幽霊屋敷の殺人 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)龍介《りゅうすけ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)時々|深夜《よふけ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)‼ ------------------------------------------------------- [#3字下げ]謎の白堊館[#「謎の白堊館」は中見出し] 「どうだね龍介《りゅうすけ》!」  晩餐のあとの珈琲《コーヒー》を啜《すす》っていた春田博士《はるたはかせ》は、龍介少年を見ながら、読んでいた新聞紙を投げだして話しかけた。 「近ごろ例の謎の白堊《はくあ》館事件というのが、ばかに新聞で騒がれているが、あれは全体どんな事件だったのだね?」 「ああ、あれですか?」  龍介少年は食後の林檎《りんご》を噛みながら答えた。 「あれは近頃にない面白い事件なんです、父様《とうさん》。なんでも松川源二という工学博士が、芝区白金三光町の自分の邸《やしき》で、奇妙な方法で殺されたのですがね、それが妙なことには、殺される一週間ほども前から、召使の下男の吾郎という男に俺《わし》は幽霊に殺される! ということをくり返していっていたと云《い》うのです。そして下男の吾郎も、それから時々|深夜《よふけ》の邸内を白い背の高い幽霊が、ふわふわと歩いているのを見たといいます。博士は九月八日の深夜《よふけ》書斎で殺されたのです。その時、博士が撃った拳銃《ピストル》の音で眼をさました吾郎が、駈けつけると、扉《ドア》の閉まっている書斎の中から、背の高い白い幽霊がふわふわと脱《ぬ》け出てきて暗い廊下を応接間の方へきえていったというのです。ぶるぶる顫《ふる》えながら吾郎が、厳重な、扉《ドア》の鍵をこじあけて書斎へ入って見ると、博士は深|椅子《いす》にかけて、片手に拳銃《ピストル》を持って死んでいました。それが又妙なことには、警察から医者が駈けつけて調べた結果によると、額に何かでちょっと突いたくらいの痕《あと》があるばかりで、どこにも命をとられるような重傷がないのです。――幽霊を間近に見たので、恐怖の余り心臓麻痺を起して死んだのだろう――と警察医は診断しました。しかし、勿論警察の人々はそんな夢のような話を信用することはできないので、博士の体を帝大医科で解剖しましたが、結果は同じで、内部にも別に変ったことはないのです。そこで下男の吾郎を厳重に調べましたが、この男は長年の間博士につきそって、いつも自分一人で博士の面倒をみていた忠僕だということが分っただけでした。――博士は下男と共に、三月ほど前に、本郷の方から現在の邸へ移ってきたもので、この邸へ移る時、吾郎を相手に口癖のように、『今度の家へゆけば、俺《わし》はかならず大金持になってみせるぞ、そうすればお前にもたくさん分けてやるからな!』と云っていたそうです」 [#3字下げ]松川理学士現わる[#「松川理学士現わる」は中見出し] 「なる程」と博士が頷いた。「面白い事件らしいが、だいぶ複雑しているな!」 「僕ぁ大へんこの事件は面白いと思っているんです、ちょっと待って下さい」  そういって龍介少年は席を立った。 「僕、二三日前から、この事件について調べあげたノオトがありますから、それをすこし父様《とうさん》に、お話ししてみましょう!」  そして、自分の部屋へ去ったが、すぐ一冊の部厚な雑記帳を持ってきて、それを繰りながら話しつづけた。 