黒襟飾組の魔手 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)陽《ひ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三年級|受持《うけもち》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)⁉ ------------------------------------------------------- [#3字下げ]黒い封筒の挑戦状[#「黒い封筒の挑戦状」は中見出し]  八月の午後の陽《ひ》は府立第X×中学の野球グラウンドの上に照りつけていた。  グラウンドでは三年級のティームが猛練習の最中だった。こっちのスタンドには三年級|受持《うけもち》の倉持教諭が、同僚の化学の教師と共に話していた。 「あの捕手《キャッチ》は肩も良いし、とても綺麗なプレイをするが、何という生徒だね」 「あれか、あれはそら、先月だったかC・C・D潜水艦事件で手柄をあげた、あの春田龍介《はるたりゅうすけ》だよ」 「ああ、あの少年探偵か、ふーむ」 「二年級のキャプテンをやっているんだ。とても確《しっか》りしている。秋には全国中等学校野球大会へ出るんで、この暑いのに毎日猛練習さ。あれで家へ帰ると、父さんの化学実験の手伝《てつだい》をするんだそうだからね……」  話しあっていた時――詰衿服に鳥打帽をかぶった混血児の少年が、スタンドに上ってきた。 「春田龍介君にお眼に掛りたいのですが」 「何の用だね」倉持教師が振返《ふりかえ》って訊《き》いた。 「手紙を頼まれて来たんです」混血児の少年はそういって、黒い封筒にはいった書面を見せた。 「じゃ待っていたまえ、いま練習中だからね。もうすぐ休憩になる」 「では、先生からおわたし下さい。僕ちょっと急ぎますから」  少年はそういうと、黒い封筒の書面を倉持教師にわたして、さっさと立去《たちさ》った。  と練習がすんで、全身汗みずくになった龍介が、皆と連立《つれだ》ってベンチの方へかえってきたので、倉持教師がスタンドを下りてきて声をかけた。 「やあ、諸君御苦労さん……ところで春田君、いま君にこの手紙を届けてきた者があるよ」 「そうですか、どうも有難うございます」  受取ってみると黒い封筒、なんだか妙に忌わしいような気持がする。開けて見ると白い紙へ朱色のインクでこう書いてあった。 [#ここから2字下げ] 少年名探偵春田龍介君足下。我等は貴君に警告す、我等は来る八月十八日深夜二時を期して、貴君の伯父《おじ》若林子爵家の所蔵する黄色金剛石《イエロオダイア》の頸飾《くびかざり》を奪いとるべし。貴君にもしその志あらば、我等は頸飾を中心に一騎討を試みるべし。 [#地から1字上げ]黒|襟飾《ネクタイ》組主領 [#ここで字下げ終わり] 「なーんだ、馬鹿馬鹿しい」  春田龍介はそういって、怪しの手紙を無雑作にポケットへ捻《ねじ》こむと、皆に挨拶して大股にグラウンドを立去った。 [#3字下げ]咄《とつ》! 朱色の脅迫状[#「咄! 朱色の脅迫状」は中見出し]  龍介が家へ帰ってみると、伯父に当る若林子爵家から、ぜひこっちへくるようにと電話がかかって来ていた。もしやと思ったので、龍介は自動車で出掛けた。  伯父の若林子爵は、書斎で龍介のくるのを待構えていた。そして龍介が大きな書棚を背にして深|椅子《いす》にかけると、黙って一通の黒封筒に入っている手紙をわたした。龍介は一瞬間ぎょっとしたが、受取って中をあらためた。――中は龍介が混血児からわたされたのと同じ朱色の手紙で、こう書いてある。 [#ここから2字下げ] 警告。我等は貴家所蔵の黄色金剛石《イエロオダイア》頸飾を頂戴せんと欲す。時日は八月十八日深夜二時。――しかしてこの事の事実なるを証拠だてる為、今十五日深夜二時、貴家の書斎に忍び込み、卓子《テーブル》の上に朱色の文字を書きおくべし。 [#地から1字上げ]黒|襟飾《ネクタイ》組主領 [#ここで字下げ終わり] 「これは同じ物だ!」そういって龍介は校服のポケットから、さっきの挑戦状を取り出して伯父に見せた。子爵は、それを見て顫《ふる》え上った。 「で、伯父さんはどうなさいます⁉」 「いや万一のことがあるといかんと思ったから、顧問弁護士に頼んで私立探偵を一人|顧《やと》ったよ。四時にはくるといったから、もうすぐにやってくるだろう。