監獄署の裏 永井荷風 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)遠《とおざ》け |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)市《いち》ヶ|谷《や》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)娬 〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ (例)〔Ah! Laissez-moi,mon front pose' sur vos genoux,〕 アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください https://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html ------------------------------------------------------- [#ここから1段階小さな文字] [#ここから5字下げ] われは病いをも死をも見る事を好まず、われより遠《とおざ》けよ。 世のあらゆる醜きものを。――『ヘッダ ガブレル』イブセン [#ここで字下げ終わり] [#ここで小さな文字終わり]  ――兄《けい》閣下  お手紙ありがとう御在《ござ》います。無事帰朝しまして、もう四、五カ月になります。しかし御存《ごぞん》じの通り、西洋へ行ってもこれと定《さだま》った職業は覚えず、学位の肩書も取れず、取集めたものは芝居とオペラと音楽会《コンセール》の番組《プログラム》に女芸人の寫真と裸体画《はだかえ》ばかり。年は已《すで》に三十歳になりますが、まだ家《いえ》をなす訳《わけ》にも行かないので、今だにぐずぐずと父が屋敷の一室に閉居しております。処は市《いち》ヶ|谷《や》監獄署《かんごくしょ》の裏手で、この近所では見付《みつき》のやや大《おおき》い門構え、高い樹木がこんもりと繁《しげ》っていますから、近辺で父の名前をお聞きになれば、直《すぐ》にそれと分りましょう。  私は当分、何《なん》にもせず、此処《ここ》にこうしているより仕様がありますまい。一生涯こうしているのかも知れません。しかし、この境遇は私に取っては別に意外というほどの事ではない。日本に帰ったらどうして暮そうかという問題は、万事を忘れて音楽を聴いている最中《さいちゅう》、恋人の接吻《せっぷん》に酔《え》っている最中、若葉の蔭《かげ》からセエヌ河《がわ》の夕暮を眺めている最中にも、絶えず自分の心に浮んで来た。散々に自分の心を悩《なやま》した久しい古い問題です。私は白状します。意気地《いくじ》のない私が案外にあれほど久しく、淋《さび》しい月日を旅の境遇に送り得たのも、つまりはやみがたい芸術の憧憬《あこがれ》というよりも、苦しいこの問題の解決がつかなかったためです。外国ですと身体《からだ》に故障のない限りは決して飢えるという恐れがありません。料理屋の給仕人でも商店の売児《うりこ》でも、新聞の広告をたよりに名誉を捨鉢《すてばち》の身の上は、何でも出来ます。「紳士」という偽善の体面を持たぬ方が、第一に世を欺《あざむ》くという心に疚《やま》しい事がなく、社会の真相を覗《うかが》い、人生の誠の涙に触れる機会もまた多い。しかし一度《ひとた》び生れた故郷へ帰っては――生れた土地ほど狭苦しい処はない――まさかに其処《そこ》までは周囲の事情が許さず、自分の身もまたそれほど潔《いさぎよ》く虚栄心から超越してしまう事が出来ない。私は濃霧の海上に漂う船のように何一つ前途の方針、将来の計画もなしに、低い平《ひらた》い板屋根と怪物のように屈曲《ひねく》れた真黒《まっくろ》な松の木が立っている神戸の港へ着きました。事によれば知人の多い東京へは行かず、この辺へ足を留《とど》め、身を隠そうかとも思っていた。その矢先混雑する船梯子《ふなばしご》を上って、底力のある感激の一声―― 「兄さん。御無事で。」といって私の前に現れた人がある。大学の制服をつけた私の弟でした。この両三年は殊更《ことさら》に音信も絶えがちになっていたので、故郷の父親は大層心配して、汽船会社に聞合し、自分の乗込んだ船を知り、弟を迎いに差向《さしむ》けたという次第が分りました。  私は覚えず顔を隠したいほど恐縮しました。同時に私はもう親の慈愛には飽々《あきあき》したような心持もしました。親は何故《なぜ》不孝なその児《こ》を打捨ててしまわないのでしょう。