伊藤左千夫年譜稿 森林太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)蒼生《たみ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三女|蒼生《たみ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)癃 ------------------------------------------------------- 元治元年。 [#ここから1字下げ] 八月十八日左千夫上總國山武郡成東町殿臺に生る。伊藤良作の四男にして、末子なり。母はなつ。 [#ここで字下げ終わり] 明治六年 十歳。 [#ここから1字下げ] 小學に入る。 [#ここで字下げ終わり] 明治十年 十四歳。 [#ここから1字下げ] 佐瀬春圃の塾に入り、漢籍を學ぶ。 [#ここで字下げ終わり] 明治十四年 十八歳。 [#ここから1字下げ] 春東京に入り、籍を明治法律學校に置く。秋眼を病む。(眼底充血、進行性近視眼)尋いで退學歸郷す。 [#ここで字下げ終わり] 明治十五年 十九歳。 [#ここから1字下げ] 夏富士山に登る。 [#ここで字下げ終わり] 明治十八年 廿二歳。 [#ここから1字下げ] 十一月金二圓を懷にして、再び東京に入り、實業家たらんとす。廿二年に至るまで京濱間の牛乳店に使役せらる。 [#ここで字下げ終わり] 明治廿二年 廿六歳。 [#ここから1字下げ] 春本所區茅場町三丁目十八番地に牛乳搾取業を始む。當時毎日十八時間勞作し、同業者中第一の勉強家と稱せらる。 十一月妻とくを納る。上總國山武郡上堺村新島伊藤重右衞門の長女なり。明治五年八月五日生る。 [#ここで字下げ終わり] 明治二十三年 廿七歳。 [#ここから1字下げ] 十一月長男剛太郎生る。 [#ここで字下げ終わり] 明治二十五年 廿九歳。 [#ここから1字下げ] 六月廿五日長男夭す。 [#ここで字下げ終わり] 明治廿六年 卅歳。 [#ここから1字下げ] 六月十八日長女妙生る。 是年より伊藤並根に就きて茶の湯を學ぶ。同時に和歌の教をも受けしものの如し。 [#ここで字下げ終わり] 明治廿八年 卅二歳。 [#ここから1字下げ] 十二月廿七日二女梅路生る。 是年伊藤並根と京都に遊ぶ。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅年 卅四歳。 [#ここから1字下げ] 十月卅日三女|蒼生《たみ》生る。 是年より二三年の間桐の舍桂子(關澄氏)の月次歌會に出席す。桂子は橘東世子の門人にして、疲癃の病あり左千夫の魁偉を以てして對坐談論す。頗る奇觀なりき。岡麓その席に列してこれを見、後話抦となしたりき。左千夫當時春園と號す。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅一年 卅五歳。 [#ここから1字下げ] 是年竹の里人正岡子規「歌よみに與ふる書」、「人々に答ふ」等を新聞「日本」に連載す。左千夫歌の意匠、格調、文學上の地位等に關して、竹の里人と論爭す。「人々に答ふ」の文中春園に答ふる語あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅二年 卅六歳。 [#ここから1字下げ] 四月より根岸短歌會を正岡子規の家に開かる。 九月廿一日四女|千種《あき》生る。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅三年 卅七歳。 [#ここから1字下げ] 一月三日始めて正岡子規を訪ふ。 是月より根岸の歌會に蒞む。 是年より、正岡子規「日本」紙上に歌を募集す。其の第一囘は「新年の歌」にして、左千夫の作三首入選す。第二囘は「森」の歌にして、三首入選す。第三囘は「櫻」の歌にして、左千夫の作百首中十八首入選す。子規の書ける「第三囘募集歌に就きて」の中に云ふ。「左千夫氏の歌は趣向の平淡なるもの(寧ろ趣向無きもの)を好み、之れを運用するに萬葉の文字を以てす。故に其の佳なるものは萬葉に出入し、然らざるものは無味乾燥に陷る。」 七月長塚節と日光に遊ぶ。「日本」の募集課題「瀧」の歌を作らんためなり。 