鉢の木 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)藪下《やぶした》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)松平|主殿助《とのものすけ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)咜 ------------------------------------------------------- [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  そのような運命が一夜のうちにめぐって来ようとは思いも及ばぬことであった。もしも半日まえにそう予言する者があったとしても、おそらくかれは一笑に付してかえりみなかったに違いない、すべての事情がそれほどゆきづまり、心は絶望におちていたのである。……その運命の時からちょうど半日まえ、四郎兵衛は藪下《やぶした》の家で賃取りの箭竹《やだけ》つくりをしていた。家といっても柱は歪《ゆが》み壁は落ち、床も框《かまち》も朽ち腐ったようなむざんなありさまで、どんなに貧しい農夫でも住む気にはなれそうもないものだった。村の人たちが藪下と呼んでいるとおり、まわりは叢林《そうりん》と藪でかこまれているうえに西がわから南を丘で塞《ふさ》がれているため、少し日が傾くと家の中は黄昏《たそがれ》のように暗くなる。裏には丘の根からひいた筧《かけひ》があって絶えず潺涓《せんけん》の音をたてていたし、春になると横手にある辛夷《こぶし》の花が窓から散りこみ、また四季を通じて破れた板庇《いたびさし》から月がさしこんでくる、けれどもそういうものを風雅だと思うには心のゆとりが無さすぎた。朝夕の炊《かし》ぎの代に窮するというだけではない、寐《ね》ても覚めても、かた時も忘れがたい苦しい想いが心をとらえて放さないのである。――こうしてなにを待っているんだ、そのときもかれはおなじ自問自答を繰り返していた。なにを待っているんだ、このとおりすべてがゆきづまり、あらゆる期待が絶望だとわかっているのに、どうしてこのみじめな生命に区切りをつけないんだ。幾たび繰り返してもおなじところへおちるにきまっていて、しかも絶えず頭を去らない苦しい想いだった、ついには堪えられなくなって、手にした小刀を措き惘然《もうぜん》と外へ眼をそらした。そこへ道のほうから妹がはいって来た、……家の中はもうかた明りで暗かったが、戸外は黄昏まえの鮮やかな光りが漲《みなぎ》っていて、はいって来る萩尾の姿をあやしいほど美しく描きだしてみせた。 「唯今もどりました……」萩尾は兄の眼に気づいてそっと微笑しながら会釈をした、四郎兵衛はわれ知らず「ちょっとそこに立っていてごらん」と呼びかけた。萩尾はなにごとかという風に立ちどまった、光りのためだけではなく萩尾は美しかった、四郎兵衛はまるで初めて見るような眼つきで妹の姿を眺めやった。着ている帷子《かたびら》は洗い晒《さら》してもう地色もよくはわからない、帯はいろいろの布切を継ぎ合せたものだ、油もつけない髪はむぞうさに結んで背に垂れている、どこに一つ年頃のむすめらしい彩りもなく、あわれなほども貧しいなりかたちなのに、やわらかく緊った頬や、ふっくりと二重にくくれた顎《あご》や、なめらかにすんなりと伸びた手足の膚は、溶けてしまいそうなほど匂《にお》やかに艶《つや》つやしい、三年にわたる貧窮の暮しも、萠《も》えいでる若い命は抑えることができなかった、現在の身の上が暗澹《あんたん》たるものであるだけなおさら、花期をあやまたぬいのちのふしぎさが四郎兵衛の眼を瞠《みは》らせたのであった。「……そのようにごらんあそばしてはいやでございます」萩尾は羞《はず》かしげに片手を頬へ当てた、「なにか付いてでもいるのでございますか」「もういいからおあがり、お疲れだったろう……」いつになく労《いたわ》りの言葉を与えながら四郎兵衛は小刀を取った、妹の美しさは眼をおどろかしたが、それはすぐに胸を苦しめるものだった、――この美しさも結局は実をむすばずに終るのだ、そういう気持がつきあげて来て、呻《うめ》きだしたいほど鋭く心を突刺すのである、かれはのしかかってくる苦悶《くもん》とたたかうかのように、ひたすら箭竹を削りはじめた。  