新潮記 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)嘉永《かえい》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|刻《とき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)揷 ------------------------------------------------------- [#3字下げ]風雪の中[#「風雪の中」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  嘉永《かえい》五年五月はじめの或る日、駿河《するが》のくに富士郡大宮村にある浅間神社の社前から、二人の旅装の青年が富士の登山口へと向っていった。参道を掃いていた宮守の老人がそれをみつけて、「もしもし」と呼び止めた。 「あなた方はお山へお登りかな」 「ああそうです」背丈の低い方の青年がふりかえって答えた、叱られるとでも思ったものか、人の好さそうな円い顔が赤くなった、「そうです、これから登ろうと思うんですがなにか御禁制でもあるんですか」 「べつに御禁制というほどのことはありませんが、おまえさん方はもうお山には馴れておいでか」 「いや初めてですよ」 「剛力はお雇いでしょうな、荷を背負ったり道の案内をしたりする男です、下の宿でお雇いになったでしょう」 「それは、その、なんですか」  青年は困ったようにますます赤くなり、つれの方へ救いを求めるような眼を向けた。しかしつれの青年はまるでこっちの問答など聞えもしないようすで、片方の脚にからだの重みを支えながら、岳樺《だけかんば》の芽ぶきはじめたみずみずしい枝をうっとりと見あげていた。 「で、それは、その、雇うきまりになっているんですか、つまりその剛力というのを雇わないといけないことにでも」  宮守の老人は笑いだした。 「わたしはそんなことをいっているんではないのです、お山開きは毎年六月で、そのまえにはよくお山が荒れるのです、朝のうちお天井まで晴れていても一|刻《とき》すると大風が吹きだす、ひと晩のうちに五合目あたりまで雪のつもるようなことが、五月ちゅうにはよくあるのです、まったくのところお山開きまえの陽気の変りめは誰にも見当のつかぬことがあるのですからね、あなた方がもしお山になれていらっしゃるか、剛力でもおつれにならぬかぎりは危のうございますよ、わたしはこう申上げたかったわけです」 「ああ、それはどうも、どうも、それは御親切にありがとう、たしかにそのとおりでしょう、わたしもそれは聞いているのだが……」 「ほかの山とは違いますでな」老人は箒《ほうき》をつかいはじめながら云った、「このお山ばかりは血気にまかせて登るととりかえしのつかぬことになります、どうしてもお登りなら剛力を雇っておいでなされ、老人の云うことは肯《き》いて損のゆかぬものです」 「まったく、いやたしかにそのとおりでしょう」  かれはまたちらとつれのほうへ眼をやった。それから老人を見た。もうひと言すすめて貰いたいらしい。しかし老人は諄《くど》くは云わず、箒をつかいながら御手洗の方へと去っていった。するとそれを待っていたというように、つれの青年はしずかに、しかし大股《おおまた》のしっかりとした足どりで道を登りはじめた。  南東の微風のわたる道を、二人はずんずん登っていった。  背丈の高い方は武家であろう。腰に大小を差しているし、総髪にきゅっとひき詰めてむすんだ髪の横鬢《よこびん》に面擦れの痕がある。かなりひと目を惹《ひ》く顔だちで、むしろ美男といってもいいくらいであるが、眼つきや唇《くち》もとになんとなく人を蔑《さげす》むような色がある。それが年齢が若いためと知りながら自分で抑えようとせず、ときには意識してそれをむきだしに示すのが、この青年の場合には「絶望せる人間」という印象を与える。かれは早水秀之進といい、讃岐《さぬき》の国高松藩の郷士《ごうし》の子であった。  片ほうの背丈の低い若者は、おなじ高松の豪商、太橋市三郎の二男で大助という。年は秀之進より一つ上の二十三歳であるが、真底から兄事しているようすでなにごとも秀之進の云うままだった、というよりも秀之進の考えることをすばやく察して、相手がなにも云わぬうちにそのとおりにするという風だった。尤《もっと》も多くの場合それは見当はずれになるのだったが。……かれはきわめて明るい気質で、口達者で、いつもなにか話していないと気の済まぬほうだった。豪商の子で金に不自由はなし、学問もできるし、人品も(少し背こそ低いが)なかなか立派である。 「してみると」大助は息をつきながら、「してみると、つまり、どうでもわれわれは登るわけなんだな」  答えはなかった。 「わたしは構わないがね、わたしは大抵のことは凌《しの》いでゆける健康を持ってるが、早水さんはからだが細いからな、宿の者も云うし、あの宮守も云うし、山開きまえの危険な時期は避けたほうがいいと思うがな」  秀之進はやはりなんとも云わない。あたりの樹々は少しずつ様相を変えて、落葉松《からまつ》のいぶし銀のような芽ぶきがちらほら見えはじめてきた。坂道はしだいに急になる。黒い尖《とが》った鎔岩《ようがん》の砂粒が草鞋《わらじ》と足袋の間にはいってあるきにくい。道をはさむ林は深くなってそよ風も通わなくなり、日光は雲ひとつない青空からじりじりと照りつける。郭公《かっこう》が一羽、よく響くこえで鳴きながら二人の頭上を低く飛び去った。 「富士へ登るのをはじめから目的にして来たのならこんなに諄くは云いたくないんだが、なにしろ急に思い立っただけなんだからな、おい富士へ登ろう、と仰《おっ》しゃる、よろしい登ろう、天気もいいし、せっかく通りかかったものだ、よしきたというわけだ、つまりそんな具合に簡単に考えていたんだから、これは少し乱暴だよ、むしろ無法だよ、だって宿の者も宮守の老人もあれほど云っているんだからな、え……なにか云ったかい」 「なにも云わないよ」  秀之進はしずかにそう答えた。 「それは結構、つまり、なにも仰しゃらないというわけだ、文句はない、云うだけの値打もない、おい待って呉れ、ちょっと足袋の中の砂を払うから」  道は矮草帯《わいそうたい》へぬけ、さらに裸の砂と岩地にかかった。秀之進はずんずん登ってゆく。休みなしである。足どりはゆっくりしているがさすがに堪《こた》えるので、大助の饒舌《じょうぜつ》もだんだん途切れだした。二合目へたどり着いたときには肉の厚い胸を苦しそうに波うたせ、あたりを見まわしながら、 「早水さん、ぜんたい富士山はどこへ行っちまったのかね」というのが精々だった。  二合目の岩屋でかれらは夕食をした。石の竈《かまど》に備えつけの鍋《なべ》で持って来た糒《ほしいい》をもどし、干味噌をまぜた雑炊を作って喰《た》べた。そしてひと休みするとすぐにまた出発した。  夕食まえから山のまわりは密雲に閉ざされていたが、二合目の岩屋を出ると間もなく風が吹きはじめた。北東の寒冷な風だった。凛冽《りんれつ》という文字のぴたりはまるもので、皮膚をさき骨をさすかと思った。さっきまでは登っていさえすれば温かかった。立ち停ると肌に粟が立つほど寒さを感じても、足を動かしているあいだは汗ばむくらいだった。しかし今はいくら足に力をこめて登りつづけても温かくならない。気温はぐんぐん低くなる。踏みしめるたびに地面の凍ってるのが足の指から這《は》い登ってくる。どうかするといま喰べたばかりの物が胃の中でこちんと凍ってしまいそうにさえ思った。 「……大さん」秀之進がふと気づいたように、「北風が吹くと寒いね」 「…………」  大助はあっけにとられた、それから急に腹が立ってきたらしい。 「へえ! 寒いですか」と、がたがた震えながら云った、「これが寒いというんですか、冗談じゃない、あんたは実にいい人だがそれが悪いよ、そういう云い方はないと思うがね、北風が吹くと寒い、それは人をばかにすると云うものだよ」 「じゃ寒くないのかい」 「わたしは黙るよ」  本当にかれは黙った。言葉は胸にいっぱいにふくれあがっているのだが、疲れがひどかったし、口をきくだけからだの精力を消耗しそうな気がする。  ――なに、早水だって人間だ、いつまでからだが続くものか、こうなれば意地くらべだ、そう思って登りつづけた。  風はいよいよ強くなり、やがてなにか顔に当ると思うと、それは粉のような雪だった。つまり宮守の老人の言葉が偶然にも事実になったのである。闇は濃く道は嶮《けわ》しかった。尖《とが》った岩が突き出ていて、うっかりすると爪先を痛める。寒気はますます厳しくなり、吹きしまく雪はたちまちからだの片がわに板を立てたように凍りつくのだった。  大助が少しずつ後れるのを気づかぬとみえ、秀之進は大股に、しっかりした足どりで登っていた。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  八合目と思える岩屋へたどり着いたのは、あたりが微かに白み初める頃だった。 「腹を拵《こしら》えていこうか」  秀之進が云った。こんどは大助が答えなかった。実は答えようにも舌が動かなかったのである。秀之進は岩屋の入口へ下りていって、吹きつけた雪の凍りついている重い引戸をあけた。そして思わず眼を瞠《みは》った。岩屋の中の炉に赤々と火が燃えている。その火のそばに、今まで寝ていたのであろう、二人の人影が半身を起こしてこちらを見ていた。 「あとを閉めて呉れ大さん」  そう云って秀之進は炉端へ近寄っていった。挨拶をするつもりだったのである。すると半身を起こしていた一人が、掛けていた蒲団をはねたと思うと、いきなり刀を抜いてこっちの鼻先へつきつけながら叫んだ、「とうとう来たか」 「…………」  秀之進はじっと相手を見た。 「いつかは来ると覚悟はきめていた、命が惜しくて逃げていたのではない、時節の来るのを待っていたんだ、しかし嗅《か》ぎだされた以上は逃げも隠れもせんぞ、斬れるなら斬ってみろ……藤尾、みぐるしいまねをするなよ」 「はい、生死とも兄上さまと御一緒でこざいます」  秀之進は驚いてそっちを見た。もう一人は女である。蒲団をはねて、手早く身ごしらえをする姿はまだごく若い娘だった。男のほうも二十三四だろう、病臥《びょうが》でもしていたとみえ、蒼白けた骨ばかりのからだつきである。眼は落ち窪《くぼ》んでいるし、頬骨は高くとがっているし、ぜんたいに窶弱して吐く息は火のようだった。……いったいこの兄妹はどうして此処《ここ》にいるのだろう、山開きまえの、人の近寄らぬ富士の頂上へなんのために籠《こも》っていたのだろう、それよりもこんなに弱っている兄をどうして伴《つ》れて登れたのか。秀之進はそんなことを考えながらじっと押し黙っていた。 「どうするんですか」大助がたまりかねて前へ出た、「いったいどういうわけです、あなた方はどなたです、われわれは今日、いや昨日ふいに思いたって此処へ登って来た者で、誰を捜しに来たのでもなし誰に恩怨《おんえん》もありません、どうか落ち着いて下さい、人違いをしないで下さい、お願いです」 「黙れ、貴様たちがおれを斬りに来たのでなくて、なんのために季節はずれの今頃ここへ登るか、なんのために夜を徹してこの岩屋へ来る要がある」 「それはまさにそうです、わたしが訊《き》きたいくらいのものですよ、だが云って見ればそういうまわりあわせになったんですね、わたしは登るのをよそうと云ったんです、二合目で泊ることも……」 「大さん、飯を拵えるよ」  秀之進はそういって、土間の隅にある釜戸《かまど》のほうへと去った。 「それでもお疑いが晴れないのでしたら」と秀之進のほうを見やりながら大助は云った、「生国と名を名乗りましょう、二人とも讃岐のくに高松の者で、あれは早水秀之進、わたしは太橋大助といいます、江戸から水戸へこころざしてゆく途中なのです」 「兄上さま、お人違いのようでございます」 「水戸へ、水戸へおいでか」兄のほうは妹の言葉も耳にいらぬようすで、そこへ刀を置き、にわかに眼を輝かしながら坐り直した、「ああ水戸、拙者《せっしゃ》にもあこがれの地です、だがもう行ける望みはない、このとおりのからだですから……そして、水戸へいかれるとすると、おそらく東湖先生をおたずねなさるのでしょうね」 「さあどうなりますか」相手のようすが急に変ったので大助はほっとすると同時に少し気ぬけがした、「どうなりますか、おたずねするつもりではいるのですが」 「是非とも、是非ともそうしなくてはいけません、これからの日本の動きの原動力は水戸にある、水戸の原動力を燃やすものは東湖先生です、こう云うとおそらくあなたは妄言《もうげん》だとお思いになるでしょうが、それはあなたがまだ水戸を知らず東湖先生の精神を知っていないからです」  男は一瞬まえに激発した昂奮《こうふん》とは別の意味で、一種の偏執狂とも思える情熱に駆られて語りだした。それはもうごく云い古されたありきたりの説で、なんの新味もなかったし退屈きわまるものだった。幕府の秕政《ひせい》を鳴らし、尊王を叫び攘夷《じょうい》を唱える、聞く者にとってそれが退屈であろうと無味乾燥であろうと構わない、そんなことはどちらでもいい、かれはただ自分で自分の言葉に酔っているだけなのだ。大助はうんざりした、うんざりしながら、それとなく妹のほうを見やった。  藤尾と呼ばれる娘は十七八でもあろうか、眉のきわだって美しい、陶器のような冷たい白さの肌をした、どこか憂いを湛《たた》えた顔つきである。細面のところは兄に似ているが、唇もとの凛《りん》として力のある線、人を見るときの眸子《ひとみ》の射止めるような光りは、兄と違って熱狂することを知らない、しずかな、むしろ冷たくさえある理知の質をあらわしている。  ――これはなかなかの娘にちがいない、大助は心のなかでそう思った。いったいどういう身の上だろう、武家には相違ないが、こんな所へ兄妹だけで籠っているところをみると、親類とか縁者とかといった者もないのだろうか。 「兄上さまお疲れになります」娘は大助が兄の話を聞いていないのを察したのであろう、ちょっと不快そうに眉をひそめながら、そっとすり寄って兄の肩を抱えた、「どうぞすこし横におなりあそばせ」  そのとき折よく、「大さん飯が出来たよ」秀之進が呼んだので、大助はいいしおに会釈して兄妹のそばから離れた。  熱い味噌雑炊をすすりながら、秀之進は相変らずなにもいわないけれど大助は疲れも飢えも忘れるほど、このふしぎな兄妹のことに心を奪われていた。……岩屋のそとには風雪がたけり狂っていた。引戸の隙間がひゅうひゅうと悲鳴をあげ、時々さっと粉雪さえ舞いこんで来るが、燃えさかる炉の火熱で小屋の中は汗ばむほど暖かかった。……妹は兄をようやく寝かせ、その枕もとに坐ってじっと顔を見まもっている。すすけた髪、疲労のかげの濃い頬、憂いを刻んだ眉、貧しい木綿物の衣服、大助は絶えずそっちへ眼をやりながら、胸が重くなるほど哀憐の情に駆られた。  ――兄のほうはもう長くは生きられないな、かれはひそかにそう思った。もし死んだら、あの娘はいったいどうするだろう、遺骸の始末、自分の身のふりかたをどうするだろう、いや捨ててはゆけない、かれはさらに心でつぶやいた。これを見捨ててゆくという法はない、早水にもそれはわかる筈だ、かれの用務がどんなものか知らないが、この頼りない娘を捨てていっていい道理はない、だって、こんな富士山へ登るような気まぐれをする暇があったんだからな。  食事が終って、大助があと始末を済ませると、しかしもう秀之進は出発の支度をしていた。冗談じゃないと大助は思った。おれはでかけはしないぞ……。 「いくぞ、大さん」  秀之進は笠をかぶってさっさと引戸のそとへ出ていった。大助は娘がじっとこちらを見ているのに気づいた。しかしやはり身支度をして笠を冠り、兄妹のほうへ挨拶をした。 「どうもお邪魔を致しました」 「……この吹雪に」  娘はそう云いかけて口をつぐんだ。その射止めるような、じっと見上げるまなざしが、縋《すが》りつきたい気持を表白しているもののように大助には思えた。 「お兄上は御病気のようにおみうけしますが、薬はお手許にお持ちですか、もしなんでしたら下からお届けさせてもよろしいと思いますが」 「御親切はかたじけないが」と兄のほうが答えた、「薬をのんだところで長い命ではない、からだはもう自分で捨てているのです、どうかお構いなくお立ち下さい、そして、多分こう申しても誤りはあるまいが……どうか王事のために身命を抛《なげう》っておはたらき下さい」 「はあ、ではこれで」  大助は逃げるように小屋を出た。 「おーい早水さん」  呼んでみるが、声は口を出るなり烈風にもぎ去られてしまう。大助は精いっぱいの足で登っていった。汗ばむほどの小屋の暖かさにゆるんでいたからだは、ふたたびすさまじい寒気にうたれて骨の髄まで凍るようだった。風は脚下から吹きあげ、また急に右へ変り逆風になって捲き返す。粉雪は幕を張ったように前後左右を押し包んでまったく視界を奪っていた。  八合目の少し上に、村山口から登って来る道と合うところがある。秀之進はそこに待っていた。 「すっかり明けたようだね」  大助が追いつくと、かれはそういってすぐにまた登りつづけた。……胸を衝くような急斜面になり、巨きな巌が道へのしかかったり塞《ふさ》いだりしている。大助はひと足ごとに呻《うな》った。全身すっかり凍ったかと思う寒さなのに、肌を伝って汗の流れるのが感じられた。空気が薄くなっているために呼吸が苦しい、胸膈が圧されるような、ふくらむような妙な具合である。  ――あの娘はどうするだろう、頭はそのことでいっぱいだった。眼さきにはいつまでもその姿がちらついていた。あの男はたいした人物ではない、というよりもありふれ過ぎた人間だ、あの程度の浅薄な、無反省な尊王攘夷論者がうろうろするために、却って正しい道の進展が阻害されようとさえしている、それはまさにそのとおりだが、しかしとにもかくにも大義を口にすることだけは嘘ではない、あの男が第一流の人物ではない、といったところで、それはあの男の責任ではないからな、浅薄でも無反省でも、あの男はあの男なりに大義を解し、道に向って闘っているんだ、……しかも余命はいくばくもない、あの男に万一のことがあれば、娘は誰を頼りにすることもできないんだ。  ――いやいかん、断じていかんぞ! 大助は決然と立ちどまった。 「早水さん待って呉れ」 「…………」 「わたしは戻るよ」吹きこむ粉雪に噎《む》せながら、大助はまるで挑《いど》みかかるように云った、「あの二人をあのまま残してゆくのは人情を知らなすぎる、わたしにはできない、早水さん、あの男は長い命じゃない、あんたも戻ってひと休みしていっては……」 「戻りたまえ」秀之進は頷《うなず》いてそう云い、腰の糒袋を取って大助に与えた、「俺は下りだから要らない、間に合ったら江戸屋敷で会おう」  そしてふりかえりもせずに、大股で風雪の頂上へと登っていった。大助はあっけにとられたようにそのうしろ姿を見送っていたが、やがて踵《くびす》をかえして岩屋へと戻った。 [#3字下げ]父子[#「父子」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  松平讃岐守の江戸屋敷は小石川御門をはいったとっつきにあり、上屋敷と中屋敷とが道を隔てて相対していた。  富士で大助と別れてから五日めの午後、秀之進は上屋敷へ着いて校川宗兵衛の宅をおとずれた。くにの高松とは違って家臣たちの家はみなせせこましく、門を並べ垣を接している。宗兵衛の家も軒が波をうっているほど古びた小さな建物で、来客でもあるのか、玄関に四五足の履物がならんでいた。 「御用向はなんでございますか」  いちど取次ぎにはいった若い家士が戻って来てあらためてそう訊《たず》ねた。 「お眼にかかったうえでなくては申上げられません」秀之進はそう答えた、「ただこれだけ申上げて下さい、亀阜荘《きふそう》さまの御用でまいりましたと」 「亀阜荘さま……」  家士はひき返していった。そしてこんど戻って来ると、いま来客ちゅうですから暫くと云って、玄関をあがった次の、うす暗い狭い部屋へ案内した。  そこは四帖半ほどの小部屋で、廊下に面したほうに障子、(明けたままだった)うしろに襖《ふすま》があり左右は壁だった。明けてある障子の間から、廊下を越して庭が見える。ほんのひとまたぎの狭さではあるが、古いぐみが一本あって、朱色に熟れた実がびっしりと生《な》っていた。秀之進はそのぐみの枝を見たとき、遠い遠いむかし別れた幼な友達に再会したような、切ないほどの懐かしさにぎゅっと胸をしめつけられた。……ぐみの木の脇には四方仏のつくばいがある。どうしてそんなところにつくばいなどがあるのかわからないが、ずいぶん古いものらしく、角々がまるくなり彫面もはっきりしないほど摩滅している感じが、これもどこか記憶の隅に印象があるように思えた。  取次ぎに出た若い家士は、なんども廊下を往復した。秀之進はじっと待っていた。……廊下の右に三つほど部屋が続いているらしい。そのはずれの部屋と思えるあたりから、客たちとあるじの話し声がさかんに聞えてくる。あるじ宗兵衛だろう、少しかすれた、力のある老人の声が最も大きく、しかも大抵の話題を独り占めにして、熱心な、浮き浮きしてさえいるような調子で、論じたてたり、笑ったりしている。  刻はどんどん経っていった。  若い家士が行燈に火をいれ、やがて食膳《しょくぜん》を運んで来た。粗末なものですが箸をつけて下さい、と云った。干魚を焼いたものに菜汁一椀の膳だった。  客のほうは酒になった。 「遠来の客なものですから」家士は気の毒そうに云った、「どうぞもう暫く」  秀之進は黙って会釈を返した。  行燈は紙がすっかり煤《すす》けていて暗かった。安油を使っているとみえ、むせっぽい匂いが籠るうえに、じいじいと音を立てて燃える焔がひっきりなしにはたはたとまたたいている。ひどい蚊で、明けてある庭のほうから舞いこみ、部屋の隅へかたまっていては執念くとびついて来た。  秀之進は閉じた扇子で絶えず蚊を追いながら、坐った位置を変えようともせずじっと暗い庭をみまもっていた。  客間の話し声はますます活溌になるばかりだった。「単刀直入に云おう」とか、「もっと根本に触れて」とかいう声が繰り返される。「事実だ、事実だ、肝心なのは事実に当面することだ」それは老人の声だった、宗兵衛であろう、「事実に当面する」という言葉が頻《しき》りに出た。話題の内容まではわからないが「蝦夷《えぞ》」だの「エトロフ」だの「魯西亜《ろしあ》」だのという名がときおり聞えるところをみると、此の頃やかましい北地経営か海防策か、いずれそういう類の議論が交わされているに違いない。図をひろげたり書籍をつき合せたりする物音も聞えた。 「……粗茶ですが」若い家士が茶を持って来た、「たいへんお待たせします、酒も終りましたし、もう門限ですから客も帰る時分でございましょう」  秀之進はやはり黙って会釈を返すだけだった。家士はまだ若く眼のくりくりとした、頬の赤い、まるで少年のような顔だちをしている、かれは秀之進に話しかけたいようすだったが、相手がまるで口をきかず、無興味な、とっつきばのない態度を少しも変えないので話しかける糸口がみつからないとみえ、具合の悪そうな眼つきで茶を置くとすぐに去った。  やがて門が閉ったらしい。十時を過ぎて暫くすると、隣りの部屋に寝具の支度をする物音が聞え、すぐにまた家士がやって来た。 「まことにお気の毒ですが、来客が泊ってゆくことになりました、それで御面会は明朝に延ばして頂き、今宵はおやすみ願うようにと申しつかりました、次へ支度を致しましたからどうぞお寛《くつろ》ぎ下さい」  秀之進はべつに厭《いや》な顔もしなかった。汗を拭かせて貰いたいといって、風呂場で水を浴びてから、次の間の蚊帳へはいった。  ――会いたくないのか、そんな筈はない、突然なので気臆《おく》れがしたのかも知れぬ、ありそうなことだ、だが自分はどうだ。  秀之進は仰臥《ぎょうが》したままじっと闇をみまもった。あるじ宗兵衛がいまなにを考えているか、苦しんでいるか、悦《よろこ》んでいるか、それともまるでなにも意識しないか、かれはそれが知りたいと思った。  客間ではまだ熱心な議論の声が続いていた。  ――しかし自分はどうだ。  秀之進はもういちど自分の心を覗《のぞ》いてみた。自分はなにを考えているか、平静だろうか、観念に、動揺はないだろうか。十七年ぶりで父に会う、というよりもほとんど生れてはじめて父に会おうとしている、善《よ》かれ悪《あ》しかれ一生の一転機となるに違いない。意識したものはないがながいあいだ待っていた、むしろ実現する望みさえもたずに待っていた機会がいま眼前に迫っているのである。――自分は動揺してはいない、惧《おそ》れもなければ期待したような悦びもない、心はこのとおり静かだ、いつもと少しも変ったところはない。  本当にそうだろうか。……かれはふと来る途中で富士へ登ったことを思いだした。由比から山を見て急に思いついたものだった。糒や乾し味噌などを買うまで大助は信じられない顔つきをしていた。大宮口の宿でもとめられたし、宮守の老人にも忠告されたが、かれは構わず登った。どうしてそんなことをする必要があったのか。説明はいくらでもつく。かれは常に「真実」ということを生きる目標にしていた。ごまかしのないもの、割切れたもの、観念にしろ行為にしろ「その場|凌《しの》ぎ」ということを最も軽侮した。けれどもなかなかそう「真実」が世間に転がっているわけではない。人との関係、世間との関係、みな多くは妥協とごまかしに満ちている。青年の或る時期にはそれが耐えがたく眼につくものだ。ことにかれのような複雑な生いたちをもった者には一層のことである。ひと口に云えば富士の秀抜な、清浄|無垢《むく》な山容を見あげたとき、かれはそこに云いようのない「真実」の姿があると感じたのだ。なにもかも捨ててそのふところへとびこみたい、山の本体へじかにおのれのからだと心をぶっつけたい、そういう衝動に駆られたのである。  ――そうだ、あのときはたしかにそう感じた、あそこにすべてがあると思えた、けれどもそれが全部だったかどうか、あの衝動的な登山が、そういう観念上の追求だけにとどまっていたかどうか。  珍しい菓子を見てすぐにとびつく子供と、わざとよそ事へ注意をそらす子供とある。十七年ぶりで本当の父に会うということが、自覚せざるところで強く自分を支配していたのではあるまいか、菓子に対する子供の態度に甲と乙とがあるように、自分は乙の場合の子供とおなじく、そのよろこびにすぐとびつけないでいろいろよそ事に注意をそらしていたのではないか。  秀之進はどうしてそのような些細《ささい》な心理にこだわっているのだろう、どっちでもいいささいな問題ではないか、……がささいな問題ではないのだ、少なくともかれにとっては、校川宗兵衛との面会は将来の生き方を決定するといってもよいくらいの大きな意味をもっていたのである。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  秀之進は校川宗兵衛のしょうふく[#「しょうふく」に傍点]の子に生れ、五歳になるまで中屋敷の地内で育てられた。上屋敷のこの家には宗兵衛の妻子がいて、秀之進もときおり遊びに来た。庭の茱萸《ぐみ》も、つくばい[#「つくばい」に傍点]もその頃のなじみである。また清一郎、小三郎などという異腹の兄たちがいたことも記憶のどこかに残っている。  かれは五歳の秋に讃岐の高松へ移り、そこの郷士早水市左衛門の養子として育てられた。市左衛門は学者肌の人で、得石という号で詩をつくり、また文人風の水墨にも才があった。それで藩侯の兄にあたる松平左近[#1段階小さな文字](頼該)[#小さな文字終わり]の知遇を得ていた関係から、秀之進は早くから藩の学堂たる講道館にまなぶことができ、やや長じてからは藩の師範役である吉田家の道場で直心影《じきしんかげ》の刀法をも稽古する便宜が得られた。  学問も武芸も、かれはたいして骨を折らずに頭角をぬいた。講道館の教官たちは「俊才」と折紙をつけたし、吉田家の道場でも「門中の出色」と定評があった。けれどもその「俊才」とか「出色」という定評は、ふしぎと秀之進にそぐわない感じがあった。そういう定評はなんとなくかれに衣《き》せた着物のようで、本当のかれ自身、正真正銘の早水秀之進はまるで別のところにある、そういう感じが誰の眼にもついた。  養父の市左衛門は云った。  ――おまえは精進することなくして文武にぬきんでた、おまえは世間を掌上のものと視《み》ている、そのまま軽薄才士だ、それからこうも云った。――おまえは是れこそと心をうちこむ情熱がない、すべてに信頼の念がない、人を蔑視する、つまりそのままでは無用の長物で、世道人事の妨害となるばかりだ。……子をみる父として一応はうなずける意見だった、がはたして正鵠《せいこく》を射ていたかどうか。  秀之進は少年の頃から左近さまのお気にいりで、その館へ自由に出入りを許されていた。そこには常に諸国から志士人傑が集まっていて、慷慨悲憤《こうがいひふん》の議論の絶えるときがなかった。しかしかれはその中にあっても悄然《しょうぜん》と孤《ひと》り緘黙《かんもく》していた。どのような熱狂にも巻きこまれなかった。そういうかれを視る人々はなんとなくけむたそうで、――あれはどういう人物です、と不審げに根問いをする。なかには大奸の相があるから御注意をなさるがよいという者さえあった。左近頼該は、――それは気をつけよう、と笑うだけだった。べつに弁護もしないが大奸だと疑う風もなかった。左近さまは左近さまなりに、秀之進の性格を視るところがあったのである。  太橋大助を除いてかれには親友がない。いや大助との交わりも親友だと信じているのは大助のほうで、秀之進はそういう意味を表示したことは曽《かつ》てなかった。  つまり早水秀之進の今日まではこうしてどん詰りまで孤独だったのである。  廊下をそっと、忍び足に近寄って来る人のけはいで、秀之進は眼をさました。睡っていたというよりも、ようやくうとうとしかけた時だった。それと忍び足の、音をひそめた歩きぶりが却ってはっきりと意識にひびいたのである。秀之進は仰臥したまま、蚊屋の中でじっと息をひそめていた。  夜はすっかり更《ふ》けていた。もうみんな寝たのだろう、客間のほうもひっそりとしている。部屋の隅で蚊の翅音《はおと》がしているし、庭からきりきりきり[#「きりきりきり」に傍点]というような早い夏の鳴虫の音が聞えてくる。  足音はこの部屋の前でとまり、そのまま、暫く動かなかった。こちらの寝息を窺《うかが》っているようすである。秀之進はふと、――江戸屋敷で校川宗兵衛に会ってゆけ、そう云ったときの左近さまの眼光が思いだされた。宗兵衛に会って水戸への手掛りを付けて貰えという申付けの裏に、実父に会わせるというもう一つの意味があった。  その時が来たのである。  父はそこにいる、障子ひとえそとに立っている、そしてこちらの寝息に耳を澄ましているのだ。秀之進はじっと闇をみまもり、呼吸をしずめて待った。  夜警の柝《き》の音が遠くから聞えてくる。長屋の向うがわをまわり、老臣の家が並んでいるほうへとゆくらしい。……何に驚いてか、庭の虫の音がはたとやんだ。  ――どうしたのだろう。  廊下はひっそりとして身動きをするけはいもない。秀之進はなにやら息苦しさを感じだした。……足音を聞いたのは誤りではなかったのか、本当に障子のそとに父はいるのだろうか、いるとすればなんのためにこのようにいつまでもこちらのようすを窺っているのだ。  ふと囁《ささや》く声が聞えた。 「……ゆるせ」  秀之進は全身を耳にした。 「父をゆるせ」  もういちど聞えた。口のなかでそっと囁いたのである。こちらへ向って云うよりも、自分の心のなかの呟《つぶや》きのように微かだった。  秀之進はじっと眼を閉じた。やや暫くしてぎっと廊下が鳴った。障子へ手をかけるような音がした。けれどもそれは聞き誤りで、秀之進が身を起こそうとするより早く、足音はしずかに奥のほうへと去っていった。  ――やっぱりそうか、来客に仮託して会おうとしなかった父の気持が、いまかれにはわかると思えた。夜陰にそっとおとずれ、しかもやっぱり障子をあけることができずに去った気持も……。 「ゆるせと仰せられた」秀之進はそっと呟いた。かれの眼尻《めじり》から泪《なみだ》がすっと頬へ伝わった。  明くる朝の朝食も、宗兵衛は客たちといっしょだったが、秀之進の分は別に運ばれて来た。かれは奥の部屋の賑やかな談笑の声を聞きながら独り侘しく箸をとった。  食事が終ると間もなく、「唯今、あるじがお眼にかかります」と若い家士が伝えに来て、間もなく宗兵衛があらわれた。つかつかと廊下を踏んで来て、冷やかに部屋へはいり、むずと相対して坐った。……五十歳を越えたとは思えぬつやつやしい顔である。眉毛の長い、細い鋭い眼をした、少しなで肩の、柔軟のなかに発条《ばね》のような弾力を思わせるからだつきだった。 「手ばなせぬ来客で、昨夜から待たせ申して相済まぬ、わしがおたずねの校川宗兵衛じゃ、御用件を承ろう」  まえから用意していたらしい、一分の隙もない言葉でそう云い、ぐっと鋭い眼でこちらをみつめた。  ――これが父だ、この人が自分の生みの父上だ、秀之進はそう思いながら老人を見た。心はしずかだった。五歳のときに別れた人なのに、その頃の印象は少しもない。父に対しているという実感も湧かない。――それではゆうべ障子を隔てて相対した、あの僅かな時間に父と子の対面は終ったのか。そうだと思う、そしていささかも動揺のない、しずかな調子で云った。 