九月「日本」の募集課題「松」の歌を作りに、駿河興津に遊ぶ。二日間に作る所の長短歌若干首ありしを、皆棄てらる。 十月「ホトヽギス」に「草花日記」を發表す。 同月結城素明と再び日光に遊ぶ。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅四年 卅八歳。 [#ここから1字下げ] 二月「ホトヽギス」に「牛舍の日記」を發表す。 六月二男生れ、七月夭す。 「新歌論」を「心の花」(三、四、五、六月號連載)に發表す。 十月九十九里より安房の海岸を一週して、上總鹿野山に遊ぶ。蕨眞同行す。 「續新歌論」を「心の花」([#割り注]十一月號より翌年三月號まで[#割り注終わり])に連載す。 [#ここで字下げ終わり] 明治三十五年 卅九歳。 [#ここから1字下げ] 「再び歌の連作趣味を論ず」を「心の花」四月號に載す。 七月赤木格堂、蕨眞と共に松島に遊ぶ。 九月十四日香取秀眞、森田義郎、安江秋水、木村芳雨と共に銚子に遊び、十五日共に上總蕨眞が家の歌會に蒞む。 九月十九日正岡子規逝く。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅六年 四十歳。 [#ここから1字下げ] 六月「馬醉木」第一號を發行す。 同月平福百穗、長塚節と共に筑波山に登り、更に關館の城趾を訪ふ。 十一月蕨眞と共に濱松、名古屋、大垣、石山、京都、奈良に遊ぶ。 是年「新佛教」記者の夥伴に投ず。 是年歌論「萬葉論」「神樂催馬樂管見」「仁徳天皇の御歌」「新古今集愚考」「今の所謂新派の歌を排す」「俗謠に就て」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅七年 四十一歳。 [#ここから1字下げ] 二月より「萬葉集新釋」を「馬醉木」、「アラヽギ」に連載して、四十四年九月に至る。 三月二日母なつ歿す。享年七十四。 同月六日五女|由枝《ゆき》生る。 五月「竹の里人選歌」發行せらる。 十一月廿三日東京を發し、甲州惠林寺及御嶽に遊び、廿五日信州に入り、上諏訪より蓼科の湯に浴し、十二月二日歸京す。新體詩の處女作「信濃行」あり。 十一月子規遺稿「竹の里歌」發行せらる。 是年歌論「歌話漫草」「上田秋成の歌」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅八年 四十二歳。 [#ここから1字下げ] 三月十一日駿河沼津に遊ぶ。十四日歸京す。 春頃より親鸞聖人を信仰し、歎異鈔を愛讀す。趣味と信仰との關係の論あり。歌も亦頗る變ず。 五月「ホトヽギス」に寫生文「千本松原」を發表す。 九月修善寺に遊ぶ。 [#ここで字下げ終わり] 明治卅九年 四十三歳。 [#ここから1字下げ] 一月小説處女作「野菊の墓」を「ホトヽギス」に載す。(四月單行本となりて出づ。) 同月東京短歌會例會を甲州御嶽の峽中に開き、諸同人と共にこれに蒞む。 四月十五日六女由布生る。 八月善光寺より松本を經て、諏訪蓼科の湯に遊ぶ。途次夜行し、溝に落ち、面を傷け、温泉に留まり浴す。 十一月甲州柏尾の大善寺を訪ひ、河口湖に遊び、沼津を經て歸京す。 十二月小説「秋霧」を「馬醉木」に載す。 是年歌論「八面歌論」「與謝野晶子の歌を評す」「長廣舌」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治四十年 四十四歳。 [#ここから1字下げ] 二月父良作歿す。享年八十五。 三月より森林太郎が家の歌會開かる。佐々木信綱。與謝野寛等と共に之に蒞む(四十二年夏に至る)。 四月日本新聞に「勾玉日記」を連載す。 六月木曾より諏訪に遊ぶ。柿乃村人隨ふ。 七月「寫生文論」を「趣味」に發表す。 是月より日本新聞に短歌を募集選す。 同月七日七女七枝生る。 十月「僧良寛の歌と田安宗武の歌」を日本新聞に連載す。 十二月「夾竹桃書屋談」を日本新聞に連載す。 [#ここで字下げ終わり] 明治四十一年 四十五歳。 [#ここから1字下げ] 一月「馬醉木」廢刊せらる。(發刊以來六年、卷を重ぬること四、號を重ぬること卅二。) 是月信州諏訪湖の氷を見、蓼科の湯に遊ぶ。 五月信州より越後を經て、京都に遊び、伊勢を經て歸京す。 