壱式四郎兵衛はもと鳥居元忠の家来だったが、三年まえ彦右衛門元忠の意にかなわぬ事があって勘当された。――折をみて必ず帰参のかなうように計ろう、望みを棄てずに暫《しばら》く辛抱するがよい、旧友のひとりがそう云って呉《く》れるのをたよりに、妹の萩尾をつれて退国したかれは、遠いしるべの伝手《つて》でこの酒波の里へ身を隠した、酒波は近江《おうみ》のくに高島にあり、琵琶湖の今津という船着き場から二里ほどの在に当る、そのころ旧主の鳥居彦右衛門は徳川家康のお側去らずで、殆んど京か伏見に詰めていたから、少しでも近くという意味でそういう処《ところ》を選んだのであった。……かれには貯えというほどのものも無かったので、はじめから僅かな持物を売り食いにして暮した、本来そのような山里で、武家の道具を買う者などある筈はないのだが、佐伯又左衛門という土地の資産家があり、兄妹の身の上に同情したようすで、なに品に限らずこころよく買って呉れた。佐伯家はなん百年という伝統をもった名だかい豪族であるが、当主の又左衛門は二十七歳にもなるのにまだ独身だった、父も母もはやく世を去り、噂《うわさ》によるとかれ自身も病弱のため、その年まで娶《めと》らずにいるのだという。高い築地塀《ついじべい》をめぐらした屋敷構えは、その造りも位置も、そして空壕《からぼり》や石塁《せきるい》の跡などの遺っているさまも、むかし館城《やかたじろ》だったことを明らかに示している。しかし武家造りのその表門はいつもかたく閉められたままで、男ばかり二十人ほどの家僕がいるほか女というものは老婆のかげもなく、ひっそりとして、人の出入りも稀《まれ》なほど静かな暮しをしていた。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  四郎兵衛は持物を買って貰うために時おり佐伯家を訪れた。けれども応待に出るのは権之允《ごんのじょう》という老人の家扶《かふ》で、あるじ又左衛門にはいちどしか会ったことはなかった。そのときの印象では背丈こそ高く人品こそ秀でていたが、いかにも痩《や》せた骨細のからだつきで皮膚の色も白く、眉間《みけん》には憂鬱な、無感動な性格が刻みつけられているようで、青年らしい精気というものがまるっきり感じられなかった。――これだけの豪家に生れつきながら可哀そうになが生きはしないぞ、四郎兵衛はそのときそう考えたことを覚えている。すると住みついて一年ほどした或るとき、権之允という老家扶が藪下の家へ訪ねて来た、用むきというのは、萩尾を佐伯家の嫁に欲しいというのである。はなしを聴くと当の又左衛門がぜひとの望みで、したくはむろん全部ひきうけるし、四郎兵衛の身の上についても然《しか》るべく相談に乗ろうということだった。まったく思いがけない縁談なので初めはあっけにとられた、そしてまだ年がゆかぬからという理由で鄭重《ていちょう》に断った。かれはもちろん旧主へ帰参する望みをもっていたし、たとえそうでなくともこんな山里の、しかも骨のぬけたような男に、妹の一生を託すつもりはなかったのである。つまりそういう意味を籠《こ》めて断ったのであるが、それから一年して去年の冬のはじめに、再び老人が来ておなじはなしをもちだした、――明ければ十八になるということだし見かけのなりかたちも早いとは思えない、今年うちに盃《さかずき》だけでもとり交わしたいから、そう云って即答を求めた。四郎兵衛としてはまえの断りでこちらに縁組の気持のないことを暗示したつもりだったが、正直に年の長《た》けるのを待っていたと聞いて、ひどく当惑した。それでやむなく苦しい口実を設けた、――実は旧主のもとに約束を交わした者もあるのでせっかくながらこの縁談はご辞退しなければならぬ、いかにも苦しまぎれな口実だったがそう云ってはっきり断った。権之允老人はひじょうにはらをたてた、――それならどうして初めにそう云わなかったのか、年が若いと申すから一年待ったのに、今になって他に約束があるとは老人を愚かにしすぎる、さような返辞を持って帰れると思うか、膝《ひざ》を叩かぬばかりの怒りかたで、ついにはこれまでの恩義がどうのということまで云いだした。その言葉は四郎兵衛の自尊心を傷つけた、そしてはげしい口論になり、老人は席を蹴《け》って帰り去ったのである。  