木枯 前田夕暮 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)門《かど》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)大|擾乱《じようらん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#4字下げ] ------------------------------------------------------- [#4字下げ]夜[#「夜」は小見出し]  私の追憶のなかで木枯の音がきこえる。木枯の凄まじい音にまじつて、とぎれとぎれに呼ぶ人の声がきこえる。  どうつといふ海嘯のやうな、天も地も吹きとばしさうな風の音が、裏山の方から捲きかへして寄せてくる。と、青竹の数百本、数千本が一時に殺到して、私の寝てゐる上の屋根に掩ひかぶさるやうになつて、大|擾乱《じようらん》の騒音に、何も彼も引きさらつて行く。 「おおい……。」 「おおい……。」 「おおい……。」  といふ人のかぼそい声が幽かに、風の底でかすれてきこえる。それは向う山のやうでもあり、裏山のやうでもあり、田圃中のやうにもきこえる。風に吹きとばされる寂しい幽かな人声は、私の追憶のなかで、いかにも哀れに絶え絶えときこえる。  あたりは一面のうす墨を流して、雑木山の裸の尖つた梢が、うす明るい空に、疎らに黒く見える。そして、その梢でさへが、北から南の方へ揺れなびいてゐる。その雑木山のつづきには大きな一かたまりの針葉樹林が、ただ黒く、ただに暗く、空の下に凍つた夜の胞衣のやうにかたまつてゐる。  私の追憶のなかの人声は、はうはうとしてその黒い胞衣の森からくる。 [#4字下げ]昼[#「昼」は小見出し]  日のあたつた往還が水をかけられたやうに、さつとうす暗くなつたと思ふと、忽ち眼がさめたやうに明るくなる。木の葉が光つてとぶ。日光のなかを縞目をなしてとぶ。太陽の破片がとぶ。空が皺んで、その皺んだ空の一部が吹き捲られて、さつと地に落ちる。  私は往還の方へ門《かど》の小坂を駈けおりてみる。  黒い頭巾を被《かぶ》つた老婆が二人対き合つて立話をしてゐる。 「えらい風だな。もし。」 「ほんとにどえらえ風だ。」 「お前さんとこの隣の源坊は神かくしに逢つたちふ話だが、ほんとかな。」 「ほんとでなくつてどうするべい、えらえ事になつたもんだ、昨日の朝裏山に薪《もしき》をとりに行つてな……。」 「あのえらえ木枯にな。」 「さうだよ、あのえらえ風の日、源坊一人で燃し木を採りに行つたきり帰つて来ねえのでの、昼になつても、夕方になつても、影も見せねえでの。」 「それで、親達は騒ぎ出したんだな、無理はねえさな、親達の身になつてみれば、源坊は一人子だものな。」 「それで、昨夜《ゆうべ》は村から村へ、山から山へ提灯を十|張《はり》も十五|張《はり》もつけてな、太鼓を敲いたり、鉦を敲いたりして、村の衆が二三十人も出てからな、夜徹し大騒ぎして探したんだがな。今朝になつても到頭わからねえつて、一先づ村の衆は引上げて来たのさ。」 「親達はさぞ歎かつしやるだらうのう。」 「それは気狂のやうなものさな。」 「早く見附かればええがな。」 「とてもさ、神匿に逢つちや二日や三日ぢや帰りつこはないでな。」 「そのうちに、親達が諦めた時分に、髪の毛をほうけさせて、着物も何もかぎ裂きにでもして、ぼうつとなつて帰つて来ないものでもないでな。」 「どんなもんだかな、ほんとに可哀相なことをしたものだの。」 「ほんとにこんなえらい木枯の吹く日は天日《てんぴ》も薄れるつていふからな。どんな魔がささねえものでもねえだよ。」 「さうとも、さうとも、子供はこんな日に外にゐるもんぢやないでな。早く家に這入つてゐな。」と私の方を視て、独語のやうに言つた老婆の顔は、乾いた畑の土の色をしてゐた。  私は急に怖しくなつて、わつと言つて家へ駈込んだ。 底本:「日本の名随筆37 風」作品社    1985(昭和60)年11月25日第1刷発行 底本の親本:「前田夕暮全集 第三巻」角川書店    1972(昭和47)年9月 入力:浦山敦子 校正:noriko saito 2025年2月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。