってください。わたしは、そんなにはしれないんです。」  けれども、カエルがうしろのほうから、いくら大きな声で、ギャア、ギャア、ないても、わめいても、なんにもなりませんでした。お姫さまはカエルがさけぶ声には耳もかさず、いそいでお城《しろ》へかけていきました。そして、かわいそうなカエルのことなんか、すぐにわすれてしまいました。ですから、カエルのほうは、もとの泉《いずみ》のなかに、すごすごとかえっていくよりほかはありませんでした。  そのあくる日のことでした。お姫さまが、王さまをはじめ、ご家来《けらい》の人たちといっしょに、みんなで食卓《しょくたく》について、金《きん》のおさらでごちそうを食べていますと、なにやら、ピチャ、ピチャ、ピチャ、ピチャ、と、大理石《だいりせき》の階段《かいだん》をはいあがってくる音がしました。そして、上まであがりきりますと、トントンと戸をたたいて、 「お姫《ひめ》さま、いちばん下のお姫さま、どうかこの戸をあけてください。」 と、大きな声でいいました。  そこで、お姫さまはかけていって、だれがきたのかしら、と思いながら、戸をあけました。と、おどろいたことに、戸のそとには、きのうのカエルがすわっているではありませんか。それを見るなり、お姫さまはバタンと戸をしめて、いそいで食卓《しょくたく》の席《せき》にもどりました。でも、胸《むね》のなかは心配《しんぱい》で心配でたまりません。王さまは、お姫さまの胸のどきどきしているのを見て、 「姫《ひめ》や。なにがこわいんだね。戸のそとに大入道《おおにゅうどう》でもきて、おまえをさらっていこうとでもしているのかい。」 と、たずねました。 「あら、ちがうわ。」 と、お姫さまはこたえました。 「大入道なんかじゃないの。いやらしいカエルなのよ。」 「そのカエルが、おまえになんの用があるんだね。」 「それはね、おとうさま、きのう、あたしが森のなかの泉《いずみ》のそばにすわって、あそんでいたら、金《きん》のまりが水のなかにおちてしまったの。それで、あたしが泣《な》いていると、カエルがでてきて、まりをとってきてくれたの。そのとき、カエルがあんまりたのむものだから、じゃあ、お友だちにしてあげるわって、約束《やくそく》しちゃったのよ。だって、まさかカエルが、水のなかからでてこようとは思わなかったんですもの。それがね、いま、あのとおりやってきて、なかへいれてくれっていってるのよ。」  そのとき、また戸をたたく音がして、大きな声がしました。 [#ここから4字下げ] いちばん下のお姫《ひめ》さま どうかあけてくださいな すずしい泉《いずみ》のかたわらで きのう 約束《やくそく》したことを あなたはわすれちゃいないでしょう いちばん下のお姫さま どうかあけてくださいな [#ここで字下げ終わり]  それをききますと、王さまはいいました。 「いちど約束したことは、かならずまもらなければいけないよ。さあ、はやくいって、あけておやり。」  お姫さまは立っていって、戸をあけてやりました。とたんに、カエルはピョンととびこんできて、それからずっとお姫《ひめ》さまの足もとにくっついて、いすのところまできました。カエルはそこにすわりこんで、 「わたしもそのいすの上にあげてください。」 と、いいました。  ところが、お姫さまは、ぐずぐずしていたものですから、とうとう王さまから、そうしておやり、といわれてしまいました。カエルはいすの上にのせてもらいますと、こんどは、食卓《しょくたく》の上にのせてくれ、といいだしました。そうして、食卓の上にのせてもらいますと、 「その食卓のおさらのものを、ふたりでいっしょに食べられるように、もっとこっちへよこしてください。」 と、いいました。  お姫《ひめ》さまはそのとおりにしてやりましたが、いやでいやでたまらないようすです。カエルはいかにもおいしそうに食べていましたが、お姫さまのほうは、ひと口ごとに、のどにつかえるような思いでした。カエルは食べるだけ食べてしまいますと、 「ああ、おなかがいっぱいになって、くたびれてしまいました。さあ、わたしをあなたのおへやへつれていってください。そうして、ふたりでねられるように、あなたのかわいらしい絹《きぬ》のベッドをきちんとなおしてください。」 と、いいました。  とうとうお姫《ひめ》さまは泣《な》きだしてしまいました。