その頃はもう売る物もなくなっていたけれど、佐伯家と縁の切れたことは朝夕の心の拠りどころを喪《うしな》った感じでなんとも侘《わび》しかった、それでもまだ帰参という望みがあったので、かれは人足に出たり賃仕事をしたりして稼《かせ》ぎ、萩尾も縫張り洗濯などをして、兄妹ふたりどうやら粥《かゆ》を啜《すす》って来たのである。すると今年[#1段階小さな文字](慶長五年)[#小さな文字終わり]の六月のことだったが、徳川家康が会津の上杉氏討伐の軍をおこしたという風評が伝わってきた、……いよいよ時節だ、かれは躍りあがるような気持でそう思った、出陣となれば帰参のゆるしが出るに違いない、まわりからも執成《とりな》して呉れるであろう、吉報はいつ来るか、今日か、明日か。立ちつ居つ待ったがなんの知らせもない、日は経ってゆき、東へ征《ゆ》く諸将の名が次ぎ次ぎと伝わって来る、かれは風説を耳にするたびに元忠の膝下《しっか》へ駆けつけようと思った、幾たびそう決心したことだろう、けれどもあれほど堅く約束して呉れた旧友がいるのに、今もって知らせのないのは御勘気がゆりていないからに違いない、そうだとすれば押して駆けつけるのは主人の勘当をないがしろにすることだ、さむらいとして主人の御意志を無視することは道に外れる、それはますます不興を買うことになるだろう、四郎兵衛は生れて初めて神に祈った、――ああ弓矢八幡、しかしその甲斐《かい》はなかった、つい二十日ほどまえに徳川本軍が東へ進発したということがわかったのである、御旗もと本軍が発したとすれば、鳥居元忠が扈従《こしょう》していない筈はない、四郎兵衛はまったくうちのめされた、――やっぱりお赦しはないのか、このまま朽ちてしまえとのおぼしめしか。もはやなんの希望もない、なにもかも絶望である、この軍におくれるくらいなら、いっそ妹を手にかけて割腹すべきだ、この数日はそのことだけを思いくらしていたのであった。 「兄上さま……」萩尾に呼ばれて四郎兵衛はふとわれにかえった。いつか日は昏《く》れかかって、廂《ひさし》をすべってくる光りも仄暗《ほのぐら》く、林のあたりで蜩《ひぐらし》の鳴くこえが悲しげに聞えていた、「もうお手もとが暗《くろ》うございましょう、いま夕餉《ゆうげ》のおしたくを致しますから少しお休みあそばしましたら……」「うん休もう」そう云いながらふり返ったとき、厨《くりや》のほうへゆく妹の袂《たもと》から、はらりとなにか落ちるのをみつけた。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  萩尾なにか落ちたぞ、そう云おうとしてふと四郎兵衛は口をつぐんだ、妹の袂からこぼれ落ちたのは封じ文だったから、……ながいあいだ帰参の知らせを唯一のたのみとしていたかれには、文というだけで胸を突かれる思いがする、口まで出かかった声を抑え、妹が厨へ去るのを待ちかねてすばやく拾いあげた。みると表には「萩尾どの」とあり、裏には「佐」という字だけが小さく記してあった、そしてその一字は投げられた匕首《あいくち》のように、いきなり四郎兵衛の心をぐざと刺した、文を持つかれの手が震え、鬢《びん》のあたりが蒼《あお》くなった。 「萩尾これへまいれ……」坐り直してかれはそう呼んだ、萩尾は濡れた手を拭いてすぐに来た。そこへ坐れと云われて不審そうに兄を見ながら座につくと、その眼をひたと見まもりつつ四郎兵衛が云った、「おまえ今日どこへまいった」「酒波寺のお納所へ縫物をお届けにまいりました」「そのほかに立寄ったところはないか」「はい……」「では途中で誰かに会いでもしたか」そう云われると萩尾は眩《まぶ》しげに眼をしば叩きながら俯向《うつむ》いた、「はい……帰る道で佐伯さまにお会い申しました」「これまで幾たび会った」びっくりしたように萩尾は眼をみはって兄を見あげた、「……これまでお眼にかかったことはございません、佐伯さまはいかがですか存じませぬけれど、お会い申してお言葉を交わしたのはわたくし今日が初めてでございます」「それに相違あるまいな」「はい……」美しく澄んだまぎれのない眸子《ひとみ》だった、かれはその眼をじっと見まもっていたが、やがて封じ文をそこへさしだした、「この文は承知で貰ったのか」「…………」萩尾はそれを見やったが、まるで覚えのないようすでそっと頭を振った。「いまおまえの袂から落ちたのだ、知っていたか知らなかったのか」「存じませんでした」「きっとだな」「はい……」よしと頷《うなず》いたかれは、刀を取って立ちあがった。