「お手間を欠いて申訳ありません、こんど亀阜荘さま[#1段階小さな文字](左近頼該)[#小さな文字終わり]のお申付けで水戸へくだることになりました、こなたに手掛りをつけて貰えという仰せでお寄りしました、お計らい下さいましょうか」 「水戸へくだる御用向きは」 「甲辰の事について、亀阜荘さまおぼしめしをお伝え申す為です」 「大役だ」宗兵衛はぎろっと眼を光らせて云った、おまえには過ぎた大役だともとれるし、それは不可能だという意味にもとれる、秀之進は黙っていた、「そうせよとあれば道をつけるくらいのことはするが、甲辰の事は由来その根が深く広い、本枝[#1段階小さな文字](水戸と高松)[#小さな文字終わり]のあいだを調停するためには、除かなければならぬ障碍《しょうがい》がたくさんにある、それを除かずして調停だけしようとしてもできるわけのものではないのだ……その間の事情を知っておるか」 「由来の根がどこまで深いかは存じません、事実は由来の根でなく末梢《まっしょう》の齟齬《そご》するところにあると思いますが」 「理屈か、ふん理屈か」  老人はぴくぴくと眉をひきつらした。なにか辛辣な一言できめつけたいようすだった。そして秀之進があまり穏やかに控えているのでかえってそれが思うようにゆかずいかにも苛々《いらいら》した口調で云った。 「藤田どのに会うのか」 「わたくしはお計らい下さるとおりに致します、いずかたともきめてはおりません」 「その用向きなら藤田どのに会うほかはあるまいが、左近さまから御書状でもお預かり申して来たか」 「前中納言さま[#1段階小さな文字](斉昭)[#小さな文字終わり]への御手書を頂いております、けれどもなるべくなれば御手書はお眼にかけぬようとのおぼしめしでした」 「それはまたなぜだ」老人の問いに対して秀之進はじっと見返すだけだった。なぜ答えがないかは、宗兵衛にも察しがついたか、それとも興味がなかったのか、ふっと溜息をついて、「亀阜荘さまもお心ざまの知れぬお方じゃ、そのもとはつねつねおそばに伺候しているのだろうな」 「つねづねと申すほどではございません」 「法華宗に凝って、宗門びろめに御熱中じゃそうな」宗兵衛は肩を揺りあげた、「それならばそれでよい、本枝の調停などという余計なことはお考えなさるにも及ばぬ、思いつきであれこれとあそばしても、肝心な事は動かしようがないものだ……以前は明敏なお方であった、義公さま以来のおいえがらにふさわしい、天下国家のために大事業をあそばす方に思われた、が今は……いや、人はなかなかむつかしいものじゃ、人間は、いつどのように変るかも知れぬものじゃ」  秀之進は黙って、聞くとも聞かぬともつかない平然とした態度で老人を見ていた。 「では藤田どのへ添書を書こう」  宗兵衛はそう云って立った。  老人が居間へはいって間もなく玄関へおとずれる人声がした。秀之進はすぐとっつきの部屋にいたので、応待のさまは手にとるように聞える……おとずれたのは三人らしい。とりつぎに出た若い家士に向って、ひどく訛《なま》りのある言葉つきで、しかもせきこんだ突っかかるような調子で主人に面会を求めた。 「此処でお眼にかかりたい、そう取次いで下さい、此処で、玄関ですぐにお眼にかかりたい、いそぐからと申上げて下さい」  若い家士は奥へ取次いで戻り、どうかおあがり下さいといった。 「いやそうしてはおられぬ」客はいらだたしげに拒んだ、「早急の用件だから此処で失礼する、お手間はとらせません、どうか此処までおはこび下さるよう、水戸の魁介《かいすけ》だと申して下さい」  取次ぎはまた奥へいった。  宗兵衛はすぐに出て来たが、玄関へはゆかず、秀之進の部屋へはいって一通の書状をさしだした。坐らないで中腰になったままだった。 「ではこれを藤田どのへ持ってまいるがよい、また来客なので……失礼する、ゆっくり話もできなかったが……こういう事情だから」 「お手数をかけました」  秀之進はすぐに立とうとした。  宗兵衛は急にそわそわしだし、なにか云いたがる。しかしなにを云ってよいかわからないもどかしげな、一種の苦しそうな表情を示した。 「それで、水戸へゆくと、藤田どのには、わしからもよろしくと伝言をたのむ」 「承知しました」 「では……」そう云うと、自分のそわそわしたことに腹を立てたとでもいうような、ひどくむっとした態度で玄関へ出ていった、「やあ魁介さん、どうなすった」 「おとつい出て来ました」  元気のいい声で、例の突っかかるような調子でそう云うのが聞えた。 「たいそうお急ぎのようだが」 「急ぎですとも、御存じの大峰庄蔵と矢田部源七郎が当お屋敷内へ逃げこんでいるんです」 「大峰と矢田部……」 「結城党の奸物です、寅寿《とらかず》ふくしんの者です」 「……そんなことはあるまい」 「いやたしかですよ」武田魁介と名乗る男は怒鳴りつけるように云った、「かれらは水戸に押籠めになっていたのですが、二十日ほど前に脱走して寅寿のふところへ隠れたのです、それから寅寿の手でこちらの屋敷へ匿《かく》まわれたとたしかに見届けてあるんです、校川さん、ひとつすぐに引渡して貰えるようたのみます」 「事実とすると捨て置けないが」 「とにかくすぐその手配をして下さい、気付かれてまた行方をくらまされては困る、おねがいです」 「よろしい当ってみましょう」  支度をしながら秀之進はこれだけの問答を聞いた……結城寅寿というのは水戸家の老臣である。弘化元年、藩主斉昭が幕府の譴責《けんせき》にあって隠居謹慎を命ぜられ、その帷幄《いあく》の士たる藤田彪[#1段階小さな文字](東湖)[#小さな文字終わり]、戸田忠敞ら一派が罪せられた。これを甲辰の藩難というが、寅寿は水戸家の執政でありながら老中大奥と結んで暗に斉昭隠居の事を企んだ巨魁《きょかい》であった。  ――まだ事は納まっていないのだな。秀之進はすぐ眼前に聞いた問答によって、水戸家|内諍《ないそう》の根づよさをまざまざと見た。かれが水戸へゆく要務もその事に係わっている、係わっているというよりもその渦中にはいるのだ。  ――よほど慎重にしなければ。  そう思うと同時に、父との対面がこのようにあっけなく、なんの痕跡をも心に残すことなく済んだのが却って仕合せのように感じられた。  秀之進が玄関へ出たときにはもう宗兵衛も魁介と名乗る客もその伴れの姿もみえなかった。かれは若い家士に見送られて校川家を辞去した。 [#3字下げ]柿崎兄妹[#「柿崎兄妹」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  藤尾の箸は精進物の鉢にしかいかなかった。それも小鳥が啄《ついば》むほどのことで、すぐ箸を措《お》いてしまった。 「やっぱりすすみませんか」大助は気遣わしそうに、むしろ痛ましそうな眼で見やりながらいった、「今はなにより哀傷を忘れることが大切で、とにかく貴女自身の健康をとりもどすことが先決問題だと思うけれど……それはなかなかそう容易なことではないでしょうがね」 「御心配ばかりおかけして」 「そんなことよりも、どうです、その鶏を少しおつまみなさいませんか、精進は心のもので、かたちにとらわれるばかりでも供養にはならないものです、ちょっと美味《おい》しいですよ」娘は微笑しながら大助を見てかぶりを振った。いかにも済まなそうな、赦しを乞うような表情である、「ほしくないですか、なかなか美味《うま》いですがね、若鶏であっさりしているし、柔らかで」  大助は誘うように舌鼓をうってみせた。藤尾は男の温かい気遣いがよくわかるのだろう、弱々しいなかにも心がゆたかになってゆく微笑《ほほえ》みをうかべていた。  秀之進と別れてから十日しか経っていないが、その十日のあいだに多くの出来事があった。……大助が岩屋へ戻った日の夜、かの女の兄は病状が急変して死んだ。大助はその屍《しかばね》を背負って須走口へ下り、山麓の若葉の森のなかで荼毘《だび》にした。それは深夜のことだったが、はて知れぬ森の奥で、荼毘の火を前に、娘とただ二人ひっそりと夜を明かした経験は、大助にとって忘れることのできない異常な印象だった。娘は身も心も憔悴《しょうすい》していた。射止めるようなはげしい双眸《そうぼう》の光りが示すように、極端に世間と人を疑い惧《おそ》れていたが、それさえ暫くは忘れはてた様子だった。  大助はしんそこから同情に駆られていた。どうかして娘を明るい元気な姿にしてやりたい、今までの生活が悲しいものだったら、これからは楽しい、甲斐ある生活へはいれるようにしてやりたい、そう思った。それはいかにも大助らしい純真な、温かい、思い遣りの深い気持だった。そしてかれのひとがらの好さは娘にも察しがついたのであろう、殻を閉じたような緘黙の態度こそ変えなかったが、大助の云うことにはおとなしく頷くようになった。  遺骨の一片を拾って、かれらは山麓からこの箱根へ来た。そして塔ノ沢にあるこの温泉宿へ草鞋《わらじ》をぬいでから今日でもう七日めだった。 「おさげ申してもよろしゅうございますか」宿の婢が食膳をさげに来た、「今夜はこの下の柏屋《かしわや》に軍談講釈がかかるそうでございます、もしおいでなさいますのでしたらお席をとって置きましょうか」 「講釈だそうです、聞きますか」大助は娘をかえりみた。 「いいえ、わたくしは……」藤尾はかすかに身震いをした。  宿の婢が食膳をさげてゆくと間もなく、早川の瀬音にまぎれていた雨が、しだいに強く、はっきりと軒を打つほどに降りだした。  大助は立ちあがって窓を明け、闇を罩《こ》めて降る雨脚のかなたに、白く泡を噛んでいる渓流をじっと見まもった。昨日あたりからかれは心を急《せ》いている。早く秀之進のあとを追わなければならぬからだ。もう遅れすぎてさえいる。秀之進がどう思っているかと考えると、すぐにも此処を立っていきたい気持だった。 「ひとつ相談があるのですがね」思い切ったという風に、大助は座へ戻って来てそう云った、「実は貴女《あなた》もお山でお会いになった、わたしの伴れの男ですね、早水秀之進というのですが、わたしは早水に追いつかなければならないんです、なに、わたしが一緒でなければならぬというわけではないのですが高松から一緒に出て来て、水戸まで同道する約束なんです、あれはひどく世慣れのしない男で、本当を云うとわたしが付いていてやらないと宿も満足にとれないという風なんです」 「なんですか、怖いような方だと存じました」 「世慣れないんです、人づきがばかに悪いのです、しかし人物は……いやそんなことは不必要だ、そこでつまり、わたしは早くかれに追いつきたい、それには貴女の身の落ち着きようを定めたいのですが」 「そのことでしたら、もう」 「いやお待ちなさいよ」藤尾がきっ[#「きっ」に傍点]と面をあげるので、大助は急いでそれを押えるような手まねをした、「貴女がなんと仰《おっ》しゃるかは聞くまでもありません、相談というのはそこなんです、ふしぎな縁でお兄上の臨終のみとりまでしたのですから、もう貴女もわたしを信じて下さるものと思います、だから単刀直入に云います、貴女がた御兄妹の身の上を聞かして下さいませんか、……話したくないと仰しゃればそれまでです、けれど話して下さればわたしにできるだけのお力添えをしましょう」  娘は案外すなおに頷いた。 「申上げます、わたくしお話し申したいと存じておりましたのですから、……でもそれはお力に頼りたいからではございません、お情けに縋りたいからでもございません、ただ申上げたい、聞いて頂きたいからでございます」 「結構です、聞かして下さい」  娘は少し膝をすすめ、行燈をひき寄せて火を細くした。身の上を話そうとしてまず燈火を細くする娘らしい羞《は》じらいと神経のこまかさが感じられて大助は何やらほのぼのとした気持にうたれるのだった。 「わたくしは伊予のくに吉田藩の生れでございます」 「伊予、するとおなじ四国だったのですね」 「兄は柿崎兵馬と申しました」  藤尾はしずかに語りだした。  蕭々《しょうしょう》たる雨の音と、川の瀬波の音とが夜を押し包んでいた。多からぬ客たちは講釈でも聞きにいったか、それとも雨に足をとめられて寝てしまったか、宵のうちだというのに宿はひっそりとして、人のけはいも感じられぬほどしずまりかえっていた。 「柿崎の家は吉田藩でも筋目の正しいものだと聞きました、父は伊吉右衛門と申し、御|届《とどけ》方というお役を勤めておりましたが、七年まえに亡くなり、兄が十九歳でお役名だけ継ぎました」  柿崎兵馬は十歳のときから宇和島の明倫館にはいって学んでいた。宇和島は吉田の本藩に当る。ときの藩主伊達宗城は英俊の人で、明倫館には京学派、敬義派のほか水戸の学統をうけた金子魚州を入れ、隠然として尊王精神の培養につとめるかの観があった。……こうして兵馬は、当時の青年の多くがそうであるように、尊王の志士たらんとする情熱を植えつけられた。すると弘化四年、宇和島へ多田慎之助という剣法修業の浪士が来た。浜松の浪人だと名乗っていたが、実は水戸藩士、菊池為三郎だったのである。  為三郎はしゅくん斉昭が幕府から隠居を命ぜられた[#1段階小さな文字](甲辰の事)[#小さな文字終わり]とき、その雪寃《せつえん》のために奔走して幕府に追われ、伊達宗城の庇護《ひご》をうけて宇和島に匿《かく》れたものであった。……兵馬はこの菊池為三郎の知遇を得て、攘夷の急務を知り、また水戸志士の熱烈|不羈《ふき》な能動性に感奮した。……回天の原動力は水戸にある。水戸へいって藤田彪に会い、尊王論を倒幕にまで持ってゆかなければならぬ理由を説こう。兵馬はそう心にきめた。父の死によって御届方という役名だけは継いでいたが、実際には無役だったので、かれは江戸へのぼって昌平黌《しょうへいこう》へ入学することを願い出た。しかし平素のかれの熱烈な、むしろ偏執ともいうべき激論が禍いし、同時に、どこにでもあった俗論派の中傷もあって、その願いはどうしても許されなかった。そこで兵馬は脱藩を決意した。 「兄はもちろん独りでそうする決心でございました、けれどもそのとき兄はもう健康を害しておりまして(それゆえ一層あせったのでございましょうけれど)とても独りで出してやるに忍びません、それで、わたくし無理に兄と一緒にお国をたちのきました」藤尾はそういって話を続けた。  兄妹が吉田を脱藩したのは去年の秋八月のことだった。かれらは大洲の加藤領へぬけ、長浜港から船へ乗るつもりで、ある雨の夜ひそかに脱出した。すると鳥坂峠へかかったところで三名の追手に追いつめられた。  片岡休八、千葉勘助、真柳権之允の三人である。中でも片岡休八は田宮流のつかい手として知られていたから、兵馬はもうだめだと思った。しかし捕えられて牢《ろう》へ入れられても、その病身では存命はおぼつかない。どうせ死ぬなら此処で斬り死をするほうがましだろう。かれは必死の覚悟で抜き合せた。 「いま思えば、そのとき鳥坂峠で斬り死をしたほうが、兄のためには仕合せでございました」藤尾はそっと眼を押えた、「雨にぬかって、足場が悪うございました、それが却って兄の味方になり、片岡さまを突き伏せてしまったのです、それがあまり思いがけなかったのでしょうか、千葉、真柳のお二人は逃げだしておしまいになりました」  兄妹は長浜から船で備前へ渡り、大阪までいってそこからさらに船で尾張の宮へあがった。……兵馬の健康はそういう無理な旅で悪くなるばかりだった。駿河のくにへはいったのは十月はじめのよく晴れた日で、すでに雪を冠った富士山が、蒼穹《そうきゅう》をぬいてかっきりと聳《そび》えたっているのがみえた。兵馬はおおと叫び、燃えるような眸子を凝らしていつまでも霊峰の姿をうちまもっていた。 「そのとき兄の心にどのような想いが来つ去りつした事でございましょうか、どのような、兄はふいに富士へ登ろうといいだしました、実はそのまえ、大阪におりましたときから、兄はおりおり討手が跟《つ》けていると申しましたが、その討手がまだ跟け覘っているから、その眼を昏《くら》ますために富士へ登ってやりすごしてやろう、そう申すのでございます」 「本当に討手があなた方を跟けていたのですか」 「わたくしは少しも気づきませんでした」藤尾は悲しげに眼をあげた、「兄だけ知っていて、わたくしには隠していたのかも知れません、でもわたくしこう存じました、討手をやりすごすというより、兄は雪を冠った富士をみて、急にその頂上で死にたくなったのではないかしらと……わたくし今でもそう信じております、兄はもう死期の近いのを覚悟しておりましたから」  ああそれでと、大助は初めて会ったときのことを思いだした。兵馬は秀之進をみるなり刀を抜き、「とうとう嗅ぎつけて来たな」と云った。あのときかれは二人を討手と思ったのだ。そうすると兵馬はたしかに討手がつけねらっているのを見たに違いない。藤尾は知らないが、たしかに兵馬は知っていたのだ。――だがなんとふしぎなめぐりあわせだろう。  大助は運命の操る糸の目をみるような思いがした。かれが秀之進と水戸へ行くのも「甲辰の事」にかかわっている。柿崎兄妹を此処まで導いたのもそのゆかりだ。宇和島藩に匿まわれた菊池為三郎がなければ、兵馬はおそらく脱藩の覚悟まではつかなかったであろう。為三郎を知り、その口から水戸の情勢を聞いた。斉昭のこと、藤田彪のこと、諸国の志士たちがいかに水戸を中軸として動いているかということ。……それが兵馬を起たしたのである。  そういう眼にみえぬ繋がりをもった兄妹と自分たちとが、風雪荒るる岳上の岩屋で相会ったのだ。……大助は蘭学をも覗《のぞ》いたことがあり、いまさら迷信めいた感慨にうたれるつもりはなかったが、このめぐりあいの偶然さにはなにか動かすことのできない真実があるように思えなんとなく背中の寒くなるような感じを避けることができなかった。 「ごめんなさいまし」宿の婢が障子のそとからそう声をかけた、「あのう、まことに失礼でございますが」障子をあけた婢は、廊下へ手をついたまま気の毒そうに訊いた、「こちらさまのお国は伊予ではございませんでしょうか」 「……どうして」大助は訝《いぶか》しそうに眼を向けた、「宿帳にしたためたとおりだよ、讃岐の高松の者だ、どうしてそんなことを訊くのかね」 「どうしてでございますか、帳場でうかがって来いと申すものですから、どうもたいへん失礼を申しました、高松でいらっしゃるんでございますね」 「そうだよ、なにか不審でもあるのかい」 「いえ、なにか帳場で思い違えたのでございましょう、では御免下さいまし」婢はちらと藤尾のほうへ眼をはしらせた、そして丁寧に会釈して去っていった。  藤尾は硬ばった顔をしてじっと障子のあなたをみまもっていた、あの射止めるようなまなざしである、額のあたりが石にでもなったように白く固くなってみえた。 「わたくしです」 「……え」 「わたくしを追って来たのです」  つきつめたような表情とは反対に、しずかな低いこえでそう云った。大助にもその意味はすぐにわかった。 「ああ討手のことですか」かれはわざと笑いながら、「兵馬さんが見たというのは本当かも知れませんね、脱藩者の追求はいまどこでも厳しいから、きっとそうでしょう、貴女がたのあとを跟けまわして、この箱根で網を張っていたのかも知れませんよ」 「わたくし会いましょう」 「会う、誰に会うんです、まさか討手に……いやそれは可笑《おか》しい」大助は手を振った、「貴女が会ってどうするんです、かれらが貴女と斬り合をするとでも思うんですか、冗談じゃない貴女には関わりのないことですよ」 「いいえ関わりはございます」藤尾はきっぱりと云った、「わたくしは柿崎藤尾でございます、兵馬の妹でございますもの、兄の罪はわたくしの罪、お咎《とが》めをうけるのは当然でございます」 「婦人の哲学ですね」大助はまたわざと笑った、「そんな罪科論より、問題は兵馬さんに罪があるかないかである、兵馬さんに罪科とよぶべきものがあれば、なるほど貴女もその咎をうけるがいいでしょう、しかし貴女は兵馬さんに罪があると思いますか」  藤尾はそっと眼を伏せた。大助はすかさず続けて云った。 「むしろ貴女には兄上の志を継ぐべき責任さえあると思いますがね、いや、……どっちにしろ今夜はもう寝ましょう、明日のことは明日です、わたしが総てうまくやりますよ」  雨の音は絶え間もない。峡間の夜はすっかり更けていた。  大助はそれほど心配はしていなかった。  宿の帳場から訊ねにきたのが吉田藩の討手であるとしても、藤尾をそれと確認してのことでなく、四国の者で男女づれというところに眼をつけたのだと思われる。おそらくまだ疑いが解けないで見張っているだろうが、明日になって自分の姿を見れば間違いだということがわかるに違いない。  ――そうだ、要慎《ようじん》のために藤尾を町人風の恰好《かっこう》にするほうがいい。  そう思いながら、ふと大助は秀之進にどこからか見まもられているような気がしてはっとなった。  ――どうしてそんなにその娘のために苦労するんだ。  秀之進のそう云う声が聞えるようにさえ思われた。あの意地の悪いほど無関心な、あらゆるものに超越した、蔑《さげす》むような眼つきがまざまざと宙にうかぶ。  ――なんにでも手を出す、誰にでも親切を押しつける、それがおまえの悪い癖だ、世の中のことはそう単純ではない、人間はそれぞれの運命をもっている、他人の僅かな力ではそれを動かすことはできない、おまえの今していることは、その娘のためというより自分の虚栄心を満足させたいだけのことだ、おまえの親切はいつもそうではないか。  まるでそこに秀之進がいて、かれの口から云われるようにはっきりとそういう言葉が感じられた。尤もそれは今はじめてのことではなく、大助がなにかしら他人のために尽そうとする場合、きまって(そこに秀之進がいるといないに不拘《かかわらず》)感ずる反省ではあったが。  寝に立とうとしたとき、ふと藤尾が眼をあげて云った。 「あの、お伴れの早水さまと仰しゃるお方はどういう方でございますか」 「早水ですか」大助はちょっと答えに困った、「そうですね、秀之進は、どういったらいいでしょう、かなり特異な性格の男で、人物はずばぬけているんですが、ちょっとこういう男だと説明しにくいですね」 「わたくし、今でも……」と藤尾はしばらく間をおいて云った、「今でもあの方のお眼が忘れられませんの、あのとき、兄が刀を抜いてつきつけたとき、あの方がじっと兄のほうをごらんになった、しずかな、冷やかなお眼でございました、わたくし正直に申しますとあの方を憎みました」 「……憎んだんですって」 「ええ憎みました、人間はあんな眼で人を見るものではないと存じます」  大助はびっくりした、――この娘はひと眼で秀之進の性格を認めたのだ。そう気づいたからである。しかし藤尾はそれ以上なにも云わなかったが、大助は娘の言葉をくりかえし頭のなかで反芻《はんすう》していた。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し] 「よう――これはこれは」  明くる朝まだほの暗い時分に大助が浴場へおりてゆくと、湯ぶねの中にいた男がびっくりしたような声で呼びかけた。 「太橋さんの若旦那じゃありませんか、どうなさいました」 「誰だいおまえは」  男には珍しく膚の白い、肉付のいいからだへ湯をかけながら大助はそっちへふり向いた。 「誰だいは御挨拶でげすな、あわよくば人違いだと仰しゃりそうじゃありませんか、そううまくはいきがや[#「いきがや」に傍点]の不動尊だ」  湯ぶねの中で立ちあがった男は軽薄な調子でべらべら饒舌《しゃべ》りながら寄って来る。年は四十そこそこであろう、色のまっ黒な、馬のように長い顔つきで、前歯が一本かけたままになっている。本名は貝助、竹亭寒笑《ちくていかんしょう》という号で人情本を書き、笑軒寒竹で雑俳《ざっぱい》をやり、竹田勘七というしかつめらしい名で劇作もするという男だった。 「なんだ、からす[#「からす」に傍点]貝か」 「いきなりでげすか、へへん、からす貝とね、このまえはたしか黒馬とおいでなすったっけ、おかげで俳名に不自由はねえというやつさ、けれどもからす[#「からす」に傍点]貝とはそもさん」 「それよりおまえ富にでも当ったのか」 「なにゆえでげす」 「箱根で湯治などという芸当のできる柄じゃあるまい、それとも誰かのとりまきか」 「そういう難舌だからとかく女に嫌われやす、へん、いま売りだしの竹亭寒笑『艶色恋の手車』の作者を知らねえな」 「そんなばけ[#「ばけ」に傍点]物は知らないよ」 「冗談ぬきで若旦那、寒笑一代の傑作でげすぜ、馬喰町《ばくろちょう》の和田平から今年の初刷りに出したのが大受け、二巻で大尾としたところが看客みなさまやいのやいののお好みにより巻を重ねること六たび、ようやく脱稿して斯《か》くは山の湯へ疲れやすめという幕でげす」 「からす[#「からす」に傍点]貝の作が売れるとはとんだ世の中になったものだ、そんなことなら讃岐くんだりから出て来るんじゃあなかったよ」 「ちょん[#「ちょん」に傍点]と入れやす」寒笑は湯ぶねからあがって、「あらためて御挨拶、このたびは道中御無事でようこそ御入来、また昨年はお立ちの折いろいろと、えへん」 「よせよせ、つばきが飛ぶぞ」 「本当のところ今年はおくだりが遅うございましたね、あなたのこったからお国でまた道楽がすぎて当分御謹慎ということにでもなっていらっしゃるんだろう、梅八がそうお噂《うわさ》をしていやしたぜ」 「梅八……?」大助はひょいと眼をあげた、「おい、寒笑先生おまえさん本当に大そう御出世をなすったねえ」 「な、な、なんでげす若旦那」 「お前が梅八を呼び捨てにできる身分になろうたあ思わなかった」 「失言、失言、まさに失言」寒笑はいきなり手を合わせた、「お怒りなすっちゃあ困ります決してそんなつもりじゃねえのでこの頃ずっとなにして、なにしてるもんですからつい、ついその狎《な》れっこで口が滑りやした、ひらに御勘弁を」 「わかればいいのさ」大助も湯ぶねからあがって、きゅっきゅと小気味よくからだを拭きあげた、「久しぶりで一杯といいたいところだが、ちょっとおれの部屋へ来いというわけにいかないことがあるんだ、おまえどこにいる」 「あたくしですか、あたくしは奥のたしか菊とかいいましたっけ」 「あとでいくから待っていてくれ、少したのみがある」 「よろしゅうございます」寒笑はそういいながら、「ですが若旦那、ひとつだけお願いがあるんでげすがね、いえまたお笑い草の種でげしょうが、あたくしと一緒に書肆《しょし》の番頭が来ていますんで、次の作の趣向の相談に来ているんですが、ひとつ、……どうかその男のいるところではお手柔らかに、どうか」 「お手柔らかにってどうお手柔らかなんだ」 「からす[#「からす」に傍点]貝、黒馬なんぞのたぐいを勘弁して頂きたいんで、へへ、実はこれでも当時は竹亭寒笑先生でげすからな」 「そうかい」大助はにやりと笑った、「お手柔らかにね、わかったよ」  部屋へ戻ると藤尾はすっかり身じまいを済ませ、掻きあげた涼しい衿足《えりあし》をこっちへ向けて、窓からじっと雨の谷川を見ていた。 「風呂へはいって来ませんか、今のうちならまだすいていますよ」 「有難う存じます」 「このまま梅雨《つゆ》にでもなりそうで肌がじとじとする、ひとあびするとあとがさっぱりしますよ」 「……はい」  身動きもしないでじっと、凝ったようになにかを見ている。藤尾のようすに惹かれて大助がひょいとそっちを見た。谷川に渡してある小さな橋の上に、傘をさした武士が二人、この二階を見上げてなにか頷き合っていた。  ――昨夜の人たちだな。  伊予の者ではないかと帳場へ訊きに来た、ゆうべの男たちに相違ない。そう気づいたので、大助はもう一方の障子も明け、わざとかれらに自分を見せるようにふるまった。 「見おぼえのある顔ですか」 「……はあ?」 「あの橋の上の男たちです、ずっとああして見張っていたんですか」 「そうのようでございます」 「ああよく降るなあ」  そう云いながら大助は両腕をうんと伸ばして欠伸《あくび》をした。すると橋の上の武士たちはすたすたと向うへ、雨のなかを去っていった。 「あなたの落着き場所を思いつきました」大助はふりかえって云った、「江戸へまいりましょう、こんな事にはもってこいの男をいまみつけて来ました、なに、あんな討手の二人や三人心配はいりませんよ」 [#3字下げ]暦日[#「暦日」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し] 「なに、国もとから水戸へ使者が立ったと」  讃岐守|頼胤《よりたね》はきっと眼をあげた。面ながの、眉の濃い柔和な顔だちが、ときに剃刀《かみそり》のようなするどさをみせる。いま内膳の申告を聴いてその条まできたとき、一瞬にしてその表情は掌をひるがえすかのようにするどく変ったが、その剃刀のような眼光こそ、内膳の期待していたものだった。 「それはまことか」 「事実でござります、亀阜荘さまの密旨をうけ、たぶん密書を持っておることと思われまするが、四月二十七日に高松を発足、東下つかまつったとござります」 「使者はなに者だ」 「藩士ではござりません、常々おそばへ出入りをつかまつる早水秀之進と申す郷士の伜《せがれ》だとのことでござります」頼胤は眼を宙にやった、内膳はしばらく待っていたが、「またその者は先日このお屋敷へまいり、校川宗兵衛のもとにて一夜をすごした事実がわかっております」 「そして?……」 「一夜だけでたち去りましたがおそらくそのまま水戸へくだったものと存ぜられます」 「やってはまずかった」ちらと内膳に眼をくれた頼胤は、しかし、なにかを暗示しようとしている内膳の唇もとに気づいてはっとした、「そのほう、なにか差し出たことを致したな」 「はて、……とはまた」内膳はそらとぼけた云いぶりで讃岐守を見あげた、「なにごとの仰せでござりましょうや、べつに差し出たことをつかまつった覚えはござりませんが」 「申せ、その使者を、どうするつもりだ」 「どうも御意のほどがようあいわかりませんけれども、その使者とは、亀阜荘さまより水戸への使者でござりますか」 「よもや斬れと申したのではあるまいな」  頼胤は射通すような眼でひたと内膳の眼をねめつけた。内膳の唇もとにあるかなきかの微笑がうかんだ。 「お上には唯今、やってはまずかったと仰せられました、内膳めもさように存じあげまする、亀阜荘さまにはお身軽なままに、ふとすると思召ししだいの気まぐれをあそばします、せっかくしずかな池に石を投じて、あらぬ波をお立てあそばす、これはなんとか」 「亀阜荘のことは申すな」 「申上げずに相済めば申上げは致しません、このたびの上申書によりますると、お身まわりにしきりと勤皇浪士をお近づけあそばし、近くは榎井の日柳長次郎と申す無頼の徒までお出入りつかまつるとのことにござります」 「長次郎とは燕石《えんせき》のことか」 「いかにも、さようの号もあったかと心得まするが」 「日柳燕石は無頼か」  頼胤はそ知らぬ顔で云った。 「わたくしは国もとよりの上申書によって言上つかまつりまするので」内膳は巧みに頼胤のかける罠《わな》から身をはずしながらいった、「なるほど長次郎は燕石などという号をもって詩文を作り、書物などにも眼をさらすようすではござりますが、それは世人を誑《たばか》る方便にて、まことは博奕《ばくち》喧嘩《けんか》を好み、その徒数百人を抱えて良民を苦しめおる事実が数多くござります、不穏の浪士どもをお近づけあそばし、またかような無頼の輩のお出入りが絶えませぬようでは、申すも憚《はばか》りながらやがては御家のため不測の禍いをもまねくこととあいなり、まことにゆゆしき大事と存ぜられまする」  頼胤はぼんぼりの灯をじっと見まもっていた。かなりながいあいだだまっていたが、やがてつぶやくように、「……覚えて置こう」とうち切るように云った。 「上申書につきましては以上申上げました如くにござりまするが、なおただいま」内膳はそっと眼をあげた、「おつぎまで結城が伺候つかまつっております、お眼どおり仰せつけ下さるよう」 「ならぬ……」 「抂《ま》げてお願い申上げまする、水府御老公さま御一身に関して、なにやら軽からぬ言上がこれあるやに……」 「ならぬ、眼どおりならぬ」頼胤はきびしくはねつけた、そしてじっと見上げる内膳のからみつくような眼を、逆にするどくねめつけながら云った、「よい折だから申すが、結城はかねて不臣の始末があらわれて隠居謹慎を命ぜられた者のはずだ、その後もおりおりそのほう共と往来するようすであるが、水戸と当家とのあいだがらがとかく不調のおりから、それはふたしなみな仕方ではないか」 「おそれながら、結城の隠居はかれが水戸家を思う忠節のためと存じまする、水戸家百年の安泰を謀るがために」 「それを内膳から聞く要はない」頼胤はきっぱりと遮《さえぎ》った、「さむらいとして主家の安泰を願わぬ者があるか、忠節を尽そうと思わぬ者があるか、主家の安泰を謀り忠節を尽す、それは武士として当然なことだ、みずから売り物にして世の同情を買うようなことではないぞ」  内膳はぐっと唇を噛んで面を伏せた。これまでにも讃岐守からそういう烈しい言葉をぶっつけられたことは再三ならずあった。けれどその夜のその言葉ほど、主君とおのれとのあいだに距離を感じさせられたことはない。  ――ごしゅくんはもう、おれの掌中からとびだそうとしておられる、かれは御前を退下しながらそう思った。これは緊めてかからなければならぬ、さもないと、……さもないと。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  頼胤はひとりになりたかったので、近侍のものを遠ざけて茶室へはいった。  兄のことを耳にするといつも胸を圧迫されるような気持になる、ずっとまえから、いってみればかれが松平家の継嗣に立った頃からそうであった。――自分は兄を恐れているのだろうか、そんなことはない。――では嫌っているのだろうか、いや嫌っているどころか、むしろもっとしばしば会って話したいと思う、離れているからそう思うのではない、去年高松へ帰ったときはできるかぎりの暇をつくって会った、夜をこめて話したことも両三度はある。  ――それならなぜ、兄の話がでるとこのように胸苦しくなるのか、つきつめて考えればその原因はわかっている、だがそれをはっきり認めることは頼胤にとっては苦痛なのだ、苦痛を忍んでそれを認めたところで、今さらその原因を覆《くつが》えすことはできない、しかもそれに由る心苦しさは、兄のことに触れるたびに頼胤の胸をつよく圧迫するのであった。  かれらの父、讃岐守頼儀には五人の子があった。長子を頼該[#1段階小さな文字](左近)[#小さな文字終わり]二子を頼顕といい、頼胤はその三男である。……長子頼該が七歳のとき、父の頼儀は水戸家から嗣を迎えた。嗣子があるのに他家から養子をとるというのは妙であるが、これは水戸と高松との微妙な関係による。すなわち水戸の二代|光圀《みつくに》は頼房の二男であった、長男の頼重は父の跡を継がないで別に高松へ松平家を創立したのである。光圀は二男たる自分が家を継いだことに非常な慚愧《ざんき》を感じ自分の嗣子には高松の松平を継がせ、水戸家三代には兄の子を迎えた、これが綱条《つなえだ》である。綱条の跡を継いだのも高松の頼豊の子だった。そして同時に自分の子を高松へ養子にやるのである。こうして水戸と高松とは、実に濃い血のつながりと、本枝不離の密接な関係をもちつづけて来ていたのだ。  頼儀は水戸から頼恕を入れるとしばらくして長子頼該を高松へ移した。――病弱だから江戸にいては悪かろう。という理由だったが、まえから疎《うと》んじていたのが事実である。どういうものか頼儀は初めから頼該に愛を感じなかった。つぎの頼顕も同様だった。そして三男頼胤になると、まるで人が違ったように溺愛《できあい》した。  頼該は大名の子などに珍しく頭脳のするどい、気のめぐりの寛《ひろ》い、しかもひとつ事をこつこつと丹念にやるという気性で、家中の嘱望《しょくぼう》を集めていたから、この高松移居にはかなりはげしい反対運動がおこった。しかし頼該自身がまことに唯々諾々《いいだくだく》として高松へ移ったので、家臣たちの反対は騒動に及ばずして歇《や》んだ。これはかれの性根の一部をよく表わしている事の一つである。  ひとり父の愛をあつめて育った頼胤は、九歳のとき兄たちを超えて松平家の世子となった。つまり水戸家からはいった頼恕の子として正式に頼儀の世孫の届けが出されたのである。……それからの頼胤はきわめて順調の道をあゆんで来た。十七歳のとき将軍家斉の女[#1段階小さな文字](文姫)[#小さな文字終わり]を娶《めと》り、二十四歳で左近衛権少将、三十三歳で家を継ぐと、すぐ溜間《たまりのま》詰めとなって、幕政に参画するようになった。そのとき幕府では水野忠邦と堀田正睦《ほったまさよし》、間部詮勝《まなべあきかつ》らがしりぞき、阿部正弘が老中となって政治の転換を断行していた。その大きなあらわれの一つが水戸斉昭の隠居謹慎である。ごく大|雑把《ざっぱ》に云うと、攘夷論の強硬派である斉昭を抑えることによって、幕府の開国策がすでにこのとき胚胎《はいたい》していたといえよう。……斉昭隠退の原因については、水戸家の内部にも由って来たるものがあった。同時に幕府それ自身にも時代の動向に対する確たる信念がもてなかったので、斉昭の謹慎は半歳にして解かれたが「攘夷」と「開国」との対立は解消することができなかったのである。  頼胤は溜間詰めになるとすぐ、その俊敏の才を認められて阿部正弘にふかく重んぜられ、これと相結んで枢機に参画した。したがって斉昭隠退の事件にはまったく水戸家と対立することになり、また幕命によって松平大学、松平|播磨守《はりまのかみ》の二家とともに「後見」という名で水戸家の内政関渉の役に就いた。その結果として、本枝の濃い血のつながりにある水戸と高松とのあいだに不和を招来することになったのである。頼胤と斉昭とは叔父甥に当っていた。すなわち父頼恕はまえにも記したとおり水戸家から養嗣子としてはいったもので、斉昭は頼恕の実の弟だからである。  もとより幕政の枢機にいる頼胤には、みずからかたく信ずるところがあった。たとえ水戸が御三家の一であろうと、斉昭が自分の叔父に当るひとであろうと「攘夷」という大問題と、そこから発する国論の処理について、幕府には幕府としての対策方針がある、自分はその政治の方向にしたがって是と信ずるところをあゆむだけだ、そう思っていた。そしてその信念があればこそ本枝不和という私の事情から超越することができたのであった。  しかしそれにもかかわらず、頼胤の心を苦しめたものは、高松にいる兄の立場だった、兄の左近頼該は無二の水戸|贔屓《びいき》で、斉昭にはしんそこから傾倒していた。ひそかに幾回か会談した事実もある。おそらく兄の気持としては「甲辰の事」に由る本枝不和の問題はなによりも堪えがたい苦痛にちがいない。父の偏愛によって兄は長子でありながら高松に一生ひかげ[#「ひかげ」に傍点]の生活をしなければならぬ身の上だ。それに反して三男たる自分は家督をし、中央にあって幕府の重職についている。兄は水戸家の伝統たる勤王の大道をまもろうとするのに自分はその地位からも佐幕たらざるを得ない。兄の敬慕する斉昭を自分は譴責《けんせき》する立場になった。兄としては高松のすべてをあげて水戸家に尽瘁《じんすい》したいであろうに、自分は枝藩二家と共に、かえって内政関渉の役目にさえついている。すべてが逆だった。する事なす事が兄弟あい容《い》れなかったのである。  する事なす事が相反しているばかりではない。日陰の身にある兄は、つねに弟に対して労りの気持をもっていた。決しておのれの意とするところを弟に強いようとはしない。むしろ弟の立場の苦しさをもっともよく理解しているのは兄ひとりだともいえる。そのゆえに、これまで兄は事毎におのれを抑えてきた。  数年まえのことであるが、左近頼該が勤王志士としばしば密会往来するという評判がたち、幕府に異心をいだいているとさえいわれたことがある。それは直ちに弟の身の上にひびくものだった。讃岐守十二万石の家にひびくものだった。すると頼該はすぐに謹慎の意を表して館を去り、亀阜荘へはいって世の交わりを絶った。……また或るときはおのれの声望が藩中に圧倒的となった結果「亀阜荘さまは弟を排して讃岐守を襲うおこころがある」と頼胤の側近から風評がおこった。すると頼該の素行がにわかに変り、大阪から俳優|歌妓《かぎ》をよび寄せてみずから役者の真似をしたり、演劇遊楽に耽《ふけ》ったりして、自分を単なる酔狂人にしつらえた。  甲辰の事に当っても、弟の心事をよく了察し、その苦衷に同情して、おのれも一時は水戸と断つに到ったほどである。……左近はこうしてつねに弟の邪魔にならぬよう、弟を苦しめぬよう陰に陽におのれを制して弟をたて[#「たて」に傍点]ることに努めてきた。それに対して頼胤はなにをしたか、十二万石のあるじ、幕府の重職という地位と身分に制せられるとはいえ、事毎に兄の意に反する方向へあゆみ、兄の手足を掣肘《せいちゅう》するばかりではなかったか。  ――自分は善しと信ずる道をあるいている、こうすることが自分には正しいのだ。  そういう確信はもっていたけれども、兄と弟という肉親の情は別である、弟として兄を思うとき、頼胤はいいようのない苦しさに胸をしめつけられないためしはないのだ。 「だが、それはそれとして」頼胤はふとそう呟いた、「兄上が水戸へ密使を遣わされたのはどういうお心であろうか、いましばらくはなにもして頂きたくない、さもないと水戸家の内争にまきこまれる、兄上は兄上だけの御生活をしていて下さればよいのに」  それでなくとも近頃また老臣たちの眼が兄の身辺に険しくなりだしている。月に一回ずつ高松から来る上申書には、必ず左近頼該についての不評が記されている。その上に水戸家となにか関わりをもつようなことになれば、又しても兄の身に不幸を及ぼす結果となろう。 「使者をやってはならなかった」  そう呟くと共に、頼胤は滝川内膳がその使者に対してなにごとか手配をしたらしいようすだったのを思いだした。  ――滝川は兄の使者を斬らせるつもりだ、それは思いすごしではないようだ、そしてそれが実現した場合、兄と自分との関係はどうなるであろう、いや兄と自分のみにとどまればよい、それが水戸と高松、ひいてはもっと大きな問題にも発展する惧《おそ》れがある。 「複雑だ、しかもどうしようもないほど複雑だ」  頼胤は呻《うめ》くように呟き、面を掩《おお》いたいような気持で眼をつむった。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  頼胤がひとり沈思していたとき、滝川内膳は接待所で結城寅寿と会っていた。 「どうしてもお眼どおりはかなわぬかな」 「お顔色ではよほど堅くお心をきめられたように思われます、以前とは違って、この頃はなかなかわれらの言上もお肯《き》きあそばされぬようになりましたで」 「滝どのにも似合わぬことを」寅寿は不敵に笑った、「まだまだこれから仕事をすべきときに、さような心弱いことでは自ら墓穴を掘るようなものじゃ、讃州さま[#1段階小さな文字](頼胤)[#小さな文字終わり]は御利発ではあらせられるが、それだけに勇断の気に欠けておいでなさる、そこを補い、お援《たす》け申すのが滝どのの役目、この辺でもうひと腰すえぬといけませんぞ」 「こちらはひと腰もふた腰も据えるつもりだが、ひとり相撲はとれませぬでな、お上のようすがめっきり変り申して、われらも結さまのあとを追う日が近いのではないかと思われまするよ」  内膳はそう云って笑った。 「ばかなことを」寅寿はにやりともしなかった、「なるほど拙者も今は隠居の身の上じゃ、いま御老公[#1段階小さな文字](斉昭)[#小さな文字終わり]は思いのままに藩政を料理あそばしておる、けれどもこれがいつまで続くかは……はっは」  うつろな声だった。 「お高うございます」内膳は手をあげて、「この頃は御殿うちにもよその耳がございます、御老公おのりだし以来、こちらにもだいぶ妙な芽がふきでましたから」 「校川宗兵衛とやら申す……」 「宗兵衛なにほどの者と、わたくし共も存じましたし結さまにもさよう申上げておきましたが、なかなかどう致して、かれは迂濶《うかつ》な相手ではござりませんぞ」 「先日どなりこんだそうだが」 「お国もとから暴れ者がやって来たので、その案内で押しかけました、武田なにがしとやら云いましたか……」 「魁介であろう、耕雲斎の二男で水戸でも評判の男だ」寅寿はそこで用談にかかった、「今宵まいったのは、実はその件についておたのみがあってのことだ、魁介どもの覘っている両名を、このお邸内へ預かって頂きたい」 「この邸ではいけますまい」 「この邸だからよいのだ、魁介どもは両人をつけ覘っておる、先日ここへまいったのはそのためで、同時にこの邸におらぬことをもたしかめた筈、だからこの邸こそもっとも安全という訳ではないか」 「一応ごもっともではあるが」内膳はちょっと考えた、「いったいその両人はなに者でございますか、大峰、矢田部と姓だけは先日耳にいたしましたが、刺客に逐《お》われるほどの大切な役におりましたのか」 「されば」寅寿は声を低くした、「これまで常に陰の仕事をさせており、拙者のほかには役目の筋もわからぬようにしてまいったが、じつは砲台築造の件と、仏寺破却の件では重いところを勤めた者でござる、大峰庄蔵、矢田部源七郎、激派[#1段階小さな文字](藤田東湖一派)[#小さな文字終わり]の者どもがこの両名に眼をつけたのはあっぱれでもあり、当方にとってはもっとも痛いところと申されよう、ここでもし両名をかれらの手に取られるとすれば、もはや寅寿の運もそれまでと申すほかはないのだ」 「……して今その両名はいずかたに……?」 「つれて来ておる」えっというように内膳は眼をみはった、寅寿はにこりともせず、「駕《かご》かき[#「かき」に傍点]二名、その者でござる」  善かれ悪しかれ内膳は肚《はら》をきめなければならなかった。……かれは秋山平蔵と共に、頼胤側近の二|嬖臣《へいしん》といわれている。「君側の奸《かん》」という思いきった評判も耳にする。もちろんそういう評判をする者は反対派であった。水戸家の伝統を追う勤王派の者か、でなければ左近頼該を推輓《すいばん》する者たちかのいずれかであった。老臣の多くと、佐幕を本領とする保守派の人々はむしろ悉《ごとごと》くかれの頤使《いし》に甘んじていた。  かれが「君側の奸」であったかどうかは、しかし公平にみて誰にも断言することはできないであろう。かれもまた武士である。御しゅくんと御家のために悪しかれと願うわけはない。否むしろ主君のため藩家のためを思うあまりに、却って「君側の奸」という汚名をも衣たと云えないことはないのだ。  ――おれは自分の利害のために嬖臣の名を買ったのではない、高松家臣として、高松藩のためにおのれの名を捨てても是なりと信ずるところを行なって来たのだ。  かれはそう確信していた。ここにもまたこのようにおのれの為すところを「是なり」と信ずる人がいる。そしてその一点だけをみるなら決して妄信《もうしん》ではないのである。しゅくん頼胤の心はもはや寅寿の上にはない。内膳にはそれがよくわかっていた。頼胤は今いかなる意味においても水戸家と関わりをもちたくないようすである。それも察しがつく。けれども寅寿がみずから膝を屈し、夜を忍んで「たのむ」と来たものを、むげに謝絶することはできなかった。寅寿の力を恐れるのではない。却っていま寅寿が無力のゆえに、そしてこれまでの深いぬきさしならぬ関係からして、ひき受けぬとは云えぬ義理を感ずるのだ。……かれは心をきめた。 「よろしゅうございます、万全のお約束はできませんが、できるかぎりはお匿まい申しましょう」 「ならば折をみて」と寅寿はべつにありがたそうなようすもなくそう云った、「高松のほうへでも送って頂きましょうか、その方がさらに安全でござろうから」  とにかく二人に会おう、内膳はそう云って、供待ちにいる大峰と矢田部を呼ばせた。大峰庄蔵は眉の太い頬骨の尖《とが》った男で、彫りつけたような深い皺《しわ》が二本、ぎゅっと額を横にひいている。矢田部源七郎はごくあたりまえな顔だちで、どこという特徴もなかったが、身ごなしや言葉のはしはしに、どこやら粘りつくような、芯の強さが感じられた。 「よろしくおたのみ申します」  寅寿の紹介で、二人はそれでも鄭重にそこへ手をおろした。 「のっぴきならぬ事情ゆえ、ともかくもお匿まい申すが、当家とても存じの如く以前とはいろいろ都合も変っておる、たのみ甲斐なしとも思われようが、いざという時の覚悟はして置いて呉れるよう」 「おたのみ申す以上その覚悟はございます」庄蔵がはっきり答えた、「万一の折には、決して御当家の御迷惑とならぬよう自決を致します」 「そのお覚悟さえあればできるだけのお世話は仕《つかまつ》る、いまも結さまのおはなしで、よき折もあらば高松へ移したらということであった、さいわい来月には当お上が参覲《さんきん》のおいとまにて御帰国のはずゆえ、そのときまでには方策をたてると致そう、それまでは窮屈を辛抱して貰わねばならぬ」 「すべてよしなにおたのみ申しまする」  なにもかも任せきったという態度である、内膳はふと哀れを催して、酒でも与えようかと思いついた。そこへおのれの家士のひとりが小走りにやって来た。 「申上げます、先刻より御門口へ水戸さま御家臣と申して四五人の若侍が押しかけておりまするが」  内膳は寅寿を見た。 「そやつらなにを申しにまいったのだ」 「水戸家お咎人が駆けこんだ筈、ひきわたせとやら喚きたてておりますが」 「……鼻のきくやつらだ」寅寿は色も変えずに云った、「では用談も終ったで、おいとま仕ろうかな」 「しかし今すぐでは……」 「なに今のほうがよかろう」そう云いながら寅寿はすでに座を立った、「あい済まぬが女乗物を都合して下され、きゃつら拙者の駕をつけてまいったに違いない、おそらくこの邸まわりに見張り番でも置いてあって、そやつの注進で駆けつけたものか……まあなんにせい山犬のいる道は通らぬがふんべつ、女乗物で裏から出ましょう」 「ではその支度を」  内膳は立って、寅寿を裏口のほうへ案内していった。 「いま暫くじゃ、内膳どの」暗い廊下へかかると、寅寿はなにやら期するところありげな調子でそう云いかけた、「寅寿はいま翅《はね》も手足ももぎとられたかたちだが、なにこれで朽ち果てるほど老耄《ろうもう》はしておらぬ、見ておいやれ、いまに思いがけぬところから……思いがけぬところから、な、まあ見ておいやれじゃ、はっははは」  寅寿の乗物を、小石川御門の外まで送っていった家士が戻るまで、さすがに内膳は局《つぼね》口から動くことができなかった。万一にも水戸藩士に発見されれば、寅寿の身の危険は直ちにその累を主家にまで及ぼすことになる。  ――どうか無事で行きつけるように、局口の暗い片隅で、かれはひたすらそう念じていた。  送っていった家士の八巻三五郎は、しかしほどなく帰って来た。 「どうだった、無事にお越しか」 「はい御無事でございました」 「水戸家の者に気づかれたようすはないか」 「大丈夫でございます、唯今この表で見うけましたが、かれらはつい今、御門から出てゆくところでございました」 「そうか」それなら間違いはない、内膳はほっと息をついて接待所へもどった。  大峰と矢田部は秋山平蔵の家に匿まうことにきめ、両名をつれて御殿をさがるとすぐに使いをやった。平蔵は寅寿の来訪を知っていたとみえ、来るとすぐにそのことを問い質《ただ》した。 「なにか大事でも起こってのことですか」 「大事と申す程ではないが、校川が先日どなりこんでまいったな」 「水戸家の咎人を両名匿まったと申す、あの件ですか」 「そうだ、あのときは根も葉もないことで宗兵衛にこちらから謝罪させたが……あれが事実になったのだ」 「……と申しますと」 「結どのが今宵みえて、問題の二人を匿まってくれと仰しゃる、しかも二人をつれて来ておいでだ」 「……お預かりなさいましたか」 「致し方あるまいが」 「……みつかりますな」 「来月お国入りの供へまぎれこまして高松へ送るつもりだ、それまでそこもとの家へたのみたい、拙者は覘いの的だから」 「それはよろしゅうございますが」平蔵はそういうとすぐ、「それよりも、新島八十吉が急にお国おもてへまいったというおはなしで」 「あああれは拙者が申しつけた」 「……と仰しゃると」 「例の亀阜荘さまの密使、早水秀之進とやら申す者を追えと命じてやったのだ」 「そうでしたか」平蔵は合点がいったという風に微笑した、「わたくしはまた新島がとつぜん高松へ出立し、寅寿どのが御来訪と聞きまして、なにか大事でもしゅったいしたかと存じました、しかし校川一派に気づかれは致しますまいか」 「その心配はあるまい、御帰藩の先触れと申しひろめてあるし、役目を果したらそのまま高松へゆく手筈だから」内膳はそういいながら、しかしふと宙へ眼をはしらせて独り言のようにつぶやいた、「だが八十吉一人でよかったか、どうかだ」 [#3字下げ]道草[#「道草」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  午《ひる》に近い日光が乾いた道をぎらぎら照りつけていた。少しの風もないので、笠を冠っていながら頸筋《くびすじ》まで流れるような汗だ。仕方がないから脱いで汗を拭き拭きする。いっそ脱いだまま歩いてもみるが、日ざしが強いのでそれも長くは続かない。――府中で休めばよかった、こう思って大助が後ろへ振返ったとき、いま通り過ぎて来た町のほうから、十ばかりになる子供が一人、なにか叫びながら此方へ駆けて来るのが見えた。「おじさーん、おじさーん」と呼ぶように聞える。立停っていると間もなく、もち[#「もち」に傍点]竿を持って汗まみれになって側へやって来た。 「おじさんを呼んだのか、坊や」 「そうだよ」子供はまっ赤な顔ではあはあ云っていた、「さっきから呼んでるのに聞えなかったのかい、地蔵ノ辻からずっと追っかけて来たんだぜ」 「そいつは済まなかったな、それでおじさんになにか用があるのか」 「無くってさ、用があるから追っかけて来たんじゃないか、もういちど町まで帰るんだよ」 「町へ帰るって、おじさんがかい」 「当りきさ、そうでなくって誰が帰るもんか」おそろしくこまっちゃくれた子供である、「町へ帰って松八っていう宿屋へ泊るんだよ」 「おまえの云うことはまるでわからないぜ坊や、どうしておじさんが町へ帰って、そのなんとかいう宿屋へ」 「松八だよ、本当は松田屋八兵衛っていうんだけど松八でちゃんとわかるんだ、けちなはたごなんかじゃないんだぜ」 「たいそう自慢するが、それじゃあ詰り坊やはその松八の客引なのかい」 「冗談じゃないや、おいら頼まれたから追っかけて来てやったんだ、そんな勘違いをされてたまるものか、だっておじさんは太橋ってえ名前だろう」 「びっくりさせるな、どうして太橋という名を知っているんだ」 「だから云ってるじゃないか、頼まれたんだってさ、あのおじさんを追っかけていって、太橋という人だったら町へ戻るように、そして松八へ泊るように云って呉れ、そういって頼まれたんだよ」 「それはどこの誰だ」大助は思わず道の上下を見やった、「どういう人間だいその人は」 「そんなこたあ知らないよ」子供はふと眩《まぶ》しそうに眼をそらした、「……なんでもいいから戻るんだよ、訳はあとでわかるってさ、おいらそれだけ云えばいいんだ、あばよ」  ちょっと待てと呼んだが、子供は見向きもせずに駆け去ってしまった。……子供は相手の人間を隠している。恐らくこっちのことは云うなと口止めをされたに違いない。だがいったい誰だろう。大助は首を捻《ひね》ったがまったく見当がつかなかった。  藤尾を伴れて江戸へ出た彼は、校川家を訪ねて秀之進が既に水戸へ立ったことを知り、旅塵《りょじん》を洗う暇もなく跡を追って来たのである。こんどの出府では秀之進と一緒に水戸までゆくこと、もしできたら藤田東湖に会うこと、この二つが彼にも目的の内にあったからだ。……早水には三日だけおくれている。それで急いで来たのだが、常陸《ひたち》のくに府中というこの城下はずれで、まったく思いがけない呼止めを食ったのである。 「あいだ三日も違うんだからそんな筈はないだろうが、殊《こと》によると早水かも知れない」  大助はこう呟いてともかくも道を戻った。  府中は後に石岡と改称した土地で、領主は松平頼縄、二万石の城下町である。松八というのは町中の繁華な処にあった。付近に三四軒ある宿のなかでも中どころだろう。さっき子供の自慢したほどではなく、見つきも暗く小さな構えだった。宿の者はなにも知らない風で、不愛想な下女が案内した二階は、雨戸が閉めてあり、むっとするほど温気が籠っていた。 「すぐ風呂へはいりたいんだが沸いているか」 「へえ……」雨戸と障子を明け放した下女は、寝ぼけたような声でうっそりと答えた、「いま一人お客さんがはいってたすけど、もう出るところだったでようございましょ」 「すっかり汗なんだ、とにかく伴れてって貰おう」  手早く裸になって、急きたてるように廊下へ出た。階段を下りて左へ曲る。四つ五つ部屋の並んでいる前を通って突当ると、そこの右側の戸が風呂場だった。 「よしわかった、こっちはいいから襦絆《じゅばん》をひと濯《すす》ぎして置いて呉れ」  こう云って下女を返したとき、そこの杉戸が明いて風呂場の中から出て来た者がある。これが先客だなと思い、道を譲りながら相手を見た大助は、びっくりしたようにこれはこれはと声をあげた。 「新島さんじゃありませんか、珍しい処でお眼にかかりますね」 「……」相手は恟《ぎょ》っとした、まるで殴られでもしたような感じで、首だけ後ろへついと反らせた、「……ああ、太橋か……」 「どうなすったんですこんな処へ、御用ででもいらっしゃったんですか」 「なにそうでもないが」相手はようやく立直ったという顔つきで、じろっとこちらを見上げ見下ろした、「それよりそっちはどうしたんだ、こんな処へ商用という訳でもあるまいが」 「おとつい江戸から出て来たんですが」大助の頭にも警戒すべしという感じがきた、「……疲れ休めに大洗へでもいってみようと思いましてね、然しこのとおりの暑さで閉口しているところです」 「まあ風呂へおはいんなさい」相手はこう云って歩きだした、「窓から筑波《つくば》山が見える、なかなかいい眺めだよ」 「後で御挨拶に伺います」  こう云って大助は戸口をはいった。  風呂場は家に似あわず広いがっちりとしたものだった。湯も新しく、なみなみとあるし、隅々まで小気味よく掃除がゆきとどいている。あけてある北側の窓からは、なるほど筑波の翠巒《すいらん》が一望で、宿の主人の心くばりのこまかさがよく感じられた。  ――妙な男に会ったものだ、浴槽へつかりながら、大助はそう思ったが、そう思ったとたんに、――まてよ、こいつは……、はっ[#「はっ」に傍点]と眼をみはった。  こいつは唯じゃあないぞという考えがひらめいた。新島八十吉とここで会ったのは偶然ではない、偶然というにはあんまり偶然すぎる。  ――まてまて、こいつは考えてみなければならんぞ。  かれがこの松八へ泊ることになったのは、誰かが子供をつかって呼び戻したからであった。そして来てみるとそこで新島八十吉に出会った。呼び戻した当人が八十吉でないことは、顔を合わせたときのかれの驚きぶりでよくわかる。とすれば、ここに八十吉が泊っていることを知っている者がいて、それがかれと面識のある自分を会わせるために呼び戻した。そう考えたとしたら間違いだろうか。  ――いや間違いではない、それがいちばん自然だ、でなくってこんな偶然な出会いというものがある筈はない。  ここまでは推察できた。そしてその推察を正しいとして、つぎの問題は「ではどうして自分と八十吉を会わせたのか」ということである。誰かにとって「それが必要」だったことはたしかだ。どうして必要だったのか、なにをさせようというのか。  ――それがわからない。正にそれは雲を掴《つか》むような問題である。けれども大助はますます好奇心のとりこ[#「とりこ」に傍点]になった。第一段の推察にあやまりがないとすれば、とにかく既になにごとかが始まったのである。八十吉が行く先をはっきり云わず、なにやらその話を避けたところをみると、謎《なぞ》の正体はそんなところに関係があるかも知れない。 「ちょっと面白くなったぞ」かれは思わず呟いた、「ひとつ新島に泥を吐かせてやろう、おれの大洗もでたらめだがいま頃はあの男もでたらめを考えているに違いない、しかし、どっこい、その手はくわなの……」  浴槽からあがると、せきたてられるような気持でかれは風呂場から出た。女中に都合を訊《き》かせると「来て呉れ」ということだった。かれは茶菓を運ぶように云って新島の部屋へでかけていった。  そこは往来に面した表二階の八帖だった。八十吉は窓をあけ框《かまち》に肱《ひじ》をもたせかけて外を眺めていた。 「お邪魔にあがりました」 「こっちのほうが風がよくとおる、こっちへおいでなさい」  八十吉はそう云って身をずらした。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  命じておいた茶菓を女中が運んで来た。 「なんだこれは」 「こちらさまのお申付けでございます」 「茶菓持参の客か」  八十吉はふんと鼻を鳴らした。 「金持ですからね」大助は平気である、「おつまみなさいませんか、此処の名物だそうです」  八十吉は黙って外を見ている。さっきから大助はその眼を追っているのだが、この家のすじ向うに宿屋がみえている。少しまわった陽ざしのいっぱいにさしつけているその宿の二階のあたりに、八十吉の視線は絶えず吸いつけられているようだ。  ――あそこに誰かいるのか。大助はそう考えながら、「此処は水府の御連枝でしたね」と不必要な饒舌《じょうぜつ》を続けた、「たしか播磨守頼縄さまだった、『甲辰の事』にはお上[#1段階小さな文字](頼胤)[#小さな文字終わり]と御同列で水府の後見をなすった殿さまですね、そう考えると縁のふかい土地だ、あなたなどは御家中にお知合でもあるんじゃないのですか」 「……えっ」  どうしたのか八十吉はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたようにふり向いた。 「なにをそんなに驚くんです。甲辰のときにはいろいろ此処と往来があったのでしょう、あなたは滝川御老職の御家来だもの、此処にお知合のあるのは当然じゃありませんか」 「……なるほど」ふいと八十吉は微笑した、「なるほど、たしかに当然その筈だった」 「いま思いついたんですか」 「いま思いつきましたね」なぜか八十吉はにわかに活き活きとしはじめ、手を伸ばして小机の上にある硯箱《すずりばこ》の蓋をとった、「獲物を追う猟師地理を見ずか、どうもばか正直でいかん、早く気がつけばなんのことはなかったのに……」 「それはどういうわけです」 「実はね」くっくっと八十吉は喉《のど》で笑った、「土浦で少し遣いすぎて旅費が無くなったんですよ、それだもんで江戸へ帰ろうか、旅費をとりよせようかと迷っていたわけなんだ、なんのことはない、此処によく知った知人がいるんだ、おかげで苦労をなくしたというしだいさ」 「わたくしでは間に合いませんか」 「金持の金は遣い心地が悪いもんでね」巻紙へなにか手早くしたためると、八十吉は手を叩いて女中を呼んだ、「これを槇野主膳どのまで届けさせて呉れ」 「あの……お目付の槇野さまでございますか」 「そうだ、急いでたのむ」  大助はじっと八十吉の表情を見まもっていた。  ――旅費のことは嘘だ。  それはすぐにわかった。土浦で使いすぎたというのも嘘である。みんな口から出まかせだ。それは疑うまでもない。しかし府中藩士に手紙を出したのは目前の事実である。――少しずつ謎が解ける。たしかに、新島と会ったことが偶然でないとすれば、いまかれが手紙を出したことは「何事か始まった」のに違いない。  大助はそ知らぬ顔で、しかし頭のなかでは必死に推理をはたらかせていた。なにしろ事情がなんにもわからない。いったい何事がはじまるのか、自分はどういう位置にいるのか、なにかしなければならぬのかどうか、四方八方くらやみ同様だった。 「さて、それではわたくしも午睡《ひるね》でもするとしましょうか」 「おや、太橋さんは此所へお泊りなのかね」 「どうしてです」 「拙者はまた食事をしてお立ちかと思った、まだ日なかじゃないか」 「急ぐ旅でもありませんから」 「……ふん」 「どうですか暮れたら恋瀬川のふちで夜涼みに一盃やりませんか」 「いま出した手紙で客が来るだろうと思うから、まああんたひとりでおやりなさい、貧乏ざむらいには旅籠《はたご》の酒が分相応だよ」 「それはそれは」  ではまたおめにかかりますと云って笑いながら、大助は自分の部屋へ帰って来た。……とにかく新島の見張っている向うの宿を当ってみよう、なにか分るかも知れぬ、そう思いついたのだ。  部屋へ帰って、風とおしのいいところへごろりと横になった。もちろん眠るつもりはない。八十吉の手紙で客が来たら、入れ代りにぬけ出してゆく考えなのだ。……横になって手足を伸ばすと、浴後のこころよいけだるさが全身にひろがって、知らぬまについとろとろとまどろんだらしい。「やあ珍しい」という挨拶の声に、ぎょっとして眼をさますと、声はたしかに新島八十吉の部屋だった。 「どうしました」 「お呼びたてして済みません」  そういう問答を聞きながら、大助はそっと裏|梯子《ばしご》から階下へすべりぬけた。 「府中の古城趾を見たいのだがどう行ったらいいのか」  府中はむかし常陸の国府のあったところで、平大掾氏の居館の趾が遺っているので有名だった。宿の者に教えられて外へ出たかれは少しいって引き返し、町筋の反対がわの裏へとまわった。……するとそこの草原で蜻蛉《とんぼ》を追いまわしていた子供たちのなかから、「おじさん、どこへゆくのさ」と呼びかける者があった。先刻のこまっちゃくれたあの少年だった。 「よう、坊主か」  大助が立ちどまると、子供は人なつこい眼をくりくりさせながら馳《は》せ寄って来た。 「おじさん松八へ泊ったかい」 「ああ泊ったよ」 「あそこはねえ、本当はおいらの家なんだぜ」 「ほうおまえの家か、そいつは知らなかったな、……で坊主、おじさんに泊れと云えとたのんだ人はどうした」 「……おいら知らないよ」 「坊主それはずるいぞ」大助はそう云いかけたが、この子供なかなか実を云うまいと考えたので、「だがよし、それならおまえにたのもう、その人のところへいってな、おじさんは松八へ泊ったが、これからどうしたらいいのか、そう訊いて来て呉れ」 「…………」 「そしてその人はなんという名前か、それだけ訊いてくればいいんだ、それならわけはないだろう」 「……困っちゃったなあ」子供は口をへの字なりにして考えこんだが、すぐ決心したとみえてうなずいた、「いいよ、訊いて来てやらあ」 「じゃあおじさんは此処で待っているぜ」 「向うの明神さまの森がいいや」  子供はなかなか用心ぶかく、自分のゆく先を知られたくないようすだった、大助は苦笑しながら、云われるとおり草原の向うにある明神の森というのへはいっていった。……子供はすぐに戻って来た。ひどく息をきらせて、夢中で駆け戻って来たのである。 「おじさん、いないよ」 「いないって?」 「さっきもう出ていっちゃったってさ」  大助はだしぬかれたという感じがした、「それはいつ頃のことだ、どっちへいったんだ」 「わかんないよ」 「それで、名は訊いたか」 「……だってその人がいないんだもの、訊けやしないじゃないか」 「その人のいたのはどこだ」 「おいらの家のすじ向うにある武蔵《むさし》屋っていう宿屋だよ」  さっき八十吉が自分の部屋からしきりに見張っていた宿にちがいない。