とにかく探偵の意見も訊いてから、どうにかしようと思っている」  龍介はひょいと深椅子から立上った。 「しかし――何故《なぜ》、此奴《こいつ》等は僕に喧嘩を吹《ふっ》かけてきたのだろうな、一騎討をやろうなんて」  龍介が独言《ひとりごと》をもらすと、子爵が傍から、 「それは分かっているさ。俺の親戚に龍介のいること、そして龍介がサルビヤ号の事件であんな大手柄を立てたことを知っているからなんだ。それでお前を子供扱いに馬鹿にして、からかってきたのさ」 「よし※[#感嘆符三つ、26-12]」龍介はしばらく考えた後決心したように叫んだ「よし、やってやろう、黒|襟飾《ネクタイ》組が勝つか、少年春田龍介が勝つか、一騎討だ※[#感嘆符三つ、26-13]」  そういったとたん、ふと気がつくと庭に面した窓の外で、今まで中の容子《ようす》をうかがっていたらしい、龍介と同年《おないどし》位の混血児少年が、さっと身を翻して走り去るところだった。 [#3字下げ]黒ソフトの私立探偵[#「黒ソフトの私立探偵」は中見出し]  時計が四時を打つと、書生が一枚の名刺を取次《とりつ》いできた。それは顧問弁護士の紹介状を持って、私立探偵|桂河《かつらがわ》半十郎が訪ねてきたのだ。  書生に導かれて桂河探偵が入ってきた。大きな男で白麻の夏服に、黒の中折をかむり、大きな色眼鏡をかけている。顔色は日に焦《や》けて黒く、髭を生やしている。ちょっと鼻にかかった声で、大変にのろくさく話した。 「じゃあ伯父さん、僕はまた明日伺います」龍介はなにを思出《おもいだ》したか、そういうと共に大急ぎで書斎をとび出した。 「さあ、急がしくなってきたぞ!」  そういって龍介は、廊下へ出ると共に、ポケットから名刺を取り出した。それは今きたばかりの桂河探偵の名刺だった。龍介はそれを見ると、 「おやおや、こんな物を持ってきちゃった」  そういって苦笑しながら玄関へ急いだ。  明《あく》る日の朝、食事の後で龍介は自動車で子爵を訪ねた。子爵もちょうど食事を終ったところだったが、龍介を迎えると、急いで書斎へ導いて、卓子《テーブル》の上を指示した。 「御覧、龍介この通りだ※[#感嘆符三つ、27-16]」  見ると卓子《テーブル》の上には、朱色のチョークで大きく、 「黒|襟飾《ネクタイ》組来る――十四日深夜二時」と、書きつけてあった。 「探偵はどうしました?」龍介が訊ねた。 「まあ、お聴き――俺と探偵は昨夜十二時にこの書斎へ入って坐った。そして窓の扉《と》にも出入口の扉《ドア》にも厳重に鍵をかって見張をしていた。一時になって、二人は紅茶を飲んだ。それから三十分も経ったろうか、二人はいつしかとろとろと居睡《いねむ》りをしていたらしい。二時を打つ時計の音でハッと気がついて見ると、探偵が眠っている、ゆり起したが、よく眠っていてなかなか起きなかった。それでもやっと呼起《よびおこ》して、行って見ると卓子《テーブル》の上に、朱色のチョークで書いてある。――すぐ調べたが、窓の扉《と》も出入口の扉《ドア》もちゃんと閉まって鍵がかかっているのだ。桂河探偵は、こんな眼に会ったのは初めてだと大変怒っていたがね」  龍介は聞き終ると、ふたたび卓子《テーブル》に書きつけられた朱色の文字を、叮嚀《ていねい》に検《あらた》めなおした。 「ふーむ、いやに下手くそな字だな。ことによると、左手で書いたかも知れぬ」  そしてなおしばらく、書斎の中を精《くわ》しく見まわった後、ちょっと出かけて来るからといって、子爵の邸《やしき》をとび出した。 [#3字下げ]又々奇怪な脅迫状[#「又々奇怪な脅迫状」は中見出し] 「よし、探偵に会って意見を訊こう!」  龍介は外へ出るとそう呟いて、昨日ポケットに納《しま》っておいた名刺を取り出した。事務所は麹町《こうじまち》区内幸町東京ビル四階とある。龍介は自動車へのると、内幸町へ向かって走らせた。  東京ビルの四階、桂河探偵事務所を訪ねると、受付に十三歳くらいの少女の給仕がいて、十時にならなければ誰も出てこないと答えた。そこで龍介は待つことにした。 「この事務所はいつごろからできたの」と龍介はお茶を持ってきた少女に訊ねた。 「存じません、私一週間ほど前にきたばかりですから」 「ああそう、探偵は何人くらいいるの?」 「さあ、桂河先生に、外《ほか》に三人ばかりと、小さな助手の人が一人だけでございます」 「有難《ありがと》う!」  少女は受付へ戻った。龍介は応接間の中でなお十分ばかり待ったが、待ち切れなくなって立上った。