萩尾は色を失い、身を震わせながら兄上さまと呼びかけた、かれはそのまま土間へおり、草履を穿《は》きつつふり返って、「すぐもどって来る、そこに待っておれ」そう云いすてると大股《おおまた》に外へ出ていった。  状態が違っていたらそれほどのいきどおりは感じなかったかも知れない、あらゆる事がゆきづまり、ひたすら死を思っているとき妹に付け文をされた、こちらの状態と付け文ということがあまりにかけ離れすぎていて、無作法というよりも侮辱感のほうがさきにきた。もっと直截《ちょくさい》にいえば、数十日このかた鬱々と絶望に沈んでいた気持が、堰《せき》を切った濁流のようにどっとその一点へ集注したともいえよう、自分でも制しようのない怒気に拳《こぶし》を震わせながら、かれは黄昏の道をずんずんとあるいていった。……佐伯の屋敷は丘ひとつ越した川上村の中央にある、日はようやく落ちて、夕靄《ゆうもや》のおぼろな田川では蛙の声がしきりだった、松林の間の小径をゆき当ると石段があり、登りつめたところが屋敷の表門だった、かれはくぐり門をはいり、榁木《むろのき》の前栽《せんざい》をまわって玄関へ立った。「佐伯又左衛門どの御意を得よう」屋敷じゅうに響くような声でかれは叫んだ、二どめに答えるこえがして、若い家僕があらわれた、「又左衛門どのに会いたい、壱式四郎兵衛がまいったと案内たのむ」「いかなる御用でございますか、わたくしが取次ぎを仕《つかまつ》りましょう」家僕の眼はあきらかに軽侮の色をみせていた、それがさらに四郎兵衛の怒りをかきたてた、「取次ぎではわからぬ主人を呼べ」「この家にさような作法はない」きっぱりはねつける面前へ「……踏みこむぞ」とかれは式台へ足をかけた、家僕ははじかれたように立って狼藉者《ろうぜきもの》と叫んだ、「出会え、狼藉者だ」するとその声を待っていたように、脇玄関のほうから四郎兵衛のうしろへ、ばらばらと七八人の者がとびだして来た、みんな屈竟《くっきょう》な男たちで、六尺棒を持ち素槍をとっている者さえある。四郎兵衛は片足を式台へかけたままふり返り、左手にぐいと刀をひきそばめた。しかしそのとき、廊下を走って来るあわただしい足音が聞え、「しずまれ、しずまれ」と云いながら又左衛門が玄関へあらわれた。  手燭《てしょく》を持った少年をつれて玄関へあらわれた又左衛門は、庭さきの男たちを叱咜《しった》してさがらせた、からだに似げなくきびきびとした挙措である、そして男たちが去るとしずかに向き直って四郎兵衛を見た、「礼をわきまえぬ者ばかりで無作法を仕った、なんの御用か……」「これだ」四郎兵衛は封じ文を相手の鼻さきへつきだした、「そこもとは武士のむすめに付け文をした、落魄《らくはく》しても武士には武士の名聞がある、そこもとも郷士ならそれを知らぬ筈はあるまい」「知っておる」「承知のうえで侮辱したのだな」「侮辱というのは違う、しかしまず云いぶんを聴こうか」「おれの住居へ来い」四郎兵衛は相手の眼をねめつけながら云った、「そして妹の前へ土下座をしてあやまれ、その迎えに来たのだ」 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し]  又左衛門は冷やかにこちらを見た、それからしずかに微笑さえうかべながら云った、「佐伯又左衛門は、生れてこのかた人に頭をさげたことがない、この文についてはなおさら、あやまる必要などはちっともないよ」「おのれのした事を恥かしいとも思わないのか」「いささかも……」又左衛門は再び頬笑んでそう云った、「萩尾どのを妻に欲しいという気持は潔白だ、萩尾どのこそ佐伯家の妻として恥かしからぬひとだ、そう思ったから家扶を遣《や》って作法どおり縁組を求めたのに、いちどは若すぎるといい次いでは他に婚約があるという挨拶だった、こちらは武士の言葉と信じて待ったが、そこもとの返辞はその信頼を裏切った」「待て、おれの言葉には申し条がある」四郎兵衛は遮《さえぎ》って云った、「縁談などというものは、断りにくいものだ、若すぎると申したのは辞儀だ、それで縁組の意志のないことは察すべきだった」「なぜ意志がないのだ、萩尾どのが不承知だったのか、そうではあるまい……」又左衛門は打ち返すように詰め寄った、「云われるまでもなく若すぎるという挨拶が辞儀だとは思った、そしてそこもとがこの縁談を嫌っていることも察した、どうして嫌うか、その理由もわからぬわけではない、そこもとにはこの又左衛門が柔