かけっこ ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)審判官《しんぱんかん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)Ⅲ -------------------------------------------------------  ごほうびの賞が、一つ出ました。いいえ、ほんとうは二つです。小さい賞と大きい賞の二つです。いちばん早いものが、この賞をもらえます。といっても、それは一回きりの競走で、早かったものがもらえるのではありません。一年じゅうをとおして、いちばん早く走ったものがもらえるのです。 「ぼくは、一等賞をもらった」と、ウサギが言いました。「審判官《しんぱんかん》の中に、親類や親しい友だちが、まじっているときには、よくよく注意して、正しくきめるようにしなければいけない。カタツムリくんは二等賞をもらったが、ぼくに言わせれば、これは、どうもばか[#「ばか」に傍点]にされたようで、おもしろくない」 「いや、そんなことはないよ」と、さくのくい[#「くい」に傍点]が、きっぱりと、言いました。このくいは、賞をあたえるときに、その場にいあわせた人です。「熱心さと、親切ということも、考えに入れなくてはならんからね。尊敬すべき、二、三の人たちも、そう言っていた。もちろん、ぼくも同じ考えだった。たしかに、カタツムリくんは、戸のしきいをこえるのに、半年もかかっている。だが、それでも、カタツムリくんとしては、せいいっぱい、いそいだわけで、そのために、ももの骨まで折ってしまった。カタツムリくんは、ただただ、走ることだけを考えて生きてきた。しかも、自分の家をせおって、走ったんだよ。――じつに、感心なことじゃないか。だからこそカタツムリくんは、二等賞をもらったんだよ」 「ぼくのことも、考えてもらいたかったですね」と、ツバメが、口を出しました。「まず、とぶことと、くるりと回ることについては、ぼくより早いものは、いないはずですからね。それに、ぼくは、どんなところへもとんでいっているんですよ。遠い、遠いところまで!」 「そのとおり。それが、かえって、きみの不幸なんだよ」と、さくのくいが、言いました。「きみは、あんまりとびまわりすぎるよ。寒くなりはじめると、いつもきまって、この国からどこかへ行ってしまう。きみは、自分の生れた国を愛するという、気持を持っていない。それで、きみは、考えにいれてもらえなかったんだよ」 「じゃあ、もしぼくが、沼の中に、一冬じゅうじっとしていて、ずうっと眠っていたとしたら、そしたら、ぼくも考えてもらえるんですか?」と、ツバメはたずねました。 「もし、沼のおかみさんが、たしかに、『きみは、一冬の半分を、この生れた国で眠ってすごした』と書いてくれるんなら、きみも考えてもらえるよ」 「ぼくには、一等賞をもらう、ねうちがあったんだ。二等賞をもらうべきじゃない」と、カタツムリが言い出しました。 「ぼくは、ちゃあんと知ってるよ。ウサギくんが早く走るのは、おくびょうだからなんだ。あの人は、危険が近づいたと思うと、むがむちゅうで走りだすんだ。ぼくは、ちがう。ぼくは走ることを、一生の仕事にしてきたんだ。あんまり、仕事にむちゅうになりすぎて、このとおり、かたわものになってしまったくらいだ。もし、だれかが一等賞をもらうとすれば、それはこのぼくのほかにはない。――  しかし、そんなことで、ぼくは、けんかをしたくはない。そういうことは、だいきらいだから」  こう言って、カタツムリは、つばを、ぺっとはきました。 「賞は、どちらも公平に考えられて、あたえられたものだ。すくなくとも、それをえらんだときの、わたしの投票は、公平なものだった。これだけは、はっきりと言える」と、年とった森の測量標《そくりょうひょう》が言いました。この人も、審判官のひとりだったのです。「わしは、仕事をするとき、いつも順序正しく、計算したうえで、よく考えてする。名誉なことに、わしはこれまで、すでに七回、賞をあたえるのに立ちあってきた。だが、一度も、わしの考えどおりになったことはない。  わしは、ものをわけあたえるときには、あるきまったところから、はじめるようにしている。この場合、一等賞にたいしては、アルファベットのはじめのほうからかぞえていく。二等賞には、反対に、終りのほうからかぞえていくのだ。  さて、よいかな。よく注意して、聞いていてくれたまえ。アルファベットを、最初のA《アー》からかぞえていくと、八番めの文字はH《ホー》となる。つまり、ウサギ[#横組み](Hare《ハーレ》)[#横組み終わり]くんの、かしら文字のH《ホー》だ。そこで、わしは、ウサギくんを一等賞ときめたのだ。つぎに、おしまいのほうからかぞえる。八番めの文字はS《エス》だ。そこで、カタツムリ[#横組み](Snegl《スナイル》)[#横組み終わり]くんを二等賞ときめたのだ。  こういうわけだから、このつぎのときは、一等賞はI《イー》、二等賞はR《エル》、ということになる。  なんにしても、ものごとには、順序というものがなくてはいかん。かならず、よりどころになるものが、必要なのだ」 「ぼくが、もし、審判官でなかったら、自分自身に投票していたよ」と、ラバが言い出しました。  