児は何故《なにゆえ》に親に対する感謝の念に迫《せ》められるのでしょう。無理にも感謝せまいと思うと、何故《なぜ》それが我ながら苦しく空恐ろしく感じられるのでしょう。ああ、人間が血族の関係ほど重苦しく、不快|極《きわま》るものはない。親友にしろ恋人にしろ、妻にしろ、その関係は、如何《いか》に余儀なくとも、堅くとも、苦しくとも、それは自己が一度《ひとたび》意識して結んだものです。しかるに親兄弟の関係ばかりは先天的にどんな事をしても断ち得ないものです。断ち得たにしても堪えがたい良心の苦痛が残ります。実に因果です。ファタリテーです。閣下よ。人の家の軒に巣を造る雀《すずめ》を御覧なさい。雀の子は巣を飛び立つと同時に、この悪運命の蔭《かげ》からすっかり離れてしまいます。その親もまた道徳の縄で子雀の心を繋《つな》ごうとは思っていないらしい。  私は一目弟の顔を見ると、同じ血から生れて、自分と能《よ》く似ているその顔を見ると、何ともいえない残酷な感激に迫《せ》められました。いわれぬ懐《なつか》しい感情と共にこの年月《としつき》の放浪の悲しみと喜びと、凡《すべ》ての活々《いきいき》した自由な感情は名残もなく消えてしまったような気がしました。身のまわりの空気は忽《たちま》ち話に聞く中世紀の修道院《モナステール》の中もかくやとばかり、氷の如く冷《ひやや》かに鏡の如く透明に沈静したように思われました。  弟はいいます――兄さん、六時の汽車が急行です、切符を買いましょう。  私は何とも答えませんでした。私は神戸のステーションで、品格のないしかし肉付《にくづき》のいい若いアメリカの女が二、三人、花売りから花束を買っているのを見ただけです。私はその翌日の朝|新橋《しんばし》に着き人力車《じんりきしゃ》で市ヶ谷監獄署の裏手なる父の邸宅へ送り込まれました。  その夜《よ》、家《いえ》ではいささかの酒宴が催されました。父は今年六十。たとえ事情は何であっても、表向《おもてむき》は家《いえ》の嫡子《ちゃくし》という体面を重《おもん》ずるためでしょう。私をば[#傍点]東坡書随大小真行皆有娬媚可喜処老蝯書[#傍点終わり]と書いた私には読めない掛物を掛けた床《とこ》の間《ま》の前に坐らせ、向い合っては父と母。私の右には母の実家《さと》を相続して、教会の牧師になっている二番目の弟、左には、私を出迎《でむかえ》に来た末の弟が制服の金ボタンいかめしく坐りました。父は少し口髯《くちひげ》が白くなったばかりで、銅《あかがね》のような顔色はますます輝き、頑丈な身体《からだ》は年と共に若返って行くように見えましたが、母は私の留守に十年二十年も、一時に老込《おいこ》んでしまいました。小《ちいさ》く萎《しな》びた見るかげもないお婆《ばあ》さんになってしまいました。  私は敢《あ》えて妻や恋人ばかりではない。母親をも永久に若い美しい花やかな人を持っていたいのです。私は老込んだ母の様子を見ると、実際|箸《はし》を取る気もなくなりました。悲しいとか情ないとかいうよりも最《も》っと強い混乱した感情に打《うた》れます。不朽でない人間の運命に対する烈《はげ》しい反抗をも覚えます。  閣下よ。私の母は私が西洋に行く前までは実に若い人でした。さほどに懇意でない人は必ず私の母をば姉であろうと訊《き》いた位でした。江戸の生れで大の芝居好き、長唄《ながうた》が上手で琴《こと》もよく弾《ひ》きました。三十歳を半ば越しても、六本の高調子《たかじょうし》で「吾妻《あずま》八景」の――松葉かんざし、うたすじの、道の石ふみ、露ふみわけて、ふくむ矢立《やたて》の、すみイだ河…… という処なぞを楽々歌ったものでした。それでいて、十代の娘時分から、赤いものが大嫌いだったそうで、土用《どよう》の虫干《むしぼし》の時にも、私は柿色《かきいろ》の三升格子《みますごうし》や千鳥に浪《なみ》を染めた友禅《ゆうぜん》の外《ほか》、何一つ花々しい長襦袢《ながじゅばん》なぞ見た事はなかった。私は忘れません、母に連れられ、乳母《うば》に抱かれ、久松座《ひさまつざ》、新富座《しんとみざ》、千歳座《ちとせざ》なぞの桟敷《さじき》で、鰻飯《うなぎめし》の重詰《じゅうづめ》を物珍しく食べた事、冬の日の置炬燵《おきごたつ》で、母が買集めた彦三《ひこさ》や田之助《たのすけ》の錦絵《にしきえ》を繰り広げ、過ぎ去った時代の芸術談を聞いた事。しかし凡《すべ》ての物を破壊してしまう「時間」ほど酷《むご》いものはない。閣下よ。私は母親といつまでもいつまでも、楽しく面白く華美《はで》一ぱいに暮したいのです。