弱者にみえた、豪家の奥にあまやかされて育った腰抜けとみえた、自分はあっぱれもののふだが佐伯又左衛門はとるに足らぬ男だ、そう見たそこもとの眼つきをおれはよく覚えている」「……ほう」たったいちど会ったときのこっちの観察をみのがさなかった、それは四郎兵衛にとってかなり意外なことであった、「そこに気づいておればまだしもだ、そしておれの眼ちがいでないこともわかったろう、女に付け文をするような男を柔弱とみたのは当然だぞ」「付け文には限らない、場合によればもっと思い切った手段もとる、男が一生の妻を選ぶのは真剣だ、萩尾どのを欲しいという気持は一時のできごころや気まぐれではないからな、……だが又左衛門が柔弱者かどうかをきめるのは、また別のはなしだよ」色も変えずにそう云う又左衛門の態度は、四郎兵衛にこれまでとは違った闘志を感じさせた。いつかみた憂愁の色や無感動なところはまるでみえない、眉宇《びう》にはつよい意志があらわれ、端正な相貌《そうぼう》はいかなるものにも屈しない不敵なちからが溢《あふ》れている、精気のぬけた男と憐《あわ》れんだ姿が、いま別人のようになって眼前に立っているのだ。「よく申した……」四郎兵衛はまるで快哉《かいさい》を叫ぶように云った、「それでは柔弱でない証拠をみせて貰おう、改めておれから果し状をつけるがみごと受けるか」「念には及ばぬ、どこで、いつ……」「場所は津野神社の境内、時刻はあすの明け七つだ」「心得た、だが一つだけ条件がある」又左衛門はしずかに云った、「場所も時刻もよい、しかし萩尾どのには内密だ、あのひとには断じて気づかれたくない、この条件を守って貰おう」「そうする必要があるのか」「ある……なぜなら、果し合が済んだらこの家へ迎えるつもりだから」にっと笑いながらそう云う顔を、四郎兵衛は寧《むし》ろ呆《あき》れたように見あげていた。  帰り去る壱式四郎兵衛を見おくってから、又左衛門は奥の居間へもどった、うるさく云い寄る家扶や家僕を遠ざけ、燭をかきたてて独り座につくと、われにもなく太息《といき》といっしょに「困った」と呟《つぶや》いた。かれが萩尾をおのれの妻にと思いきめてからかなり経つ、伝統の城ともいうべき古い屋敷のなかで、女性というものは亡くなった母ひとりしか知らず、男ばかりの召使のなかで成長した明け昏れは、侘しいものだった。豪族のひとり息子に生れたけれど、かれは古武士気質の父から厳しい躾《しつけ》をされ、起き臥《ふ》しから兵法の稽古まで、一般のさむらいと少しも違わぬ育ち方をして来た、一郷を押えるほどの山林田地と家産があり、伝来の勢力があり、人なみには劣らぬ覇気《はき》をもちながら、豪族の動きを極端に警戒する時世に阻まれて、山里に逼塞《ひっそく》したまま身ゆるぎもできず、二十七歳という年まで憂鬱の日を送ってきたかれは、萩尾をみいだしたとき初めて生きる目的を手にしたと思った、――萩尾が来て呉れたら佐伯家にも生命が吹きこまれるだろう、おれも肚《はら》を据えて郷土のためにひと仕事はじめられる、そういう確信さえうまれたのである。それから二年このかた、たとえどのような障碍《しょうがい》があろうとも、必ずこの縁組はなし遂げてみせると、かたく心にきめてきたのであった。「幾ら思案してもしようがない」又左衛門はやがてそう呟いた、「……萩尾を娶ることと果し合とは別だ、勝負は男と男との意地だ、勝ってゆこう、すべてはそのあとのことだ」そう思いきる心の内には、ふしぎなほど勝負に対する自信があった、四郎兵衛に向って云ったことがあながち強がりでなかったばかりでなく、独りになって考えても負けはせぬかという疑いは些《いささ》かもないのである、……久方ぶりで酒でも飲むか。そう思いかけたとき、二た間かなたの権之允の部屋で、声だかに誰かの話しているのが聞えた。それは四郎次という家僕の声だった。大阪へ使いにやったのが帰って来たとみえる、ひどくいきごんで話しているので、又左衛門はふと耳を澄ませた。 「……石田治部さまが、……伏見城、……鳥居彦右衛門さまと松平……」そんなきれぎれの言葉が二た間とおして聞えてくる、そのなかで鳥居彦右衛門という名が又左衛門をぎくりとさせた、……壱式四郎兵衛はもと鳥居元忠の家来だと聞いていた、それを思いだしたのである。