むりもありません。さわるのさえきみのわるい、つめたいカエルが、こんどは、じぶんのきれいなベッドのなかにねたいなんていうんですもの。お姫さまはすっかりこわくなってしまったのです。けれども、王さまはおこって、こういいました。 「こまっているときに、たすけてくれたものを、あとになって知らん顔するのは、いけないよ。」  そこで、お姫さまは、しかたなしに、カエルを二本の指でつまんで、二|階《かい》のおへやにつれていって、すみっこにおきました。そうして、お姫さまがベッドのなかに横になりますと、またもやカエルがはいだしてきて、 「ああ、くたびれました。わたしも、あなたのように、らくにねたいですよ。さあ、わたしをそこにあげてください。もし、そうしてくださらないと、おとうさまにいいつけますよ。」 と、いいました。  それをきくと、お姫《ひめ》さまはほんとうにおこってしまいました。そして、いきなりカエルをつかみあげると、ありったけの力をこめて、壁《かべ》にたたきつけました。 「これで、らくにねむれるわよ。ほんとに、いやらしいカエルだこと。」  ところが、どうでしょう。カエルが下におちたときには、もうカエルではなくなって、美しい、やさしい目をした王子《おうじ》にかわっていました。  王子は、お姫さまのおとうさまのはからいで、お姫さまのなかよしになり、おむこさまになりました。  そこで、王子《おうじ》は、じぶんの身《み》の上《うえ》話《ばなし》をしました。その話によりますと、王子は、あるわるい魔女《まじょ》のために、魔法《まほう》をかけられていたのですが、それをあの泉《いずみ》からすくいだしてくれたのはお姫《ひめ》さまだけだったということでした。そして王子は、 「あしたは、ふたりでぼくの国へいきましょう。」 と、いいました。  その晩《ばん》は、ふたりともゆっくりやすみました。  あくる朝、お日さまがふたりをおこすころ、八|頭《とう》だての白い馬にひかれた、一台の馬車《ばしゃ》がやってきました。どの馬も、頭に白いダチョウの羽《はね》をつけて、金《きん》のくさりでつながれていました。そして馬車のうしろには、わかい王さまの家来《けらい》が立っていました。それは忠義者《ちゅうぎもの》のハインリッヒでした。  この忠義者のハインリッヒは、ご主人《しゅじん》がカエルにされたとき、それはそれはかなしみました。そしてそのかなしみのあまり、じぶんの胸《むね》がはれつしてしまわないようにと、鉄《てつ》の輪《わ》を三本、胸にはめたのでした。  ところで、この馬車は、わかい王さまを国へおつれする、おむかえの車だったのです。忠義者《ちゅうぎもの》のハインリッヒは、おふたりを馬車にのせてから、じぶんはまたうしろにのりました。そして、ご主人のたすかったことを、心のそこからよろこんでいました。  馬車《ばしゃ》がしばらく走っていきますと、わかい王さまのうしろのほうで、なにかパチンとわれるような音がしました。そこで、わかい王さまがうしろをふりかえって、大声にいいました。 [#ここから4字下げ] ハインリッヒ 馬車がこわれるぞ―― いえ いえ お殿《との》さま 馬車ではございません あれはせっしゃの胸輪《むねわ》です 殿さまがカエルになったとき 泉《いずみ》にしずんでいかれたとき かなしみなげいて はめた せっしゃの胸輪《むねわ》です [#ここで字下げ終わり]  けれども、もういちど、またもういちど、パチンという音がしました。そのたびに、わかい王さまは、馬車がこわれるのではないかと思いました。でもそれは、やっぱり、忠義者《ちゅうぎもの》のハインリッヒの胸からとびちる胸輪《むねわ》の音でした。それというのも、だいじなご主人《しゅじん》がたすかって、これからしあわせなまい日をおくられることになったからですよ。 底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社    1980(昭和55)年6月1刷    2009(平成21)年6月49刷 ※副題は底本では、「または鉄《てつ》のハインリッヒ」となっています。 入力:sogo 校正:チエコ 2020年8月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。