文明史の教訓 大隈重信 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)懐《いだ》き |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)従来|有《ゆう》して [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#1字下げ] ------------------------------------------------------- [#1字下げ]歴史は活躍す[#「歴史は活躍す」は中見出し]  世人は歴史について、ややするとかかる誤想を懐《いだ》きはすまいか。歴史は過去の出来事を記述したり考証したり、つまり死んだ事件を取調べる検査官のようなものであると。しかし我輩は歴史学に対してかかる要求はせぬのである。歴史学という一の科学の一要素として、過去の事実を可成的《なるべく》冷静に考証したり、取調べるということも必要であるに相違ないが、但《ただ》しそれは歴史の研究の全体ではない。頭脳の大なる人、乃至《ないし》活学者には歴史上の事実は単に死んだものとしては表われて来ない。その人々の目には古い一見現代となんらの関係もない事件であっても、しかし事実が盛んに活動して生命を持つものとして表われて来る。この点に於て我輩は文明史を学ぶことを好むものである。 [#1字下げ]日本人の覚悟[#「日本人の覚悟」は中見出し]  我輩は屡々《しばしば》世界の人としての日本人の覚悟に関して述ぶるところがあった。日本人は既にこの土地の上ばかりの日本人ではない。海と陸とを越えて世界を縦横に活動すべき権利を与えられたる世界の人としての日本人となったのである。果して然《しか》らば日本人の覚悟は蓋《けだ》し容易なことではないのである。日本人は自分で従来|有《ゆう》しておった文明を充分に理解するばかりでなく、自分等と同種族の東洋全体の文明を了解するばかりでなく、また同時に永い歴史を有する欧羅巴《ヨーロッパ》の文明を充分に受け入れ、それを批評するだけの要意がなければならない。いやもう日本は既にその大きな仕事に着手しているのである。そこで我輩のいわゆる文明の批判という大事な能力を、日本人が充分に持っているか如何《いかん》。我輩の心配するところはこの点である。一度国を開いて世界の文明に対した以上、あらゆる文明は非常な勢いをもって押し寄せて来る。あたかも洪水の如くに流れて来る。その時に少しばかりの防禦工事や何かでは少しも役に立たぬのである。而《しか》して既にその有様は今の日本の新しい文明に表われて来ておりはしないか。その新しい無数の文明を明らかに理解して、これに対して正しい批判を与える力があることを証しているや否や。 [#1字下げ]成熟せる文明[#「成熟せる文明」は中見出し]  欧羅巴《ヨーロッパ》の文明は既に成熟した文明である。もうそろそろその弊《へい》を伴いつつある文明である。これを我が日本人――日本人は子供であると我輩はいう――が喜び迎えなければならない。何となれば、実際に欧羅巴《ヨーロッパ》の文明は我が国を導いてくれたし、今もなお利益を与えつつあるが、また弊害も寄与しつつあるのである。それを日本人は自覚せぬようである。 [#1字下げ]文明の生命[#「文明の生命」は中見出し]  注意して世界の文明史を学ぶと、文明の生命は果して永久に継続するものであるや否やという疑問が生じて来る。同じ文明が永久にその生命を持続してその国の歴史を飾るということは、世界の歴史にほとんど無いところである。何時《いつ》かはその文明が生命を喪失して、別の新しい文明が取って代る。国家の上からはこれを滅亡という。文明史の上では文明の退歩という。文明の退歩という自然力に対して、人間は全然無力なものであろうか。もしいくらか人間の力が作用し得るものとしたらば、如何《いか》なる意味で出来るか。どれだけの程度まで出来るか。これは我輩のいう歴史の功果の表われるところなのである。如何《いか》なる人種の消長も、その蔭にはなんらか有力な原因がなければならぬのである。その国の消長した歴史を精細に学ぶことが出来て、而《しか》して国民全体が自覚の地位に立つことが出来たならば、多少この大きな自然力に対して防禦的効果がないとも限らぬと思う。しかしそれとて果して充分にこの大勢に対抗し得るか否かは保証が出来ない。 [#1字下げ]羅馬の滅亡(とルネッサンス)[#「羅馬の滅亡(とルネッサンス)」は中見出し]  あの豊かな文明をもっていた羅馬《ローマ》の文明も、東|羅馬《ローマ》の滅亡と共に、土耳古《トルコ》人のために滅ぼされてしまった。而《しか》して従来は野蛮人の如く思われていた土耳古《トルコ》は新鋭の勢いをもって突進して、而《しか》して永い歴史を有する羅馬《ローマ》の爛熟した文明は、多くの学者達と共に伊太利《イタリア》に逃れた。伊太利《イタリア》は門戸となって、種々なる学芸が欧羅巴《ヨーロッパ》諸国に再び栄えるようになったのである。世人は多くルネッサンスの歴史を興味をもって学ぶようである。我輩はこの時代の欧羅巴《ヨーロッパ》の思想上の革命と、社会の渾沌《こんとん》たる有様を想像する度に、近来我が国に於ける文明輸入の有様を連想せざるを得ないのである。さて東|羅馬《ローマ》を滅ぼして自ら取って代った土耳古《トルコ》の文明は、何時《いつ》まで継続したろう。須臾《しゅゆ》にして自ら堕落し滅亡したのである。