するとその男は、自分と八十吉と会わせておいて、その隙にどこかへ出ていったのだ。つまり八十吉の眼をのがれるために自分を使ったに違いない。ここまで考えてはじめて、大助にはその男が誰だか察しがついた。――早水だ、秀之進にちがいない、八十吉は滝川内膳の家士である。滝川は高松藩の佐幕派の頭首で、左近頼該に対し常に圧迫的な態度をとっている。――そうだ、新島は秀之進の水戸入りを遮るために跟けて来た、それに違いない。 「わかった、もういいよ坊主、ありがとう」大助はそう云って踵を返した。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  大助が宿へ戻ると、新島八十吉が旅装をととのえて出立するところだった。かれの呼び寄せたさっきの府中藩士が、なにか口早に云いのこして駆け去ってゆくのも見た。 「やあ、ご出立ですか」  大助が声をかけると、 「なかなか味をやるな」と八十吉はするどい眼でじろりと睨《にら》んだ。 「どうしたんですか」 「いや、いっぱい食ったというわけさ」 「……ほう、誰がです」  八十吉は笠を取った、そしてもういちどこっちをねめつけながら云った、「誰がいっぱい食ったか、知りたいかね」 「知りたいですね、わたくしにはなんのことかさっぱりわかりませんから」 「じゃあ来たまえ」 「…………」 「但し、ふたたび江戸へは帰れないつもりでね」  そう云いすてると、八十吉は笠を手に持ったまま大股《おおまた》に道へ出ていった。  いよいよたしかである、かれは早水秀之進を追っているのだ。そして早くも秀之進の逸走したことを知り、それが大助と牒《しめ》し合せたものだと察したに違いない、――さあ急がしくなったぞ、かれは二階へ駆けあがって、出立するからと勘定を命じた。  新島八十吉が手紙で呼んだのは此処の藩の目付だといった。それは大助がここに知人はないのかとたずねたことから思いついたのだ。そして目付を呼んだとすれば秀之進の手配をたのんだのに違いない。さっき八十吉となにか牒し合せて出ていったのは、おそらく街道口をかためる非常手配のためだろう。――しかも早水はそれをまだ知らずにいるんだ。今までの好奇心などはけしとんで、大助はまっしぐらに松八をとびだした。どんなことをしても早水に追いつかなくてはならぬ、かれが道を塞《ふさ》がれない前に、少なくとも新島の手中に落ちない前に……。  風立ってきたとみえ、往来へ出ると乾ききった道に埃《ほこり》が舞いたっていた。大助はその埃に追われるように、道を北へと急ぎだした。すると、町はずれへかかるところで、うしろから駆って来た騎馬の侍たち十騎に追いぬかれた。  ――目付役の者たちだ。  そう思い、自分も馬でとばさなくては間に合わぬと気づいた。しかし馬を雇うには町の中まで戻らなければならぬ。  ――戻るひまがあるかしらん。  はたと大助は当惑した。どうしよう、とっさの決断に迷っていると、すぐ右がわの家並の間から呼ぶ者があった。 「おい、こっちだこっちだ」  大助はびっくりしてふり返った。いかにも町はずれらしい、ごみごみした家並の、細い路次のあいだに一人のさむらいが立って手をあげていた。早水秀之進だった。 「あっ早水」 「人に見られるなよ」  秀之進はくるっと踵を返した。 「やっぱりあんただったな」 「黙って来たまえ」  秀之進は町裏へぬけると、青々と伸びた稲田のあいだの径《みち》を、さっさと東へあるいてゆく。田の畔には榛《はん》の木が植えてあるので、そこまではいると街道からは見えない。秀之進はその細い径を、まるで大助のことなど忘れたように、すたすたと黙って先へあるくばかりだった。 「もういいだろう」田のあいだをぬけて、北から東へまがって来る新しい道へ出たとき、はじめて秀乏進はふりかえった、「せわをかけたな」 「それだけですか」大助は額の汗を押しぬぐった、「冗談じゃない、こっちはわけがわからないものだからまごついたのなんの、はじめに子供にひと言そういって呉れれば」 「云えば事情が違ってくる」秀之進はしずかに遮った、「あいつは土浦の向うから跟けて来た、ようすをみるとおれを斬るつもりらしい」 「……斬るって?」 「眼の色がそうだ、べつにそれを怖れはしないが、御用をはたすまでは大切なからだだから、なるべく無事に眼をのがれようと思った、それでひとまず武蔵屋へ草鞋をぬいだのさ」 「だがよくわたしが通るのをみつけたもんだな」 「だってもう来るじぶんだと思っていたからさ、それが三日待たされた、いい道草をくってしまったよ」 「御挨拶ですね」 「おれは相手に見知りはない、だがあんたは江戸屋敷の者と親しいから、ことによると知り合かも知れぬと思った、それで迷惑をたのんだのだが……しかし是れ是れだと云えば、必ずあんたの態度で向うに感づかれる、なにか連絡があるなと察せられぬものでもない、それでわざと名も云わなかったわけだ」 「つまり敵を計るに先ず味方を以てすというところか」 「それが当ったのは見るとおりだ、かれは裏を掻《か》かれたと思った、どうやら府中藩士までつれだしたようすだが、おれは宿を出るとすぐさっきの路次ですっかり見ていた、あの男は泡《あわ》をくって駆けていったっけ」 「追っていった騎馬は目付役の者たちだ」 「それはそれは」秀之進はそっと笑いだした、「暑いのにご苦労さまな、おれたちはおかげで涼しい旅ができる」 「あんまり涼しくもないぜ」 「いまにわかるよ」  小一里の道を南へくだると高浜の町へ出る、地理をよく調べておいたとみえ、そこから霞ヶ浦の船着き場へまっすぐにゆき、――玉造まで、といって舟を雇うと、二人は涼風のわたる湖上をいい気持にゆられていった。 「富士の岩屋で会った兄妹はどうした」  舟が岸をはなれると、ふと秀之進がそう云った。 「兄のほうは死んだよ」 「……やっぱり」 「可哀そうな身の上だった」  大助は藤尾から聞いた兄妹の悲運のあらましを語った。秀之進にも柿崎兵馬が甲辰の難で宇和島に庇護された水戸藩士菊池為三郎と関わりがあったという点には、かなり興味を惹かれたようだった。けれどもそれ以上にはべつにその悲運にうたれた風もなく、同情を唆《そそ》られるようすも示さなかった。 「それで、その妹はどうした」 「それがさ」大助はちょっと詰った、肉付きのいい円い顔にまぶしそうな表情がうかぶ、ちょうどいたずらを発見された子供のようだった、「いま云ったように吉田から来た討手につけ覘《ねら》われているし、身寄りもないまったくの独りで、どうにも振り棄ててゆくわけにはいかないんだ」 「云いわけをすることはないよ」 「云いわけじゃないさ、道理のあるところを云ってるんだ、だって本当にそうなんだから」 「要点だけ云えないのか」 「つまり、……要点を云えば、江戸へつれて来て知り合いの女の家へ預けたのさ、知り合いの女といったってべつに仔細《しさい》はないんだからね、年はもう五十七になるんだ、一中節の師匠をしていてね、まあ生粋《きっすい》の江戸ッ子だろうな、そこへ預けたわけなんだ」 「つけ覘ってる討手はどうした」 「へえ……そこまで気にするというのは珍しいな、早水さんにもそんなところがあるのかね」 「おれが云うのは」と秀之進は冷やかに云った、「むやみに人のことに手を出さぬがいい、そしてもし手を出すなら、仕残しのないように徹底しなくてはいけない、その娘はもう討手に覘われる心配はないのかどうか、おれが云うのはそういう意味なんだ」 「わかりましたよ、しかしそれはそう簡単には答えられませんね」  当りますという船頭の声といっしょに、舟は小さな桟橋へとんとつき当った。葦《あし》の茂った岸辺に、宿屋の客引きとみえる男女が数人いて、がやがやと口々に呼びかけながら迎えにやって来た。秀之進は船頭に心付けをやり、なにか口早に囁《ささや》くと、「大助さん、あんたはこの舟で土浦へ戻って呉れたまえ」  そう云って、自分だけひとり身軽に桟橋へとび移った。大助はあっけにとられた。 「どういうわけかね、これは、だって早水さん、そんなてはないよ」 「おれの身代りだ、たのむ」 「身代り……?」 「あの連中に土浦まで戻って貰うのさ、あんたは江戸へ帰って呉れ、これからは独りのほうが安全だ、たのむよ」  云い捨てたまま、秀之進はさっさと葦間の道を去っていった。 [#3字下げ]常陸びと[#「常陸びと」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  玉造へあがった早水秀之進はそのまま東へ向って休みなしにあるきつづけ、日が暮れてから鉾田《ほこた》へ着いた。そこはもう鹿島郡なので府中藩の目付の手はとどかない。かれは北浦の岸に臨んだ静かな宿を選んで草鞋をぬぎ、食事が済むとすぐ寝床へはいった。  土浦から素性の知れぬ者に跟けられていた。その緊張がとけて、久しぶりに手足をのばして寝られる、そう思っていると、かなりおそくなって舟が着き、四人づれの客がすぐ近くの部屋へはいって来た。言葉つきで武家だとわかった。 「食事はいらないから酒を早く持って来い」「いっぺんに五六本ずつ持って来るんだ、燗《かん》は熱いほうがいい」どなりつけるような声がまるっきり筒抜けに聞えてきた。  ――悪い客が来たな。  話しぶりで府中からの追手でないことはわかったが、これでは暫く騒ぐなと思うとやりきれない感じだった。客たちは酌をする妓を呼べと命じていたが、それだけはとりやめになったらしく、間もなく元気に飲み始めたようすだった。 「……一門の茅屋《ばうをく》一|瓢《ぺう》あり、三尺の雄刀七尺の身、憂国|叨《みだ》りに招く衆人の謗《そし》り……」  声たからかに詩を吟じはじめる者があった。するとべつの一人がそれを遮って、「待て待て、それを吟ずるならその前にやるべきものがある、瓢兮歌《ひさごのうた》だ、いいか聴けよ」「久木の声は無念流だからかなわんぞ」「うるさい、謹聴しろ」そうどなりつけて、久木と呼ばれた男は喉いっぱいに吟じ始めた。 「瓢《ひさご》や瓢やわれ汝を愛す、汝|嘗《かつ》て愛す顔《がん》氏の賢を、陋巷《ろうかう》に追随して楽しみを改めず、盍《なん》ぞ美禄を得て天年を終らざる、天寿命あり汝の力にあらず、功名また驥尾《きび》に付す、瓢や瓢やわれ汝を愛す、汝また嘗て豊公の憐れみを受く、金装さんらん軍に従ふの日」  その詩はさらに続いた。それが済むと次にまたべつの者が唄いだした。しかし案じたほど騒々しくもなく、秀之進はいつかぐっすりと眠ってしまった。  あくる朝、はやく宿を出立したかれは、道を東にとって、諏訪《すわ》郷から海へと出た。蜿蜒《えんえん》のびている涯《はて》しもない砂丘に立って、うちわたす大海原を見たとき、秀之進はまるで眼がさめたような気持がした。――大きいな、そう思った。そういうほかに形容のしようがなかった。東海道でもしばしば太洋を見たが、この感じとは違う。水天|彷彿《ほうふつ》たるかなたまで、さえぎるものもなく、無辺際までつづくかと思える大海原だった。いくたびも耳にし書で読んだ「この太洋のかなたに亜米利加《あめりか》あり」ということが、いまこの海を前にしてはじめて秀之進の実感にきた。 「――大きいな」  かれは深く息をつきながら、いくたびも圧倒されたような声でそうつぶやいた。  吹きわたって来る風は海の青に染まっているかと思われ、むせるほども潮の香に満ちていた。眼もとどかぬ沖のかなたで盛りあがる波は、運命のようにじりじりと、高く低くたゆたいつつ寄せて来る。そして磯の近くまで来るとにわかに逞《たくま》しく肩を揺りあげ、まるで蹲《しゃが》んでいたものが起ちあがりでもするようにぐっと頭を擡《もた》げるとみるや、颯《さっ》と白い飛沫《しぶき》をあげて崩れたち、右へ左へとその飛沫の線を延ばしながら歓声をあげて水面を叩き、揺れあい押しあいつつ眩しいほど雪白の泡となって汀を掩う……これらはすべて或る諧調《かいちょう》をもっていた。旋律のない壮大な音楽ともいえよう、いや旋律さえ無いとはいえない。耳でこそ聞きわけられないが感覚には訴えてくる。ただその音色が現実的に説明しがたいだけだ。……秀之進は云いようのない感動にうたれ、自分もその海景のなかに溶け入ってしまったもののように、砂丘に腰をおろしたまま惘然《もうぜん》と時の経つのを忘れていた。  かなり久しい時間が過ぎてから、ふとかれの耳に遠い人ごえが聞えてきた。風の具合で高くなったり消えたりする。高くなるときは言葉まではっきりと聞きわけられた。 「夷狄《いてき》を討つ……先生が仰しゃるのは……それは蒙昧《もうまい》の説だ」 「おれは思う……まあ黙れ」 「これだ、これが先決問題だ……蒙昧であるかないかは……」  なにか議論をしているらしい。ふりかえってみると、四人づれの若い武士たちが、砂丘の下をこちらへ歩いて来るのがみえた。そして秀之進がふりかえるのといっしょに、かれらもまた一斉にこっちを見た。――ゆうべおなじ宿へ泊った客だな、秀之進はそう思った。  四人はずんずんこちらへやって来たが、なかで眉毛の太く眼のするどい、背丈のぬきんでたひとりが、大股に秀之進のそばへ近寄りながら声をかけた。 「やあ、昨夜はやかましかったでしょう」 「…………」どうして自分を同宿者と知っているのか、秀之進は不意をつかれて答えに困った。 「朝になって女中からあんたが隣室に泊っていたと聞きましてね、それなら少し遠慮するんだったと後悔しましたよ」 「そんなことはありません、よく寝ました」 「おいこっちへ来ないか」相手はそう云って伴れの三人を呼んだ、「実は一瓢さげて来たんです、よかったら付合って呉れませんか」 「酒は不調法ですが……」 「遠慮には及びません、こちらはごらんのとおり水戸っぽの荒くれです、一宿の縁の記念につきあって下さい、みんな坐れ」号令をかけるように叫び、四人がぐるっと秀之進をとり巻くように腰をおろし、「まず一杯」とすぐさま盃をつきつけた。 「水戸っぽ」と名乗るのを聞いて秀之進はその四人にはじめて興味をもちだした。かれは酒を嗜《たしな》まないのでたいていは盃を手にすることを拒むのだが、おとなしく受けて返した。 「水戸の御藩士ですか」 「さよう、拙者は久木直二郎」  眉の太い偉丈夫がそう答え、つぎつぎに三人の名を云った。久木直二郎はよく覚えたがあとの三人は加地、渡、太田という姓だけしか記憶しなかった。 「あんたはどちらです」 「四国の讃岐の者です」  秀之進はそれだけしか云わなかった。久木はなにか意味ありげに秀之進の顔をみつめていたが、ふと唇を歪《ゆが》めて笑い、「そうですか、讃岐ですか」とひどく念を押すように云いざま、急にきげんの変ったようすで伴れのひとりをふりかえった。そして突っかかるように、「おい加地、きさまおれの云うことを蒙昧の説だと云ったな」とひらき直った。 「なんだ、急に、今になって」 「蒙昧の説とはなんだ、その意味をはっきり聞こうじゃないか、どこが蒙味だ」 「そうむきになるなよ、おれは貴公の説を蒙味と云ったのじゃない、誰をもさして云ったんじゃない、むやみに夷狄《いてき》を討てという、理非を弁ぜずただ夷狄を撃攘《げきじょう》しろという説は蒙昧だというんだ」 「なぜ、どうして、どうしてそれが蒙昧なんだ、その説明をしろ」 「おい久木」太田という温厚そうな男がそばから制止した、「それは此処で討論しなくともいいだろう、未知の人もいるし……」 「未知であろうと既知であろうと日本人なら誰しも関心をもつべき問題だ、加地いいから説明しろ」 「では云おう、夷狄撃攘ということは、口でいうほど単純なものではない、祭礼の囃《はや》し文句ではないんだ」 「そんなことはわかってる」 「いやわかってはいないよ」加地という青年(このなかまで最も若く、どこか神経質らしい骨細のからだつきだった)は、ぐいと砂の上で坐り直した、「君たちはすぐに説をなして、日本を神聖の地とし異国人を蛮夷《ばんい》とする、しかもその言葉の内容は検討されたものではなくて、多くはそう云うこと自体のうちに満足を感じている、日本という国をまさしく理解しようとせず日本人という自覚もよくは徹底していない、ただみんながおなじ方向に顔を向けさえすれば、それでなにごとかが為されたと信ずるんだ、或いはまたみんなと違う方向へ顔を向けることによって……その事の理由を究めずに、みんながそういうからそう信じ、或いはみんながそうだからといって異をたてる、これはわれわれの血にある悪い一面なんだ、夷狄を撃攘するという説は、徳川幕府伝統の鎖国論とおなじものであってはならない、なぜなら、鎖国はたしかに国家統一の役には立ったが一般文物の進展をおそろしく疎害した、国ぜんたいの福利よりも幕府政治の保全を至上に置いていたから、そしてわれわれは近年になってしばしば所謂《いわゆる》夷狄の来航に遭い、はじめてわが文物の進展の遅れていること、しかもおそろしく遅れていることを教えられたのだ、天文のむかしかれらは鉄砲を齎《もたら》しただけだったが、今はあらゆる科学文明の成果をひっさげて来る、徒《いたず》らに撃ち払い令を出しただけでは、もはやかれらは黙ってひきさがりはしないのだ」 「きさまの議論は蒙昧から飛躍しすぎたぞ」 「いやそのことをいっているんだ、おのれを知らず敵を知らずして徒らに干戈《かんか》を執《と》るものは亡びる、おれが蒙昧といったのはその点なんだ、夷狄を撃ち払うといっても、寛永の鎖国当時とは根本的に彼我の差がある、その差をよく究めたうえで、その差の重大さをよく知ったうえでなくてはならぬと思うのだ」 「火事になって、足もとまで燃えついてきたときに、きさまは火事の原因を調べるほうがさきだというのか」  久木直二郎は叩きつけるように云った。 「加地の云うこともわかるが」と渡が口を揷《はさ》んだ、「それは多く機械論だと思うな、なるほど異国人の事情を究めることは必要だ、けれどもそれは時と場合による、久木の云うように火は足もとへ迫っているんだ、うっかりすると鴉片《アヘン》戦争の二の舞をくう、うっかりするとじゃない、それはすでに目前に迫っているんだ、われわれが夷狄撃攘を叫ぶのは、それが目前に迫っている事実だからなんだ」 「それは本当だよ」加地は少し蒼《あお》くなった、「それは本当だけれども、その目前に迫っている事実を打開するのは単純ではない、おれはそこを云うんだ、ただ迫って来る夷狄を撃ち払うだけでは事実は解決しない、一|艘《そう》や二艘の異国船は撃ち払えるだろうが、動いている世界の波を撃攘することはできぬというのだ、それができると思うのは蒙昧だというんだ」 「ではいったいどうしろと云うんだ」 「そんなことが簡単に云えるものか」 「簡単に云う必要はない、時間はいくらでもあるんだ、蒙昧でないきさまの意見を聞こうじゃないか……」 「おれは開国を主張する」  思い切ったように、加地という青年は昂然《こうぜん》とそう云った。 「本音を吐いたな」 「それは、加地……」と渡がつめ寄った、「それはきさま国を危うくするぞ、東西の洋人が来航する裏には侵略の野望があるということを、再三にわたって和蘭《オランダ》人が忠告している、かれらに手をさし伸ばすことは、その手をたぐり[#「たぐり」に傍点]込まれることなんだ」 「然し一方的に和蘭人の云うことを信じてよいという理由はない、彼もまた洋人なんだ、人を見て泥棒と思え式の狭量短見が一国の思潮を占めるとすれば、これまた蒙昧と云わざるを得ないじゃないか」加地はそうやり返した、「現在もっとも必要なのは、敵を逐《お》い払うことではなく、敵のふところへとびこむことだとおれは信ずる」 「失礼ですが」秀之進はそこまで黙って聴いていたが、やや結論がでたと思ったので、そう声をかけながら腰をあげた、「少しさきを急ぎますので、拙者はこれで失敬させて貰います」 「面白くないですか」  思いがけぬ鋭い調子で、久木直二郎がぐっとねめあげた。敵意のある眼だった。 「いや……そんなことはありませんが、たださきを急ぐので」 「じゃあどうしてはじめに急がなかったんだ、こっちの差した盃を受け、今まで議論を聴いていたのはどうしたんだ、……おい讃州、あんまり人をばかにすると唯では済まんぞ」  云いかたがあまり無礼だったので、秀之進は思わず向き直った。しかし勿論《もちろん》、怒ったのではない、かれは怒りとか悲哀とかいうたぐいの烈しい感情は知らない性質だった。ただあんまり久木の態度が思いがけなかったので、反射的に向き直ったばかりである。だから向き直るとすぐしずかに低頭した。 「仰しゃるとおりです、拙者の不調法でした、ご勘弁ねがいます」 「そうわかればいい、わかったら坐りたまえ、日本人なら聞きすごしのできぬ問題だ、そして貴公の意見も聞こうではないか」 「しかし実際、さきを急ぐものですから」 「黙れ」久木直二郎は叫んだ、「貴公は日本人だろう、日本人ならいま論じている問題よりも急ぐことがあるか、いったい貴公はなに者なんだ、急ぐ用事というのはなにごとなんだ、それを聞こう」 「…………」  黙って見かえす秀之進の眼を久木は噛みつくようにねめあげた。秀之進は冷やかにその眼を受けとめていたが言葉を交わすだけむだのように思い、しずかに会釈をして砂丘を下りていった。 「……待て」  久木直二郎は大剣をつかんで立った。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  ――待て! という声を背に聞いたが、秀之進はそのまま砂丘をおりていった、「よせ久木」「つまらんぞ」そう呼ぶ声も聞えた。  秀之進は汀まで黙ってあるいていった。そして水の浸みこんだ平らな砂の上に足をつけたとき、久木直二郎が追いついて来て、なにか喚きながら前へ立ち塞がった。 「待てと云うのが聞えないか、きさま聾《つんぼ》か」  秀之進は黙って眼をあげた。久木は大きく足をふみひらき、大剣の柄《つか》に手をかけながらのしかかるような声で叫んだ。 「きさまはわれわれを侮辱した、水戸武士は侮辱にあまんずる者ではない、あらためて挨拶をする、抜け」 「あなた方を侮辱したというんですか」秀之進はしずかに反問した、「拙者にはよくわかりませんが、いったいどう侮辱したというんですか」 「文句はいらん、抜け」 「いやですよ、拙者はあなた方を侮辱したとは思わないし、あなたとはたし[#「はたし」に傍点]合をする意味も認めません、いったいあなたはなにを怒っているんですか」 「おれが教えてやろう」あとから追いついて来た三人のうち、渡という青年が口を揷んだ、「われわれは初めに身分も姓名もちゃんと名乗った、それなのに貴公は四国の讃岐だというだけで、身分も名も答えていない、武士と武士との応待でこれが侮辱に当るという事を貴公は知らないのか」  ああそれかと秀之進にははじめて合点がいった。それならかれは承知していたのだ。むろん相手を侮辱するつもりではなかったが、かれにはかれの考え方があったのだ。 「わかりました」秀之進はしずかに云った、「それがあなた方を怒らせたのなら謝罪します、拙者の言葉が足らなかったのです、おゆるし下さい」 「それだけか」久木がどなりつけた、「きさま自分の無礼を咎められて、ただそれだけで済むと思うか」 「ではどうしたら気が済むというんです」 「土下座をしてあやまれ」 「…………」 「そうすれば武士の作法がどんなものか少しはわかるだろう、土下座をしろ」  秀之進はじっと相手の眼をみつめていたが、やがてしずかに一歩さがると、「むしろお相手をしましょう」と云って左手で大剣の鍔元《つばもと》を掴んだ、「だがひとこと云って置く、姓氏を名乗り合うのは作法ではあるが、いつも必ずそうしなければならぬということはない、どうしても姓氏を名乗ることのできぬ場合が、武士にはある、なぜなら、武士は常におのれ独りで生きているのではないから……いざ!」  云い終るのといっしょに、秀之進はつとうしろへひらきながら大剣を抜いた。 「みんな手を出すなよ」  久木直二郎はそう叫び、噛みつくように秀之進をにらんだままぎらっと大剣を抜いた。二人の間隔は約二間、たがいに青眼《せいがん》につけて相対した。  伴れの三人はずっとさがり、二人のほぼ中間に立って見ていた。……足の下は退潮のあとの、濡れて平坦にかたまった汀の砂地だった。寄せて来る波はそこから四五間さきで泡を残しては去るが、どうどうと崩れる濤声《とうせい》は耳を掩い、風が飛沫を吹きつけてよこした。  秀之進はほとんど棒立ちになっていた。顔つきは平常どおり冷たくしずかで、眼つきにも口もとにもかくべつ昂奮のさまはみえない。青眼につけた剣にも、身構え、呼吸にも、どうかするとすてばちとも思えるほど無関心な、放擲《ほうてき》したような態度がうかがわれた。  こいつ! 直二郎は愚弄《ぐろう》されたように思った。そしてじりっと間隔を詰め、青眼の剣をひょいと下げた。これはひきしぼった呼吸の支えを外したもので、たいていの相手はこれに誘われる。ひょいと呼吸をのめらせる。つまり勝負どころとなるのだ。  しかし秀之進にはまるでこたえがなかった。なにをするかというふうもない。眉も動かさず、呼吸に微塵《みじん》ほどの紊《みだ》れもなく、依然として棒立ちのままだった。  久木直二郎はなにかを読んだ。水のように平静な、無感動な秀之進のぜんたいからなにものかを読みとった。「えいっ」かれははじめて第一声を放ち、なお数尺ほど間隔を縮めた。肉の厚い、逞しい胸郭が大きくふくらみ、手足の筋肉に発条《ばね》のような力の溢れてくるのがうかがえる。――やるぞ。見ていた三人はそう直感した。そしてその刹那《せつな》に、えいと絶叫しながら久木直二郎は打を入れた。間隔からいうと空打とみえる、つぎの変化を窺《うかが》う空打にみえるが、実際はそれが必殺の打だった。おどろくべき技で瞬速に間合を征服しつつ、しかも徹骨の一刀をうち込んだのである。きらっと刃が光った。秀之進の躯《からだ》がぐっと反り、爪立ちになったとみると、久木直二郎は毬《まり》のように身を縮め、波うち際のほうへ二三間ほども跳躍しながら、「勝負あった」と高く叫んでいた。 「やるなあ、讃州」久木はふりかえって刀を横にしながら叫んだ、「だが勝負はおれの勝だぞ、胸をみろ、衿前《えりまえ》へ切尖が届いた筈だ」 「……まさに」  秀之進は見もせずに頷《うなず》いた。寄せて来た波が久木の足を洗った。それほどもかれは水際へ跳んでいたのだ。さっと脛を波にひたされたかれは、さっぱりと敵意の消えた顔で秀之進のそばへ戻って来た。 「人はみかけによらんなあ、貴公にこれほどの心得があろうとは思わなかった、こうなるとなお姓名を聞きたくなる、事情があるなら他言はしないが、名乗らんか」 「不作法ですが勘弁して下さい」もうはたし合は終ったとみたので、秀之進は大剣にぬぐいをかけて鞘《さや》におさめた、「偽名を名乗るのはわけのないことですが、それはかえって失礼に当るし、どうかこのまま別れさせて下さい」 「……じゃあしようがない」久木はぷっと外向き、「おいみんな、いこう」と叫ぶと、三人の伴れを促してさっさと砂丘を越えていってしまった。  ――なるほど、あれが水戸っぽというものか。  秀之進は砂上へ置いたふりわけ荷と笠を拾いながら、去ってゆく四人の姿を見送った。さっき久木と加地との議論を聞いていたときにも、内容の当否はべつにして、その態度のしんけんさには心を惹かれた。……高松でも、左近頼該の周囲には、志士論客が集まって来て絶えず議論がたたかわされる。けれども多くは抽象的な、論争のための論争になってしまう。すぐに激昂して殴りあいになる。なにかというと「結論」を求めあい、条理だって真実をつきとめようとする努力がない。「世界の情勢」とか「国家」とか、いたずらに大げさな言葉ばかりが飛び交うだけで、しかもそういう言葉や表現をたのしんでいるとしかみえないほど浅薄なものが多い。……久木と加地との議論は、それらに比べるとはるかに直截《ちょくさい》だった。言葉が飛躍するときでも足はちゃんと地についている。そういう感じがした。しかも両方とも真実の上に立ち、ぶつかるべきものへぶつかっている。――水戸にはこの時代の大きな要がある。よく耳にしていたそういう評判が、やはり嘘ではなかったと秀之進は思った。そして、たしかに時代の新しい潮流の一端に触れたという感じがして、なにかすがすがしい気持さえ覚えたのである。  かれはその日|磯浜《いそはま》という町で宿をとった。名だかい大洗の磯に近く、一夜、旅寝の枕にどうどうと濤《なみ》のとどろきを聞いて明かした。そこから水戸までは約四里である。かれは明くる日はやく出立し、まっすぐに水戸の城下へ向っていった。 [#3字下げ]竹隈[#「竹隈」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  水戸上市の田口屋という宿に草鞋をぬいだ秀之進は、夕食のあとで宿の者に藤田東湖の住所を訊いてたずねていった。面会を求めるためではなく家を見ておきたかったのである。そこは下市の竹隈《たけくま》というところで、その家はおどろくほど手狭な、貧しげなものだった。秀之進は門の前に足をとめて、――これが高名な藤田彪の住居なのか、とつくづく眺めまわした。  竹隈はもう町のはずれで、あたりの景色もうらさびれ、家並よりも樹立や菜圃のほうが多いくらいだった。まだ宵のくちなのに、道は人の往き来も絶え、風もわたらぬ空に星のまたたいているのが、すっかり夜の更けたような錯覚をさえおこさせる。……そのなかで藤田家だけは賑やかな人声に溢れていた。元気な議論がたたかわされているらしく、喚くような高ごえや、はじけるような笑いごえが聞えてくる。いかにも活き活きとした、淀《よど》みのない空気が感じられる。そして秀之進には、その雰囲気《ふんいき》のなかに、久木直二郎や加地や渡や太田などという青年達の姿がまざまざと見えるように思え、なぜかしらん胸を風の吹きぬけてゆくような、たよりない寂しさに襲われた。 「そんなところで何をしているんだい」  とつぜんそう呼びかけられて、秀之進ははっとわれにかえった。いつの間に来たのか、十歳余りの武家の少年が眼の前に立って、じろじろとうさん臭そうにこっちを見ていた。 「うん?……おれか」 「そうさ、おまえさ、誰だいおまえは」  おそろしく横柄な少年である。そしてなおも無遠慮にじろじろとみつめていた。 「おれは旅の者だよ、どうしてそんなにじろじろ見るんだ坊や」 「どうしてというのはこっちのことさ、どうして旅の者がこんなところに立って、ひとの家をこそこそ覗《のぞ》いているんだ」 「……これは坊やの家か」 「そうでなくってさ」  肩をあげて昂然と云い放ったところは、少年ながらなかなか烈しい気負いがみえる。秀之進はすぐに、これは藤田家の子息だと直感した。 「それでは云うが、実はおじさんは藤田先生にお眼にかかりたくて四国という遠い国からたずねて来たんだ、今日上市へ宿をとったばかりで、おたずねするのは明日にしたんだが、お屋敷だけでも見て置こうと思って此処まで来たんだよ」 「ふうん……」少年はじろっと見上げて、「そんなのがずいぶん来るからなあ、昨日も若狭から来たっていう人が泊っているし、それならいいがなかにはふとい[#「ふとい」に傍点]やつがいて、うっかりすると父上の寝首を掻《か》きそうにする、この頃はゆだんがならないって、門人たちがよくそう云っているぜ」  彼はちょっと返答に困った。少年にしてはあまり鋭すぎる舌鋒《ぜっぽう》に、秀之進が少しもてあましているところへ、「小四郎どこだ」という声がして、この少年の兄とみえる少し年嵩《としかさ》のもうひとりの少年が、藤田家の門の中から提灯《ちょうちん》を持って出て来た。 「兄さん此処だよ」 「ああそこにいたのか、先へいってしまったのかと思った」  近寄って来た兄のほうも、秀之進をみるとびっくりしたように足をとめた。これは弟と違って温和《おとな》しそうな、色白の眼の涼しい顔だちである。提灯の光りにうつしだされた弟のほうは[#1段階小さな文字](藤田小四郎、つまり後に天狗《てんぐ》党を興して筑波の義挙を決行した)[#小さな文字終わり]眼の大きな、ひきむすんだ口|許《もと》のいかにも意思の強そうな、きかぬ気の顔つきだった。 「なにをしているんだ、ゆこう小四郎」 「いまゆくよ」小四郎はまだ秀之進をにらみつけていた、「このさむらいがなにをぐずぐずしているのか見届けたらね」 「……失礼じゃないか」兄が低いこえでたしなめた、「そんなことを云う者があるか、いいからゆこうよ」 「どこへゆくんですか」  秀之進が兄のほうへそう呼びかけた。 「螢《ほたる》をとりにゆくんです」 「そうですか、小四郎さんがご心配のようだから、では拙者も宿へ帰りましょう、いっておいでなさい」  そう云って秀之進が踵をかえすと、兄弟は安心したように反対のほうへ去った。ほとんどその直後のことだ、おそらくそれまで必至の機会を覘っていたのであろう、秀之進が踵をかえして、五歩とはゆかぬうち、うしろへ人のけはい[#「けはい」に傍点]がしたと感ずるより早く、非常な勢いでかれの背へ斬りつけた者があった。  秀之進は本能的に道の左がわへ跳び、二の太刀に備えながら大剣の柄に手をかけた。闇討《やみうち》を仕掛けた者も無言、秀之進も声を出さなかった。――誰だろう、暗い道のうえをすかし見ながら秀之進はじっと眸《ひとみ》を凝らした。  相手は二間あまり先に立っていた。初太刀を仕損じたので苛だっているらしい。下段に構えている切尖《きっさき》が、まるで獲物にとびかかろうとする蛇のように波をうっていた。  秀之進は久木直二郎との立合いを思い出した。「水戸っぽう」という言葉もあたまへうかんだ。つい今しがたの、小四郎少年の自分に対する疑惑の態度も思いかえされる。  ――水戸というところは荒っぽいな、そう思った。――だがこいつは、本当におれを斬るつもりらしいぞ。  かれは打ちこんで来たらこうと抜刀の機をはかりながら呼吸をつめていた。……向うから走って来る人の足音が聞えた。  