私は母のためならば、如何《どん》な寒い日にも、竹屋《たけや》の渡しを渡って、江戸名物の桜餅《さくらもち》を買って来ましょう。     *      *      *      *  私はどうしても、昔から人間の守るべきものと定められた教《おしえ》に服する事が出来ません。教は余りに酷《むご》く余りに冷《つめた》い。私はどうかして、教に服するよりも、「教」と「私」とが暖かに滑かに一致して行くようにならぬものかと、幾度《いくた》び願い、悶《もだ》え、苦しみましたろう。絶望した私は遂に潔《いさぎよ》く天罰応報と相い争い、相い対峙《たいじ》しようと思うようになってしまいました。私の父は厳格な人です。勤勉な人です。悪を憎む事の激しい人です。父は私が帰朝の翌日静かに将来の方針を質問されました。如何《いか》にして男子一個の名誉を保ち、国民の義務を全うすべきかという問題です。  語学の教師になろうか。いや。私は到底心に安んじて、教鞭《きょうべん》を把《と》る事は出来ない。フランス語ならば、私よりもフランス人の方が更に能《よ》くフランス語を知っている。  新聞記者になろうか。いや、私は事によったら盗賊《とうぞく》になるかも知れない。しかし不幸にしてまだ私は正義と人道とを商品に取扱うほど悪徳に馴《な》れていない。私はもし社会が『万朝報《よろずちょうほう》』や『二六《にろく》新聞』によって矯正《きょうせい》されるならば、その矯正された社会は、矯正されざる社会よりも更に暗黒なものとなるのであろうという事を余りに心配している。  雑誌記者となろうか。いや。私は自ら立って世に叫ぼうとするほど社会の発達人類の幸福のために夜《よ》の目も眠らず心配しているのではない。私は親子《おやこ》相啣《あいは》み兄妹《けいまい》相姦《あいかん》する獣類の生活をも少しも傷《いた》ましくまた少しも厭《いと》わしく思っていない。  芸術家となろうか。いや、日本は日本にして西洋ではなかった。これは日本の社会が要求せぬばかりかむしろ迷惑とするものである。国家が脅迫教育を設けて、われわれに開闢《かいびゃく》以来|大和《やまと》民族が発音した事のない、T、V、D、F、なぞから成る怪異な言語を強《し》い、もしこれを口にし得ずんば明治の社会に生存の資格なきまでに至らしめたのは、けだし他日われわれに何々式水雷とか鉄砲とかを発明させようがためであって、決してヴェルレーヌやマラルメの詩なぞを読ませるためではない。いわんや革命の歌マルセイエーズや軍隊解放の歌アンテルナショナルを称《とな》えしめるためではなお更ない。われらにしてもし誠《まこと》の心の底から、ミューズやヴェヌスの神に身を捧げる覚悟ならば、われらは立琴《ハルブ》を抱《いだ》くに先立って掟《おきて》きびしいわれらが祖国を去るに如《し》くはない。これ国家のためにもまた芸術のためにも、双方の利益便利であろう。  あわれやこの世の中に私の余命を支えてくれる職業は一つもない。私は寧《いっ》そ巷《ちまた》にさまよって車でも引こうか。いや、私は余りに責任を重《おもん》じている。客を載せて走る間、私は果《はた》して完全にその職責を尽《つく》す事が出来るだろうか。下男となって飯を焚《た》こうか。無数の米粒の中に、もしや見えざる石の片《かけ》が混っていて、主人が胃を破りその生命を危くするような事がありはせまいか。人間もし正確細微の意識を有する限りは、如何《いか》なる賤《いや》しい職業をも自ら進んで為《な》し得べきものではない。それには是非とも飢えて凍《こご》えて正確な意識の魔酔が必要である。自我の利欲に目の眩《くら》む必要がある。少くとも古来より聖賢の教えた道を蔑《ないがしろ》にする必要がある。生活難を謳《うた》える人よ。私は諸君が羨《うらやま》しい。  私は父に向って世の中に何にもする事はない。狂人《きちがい》か不具者《かたわもの》と思って、世間らしい望みを嘱してくれぬようにと答えました。  父もまた新聞屋だの書記だの小使だのと、つまらん職業に我が児《こ》の名前を出されてはかえって一家の名誉に関する。家《いえ》には幸い空間《あきま》もある食物もある。黙って、おとなしく引込《ひっこ》んでいてくれと話を極《き》められました。     *      *      *      *  私は半年ばかり毎日ぼんやり庭を眺めて日を送っています。  八月の暑い日の光が広庭一面の青い苔《こけ》の上に繁《しげ》った樹木のかげを投げています。真黒《まっくろ》な木の葉の影の間々に、強い日光が風の来る時|斑々《まばらまばら》に揺れ動くのが如何《いか》にも美しい。蝉《せみ》が鳴く。鴉《からす》が啼《な》く。