「ねえ父様《とうさん》、僕、一昨日《おととい》と昨日とまる二日、上野の図書館で調べたのですが、それによると、あの博士の殺された白堊館では、今度までにもう八人も人が殺されているんです。あの白堊塗《チョウクぬり》の洋館が建てられたのは、明治三十年ごろのことですが、家が建って半年ばかりの後、その家の主人が行方不明になってしまった。それからというものは、移ってくる人がある度《たび》に、必ず怪しいことが起って、殺されるか行方不明になってしまうので、遂《つい》には魔の邸といわれて住む人もなくなり、荒れに荒れたまま放られてあったのですが、それを博士が三月前に安く買取《かいと》って移ったのです」 「八人も同じ邸で殺人事件があったって?」 「そうです。ねえ父様《とうさん》! これで事件はますます面白くなってきたでしょう?」 「うん、しかし、どうもすこし複雑すぎるな、子供のお前には無理な事件だよ!」 「そうでしょうか、けれど、僕はこの事件を解決してみたいと思いますよ」  話しあっているところへ、書生が一枚の名刺を持って、龍介に客のあることを知らせた。 「大至急お眼にかかりたいと申されまして」  名刺には「理学士、松川捨三」と、印刷してある。龍介は二三度その名を口の中で呟《つぶや》いたが、急に悦《うれ》しそうに叫んだ。 「父様《とうさん》、とうとう事件は僕の出動を促してきましたよ。よろしい、通してくれ給え」  書生が去ると、龍介はなにか深く考えるように室《へや》の中を歩きまわった。 「誰だね、訪ねてきたのは?」 「理学士、松川捨三……殺された博士の、そうですね、多分弟か、でなければ従弟《いとこ》くらいのところでしょう」  そして、決心したように、大股に部屋を出ていった。 [#3字下げ]殺された原因![#「殺された原因!」は中見出し] 「私が松川捨三と申します」  応接間に待っていた男は、龍介を見ると、龍介が案外に小さな子供なので驚きながら、それでも叮嚀《ていねい》に挨拶した。 「どうぞ用件を話して下さい!」  龍介は鉛筆とノオトを引寄《ひきよ》せながらいった。 「簡単に申しますと!」と松川理学士も、相手が子供に似合わぬ確《しっか》りした容子《ようす》なのに幾分力を得たらしく、膝を乗り出していった。 「実は、私は博士の弟ですが、どうかして兄の殺された原因がしりたいと思うのです。そして、出来たら殺した犯人を探しだしたいので、貴方《あなた》のお力を借りに伺ったのです」 「宜《よろ》しい!」龍介は考え深い容子で、はっきりと答えた。 「貴方《あなた》のお力になりましょう。そうですね、僕はさっそく明日の午前十時、白堊館へまいります。又そこでお眼にかかりましょう!」 「何か用意するものがございますか?」 「そうですね、僕ぁ昼飯には厚肉のテキが頂きたいんです、松川さん」  龍介は笑った。松川理学士もさそわれて、 「承知しました。御馳走をたくさん拵《こしら》えてお待ち申します!」笑いながら立ちさった。  その夜龍介は殆《ほとん》ど二時ごろまで勉強部屋に籠《こも》って、古い江戸地図と首っ引にいろいろな書物を夢中で調べていた。 [#3字下げ][#中見出し]これだ‼ 黒い羽根‼[#中見出し終わり]  翌日の午前十時、龍介は芝区白金三光町の白堊館にきていた。  松川理学士は既にきていて、先に立って龍介を案内しながら、いろいろと説明につとめた。  白堊館は別の図にかいたように、応接間と書斎にわかれて建っていた。書斎の方は二階建で下には室が三つあり南の端の部屋に下男の吾郎が住んでいた。二階は博士の書庫になっていた。 [#白堊館の見取図(fig59106_01.png、横255×縦195)入る]  松川理学士は、龍介を導いて博士の殺された書斎へ入った。 