かれは机上の鈴《れい》をとって振り、四郎次を呼べと命じた、若い家僕はまだ旅装も解かぬままで来た、「挨拶はよい……」又左衛門は四郎次が坐るのを待ちかねて云った、「伏見城がどうとやら申していたようだが、途中でなにかあったのか」「はい伏見で合戦がはじまろうとしております」四郎次は衿首《えりくび》の汗を押しぬぐいながら答えた、「……徳川どのが上杉征伐に出陣した留守を覘《ねら》って、石田治部どのが兵をお挙げになり、毛利どの御父子、島津どの、蜂須賀、小西、鍋島、長曽我部《ちょうそかべ》、宇喜多、吉川、小早川などという方がたがお味方で、京、大阪を押え、先鋒《せんぽう》は東へ攻めくだって伏見城をとり囲んでおります」「伏見城にはどなたがおる」「徳川どのおはたもとの鳥居彦右衛門、松平|主殿助《とのものすけ》、このお二人が主副の大将で、総勢千八百人あまりとうかがいましたし、治部どの軍勢は四万余騎ということでございます」「千八百人と四万余騎か……」「鳥居どのはじめ伏見城では、一人のこらず討死の覚悟でご籠城《ろうじょう》という評判でございました」又左衛門は頷いた。東征の留守を衝いた石田三成の挙兵は、まさしく徳川氏にとって興廃を決する大事だ、伏見城の守兵が桁《けた》はずれの大軍を迎え、全滅を期して戦おうとするのは当然である、それは眼に見る如くだった。「……権之允を呼べ」又左衛門はとつぜんそう云って立ちあがった、燭台の火がそれに煽《あお》られてゆらゆらとはためいた。 [#6字下げ]五[#「五」は中見出し]  四郎兵衛はふしぎな感慨に耽《ふけ》っていた。夜半を過ぎてずいぶん経つのに、頭も眼も冴《さ》えて少しもねむけがおこらない、囁《ささや》くような筧《かけひ》の水音や、遠い蛙のこえや、ときおり裏の叢林で寝鳥の騒ぎたつけはいなどが、しんかんと更けわたる夜のしじまを却《かえ》ってあざやかに感じさせるようだ、……かれは又左衛門のことを考えていた、夕刻でかけてゆくときはあれほどの憎悪に身を震わせたのが、今はまるで跡かたもなく消えていた。憎悪や怒りが無くなったばかりでなく、どうかすると好意をもちはじめてさえいるようだった。もちろんほかに理由があるわけではない、とるに足らぬ柔弱者と思っていたのがそうではなく、ものごし態度もりっぱだし、云うことも堂々として歯切れがよい、ちからのある眼光、気品の高い挙措など、すべてが快いほど予想をはずれていた。……いいやつだ、そう思う気持を追いかけるように、あれなら萩尾をまかせてもよいという心が動いた、数刻まえまではまるで縁のない人間だったのが、いまはふしぎに身ぢかな、いってみれば十年の知己のような感じさえする、――付け文には限らない、もっと思い切った手段もとる、萩尾どのを欲しいという気持は潔白だ、眉もうごかさずにそう云ったときの又左衛門の顔は、いま思い返しても胸のすく凛《りん》としたものだった。  酒波寺で撞《つ》く鐘が八つを知らせた、四郎兵衛はしずかに夜具をはねて起き、音をさせぬように厨口から裏へ出ていった。とうとう眠れなかったが、心はすがすがと軽かった、かれは津野神社での勝負に自分の死を賭《か》けている、又左衛門がまさしくたのむに足る男だったらかれはよろこんで斬られるだろう、もしまた口さきだけの似非者《えせもの》だったら、そのときは相手を斬ったうえ割腹するつもりだった、いずれにしても、ながいあいだ鬱屈していた絶望の生活にきりがつく、そのことだけでかれは身も心も軽くなったのである。筧の水でからだを浄《きよ》めたかれが、家の中へもどってみると、行燈《あんどん》に火がいれてあり夜具も片ついて、きちんと身じまいをした萩尾が坐っていた、四郎兵衛はちょっと驚いた、そこには白い洗いたての肌着と、一枚だけ残っている紋服が揃《そろ》えてある、そういうものが必要だということを推察していたのだ、かれは妹の心根がいじらしくなり、眼をそらせながらしずかに身支度をした。  すっかりしたくが終ると、灯のそばへ坐って妹を呼んだ、「これへまいれ萩尾、申し聞かすことがある……」萩尾は兄の前へ坐り直し、両手を膝に面《おもて》を伏せた、これからなにを云われるかということも察しているのであろう、額のあたりは蒼ざめているし、行燈の光りをうつしてほつれ毛が微《かす》かにふるえていた、「おまえにはずいぶん苦労をかけた、この三年、よくぞ貧窮の暮しに耐えて来て呉れたと思う、おれはもういちど世の花を見せてやれると信じていた、これまでの艱難《かんなん》を償ってやる時が来ると信じていたが、武運つたなくしてどうやらそれも仇《あだ》に終るらしい、兄としてはとうとうなにもして遣ることはできなかった、どうかゆるして呉れ」「兄上さま……」「いや暫く黙って聞くがよい、おれはもう少しすると此処《ここ》を出てゆく、どこへ、なんのためかということは話せない、しかしいずれにしても」そこまで云いかけて四郎兵衛はふいに口を噤《つぐ》んだ、深夜の道に戞々《かつかつ》と馬蹄《ばてい》の音がし、それがこの家の表へ来て停ったのである、兄妹は息をのみ耳を傾けた。