そして、 「昨夜《ゆうべ》の事件について御意見を伺いたくてきたが、お留守|故《ゆえ》帰る」と、置き手紙を残して事務所を立ち去った。  自動車へ乗った龍介は運転手に、 「大急ぎ! 警視庁へやってくれ給え‼」と、命じた。  警視庁で一時間ばかりなにか調物《しらべもの》をした龍介は、ふたたび子爵邸にあらわれた。子爵はあわてて、 「ああ良いところへきた。龍介ご覧、また朱色の脅迫状がやってきたよ」  出されたのは同じ黒の封筒。見ると、中には朱書きで、 [#ここから2字下げ] 警告第二。我等は再び今十六日深夜二時貴家書斎に現わるべし、しかして西側の壁に朱色の証拠を残すべし、もしこの事を警察に告ぐる時は一家残らず惨殺すべきもの也《なり》。 [#地から1字上げ]黒|襟飾《ネクタイ》組主領 [#ここで字下げ終わり] 「ふん、なかなかやるな、畜生※[#感嘆符三つ、30-5]」  龍介はそう呟いて、脅迫状を戻すと、また何もいわずに、とっとと書斎をとび出した。 [#3字下げ]闇に躍る怪しの影[#「闇に躍る怪しの影」は中見出し]  拳骨《メリケン》壮太が、大きな拳骨を振りながら、どすんどすんと足音を響かせて龍介の家へやってきたのは、その日の暮方であった。 「坊っちゃん、お手紙を頂きました。何か御用だそうですね」 「気をつけ給え壮太君、こん度坊っちゃんなんていったらそれっきりだ。それで友達の縁を切るから、そのつもりでいてくれ給えよ!」  そう云《い》われると、拳骨《メリケン》壮太は頭を掻いて恐縮した。 「ところで、今夜どうしても君に力を借して貰いたい事が起ったのだが、どうだろう」 「ええ、ようござんすとも。私《あっし》にゃ学問のことは分らねえが、鬼の一疋《いっぴき》や二疋ぶち殺す役ならいつでも引受《ひきう》けますよ」  大きな拳骨を振り廻して見せる、龍介は笑って、 「よし‼ じゃあまあ夕飯を一緒に食べながら話をしよう、出掛けるのは夜中だから」  そして龍介は夕食を壮太と共に食べながら、何事かひそひそ話しこんだ。  二人が家を出たのは夜中の十二時、歩いて若林子爵邸の裏へまわると、反対側の邸の黒板塀の蔭へ、二人ともぴったりと身をよせた。 「さあ壮太君、この香水を顔や足に塗りたまえ、蚊に喰われて物音でも立てると鬼は逃げてしまうからね」  壮太はわたされた香水を塗って、ほとんど地面に跼《しゃが》みながら待っていた。十分――二十分。 「一時だ」龍介が腕時計を見て呟《つぶや》いた。それから又十分――二十分。と――突然龍介が、ひくく「そら来た!」と囁《ささや》いた。  指示《ゆびさ》す方を見ると、子爵邸の中から、塀を乗越《のりこ》えて出てきた怪しの人影! しばらく四辺《あたり》を見まわしていたが、やがてひらりと通りへ跳びおりた。 「そら行って捉えろ!」龍介が叫んだ。  脱兎のように跳び出す壮太、今まさに逃げようとする怪漢の後ろから、襟髪をむんずと掴んで、 「えい!」肩にかけて投げようとした、とたんにどこから出たか二人の怪漢、あっ! と見る間に、後ろから太い洋杖《ステッキ》のような物で、壮太の頭を殴りつけた。 「うっ!」と、呻《うめ》いて倒れる壮太。 「やっ‼ 畜生やったな‼」と叫びざま、飛鳥のように跳び出した龍介。が⁉ しかしいつ誰がかけたか足下に張られた罠、足を巻かれてずでんと倒れる。とたんにシュッという音がして、水のようなものが顔にかかった。 「あっはははは」と笑った三人の怪漢は、闇の中へ走り去った。その中の一人、子爵邸から忍び出た小さいのが、あの混血児少年であるのを龍介は見逃さなかった。 「畜生、ひでえめに会わしやがった」壮太が起きてきて、龍介の足から針金を解きながら云った。 「ねえ、坊っちゃ――じゃねえ春田さん、奴等ぁ何か水みてえなものを私《あっし》にぶっかけましたぜ」 「あれは水じゃない、エーテルという麻酔剤だ、あれだけ嗅げば二日くらいは眠りっ切《きり》になるんだ」 「え⁉ 二日も眠ったっきりですって、冗、冗談じゃねえ、私《あっし》ゃそんななご免ですぜ」 「心配し給うな、多分こんなことだろうと思って、前にちゃんと予防しておいたんだ。さっき顔へ塗ったのは蚊除け香水じゃない。あれは麻酔剤の力を消す新しい薬なんだ。あれを塗って置けばどんな麻酔剤だって恐れることはないんだ」 「うは――。偉いなあ坊っちゃん――じゃねえ春田さんは……やっぱり私《あっし》の親分だけありますねえ」  壮太は躍りあがって手を拍《う》った。しかし龍介は鋭い眼で、きっと闇の中を睨んでいった。 「だが、これで奴等の手が分かった。