走って来た人の足音は、四五間さきでぴたっと止った。それはつい今そこで別れた小四郎とその兄の少年だった。「兄さん、はたし合だ」そういう小四郎の声がした。  秀之進はそれで相手が藤田家ゆかりの者でないことをたしかめた。同時に胸へひらめいたのは、府中でうまくまい[#「まい」に傍点]たあの男[#「あの男」に傍点]のことだった。江戸からずっと跟《つ》けて来た。滝川内膳ふくしんの者だという。そして明らかに自分の命を覘っていると思えるあの男[#「あの男」に傍点]。――そうだ、それに相違ない、そう気づくと秀之進は急にふしぎな闘志を感じだした。滝川内膳はつねに亀阜荘頼該を圧迫している人間だ。この男が自分を斬ろうとしているのも、自分が頼該の使者だからであろう。頼該と水戸とを接近させまいとする、内膳の執拗《しつよう》な意志によるのだ。――よし、斬れるなら斬ってみろ。  かれのそういう決意が通じたのか、それとも少年の声を聞いて邪魔の来ぬうちにと思ったか、相手は低く呻《うめ》くように叫びながら、つぶてのようにとびかかって来た。  それはみごとな突だった。気合もすばらしいし、まったくの捨て身で、そのまま躰当りともみえるすさまじさだった。秀之進はその切尖がおのれの胸に触れたとみる刹那に、躰を捻《ひね》った。両者のからだが烈しくうち当り、ぐいと右へもつれたとみると、突をいれた相手はあっと叫び、足をとられて転倒した、刀がその手からとんで、道の上で冴《さ》えた音をたてた。……相手は転倒するなり、地上でくるりと身を転じたが、秀之進は踏みこんでその鼻先へ大剣をつきつけた。 「動くと斬るぞ」  相手は身を横たえ、片手を地についたままの姿勢で喘《あえ》いでいた。  このあいだに少年たちが藤田家へ知らせたのであろう、あわただしい人声がしたと思うと、五六人の若侍たちがとびだして来て、ぐるりとまわりをとり巻いた。「どうしたんだ」「遺恨か、喧嘩《けんか》か」口々に叫びだすのへ、秀之進は相手へ切尖をつけたまま答えた。 「闇討を仕掛けられたのです、御門前を騒がせて相済みませんが、お手出し御無用にねがいます」 「なに闇討だ、そいつか」若侍たちはのり出して来た、「おい提灯を持って来い」 「五つ六つ持って来い、われわれが検分してやろう、おいもっとみんなひらけ」  提灯を持ってまた二三人やって来た。その光りの動きに乗じて相手はいきなりもういちど、くるりと身を転がすと、すばやく半身を起こしざま右手を振った。道の上から掴みとった砂礫《されき》を即座の眼つぶしに使ったのだ。秀之進は予期したことのように身を跼《かが》め、さっと相手の腰へ打を入れた。  眼つぶし[#「つぶし」に傍点]は秀之進の頭上を越して、とり巻いていた若侍たちの一人に当った。「あっ、くそっ」とその若者は呻った。「きたない真似をする奴だ」「斬ってしまえ」けしかけるような叫びがとんだ。秀之進は斬るつもりはなかった。ただここで充分に思い知らせて置く必要はある。役目を果すまでは二度とうるさくつきまとわないように、ことによったら片足ぐらい利かぬようにしてやってもよい……そう思うだけの余裕があった。  相手は若侍たちに退路を塞がれていた。秀之進の打をのがれて立つとき、辛うじて脇差を抜いたが、もう捨て身になるだけの気力も残ってはいないらしい。……秀之進がぐいぐいと間を詰めるにしたがって、相手はおなじほどずつうしろへとさがった。 「なにを遠慮しているんだ、思いきってやってしまえ」「見てはいられんぞ」また野次をとばす者があった。そのとき、藤田家の門から、ひとりの肥えた逞しいからだつきの武士が出て来て、「なにをしているんだ」とよく徹《とお》る、ひびきの美しい声で呼びかけた。二人をとり巻いていた若侍たちは、それを聞くなりぱっと四方へ散った。そしておなじ刹那に、秀之進の相手も脱兎《だっと》のように身をひるがえして闇のなかへ逸走した。  秀之進はそのうしろから、「おい、刀を忘れたぞ」  と叫んだ。もちろん戻るようすはない。毬のように身を縮め、七八間さきの横丁へいっさんに駆け去るのが見えたきりだった。 「なにを騒いでいたんだ」 「いま此処ではたし合があったのです」 「ばかな真似をして……」 「いやわれわれではありません、一人はいま逃げ去りましたが、一人はまだそこにおります、どうやら他国の仁《じん》らしゅうございますが」  このあいだに秀之進は身づくろいをし、落ちている相手の刀を拾った。言葉のようすでは、その逞しい人物が藤田東湖と思える。かれはしずかに近寄っていって会釈をした。 「御門前を騒がしまして申訳ございません、わたくしは讃岐高松からまいった者でございます、失礼ながら藤田先生でございましょうか」 「おれは藤田だが……」  太い眉の下の巨《おお》きい眼がぎろっと光った。 「わたくしは早水秀之進と申します、実は先生にお願い申すことがございまして、明日おたずねするつもりでした、今宵はお屋敷を拝見して置こうと存じましてこれまでまいったのです」 「へえ……」という小四郎の声がした、「これがお屋敷かねえ」  へえ――これがお屋敷かねという小四郎少年の野次は、作法を正して挨拶していた秀之進をびっくりさせた。尤《もっと》もそれは野次が巧みだったからではなく、大人たちの対話のなかへ、平気でそんな不謹慎な言葉を揷む態度であった。そしてまわりにいる人々がべつにそれを異とするようすもなく、東湖だけがさすがに、「これ!」と叱りつけたけれど、それも門人たちの哄笑《こうしょう》にかき消されてしまった。  ――たいへんな子供だ。  明日を約して宿へ帰るみちみち秀之進は思いかえしてはそう呟《つぶや》いていた。門前で自分を咎めたときからのことを考えると、単になまいき[#「なまいき」に傍点]というだけではない。人を恐れぬ気質は客の多い家庭に育ったことにもよるだろうが、生得の敏さ、賢《さか》しさ、そして明るくすなおなところ、すべてが際立った個性を示している。――しかし、ああいう成長のしかたが武家のなかで許されるというのは、やはり水戸という土地がらだからであろう、高松とはずいぶん違う。  高松というより、おのれの育った環境と比べて、なにかしら楽に呼吸のできるような胸のひろがる気持がした。……帰途にまた現われるかも知れないと考えていたが、逃げた相手はもう出て来なかった。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  明くる日、かれは支度を改めて竹隈をおとずれた。すると門をはいったところでぱったりと小四郎に会った。少年はすぐに昨夜のかれだと認めたのであろう。眼をしかめてにこっと笑った。 「小四郎さんですね」  秀之進も思わずそう云って微笑した。少年は作りかけの半弓を持っていた。 「いま是れを作ってるところさ」とかれは自慢そうに云った、「ちょっと見ると唯の弓のように見えるだろう、けれどもそうじゃないんだぜ、是れで弩《おおゆみ》を作るところなんだ、むろんひな[#「ひな」に傍点]形だけれどね、うまくいったら本物を作らせるのさ、ちょっと見てごらん、この弦《つる》は鉄線なんだ、今はあたりまえの弦さ、本当は鉄線なんだよ、これを引くには十人の力がいるんだ、轆轤《ろくろ》を使わなくちゃ引けやしないがね、すごい勢いが出るんだぜ、黒船なんか一矢で沈めちまうんだから……うまくいけばさ」 「うまくいけばね」  秀之進はそう云って頷きながら玄関のほうへあるきだした。  案内を乞うと門人が出て来て奥へとりついだ。玄関にはもう四五足の穿《は》き物が並び、奥では客の話し声がしている。……待つほどもなく、なにか声だかに云いながら足音あらく出て来た者があった。 「よう、やっぱり貴公か」  そう云うのをみると秀之進もあっと眼をみはった。それは久木直二郎だった。 「やっぱりそうでした」  秀之進を客間へ導いて来ると、久木直二郎はあけっぱなしな調子で云った。 「この男ですよ、どうしても名乗らないで、謝るくらいなら斬合いをするほうがいいと云ったのは、おい貴公、早水というそうだな」とせっかちにふり向き、「けしからんぞ貴公は」 「…………」 「あのときおれの刀は貴公の衿まえを裂いた筈だ、いや先生」と再び東湖にふり返って、「つまり拙者はそこで勝ったぞと云ったんです」  それまでその話をしていたらしく、久木はそのあとをつづけるように云った。 「たしかに拙者の刀の切尖はかれの着衣の前衿へ届いていましたから、それを指摘するとかれも『いかにも』と云いました、ところが別れてからあとで、昼食をとるときでした、汗を拭こうと思って袴《はかま》をとると、袴から帯まで七寸も斬られているんです、それを見たときはぞっ[#「ぞっ」に傍点]としましたよ」 「だらしのない男だ」東湖が笑いもせずに云った、「そこでぞっ[#「ぞっ」に傍点]としたってしようがないじゃないか」 「けれどもぞっ[#「ぞっ」に傍点]としたんだから仕方がないですよ、……おい早水、そこで改めて訊くが、貴公はおれの胴をとったのを承知していたのか」 「つまらぬことを訊くやつだ」  東湖がそういいかけるのを押しきって、直二郎はまたぐいとこっちへ向き直った。 「おれの勝だとおれがいったとき、貴公は自分もおれの胴をとっていたわけだが、それを知っていたのか、どうかね」 「さあ、それは……」秀之進はちょっと口を濁した、しかし久木の眼つきは真剣なので、どうでも返答は避けられぬと思ったのであろう、少しいいにくそうな調子でこう答えた、「それはしかし、当然のことではないかと思いますがね」 「どう当然なんだ」 「あのような打込みになればは一方勝負というわけにはいかぬでしょう、あなたの太刀がわたくしを斬れば、わたくしの太刀も必ずあなたを斬っていますよ」 「つまり貴公は知っていたわけなんだな」 「……知っていました」 「それでどうしておれの勝ち名乗りを黙っていたのかね、おれが貴公の衿前を斬ったといったとき、どうして貴公も自分が胴をとったことをいわなかったんだ」 「必要を認めなかったからです」 「なぜ、なぜ必要を認めなかったんだ」  秀之進は黙っていた。久木はその面を噛みつくように睨《にら》んでいたが、やがてさっとその顔へ血ののぼるのが見えた。 「必要がないというのはおれを見下げたからか」どなりつけるような久木に対して、秀之進はかたく口をつぐんだまま眼もあげなかった、久木はたたみかけるように、「武士が刀を抜くというのは冗談ごとではない、斬る斬られるは別としても、性根は真剣でぬきさしならぬものの筈だ、貴公の態度は人をばかにしている、士道を軽蔑したものだと思うがどうだ」  その席には東湖のほかにもう一人いた。ゆうべ小四郎が「若狭から来た客」といっていた男と思われる、色の黒い眼のするどい、面長の顔つきで、さっきから久木と秀之進の問答を聞いていたが、そのときいかにも黙っていられないという調子で、「そうだ、それはたしかだ」と久木の言葉尻について、ぎろりと秀之進を睨みながら云った。 「世間にはよくそういう思わせぶりなことをする者がいる、勝を譲って、実は自分の勝ってることをあとで相手に思い知らせるというような……津軽の方言ではそういうのを半可臭いというが、武士にはそんな」 「おい久木、もうよせ」東湖は客の言葉を無視して、面倒臭そうに遮《さえぎ》った、「そんな詰らぬことを諄々《くどくど》となんだ、勝ち負けがうろん[#「うろん」に傍点]ならやり直せばいいじゃないか、おまえにも似合わんぞ」 「いいですとも、相手さえ承知ならいつでもやり直しますよ」 「それで話はわかった、しかし今は早水さんがなにかおれに用事があるそうだ、おまえは暫く梅田氏のお相手をしていて呉れ」そう云って東湖は立ち、「早水さん此方へおいでなさい」と秀之進を促して客間を出た。  梅田氏という姓を聞いて、秀之進は、どこかで会ったことのある人物だということを思いだした。若狭の人で梅田なにがし……高松の左近さまの屋形で会ったのかも知れぬ。たしか慷慨《こうがい》家として名のある人だった。 「お坐りなさい」書斎とみえるいちばん奥の部屋へ案内すると、東湖は無雑作に座を示しながら、相対して坐った、「おたずねの御用件は」 「御披見ねがいます」  こう云って秀之進は校川宗兵衛からの添書をさしだした、東湖はざっと眼をとおして、「そうですか、それでわたしに頼むというのはなんです」 「老公に拝謁がねがいたいと存じまして」 「あんたが直々にですか」 「処士の身でまことに僭越《せんえつ》ですけれども、左近頼該から言上すべき旨を申付かってまいったのです、特に先生のおとりなしをたのむよう御迷惑ながら押してという事でお願いにあがりました」  東湖はしばらく黙っていた。肉付のいい顔の、太い眉をぐいとしかめ、厚い唇をひきむすんだまま、やや暫くのあいだじっとなにか考えていたが、やがてふと眼をあけると、「それはだめでしょう」とずばりと云った。秀之進はおよそ拒絶されることを予期していた。数年このかたの水戸と高松との関係を思えば当然である。けれどもまたそこにかれが東湖を訪ねた使命もあるのだ。秀之進はしずかに反問した。 「それではやはり甲辰の事のおにくしみがまだ解けないのですか」 「甲辰の事に関して水戸藩士の一部が高松侯に忿懣《ふんまん》をいだいているのは事実です、けれどもそんなことはとるに足らない血気の慷慨で、心ある者はもう問題にしてはいません」 「しかし事実において、本枝の間が疏通を欠いているとはお思いにならないでしょうか」 「たしかに、そうでしょうね」 「そしてその原因が甲辰の事に根ざしていると考えるのは間違いでしょうか」 「それもたしかでしょうね」  東湖は明快に肯定した。ではもう心ある者は問題にしていないという言葉はどうなるのか、秀之進はその撞着《どうちゃく》するところにこそ理由があると考えた。 「つまりこう思いますね」東湖は説明しようという風にこう云った、「水戸と高松とは義公以来もっとも血の濃い親藩であった、しかも両藩のつながりは人間関係のもっとも美しいもので、どんな事情が出来しても壊れることのないものだった、あんたもそう思うでしょう」 「そう思います」 「いくたびふり返って考えても、義公が御世継ぎを高松へ送り、高松から水府三代を迎えられた英断は美しいものですよ、それ以来の三次四次に渉《わた》るおなじ関係は、その美しさを継承する意味で稀《まれ》なものです、両藩はつねに倶《とも》に水火を辞せざるつながりにあった、それが甲辰の事から、開宗以来はじめて阻隔した、つまり、時代です」  秀之進はじっと東湖の眼を見まもっている。 「水火を辞せざるつながり、どのような事情も壊す事のできない関係も、もはやどうしようもない時代が来たのです、甲辰の事が水戸と高松を阻隔したのは人間感情を時代が決定した証拠なので、卑俗な反感とかにくしみとかに依《よ》るものではありません」 「時代が人間感情を決定するとは具体的にいってどういう点を指すのですか」 「封建の思想がうち壊されたということです」  東湖はこともなげに云ってのけた。秀之進はそれこそ東湖から聞きたいと思って来た言葉だった。 「それはたしかでしょうか」  かれはぐっと額をあげた。 「たしかかとはどういう意味で」 「この頃しきりに幕府政体の崩壊ということを聞きます、ひと口に申せば、若い人々の多くはそのことを措いてはものを考えることもできないようすです、封建の思想が幕府政体に根ざしていることは事実でしょう、そうすると先生も幕府崩壊ということを認めておいでなさるのですか」 「あんたの言葉は順序が違う、なるほど、封建の思想は幕府という政治体から発生はした、同時にそれが幕政を維持して来たことも事実だ、けれども政治のかたちというものは固定してはあり得ない、絶えず進化し流動する、江戸幕府もその開府した時からつねに進化し流動して来ているが、現在ほど大きな変換に直面したことは曾《かつ》てない、そしてこの変換に処するためには、従来それを維持して来たところの思想、……寧《むし》ろ道徳観というべきものを根本的に改廃しなくてはならないのだ、つまり封建の思想をうち壊すことに依って、はじめて幕府の新しい生面が拓《ひら》かれると解さなくてはならない」 「けれど根本理念を改廃するということ、封建の思想をうち壊すことが、幕府の存在と関係なしにおこなわれるものでしょうか」 「幕府は思想によって在るものではない」 「どうもわからないのです」秀之進はぐいと唇を歪めた、今まで曾《かつ》てないほどの熱意をみせ、めずらしく饒舌《じょうぜつ》になっていたかれの態度がその時再びいつもの冷やかな冷笑するような表情に戻った、「本枝間の阻隔が感情によるのではなく時代が決定したと仰しゃる、それは水戸藩が新しい時代に立ち高松が旧態にある、そういう意味だと思いますが、……いま先生の仰しゃるように、幕府が封建の思想を揚棄《ようき》して新しい理念のもとに新生面を拓《ひら》く時期だとすると、別して高松が旧態にあると考えられません、同時に水戸が新時代に立っているということも不明瞭になってくると思います」 「それは表面をみているためだ」 「しかし水戸が幕府の枢機に参画しているのは事実ではありませんか、高松が甲辰の事に当って老公の反対側に立たざるを得なかった事情は、老公が現在の位置に立たせられた以上よく御了解を願えることだと思います」 「わたしは甲辰の事などを云ってはおらん」 「拙者はそれを申したいのです」  東湖はぐるっとその大きな眼を動かした。そして厚い唇をへの字なりにしたかと思うと、いきなり話題を変えて、「あんた酒を飲むか」と訊いた。 「あまり嗜《たしな》みません」 「そうそう、久木たちとも飲まなかったそうだな、では失礼して、一|盞《さん》するよ」  東湖は立っていった。――どういうつもりだろう、秀之進はちょっと推察に苦しんだ。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  東湖が出ていったあと、秀之進はなにげなく部屋の中を見まわした。北向きの小窓の下に、二枚折りの古びた小屏風がある。それに酔筆と思える闊達な筆で「瓢兮歌」という詩が書いてあった。――どこかで聞いたような詩だな、そう思いながら筆跡をたどってみた。そしてすぐに、いつか鉾田の宿で久木直二郎たちが吟じていたものだということを思いだした。では東湖の作だったのか、そう思いながら読んでいったが、終りの章齣《しょうく》に至ってふと微笑をさそわれた。  瓢|兮《や》瓢兮吾れ汝を愛す  汝|能《よ》く酒を愛して天に愧《は》ぢず  消息|盈虚《えいきょ》時と与《とも》に移る  酒ある時|跪座《きざ》し酒なき時|顛《ころ》ぶ  汝の跪座する時吾れ未だ酔はず  汝まさに顛ばんとする時吾れ眠らんと欲す 一酔一眠吾が事足る  世上の窮通|何処《いづく》の辺 「世上の窮通何処の辺」そっと口のなかで返唱したかれは、さっきから対談していた東湖の、まったく違う反面を見せられたように思い、なんということなく心がなごやかになるのを感じた。 「やあ失敬」間もなく東湖は自分で酒肴の膳を持って戻って来た、大きな燗徳利に盃二つ、干魚の焼いた肴が二た皿、膳の上にはそれだけしかなかった、「この盃はあんたの分だ、飲むほうはひきうける、肴をつまみ給え」 「…………」 「膝を崩したらどうです」東湖は大きく胡座《こざ》し、自ら酌をしてぐいぐいと飲みだした、「今日はもう固苦しい話はやめだよ、それより世間話をしよう、あんたは校川さんの伜《せがれ》さんだそうだね」  あまり突然だった。父の添書にどのようなことが書いてあったか知らないが、東湖はそれによって校川宗兵衛と秀之進の関係を承知したに違いない。こちらには全くその用意がなかったので、秀之進はちょっと返答に困り、「そうです」とようやく苦しげに頷いた、「はっきり申せば、庶子です」 「なぜそれをことわる[#「ことわる」に傍点]んだ、庶子であろうと嫡子であろうといいじゃないか、そんなことは聞きたくないね」東湖はどうしてか急に眉をひそめた、自分のほうで痛いところへ触られたような感じだった、「しかしまあいい、それより高松のことでも聞こう、亀阜荘さまはこの頃すっかり日蓮宗に凝っておいでだそうだが、本当なのかね」 「わたくしはよく存じません」 「隠すことはないよ」東湖はぐいと盃を呷った、「左近さまもひと頃はなかなかのお方だった、十年もまえだったか、もう少しまえかな、江戸へ出府なすったときに、校川氏の案内で水戸へおわたりになったことがある、老公の知遇を求められてだ、老公もたいそうお喜びで、お館で御面会のうえねんごろに御会談をなすった、それからのちはしばしば御文通もあり、いちどは老公の上京に当って、左近さまも高松からわざわざお上りになり、京の館で親しく語られたこともある」  どちらかというと詠嘆的な調子で、けれど眼だけは相変らずするどく光らせながら、東湖は盃をあげつつそういった。 「われら如き者も、高松にこの君ありと思ってずいぶん心強かったものだ、それが、人間はやはり磨かれぬといけないものだ、風土の穏やかで豊かな環境にばかり籠っていると、しぜん身も心も泰平になる、曾ては国を念《おも》って夙夜《しゅくや》寝ることのなかった者が、やがては徒《いたず》らに肥え太って身じろぎも重く、壮年にして早くも後世の安楽をたのむという愚昧《ぐまい》なことになってしまう、まことに哀れとも不甲斐なしとも云いようがないありさまじゃないか」 「わたくしは亀阜荘さまが後世安楽をたのんでいらせられるとは存じませんが」 「それならなんのための日蓮執心だね、あんな無用なものに暇を潰《つぶ》すのが、後世安楽をたのむ以外になんの役にたつ」 「日蓮宗は無用のものですか」  東湖はそれには答えず、にわかに調子を変えて、「……三千世界の坊主を殺し君と朝寝がしてみたい、というのはどうだ」  あまりうまくない調子で俗謡を唄ったが、燗徳利に酒のないのをみて手を叩いた。それを聞きつけた夫人が、はいと答えて廊下をこちらへ来るようすだった。するとそのとき、庭のほうから、「お母あさま、お手が鳴ったらお酒です」と歌うように叫ぶ声がした。小四郎少年の声である。秀之進は思わず苦笑したが、東湖はいきなり立ちあがって、「こいつ、小四郎」と叫びながら廊下へとびだした。すると小四郎はまるでつぶて[#「つぶて」に傍点]のようにすばやく、低い垣根をとび越えて裏のほうへ逃げ去ってしまった。東湖は廊下に立ってそのようすを睨みつけていたが、やがてふり返ると、「早水さん」と妙にしみ入るような声音でいった、「あれもやはり庶子ですよ」 「…………」  秀之進はと[#「と」に傍点]胸を衝《つ》かれた。えっと思った。いきなり頭へひらめいたのは、さっきかれが庶子だと名乗ったとき、東湖が非常に痛いところへ触られたような表情を示したことだった。――そうだったのか。眼から鼻へぬけるような賢しさ、ひと癖ある眼つき、そして傍若無人とも思える明るさ、少しも曇りのない、すくすくと伸びた若い杉のような少年。……秀之進はふと悲しいような感動が胸へ湧《わ》きあがるのを覚えた。  ――まあ暫く遊んでゆくがいい。そう云われただけで、結局その日は得ることなしに藤田家を辞した。得ることなし、というのは使者としてのことで、秀之進個人としてはその半日ほど多く得ることのあったためしはない。宿へ帰ったかれは、高松の左近頼該にあてて水戸到着の模様を書き送った。そしてその末尾にかれはこうしたためた。――藤田|虎之助《とらのすけ》どのこそ古今の人物と存ぜられ侯。 [#3字下げ]皀莢《さいかち》小路[#「皀莢小路」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し] 「箱根のその宿に、三日おりました、折あしく雨にもなり、その三人の国侍がどうしても眼をはなさないものですから……」 「そうですか、ではそこで寒竹先生とごいっしょにおなんなすったんですね」 「はい……」藤尾にはまだ寒竹先生というのが可笑《おか》しくひびくものとみえ、微笑しながらちら[#「ちら」に傍点]と相手を見あげた、 「太橋さまがお風呂場でお会いになったとうかがいました、それで竹亭さんと、ごいっしょの書肆《しょし》の方、妓の方たちとお伴れになって箱根を立ってまいりました」 「お武家のお嬢さまがそんな連中とお伴れでは、途中さぞご迷惑なことばかりだったでしょう、若旦那もお考えがなさすぎますよ」 「でもそのおかげて国侍たちの眼をのがれることができたのですもの、ほかにしかたがなかったのでございますわ」  日本橋横山町の皀莢《さいかち》小路というのは、両国広小路の盛り場にも近く、表通りは問屋、商舗、旅館などが軒をつらねて、一日じゅう人馬の往来の絶えない地域にあったが、そこだけは別天地のようにいつもひっそりとしずかだった。皀莢小路といわれるのは、むかし皀莢の樹でもあったのだろうか、今は若木の柳が十二、三本九尺の露路にしっとりと枝を垂れている。左右の家は広小路とか柳橋などと縁のつながる芸妓、芸人、音曲の師匠、三味線屋などの住人が多く、また俳諧師とか作者なども二三いた。俳諧師といっても、実は幇間《ほうかん》に類する者だったり、作者とは表向きで、なんとなく芝居街へくっついて、時たま馴れ合いの評判記を書くとか、総見札を売るとか、またはあまり世間に公表のできない本を書いて武家屋敷へ持ち込むとかいう、かんばしからぬ人間のほうが多かった。竹亭寒笑もむろんそういう仲間のひとりだったが、前の年の冬に書き下ろした「艶色恋の手車」という人情本が版行されると、書肆も作者もまったく予想しない売れゆきで、たびたび巻を重ねたうえ、つぎつぎと著作刊行のはなしが持ちこまれ、現在では流行作家として、皀莢小路の洒落《しゃ》れた家を一軒買い、我が世の春とばかりにおさまっている。……その寒竹先生のすじ向いに、油竹を左右に植えた敷石道でちょっと奥へひっこんだひと棟があった。もと大名出入りの植木屋の隠居が、自分で建てて住んでいたという、木口もいいし隅々に神経のゆきとどいた、そして離れの四帖半をいれて五間ある間どりもなかなか凝った造りの家だった。また植木屋だけに、狭い庭に苔《こけ》付きの風雅な石三つを伏せ、女竹のひと叢《むら》、石の根締めに石菖《せきしょう》、古木の梅におもとという配置もしっとりとおちついていた。  この家が太橋大助のいわゆる「別宅」であった。そしていまその庭に面した六帖で、藤尾と話をしている老女は、この皀莢小路でもっともにらみのきく梅八師匠なのである。 「それで途中ずっとごぶじで、此処までいらしったんですか」 「はい、おかげで三人の国侍とはとうとう会わずでございました」 「ご苦労をなさいますね」梅八はいたわりを籠めた眼でかい撫でるように娘を見た、「こう世の中の変り方がはげしくっては、あたしなんぞにはなにがどうなってゆくのか見当もつきませんけれど、このごろ聞く噂《うわさ》ではお武家さま方がいちばん大変でございますね」 「はあ……」藤尾は眼を伏せた。 「あたしなんぞこの年をして、まだときどきお客さまの席へも呼ばれて出るんですが、お客さまの遊び方がはっきり二つにわかれました、ずっと以前は遊びというものは娯《たの》しむものでした、お商人衆は商売を忘れ、お武家がたはお勤めの肩の凝りをとるためにそれこそ裃《かみしも》をぬいで、馬鹿になってお娯しみなすったものです、それが今はどうでしょう」梅八は煙管《きせる》をとって莨《たばこ》をつめ、美しい手つきで火をつけながらつづけた、藤尾はその手つきを美しいと思った、「お客さまの片方は通人とか粋《いき》とかいわれて、上方の地唄などをひねったり、芸人に小意地の悪いことをしてよろこぶ人たちです、この人たちも以前はそんなことを鼻にかけて、他愛のない自慢にしていたものですが、今ではどうやら自棄《やけ》半分、明日の命はわからないからといった風で、お相手をしながらこっちが悲しくなるような遊び方なんです、もう片方のお客さま方はまるで違います、芸妓などがそばにいようといまいとお構いなしで、イギリスだとかアメリカだとかオランダだとか、見も知らない国や異人のことをお話しなすったり、将軍さまの御政治ぶりから世の中をこうしなければならぬなどという、むずかしいことをむき[#「むき」に傍点]になってやり合っていらっしゃる、中にはそんなことを云うのを口実にして酒と芸妓がおめあての人もいますけれど、お若いお客さまの方は大抵はそうやって真剣にやり合っていらっしゃるんです、こんなことって、あたしがこの商売に足をいれてから無いことでした、つまり遊びの世界までがまるっきり違って来たんですね」 「本当に、いろいろと変ってまいりました」  遊びの世界などというものは噂にも耳にしたことのない藤尾には、梅八の話の十分の一もわかりはしなかったが、世態の変遷の激しいということは、自分の身がその渦中をぬけて来たことで骨にしみるほど痛感している。そして、大助から聞かされた梅八の過去を思うと、彼女がいまどんな感慨のなかにいるかという事が察しられて、出来たら慰めの言葉をかけてやりたい、とさえ思った。  梅八はかつて柳橋で名妓の名をうたわれた妓だった。「名妓」などという言葉は大部分が虚名である。虚名でなければ作りあげられたものか、もしくは取巻く周囲の者が為にする名である、そして、当人にはつねに無関係にある、そういう虚名が、いかに不当に当人を支配するかということは、梅八の場合によくあらわれていた。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  梅八は本当の名をおよね[#「およね」に傍点]といった。今年五十七歳になるが、かつて男に触れたことがなかった。金というものも持たない。ずいぶん全盛な時代が長かったのだから、あたりまえなら老後を安穏に送れるくらいの金はできた筈である。けれどかの女はいま太橋大助の好意でその日を過しているありさまだった。およね[#「およね」に傍点]は中洲のさる料亭のまな娘だという。また本所あたりの担ぎ八百屋の子だともいう。西国辺の大名のおとし胤《だね》だとか、御家人の娘だとかいろいろに云われる。当人はなんと云われても笑うだけで、いちども自分の口から親たちの素性を話したことはなかった。  およね[#「およね」に傍点]は十六の春から芸妓に出た。出るとすぐ「名妓」という貼札が付いた。縹緻《きりょう》もいいし、清元端唄の類にすぐれた天分をもっていたから、つきだしの名妓もそれほど不似合ではなかった。けれどもかの女自身にとってはその貼札の代償として生涯の生き方を決定されたのである。……名妓は男嫌いでなければならない、気位が高くなければならない、金ばなれのよいことは至上の条件である。適度の奇行、義理がたさ、食好み……なにもかも「かくかく有らねばならぬ」のであった。およね[#「およね」に傍点]の梅八はそれをまもりとおしたのである。恋が無かった訳ではない。しかし芽も萠《も》えぬうちに摘《つ》んで捨てた。自分のたつきの苦しいなかで人に貢いだ。竹亭寒笑などはその中のひとりで、殆んど梅八の庇護のもとに生きて来たようなものだったし、またかれのような存在は二人や三人ではない。  梅八は江戸文化の爛熟《らんじゅく》末期から衰退期にかけて、その文化がもっとも端的に集約される世界で生きてきた。現実を無視することを誇り、ものごとの正常さを蔑《さげす》み、虚栄と衒気《げんき》と詠嘆とを生命としてきた。はかなさ、脆《もろ》さ、弱さ、そういうものにもっとも美を感じ、風流|洒落《しゃれ》のほかに生活はないと思ってきた。……そして、これらは自分から好んだものではなく、すべて環境の支配に従ったものだった。多くの妓たちの中には早く恋を得て尋常の道にはいった者もいる。むかしの仲間が背に子を負い、埃《ほこり》を浴びて現実のなかに生きる姿をみたとき梅八は「なんてみじめな」と口で云いながら、女としての本心は羨望《せんぼう》のためにするどく痛んだ。できることなら自分も背に子を負いたかった、埃を浴びて生きたかった、そしてそうする機会も無くはなかったのである。だがかの女には十六のときから身に付いた貼札があった、貼札に順応して生きてきた習慣があった。人間をしっかりと掴む生活感情の力はなみたいていのことで断ち切れるものではない。まして好むと否とにかかわらず頽廃《たいはい》は人を酔わすものだ。梅八はすでにその酔いを忘れる事の出来ない女になっていた。――しようがないじゃないか、これが自分の生得の運なのだ、誰も彼もそう思うように生きられるものじゃない、これだってまんざら捨てた暮しでもないんだから。そう心をきめてしまった。そしてようやく落ち着きかかったとき世の中がにわかに変貌《へんぼう》をはじめたのであった。  遊蕩《ゆうとう》の世界ほど時代の反映の早いものはない。不動のものと思えた習慣や風俗が、はじめはそれと見えぬところから崩れだし、古い伝統がいつか少しずつ新しいものに席を譲ってゆく。――この頃はやぼ[#「やぼ」に傍点]な遊びがはやる、そう思っているうちに、それが遊びの本筋になってしまった。――客がみんな田舎者になって面白くない、そう云っているうちにその田舎者が主な客になっていった。現実の上にどっしりと腰を据えたものが主席を占めて、脆いもの、はかないもの、凝ったもの、詠嘆とかわびしさなどを弄《もてあそ》ぶ人々は隅へ逐《お》いやられた。しかもそれは一時の現象ではなくて、もはや動かすことのできない転換だということが誰の眼にもわかった。  梅八はもう名妓ではなかった。そんな貼札はもう三文の値もなかった。そして「名妓」という貼札が剥《は》げたとき、虚名の下に掩《おお》われていた本当の自分というものを梅八は知った。そのときの感じを、かの女は大助にむかってこう告白したことがある。――気がついてみたら、あたしは十六で芸妓に出たときのまま、成長もせず退歩もしていませんでした、四十年ちかいとしつきはまるで煙のように、あたしの心にも躯《からだ》にもあとかたを遺さずに消え去ってしまったんです、そのとしつきは眠った間に過ぎ去ったほどの意味もありませんでした、あたしは死んでしまおうと思いました。  