この人も、審判官だったのです。「ただ、早く走るということだけでなく、ほかのことも、考えにいれなければいけない。たとえば、どのくらいのものをひっぱることができるか、といったふうに、どんな性質を持っているかをも、考えるべきだ。しかし、今度は、それをとくべつ強く、言いはりはしなかったよ。ウサギくんの、頭のいい逃げかたにしてもね。なにしろ、ウサギくんときたら、さっとわきにとびこんで、うまく人間をごまかして、自分のかくれているところから、とんでもないほうへ、行かせてしまうんだから。  いや、そんなことではなく、大ぜいの人が、注意しているものがある。しかも、それは、じっさい、見のがしてはならないものだ。つまり、美しさといわれているものさ。そこに、ぼくは目をむけた。ぼくは、かっこうよくのびた、ウサギくんの美しい耳を見た。じつに、長くて、見ているうちに、ぼくは、心から楽しくなった。まるで、小さいときの、ぼく自身を見ているような気持さえした。そこで、ぼくは、ウサギくんに投票したんだよ」 「まあ、お静かに」と、ハエが言いました。「いや、いや、わたしは、なにも、おしゃべりをしようというのではありません。ただ、ちょっと、お耳に入れておきたいことがあるんです。  いいですか。わたしは、一度も二度も、ウサギさんを追いこしたことがあるんですよ。ついこのあいだも、いちばん若いウサギさんの、あと足を折ってしまったんですよ。そのとき、わたしは、汽車のいちばん先頭を走る、機関車の上に乗っかっていました。じつは、ときどき、そうするんですがね。だって、自分の早さを知るのには、そうするのが、いちばんですからね。  だいぶ前から、若いウサギさんが、機関車の前を走っていました。ウサギさんのほうでは、わたしがいるのには、気づいていなかったようです。とうとうしまいに、ウサギさんは、わきへ、よけなければならなくなりました。ところがそのひょうしに、機関車のために、あと足を折られてしまったんです。もちろん、わたしが機関車の上にいたからですがね。ウサギさんは、そこにたおれたままでいました。わたしは、ずんずんさきへ走っていきました。  これだけ言えば、わたしがウサギさんに勝ったことは、はっきりしているでしょう。だからといって、わたしは、賞をくれとは、いいませんがね」 「あたしは、こう思うわ」と、野バラは、心の中で考えました。でも、口に出しては言いませんでした。野バラの性質では、心に思っていることを、なんでも言ってしまうのが、いやだったのです。でも、この場合は、言ったほうがよかったでしょう。 「あたしは、こう思うわ。お日さまの光こそ、名誉の一等賞をもらうべきだわ。それから、二等賞も、いっしょにね。  お日さまの光は、お日さまからあたしたちのところまで、はかることもできないほどの、遠い遠い距離を、あっというまに、とんでくるんですもの。それに、その光はとっても強いから、その光で自然のすべてのものが、目をさますんですもの。それから、美しさも持っているわ。だからこそ、あたしたちバラの花は、きれいな、赤い色にそまって、よいにおいを出すようになるんだわ。  それなのに、えらい審判官たちは、それにはちっとも、気がついていない。もしもあたしがお日さまの光だったら、ひとりひとりに、うんと光をあてて、日射病《にっしゃびょう》にしてやるのに。でも、それだけなら、ただ気が狂うだけね。そんなことをしなくったって、どうせみんな、狂ってしまうでしょうもの。だから、あたしは、なんにも言わないでいましょう」  野バラは、なおも考えました。 「森の中の平和! 美しい花にあふれ、すがすがしいかおり[#「かおり」に傍点]にみちた美しさ! 伝説に生き、歌に生きるよろこび! でも、お日さまの光は、あたしたちのだれよりも、長く長く生きのこるのだわ!」 「一等賞は、なんだね?」と、ミミズがたずねました。いままで眠りこんでいたのですが、やっといま、はい出してきたのです。 「キャベツ畑に、自由に、出入りできることだよ」と、ラバが言いました。「この賞は、ぼくが言い出したものなんだよ。ウサギくんは、その賞をもらわなければならんし、また、もらうべきだよ。なにしろぼくは、よく考え、よく仕事をする審判官として、賞をもらうもののために、いっしょうけんめい考えたんだからね。だから、ウサギくんのことは、もうだいじょうぶ。  カタツムリくんのほうは、石垣の上にすわって、コケやお日さまの光をなめてもよい、ということになったんだ。それに、近いうちには、かけっこの審判官のひとりにも、えらばれることになっている。かけっこの早いカタツムリくんのような人が、審判官の仲間に加わるということは、まったくいいことさ。  ぼくは、はっきりと言っておくが、これからさきを、たいへん楽しみにしている。なにしろ、はじまりが、こんなにすばらしいんだからねえ」 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集Ⅲ)」新潮文庫、新潮社    1967(昭和42)年12月10日発行    1981(昭和56)年5月30日21刷 入力:チエコ 校正:木下聡 2020年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。