あとは糸を緊《し》めて行くばかりだ!」 [#3字下げ]今夜は休養です![#「今夜は休養です!」は中見出し]  明る十七日の朝、龍介が起出《おきで》たのはまだ暗い内のことであった。起きるとすぐ、龍介は妹の文子《ふみこ》を自分の部屋へ連れこんで一時間ばかり何か話していたが、やがて文子は何度もうなずいて、固い決心の色を見せながら、そっと唯《ただ》一人、どこへともなく家を出ていった。 「さあ、急《いそ》がしいぞ!」  文子を送り出すと、そういいながら朝飯も食わずに家を出ていった。無論父の自動車を借りてである。  三十分の後龍介が帰ってきた時には、拳骨《メリケン》壮太がきて待っていた。 「遅いなあ壮太君、僕はもう一仕事やってきちゃったぜ」  壮太は頭を掻き掻き立上った。 「さあ事件はいよいよ面白くなってきた。ところで、こん度はむずかしい役を君に頼まなくちゃならないが、――実はね……」  で、又ひそひそと秘密な相談が始まった。 「よござんす! やりましょう※[#感嘆符三つ、33-14]」  聞き終ると、壮太が拳骨で胸を叩いてわめいた。 「畜生、昨夕《ゆうべ》の仕返しだ、うんとやっつけますよ、だが奴ぁ愕《おどろ》くでしょうね、うふふ」 「笑いごとじゃない。うっかりすると反対に君が愕く方へ廻るかもしれないぜ」 「なにくそッ、こん度こさあ」  そして壮太は勇気りんりんと出ていった。  龍介はそれからゆっくり朝食を執《と》って、歩いて若林子爵を訪ねた。  子爵は昨夜《ゆうべ》の疲れでまだ寝ていた。しかし龍介のきたことを聞くと、寝不足な顔をこすりながら、起き出てきた。――それを見るより龍介。 「お早う伯父さん、頭の前の方が痛みやしませんか、痛むならあとですぐ直る良い薬をあげます。――ところで、又|昨夜《ゆうべ》も黒|襟飾《ネクタイ》組はやって来ましたね、そうでしょう⁉」 「どうして、お前それを知ってる」子爵は額を揉みながら葉巻を取りあげた。龍介はつづける。 「伯父さんと桂河探偵は一時にお茶を飲んだ。それから十分ばかり経つと、疲れが出てうつらうつらと甘睡《まどろ》んだ、二時を打つ時計の音ではっと眼が醒めると、西側の壁に朱色の文字が書附《かきつ》けてあった――そうでしょう」 「そのとおりだ、全部その通りだ」 「さあこれが薬です、良い匂いのする薬ですよ。これを嗅げばあなたの頭痛はすぐ良くなります。でねえ伯父さん、今晩もう一度同じようなことがあります。そしたら明日いよいよ僕が出掛けてきますよ。明日こそ僕と黒|襟飾《ネクタイ》組とが、頸飾を中心に一騎討を始めるんです」 「今夜はきてくれんのかね龍介」  子爵は心細そうである。 「今夜はいけません、今夜は休養です、今夜は休養です」  そして、悠々として出て行った。  家へ帰ってみると、文子からの手紙がきていた。  明《あ》けて見ると、ただ簡単につぎの文字が書いてあった。 [#2字下げ]横浜市海岸通りマキシム倉庫八番 「よし、これですっかり揃った」  龍介はそう呟いて机に向かった。 [#3字下げ]探偵|大《おおい》に怒る![#「探偵大に怒る!」は中見出し]  さていよいよ八月十八日の夜、若林子爵家の書斎で、龍介と子爵は黒|襟飾《ネクタイ》組から送られた最後の脅迫状を読んでいた。 [#ここから2字下げ] 最後の警告。我等は今十八日深夜二時、貴家書斎にて黄色金剛石《イエロオダイアモンド》頸飾を受取らんとす。貴下は書斎の卓子《テーブル》の上に、頸飾を出しておかるべし、この命令に叛《そむ》く時は一家残らす惨殺すべし。 [#地から1字上げ]黒|襟飾《ネクタイ》組主領 [#ここで字下げ終わり] 「一家残らず惨殺す、か!」読終《よみおわ》って龍介は冷笑した「伯父さん、此奴《こいつ》等はこの手紙を自分たちで受取る方が本当ですよ。なぜって、奴等はもう、明日っきりの命ですからね」 「そんなこと云って龍介、お前ちゃんと計画はできているんだろうね」 「まあ見ていて下さい。ところで桂河さんは遅いですね。へぼ探偵さんは、――実際あんなへぼさんて見たことがないや」  そして龍介は大声で笑った。と、その時えへんと咳払いをしながら当の桂河探偵が現われた。正に龍介のいった悪口を聞いたのだ。大へんに御機嫌の悪い顔で、子爵にちょっと挨拶したまま、黙ってどっかりと自分の椅子へかけた。 「今晩は桂河さん」龍介はあいそよく話しかけた「貴方《あなた》はいつもそうやって帽子をかぶりっきりなんですか、家の中でも?」 