大助は梅八の身の上を話しながら、藤尾に対して二つの意味を暗示した。一つは藤尾の不仕合せが決して稀なものでなく、もっとむざんな生涯はほかにいくらもある、藤尾の場合むしろ普通だという意味であった。そしてもう一つは、現実の上に立たない生活がどんなに空虚なものかということである。――じっさい、人が晩年になってから、自分の生き方は間違っていた、自分にはもっとほかの生き方があったのだ、そう思うくらい悲惨なことはありませんからね、だって是れだけはどうしたってやり直すことができないんですから。  藤尾はいまそう云った大助の言葉を思いだしながら、眼の前にいる老女梅八の姿をしみじみと見直す気持だった。 「……ごめん」  門口に人のおとずれる声がしたので、梅八が煙管を置いて立っていった、格子口にいたのは竹亭寒笑だった。 「ふざけちゃあいけないよ、作り声なんぞをしてなんだね」 「あんまりしんとしているからまたどこかの偽の藩札でもこしらえてるんじゃないかと思ってね、当時|流行《はや》るそうだから」 「寒竹の人情本じゃ有るまいし」 「寒竹はいけないなあ寒竹は」むきになって云うのが聞えた、「雑俳《さっぱい》はもう廃業届けが出してあるんですぜ、竹亭寒笑、どうか今後は嘘にも寒竹はなしにして頂きましょう」  梅八は穏やかに笑った。 「案外気が小さいんだね、いいじゃないか、寒竹がとって食やあしまいし、おまえさんにあ寒竹が似合ってるよ、まあおあがりなね寒竹さん」 「えへん、どうせ年増にあもてねえのさ」云い合いをしながら、寒笑は座敷へはいって来てあいそ笑いをした、「柿崎さんのお嬢さんご免を蒙《こうむ》りますよ、ゆうべは八つ[#1段階小さな文字](午前二時)[#小さな文字終わり]すぎまで書かされちゃいましてね、なにしろ書肆の番頭が付きっきりだからかなわない、実はもうとっくに脱稿する約束なんで無理もないんですが」 「なんだい、まだあの歌暦があがらないのかい」梅八が茶をいれながら云った。 「歌暦はあがったさ、あんな物にいつまでかかってるようじゃあ商売にあならねえ、こんどのはぐっと新しい趣向で、まだどの作者も手をつけたことのない世界を書いてるんだ、それでひどく骨が折れるのさ」 「おまえさんのは始まりはいつも新趣向じゃないか、まだ誰も書かない世界というのはおまえさんの口癖だよ、そのくせ書きあがったのをみるとなんにも新趣向なんかありあしない、たかが子守っ子をおどかすくらいが関の山さ」 「それが素人の悲しささ」寒笑はおほんと嘯《うそぶ》いた、「素人というやつは字ばかり読んで、作者の苦心しているところに気がつかない、本当の作者というものは字の裏に苦心をするんだ、話の筋にひきずられるようじゃあ本当に読んだとは云えないのさ、例えてみれば西鶴のものにしろ」 「いいかげんにおしよばかばかしい、おまえさんの趣向に西鶴を担ぎだすことはないじゃないか」 「だって例えをひかなくちゃあ理会がつかない」 「例えにひくならもっと似合った者をひくがいいのさ、跛が韋駄天《いだてん》を褒める様なのはみっともないよ」 「そういう口だからとかく人に疎まれる」寒笑は衒《て》れたのをごまかして、「ところで閑話休題、つまりゆうべ書きあがらなかったもんだから今日また和田平[#1段階小さな文字](書肆)[#小さな文字終わり]の番頭がやって来る、つかまるとうるさいんで逃げて来たというわけなんだ、少しお邪魔をさして頂きますよ柿崎のお嬢さん」 「流行作者は辛いね」  梅八の皮肉はもちろん通じない。寒笑は出された茶を啜《すす》りながらぐいと乗り出した。 「ときにお嬢さん、このあいだ贈呈したあたしの作、読んで下さいましたか」 「……はあ」 「あたしがお止め申したよ」梅八がまたぴしりとやった、 「冗談じゃないお武家のお嬢さまにあんなものをおみせするやつがあるかい、若旦那に知れたらお前さんお出入りを止められるよ」 「へえ――あたしの作はお武家のお嬢さんには悪うございますかね」 「お武家には限らないさ、まっとうな家なら読ませられるものじゃあないよ」 「姐《ねえ》さんまでそれだからな」寒笑は茶碗を下に置いて、こんどはひどくまじめな顔になった、「冗談はぬきにして、いったい世間の人は小説をなんだと思っているかしらん、小説とは小《わか》きに説くといって、論語や孝経なんというむずかしい理屈を、老幼児女にわかりよく解いて知らせるものですぜ、波瀾重畳《はらんちょうじょう》、恋あり、闘争あり悪人善人相剋して筋をなす、面白おかしく読んでいくうちに善を勧め悪を懲らすという、人道の正しきところを教えるりっぱな読み物なんだ、さっき云った字ばかり読むのは素人だというのはつまりそこさ、筋ばかり読んで作者の本意を察しない者が小説をいちがいに不道徳だなんていう、つまり経を誦して仏を識《し》らざるのたぐいだ」 「それあ良い小説はそうだろうがね、口で云うのと本になったのと別々じゃしようがないよ」 「おっと、そう仰しゃるが作者だって人間でげすからね、はじめっから聖人のような作はできませんッ」 「だったら聖人になってから、いいえ聖人の万分の一ぐらいでもいい、ちょっとはましな人間になってから書いて貰うんだね、この激しい御時勢にのんきな色恋ばかり書いて、それで口だけいっぱしじゃあ世間さまに済まないよ」 「ところが御時勢の激しいおかげで、のんきな色恋小説が売れるんだから面白い、なにしろ『艶色恋の手車』がまた重版でげすからね、どっちにしたって面白くなけれあご看客は買わねえ、こないだ脱稿した『歌暦』なんぞは、初版が三千という稀代《きたい》の部刷りだ」  そのときひょいと庭へ大助が入って来た。他人には眼だたぬうら木戸があってじかに庭と通じている。草履ばきだから誰も気がつかなかった。 「三千の初刷りで眼を廻したか」 「ええびっくりした」寒笑は本当にびっくりしたとみえてとびあがった、「冗談じゃありませんぜ若旦那、あたしあ寝不足で神経が疲れてるんだから、ああびっくりした」 「誰か来なかったか」  大助はあがって来るとにやりともしないで梅八にそう訊いた。寒笑の神経などは興味を唆《そそ》らなかったとみえる。 「お帰りなさい、え、まだどなたもみえませんでしたが、いらっしゃる筈だったんですか」 「もう来る時分なんだが」  大助は台所の方へいった。梅八があとからついてゆく。すぐに水音がして、どうやら汗でも流すらしい、「寒笑先生、こんどの新作はどうだい、うまくいってるかい」顔を洗いながら大助が叫んだ。 「それがでげす」梅八の軽侮をとりかえすのはこのときといった感じで、寒笑はひどくしたり顔に坐り直した、「先日お話しした例の四篇めでぴたりと行詰っちゃいましてね、どうにも想《そう》が動かない、てんで筋の運びがつかなくなってるんです」 「おかしいじゃないか」汗を流して、浴衣《ゆかた》に着替えて出て来た大助は藤尾の淹《い》れて出した茶を会釈して手にとり、さもうまそうに啜りながらいった、「おまえ書きたい骨はきまってるんだろう、話の筋は骨を生かすためだって今もそういったようだが、書きたいものがきまっていれば筋の運びなんかどうでもいいじゃないか」 「寒竹さんのは筋ばかりで骨がないんですからね」  梅八がまた口を揷んだ。 「素人は黙ってて貰いてえ」 「さっきから素人をたいそう並べるようだが、おまえの小説は素人に読ませるんじゃあないのか」 「つまり、そこが悲しい」 「はっきりしろ、勿体《もったい》ぶるからいうことがちぐはぐになるんだ、おまえは本が売れて金が取れればいいんだろう、そう泥を吐いちまえば楽じゃあないか、論語だの孝経なんぞと心にもないことをいうから梅八にやっつけられる、寒笑は寒笑でいいんだ、しっかりしろ」 「それじゃあまるでかた[#「かた」に傍点]無しだ」 「ついでにいい趣向を教えてやる、小説の中へ紅毛人の言葉を入れるんだ、ヘイルメイステルが来たからホントを繋《つな》げ、ってなことをやるんだ」 「そいつあ新しい」  寒笑は風向きが変ったのと本当に趣向だと思うのとで膝を乗り出した。 「なに新しかあない、洒落本なんぞじゃあずいぶん使ってる手だ、けれども人情本には珍しいからちょっとは受けるかも知れない」 「そ、それで今のそのフイステルとかなんとかいうのは全体なんのこってす」 「釈迦《しゃか》がそ云ったとさ、おれも知らない」  藤尾はそっとふきだした。そしてそのとき門口へ人のおとずれる声がした。 「よしあたしが出る」  出ようとする梅八より先に、大助が身軽に立っていった。格子口に立っていたのは校川宗兵衛だった。待っていた客ではなかったらしい、大助は慌《あわ》てて式台で低頭した。 「これはおいでなさいまし」 「暑いな」 「ひどく照ります、どうぞお通り下さい」  宗兵衛は大剣をとってあがった。大助はそのまま離室のほうへ案内をし、戻って寒笑を追いだすと、自分で冷やした手拭を持って宗兵衛の前へ戻った。 「少したのみがある」  宗兵衛は手拭を取りながら云った。 「どういう御用でございますか」 「……いいか」  宗兵衛は座敷のほうへちらと眼をやった。 「さしつかえございません、梅八ともうひとり、ふしぎな縁で伊予の吉田藩士のむすめを預かっておりますが、勤王の士でございました兄が死に、親族も知己もない身の上の者でございます」 「実は、たのみと申すのは」宗兵衛には娘のことなど興がないとみえ、声を少しひそめて言葉をつづけた、「木曽駒《きそこま》を少し買いつけたいと思うので、その金と、買いつけの事務を頼みたいのだが」 「例の……支度でございますか」 「そうだ」 「もうそのように手順が進んでいるのでございますか」 「誰か先鞭《せんべん》をつける者が、もう出なければならぬ時だ、志士論客が殖《ふ》えるばかりで、実際に事を示す者がなければしようがない、成る成らぬは別だ、おそらく成就はせぬだろうが、一拳を空に挙げるだけでもむだではないと思う」 「するとお国許とは別行動でございますか」 「そこは折衝の上だ」  大助は思案するようにちょっと黙った。校川宗兵衛が或る思い切った計画をたてていることは、大助が資金の一部を受け持っている関係からよく知っていた。計画は高松の左近さま側近にも連絡があり、志士の一部とも提携の約が出来ている。 「折衝の上ではあるが」と宗兵衛はつづけた、「近頃の亀阜荘の噂ではその要もないのではないかと考える、そこもとはこんどの帰国で左近君にお眼どおりされたか」 「はい、両三度ほど……」 「やはり日蓮宗で夜も日もなしという御容子だったか」 「そこまでは、よく存じませんでしたが」  ふむと宗兵衛は鼻を鳴らせた。大助の日頃を知っているので、亀阜荘のありさまを口にできないのだと察した。 「そればかりではない、いまさら水戸へ使者を出して、本枝周旋をあそばすような、手ぬるい思召しではどうにもならぬ」 「木曽駒のお話ですが」大助は話を戻した、「牧場のあて[#「あて」に傍点]はお有りですか」 「上松の在と黒川、宮之越、この三カ所の牧場に状《じょう》がつけてある、精《くわ》しくは是れに書いて来たから」  そう云って一綴の書き物をとりだした。大助は手にとってひと通り眼をとおした。 「手形が遣《つか》わしてあるのですな」 「二百金だけ遣わしてある」 「……承知いたしました、手順をつけましてなるべく早く人をやると致しましょう」 「それからもう一つ」  宗兵衛が云いかけたとき、飲み物を持って藤尾がはいって来た。  藤尾の持って来たのはギヤマンの洋杯に注いだ、濃い緑色をした飲み物だった。 「これはなんだ」 「暑気ばらいです、召上ってごらん下さい」  大助に勧められてひと口啜った。 「これは冷たくてうまいな」 「よろしかったら代えます」  うんと云いながら、あとをひと息に飲みほした宗兵衛は、洋杯を置いてすぐ話に戻った。 「いつぞや依頼してあった鉄と銅、あれを少し急いで集めて貰いたいのだ」 「だいたい大阪の倉にはいった時分だと思いますが、高松へ積み出してよろしいかどうか伺うつもりでおりました」 「高松へ送るのはよす、近日のうちに藩侯がお国入りだし、亀阜荘の模様がはっきりせぬからこちらでやる算段をつけた」 「鋳工所がございますか」 「尾州領の内にありそうだ、それについては若狭の仁で奔走して呉れている者がある、そこもとはまだ会ったことがないかな、梅田定明という人だが」 「若狭の人で梅田……」大助はすぐに思い当った、「源次郎と仰しゃる方ではございませんか、その方なれば高松へもいらしったことがある筈です、わたくしはまだお会い申しておりませんけれども」 「いま水戸へ行っておるが、戻ったら拙者がいっしょに尾張へ行く約束だ、なんといっても大切なのは鉄砲だから、そのとき馬を集める場所もきめて来るつもりだ」 「では鉄銅の事はどう仕りますか」 「いや、荷が揃っておればよいのだ、鋳工所がきまり次第また知らせてよこす」  そこで用談が切れた。大助はふと思い出したようすで、ちょっとお見せ申すものがございますからといって立った。そして戻って来たかれは、染めあがったばかりの新しい旗を一|旒《りゅう》そこへひろげた。 「例の三当旗でございます」 「ほう、……これか」  宗兵衛は眼を輝かせて覗きこんだ。旗は五色の布に葵《あおい》の紋章を雪輪で包んだ徽号《きごう》を染めぬいたもので、上に「三当」と書きだしてある。三当とは水戸に通ずる韻だった。 「亀阜荘さまの仰付けで十旒だけ染めさせました、京で同じほど染めさせております」 「……これを押し立てて」  ふと宗兵衛はそう云いかけたが、あとをつづけずに帰り支度をした、「やあこれはいかん」立とうとして、宗兵衛はちょっとよろめき、頭を二三度横に振った、「なにやら酔ったような気持だが、いまの飲み物になにかはいっておったのか」 「ご存じなかったのですか」大助は笑いながら、「ご存じなかったのですか、青梅を漬けた焼酎《しょうちゅう》でございます」 「それは一杯くった」  宗兵衛も笑いながらそう云った。大助は宗兵衛がひと言も秀之進のことを云いださなかったのに気づいた。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  同じ時分だった。  大助の寓居から自分の家へ戻った竹亭寒笑が、格子をあけると、土間に客の穿物《はきもの》があった。書肆和田平の番頭のものだ。とたんに寒笑はにたりとした。売れっ子の作者ともなれば、そうする必要がなくともたまには留守を食わせたり付きっきりで書かせられたりするのが箔《はく》である。――迎えに来ちゃあいけねえ。行先はわからないと云え、留守番の婆さんにそう云いつけて出たのだ。残念なのは大助に追いたてを食って少し早く帰りすぎたことだが、そうかといってよそへ廻るほどの度胸はない。和田平に臍を曲げられては実のところそれっきりだからである。 「お帰んなさいまし、和田屋さんがいらしってお待ちかねですよ」 「そうか、それは済まなかった」  婆さんに頷くようすなどはなかなか箔がついている。座敷へゆくと藤吉という番頭が団扇《うちわ》をつかっていた。 「待たせて済まなかった」 「お帰んなさい」 「ちょっとさる[#「さる」に傍点]版元から呼びに来られたもんだからね」 「版元ですって、なにか出す話ですか」 「おれの作が欲しいというのさ、なに珍しかあない、日に一つでもないが三日にあげずどっからかやって来やあがる、分さえ良くすれあなんでも書くと思ってるんだから……近頃の版元も格が落ちたものさ」 「版元の格が落ちたんじゃあない竹亭さんの値打があがったのさ」 「う、さアねえ、そんな甘い手でまたいたぶる気だろう」  これが此の頃の竹亭の口癖である。人の顔さえみれば「また版元から来やあがって」という。まんざら嘘ではない。「恋の手車」というのが当ってからたしかに書肆が眼をつけだしたようである。しかし板行の交渉に来るのは大抵が小さな版元だった。よその書肆で売りきって、使えなくなったような板木を安く買い、表紙や題だけ変えて新作のようにして売りだすという、そんな仕事をしている店からの注文が多かった。しかしそれでも版元は版元だからまるで嘘をいっているわけでないことはたしかだろう。 「いや今日はいたぶりじゃあありませんよ」藤吉はさぐるような眼つきをして云った、「ゆうべは遅くまで骨を折って頂いたし、もう先のめどがついてるんだから、今日はひと口さしあげようという段取りなんです」 「おい藤さん、本当かい」 「藤さんときましたか」番頭はにやっと笑った、「尤《もっと》もさしあげるのはあたしじゃない、実を云うと少しまえから竹亭さんといちど飲みたいという方がありましてね、是非あたしにひきあわせろと頼まれていたんです」 「そいつあ耳よりだな」寒笑はつるッと唇を舐《な》めた、「で……男か、御婦人か」 「それは見てのおたのしみ、さあお供をしましょう」 「だが藤さん」家を出ると寒笑がふと足を止めてふりかえった、「こう、おいそれと行って、安くふまれやあしまいかね」  まじめである、藤吉は笑った。 「なあに向うからは二タ月もまえに頼まれているんでさ、いま原稿が急がしいからと云ってあたしがずっと延ばして来たんだもの、もうずいぶん箔は付いていますよ、それでもおまえさんがもし厭《いや》だと仰しゃるんなら」 「厭だとは云わないさ」寒笑は正直である、これだけはかれの取柄だった、「ただあたしとしては和田平の都合も考えなくちゃならないからね、つまらないこって本の売れ行きにかかわると和田平に義理が悪い、そのくらいのことはあたしだって考えているんだから」 「その心配にあ及びませんよ、なにしろあたしが御案内するんですからね」  そのくらいならもぐり[#「もぐり」に傍点]同様の版元にかかわらないほうがもっと大切だろう。藤吉はそう云いたい気持をぐっと抑えつけて、そのまま矢の倉の「灘源《なだげん》」という料亭へ導いていった。 「和田屋の藤吉という者だが、お客様はいらしっているかい」 「はいお待ち兼ねでございます、どうぞ」  出迎えた二人の女中が、そのまま案内に立ってかれらを二階へつれて行った。寒笑は残念ながら胸がどきどきしてきた。こんな一流の料亭へあがるのからして初めてだし、自分の本の愛読者の招待というのだ。男か女かは見てのおたのしみと藤吉は気をもたせたけれども、人情本の読者といえばたいてい女にきまっている。分別くさい大店の旦那とか、大小を差した武士が人情本の作者に会いたいというほど熱をあげる筈はない。――女としても、けれど娘じゃあないな、これだけの料亭へ作者を呼ぼうというくらいだから大どころの後家か、囲い者か。とにかくこいつは締めてかからないと、……などといろいろ気骨を折っていた。このあたりの正直さもなかなか捨てたものではない。 「こちらでございます」  もう萩戸《はぎど》の立ててある、庭に面したひと間の前に女中が膝をおいて、おつれさまでございますと中へ呼びかけながら二人を入れた。 「……ああこれへ」  中から聞えたのは男の声だった。さあといって藤吉が押しやるようにする。寒笑がおそるおそる入ってみると、床間を前にして、一人の老人がきちんと正座していた。――これは、と寒笑は眼をみはった。客は男であり老人であり、しかも武家である。武家である証拠には(以前は帳場で預かったものだが)膝の右に大剣が置いてある。 「遠慮は無用、これへまいれ」  武士はそう云った。寒笑はかっ[#「かっ」に傍点]とあがった。武家の老人などとさし[#「さし」に傍点]で会ったのは生れて初めてである。ふだんは武士がなんだと思っているけれども、根が正直で気が小さくて、自分の卑弱なところをよく知っている男だから、いざ面と向うともうそれだけで眼がくらくらする感じだった。  自分の前へ酒肴の膳が据えられたのも、藤吉が席をはずしたのも気がつかなかった。 「別に酌はせぬから」と老武士は云った、「くつろいで飲むがよい」 「へえ、へえ戴きます、おそれいります」 「飲まぬか」 「へえ、おそれいります」  まるで夢中だった。膝をかたくして、ふるえる手で燗徳利と猪口《ちょこ》を取ったが、あがっているから酒は猪口を溢れて膳の上へ落ちた。それでもどうやらごまかして、三杯ばかり薬でものむように啜ると、こんどは肴を食えという。で肴を食った。  ――こいつはたいへんな代物にでっくわしたぞ、藤すけ[#「すけ」に傍点]めひでえことをしやあがる。怨んでみても追いつかない、ただかしこまって、いわれるままに酒を飲んだり肴をつついたりしていたが、やがてそれではあんまり知恵がないということに気がついた。――そうだ、この老人はおれの愛読者なんだ。  そう思うと少し元気が出てきた。たとえ相手は侍だろうと、小説についてはこっちが本職である。本職の話なら別にそう恐れ入らずともいいわけだ、こう考えて寒笑はやおら顔をあげた。 「失礼でございますが、お武家さまはよほど小説類はお読みでいらっしゃいましょうな」 「……うん?」老人はこちらへきらりと眼を向けた、それは本当にきらりと光る眼だった、「小説なぞは続まん」 「……へえ、さようで、……」寒笑は首をすくめた、老人は盃を下に置き、低いしずかな声で、もう少し近う寄れと命令するように云った、「な、なんでございますか」 「恐がることはない、近う寄れ」 「へえ……」  老人はぐっと寒笑をねめつけた。それは相手の気合をしかと掴んで身動きもさせぬちからを持っていた。寒笑はごくっと唾をのみ、ひきずられるように膝を進めた。老人は一語ずつ区切って、低い声で云った。 「そのほうの前に、太橋家の別宅があるであろう、そこへ高松藩の者が出入りをする筈だ、存じておるか」 「へえ、いいえ、わ、わ」 「知らなければよい、これから申すことをよく聞いて、そのとおり働くのだ、当座の袂《たもと》としてこれを遣わす」  投げだされたのは小判十枚だった。……寒笑は蒼《あお》くなって老人の顔を見あげた……老人、滝川内膳の顔を。 [#3字下げ]雷[#「雷」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し] 「かつて大橋|訥庵《とつあん》がこう謂《い》った、独怪謝安出山後、更無偉略済蒼生、と」梅田定明は頬骨の高い眼の落窪《おちくぼ》んだ顔をつきだすようにしてそう云った、「つまり老公[#1段階小さな文字](斉昭)[#小さな文字終わり]が攘夷を主唱しながら、いざ実行となると見向きもなさらぬことを諷《ふう》したものだ、しかもどうやら御自分は幕政参画の御野心もあるように思われる、いや邪推ではない、江戸のさるたしかな筋から聞いているのだ、これはいかん、これはここまでひきずって来た天下の志士を欺《あざむ》くというものだ」  秀之進は黙っていた。黙っているよりしかたがなかった。梅田は若狭の人だという。はじめて東湖を訪れたとき来ていた客で、ずっと藤田家に逗留《とうりゅう》していたらしいが今ではこの田口屋へ移って来ている。東湖を介してなにか水戸家に斡旋《あっせん》していてそれがうまくいかぬとみえ、秀之進をつかまえては慷慨をもらすのだった。  梅田はずいぶん諸国をあるき知名の士を数多く知っていた。かれが口をひらくと必ず三人や五人の知名人が話題にのぼらぬことはなかった。高松へもゆき左近頼該にも会ったという。しかし誰も彼も梅田には気にいらぬようだ。みんな口ばかりで、実行力のない、御都合主義の連中ばかりだと云った。 「東湖東湖と世間では大騒ぎをするが」とかれは続けた、「あれも拙者などに云わせると売名上手の肚《はら》なし書生だ、回天詩史の中に『即《すなは》ち直に夷人の舎に入り臂力を掉《ふる》ひ、夷虜を鏖《みなごろし》にし』といい、また別に『宝刀未だ衂《ちぬ》らず洋夷の血』とか『三たび死を決して而も死せず』とか、なかなかいうことは壮烈だけれども結局は云うばかりだ、しかもつきつめて訊くと攘夷の事は行い難しとさえ本音を吐いている」 「それは事実ですか」  誇張もすぎてはいけないという気持で、秀之進がそう反問した。しかし梅田はあながち誇張したのではないようだった。 「事実だとも、拙者がどこまでも追求してゆくとついにそう云った、攘夷は即座に断行できるものではない、攘夷の議に拠ってまず国論民心を統一し、人物武備が万全となってからでなくてはならぬと」  それは事実かしらん、秀之進はもういちど疑ってみた。するとそのときふと、常陸の海辺で久木直二郎と議論をした加地という青年の説を思いだした。加地はあの時、――天文のむかし夷狄《いてき》は鉄砲をもたらしただけだが、今かれらはあらゆる科学文明の成果をひっさげて来ている、徒《いたず》らに撃ち払い令を出しただけでは、もはやかれらは黙ってひきさがりはしないのだ、と云った。秀之進はそのとき水戸藩士の中にそういう開国説をなす者があることに驚いた。水戸といえばいま攘夷論の本陣として誰知らぬ者もない。そこに加地のような開国を主張する者がいるということはまったく意外だったのである。  しかしそれは驚くべきことではなかった。水戸には以前から二つの要素がある。政治的には佐幕と勤王、学問的には立原[#1段階小さな文字](翠軒)[#小さな文字終わり]派と藤田[#1段階小さな文字](幽谷)[#小さな文字終わり]派、この二派がつねに相剋《そうこく》し摩擦しつつあるのが水戸の情勢だった。したがって藩士の中に開国論を唱える者があったとしてもふしぎではないし、いま聞く東湖の説も敢えて異とするに足らぬかも知れぬ。 「人物武備が万全となってから攘夷を断行する、そんなばかなことがあるか」梅田はどなった、「それは百年河清を待つの愚に等しい、人物とはなんぞ、武備とはなんぞ、元寇《げんこう》を思え、太閤の征韓の役を想え、悉《ことごと》くわれらの祖、日本人の身を以て行なった事ではないか、銃砲は十町先を射つことができるかも知れぬ、しかしわれには踏み込んで鉄をも断つべき三尺の宝刀がある、これを断じて行うのは人ではなくして魂だ、やまと魂だ」  けれど秀之進はそんな空論をほとんど聞いてはいなかった、かれの心はいま東湖の本心を知りたいという思いでいっぱいだった。「今はまだ攘夷の時ではない」という、「攘夷説に拠ってまず国論民心を統一し」という、これまで秀之進が翹望《ぎょうぼう》していた気持からすると迂遠《うえん》きわまるはなしだ。そして同時に、東湖の本心がそんな単純なところに帰結していようとは考えられないのである。――本心ではない、少なくともそれだけが本心ではない、秀之進にはそう思えた。 「甚《はなは》だ失礼ですが」とかれは梅田の言葉の切れ目を待って口を揷んだ、「これから他出しようと思いますので」 「竹隈であろう、よせよせ」梅田は露骨に眉をひそめた、「あんなところに何があるものか、拙者も此処へ来るまでは水戸にぞ日本を動かす原動力があると思っていた、しかし聞くと見るとは雲壌の差だ、拙者ももう去る、貴公はたしか高松藩だと思ったが」 「……はあ、藩士ではございません、郷士の伜でこざいますが」 「いや郷士でも構わん、高松の江戸屋敷にはなかなか骨のある人物がおるぞ、これには是非とも会われるがよい、知っておられるか、校川宗兵衛という仁だ」  秀之進は思わず眼を伏せた。自分の顔色が変るかも知れないと思ったからである。しかしその心配はなかった。 「では失礼ですが」といって立った、「出掛けますので」 「そうか、では拙者も……」  梅田はうんと両手を伸ばし、大きなのびをしてから立って、会釈もせずにずんずんおのれの部屋へと去っていった。……秀之進は竹隈へでかけた。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し] 「校川どのからの添書に、彰考館と弘道館の見学の便宜をはかるようにとあったが、いってみますか」  訪ねていって座に相対すとすぐ東湖がそういった。初めて訪ねたときと同じ、いちばん奥の、瓢兮歌の屏風のある部屋だった。あれから五六たび訪問しているが、いつも客が多くて、この部屋でゆっくり話す機会はなかったのである。 「ぜひそのうち御案内を願いたいと存じます」 「今日いってみるか」 「有難うございますが……今日は少し先生にうかがいたいことがございますので」 「…………」東湖はむっと口を結んだが、「理屈はごめんだよ」 「初めてうかがった時のお話が中途で切れたままですし、実は梅田さんからいろいろ聞かされたものですから」 「ああ、梅田氏はあんたと同じ宿になったそうだな」 「それでたびたびお説を聞くことになるのですが」 「元気いっぱいな頗《すこぶ》る壮烈な意見をもっている、わたしは『頗る』という形容を使ったことがないけれど、あの人の意見にはそういうものを感じましたね、頗る壮烈……ずいぶん元気なもんです」 「攘夷行うべからず、先生がそう仰しゃったそうですが、また攘夷の説は国論と民心を統一するためだと仰しゃったそうですが」東湖の言葉には構わず秀之進はそう問いかけた、「それは本当に、そう仰しゃったのですか、そしてそれは先生おひとりのお考えですか水戸藩ぜんたいの思潮ですか」 「そういう質問には、わたしは返答をしないことにしている、どうしてかというと、言葉の応答では真実を伝えることがむずかしい、まったく言葉ほど不完全な、不自由きわまるものはない、どのようによく選みどれほど巧みに云いまわしても、そうすればするほど真実から離れてしまう、人と人とのあいだに或る程度の折り合をつけるほどのことしか言葉にはできない、梅田氏に云ったのも、いまそこもとの口から出たとおりではなかった、まるで違う意味になっているところもある、僅かに一人の口を通って来ただけでこのように変るのは、聞く者が意味をとり違えるというより言葉のもつ不完全さにあると思う、だからわたしは大抵の場合この種の質問に答えないことにしているのだ、しかし、よろしい、あんたには答えられる限り答えよう、いったいなにが知りたいのか」 「攘夷の説が国論民心を統一する為の便法だという、それが事実かどうかうかがいたいと存じます」 「細説はあるが事実だ」 「すると夷狄撃攘の論は、そのままの意味では人を欺くものなのですね」 「ばかなことを云ってはいけない、人を欺くなどということは軽々しく口にすべきではない、国論民心の統一と攘夷の論とを区別して考えるから誤る、両者は一なんだ、今まじめに世界のありさまを観る者は、単純な攘夷などで国家の安全の保し難いことが瞭然だろう、日本人としては日本を主体として考え行うのが当然だけれど、世界の勢いはもうそれをそのままでは捨てて置かなくなっている、諄《くど》く云う必要はあるまい、日本はこれらと同等の位置に立つか、それとも征服されるか、この二つの内どれかを選ばなくてはならぬ時期に当面しているのだ、征服されるのを善しと思わぬかぎり、かれらと同等の位置に立ち、或いはかれらを凌ぐ存在にのしあがらなければならぬが、現在日本の文物をもってしては不可能というよりほかはない、数理化科学、機械工学、火術、船舶、これらのものは彼我のあいだに甚《はなは》だしい懸隔がある、その差をある程度まで縮めないかぎり身動きはできない、本当に国を憂い国民の前途を念《おも》う者なら、この点のゆるがせならぬことはわかる筈だ」  一語も聞きのがすまいと、秀之進はじっと耳を澄ませていた。 「だから開国が必至のものであることは、心ある者なら認めざるを得ないだろう、しかもそれは日本にとって初めての経験ではない、三韓、唐、清、オランダ、いろいろの邦《くに》と交通し各国の文物をとりいれて、独自の文化を築きあげてきた、こんどは単に三百年の鎖国を解くだけのことだ、しかし、ただ一つだけ問題がある」  そう云いかけて東湖はぐいと坐り直した、かれは肥えているのでながく正座していることはなかなか辛いと思えるのだが、ときに議論でも始まると一刻でも平気で正座したままでいられた、今も坐り直したのは足が疲れたのではなく人が本音を吐くときの身構えだったにちがいない。 「われわれは遠いむかしから異邦の文物を吸収することに長じていた、いかにもすなおに異邦のものを受け容れる、これは長所であると共に短所でもある、そして在来はそれによって国家的に大きな害悪はなかったのだ、けれども今は事情が違う、いま日本の環海を窺《うかが》う異邦の民族は、東洋をおのれの資源庫にしようとしている、臆測ではない、現に南方の諸地域は多くかれらの植民地となっている、だから開国してかれらの文物を容れる場合には、まず日本人ぜんたいが、国家と民族との自覚をたしかにしなければならない」  東湖は膝へ拳を抉《えぐ》りつけるようにした。彼の語り振りは持論を述べるというより、座に直面して思想を創作するという風で、一語一語に生なまとした感覚が感じられる。秀之進は熱心に聞き続けた。 「徳川幕府の採った鎖国主義以前から、我われ国民の大多数には国家意識というものが明確でなかった、主従、家族という縦の関係は極めて固かったけれども、国家とか民族とかいう横の関係はばらばらだった、これをこのままにして開国する危険は二三にとどまらないが、最も忍ぶべからざる点は外人の軽侮を買うことだ、軽侮に次いでなにが来るかということは口にするまでもないだろう、従って開国が避くべからざる事実とすれば、我われのなにより先に解決しなければならぬ問題は国家と民族意識を確立することだ、横の関係に於て民族ぜんたいを繋ぎ、これにたしかな国家観念を与える、これが第一なんだ」 「一言にして云えば、攘夷論は毒を以て毒を制するということができますか」 「もっと卑近な例がある、泥棒がはいったとき金盥《かなだらい》を叩いて火事だ火事だと騒ぐやつ、あれだよ」東湖はにやりともせずに云った、「事は目前に迫っている、閑寛と法を案じている暇はない、警鐘を鳴らし危険を叫んで耳目を一点に集める、これが攘夷論の真髄だよ、これでも君は人を欺くと云うかね」  秀之進は唇をひき結んだ。