しかし世間は炎暑につかれて夜半《よなか》のように寂《しん》としています。忽然《こつぜん》夕立が来ます。空の大半は青く晴れている処から四辺《あたり》は明《あかる》いので、太い雨の糸がはっきり[#「はっきり」に傍点]見えます。芭蕉《ばしょう》、芙蓉《ふよう》、萩《はぎ》、野菊《のぎく》、撫子《なでしこ》、楓《かえで》の枝。雨に打たれる種々《いろいろ》な植物は、それぞれその枝や茎の強弱に従って或《ある》ものは地に伏し或ものはかえって高く反《そ》り返ります。またその葉の厚さ薄さに従って、あるいは重くあるいは軽くさまざまの音を響かせます。この夕立の大合奏《サンフォニー》は轟《とどろ》き渡る雷《いかずち》の大太鼓《おおだいこ》に、強く高まるクレッサンドの調子|凄《すさま》じく、やがて優しい青蛙《あおがえる》の笛のモデラトにその来《きた》る時と同じよう忽然として掻消《かきけ》すように止《や》んでしまいます。すると庭中は空に聳《そび》ゆる高い梢《こずえ》から石の間に匍《は》う熊笹《くまざさ》の葉末まで一斉に水晶の珠《たま》を連ね、驚くばかりに光沢《つや》をます青苔の上には雲かと思う木立の影が長く斜《ななめ》に移り行き、日暮《ひぐら》しの声と共に夕暮が来ます。風鈴《ふうりん》の音《ね》は頻《しき》りに動いて座敷の岐阜提灯《ぎふぢょうちん》に灯《ひ》がつくと、門外の往来《おうらい》には花やかな軽い下駄《げた》の音、女の子の笑う声、書生の詩吟やハーモニカが聞こえ、何処《どこ》か遠い処で花火のような響《ひびき》もします。新内《しんない》が流して行きます。夜《よ》が次第にふける……  枕《まくら》に就《つ》いて眠ろうとすると、雨戸の外なる庭一面縁の下まで恐しいほどに虫が鳴き立てます。凡《およ》そ何万匹の昆虫が如何《いか》なる力に支配され何を感じてかくも一時に声を合せて、私の身のまわりに叫ぶのでしょう。私はふと限りもない空の下《した》雄大なる平原の面に唯だ一人永遠の夜明けを待ちつつ野宿しているような気がして、閉《とざ》した瞼《まぶた》を開いて見ると、今にも落ちて来そうな低い天井と、色も飾《かざり》もない壁と襖《ふすま》とが、机の上の燈火《ともしび》に照らされて薄暗く狭苦しく私の身体《からだ》を囲っているのです。限られた日本の生活の深味のない事がしみじみ感じられます。突然屋根の上にばらッばらッと破れた琴を弾《ひ》くような雨の雫《しずく》の落ちる音。樹木に夜風の吹きそよぐ響が聞えます。しかしその響は幽谷に獅子《しし》の吠《ほ》えるような底深いものではないので、私は熱帯の平原を流れる大河《たいが》のほとりに、葦《あし》の葉の戦《そよ》ぎを聞くのかと思った事がありました。虫は絶えず鳴いています。夜《よる》があけても昼が来ても鳴き続けるのです。虫ばかりではない。雨も毎日々々降りつづくようになりました。  何という湿気《しっけ》の多い気候でしょう。障子を閉めきり火鉢《ひばち》に火を入れて見ても着ている着物までが濡《ぬ》れるようなので、私は魚介《ぎょかい》のように皮膚に鱗《うろこ》が生えはしないかと思うほどです。亜米利加《アメリカ》を去る時ロザリンが別れの形見にくれた『フランシスカ伯爵夫人の日記』という、立派な羊の皮の表装は見るかげもなく黴《か》びてしまいました。巴里《パリー》の舞踏場でイボンと踊った漆《うるし》の塗靴《ぬりぐつ》は化物のように白い毛をふき、ブーロンユの公園の草の上にヘレーネと横《よこた》わった夏外套《なつがいとう》も無惨な斑点《しみ》を生じた。  物売りの声裏悲しく、彼方此方《あなたこなた》に人の雨戸を繰る音が聞えて夜《よる》が来ると、ああ日本の夜の暗い事はとても言葉にはいい尽《つく》せません。死よりも墓よりも暗く冷く、淋《さび》しい。如何なる憤怒絶望の刃《やいば》を以てするも劈《つんざ》きがたく、如何なる怨恨《えんこん》悪念の焔を以てするも破りがたい闇《やみ》の墻壁《しょうへき》とでもいいましょうか。私はたった一つ広い座敷の真中《まんなか》についている暗いランプの笠《かさ》の下に楽しい月日に取りやりした彼《あ》の人たちの手紙を読み返して……読み尽し得ずしてその上に顔を押当てて泣き伏します。庭一面|相《あい》も変らぬ虫の声……  しかし私はやがてこの暗い夜、この悲しい夜の一夜《いちや》ごとに、鳴きしきる虫の叫びの次第に力なく弱って行くのを知りました。私はいつか袷《あわせ》の上に新しい綿入羽織《わたいればおり》を着ています。新しい呉服物《ごふくもの》の染糸《そめいと》の匂《におい》が妙に胸悪く鼻につきます。雨はもう降りません。