九月上總の蕨眞「アラヽギ」を發刊す。 十月信州富士見高原に遊び、蓼科の湯に浴し、歸京す。古泉千樫隨ふ。 十一月岳麓新月湖より、沼津に遊ぶ。 是年小説の作、「ホトヽギス」一月號に「隣の嫁」、四月號に「春の潮」、九月號に「濱菊」、十月號に「紅黄録」、十二月號に「告げびと」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治四十二年 四十六歳。 [#ここから1字下げ] 五月十五日八女鈴生る。([#割り注]大正五年一月九日夭す[#割り注終わり]) 廿四日七女七枝夭す。 八月松本より諏訪蓼科の湯に遊びて歸京す。 九月アラヽギを東京に移す。 十月羽後田澤湖に遊ぶ。 是年小説の作、「ホトヽギス」一月號に「胡頽子」、四月號に「陽炎」、九月號に「奈々子」、十月號に「箸」、「アラヽギ」九月號に「姪子」、十月號に「深き感謝」、「新小説」一月號に「廢める」、「文章世界」二月號に「新萬葉物語」、「中央公論」三月號に「老獸醫」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治四十三年 四十七歳。 [#ここから1字下げ] 五月茶室唯眞閣成る。 六月二十七日九女文生る。 八月洪水あり。浸水床上四尺餘に及ぶ。修治に二箇月を費す。其間僦居せり。「大雨の前日」、「水害雜録」等を「ホトヽギス」に載す。 十月松本に堀内卓の死を弔ひ、戸隱山に紅葉を看る。篠原志都兒隨ふ。 是年小説の作、「ホトヽギス」一月號に「眞面目な妻」、三月號に「去年」、「臺灣愛國婦人」に「古代の少女」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治四十四年 四十八歳。 [#ここから1字下げ] 三月より長篇小説「分家」を東京日々新聞紙上に連載す。(七月に至る。百十囘。) 九月甲州新月湖より諏訪松本を經て、北信湯田中温泉に遊ぶ。 是年短篇小説の作、「ホトヽギス」二月號に「提灯の繪を書く娘」、十月號に「合歡木」、「婦女界」七、八月號に「雲」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 明治四十五年(大正元年)四十九歳。 [#ここから1字下げ] 一月十四日三男究一郎生る。同月廿六日夭す。 三月より「分家續篇」を東京日々に連載す。(七月に至る。九十六囘) 四月牛舍を市外大島町龜戸に移す。 六月長女妙の壻知藏を家に迎ふ。 十月木曾の紅葉を玩び、歸途甲州の同人を訪ふ。 是年小説の作、「アラヽギ」二月號に「守の家」、「女學世界」六月號に「弱い女」等あり。 是年歌論「新しい歌と歌の生命」「叫びと話」「叫びの籠り」「連作の歌に就て」「表現と提供」「我が命に就て」等あり。 [#ここで字下げ終わり] 大正二年 五十歳。 [#ここから1字下げ] 三月本所茅場町の家を賣りて、居を市外龜戸に移す。茶室は保存して、晝間來て讀書す。 四月十二日長孫夏夫生る。(知藏長男。) 同月廿九日壻知藏を復籍せしむ。長女妙は夫知藏の家に徙る。 五月「日本及日本人」に「御製より觀奉りたる仁徳天皇」を、「文章世界」に小説「落穗」を載す。 七月卅日午前二時腦溢血にて昏睡状態に陷り、午後六時逝く。 八月二日龜戸普門院の墓地に埋葬す。 九月十日四男幸三郎生る。二十八日夭す。 [#ここで字下げ終わり] [#2字下げ]此年譜稿は專ら古泉千樫君の蒐集せる所の資材に據りて作る。 [#3字下げ]大正二年十一月八日[#地から3字上げ]林太郎識す 底本:「鴎外全集 第二十卷」岩波書店    1973(昭和48)年6月22日第1刷発行    1988(昭和63)年7月4日第2刷発行 底本の親本:「左千夫全集 第一卷」春陽堂    1920(大正9)年9月18日 初出:「アララギ 第六卷第十號」アララギ発行所    1913(大正2)年11月15日発行 ※親本は、初出に古泉千樫が増補訂正を乞うて「アララギ 第十二卷第七號」1919(大正8)年7月1発行に再掲されたものを採用しています。 入力:高瀬竜一 校正:nagi 2024年6月23日作成 青空文庫作成ファイル: 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