するとさらに人の足音が門ぐちへ近寄り、たのもうという声がした、「……壱式どのに御意を得たい、たのもう」萩尾は兄の顔を見あげ、すぐに立っていって雨戸をあけた、「……まあ」とおどろきの声をあげる萩尾を押しのけるように、鎧櫃《よろいびつ》を背負った佐伯又左衛門がずかずかとはいって来た。 「壱式どの出陣のお支度だ」かれはそう云いながら、鎧櫃をそこへ置き、むぞうさにあがって来て四郎兵衛の前へ坐った、四郎兵衛は左手に刀をひきつけたまま唖然《あぜん》と眼を瞠《みは》っている、又左衛門は汗の光る額をあげ、一語ずつはっきりと意味をつよめながら、「……徳川どの東征の留守を覘って、治部|少輔《しょうゆう》どのが兵を挙げた、いまその先鋒四万余騎が伏見城へとり詰めているという、城兵すべて千八百騎、四万の大軍を相手に、全滅を期しての籠城ということだ」「して……」四郎兵衛はぐいと膝をすすめた、「して伏見の大将は誰びとかおわかりか」「大将は鳥居元忠どの、副将は松平家忠どのと聞いた」「それはまことか、伏見城の守将が鳥居……」云いかけて四郎兵衛ははっと喘《あえ》いだ、「たしかに誤りはない、家僕のひとりが大阪からの帰りに、伏見で現に見て来たのだ、壱式どの」又左衛門はひたと、相手の眼を見まもりながら云った、「……おそらく伏見は全滅をまぬかれまい、もはや赦免を待つときではないぞ」四郎兵衛はうむと呻《うめ》きながら両手でおのれの膝を掴《つか》んだ。 [#6字下げ]六[#「六」は中見出し]  勘当のゆるしのない理由がはじめてわかった、又左衛門の推測にまつまでもない、御しゅじん元忠が伏見に残ったとすれば、城兵のさいごの一人が討死するまで守りぬくことは必定だ、その決意なればこそ赦免の沙汰がなかったのだ、士を愛することの一倍つよい元忠は、全滅ときまっている合戦にわざわざ勘当の家来まで呼ぶ筈がない、――そうだ、おれはみすてられたのではない、そういう理由があったのだ、さればこそ旧友からの信《たよ》りもなかったのだ、ああ。 「果し合はあずかりだ」又左衛門が押しかぶせるように云った、「……駆けつけるがよい四郎兵衛どの、失礼だが甲冑《かっちゅう》は佐伯家重代のものを背負って来た、馬も逸物《いちもつ》を曳《ひ》かせてある、辞儀なしに受けて頂こう」四郎兵衛はくいいるような眼で又左衛門を見た、又左衛門もその眼をかっちりと受け止めた、そのときふたりの心は紙一枚の隙もなく結びつくように思えた、「……かたじけない」四郎兵衛は眼と眼をくい合せたままにっと笑った、「なにも云わずに御厚志を頂戴しよう」「それで持参しがいがあった、おてつだいをするからお着けなさるがよい」そう云って立ちあがり、鎧櫃を運んで来ながら、「萩尾どの盃のしたくをたのみます」と呼びかけた。……肌着から鎧下まで揃っていた。その一つ一つを着けてゆく四郎兵衛は、頬が赤くなり、眼が輝き、抑えても抑えても微笑が泛《うか》んできた。八重雲をひき裂いて天日がさんらんと光りを放ちだしたのだ、神かけて祈り待った時節が来た、よろこびというにはあまりに大きいよろこびが、歓声をあげ足を踏みならして全身をかけめぐる感じだった。「いま拙者がどんな気持でいるか、佐伯どのにはおわかりだろうか……」どうにも抑えきれなくなって、四郎兵衛は泣き笑いに顔を崩しながら云った、「いやおわかりにはなるまい、拙者にも口では云えぬ、たとえるものもない、ただ笑いたい、泣きたい、できることなら思いきり喚いて踊ってみたい、……これでさむらいと生れて来たかいがあった、云えることはそれだけだ、さむらいと生れて来たかいがあった、さむらいと生れて来たかいが」「そのよろこびを拙者にも分けて呉れぬか……」「分けられるものなら」「分けられるものだ、そこもとさえその気持があれば」「云って貰おう、なんだ」「まず坐ろうではないか……」すっかり身支度のできた四郎兵衛から離れて、又左衛門は表に待っている供の者を呼んだ。