朝夕の冷《ひやや》かさに引換えて、日の照る昼過ぎは恐しいほど暑い。木の葉は俄《にわか》に黄ばんで風のないのにはらはら[#「はらはら」に傍点]と苔《こけ》の上に落ちるのをば、この夏らしい烈《はげ》しい日の光に眺めやると、私はいかにも不思議で不思議でならないような心持がします。「このあたり木の葉は散る春の四月」と仏蘭西《フランス》の或《ある》詩人が南亜米利加《みなみアメリカ》の気候を歌ったそのような幽愁の味《あじわい》深い心持がします。読みさしの詩集なぞ手にしたまま、午後《ひるすぎ》庭に出て植込《うえこみ》の間を歩くと、差込《さしこ》む日の光は梅や楓《かえで》なぞの重《かさな》り合った木の葉をば一枚々々照すばかりか、苔蒸《こけむ》す土の上にそれらの影をば模様のように描いています。この影の奥深くに四阿屋《あずまや》がある。腰をかけると、後《うしろ》は遮《さえぎ》るものもない花畠《はなばたけ》なので、広々と澄み渡った青空が一目《ひとめ》に打仰《うちあお》がれる。西から東へと、この広い大空を白い薄雲が刷毛《はけ》でなすったように流れていましたが、いつまで眺めていても少しも動かない。無数の蜻蛉《とんぼ》が丁度フランスの夏の空に高く飛ぶ燕《つばめ》のように飛交《とびちが》っている。畠は熊笹《くまざさ》茂る垣根|際《ぎわ》まで一面の烈《はげ》しい日の光に照らされ、屋根よりも高いコスモスが様々の色に咲き乱れている。葉鶏頭《はげいとう》の紅が燃え立つよう。桔梗《ききょう》や紫苑《しおん》の紫はなお鮮《あざや》かなのに、早くも盛りを過《すご》した白萩《しらはぎ》は泣き伏す女の乱れた髪のように四阿屋の敷瓦《しきがわら》の上に流るる如く倒れている。生き残った虫の鳴音《なくね》が露深いその蔭《かげ》に糸よりも細く聞えます。  ああ忘られた夏の形見。この青空この光。どうしてこれが十月。これが秋だと思えましょう。膝《ひざ》の上なる詩集の頁は風なき風に飜《ひるがえ》ってボードレールの悲しい「秋の歌」、 [#ここから2字下げ] 〔Ah! Laissez-moi,mon front pose' sur vos genoux,〕 〔Gou^ter,en regrettant l'e'te' blanc et torride,〕 〔De l'arrie`re saison le rayon jaune et doux!〕 [#ここで字下げ終わり] 「ああ、君が膝にわが額《ひたい》を押当てて暑くして白き夏の昔を嘆き、軟《やわら》かにして黄《きいろ》き晩秋の光を味《あじわ》わしめよ。」という末節の文字が明《あきら》かに読まれます。  私は何《なん》に限らず、例えば美しく咲く花を見れば、これ散り萎《しぼ》む時の哀れさを思わせるために咲いているのではないかと思う。楽しい恋の酔《え》い心地は別れた後《あと》の悲しみを味わしめるためとしか思われませぬ。秋の日光は明日《あした》来る冬の悲しさを思知《おもいし》れとて、かように麗《うるわ》しく輝いているのでしょう。私は妙に心も急《せ》き立って一分一秒も長く、薄れ行く日の光を見たいと思って、その頃は庭のみならず折々は門を出で家の近くをも散歩に出掛けました。あわれ秋の日。故郷の秋の日は如何《いか》なる景色を私に紹介しましたろう……     *      *      *      *  手紙の初めにも申上げたよう私の家《うち》は市《いち》ヶ|谷《や》監獄署の裏手で御在《ござ》います。五、六年前私が旅立する時分《じぶん》にはこの辺は極《ご》く閑静な田舎でした。下町《したまち》の姉さんたちは躑躅《つつじ》の花の咲く村と説明されて、初めてああそうですかと合点《がてん》する位でしたが、今ではすっかり場末の新開町《しんかいまち》になってしまいました。変りのないのは狭い往来を圧して聳立《そびえた》つ長い監獄署の土手と、その下の貧しい場末の町の生活とです。  私の門前には先ず見るも汚らしく雨に曝《さ》らされた獄吏の屋敷の板塀が長くつづいて、それから例の恐しい土手はいつも狭い往来中《おうらいじゅう》を日蔭《ひかげ》にして、なおその上に鼬《いたち》さえも潜《くぐ》れぬような茨《いばら》の垣が鋭い棘《とげ》を広げています。土手には一ぱい触《さわ》れば手足も脹《は》れ痛む鬼薊《おにあざみ》が茂っています。  私は以前二百十日の頃には折々立続くこの獄吏の家の板塀が暴風《あらし》で吹倒《ふきたお》される。すると往来には近所の樹木の吹折られた枝が無惨に落ち散っているその翌日の朝、きっと円い竹の皮の笠《かさ》を冠《かむ》り襟《えり》に番号をつけた柿色《かきいろ》の筒袖《つつそで》を着、二人ずつ鎖で腰を繋《つな》がれた懲役人が、制服|佩剣《はいけん》の獄吏に指揮されつつ吹倒された板塀をば引起《ひきおこ》し修繕しているのを見たものです。