半月旗の翻《ひるがえ》るところ、土耳古《トルコ》帝の一顰一笑《いっぴんいっしょう》に畏怖した欧羅巴《ヨーロッパ》諸国の前に、彼もまた滅亡の悲運を見るに至った。何故に然《しか》りしや。これが興味ある問題なのである。つまり東|羅馬《ローマ》を滅ぼした土耳古《トルコ》は、自分を真正に理解することが出来なかったのである。而《しか》して同時に滅ぼされたるものの所持しておったグリーキ、ラテンの文明を受け入れる力を持っておらなかったのである。羅馬《ローマ》の好《よ》き文明を拒んで、それを欧羅巴《ヨーロッパ》の野に放った。その代りに彼は東|羅馬《ローマ》の滅亡の内的要因となっておった放恣《ほうし》と婬逸《いんいつ》を受け取った。人間の病毒が知らぬ間にその人の全身を犯しているように、この新鋭の国を腐敗せしめたのである。 [#1字下げ]文明はリズムをなす[#「文明はリズムをなす」は中見出し]  然《しか》らば文明もまたリズムをなして無限に動いているものである。文明の勃興するころには、それに伴う弊害が何時《いつ》でもこれに裏切りしていることを知らねばならぬ。しかのみならず、同じ文明が民族に対して同じ効果を持つということも、我輩は疑問と思う。国民に文明批判の力を要するというのは、この点から言うのである。日本も今世界の文明に対して自由に門戸を開いている。日本の為す仕事、考える思想、すべてのものが世界から独立することなしに動かなければならぬ。日本は既に大きな刺撃の前に、裸体で飛び出しているという姿である。極端なる個人主義、極端なる社会主義、極端なる平等無差別主義――これらは決して他国のものではなくなっている。 [#1字下げ]文明の弊か人の弊か[#「文明の弊か人の弊か」は中見出し]  かかる弊害は文明自らの弊であろうか、それを受け入れる人々の誤りであろうか。これがまず研究の主要目標である。これはなかなかの大問題で、容易に断定を下すことの出来ぬものである。ある哲学者がある時代にある誤った思想を発表する時、その説には非常な誤謬があるに拘《かか》わらず、ある時代の間に相応にポピュラーになるというようなことのないとも限らぬ。もしそういうことがあるとすると、それが後代の人々を非常に苦しめることになる。これはよほど注意しなければならぬことである。例えば極端なる欧化主義――それに反動として起った漢学復興主義、かかる互いに相反した誤った二思想が、一時同時代に発生することなぞも、決して現在の日本の文明を益するものではないと信ずる。 [#1字下げ]懐疑と渾沌(疑い怖れ迷う)[#「懐疑と渾沌(疑い怖れ迷う)」は中見出し]  我輩は時々人に語るのであるが、近頃の漢学復興の如きは思想それ自身に誤りのあるのは無論《むろん》であるが、これも現在の日本人の思想が如何《いか》に懐疑と渾沌とを極めているかという、最もいい例証であると思う。日本人は進みながらもなお且《か》つ自分の道を疑い怖《おそ》れて、前後を顧慮している。而して国民はその間に処して、世界の文明と競争せぬばならぬのである。幸い日本人は欧羅巴《ヨーロッパ》人の有せざる、而《しか》して理解し能《あた》わざる東洋の歴史、哲学、文芸を有しておって、それになお西洋の歴史を明らかに学ぶことの出来る便宜を有しているのである。 [#1字下げ]漸く知る母国の文(メキシコの日本児童)[#「漸く知る母国の文(メキシコの日本児童)」は中見出し]  それと同時に、日本人は多くの弱点を有していることを、覚悟せなければならぬ。最も具体的で最も大なる事件は、思想を発表する言葉である。その言葉を表わす文字である。不幸にして日本人の言葉は、ほとんど世界に類を見ないほどの不統一である。而してその思想を発表する文字が定められていない。漢字は「意味」を表わす一種の符牒であることは、我輩の言うまでもないところである。日本人は仮名《かな》という「音」を表わす便利なものを、借り物の漢字から造り出して、この言語学上、全く性質を異にしたものを混同して、意志の発表機関としている。この点に於て日本人は欧羅巴《ヨーロッパ》人に対してよほど不利なる位置に居る。同じ学問するにしても、同じ仕事をなすにも、ほとんど三倍以上損をしていると思う。事務の上に於ても、日本の文字はタイプライターには用をなさぬ。それ故日本でも大きな商館では日本語は使用しないで、欧羅巴《ヨーロッパ》の言葉、即ち羅馬《ローマ》字で仕事を便じている。また近頃南米メキシコの日本人の子弟が、日本の教科書を覚えずに外国語を先に覚えるので、教科書を全部|羅馬《ローマ》字に直したところが、初めて母国の言語を覚えたという事を我輩に報告してくれた人がある。これは単に文字の問題ではないと思うのである。日本人はまず自分をもうすこし知らなければならない。そして自分を知った上に、初めて文明批判の力が生じて来るのであると、我輩はかく思うのである。 底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店    2016(平成28)年3月16日第1刷発行 底本の親本:「改訂再版大隈伯百話」實業之日本社    1909(明治42)年6月    1911(明治44)年3月再版 初出:「早稻田學報 第百八十七號」早稻田大學校友會    1910(明治43)年9月1日発行 ※初出時の表題は「文明史から学ぶ経験」です。 ※本文冒頭の編者による解題は省略しました。 入力:フクポー 校正:門田裕志 2018年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。