余が平和主義の立脚点 大隈重信 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)直《ただ》ち |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)五百万|噸《トン》 -------------------------------------------------------  人類は、元来、本能的に平和を好む動物である。故に、もし平和を破るものがあったならば、直《ただ》ちに人類の仲間より排斥されるのである。国家法を設けて、故なく人を殺したるものは罪の最も大なるものとしてこれを罰する。一人を罰するに依って万人の平和を保つ事が出来るなれば、その一人は死刑に処しても万人の平和を保たんためには止《や》むを得ない。  今日の世界国内の道徳、個人間の道徳は、遥かに国際間の道徳より発達している。すでに死刑の全廃時期も近づいているのである。国際間の道徳も早くかくの如く進めねばならぬ。すでに名義の如何《いかん》にかかわらず、人を殺すことは罪悪である以上、人を殺すの戦争は一日も早くこれを廃し、他の方法に依って国際間の紛擾《ふんじょう》を解決せねばならぬ。これが即ち理想である。  元来、人類が国家を形作っているゆえんのものは、平和を希望するからである。平和が保てぬ国家ならば、人類は国家を形作るには及ばないのである。今日ではまだ国際道徳の進歩せぬため、武装的平和を維持している。軍隊の力、軍艦の力によって、平和が維持されているのである。この平和維持のため、世界は一千万の軍隊と、五百万|噸《トン》の軍艦と、一年五十億万円の費用とを投じている。人民は強制されて血税の義務を負い、その上に多額の租税を負担する。それがために、貧乏人は益々《ますます》増して来て、生活難の声が高くなり、ここに於てか、近来最も恐るべき主義、即ち社会主義の如きものが数百年間築き上げたる文明を根底より覆さんとしている。英国の議会が解散されたのも租税の負担が多くなった結果である。独逸《ドイツ》の名宰相として名高きピュロー氏がその職を退くの止むを得ざるに至ったのも、全くこの予算問題から起ったのである。今の人類は国家を形作っているがために、高き価《あた》いを払って武装的平和を維持せなくてはよくない事になっている。実につまらぬ話である。文明が今少しく進んで、国際間の道徳が発達して来たならば、世界の一千万の壮丁を軍隊より解放して、各々《おのおの》生産事業に従事せしめ、五十億万円の年額軍費を民に返してしまう事が出来たならば、人類はどれだけ幸福を享有する事が出来るか知れないのである。  然《しか》して、この理想は着々世界の間に実行されつつあるのである。現に万国連合的の学会は常に開かれている。万国衛生会の総会とか、万国議会の総会とか、種々な名義の総会が開かれて、世界が共同的になりつつあるのである。また万国平和会議もヘーグで開かれて、戦争を避けて仲裁裁判に付するようになっているのである。故に、事実上戦争は少なくなりつつあるのである。  我輩は国家を破壊して万国統一を計ろうというのでは無い。国家の現在の区域のままに置いて、政治はその国々に依って行うのであるが、ただ戦争を避けて、各国武装を解き、万一国と国との間に衝突が起ったならば、仲裁裁判に付してこれを解決する事にしたいというのである。  かくいえばとて、この理想を実現するために、我が国の軍備を撤せよというのではない。今の武装的平和の今日、国際道徳の個人道徳よりも低き今日、我が国民の世界を第一位に置くため、我が民族の発展のために、また来るべき大平和の時代を迎うるがために、時と場合に依っては小平和を犠牲に供するのは当然である。この点を世人は誤解してはならぬ。 底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店    2016(平成28)年3月16日第1刷発行 底本の親本:「大隈伯社會觀」文成社    1910(明治43)年10月20日発行 ※底本巻末の編者による語注は省略しました。 ※本文冒頭の編者による解題は省略しました。 入力:フクポー 校正:門田裕志 2017年12月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。