東湖はふと調子をさげた声で、「梅田氏は即時攘夷の旗をあげろという、老公を総帥とし、この彪が副となって挙兵すれば天下の志士は蜂起《ほうき》して事を一挙に決するだろうという、梅田氏には限らぬ、悲憤慷慨の士の多くはそういう壮挙を計って水戸へ来る、その意気は大いによろしい、けれども眼先だけの実行を急いで国家の大計を忘れてはいけない、そういう壮烈の士も必要ではあるが、壮烈をたのしむ士であってはならない」  壮烈をたのしむ士というのを聞いたとき、秀之進は高松で会った多くの志士論客を思いだした。 「先日そこもとが云った、当代の青年たちは幕府倒滅を思わずしてものを考えることができないと、これもまたきまって聞く言葉だ、攘夷の軍をすなわち倒幕の軍たらしめんとしている、人々の翹望するものがそこにあることも明らかだ、そして、幕府がやがて倒滅すべき運命にあることは、少しく時勢を睹《み》る明のある者には疑う余地のないことに違いない、これは人力を以てはいかんともなし難い勢いだと思う、しかし同時に最も重大な意義もそこにかかっているんだ……幕府が倒れるときは、すなわち王政復古の時でなくてはならん、日本中の心が天皇親政の一点に集中したとき、はじめて幕府は倒壊してよいのだ、その時の到らぬ前には断じて不可だ、水戸は義公このかた勤王でかためたお家柄ではあるが、その名のゆえに国家を忘れるほど軽率ではない、すくなくとも藤田彪はそう信ずる」  梅田定明の云った「時期に非ず人物なし」という言葉が、その本当の意味ではじめて秀之進に理解された。 「出よう」東湖はふいに、そう云うとじっとしていられないようなようすで立ちあがった、「急に海が見たくなった、大洗へ行って怒濤《どとう》をみながら話そう、帰りに弘道館へ案内してもいいだろう」 「お供します」  秀之進もしずかに立った。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  大洗の磯に近い料亭、いや料亭などとはいえないだろう。藁葺《わらぶき》屋根の軒の傾いた家で、天床のないむきだしの梁《はり》に、まっくろに煤《すす》けた縁側も畳も波をうっている、およそ廃屋とでもいいたい感じのものだった。肴を作るのはひどく無愛想な老人で、酒を運ぶのは老婆がした。この老夫妻でやっているらしい。秀之進は昼食をとり、東湖は酒をのんだ。 「爺さん今日は波がないな」  東湖が海のほうを見やりながら云うと、老人はなにか汁を拵《こしら》えていたが、ふり向きもせずに、「いまに雷さまが鳴るべえ」と云った。東湖も秀之進も空を見上げた。とうとうから梅雨で終った夏空はあくまで晴れあがって、ぎらぎらと眼に痛いほど輝く白雲が二つ三つ、北へ移動しているきり雷の来そうなようすはどこにもみえなかった。 「老公への拝謁はどうしてもかないますまいか」  食事を終ってからしばらくして秀之進がそう訊いた。東湖はまだ盃をはなさずにいた。 「諦めるほうが賢いだろう、あんたの使者の立場にはお気のどくだが、本枝和解などはもう末の末だ、時はぐんぐん動いている、ほかにもっと重大な問題がある筈だよ」 「さればこそ本枝和解が大切なのだと存じますが」 「さればこそとは」 「さきほど先生の仰せに、まず国論民心の統一というお言葉がございました、さし迫っている時代の転換が重大であればあるだけ、国内はひとつに纒《まと》まらなければならぬ、『日本中の心が天皇親政の一点に集中した時』と仰せられた、その集中のためには小怨私憤を去って大きく纒まらなくてはならぬと思います、高松はそれを望んでいるのです」 「うまく揚げ足をとったな」東湖はにっと苦笑した、「たしかに、それは一理ある、だが早水さん、その話はあんたのもので高松全藩のものじゃない、そうだろう」 「しかしわたくしは現にこうして左近頼該さまの使者としてまいっているのです」 「あんたは藩士じゃない」思いもかけぬところを東湖は突いた、秀之進は眼をみはった、「これはむろん使者としてのあんたの価値を指すのではない、高松の考え方がどこにあるかを云うのだ、もし本当に和解を計ることが必要であるなら、こんな密使の形式をとることはないんだ、そう思わないかね」 「お言葉ですが、高松の事情はご存じのとおり単純ではありません、讃岐守さまと左近さま、江戸と国許《くにもと》、ひと口に申してもこの二つの流れがあります、そして」 「その流れを一つにすることのほうが」と東湖はすばやく口を揷んだ、「本枝和解よりも先決問題ではないのか、高松には限らぬ、どこの藩でも事情は同じことだ、新しい時代の潮流に棹《さお》を入れようとするものと古い塔をまもりぬこうとするものと、この二つはいま日本じゅう到るところで拮抗《きっこう》している、水戸だってその例から洩れはしないのだ、うちあけて云えば……、本枝和解の意義はかなり大きい、幕府における讃岐守さまの地盤と、老公を戴く水戸の勢力とが一つになることは、新世代への政治にかなり強い軸をなすだろう、たしかにその点は見のがすことはできない、左近さまの望むのはそれだけれども、老公と高松とを離反せしめた事情を考えれば、いま両家の合流を計ることは無理だということがわかると思う」 「両家御不和の原因が甲辰の事のほかにあるでしょうか」  東湖はぐっと秀之進の眼をみつめた……いつか戸外は日が翳《かげ》って風だち、どこか遠くで微かに雷が鳴りはじめていた。しかし二人ともそんなことにはすこしも気づかぬようすだった。 「初めてあんたと会ったときに、封建の思想が崩壊しつつあると云った、それは外から来たものではない、外夷の来航による刺戟《しげき》もあるにはあるけれど、封建思想の崩壊はむしろ内側から生じたものだ、人間は絶えず進む、世の中も進む、武家法度で治めることのできた社会が、その法度の最大極限からはみ出るときが来た、人間感情が封建政体の範疇《はんちゅう》から溢れ出るときが来たのだ、幕府の施政が誤っていたということをよく聞くが、そんなことは末節の問題にすぎない、要点はどこまでも人間の進歩したことにある」  ぐいと上躰を前にかがめながら、東湖は言葉に力を籠めてつづけた。それは苦痛の表白とも思える切実なひびきをもっていた。 「この新しい転換、封建思想の根本的な崩壊は、武家全体にとっておそろしい試煉になるのだ、そして、もうそれは始まっているんだ、日本じゅうどこの藩でも新旧二派が相剋しているといった、それは崩壊に当面している苦悶《くもん》なんだ、旧態を守ろうとする者それ自身が新しく生きようとする苦悶なんだ、甲辰の事はたまたまそういう時期に起こった、最も水戸の盾《たて》となるべき高松が、却って検非違使《けびいし》となって水戸に臨んだ、そこから本枝離反が生じた、しかしそれは表面の事実にすぎない、その裏にこそ真の理由がある、……時代の苦悶だ、昏迷《こんめい》とあがきだ、生きようとするもがきだ」  いつか黄昏《たそがれ》のようにうす暗くなっていた部屋の中へ、なにかが折れ込みでもするように、ぴかりと電光がはしり、殆んど同時にぱりぱりっとはじけるように、すさまじい雷鳴がこの家の上へのしかかった。東湖は口をつぐみ、その雷鳴の終るまでじっと眼をつむっていた。 「みんな悩んでいる」やがて低く、呻吟する人のように東湖はつづけた、「新しい潮へ乗りだすために、日本という大きな船とその乗員とはひとしく磯の荒波に揉《も》まれているんだ、本枝和解などは末の問題だという意味もそこにある、水戸高松の離反、各藩における新旧二派の拮抗相剋、それはそれ自身ひとつの胎動だ、陣痛なんだ、痛みを止める必要はない、苦悶を救う必要はない、その痛みと苦悶のなかから新しい生命が発して来るのだ」  言葉のつづきを叩き潰すように又してもすさまじい電光がはしり雷鳴がおこった。雷はどうやら近くに迫ったとみえ、追いかけ追いかけ鳴りはためき、やがて沛然《はいぜん》として雨がやって来た。 「高松藩の事情の複雑さは」と東湖は雷鳴に構わず云った、「それを一つに纒めることが先決問題だと云ったが、その意味は和合統一を計れというのじゃない、それは直接調停よりも困難だ、一つに纒めるということは、両者の拠って立つところを毀《こわ》し、つまり破壊だ、目的は一つしかないんだ、一言につきつめれば王政復古だ、あらゆる人々の苦悶がその一点を中心にしているんだ、そのためには封建という足場を毀却《ききゃく》しなければならない、両者の足場を毀《こぼ》って唯一の大目的に纒めるんだ、……洪水のまん中に二派の人々が、二軒の屋根の上に難を避けているとしよう、その二軒は二軒ともすでに棟の根を水に洗われている、かれらの前には大きな新しい船があるのに、一方は家の土台の伝統に執着し、一方は船へ移りたいと思いながら、濁流を見て勇気が出ずにいる、……この二派を纒めるには二派の拠っている家を壊すよりほかにない、二軒とも壊すのだ、いちどは濁流の中へ落ちる、溺れる者もあろう、しかしかれらがやがて新しい船に乗ることは必至だ」  そう云いかけた東湖が、ふいにあっと叫んで立ちあがった。それが折から天地を劈《つんざ》くような雷鳴といっしょだったので、秀之進はびっくりして身を反らした。東湖は立ちあがりさま店先のほうへ走っていった、……みると、高貴な相貌《そうぼう》の中老の人を中に、四五人の武士が雨を避けて、この家の中へはいって来たところだった。東湖は上間へとびおりて膝をついた。四五人の武士は、その中老の人の濡れた衣服の水を払いながら、ひどく落ち着かぬさまでなにやら云い交わしていた。  ――斉昭公だ。  秀之進はそう直感し、これもすぐに座を立った。  斉昭は質素なみなりだった。生麻の無地の帷子《かたびら》に、おなじ地の紋を小さく染めだしたひとえ羽折をかさね、こまかい小倉縞の袴《はかま》をつけていた。額の高い、おもながの、いかにも高貴の人らしいおっとりとした顔だちであるが、眼光と口もとに、するどいものが感じられる、……秀之進はすばやくこれだけの印象をつかんだ。座を立ったかれは、そのまま狭い料理場の隅へ隠れるように身をひそめた。あるじの老夫妻は裏へとびだして、雨落ちの底の下へ土下座をしていた。 「この頃は健康はどうか、少し肥えたようにみるが」東湖に云うらしい韻の深いよく徹る声であった、またつづけて、「宅慎が解けたので飲みまわっているわけか、あまりすごさぬほうがよかろう、肥えている者に大酒は毒だ」  そう云うのも聞えた。おっかぶせるような雷鳴で東湖の答えはわからなかったが、扈従《こじゅう》の人々がつつましく笑った。  秀之進は東湖がめどおりの機会を作って呉れるかと思い、今にもその言葉が出るかと待っていたがそのようすはなかった。主従はなにか話してはなごやかに笑う。すさまじい雷鳴と豪雨の音で、会話はほとんど聞きとれなかったけれど、そのなごやかな雰囲気は湯のように温かく秀之進の胸にしみた。  斉昭は上り框《がまち》に腰掛け東湖は土間に膝をおろしている。その位置は主君と家臣とをはっきりわけているが、話しぶりはそういう埒《らち》を忘れさせるほど親近でじかだった。二人はいずれもこの時代を動かす大きな存在である。見えざる勢い、聞えざる声が、この二人を中心に大きい渦を巻いている。その渦は宙天にまで奔騰しようともがいているのに、いま此処に見る二人はあくまで穏やかにしずかである。……地を叩く豪雨のしぶきは、土間の中まで吹きこんで来て秀之進の背を濡らしたが、かれはそんなことに気もつかず、じっと主従の語り合うさまに全身の注意を集めていた。  斉昭はながくはいなかった。「近く江戸へ出るかも知れぬ」そう云うのが聞えて間もなく、別の供が表へ乗物を持ってはせつけた。斉昭は雷雨のなかへ去っていった。 「早水さん、どこにいる……ああここか」送りだして、戻って来た東湖は土間からあがって来る秀之進を見ながら、「いや、ぐっしょりだ」  そう云って笑い、手拭をとりだして衿から胸のあたりまで流れるような汗を押しぬぐった。しかしそれだけで、斉昭のことは一言も口にしなかった。 「先生、思わぬ雷さまで、ございましたね」  老人が料理場へはいって来てそう云った。 「ええ、ああまったく思わぬ雷さまだった、おかげで酔いがさめたよ爺さん」 「飲みなおしでございますかね」 「雨のやむまでな」  東湖はどっかと坐った。秀之進は斉昭のおもかげを追うように、まだしぶきをあげて雨の降っている往来の彼方を見まもっていた。雷は遠ざかりつつあった。 [#3字下げ]笛の客[#「笛の客」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  ひどい雷雨のあった日から、まるでから梅雨をとりかえしでもするかのように、江戸の空は陰暗な雲に掩われ、小雨の降ったりやんだりする不順な天候がつづいた。ときどき雲がきれて太陽が覗くと、焦げつくように暑くなり、降りだすと秋のように肌寒くなるので、町家の人々はいちどしまった羽折をまたとり出すものさえ多かった。  その日も朝から小雨だったが、その雨のなかを皀莢小路の大助の別宅へ、しきりに集まって来る客があった。あるじが高松へ帰って留守のときでも、毎月欠かさずそこで興行される俳諧の運座がある。その例日で、客は雪中庵派の宗匠二人と、武家や町人の老若二十人ほどが集まるのだった。……披講の終ったのが夕景で、それから料理に酒がはこびこまれ、おしかけの客があったりして、狭い家のなかはいつか賑やかな談笑にわきたってきた。そしてやがて誰かが三味線をとり、誰かが唄いだす。俳諧よりもそのほうが目的と見える客の多くが、はじめて本領にかえったようすで、騒ぎだした時分、離室には大助と五人の武士とが、別になって飲んでいた。  五人の客は高松藩で、大河千吉郎、柳通助、松崎平馬、明石逸平、六角正之進という人々、このなかで松崎平馬は五日まえに高松から出府して来た者だった。 「それは本当か、新島が追っていったというのは」 「現にわたくしが会ったのですから」  大助は常陸《ひたち》の府中であった出来事を語った。かれらは松崎平馬から、早水秀之進の使命がどんなものか聞いたばかりなので、新島八十吉が追い討ちにやられたという話にひどく憤慨した。 「滝川の指図に違いない」 「たしかだ」 「しかし新島は十日ほど前に屋敷へ帰っている、おれは昨日も会ったぞ」 「ではとうとう追いつかなかったのですよ」  秀之進がうまくかれの眼を昏《くら》ましたときのことを思いだしながら大助はそう云って笑った。だれかが、「その新島という男は、いくらか剣をやるのかね」と訊いた。 「家中では指折りだ、実際はわからないが、然しおそらく早水は斬れまい」平馬はそう云った、「かれはふしぎな刀法をつかう、高松ではよく他国から来る者を相手にしたが、ひけをとったのをみたことがない」 「まったく早水さんの剣はふしぎな味をもっていますね」 「そういう太橋さんもなかなかやるじゃないか、上原道場で二本と云われているだろう」 「鼻下の二本でしょう」  大助はそう云って笑い、さてというように坐り直した。座敷のほうでは梅八のさびた声で唄うのが聞えていた。 「さて五六日まえに校川さんがみえました」集まりの主題になったが、みんな盃を手にしたままだし、かくべつ密談をしているような風は誰もみせなかった、「精《くわ》しいことは仰しゃりもせず、うかがいも致しませんでしたが、かねての事をいよいよ実行する御決心のようにございました、それについてわたくしに、木曽駒の買付けと、大阪の倉にある銅鉄の積み出しを、さしずしだいにとり計らうようとの御命令でございます」 「それは亀阜荘さまと連絡をとったうえのことかしらん」 「おれは初耳だな」平馬が不審げに首を振った、「だいいち左近さまは、まわりでそういう話がでるたびに、暴挙だと仰せられているくらいだ、高松を出て来るまでそんなはなしはなかったよ」 「それは校川さま御自身でもそう仰しゃっていました、高松とはもちろん、江戸屋敷のかたがたとも別行動のようでございます」 「だってそれでは挙兵の人数をどこに求めるんだろう」 「わたくしにもまったく推察がつきませんけれども、ただ若狭の梅田という者が、その計画に与《あずか》っている模様でございます」 「若狭の梅田、……」 「ああそれは源次郎という人物だろう」平馬が大きく頷いた、「去年だったか讃岐へ来たことがある、激烈な論客で、高松とは意見が合わず、大いに憤罵《ふんば》して去った、かれならそういう事にもなにか策があるに違いない」 「だがそれはさし迫っている事かしらん」 「わたくしが考えますのには、殿さまの御帰藩ちゅうではないかと存じますが」 「柳はいちばん近いが」と大河千吉郎がふり向いた、「なにか校川氏にそういうようすがみえなかったかね」 「知らなかった、やはり水戸との和解を計り、本枝協力へもってゆくのがなによりの策だと、云っておられた」 「すると身をすてるつもりだ」千吉郎は濃い髭《ひげ》の剃《そ》りあとの青々とした顎《あご》をぎゅっと噛み合せた、「高松の模様がだんだん歯痒《はがゆ》くなる、いちどでかけていって活を入れて来よう、そんなことを云われたこともあったが、校川氏の気性としてはそれさえまだるっこくなったに違いない、しかし、いま校川氏を失うことはたいへんな損害だぞ」 「とめなければいかん、事を決するなら校川氏を失わずとも人間はある」  大助はかれらの話を黙って聞いていたが、どうして校川宗兵衛の決心を翻《ひるが》えさせるかというところで口を揷んだ。 「それには案があります、わたくしが考えますのに、校川さまがご自分をすてて事を決行なさるについては、本枝和解が望みなしと見切りをつけられたからと思います」 「見切りをつけたという事実があるのか」 「つい先日」と大助は部屋の隅にある机をかえり見た、「水戸の早水さんから手紙が来ました、早水さんは江戸で校川さまに会ってゆかれたのですが、そのときのお話に――本枝調停を計るためには除かなければならぬ障碍《しょうがい》が幾つかある、それをせずして和解の道はない――そう仰しゃられたそうです、そしてその言葉通り和解のことはおぼつかない、早水さんの水戸からの手紙にそう書いてありました」  大河や柳たちには察しがついたらしい、けれど松崎平馬にはわからなかった。 「事前に除くべき障碍とはなんのことだ」 「君側の二|嬖《へい》だ」と柳通助が即座に云った、「滝川内膳、秋山平蔵、この二奸を除かなくてはならぬという意味だ、太橋くんそうだろう」 「そう思います」 「それで、校川氏の決行をとめる案とは」 「やはり同じです」 「滝川、秋山を除くことか」 「そして本枝和解の道をひらくことです、水戸との提携が成功すれば、校川さまの事を急ぐ気持も一応はひるがえすことができると信じます、現在お考えになっている挙兵の事はいかにも壮烈ではありますが、少し壮烈さに価値を置きすぎているようにも思えるので、わたくしもできるならおとめ申すのが本当だと存じます」 「案というのはそれだけかね」 「もう一つあります」大助はつづけて云った、「それは殿さま御帰藩の供として高松へおつれ申すことです、そしてその留守のあいだに、校川さまの計画を実行する」 「いいだろう」明石逸平が言下に賛成した、「御帰藩の供には入谷主水[#1段階小さな文字](松平家側用人)[#小さな文字終わり]どのにたのめばどうにかなる、それがいい、ともかく高松へ送ってしまうことだ」 「だが承知しないだろうな、そこまで心をきめているとすれば、脱藩くらいはしかねない老人だ」  六角正之進がそういっているとき、大助はそっと立って、廊下へ通ずる襖《ふすま》を手早く明けた。みんな本能的にけしきばんでふり向いた。襖のきわに男がひとり横になっている、……それは竹亭寒笑だった。 「おいどうしたんだ」  大助が低いこえで呼びかけた。寒笑はまるくなって廊下に寝ていたが、えっといってねぼけ顔をふり仰いだ、「ああ酔った、もういけねえ、誰の盃だってもうだめだ、勘弁して呉れ」  どろんとした調子でそういうと、ふたたびそこへ寝ころんでしまった。大助はその襟がみを掴むと、おい此方へ来いと、囁《ささや》くようにいいながらひき起こした。 「なんだ、寒笑じゃないか」ひきずり込まれた寒笑をみて、かねて顔なじみの柳通助が云った、「どうしたんだ、ひどく酔っているようじゃないか」 「酔ってはいないんですよ」大助はうしろ手に襖をしめ、寒笑を座のまん中へひき据えた、「潰れるほど酔っていたら、はじめに呼びかけたわたしの声は聞えるものじゃありません、またこの男が少しばかりの酒でこんなに酔う筈はないんです」 「とんだ九大夫がでて来たぞ」千吉郎はむしろ可笑しそうに、にやりとしながら盃をとった、「おい寒笑、誰にたのまれた」 「…………」  寒笑は蒼くなっていた。一所懸命に泥酔したふうを装うつもりらしいが、からだは震えてくるし舌は硬ばるし、胸苦しくて息もつけぬとみえ、ただむやみに眼ばかりうろうろさせていた。 「なんだか、わけがわからない、若旦那、なにか粗相でも致しましたんですか」 「猿芝居はよせ、おまえ自分がどんな顔をしているかわからないのか、江戸っ子ならみれんなまねはするな、誰にたのまれたか云えばいいんだ」 「だってあたしは、決して」 「大さん勘弁してやり給え」千吉郎がついに笑いだした、「寒竹先生じゃ張合がなさすぎるよ、頼んだ相手はわからないが、こんな男を本気で使うようでは多寡が知れている、いいから放してやり給え」 「わたくしは構いませんが、貴方がたにご迷惑がかかるといけませんから」 「大さんにも似合わない、そんなことが心配で仕事ができるものか、みんないざというときの覚悟はできているよ、寒笑ごときの密告によらずとも、われわれの首を覘うとなればいくらも材料はあるんだ、可哀そうに死ぬほど蒼くなっているじゃないか、寒竹先生、もういいからいけいけ」 「へえ……どうも、どうも」  寒笑は罠《わな》を脱した狐のように逃げだそうとした。大助が呼びとめた。 「おい、大河さまにお礼を申上げないか、おまえ首がないところだったんだぜ」 「へえ……どうも、大河の旦那」  寒笑は口が利けなかった。まるで消えるようにとびだしてゆくかれを見送って、一座の人々は憎めない奴だと笑いだした。 「そこで校川氏のことはできるだけ帰藩するように計るとして」と松崎平馬が話を戻した、もうまったく寒笑のことなどは念頭にないのである、「太橋さんの木曽駒を買う件はどうするか」 「買付けるつもりです」大助ははっきり答えた、「実は太橋の店もいろいろ手詰りになってゆきそうですから、今のうちにできるだけのことはして置かなくてはなりません」 「太橋の店が手詰りだって」 「以前のようにはまいらなくなりました、こんなことは申上げたくないのですが、商法ほど時勢を反映するものはございません、なにしろ肝心の父やわたくし共がまるで商売を投げやりにしています、手代まかせでやっていれば、いつかはゆき詰るのが当然ですから」 「まったく、高松も江戸も、われわれはなにもかも太橋さんだったからな」 「もちろん、そう云っても眼の前に迫ったことではございません、まだ二年や三年はもちこたえられると思いますが、穴の明かないうちに大口の始末はつけて置きませんと」 「木曽へは大さんがいってくれるかね」 「まだきめてはおりません、そうなるかも知れないとは思いますが、これはまかせて頂きます」  それでだいたい話は終ったので、あらためて酒肴を運ばせ、くつろいで暫く飲み食いしてから、五人は一人ずつ帰っていった。……それをすっかり送りだしてから、大助はまだ騒ぎの続いている運座の客たちの部屋を覗いた。飲んだり唄ったりしている人々の蔭のほうに、寒笑がひどく深刻な顔をして坐っていた。大助はちらと見たきりで、杉田|諦貫《ていかん》という宗匠のそばへ坐り、まわりの客たちに二、三酌をすると、梅八に「たのむよ」というめくばせをして置いて奥へはいった。 「たいへんな騒ぎでさぞ驚いたでしょう」  藤尾はひとり行燈のそばへ文机を寄せて、なにかこまごまと書いていたが、大助がはいって来るのをみるとすぐに机を押しやった。 「お使いだてをしますが、熱い茶をいっぱい淹れて下さい」 「はい」 「あっと、火があるかな」 「はい、ついたばかりでございますから」  藤尾は立って湯沸しを火にかけた。燗の湯を使うかと思ったが、いかに武家育ちでもそんなことはない、手まめに茶の支度をする姿を、大助は眼尻に見ながらふと心が暗くなるのを覚えた。――この娘のゆくすえをどうするか。  四五日まえ、かれは江戸の店をやっている兄の助次郎にうちあけられて、太橋の財政が思いのほか手詰ってきたことを知った。太橋家は高松でも江戸でも、勤王攘夷の志士たちにできる限りの援助をしていた。……商人としてこの大切な時勢のお役にたつことができれば本望だ、金で足りることなら太橋の家の土台石まで捧げるつもりになれ、父の市三郎からそういう意気ごみだった。だからむしろ今まで身上にゆるぎのみえなかったのがふしぎなくらいである。……大助もうすうす感づかないではなかった。高松の父も江戸の兄も、なに大丈夫だ、心配するなと云ってはいたが、どこかしら少しずつ店のようすの違ってゆくのが眼についた。しかしかれはまったく商売のことは知らなかった。幼少の頃から店とは没交渉で、剣を習い学問をした。儒学は江戸の昌平黌《しょうへいこう》で古賀|同庵《どうあん》につき、蘭学は讃岐で伊藤宗介に手ほどきをうけた。かれは父と兄とから、新しい時代に太橋の家を生かす人間、という望みをかけられていたのである。  ――おまえは店のことは考えなくてもよい、自分の信じた道を誤らずにやってゆけ、あとはおれたちがひきうけた。  父からも兄からもそう云われて、そのとおり今日までやって来たのである。太橋の財政が手詰りかかったと聞いたとき、大助はさして驚きもしなかったが、それではぐずぐずしてはいられないぞ、という気持になったのだ。――ほかのことはまあいい、この娘のゆくすえだけは安穏にしてやりたい、それも早くしないと。この数日しきりにそのことを考えていたのである。娘にとってもっとも安穏なおちつき方は結婚だ。しかし藤尾の場合には、その身の上が決定的に結婚の邪魔となる。兄を喪《うしな》った傷心もまだ癒《い》えまい。しかも吉田藩から兄妹をつけて来た討手が、どこに隠れてねらっているかも知れないのである。――こればかりは梅八に相談してもしかたがないし。近いうち木曽へ出立するつもりでいる大助には、それがなにより懸念の種なのであった。 「お熱すぎましたでしょうか」  間もなく藤尾が茶をいれて来た。大助はうまそうに舌を鳴らせてすすった。 「結構です、酒で喉がやけているものですから……何を書いていらしったんです」 「はあ、あの……」 「こまかい書きものをなさるときは、もっと灯を明るくなさらないといけませんね、なにか写しものですか」 「いいえ、心覚えの日誌を」  ああそうかと大助は眼で頷《うなず》いた。兄と共に吉田を脱藩して来てからの、幾十日の風雪の日々を書きとめていたに違いない。どんな気持で筆をはこんでいたことだろう。……憂いある眉のあたり、いくらか肉づいてはきたが、心労の影の濃い頬、俯向《うつむ》いている藤尾の顔を見まもりながら、かれはまた胸が暗くなるのを感じた。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  明くる日の午食を済ませてから、大助は石町の店へでかけていった。 「早水という客が来るかも知れない、来たら風呂へいれて大切にお相手をしていて呉れ」  出がけに大助はそう云い残していった。秀之進の手紙に近々江戸へ帰ると書いてあったからである。 「はい、いっていらっしゃいまし」  大助を送りだして梅八が部屋へ戻るとほどなく、矢の倉の「舟伊」という料亭から座敷が掛ってきた。梅八はもうひいているからだで、ごくなじみの客でもあれば気散じに出るし、それもこちらの気の向きしだいということにきめていたが、それでも月に十四五回は欠かせぬ義理があったのである。 「お客さまはどなた」 「笛のお武家さまです」  迎えの男がそう答えた。笛の武家と聞いて、梅八はちょっと心うごくようすだった。それは半月ほどまえから知り合った客にすぎないが、もう五たびも呼ばれているし、なかなか座敷に魅力があったのである。  今日はこっちにも客がある筈だから、夕方もういちどかけてみて呉れ、梅八はそういって料亭の迎えを帰した。……然し日が暮れても大助の云い置いていった客は来なかった。それで灯を入れるとすぐ、また迎えがあったので、梅八はいつもそうするとおり、寒笑のうちの婆さんに留守をたのんで、舟伊へでかけた。  その客はほかに誰もよばず、河の見える四帖半でひとりしずかに盃を嘗《な》めていた。年は五十二三とみえるが、或いはもっと上かも知れない。色の黒い、中肉の緊った顔つきで、切っそいだような輪郭の正しい頬と、おっとりしていながら底光りを湛えた双眸《そうぼう》に、どこやら人を圧するものが感じられる。……はじめての席には土地の老妓が二人いた。絃も唄もないしずかな座敷で、そのうちに客が横笛をとりだして一曲しずかに奏した。短いものだったが、まるで耳馴れない、秋の深夜に空高くわたる風を聞くような曲だった。  ――なんという曲ですか。  そう訊いたが、客は笑って、  ――古い無粋《ぶすい》なものだ。  と答えるだけだった。あとをせがんでも二度とは手にしなかった。三度めには梅八ひとりがよばれた。そのときも笛を聞いた。そのときには、かつて聞いたことのある春日流の「松風」という曲だと思えたが、梅八はなにも云わなかったし、客も一曲しずかに吹くと、あとは忘れたように笛をおいてしまった。そのとき梅八はその客をお能師かなにかであろうと思った。 「お待たせ申しました」 「ああ」客ははいって来た梅八におっとりと笑ってみせ、此処へ来いというように窓際をさした、梅八は云われるままにそこへ坐った、「また降りそうだな」 「秋のようでございますね」 「世の中がはげしくなると気候まで変るようだ」  酌をしながらふと見ると、客の膝の向うに硯箱《すずりばこ》や短冊《たんざく》などが並べてあり、待っているあいだの手すさびであろう、なにやら書きつけたものが四五枚みえた。読んでみたかったが、客は梅八が眼をつけたと気づくなり、さりげなく取ってみなひき裂いてしまった。 「どうしてお捨てなさいます」梅八は口惜しそうに云った、「なにもかもお隠しなさるばかりですね」 「隠すとは」 「御身分までうかがおうとは思いませんけれど、お名前も知れず、御風懐も見せては下さらないじゃあございませんか」  客はしずかに笑った。そしてそのことには答えずに、舟をいいつけてあるが向島へいってみる気はないかと云いだした。 「お供を致しましょう」  梅八は快く承知した。  客とそと出をすることなどはこの数年まるでなかった。古い義理のある客に誘われても、たいていは断わってきた。自分の生きていた時代が去ってしまい、もはやそういう表立った遊楽は自分の出る幕ではない、そう信じていたからである。……けれども今、このなに者とも知れぬ笛の客だけには、どこへでもいっしょに付き合っていい気持になれた。それはその客のなかに、自分とおなじ雰囲気があり、自分とおなじ時代の生活感情が感じられるからかも知れない。黙っているときでさえ、その心に去来する想いがどのようなものであるか、梅八には察しがついた。客がどんな身分で、どんな過去をあゆんで来た人か知らないが、ぜんたいからにじみ出る感じは自分とおなじ「時代に置き去られた」という寂しさである。新しい時勢の動きを前に、茫然とおのれをふりかえっている寂しい孤独感だった。  ――この人には自分の気持がわかって貰える、口に出さずとも、そぶりに表わさなくとも、この人だけには自分の寂しさがわかって貰える筈だ。  梅八はそう信じ、さらに客もまた自分に対して、おなじ信じ方をしていると思った。「お支度ができました」女中が知らせて来たので、笛の客と梅八とは立ちあがった。  印のある提灯《ちょうちん》で桟橋まで送られた二人は、待っていた猪牙舟《ちょきぶね》に乗って河岸をはなれた。季節からいえば、もう隅田川は涼み舟で賑わうじぶんなのに、雨催いといい、肌寒いほどの陽気なので、それらしい舟は一|艘《そう》もみえず、河岸の家々の燈火も、どうかすると本当に秋のような思いをそそった。 「どちらへ着けます」  舟足がきまって、若い船頭がそう訊いた。 「梅隠亭へ着けてくれ」 「と、……木母寺《もくぼじ》のしもでしたか」 「牧野備前の上だ」 「ああそうですか、近頃できた家でしたね」  舟は、まっすぐに川をのぼった。そのうしろから、およそ三十間ほどの距離をおいて、灯をつけない一艘の猪牙舟が追っていた。それは笛の客と梅八の舟が出ると間もなく、近くの舟宿から漕《こ》ぎだしたもので、あきらかにこっちのあとを追っているらしく、なかには三人の武士が乗っていた。もちろんこちらは気がつかなかった。吾妻橋《あづまばし》をぬけ小梅を右にみて、三囲《みめぐり》の少し上までのぼると、笛の客が桟橋を教えて、舟は着いた。 「お待ち申しますか」 「うん」  船頭は舟を繋いで案内に立った。堤を向うへおりると印行燈のついた柴折戸がある。声をかけると女中が二人、植込をぬけて走って来た。「梅隠亭」という提灯の字がはっきりと梅八の眼にうつった。……そのとき川では、追って来た舟が、その桟橋の少し下へ着き、三人の武士たちがひそかに土堤へあがっていった。  その付近は諸侯の別荘とか、富豪の隠居所などが多く、その間あいだにある料亭も、市中のものとは違って風流閑雅を主としていたから、夜などはきわめて静かだったし、ふとしては聞える絃歌《げんか》の類もみがきのかかったものが多かった。  建ってまだ間もないとみえるが、その家は造りも瀟洒《しょうしゃ》に凝っていたし、わざとつくろわぬさまをみせた野庭の風情も平凡ではなかった。二人は萩の茂った小径を、踏石づたいにいって、別棟になっている茶室風の離屋へ案内された。