「ここで兄は殺害されたのです!」 「博士の死んでいたのはこの椅子ですね?」 「そうです、その椅子です」 「まだこの室《へや》は掃除してないでしょうね」 「ちっとも手をつけてありません」  龍介はすっかり緊張した容子で、博士の深椅子を中心にして、熱心に室内を調べはじめた。  椅子から卓子《テーブル》、書棚、煖炉《だんろ》。窓にいたるまで、猫のように這いまわって調べたが、なにも得られなかった。 「何か証拠になる物でもありますか」  松川理学士が待ちかねて訊《き》いたが、しかし龍介はそれには答えないで、ふと入口の扉《ドア》の上にある小さな廻転窓に眼をつけた。  それは小学校の教室の入口の扉《ドア》の上にあるような、小さな廻転窓であった。 「ちょっとすみませんが下男をよんできて下さいませんか」と龍介がいった。 「呼んでまいりましょう!」理学士はすぐに去った。  松川理学士が去ると、龍介は鼠のように素早く、椅子をひきよせてその上に乗り、扉《ドア》の上の廻転窓を調べた。 「あった!」小さく叫んで龍介が窓の枠から摘《つま》みあげたのは、黒い一枚の柔かい羽根だった。 [#3字下げ]皇国の興廃此一戦[#「皇国の興廃此一戦」は中見出し] 「そろそろ緒口《いとぐち》がみつかるぞ!」  そう呟きながら、大急ぎで椅子を元に戻した時、ちょうど理学士が下男をつれて戻ってきた。 「私が吾郎でございます!」  そういって下男の吾郎が、龍介の前に立った。見たところ五十余の頑丈な男で、妙に眼が鋭く、鼻がとがってなんだか凄い顔だった。 「君は博士の拳銃《ピストル》の音で駈けつけた時なにかその外《ほか》に音がしたのを聞いたろう⁉」  龍介はきっぱり、きめつけるようにいった。 「何か音って……別に」 「いや、たしかに何か音がしたろう、白い幽霊が何かいっていただろう?」  龍介は眼ひとつ動かすのも見逃がすまいと、鋭く吾郎を睨みながら突《つっ》こんだ。 「ええ、ええ、そういえば、なにか幽霊がいっていましたっけ」  吾郎は何となく凄い顔に、にんまりと冷めたい笑を浮かべながらいった。 「その時、私《わし》や吃驚《びっくり》してね。なにしろちゃんと閉まってる部屋から白い幽霊がすっと出たんで、胆《きも》がでんぐり返ったかと思いやしてね、ぶるぶる顫えながら見てやしたら、その幽霊め(ごろうきたかい)と三度云いやした。そして暗い廊下の隅の方へ消えてしまいましただ……」 「よし結構! もういいから出ておくれ!」 「へい!」吾郎はじっと龍介を睨《にら》んでぐずりぐずりと室《へや》を出ていった。  しかし、吾郎は間もなく引返してきて、のろくさした調子でいった。 「そいから……役に立つかなんか知んねえけど、旦那様ぁいつも、その壁にかけてある額の字を見ちゃあ、これさえ分かったらなあって、云っていらっしゃりましたよ」  龍介は教えられた額を見た。それは日本海大海戦の画《え》で、その画《え》の上部に黒く片仮名で「クワウコクノコウハイコノ[#「ノ」に丸傍点]イツセンニアリ」と書いてあり、「コノイツセン」というノの字に、赤で・《てん》が打ってあった。  その次には「日は東より出《い》でて西に入り、水は北より南に流る」と書いてあった。  龍介はそれをていねいにノオトに写しとった。 「では、すみませんが、庭を見せて頂きます」  龍介はそういって書斎を出た。  庭には別に注意するようなものはなかった。ただ吾郎の部屋の外へきた時大きな鳥籠があって、中に鶏ほどもある珍しい南洋の大鸚哥《おおいんこ》がいるのを見つけた。 