「探偵という者は」桂河探偵がむっとした容子で答えた「いつどこで悪漢に顔を見知られるかも知れない、顔を覚えられては探偵するに具合が悪いから、いつもこう眉深《まぶか》に帽子をかむって顔をかくしているんだ」 「へえ――探偵ってずい分むだ骨の折れるもんだなあ」龍介は遠慮もなくいう「その癖いつも失敗するんだがなあ……」 「失敬なことを云うな、それじゃ君はこん度の黒|襟飾《ネクタイ》組の事件が解決できるかね」桂河探偵ぷんぷん怒っている。龍介は平然としていった。 「僕ですか、ああ僕なら明日の午後二時までに、黒|襟飾《ネクタイ》組を全部一網打尽に捕縛するつもりですよ」  それを聞くと、桂河探偵は腹を抱えてわはははははと笑った。そこで龍介も負けずにわはははははと笑った。 [#3字下げ]深夜の魔の二時[#「深夜の魔の二時」は中見出し]  十二時を打った。  子爵と探偵と龍介は書斎に入った。卓子《テーブル》の上へ頸飾を出しておくかおかないかについては大分争いがあった。探偵は出さない方がよいといった。龍介は出しておく方がよいと主張した。頸飾が出してないと見れば奴等は、本当に一家を残らず惨殺するかも知れない。 「いや、探偵の責任としても、頸飾を出しておくことは反対だ」桂河探偵は最後まで頑張った。  しかし子爵が自分で頸飾を出してきて、それを卓子《テーブル》の上へおいた。 「こうしておけば、万一頸飾は奪われても皆の命には別条はないから」  と、子爵がいった。  子爵と探偵は、頸飾のおいてある卓子《テーブル》を間に向合《むきあ》って坐った。龍介は窓際の長椅子に腰かけて、窓|硝子《ガラス》に身を、もたせかけていた。  一時を打った。桂河探偵が立って紅茶の支度をしようとした。そこで龍介がそれを手伝った。温かい薫りの佳《い》い紅茶茶碗が三人の手にわたった。  龍介は自分の椅子にかえった。そして時々そっと、懐中《ふところ》から例の香水を取り出しては嗅いだ。  ふと、皆が紅茶を啜《すす》る音の間に、かすかにシュー、シューという音が聞えてきた。  一時二十分――三十分。見るとまず子爵が居眠りをはじめた。それからすぐ龍介ががっくり、頭を垂れてしまった。  桂河探偵は危険を感じたのか、よろよろと立上って壁の方へいった。とたんに電灯が消えた。――闇の中で誰かが唸《うめ》いた。  暗いままで時間は経ってゆく、十分、二十分。そして時計が二時を打った。 「あっ‼」と叫んだのは子爵である、時計の音で眼を覚ましたのだ。書斎の中が真暗だから、急いでスイッチをひくと電灯がついた。  見ると龍介は窓際の椅子でぐっすり睡《ねむ》っているし、探偵は壁際に倒れている。走りよって、 「桂河さん、桂河さん」と呼びおこすと、それでもようやく我に返った容子で、 「頸飾は……頸飾はどうしました」と叫んだ。  頸飾は? ああ勿論ありはしない。卓子《テーブル》の上には紫|天鵞絨《びろうど》の筐《ケエス》がおき棄ててあるばかりだ。 「云わんこっちゃない、だから私は出さん方が宜《よ》いと云ったのだ」  探偵はもう一度吠え立てた。  二人はそれから龍介を起こしたが、龍介はなかなか起きなかった。肩を掴んで揺りたてるようにして、五分ばかりかかった後やっと眼をさました。 「や、こりゃきっと、麻酔剤をかけられたんだ」  探偵が叫んだ。龍介はまだねぼけ声だ。 「頸……頸飾は無事ですか……」 「君のおせっかいで、綺麗に奪《と》られちゃったよ」探偵は忌々しそうに呶鳴《どな》りつけた。 「それでも黒|襟飾《ネクタイ》組を一網打尽にすると云うんかね、小僧君」  龍介はよろよろと起上ってねぼけ声で、 「ああよく睡《ねむ》った。伯父さん、大丈夫ですよ心配しなくても。明日、明日僕が取返してきてあげますよ、本当だ……ああ睡い」  そういいながら、又どっかり長椅子に坐り込んで、ぐうぐう眠りこんでしまった。 [#3字下げ][#中見出し]意外‼ 探偵とは嘘の皮[#中見出し終わり]  その翌日。龍介は午前十時に、麹町内幸町の桂河探偵の事務所を訪ねていた。  受付には少女の給仕がいた、しかし先日の少女とは違っていた。龍介は給仕に導かれてゆきながら、低く独言をいった。 「すっかりできているかい……」  少女の給仕はちょっと立停まって、 「左様でございます」といってすぐ「先生のお部屋はここでございます」と附加《つけくわ》えた。  龍介は扉《ドア》を叩いて室《へや》の中へ入った。入る時小さな紙片と、黒い封筒に入った物を落した。少女の給仕はそれを拾うと、素速く懐中《ふところ》へ入れて受付へかえった。  