夏の盛りの折々にはやはり一隊の囚人が土手の悪草を刈っている事もありました。それをば通行の人々が気味悪そうな目付《めつき》をしながらしかもまた物珍しそうに立止って見ていました。  土手はやがて左右から奥深く曲り込んで柱の太い黒い渋塗りの門が見えます。その扉はいつでも重そうに堅く閉されていて、細い烟出《けむだ》しが一本ひょろり[#「ひょろり」に傍点]と立っている低い瓦《かわら》屋根と、四、五本の痩《や》せた杉の木立の望まれる外《ほか》には、門内には何一つ外から見えるものはない。聞える声もない。私の目には杉の木がかくも淋しく別れ別れに立っているのは、獄舎の庭では夜陰《やいん》に無情の樹木までが互《たがい》に悪事の計画《たくらみ》を囁《ささや》きはせぬかと疑われるので、此《か》くは別々に遠ざけ距《へだ》てられているのであろうというように見えてなりません。  高い土手が尽きると、狭い往来は急に迂曲《うきょく》した坂になり、片側は私の知らぬ間《ま》にいつか金持らしい紳士の新宅になって石垣が高く築かれていますが、その向いの片側は昔から少しも変りのない貸長屋で、下《お》り行く坂道に従って長屋は一軒々々箱を並べたように重《かさな》っています。後《うしろ》は一面監獄署の土手に遮《さえぎ》られているのでこの長屋には日の光のさした事がない。土台はもう腐って苔《こけ》が生え、格子戸《こうしど》の外に昼は並べた雨戸の裾《すそ》は虫が食って穴をあけている。いつでもその中《うち》の二、三軒には、拙《つた》ない文字で貸家|札《ふだ》の張られていない事はない。内職の札の下っていない事はない。私は以前よくこの長屋の前を通る時、寒い冬の夕方なぞ、薄暗い小窓の破れ障子に、中《うち》なるランプの灯《ひ》が後毛《おくれげ》を乱した女の帯なぞ締め直している薄い影をば映し出しているのを見た事があります。蒸暑い夏の夜《よ》には、疎《まばら》な窓の簾《すだれ》を越してこういう人たちの家庭の秘密をすっかり一目《ひとめ》に見透《みすか》してしまう事がありました。今でも多分変りはあるまい。私は折々この貸長屋の窓下をば監獄署から流し出す懲役人の使った風呂《ふろ》の水が、何ともいえぬ悪臭と気味悪い湯気を立てながら下水の溝《みぞ》から溢《あふ》れ出していた事を記憶している。しかし驚くべきはこの辺に住んでいる女房たちで、寒い日にはそれをば頻《しきり》と便利がって、腫物《できもの》だらけの赤児《あかご》を背負い汚い歯を出して無駄口をききながら物を洗っている。また夏中は遠慮もなく臭い水をば往来へ撒《ま》いていたものです。  さて坂を下り尽《つく》すと両側に居並ぶ駄菓子屋荒物屋|煙草屋《たばこや》八百屋《やおや》薪屋《まきや》なぞいずれも見すぼらしい小売店《こうりみせ》の間に米屋と醤油屋だけは、柱の太い昔風の家構《いえがまえ》が何となく憎々しく見え、漠《ばく》とした反抗心を起させます――といってそれは社会主義なぞいう近代的の感想ではない。家構が古い形だけに、児雷也《じらいや》とか鼠小僧《ねずみこぞう》とか旧劇で見る義賊のような空想に過ぎない。この辺に不思議なのは二軒ほども古い石屋の店のある事で、近頃になって目について増え出したのは天麩羅《てんぷら》の仕出屋《しだしや》と魚屋とである。これは日を追うて建て込んで行く貸屋のために界隈《かいわい》が開けて来た証拠《しょうこ》であろう。青苔の薄気味わるく生えた板の上、油で濁った半台《はんだい》の水の中に、さまざまの魚類の死骸《しがい》や切りそいだその肉片、串《くし》ざしにした日干しの貝類を並べて、一つ一つに値段を書いた付木《つけぎ》や剥板《そぎいた》をばその間にさしてあるが、何《いず》れを見ても、一片《ひときれ》十銭《じっせん》以上に上《のぼ》っているものは甚だ少い。見渡す処、死んだ魚の眼の色は濁り淀《よど》みその鱗《うろこ》は青白く褪《あ》せてしまい、切身《きりみ》の血の色は光沢《つや》もなく冷《ひえ》切っているので、店頭の色彩が不快なばかりか如何《いか》にも貧弱に見えます。西洋の肉売る店の前を過ぎて見るから恐しい真赤《まっか》な生血《なまち》の滴《したた》りに胆《きも》を消した私は、全くその反対、この冷い色のさめた魚肉が多数の国民の血を養う唯一の原料であるのかと思うと、一種いわれぬ悲愁を感せずにはおられません。