「おや、珍しい鸚哥《いんこ》をもっているね、誰のだね?」龍介が吾郎をふり返って訊いた。 「ああ、それや私《わし》がのです、捨三様が私《わし》に下さったのです」吾郎が答えた。 「それは三年ばかり、以前に、私が南洋から持って帰ったもので、今は馴れていますが非常な猛鳥で、怒ると犬や犢《こうし》ぐらいは啄《つ》き殺します」 「そうですか、怖いですね」  云いながら、何気なく龍介は鳥籠の扉《と》に触れたとたんに、どうしたのか扉《と》が明《あ》いて、 「ぎゃ! ぎゃ! ぎゃ!」と叫びながら大鸚哥《おおいんこ》が飛びだしたかと思うと、恐ろしい勢《いきおい》で龍介に躍りかかった。 「はっ!」と思って身を沈める、とたんに、幸いにも傍から松川理学士が素速く手を伸ばして、大鸚哥《おおいんこ》を抱きとめたので、龍介は怪我をせずにすんだ。 「ああ驚いた、凄いですねえ!」  さすがの龍介びっくりして、額の汗を拭きながら、苦笑をもらした。 [#3字下げ]謎の文字の苦心[#「謎の文字の苦心」は中見出し]  その夜、春田家の晩餐には、一家が揃っていた上に、黄色金剛石頸飾《イエローダイヤくびかざり》事件の林田子爵も客にきていたので、賑やかだった。 「伯父《おじ》さんに伺ったらわかると思うんですが」  晩餐後の珈琲《コーヒー》を啜りながら、龍介がいった。 「伯父さんの家はたしか旧長谷川|出羽守《でわのかみ》侯の藩士でしたねえ」 「そうだよ。何かあるのかね」 「長谷川侯の家老に、たしか勝浜という家老がいたはずですが、明治になってからどうなったか、ご存知ないですか?」 「ああ勝浜か、彼奴《あいつ》は悪者でねえ、藩侯の金を二万両ばかり、どこかに隠匿して逃げてしまったよ。ずいぶん探がしたが行方不明のままだった」 「そうですか、どうも有難《ありがと》うございます」 「なんだね……」  と、林田子爵は笑いながらいった。 「また何か名探偵が事件を解決しようというのかね?」 「ああ龍介はね」と、博士が傍からいった。「あの白堊館の幽霊殺人事件に手をつけているんですよ」 「ほうそれは大変だ、あれは警視庁でも手をやいている事件だからな、龍介にも、ちょっと解決はつくまいぜ」子爵がいった。 「ところが」、と龍介が微笑《ほほえ》みながら云った。「ところが伯父さん、僕ぁもうすっかり真相を掴んじゃったんです。また明後日《あさって》の晩までにはすっかり事件を解決して、松川博士殺害の犯人も捕縛して見せるつもりですよ!」 「本当かい龍介⁉」  子爵も父博士も驚きの声をあげた。 「本当ですとも、僕ぁ一度やるといったら、しそんじることはありませんよ!」龍介はそう云って笑った。 「まあお兄様、それじゃもうすっかり調べ終ってしまったの?」そばから妹の文子《ふみこ》が手を拍《う》っていった。「それじゃこん度は私はお役目なしなのね」 「そうだ。そういつも文子にお手伝いさせやしないよ、まあこん度は黙って見ていてごらん」  そういって龍介は立ちあがった。 「では、僕は先に失敬します。これから解かなければならぬ暗号がありますから」  そして食堂を出て、自分の勉強室へ引籠った。――本当に龍介はもう事件を解決しているのであろうか⁉ [#3字下げ]白い布で包んだ荷物[#「白い布で包んだ荷物」は中見出し]  突如! 明《あく》る朝から龍介の大活躍がはじまった。  例によって黙って、ぽつりとも物をいわずに、自動車で警視庁へいったかと思うと、疾風のように帝大医科へ乗りつけた。そして、一度外へ出ると妙なことには蝋細工屋をたずねて、腕利きの細工師を一緒につれて医科大学へ戻った。龍介と蝋細工師は医科大学の教室で半日暮らして、午後二時ごろ、白い布に包んだ五尺ほどの荷物を持って大学を出た。  