龍介は室《へや》へ入った。事務室に桂河探偵がいた、例によって帽子を冠《かぶ》ったまま大|卓子《テーブル》に向かって何か書物《かきもの》をしていた。 「お邪魔します桂河さん」龍介が挨拶した。 「ああどうぞ、ちょっとお待ち下さい、いま手紙を一通書いてしまいますから」  書き終ると探偵はそれを封筒にいれて、呼鈴を押した。少女の給仕がくると封筒をわたして、 「もう五分もすると、いつもの子供がくるから、この手紙をわたしてくれ。それでよろしい」  そういって給仕を室《へや》から出した。 「やあ失礼、ところで、なにか御用ですかね」 「そうなんです、朝早くから失礼ですが、至急お願いしたいことがありましてね」 「なる程。で、その用というのは」 「黄色金剛石《イエロオダイヤモンド》の頸飾が頂きたいんです※[#感嘆符三つ、40-9]」 「な、なに※[#感嘆符三つ、40-10]」  桂河探偵は顔色を変えて突立《つった》った。 「そんな芝居はたくさんですよ。僕ぁちゃんと見抜いていたんだ探偵。貴方《あなた》のなさることはまるで子供|騙《だま》しでしたね。おとなしく頸飾を返した方が徳ですぜ」 「なる程、なる程、なる程※[#感嘆符三つ、40-14]」  桂河は喘ぎながら、やおら席を離れた、そして静かに出入口の扉《ドア》に近寄ると、とっさに扉《ドア》へ鍵をかけた。そしてまた静かに元の席に戻って、立ったまま屹《きっ》と龍介を睨《にらみ》つけた。 「小僧‼ 貴様の云うことはそれだけか」  探偵の態度はがらりと変った。 「まだある!」龍介はちっとも騒がず、にやにや笑いながら、探偵を見ていたが、不意に相手の鼻先を指示して叫んだ。 「帽子を脱《と》れ‼ ビショップ、ヤンセン、額には大きなあざ[#「あざ」に傍点]があるはずだ※[#感嘆符三つ、41-3]」 「あっ‼」  探偵は一歩後ろへ退《さ》がると共に、抽出《ひきだし》から取り出した自動|拳銃《ピストル》を龍介に向けた。 「畜生、小僧め、看破《みやぶ》ったなあ、もうこうなれば何も彼《か》もぶちまけてやる。己《おれ》は復讐に来たんだ。サルビヤ号事件では、よくもよくも己《おれ》をやっつけたな。己《おれ》はそれが口惜《くや》しさに、脱獄して貴様に挑戦状を送ったんだ。そうとも知らずうかうかここまでやってきたのは、飛んで火に入る虫けら同然だ――さ、神様のお名前でも唱えろ、五ツ勘定する内に貴様はお陀仏《だぶつ》だぞ※[#感嘆符三つ、41-9] いいか、一ツ二ツ三ツ……」  あわや、龍介虎穴に入って、危機一髪! [#3字下げ][#中見出し]馬鹿‼ 拳固《メリケン》壮太だ[#中見出し終わり]  その時龍介は静かに口をきった。 「ヤンセン、貴様は僕に一騎討をしようといってきたな。だがこの一騎討はたしかに僕の勝だぞ!」 「何だと⁉ 小僧――」 「見ろ、貴様の拳銃《ピストル》には弾丸《たま》がないぞ」 「なに⁉」  あわてて拳銃《ピストル》を振って見たが、ヤンセンの顔はさっと蒼くなった。そして気違いのように抽出《ひきだし》中の拳銃《ピストル》を取り出してみたが、これはどうだ、どれもこれも弾丸《たま》が抜いてあるではないか。 「それから、お気の毒だが黄色金剛石《イエロオダイヤモンド》の頸飾は頂戴してあるよ!」  龍介の言葉に、もうすっかり度胆を抜かれたヤンセンは、あわてふためいて壁に仕掛けてある秘密の小型金庫を明けた。とたん‼ 「|手を挙げろ《ハンズ・アップ》、動くな‼」  と龍介が叫んだ、右手にはモオゼルの自動|拳銃《ピストル》が握られてある。ヤンセンはびっくりして両手をあげた。 「退れ! もっと、もっとだ。卓子《テーブル》の前まで退がれ、こいつには実弾がこめてあるんだ。証拠を見せてやる、そら‼」  パッと散る火花、プスッという音がして弾丸《たま》が壁にあたった。と驚くべし‼ そこの壁ががらっとまわって、秘密の脱《ぬ》け道があらわれた。 「驚いたかヤンセン、僕はこの間きた時に何も彼《か》も見ておいたのさ。その脱《ぬ》け道もさ――ところで頸飾はこの金庫の中にあるんだね」  そう云いながら、静かに今ヤンセンのあけた、秘密金庫に歩みよって、中から燦爛と燿《かがや》く一連の頸飾を取り出した。 「ははあんこれだ、――頸飾を先に頂戴したなんていったのは嘘さ。そういえば君が驚いて、あるかないかを調べるだろう、そうすればどこにあるかがすぐ分るからね。いや有難う君」  その時ヤンセンは少しずつ卓子《テーブル》へ近寄って、龍介に気づかれぬように、床板に取りつけてあるスイッチを踏んだ。