ましてや夕方近くなると、坂下の曲角《まがりかど》に頬冠《ほおかむ》りをした爺《おやじ》が露店《ろてん》を出して魚の骨と腸《はらわた》ばかりを並べ、さアさア鯛《たい》の腸《わた》が安い、鯛の腸が安い、と皺枯声《しわがれごえ》で怒鳴《どな》る。そのまわりには、児《こ》を負《おぶ》った例の女房共が群集して大声に値段を争う。  大空は砂で白くなった瓦《かわら》屋根の上に、秋の末の事ですから、夕陽《ゆうひ》の名残が赤いというよりもむしろ不快な褐色に烈《はげ》しく燃え立っているので、狭い往来の物の影はその反対に夜《よる》の闇《やみ》よりもなお強く黒く見えます。勤め先からの帰りと覚しい人通りが俄《にわ》かに繁《しげ》くなって、その中にはちょっとした風采《みなり》の紳士もある。馬に乗った軍人もある。人力車《じんりきしゃ》も通る。しかし両側の人家ではまだ灯《ともしび》一つ点《とも》さぬので、人通りは真黒《まっくろ》な影の動くばかり、その間をば棒片《ぼうちぎれ》なぞ持って悪戯盛《いたずらざか》りの子供が目まぐるしく遊びまわっている。私は勤帰《つとめがえ》りの洋服姿がどうかすると路傍《みちばた》の腸売《わたう》りの前に立止り、竹皮包《たけのかわづつみ》を下げて、坂道をば監獄署の裏通りの方へ上《あが》って行くのを見ました。それが何という訳《わけ》もなく、貧しい日本の家庭の晩餐《ばんさん》の有様を聯想《れんそう》せしめます……。  借家の格子戸《こうしど》がガタガタいって容易に開《あ》かない。切張《きりば》りをした鼠色《ねずみいろ》の障子にはまだランプの火も見えない。上框《あがりがまち》は真暗《まっくら》だ。洋服の先生はかつて磨いた事もないゴム靴を脱捨《ぬぎすて》て障子を開けて這入《はい》ると、三畳敷の窓の下で、身体《からだ》のきかない老婆《ろうば》が咳《せき》をしている。赤児《あかご》がギャアギャア泣いている。細君は夜になってから初めて驚き、台所の板の間《ま》に蛙《かえる》の如くしゃがん[#「しゃがん」に傍点]で、今しも狼狽《あわて》てランプへ油をついでいる最中《さいちゅう》。夫の帰った物音に引窓からさす夕闇《ゆうやみ》の光に色のない顔を此方《こなた》に振向け、油気《あぶらけ》失《う》せた庇髪《ひさしがみ》の後毛《おくれげ》をぼうぼうさせ、寒くもないのに水鼻《みずばな》を啜《すす》って、ぼんやりした声で、お帰んなさい――。  すると、夫は返事の代りに、今頃ランプの掃除をするのかと、家事の不始末不経済を攻撃する。老母が夜具の中から匍《は》い出して何かと横口《よこぐち》を入れる。夫、妻、いずれの方へ味方をしても同じ事、一場の争論に花が咲く。其処《そこ》へ七《なな》、八《や》ツになる子供が喧嘩《けんか》をして溝《どぶ》へ落ちたとやら、衣服《きもの》を溝泥《どぶどろ》だらけにして泣きわめきながら帰って来る。小言がその方へ移る。やっとの事で薄暗いランプの下に、煮豆に、香物《こうのもの》、葱《ねぎ》と魚の骨を煮込んだお菜《さい》が並べられ、指の跡のついた飯櫃《おはち》が出る。一閑張《いっかんばり》の机を取巻いて家族が取交す晩餐の談話というのは、今日の昼過ぎ何処そこの叔父さんが来てこの春の母が病気の薬代《くすりだい》をどういったとか、実家《さと》の父が免職になったとか、それから続いて日常の家計談になる。家族の口はまるで飯を食うのと生活難を方針なく嘆き続けるためにしか出来ていない。貧しくとも、貧しからずとも、つまり同じ事でしょう。こういう人たちには純粋な談話の趣味という事は解釈されないのです。言語は乃《すなわ》ち、相談と不平と繰言《くりごと》と争論と、これより外《ほか》には全く必要がないのです。     *      *      *      *  秋の光を味《あじわ》おうと散歩するわが家の門前、監獄署の裏通りはこんな有様でした。なおこの上にも私の心を痛いほどに引締めるのは、時々坂道の真中《まんなか》で演ぜられる動物虐待の悲劇です。遠路《とおみち》を痩馬《やせうま》に曳《ひ》かした荷車が二輛《にりょう》も三輛も引続いて或時《あるとき》は米俵或時は材木|煉瓦《れんが》なぞ、重い荷物を坂道の頂きなる監獄署の裏門|内《うち》へと運び入れる。ところが意地悪く門前の広場は坂から続いて同じような傾斜をなし、湿った柔い地面に車輪が食込んでしまうので、馬は疲《つか》れて到底《とて》も一息には曳込む事が出来ない。それをば無理無体に荒くれた馬子供《まごども》が叱咜《しった》の声激しく落ちた棒片《ぼうぎれ》で容捨もなく打ち叩《たた》く、馬は激しく手綱《たづな》を引立てられ、轡《くつわ》の痛みに堪えられぬらしく、白い歯を噛《か》み、鬣《たてがみ》を逆立て、物凄《ものすさま》じく眼を血走らせて遂にはがっくり[#「がっくり」に傍点]砂利の上に前足を折って倒れてしまう事も度々です。