大学を出た龍介は、荷物を持って自動車であの拳骨《メリケン》壮太の家を訪ねた。 「やあ坊っちゃん、よくいらっしゃいました」  壮太は、龍介がわざわざ訪ねてくれたので大|悦《よろこ》びで出迎えた。龍介は怒っていった。 「おいおい又坊っちゃんていったな、じゃもう友達じゃないぞ、失敬な!」 「やあ、御免なさい、御免なさい、つい忘れちゃったんです、もう云いませんから勘弁してください」  壮太は頭をかきかきあやまった。 「よし、じゃあ今度だけ赦《ゆる》してやる、ところでねえ壮太君、実はまた面白い事件で君に頼みたいことがあるんだ」 「やあそいつは素的ですね、どんなことでもやりますよ」 「まあちょっと耳をかしたまえ」  龍介はそういって、壮太の耳に口をよせてなにかしばらく囁いていたが、 「ね、分かったろう?」 「ようござんす、幽霊って奴あ私《あっし》ゃあんまり好きじゃありませんが、坊っ……じゃねえ春田さんと一緒ならやります!」 「じゃ頼んだよ、いいかい、ちょうど八時にだぜ!」  そう固く約束して、龍介は白い布で包んだ荷物を壮太にあずけて、ふたたび自動車を警視庁へ走らせた。  その日、晩餐後七時ごろ龍介は徒歩でぶらりと白堊館を訪れた。主人《あるじ》を失った白堊館には、下男吾郎がただ一人寂しそうに夜を守っていた。 「すこし調べることがあるから!」  そういって博士の書斎へ入った龍介は、五分ばかりすると、手紙を持って出てきて、「すまないがこの手紙を松川理学士に届けてくれ、そして返辞を貰ってくるんだ」といいつけた。 「へい、行ってめいりやすだ」  吾郎は手紙を受取《うけと》ると、ぐずくさと白堊館を出ていった。ちょうど時計が八時をうっている時だった。  吾郎は表門からでてゆくと、反対に裏門から拳骨《メリケン》壮太が、白い布で包んだ細長い荷物を持って忍びこんできた。  そして、三十分ほどして、吾郎が松川理学士の返辞をもって帰った時には、最早壮太の姿はなく、龍介は書斎でしきりになにか考えごとをしていた。理学士の返辞を受取ると、龍介はあけて見もせず、引裂いて、白堊館を出た。 「さあ、いよいよ明日だぞ!」  門を出た龍介は愉快そうに叫んだ。 [#3字下げ]白堊館の夜[#「白堊館の夜」は中見出し]  その翌日、午前中龍介は警視庁に電話をかけて「九時までに約束どおり!」と、念をおしていた。それから拳骨《メリケン》壮太を呼んで、くりかえしくりかえし、 「僕が合図するまでにはどんなことがあっても出てきてはいけないぞ!」と、何事か命令した。  かくて、いよいよその日の午後十時三十分である。闇の中を走ってきた自動車が一台、白堊館の前に停まった。それは龍介との約束によってやってきた松川理学士だった。  勝手知った亡き博士の書斎へきてみると、すでに龍介少年は来て待っていた。二人は軽く挨拶して席についた。 「松川さん!」まず龍介が口をきった「実はこの白堊館について、大変な秘密が発見されたのです‼」 「大変な秘密?」理学士はきらりと眸《め》を光らせながら、ひと膝乗りだした、 「それは全体何ですか⁉」 「これなんです!」そういって龍介は一枚の紙片を差し出した。それは例の日本海海戦の画《え》に書きつけてあった謎の文字のノオトである。 「これがなんで秘密なんですか?」 「これはね、この邸の敷地のある場所に、莫大な金貨を埋めた秘密の案内図なんです!」 「莫大な金貨⁉」理学士はごくっと唾をのんだ。 「そうです、約二万円ばかりの現金です!」 「で、どこに埋まっているか分かったのですか、え、春田君⁉」 「まあお待ちなさい、どうしてこの邸の下にそんな金貨が埋めてあるか、そのわけを先にお話しする方がよいと思います」そこで龍介は話を始めた。  