「酒肴《しゅこう》をこれへ持ってまいれ」答えるよりも先に、三人の家僕が用意の品を運び入れて来た。本当に盃のしたくだけしかできないでいた萩尾には、涙の出るほどうれしい品々であった、……打あわびがある、かちぐりがある、昆布《こんぶ》がある、貧しい折敷《おしき》にそれを配りながら、萩尾はふと又左衛門の寛《ひろ》い大きな心に抱きすくめられるような感動を覚えた。「そこもとはそれへ」又左衛門は鎧櫃に四郎兵衛を掛けさせ、配膳が済むと萩尾をその前に坐らせた。座は南面、酒は三献が作法である。式盃が済むと又左衛門が改めて盃を萩尾にまわした、そして四郎兵衛にふりかえって、「……壱式どの、あの盃を拙者が頂きたいがどうだ」「分けてほしいというのはそれか」「いやとは云わさぬつもりだ」「…………」四郎兵衛は又左衛門を見ていた眼をしずかに妹のほうへ向けた、「萩尾、佐伯どのはおまえを所望なさる、その盃を受けて頂くがよい」「…………」萩尾ははっと面を伏せた、やわらかい豊かな、匂やかな胸が波をうち、盃を持つ手が微かに顫《ふる》えた、「兄からは新しく申すことはない、佐伯家は由緒ある御家系だと聞いている、小身者のむすめだと嗤《わら》われぬよう、心をこめてお仕え申せ、女のつとめもまた命がけだぞ、忘れるな」「はい……」「佐伯どのふつつか者だ、おたのみ申す」四郎兵衛はそう云って低頭した。  かための盃が終ると、又左衛門は扇子をとりだして坐り直した、「ふたしなみだが祝儀を申そう」そして膝を打ちながら、さびのある美しい声調でしずかに鉢の木を謡いだした。「……かようにおちぶれては候えども、御らん候え、是に物具一領、なぎなたひとえだ、又あれに馬をも一|疋《ぴき》つないで持ちて候、唯今にてもあれ鎌倉におん大事あらば……」「ちぎれたりとも此の具足」と四郎兵衛がそれに和して謡いながら立った。廃屋の四壁に燈火の色は暗かったが、鎧《よろ》って立った四郎兵衛の姿と、うちつれて謡う朗々たる声とは、四隅の暗がりを吹き払って赫耀《かくよう》たる光りが漲りわたるように思えた、「ちぎれたりとも此の具足とって投げかけ、錆《さ》びたりとも長刀を持ち、痩《や》せたりともあの馬に乗り、一番にはせ参じ」「さて合戦はじまらば、敵大勢ありとても、かたき大勢ありとても、一番に割って入り、思う敵と寄り合いて死なん、……」声いっぱいに謡いながら、土間へおりた四郎兵衛はそこで「佐伯どの……」とふり返った、「萩尾……」かれは兜《かぶと》の眉庇《まびさし》の下から、じっと二人を瞶《みつ》めたが、さらばと云いさま鎧の袖をはらって大股に外へ出ていった。  又左衛門と萩尾はそこに坐ったままじっと戸外の物音に聞きいっていた。馬がたかく嘶《いなな》き、逸《はや》りたって地を蹴る、佐伯家の家僕たちの制する声につづいて、すぐ戞々と蹄《ひづめ》の音がおこり、それが道へと出てゆく、……萩尾はつよく眼をつむった、馬上に眉をあげている兄の顔がありありと見える、どんなにご本望だろう、そう思ったとき道のかなたで高だかと大きく四郎兵衛の喚くこえが聞えた、「わあーっ」声いっぱい喚きたいと云ったが、ついにかれは喚いたのである、続いてどっと蹄が大地を打ち、そのままいっさんに疾駆していった。御武運めでたく……萩尾は蹄の音の聞えなくなるまで、心のうちにただそれだけを祈った、「なんと羨《うらや》ましいものだろう」又左衛門がしずかに呟いた、「……ゆき着けば死ぬときまっている戦場へ、あれほどのよろこびを以《もっ》て駆けつけてゆくとは、悲壮でも壮絶でもなくよろこびを以て、さむらいの生きかたとは、なんと羨むべきものだろう」かれは卒然と立って板戸を押しあけた、明けやすき夏の空はほのかに白んで、露を含んだ爽やかな風がさっと吹き入ってきた、又左衛門は胸いっぱいの感動を吐きだすように、未明の空をふり仰いで大きく息を吐いた。 底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社    1983(昭和58)年10月25日発行 初出:「講談雑誌」博文館    1944(昭和19)年6月号 ※初出時の表題は「鎧櫃」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:北川松生 2024年11月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。