狭い坂道は無論この騒ぎで往来止めとなり、通行人の大概は驚くどころか面白半分口を開《あ》いて見ています。私は今日まで日本の社会に動物虐待の事件が、単に一部の基督教者《キリストきょうしゃ》の間に止《とどま》って、一日|半時《はんとき》とても猶予《ゆうよ》すべからざる国民一般の余儀ない問題にならない、この証拠を目撃して悲しみましょうか喜びましょうか。私は唯だ日本人は将来においても確かに最《も》う一度ロシヤを征伐する事の出来る戦乱の民であるという感を深くするだけです。御安心なさい。愛国の諸君よ。黄人《こうじん》の私をして白人の黄禍論《こうかろん》を信ぜしめる間は、君らは須《すべから》く妻を叱咜《しった》し子を虐《しいた》げ太白《たいはく》を挙げてしかして帝国万歳を三呼《さんこ》なさい。われらが叫ぶ、新らしき幽愁の詩人が理想の声を心配するには時代がまだ余りに早過ぎましょう。  私は次第々々に門の外へ出る事を厭《いと》い恐れるようになりました。ああ私はやはり縁側の硝子戸《ガラスど》から、独り静《しずか》に移り行く秋の日光《ひかげ》を眺めていましょう。  秋は早や暮れて行きます。かの夏かと思う昼過ぎの烈《はげ》しい日の光はすっかり衰えて、空はどんよりといつでも曇っています。それは丁度広い画室の磨硝子《すりガラス》の天井でも見るよう。浮雲の引幕《ひきまく》から屈折して落ちて来る薄明《うすあかる》い光線は黄昏《たそがれ》の如く軟《やわらか》いので、眩《まばゆ》く照り輝く日の光では見る事|味《あじわ》う事の出来ない物の陰影《かげ》と物の色彩《いろ》までが、かえって鮮明に見透《みとお》されるように思われます。木の葉は何時《いつ》か知らぬ間に散ってしまって、梢《こずえ》はからり[#「からり」に傍点]と明《あかる》く、細い黒い枝が幾条《いくすじ》となく空の光の中に高く突立《つった》っている。後《うしろ》の黒い常磐木《ときわぎ》の間からは四阿屋《あずまや》の藁《わら》屋根と花畠《はなばたけ》に枯れ死した秋草の黄色《きばみ》が際立《きわだ》って見えます。縁先の置石《おきいし》のかげには黄金色《こがねいろ》の小菊が星のように咲き出しました。その辺からずっ[#「ずっ」に傍点]と向うまで何《なん》にも植えてない広い庭の土には一面の青苔が夏よりも光沢《つや》よく天鵞絨《ビロウド》の敷物を敷いている。二、三匹の鶺鴒《せきれい》がその上をば長い尖《とが》った尾を振りながら苔の花を喙《ついば》みつつ歩いている。鼠色《ねずみいろ》したその羽の色と石の上に買いた盆栽の槭《はぜ》の紅葉《こうよう》とが如何に鮮《あざや》かに一面の光沢《つや》ある苔の青さに対照するでしょう。  風は少しもありません。行く秋の曇った午過《ひるす》ぎは物の輪廓を没して、色彩ばかり浮立つ幻覚に唯だどんよりと静まり返っているのです。しかし折々落ち残った木の葉が、忽然《こつぜん》として一度にはらはらと落ちます。思い掛けないこの空気の動揺は、さながら怪人の太い吐息を漏《もら》すがよう。すると常磐木の繁《しげ》り、石の間なる菊の叢《くさむら》まで、庭中のありとあらゆる草木《そうもく》の葉は、何とも言えぬ悲愁の響を伝えますが、直《す》ぐとまたもとの静寂に立返って、滑《なめら》かな苔の上には再び下り来る鶺鴒の羽の色、菊の花、盆栽の紅葉《こうよう》。ああ、夢の光、行く秋の薄曇り。  閣下よ。私は昨日からヴェルレーヌが獄中吟『サッジェス』を読んでおります。 [#ここから2字下げ] おゝ、神よ、神は愛を以てわれを傷付け給へり。その瑕《きず》開きていまだ癒《い》えず。 おゝ、神よ、神は愛を以てわれを傷付け給へり。…… [#ここで字下げ終わり]  閣下よ。冬の来ぬ中《うち》是非一度、おいで下さい。私は淋しい……。 [#地から2字上げ]明治四十一年一二月稿 底本:「雨瀟瀟・雪解 他七篇」岩波文庫、岩波書店    1987(昭和62)年10月16日第1刷発行    1991(平成3)年8月5日第6刷発行 底本の親本:「荷風小説 二」岩波書店    1986(昭和61)年6月9日 初出:「早稲田文学」    1909(明治42)年3月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:入江幹夫 校正:酒井裕二 2018年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。