この邸は、古い江戸地図を調べてみると、元長谷川出羽守侯の下邸のあった場所である。長谷川家では維新後間もなく、元家老をしていた勝浜主膳という者が主家の金二万両をどこかに隠匿して逃げた。そんなことがあって、いつか、この下邸は潰れて荒地になっていたが、二十年ほどして或る人が買取って家を建てた。それが勝浜主膳の身寄りの者であったらしい。  しかし、勝浜が二万両をどこかに隠していることを知っていた者があってこの家の敷地に埋めてあるに相違なしと目星をつけ、この家に棲む者を殺しては、その金を掘り出そうとしたのであった。 「どうです松川さん、僕の推察は当たっていると思いませんか?」 「で、この暗号が分かったのですか、春田君?」松川理学士は急《せ》きこんで話を進めようとする。 「分かりました。極《ご》く簡単なんです、ごらんなさい、クワウコクノコウハイコノ[#「ノ」に丸傍点]イツセンニアリという十九字の中に、ノの字に赤・《てん》の打ってあるのがありましょう、つまり十九字の中のノ[#「ノ」に丸傍点]のある場所に、その金が埋まってるんです」 「そりゃ分かっているが、その十九字が何を意味しているんだか分からん」  理学士はますます急きこんでくる。 [#3字下げ][#中見出し]あッ‼ 白い幽霊[#中見出し終わり] 「そうです、その十九字が問題です」 「分からないのですか?」 「いや分かりました。つまりそれはこの白堊館の大柱の数なんです!」  理学士は思わず驚きの叫《さけび》をあげた。 「僕はすぐに調べてみたら、大柱の数はきっちり十九です、つまりこの大柱の内のノ[#「ノ」に丸傍点]の字に当る場所に、二万両の金貨が埋めてあるわけなんです。さて今度はそのノ[#「ノ」に丸傍点]の字の柱がどれかを探し出すのですが、これはごく簡単に分かりました。この白堊館は東向きに建っていますね。そして、あの額に(日は東より出でて西に。水は北より南に流る)と謎のような言葉があるでしょう。あれなんです。つまり東の柱から始めて、北から南へ数えながら、西へ進んで行って、ノ[#「ノ」に丸傍点]の字のあたる柱がそれなんです。僕はそれを略図に書き出して見ました!」龍介はそういって略図を取り出して見せた。それによると、博士の書斎の内角の柱だということが、図のように云われていた。 [#柱の図(fig59106_02.png、横262×縦194)入る] 「やあ、有難う春田君、まったく君は素晴しい頭を持っていますね」理学士がそういった時、どうしたのか、突然電灯が消えた。 「気をつけたまえ、春田君‼」「大丈夫です! 燐寸《マッチ》はありませんか松川さん」  と、闇の中へ、どこから入ったかすーっと白い物があらわれた。それは入口の扉《ドア》のところに、ほとんど天床《てんじょう》に届くくらいに、高く白い長い裾を宙にふわふわさせて、ゆらりと動いている。 「あっ‼ 白い幽霊‼」龍介が叫んだ。  見よ、龍介の叫を聞くと、その白い幽霊は、隼《はやぶさ》のように龍介の顔に突っかかってきた。身をかわすひまもない。 「あっ※[#感嘆符三つ、66-17] やられた‼」と悲鳴をあげて、二三歩よろめいたが、どしんと倒れて、しっかり額を押えたまま、龍介は苦しそうに唸《うな》り出した。 「水を……誰か来て……ああ僕は死にそうだ」白い幽霊は、再びすっとどこかへ消えてしまった。あとには龍介の苦しげな喘ぎが聞えるばかりだった。  ぶきみな、しーんとした沈黙がつづいた。十分ほど経った。龍介の呻《うめ》き声も絶えてしまった。 