リーンという鈴《ベル》の音がちかくでした。  と、隣室の扉《ドア》があいて、髭だらけな悪漢がとび出してきた。ヤンセンは手をあげたままで、 「その小僧をたたんじまえ‼」  と呶鳴《どな》った。すると悪漢は、 「よし来た‼」というより早く、意外や反対にヤンセンに跳びかかった。ヤンセン二度びっくりして、 「こら貴様気が違ったのか、あの小僧を」 「やかましいやい毛唐め、俺等《おいら》ぁ拳骨《メリケン》壮太さまだ。サルビヤ号で喰《くら》った拳骨《メリケン》の味を忘れやがったか」  やっというと腰車にかけて、ずでんどっと抛《ほう》り出して、狂犬のように跳びかかった。 「よし、其奴《そいつ》は任せた。縛りあげておきたまえ、すぐ警視庁からやってくるから、僕は横浜へ行くぞ‼」  龍介はそういうと、ヤンセンから鍵を奪って扉《ドア》をあけ、ヤンセンを揉みくちゃにしている壮太を残して外へ跳び出した。龍介を乗せた自動車は警視庁へ向かった。そして十人ばかりの警官をのせた自動車三台を従えて、驀地《まっしぐら》に横浜へ向った。 [#3字下げ]マキシム倉庫の乱闘[#「マキシム倉庫の乱闘」は中見出し]  横浜市海岸通、マキシム倉庫第八号の中には、山と積んだ密輸入品の間に、ごたごたと外国人まじりに七八人の荒くれ男が集まっていた。――いずれも黒服に黒|襟飾《ネクタイ》だ。  表へ自動車の着いた音がした。 「親分だ! 見ろ!」と一人が囁いた。  表へ着いたのは黒塗大型の自動車で、乗っているのは混血児少年ただ一人、ひらりと跳び下りたが、倉庫の中へ駈けこんで、 「皆、手が廻ったぞ‼」と喚き立てた。 「何だ、どうしたジョオジ‼」 「又あの龍介の小僧が出しゃばりやあがったんだ、ヤンセン親分は捉《つか》まっちゃったんだ。逃げろ、警視庁の自動車三台が二十分と経たぬ間にここへやってくるぞ‼」 「そりゃ大変だ、逃げろ、逃げろ‼」皆はにわかに慌てふためく。少年は再び大声に叫んだ。 「表に自動車がある、幌だから丁度|倖《さいわ》いだ。さあ皆あれへ乗って行こう‼」 「そうだ、その自動車で逃げろ‼」  度を失った荒くれ共、帽子だ拳銃《ピストル》だと騒ぎながら表へ押出《おしだ》そうとした、その時、倉庫の入口へふいに現われて、 「待て、騙されるな‼」と呶鳴《どな》った者がある。びくびくしている時だから、皆は吃驚《びっくり》して立停まった。そしてひと眼見るなり異口同音に、 「や‼ やっ※[#感嘆符三つ、45-3]」と驚きの声をあげた。  それもそのはず、見よ、入口に立っているのは、紛れもない混血児少年ジョオジではないか。 「気をつけろみんな、そこにいるのは龍介という小僧だ、ヤンセン親分を捉まえて、その上に皆を一網打尽にしようとやってきたんだ、みんながあの自動車に乗れば、外からびん[#「びん」に傍点]と鍵がかかってそのまま警視庁へ送りこもうという計略さ、気をつけろ‼」  後からきたジョオジは、そういいながら先にきたジョオジに詰め寄った。 「違う‼ 違うぞみんな、こいつが龍介って小僧なんだ、己《おれ》に先を越されたものだから、あんな出鱈目《でたらめ》をいってみんなを迷わせようとするんだ、騙されるな‼ ぐずぐずしている内にゃあ本当に警視庁の自動車がやってくるじゃないか。そんな奴に構わず早く自動車に乗ってくれ、そして一分も早く逃げるんだ‼」先にきたジョオジは、これまた必死になって皆に叫びかけるのである。 「畜生化けやがって、よくも己《おれ》達をこんな目に会わせやがったな‼」後のジョオジが口惜《くや》しそうに罵った。 「そういう貴様こそ皆を騙そうというんだろう、この狐小僧め‼」先のジョオジも負けずに呶鳴りかえした。 「己《おれ》にゃ分からねえ‼」一人の荒くれが頭の毛を掻毮《かきむし》りながら喚いた、「全体どっちが本当のジョオジなんだ、ええくそっ、いい加減にしろ‼」 「よし‼ 皆が来ないんなら僕一人で逃げるばかりだ」先のジョオジが呶鳴《どな》った。 「みんなは勝手にこんな奴と遊んでいるがいいや、僕はごめんだ失敬‼」  そして走り出そうとした。とたんに後からきたジョオジが躍りかかった。 「逃がしゃしねえぞ」 「なに! 来るか小僧め‼」  片方がいきなり椅子を掴んで投げつけた、身を沈めてそらす、「畜生‼」といいざま飛礫《つぶて》のように組付《くみつ》いた。  両方強かった、荒くれ共は何方《どっち》に加勢することもできないで見ている外はない。 