「さて、いよいよ己様《おれさま》の福の神が拝めるわけか!」  奇怪や、松川理学士がそう呟くと、龍介には眼もくれず、略図にある書斎の北東隅の柱へ進みよった。そして床板を剥ぐために、まず敷物を捲《まく》り上げた。そして懐中電灯で板の継目を探そうとすると、そこに一枚の紙が置いてあるのを見つけた。 「おや?」理学士はそういって、その紙を拾いあげると、それには顫《ふる》えた字でこう書いてあった。 「捨三よ、よく来た、私は待っていた。私はお前に殺されたが、私もお前を地獄に引入れてやる……うしろをご覧。松川源太」  それは殺害された松川博士からきた手紙だ、死んだ者からきた手紙、――ぞっとした理学士、「…………」恐々《こわごわ》後ろを振り向いた。見よ、理学士のうしろに白い服をきて、額に小さな傷のある死人が立って、恨めし気に理学士を睨みつけているではないか、 「きゃっ‼」叫んで理学士、二歩うしろへ退《さ》がったが「赦して下さい兄さん、あなたを殺したのは悪かった。赦して下さい‼」と必死に喚いた。  とたんに龍介の声で、 「もう結構です皆様、どうぞ入ってきて下さい」そういうのが聴《きこ》えた。  ぱっと点く電灯、ばらばらと走りこんだ警官十名|許《ばかり》、驚き呆れている理学士に手錠をはめてしまった。――松川博士の幽霊は? 幽霊はぽんと抛《ほう》り出された。そしてその中からあの拳骨《メリケン》壮太が現われた。 「畜生! 騙《だ》ましやがったな」理学士が咆えた。 「騙ます者は騙まされるさ」龍介がいった「さあどうぞ松川博士殺害犯人を捕縛して下さい」  壮太は傍《わき》でふしぎそうに訊いた。 「春田さん、だけどあの白い幽霊の正体は何でしょうね」 「うんあれか、あれはね、そら庭に大きな南洋産の鸚哥《いんこ》がいたろう、あれの足に白い絹を縛りつけたのさ、分かってみれば子供騙しさ」「うへー」壮太は恐縮して頭を掻くばかりだった。  松川理学士は博士と兄弟で、共に勝浜主膳の孫だったが、博士がひとりで二万両の金の在《あり》かを探して自分の物にしようとしたので、弟の理学士が怒《いかり》のあまり、飼い馴らしていた南洋|鸚哥《いんこ》の吻《はし》に毒を塗って、兄を啄《つ》つかせて殺したのである。毒は猛烈なもので、小さな傷から入っても命を取るが、死んでから二時間経てば自然と消えてしまう秘密な毒だった。  そしてそれをごまかすために、鸚哥《いんこ》の足に白い絹の布を縛りつけておいたので、博士も吾郎も白い幽霊だといって騒いだのである。  龍介は廻転窓の枠から黒い羽根を拾ったことと、庭で鸚哥《いんこ》をみつけたが、その鸚哥《いんこ》が自分にとびかかったので理学士には馴れていることを見破った事、又、その邸が元長谷川侯の下邸の跡であり、又下邸にいた家老が二万両を隠匿して逃げたことを調べあげたので、事件解決の緒口を掴んだのである。  かくて世間を騒がせた幽霊殺人事件も、龍介の手でめでたく解決をつげた。  尚《なお》、白堊館の下に埋められてあった金は、長谷川家に戻したが、長谷川家からその内半分を龍介の研究費にと贈られたことを書添《かきそ》えておこう。 底本:「山本周五郎探偵小説全集 第一巻 少年探偵・春田龍介」作品社    2007(平成19)年10月15日第1刷発行 底本の親本:「少年少女譚海」    1930(昭和5)年9月 初出:「少年少女譚海」    1930(昭和5)年9月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:良本典代 2022年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。