「逃げてくれ‼ 表の自動車で逃げてくれ‼ 二時になると警視庁からやってくるんだ‼」先のジョオジが必死に呶鳴《どな》る。 「騙されるな! 此奴《こいつ》は嘘を云ってるんだ。自動車に乗ったらおしまいだぞ!」  後のも組伏せられながら喚いた。 「もうたくさんある‼」と一人の毛唐は帽子を床に叩きつけて咆え立てた「私何も分からない、何も信じない‼」  とたんに、扉口《とぐち》へ人があらわれて叫んだ。 「じゃあ分からせてやる、手を挙げろ‼」  そして、あっ‼ と見る間にばらばらと十名あまりの刑事と警官が手に手に拳銃《ピストル》を構えながら雪崩《なだ》れこんだ。 「手を挙げろ! 動くと撃つぞ‼」  それと見るより後からきたジョオジは、鼠のように素速く、地下室へ駈けおりた。 「え畜生‼ 逃がすものか」  先のジョオジも脱兎のように追っていったが、しかしそこには秘密な抜け道があるのかして、残念ながら遂に見失った。 「御苦労でした、皆さん」  地下室から戻ってきたジョオジは、頭から変装用の赭毛《あかげ》の鬘《かつら》を脱《と》り、顔に塗った白粉《おしろい》をおとした、紛れもない龍介である。 「ねえ諸君‼」と龍介は、手錠を穿められた黒|襟飾《ネクタイ》組の悪漢共の前へきて云った。 「だから僕が云ったでしょう、二時になると警視庁からくるぞ! って。僕ぁ嘘をいうのは嫌いですからねえ、あははは……」  まさに少年名探偵のいった通りだった。黒|襟飾《ネクタイ》団は正二時一網打尽に捕縛された。  父親や伯父の子爵を前にして、龍介はこん度の事件を話していた。 「僕は喧嘩を売りかけてきた手紙を見た時に、これは僕に恨みのある奴だなと思った。恨みのある奴といえば差当《さしあた》りヤンセンだから、警視庁へいってきくと、十日ばかり前に脱獄したが、国事犯人だし秘密に捜索中だと云う事だった。それから桂河探偵に会うと黒い帽子を眉深《まぶか》にかむって色眼鏡をかけている、こいつは変装じゃないかと思ったんです。そして第一に怪しいのは此奴《こいつ》だと決めてしまった。それから事務所を訪ねて、調べると尚更《なおさら》怪しいから、妹の文子を少女給仕に変装させて入《い》りこました。  書斎へ忍びこんで朱色の字を書くと聞いた時に、伯父さんと探偵がかならず居睡りするのはきっと麻酔剤だろうと思って調べると、窓|硝子《ガラス》の下の方にほんの小っぽけな穴が明いていたんです。鼻をあてて匂を嗅ぐと、微《かす》かにエーテルの匂いがする。これはきっとここからエーテルを精巧な噴霧器で吹きこむんだろうと思った。そこで邸の外に張りこんでいると、中で探偵が紅茶を入れて子爵と飲む時、非常にそれが熱いので、二人が音を立てて啜る、その音にまぎれてエーテルを吹こんだことが分った。それで探偵が外の連中と諜《しめ》しあわせて、ことを企んでいることが分ったんです。  それから後は訳はありません。拳骨《メリケン》壮太を手下に化けさせて入りこませ、また給仕になっている文子に、まずヤンセンの拳銃《ピストル》からすっかり弾丸《たま》を抜き取らせておいて出掛けたのです。そしてヤンセンの手紙をすり変えて、文子に僕の偽手紙をわたせたのです、僕の偽手紙には、全員マキシム倉庫へ集れ! と書いてあったのです。そこが奴等の集り場所だということは、文子が調べて分っていましたからね」  父も若林子爵もただ感嘆の吐息をもらすばかりだった。龍介はやがて口惜《くや》しそうに附加えた。 「だけど残念なのは、あの混血児の小僧を逃がしたことですよ父さん、奴は又きっと何日《いつ》か仕返しにやって来ますぜ……」  そしてユニフォーム包を持つと、秋の戦いの猛練習をするために、校庭の野球グラウンドへ、元気に歩いて出かけた。 底本:「山本周五郎探偵小説全集 第一巻 少年探偵・春田龍介」作品社    2007(平成19)年10月15日第1刷発行 底本の親本:「少年少女譚海」    1930(昭和5)年8月別冊読本 初出:「少年少女譚海」    1930(昭和5)年8月別冊読本 ※表題は底本では、「黒|襟飾《ネクタイ》組の魔手」となっています。 ※「黄色金剛石」に対するルビの「イエロオダイアモンド」と「イエロオダイヤモンド」の混在は、底本通りです。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:良本典代 2022年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。