梅八は口にはなにも云わなかったが、家の好みのよさと、あたりのふぜいと、そしていかにもぴったりと心の通じあう客と、こうして人眼を忍ぶような離屋におちついたことが、やるせないほどもしみじみとした感じを誘い、ついに味わうことのなかった、青春の日がかえって来たかのような気持にさえなった。 「静かないい家でございますね」 「たべものもなかなか悪くない」  田舎家を思わせるような古雅な行燈をあいだにして坐ると、客は脇差をとって置き、衿をくつろげて大きく息をついた。濡れ縁に置いてある蚊遣りの煙が、薄《すすき》と萩の茂っている庭のほうへと、絶えずゆるやかになびいていた。  まるで拵えたような、これらの条件が、梅八の心を女らしい感情にひきいれてしまった。そしてそれ以上に巧みな相手の誘いを、そうと気づくこともできず、今こそあらいざらい聞いて貰えるという気持で、梅八はいつか身の上ばなしを始めていた。そのあいだに運ばれて来た洗い鯉《ごい》や、江戸には珍しい胡桃豆腐《くるみとうふ》や、焼鮒《やきふな》や、鳥の酒|煎《い》りなと、多くはつまに凝った皿の数も、ほとんど心にとめるいとまのないほど、梅八はおのれの話に溺れていた。 「ではいまはその太橋という者の世話になっておるのだな」  客はしずかに盃を嘗《な》めながら、ときどきさりげない質問をした。 「ええ、讃岐のものもちの若旦那で昌平坂の御学問所へもいらしった学問のある方なんです、気性のさっぱりした、若い人には珍しいほど人情の厚い方ですよ」 「いちど会ってみたいものだ」 「きっとお話が合うと思います」 「どうだろう」客は興を唆られたというように、「二三日うちに三人で会う手順をつけてくれるか」 「さあそれは、……なんでも木曽から大阪のお店へまわる用があるとかで二三日うちに出立なさるということでしたから」 「木曽から大阪の店へ……」 「帰っていらしってからなら、きっとお会わせ申しますけれど」 「それは急ぎの用なのか」 「ええよくは知りませんが……」  梅八が言葉をつづけようとしたとき、庭さきの萩の茂みを踏みちらして、とつぜん三人の武士がとびだして来た。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  客のあっ[#「あっ」に傍点]という声で、梅八がふりかえるより早く、萩の茂みからとびだした三人の武士はものも云わずに踏みこんで来た。……水戸の藩士、武田魁介、金沢次郎太夫、山田鉄二郎らであった。 「なにをなさいます」  ふいを衝かれながらも、梅八はとっさにそう叫んで三人の前へ立ち塞がった。その隙に客は座を蹴《け》って立った。しかし梅八を突きのけて跳《おど》りこんだ武田魁介が、逃げようとする客の肩をがっしとつかんだ。 「動くな、結城寅寿、逃げられはせんぞ」 「……ぶれいな」 「なにをぬかす、坐れ」  魁介は強引に相手をそこへひき据えた。梅八は二人に両の手を掴まれながら、「あなたがたはなんです、それでもお侍ですか、人を呼びますよ」とひっしに掴まれた手をふり放そうとした、魁介は大きな眼をむきだしてどなった。 「騒ぐな、人を呼ぶのはおれたちは構わぬ、しかしこの男がそれは困る筈だ」 「なんですって」 「騒ぐなというんだ、おまえはなにも知るまいが、さっきからこの男のさそいに乗って、云ってはならぬ事をだいぶ口にしているぞ」  梅八はなにを云われたのかわからなかった。魁介はしかしそんなことはどっちでもいいというようにひき据えた相手の前へどかっと坐って、「大峰庄蔵と矢田部源七郎の居どころを聞こう」平手打ちをくわせるような調子で云った。客……すなわち結城寅寿は顔を土色にしたまま、黙って俯向いていた。梅八はその顔をじっとみつめながら、「これはへた[#「へた」に傍点]に騒いではならない」と気づき、しかしそれはなんだろう、どうしてこの客は、この三人の無法の前に頭を垂れなければならぬのか、そういう疑問がつよく胸へひろがってきた。 「今夜こそ聞かずにはおらん」魁介は決意を籠めて叫んだ、「二人はどこにいるか……断わっておくがごまかしてはいかんぞ、われわれは今日まであらゆる手を尽している、結城寅寿という人物のやり方も心得ているんだ、そして、今夜この機会をつかむのにはそれだけの心をきめているんだ、云って貰おう、大峰と矢田部はどこにいるか」  寅寿は俯向いたまま、呟《つぶや》くような低い声で答えた。 「高松藩邸におる……」 「たしかに」 「そして、近く讃岐へまいる」  意志力を喪った者のように、寅寿の言葉はのろのろとした不鮮明なものだった。魁介はその不鮮明さのなかに、窮地に逐《お》い込まれた寅寿がおのれの危険の代償として真実を告白したことを読んだ。かれは二人のつれにふりかえった。二人も頷いた。 「よし!」魁介は膝を打って立った、「本来なら此処で首を貰うところなんだ、ひと月まえならそうしていたろう、だが今はもうその必要もない、おれが手を出さずとも結城寅寿の命数はきまっている、……鈴木国老や高松侯になにやら哀訴しているそうだが、溺れる者の藁《わら》にすぎぬ、此処でおれが斬らぬことで、自分が今どういう位置にいるかを考えるがいい、大峰と矢田部は貰ったぞ」  梅八はそのあいだずっと寅寿の表情から眼をはなさずにいたが、三人が立ち去ろうとするのをみて、お待ち下さいと呼びとめた。 「いまお武家さまは、わたくしがこの方の口にさそわれて、云ってはならぬことを申したと仰しゃいました」 「云ったよ」 「それはどういう意味でございますか、云ってならぬこととはなんでございます、それを聞かせて下さいまし」  魁介はじろっと梅八を見あげ見おろした。そしてふんと鼻を鳴らし、まるで腹でも立っているように、「自分のことだ、よく考えてみろ」そう云ったまま、二人を促してさっさと庭へおりていった。  梅八は投げだされたように坐り、なんとも云いようのない哀《かな》しさにうたれながら、寅寿の顔をみまもりつづけた。そこになにか答えが出て来はしないかというように、……寅寿は黙っていた。俯向いた眉のあたり肩つき、すべてがはげしく緊めつけられるような苦悶に満ちていた。かの女はなにも知らない。結城寅寿という名もはじめて聞く。いま眼の前に見た出来事が、どのような事実を語るものなのかわからない。ただそこに悄然《しょうぜん》とうなだれている客の、いかにもうちしおれた姿がたまらなかった。 「笛を聞かせて頂けませんか」  梅八はしずかにそう云った。……この客とも、おそらくは今宵かぎりに、ちがいない。そう思いながら。寅寿はやはり意志を喪った者のように、黙って笛を袋からとりだした。大峰と矢田部の居どころを教えたときのように、まるで糸に操られる木偶《でく》のような、のろのろとした態度だった。……そして、歌口をしめして吹きはじめた。寅寿が意志力を喪った者のようにみえるのは、しかしただ表面だけのことにすぎない、かれは股肱《ここう》の士二人を敵に売った。それが敗北であることはたしかだが、それで旗を巻くかれではなかった。あらゆる力を喪失したようにみえながら、その眉の裏ではやくも窮境打開の策を案じていた。すなわち、股肱の士を敵に売ったこと、そのことを反転しておのれの運命の挽回の資にしようというのである。そしていま笛を吹きながら、かれの胸裡にはすでに、その緒口《いとぐち》がひらけかかってさえいた。  武田魁介が指摘したように、寅寿の位置が危険に瀕《ひん》しているのは事実だが、真因がどうあろうと、ひとたび斉昭を隠居させるところまで実権をにぎったかれは、斉昭の復活と同時に、その実権の骨を失ったことは否定できない。それでも復活した斉昭がそのまま隠退の地位にいる限り、かれもまた表面からは隠れながら、まだおのれの勢力を操ることができる。しかし幕府の情勢はしだいに変って来つつある。斉昭をあげて政治に参与せしめる気運は、もはや避けがたいことのようにみえていた。それが実現される時は、とりもなおさず寅寿の完全に亡びる時なのだ。  水戸家の千年をのみ固執する寅寿の肚《はら》と、水戸家を抛《なげう》っても王政復古の大なる策運をうちたてようとする斉昭、ならびにその腹心の士とは、そのまま封建と維新との対立であった。寅寿は奸臣と呼ばれながら、なお水戸家のために身命を捨てる決意に欠けてはいない。かれはいま国老鈴木|石見守《いわみのかみ》を動かし、また滝川内膳と握って、高松藩の力を自分の薬籠《やくろう》中のものにしようとしている。そのためには、梅八をここまで狎《な》れさせる手数をも厭《いと》わなかった。梅八のことは、竹亭寒笑を手先に使おうとした滝川内膳の示唆《しさ》による。そしてかれはほぼその目的とするところを握り当てたようだ。すべてはお家のためだ。事情はこういう手段をとらざるを得ぬところまで来ているのだ。  かれははじめからそう思っていたのである。短い曲をひとつ吹き終ると、寅寿はしずかに立って支度を直した。 「お帰りなさいますか」梅八はじっと客を見あげた、相手はそれを受けてにっと微笑した、「もうお眼にはかかれませんね」  そう云うと、寅寿は黙って頷いたが、ふと手にした笛を袋のままさしだした。 「餞別《せんべつ》に遣わそう」「……」梅八は躊躇《ちゅうちょ》せず、つつましく両手で受け取った、寅寿はやはり低い声で、「鈴虫という銘だ」とそう云った。  女中たちの提灯に送られて、来たときの萩と薄の小径を通って出た。云いたいことが胸いっぱいにあったけれど、客の寂しげな沈黙に圧されて、梅八はついになにごとも云えなかった。  客は吾妻橋であがり、梅八はそのまま舟伊の桟橋まで舟で帰った。四五たびしか会わぬ客、そしてもう会う折はないと思える客、考えてみるとそれは夢のようにもはかないものだった。殊に今宵の出来事は、それを一層なにか物語めいた感じにして、いかにもつよい印象を梅八の心に刻みつけたのである。――そうだ、このままのほうがよい、お住居も御身分も知れず、お名さえもしかとは知らないままに、笛を餞別にくだすったきり二度とお眼にもかかれない、これでよかった。近づいて来る舟伊の桟橋の灯をみまもりながら、梅八は若やいだ感傷さえ覚えながらじっと笛をかき抱いていた。 [#3字下げ]再会[#「再会」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  秀之進が江戸へ戻ったのは六月七日のことだった。かれは皀莢《さいかち》小路の家へはゆかず、馬喰《ばくろ》町の宿屋へ草鞋《わらじ》をぬぎ、そこから大助に手紙を持たせてやった。風呂を浴びて、夕食の箸《はし》を手にしたところへ大助は来た。 「やあ、お帰りなさい」かれは元気にはいって来るなり食膳の脇に坐ってばたばたと団扇をつかった、また暑さの戻ってきた日だった、「どうしてこんな宿へ泊ったんです、わたしの住居はすぐ向うなのに、皀莢小路と訊けばわかると書いてあげたでしょう、水戸からの手紙で四五日まえから部屋をあけて待っていたのに、わざわざ宿をとるなんて、それもこんなひどい宿屋を選ぶ必要があったんですか」  秀之進ははじめに、やあと云ったきりで、黙々と自分で給仕しながら箸をはこんでいた。旅の日焼けもせずに、顔色はやはり白く沈んでいたし、頬から顎にかけていくらか痩《や》せがみえたけれど、ぜんたいにどこかしらひどく印象の違ったところが感じられる。大助はそれに気づいておやと思った。 「早水さん、あなた痩せましたね」  そう云いながらよく見直したが、印象の違ったのはそのためとは思えなかった。いってみれば以前よりはすべてがはっきりとしてきた感じである。まえには美男という感じがまず眼についた。しかしとらえどころのない軽侮の表情や、かたく心の蓋を閉じて韜晦《とうかい》するさまが、なんともいえぬ虚無感を人に与えたものである。それが今日はなかった。眉もはっきりと力をもち、眸子もよく光りを湛えている。まえには韜晦していたものが、今日まぎれもなく前へのしだして来ている。――そうだ、たしかにそこが変ったんだ。大助はむしろ驚きをもって秀之進を見まもった。 「先日お国許から松崎さんが出府して来ましたよ、それで心配していたんだが、例の刺客はどうしました、十日ばかりまえにお屋敷へ戻ったそうだが、結局会わずに済んだわけですが、松崎さんはあなたなら大丈夫、たいていの者に討たれる気遣いはないと云っていたが」 「松崎はなんのために、出府して来たんだ」  秀之進は箸を措《お》いた。 「ようやくお言葉がさがったわけですな」大助は団扇を止めて、「こんど讃岐守さまのお国入りに当って、左近さまから旅中の御持薬の贈り物があったんです、その使者に選まれておいでなすったんですが、おもな用向きはこちらの情勢をみるためでしょう」 「もう帰ったのか」 「まだいらっしゃる筈ですが、それについて少し困ったことが出来ましてね、……しかし話をするには此処は暑すぎる、どうですか、済んだのなら、わたしの家へいきませんか」 「夏はどこでもあついよ」 「なるほど」大助は大きく頷いた、「北風が吹くと寒いですからね」 「…………」 「実は校川さんが非常に事を急ぎだした」大助は坐り直して云った、「先日みえて木曽駒の買付けと、大阪の倉にはいっている銅鉄の積み出しを申付けられたんだ、幕府が水府老公の起用に傾いているのと、一般の情勢が滞頓しはじめたのに業をにやされたらしい」 「そんなことをずばずば大助に云ったのか」 「だってそれが、わたしの役だもの、但し校川さんには死んで貰いたくない、これは江戸藩邸の方々も同意だし、亀阜荘さまにもそう思召されることだと思う、そこでこんどの御帰国を幸い、校川さんに高松へいって貰うように手配をしたんだ」  秀之進は終った食膳を押しやり、黙って窓のほうへ眼をやった。 「たぶんそれはうまくゆくと思うが、問題はそのあとのことだ、実は校川さんが急ぐまでもなく、ことを決行しようという気運はだいぶ動きだしている、松崎さんの話によると高松のようすも僅かなあいだに変ったらしい、江戸藩邸でもかなり燃えたって来た、つまりじっとしていられなくなったんだ、校川さんは、『一拳を空に挙げる』と云われたが、なにかをせずにいられなくなって来たんだ」 「なにをしようと云うんだ?」 「校川さんの案では彦根城を乗っ取ることだった、わたしも狙うなら彦根だと思う、それには木曽の駒場にもう手金がうってあるし、銃砲の鋳工所も校川さんの手で尾州領にみつけてあるという、例の大和の伴林どのとの連絡にも都合がよい、すべてが彦根ならではといいたいくらいだ」 「伴林どのも動くというのかね」 「吉野の千本槍をいつでも提げて出るという」  伴林高斎[#1段階小さな文字](光平)[#小さな文字終わり]はのちに十津川の挙兵に参画し、敗戦して刑殺された。摂津に生れ僧籍にあったが、還俗《げんぞく》して大和|斑鳩《いかるが》に住み、国学を論じ勤王論を唱えて、気をはいていた。 「それでわたしは木曽へゆくんだが、木曽から大阪の店へまわって尾州領の鋳工所というのを見て、大和のようすをもういちどたしかめて来るつもりだ」 「誰が采配《さいはい》をとるんだ」  大助はびっくりしたように眼をあげた。 「誰って……ほかにありますか」  秀之進はふと眼をつむった。そしてしばらくなにか思いめぐらしているようすだったが、やがて眼をつむったまま云った。 「それはだめだろうな」 「どうして……」 「いま大さんは、松崎の話に高松のようすも僅かなあいだに変ったと云ったろう、その意味は単純じゃないぞ」 「どう単純じゃないんだ」 「たしかに、亀阜荘さまは義軍の采配をとると仰しゃった、そのお覚悟もあるようだ、けれどもし実際に事を決行するとなると、そこにはいろいろと障碍がでてくる、どういう障碍がということを数える必要はない、それが避くべからざる事実だということは、高松の気運が亀阜荘さまと別に動きだしたことでわかる筈だ、そこに考えなければならぬ点がある」秀之進はしずかに眼をみひらいた、「おれは水戸へゆき、藤田先生に会った、亀阜荘さまから仰せ付けられた使いの役目は果すことができなかったが、それよりも貴重な多くのことを学んで来た、大さん、われわれは考え直さなくてはならんのだ」  秀之進がこのように正面からものを云うのは初めてである。印象が迸《ほとばし》ると思った直感は誤ってはいなかった。大助は非常な興味をもって秀之進の言葉に聞きいった。 「われわれはこれまで封建的政治を打倒して、王政復古へもってゆこうとした、動きつつある天下の気運を糾合して、倒幕の義旗を挙げようと計った、おれが亀阜荘さまの仰せ付けで水戸へいったのも、両家の和解と提携とが目的だ、これらのことは、それなりにまた無意味ではない、慷慨の士が諸国に遊説し、諸藩の勢いを勤王に向けようとするのも、それはそれとして意義のあることだ、しかし……われわれはもうひとつ眼をひらかなくてはならぬ、と云うのは、仮に幕府が大政を奉還することを考えてみたまえ」 「……なんだって」 「仮にだ、仮にそう考えたとき、どんな状態が起こると思う」秀之進の面へ血がのぼった、「もし大政を奉還するとすれば、幕府の伝統は変ったかたちで遺ると思わないか、水戸学の真髄がどうであるかはよく知らない、しかし義公以来の尊王至上論は隠れもない事実だ、ただ惧《おそ》れるのはそれが絶対論でないところにある、そしてそれは水戸に限らず、現在諸藩のありさまが大概そうだ、機運が動きつつあるというのは、この比例の変化をさしているにすぎない、だから、この差が拡大してゆけば、幕府が大政奉還に向うことは全くあり得ないことではないと思う、そしてそれが実現した暁には政治のかたちが変るだけで、伝統の封建的観念は死なずに遺るだろう、なぜかなら、徳川氏の存在はかえって動かぬものとなるだろうから」 「それはおかしいじゃないか、政治を奉還することは幕府の消滅だと思うが」 「だが征夷大将軍の位は政治と無関係に存在するよ、つまり大政は奉還するが兵馬の権は放さぬ、しかも大政を奉還することによって幕府は大義名分をたて、みずから朝廷守護の位置に任ずることもできるのだ」  もちろんこれは仮定だよ、そう云って秀之進はじっと大助の顔をみつめた。 「たしかに……」大助はかなりの驚きを以て頷いた、「たしかにそれは有り得ないことじゃあない、そしてそれは藤田先生が仰しゃったのかね」 「そうではない、竹隈で聞いた色いろの説を総合し、また幕府が水戸老公を帷幄《いあく》へ迎えようとする事実を考えると、そういう懸念が強く感じられるんだ、そして、ここから推考すると、そうした懸念は幕府ひとりでなく、現に動きだしつつある諸藩に就いても云えることだ、単刀直入に云うと、表に王政復古を唱えて、実質的には幕府に取って代ろうとする野望、こいつだ」 「それもわからなくはないが、……然しそういう風に足踏みをし始めたらなんにも出来なくなりはしないかね」 「押っ付け仕事や仮面を衣《き》た王政復古なら寧《むし》ろ無きにしかずだよ」秀之進はちょっと眼をつむった、「……こんどの維新をよく建武中興に比較する者がある、然しそれとこれとはまったく違うんだ、過去にあった革命維新の類は国内問題に過ぎない、源氏が平氏に代り、政権が朝廷と武家とに相交替しただけで、国家とか国民ぜんたいの運命には無関係だった、けれども我われがいま直面している問題は、国家と国民ぜんたいの興亡に関するんだ、極めて強大な、然も端倪《たんげい》し難いほど複雑な意図をもって、西欧諸国の触手が我われを囲繞《いにょう》している、まかり違えば、この国土も国民もいずれかの国に隷属する結果となるだろう、……いいか大さん、根本的に考え直すというのはここなんだ、政権が朝廷に奉還されることは重大に違いないが、それは国民ぜんたいが国家意識を以て責任を分担し合う上に立たなければならない、これが先決問題だ、単なる政権の交替ではこの解決はつかないんだ、そう思わないか」 「どうも現実から離れるような気がするなあ、意味はよくわかるが、例えば、……国民ぜんたいの国家意識ということにしても、それを闡明《せんめい》普及する方法があるかな」 「もちろん容易なことじゃあない、国史|創《はじ》まって以来の大変革なんだから困難なことはわかりきっている、然し、幕府が大政奉還に隠れて兵馬の実権を保とうとするとか、諸藩が王政復古を名として覇権の座に直ろうとするとか、詰り変貌して遺らんとする封建制の打破があるじゃないか、……苦しいよ」秀之進はそこでもういちど眼をつむった、「困難だし苦しい、だがこの根底の上に立たぬ限り、変革は成っても政権の交替に終ってしまう、これは観念論と云われるかも知れないが、観念の根底がたしかでなく、拙速にかたちだけ造ってもなんにもならない、寧ろ害が遺るということを考えなくてはいけないんだ」  困難であり苦しい、そう云いながら彼は東湖の或る表情を思いだしていた。――あれも庶子だよ、こう云って小四郎を見やったときの、呵責《かしゃく》される人のような表情を。……彼の印象では東湖は一種の詩人という感じであった。時勢を観る眼も、その認識も、政治の冷静な批判精神に立つというより、詩人的な直感と情熱に拠るというところがみえる。従ってその言動は青年たちに多くの共鳴と同感を与えるのだろうが、秀之進にはもの足らぬ気持が強かった。彼も東湖の言葉からは少なからず得るもの[#「もの」に傍点]を得ていながら、東湖の直感から生れる言葉の豊富さに反感をさえ覚えたのである。封建制の崩壊に就いて、攘夷論の効用に就いて、王政復古の真のありかたに就いて、……明快に、あまりに明快に割切っているところが、どうにもそのままでは首肯できない。――この人は信念と無関係なところで言葉を楽しんでいる。そんな気持さえしたくらいであった。然し、「あれも庶子だよ」と云った瞬間、秀之進は初めて東湖という人の本音を聞いたと思った。  人間的な苦悩を深く躰験しなくては、真実のいかなるものかを理解することはできない、秀之進はこう信じていた。その時代の風潮としては、側女《そばめ》とか庶子などに道徳的な責任を感じなくても異例ではなかった、客観的にみれば余りに多く有触れたことであった。然し受け身な立場にある者は、風潮に託して恬然《てんぜん》としている訳にはいかない、自分が正当な結婚に依らずして生れたという自覚には、時代と身分の如何《いかん》に拘らず絶望感が伴う、ものごとを正面から見るまえに、裏側を考えるという性癖がつく。……秀之進の性格の柱となっているものがそれである、自分の出生を支配したものが不徳義であったと知ってから、彼は世の中にも人間にも絶望と嘲笑《ちょうしょう》だけしか感じられなくなった。みんな道化芝居だ、そういう軽侮の心が彼の観念を占めていた。けれどもこんど水戸に使いするに当って初めて父と会い、深夜の廊下で「ゆるせ」という父の囁《ささや》きを聞いたとき、また竹隈で東湖の小四郎に対する自責の深さを見たとき、彼は自分の絶望や苦悩が一方的なものでなかったということを知ったのである。  秀之進にとってこの事実は軽くない意味をもった。観念や理想をかたちづくるものは常に第一義では有り得ない。個人の環境と生活、瑣末《さまつ》な家常茶飯のあり方にその根がある。彼は二人の父が人間的に苦しんでいる事実を知ったところから、はじめて「生きるちから」を感じた。生きようというちからを、……彼はもはや時代の激しい動きの外に坐ってはいられなくなった。そしてこれまでに接した志士や慷慨《こうがい》家たちの言説や、竹隈で東湖から聞き得たことのなかから、彼は彼としての方向を掴んだのである。 「宜《よろ》しい、その点は異議なしとしよう」大助は半ば驚きながら頷いた、「詩吟の感傷に駆られて大事を弄《もてあそ》ぶ傾向、こいつを敲《たた》き直すためにも、そういう根本論は大切だと思う、然しそれでは当面の彦根問題はどうかね、これはもう制止する訳にいかないと思うんだが」 「制止しろとは云わないよ、いま話した点が明確にされる限りやることは賛成だ、どうせ成敗は問題じゃあないのだろう」 「やる以上は成功させたいがね、然し」こう云いかけたが、大助はふと眼をあげて話題を変えた、「……そうすると早水さんはこのまま高松へ帰りますか」 「まだそれは考えていないが、とにかくいちど藩邸へいってみたいと思う」  父に会いたい、水戸を立って来るときからそれが胸にあった、こんど会えばきっと「父」に触れることができる、あのときは父との会い方によって自分の今後の生き方が変ると思った、しかしそれは誤りだった、自分があのままの自分である限り、「会い方」に依って変るわけはない、人間の心は絶えず惹《ひ》き合うが、同時に反撥もし合う、こちらの考えが純粋でなければ、相手が応じてこないこともわかりきっている。……だが今は秀之進は父に会える、今の秀之進なら、父もじかに「父」の心をみせて呉れるにちがいない、かれはそう信じているのだ。 「それは幸いです、実は明日わたしも御屋敷へまいる用があるのです、よかったらご一緒にまいりましょう」  大助はそう云って再び団扇《うちわ》を取った。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  明くる日、藩邸の校川を訪ねた。そしてもう馴染の狭い客間へ通されると、こんどは待たせずに宗兵衛が来た。  然し秀之進の期待は満たされなかった。宗兵衛の態度はあのときと変りがなく、こちらを見るまなざしにも、肩を張った身構えにも、近寄ることを許さない冷たさがあった。それは秀之進に限って示されるものではないだろう。多忙であり緊張した日常が、そういう姿勢を支えているのに違いない。それがわからない訳ではないけれども、こんどこそ直《じか》に「父」と対面できると思っていた秀之進にとっては、少なからぬ失望だった。 「水戸のようすを見たか」宗兵衛はこちらの挨拶を聞きながしにしてこう云った、「藤田先生にはお眼にかかれたか」 「お眼にかかりました、数日、宿をとりまして、色いろお教えを受けました」 「水戸にはこの時代の原動力があると世間でよく云われる、老公と藤田氏と結びついたところには、たしかにそれがある、己《おれ》は老公にもお眼通りしたし藤田氏とはかなり親しい往来があった、だから世間の評が誤りでないことは知っているが、……おまえはどう考える」 「田舎そだちでございますから」秀之進は眼を伏せた、「私などは井の蛙《かわず》の知恵しかございませんが、世評とはかなり違ったものを勉強してまいりました」 「どういう点が違う……」 「ひと口に申上げれば、時代の原動力が水戸にあった時期は既に去っている、そういう感じです」 「井の蛙の管見か」 「そうかも知れません、けれども既に去っていると申しましたのは遠慮で、直截《ちょくさい》に云いますと過去のものにしなければならぬとさえ感じたのです」 「大胆な舌を叩くではないか」宗兵衛の眼が絞るように細くなった、「それは水戸を排せというように解釈されるが、そうなのか」 「私は竹隈で会沢氏の『新論』という著書を読みました、主旨はよくわかるし異存はないのですが、文章表現の点で困る部分が多いのをみつけたのです、日本を神州と謂《い》い、海外諸国を挙げて蛮夷《ばんい》であるとする態度、全篇を掩っているこうした理性を欠いた表現は人を誤ります、……藤田先生にはずいぶん多く教えられましたし、達人の見識として敬服したには違いありませんけれども、やっぱり会沢氏と共通する情熱の無算当な飛躍が……」 「ちょっと待て、情熱の無算当な飛躍というのはどんなことを指すのだ」 「理解の努力をせずして感情で事を決める態度とでも申しましょうか、例えばいま西欧諸国はどんな角度からみても蛮夷などという表現で片付けられるものではありません、彼等の有している文明は、神州|不壊《ふえ》などという妄信《もうしん》の敵ではないのです、それを理解しようとせずして、或いは之に眼をつむって、夷狄なんするものぞと高吟するような態度は、無算当と云ってもいいと思います」秀之進は極めて静かにこう云いながら父を見た、「……藤田先生の見識はたしかに通俗を超えておられますが、その根にはやっぱりそういう気風が運命的に残っている、これは啓蒙時代には役立ったでしょうが、今日以後は困ると思います」 「その論調は西洋畏怖ではないのか」 「事実を事実として観たいのです、筆や舌頭で無根底な誇示に酔っている時は去りました、我われは相手を正しく知り、おのれを掛値なしに見直さなければならない、そういう時期に来ていると信じます、痴人の白昼夢より、寧ろ臆病者の算盤《そろばん》のほうを、私は採ります」  宗兵衛は苦い顔をして脇のほうへ眼をやった。それは痛いところを刺止められた人の表情だった。宗兵衛は水戸学派に心酔し、殆んど傾倒していたといってもよい。然し斯学《しがく》の根底をなすものが偏狭であり、大義に執する余り矯激にわたる弊のあることを知っていた。然しそういう批判をもったのは彼の経験と年齢のゆえで、青年たちは例外なくそこに情熱の解放をみいだすものと信じていた。  ――こいつは己よりも遠いところへ眼をつけている、宗兵衛は心の中でそう呟いた。若い者のなかには己たちよりじじむさい考え方をするやつが出はじめた。然しこれらもやはりなにかの役には立つのだろう。 「使者の役目はどうなった」宗兵衛はこう話頭を変えた、「藤田先生は周旋して下すったか」 「先生は無用だと仰しゃいました」 「ふむ、……」云わぬことではない、宗兵衛はそう云いたげに唇を曲げたが、「それで、亀阜荘さまへはどう復命する積りなんだ」 「さし当っては徒労に終った旨をお伝え申し、私の思案は別に申上げようと存じます」 「すぐ帰国するか」 「太橋の大助が木曽へ商用にまわるそうで、幸いですから私も同行しようと思います」 「商用で木曽……」宗兵衛はちょっと眉をあげた、「大助はその意味も話したか」 「彼とは莫逆《ばくぎゃく》ですから」 「ふむ、……」宗兵衛は鼻を鳴らした、「それでは太橋とずっと行動を共にするんだな」 「いいえ、木曽から先はどうなるか未定です、私にはまたという折もありませんので、できるなら京のようすを見てまいりたいと思います、……それに就いてお願いがあるのですが」 「……なんだ」 「水戸での始終を亀阜荘さまへ御復命ねがいたいのです、このたびの御帰国に扈従《こじゅう》なさるように伝聞したものですから……」 「誰がさようなことを申した」  するどく問いかえされて秀之進ははっとした。太橋か松崎かと宗兵衛は詰問するように云った。そして返辞を聞くまでもなく、すべてを直感したらしい。 「そうか、かれらの策動か」と腹立たしげに云った。 「ですが、みんなは貴方に死んで頂きたくないのです、ここで貴方を喪っては、あとを継承する者がない、どうしても生きて頂かなくてはという気持なのです」 「今は生きる死ぬを問題にする時じゃない、誰かが、なにかを為さなければならん、それをおれがするだけだ」 「みんなが貴方に代って致します、みんなその覚悟をきめているようです」  宗兵衛はじっと秀之進の眼をみつめた。なにかをさぐりだそうとする眼光である。 「おれに代ってやると申すが、かれらにそれができると思うか、勤王とか攘夷とかたやすく云うが、譜代の主を持ち家族のある者には、そうやすやすと越えられぬ障碍があるぞ」宗兵衛の声は重かった、「武士は主君の御馬前に死ぬということを至上とする、そのために親代々、食禄《しょくろく》を賜わり扶持《ふち》されてきた、これはもはや掟《おきて》でも命令でもなく、血そのものに流れている伝統だ、理論ではいくらも勤王を叫ぶことができよう、しかしいざ起《た》って行動に移ろうとすれば、必ずこの壁につき当る、問題はおのれ一個ではないのだ、血のなかに生きている父祖三百年の伝統が前へたち塞がるのだ、これはただ踏み越せばよいという単純なものではない、かたちのある物ならうち壊しもしよう、眼に見えず手に取れぬ障碍は壊しようがない、かれらはそこを考えているか」 「たしかに、それは現在の青年たちにとってなにより大きな苦痛だと思います、親兄弟を飢死させることは忍んでも『主君の馬前に死ぬ』という伝統の血を否定することは容易ではありません、その苦痛の大きさは充分に認められなければならぬ点です、けれども」秀之進は自分の感情を押し切るような口調で云った、「その苦痛があって、はじめて、なお踏み越えてゆく者の真実がたしかめられるのではないのですか、藤田先生は『壮烈をたのしむ徒』ということを云われました、わたくしもそういう人々を知っています、かれらはおのれの血に生きている伝統を棄てることにもさして苦痛を感ぜず、易々として時勢の方向に順応しているようです、そこでは『われこそ』がすべてを決定し、真実はそのあとにある、それでは困るのです、生れるものに大きな意義があるとすれば、生みの苦痛も大きくなければなりません、その苦痛を正しく踏み越えるところに真実があるのです」 「それではおまえは」と宗兵衛が云った、「おまえはかれらがおれに代ってりっぱに事を為し遂げられると思うのか」 「わたくしにはわかりません、けれども大切なのは為す事の結果ではなくて、為さんとする心にあると思います、その心さえたしかなら、結果の如何は問題ではないと信じます」 「……おれが事を急ごうとしたのは」宗兵衛はふと調子をさげた声で云った、「幕府の政治の方向が時局|糊塗《こと》に傾きつつあるのを察したからだ、ひと口に云うと大政奉還をさえやりかねない、万一にも幕府にその手を打たれたら、天下に漲《みなぎ》る勤王の理想はその名目を奪われてしまう、水戸老公を起用する機運が動きだしたことで、おれはその事のあり得べきを察した、ここはなにを措《お》いても、国民の理想のあるところをはっきりと天下に示さなくてはならぬ場合だ」  幕府に大政奉還の切札ありということは、ゆうべ秀之進も大助に云った。期せずしておなじ言葉が宗兵衛の口から出たのである。秀之進はそれを偶然だとは思わなかった。父に眼があるなら当然のことだと思った。 「おれは帰国のお供を辞退しようとしたが、どうしてもお許しがなかった、脱藩することは知っているが、睨《にら》まれているおれの脱藩はすぐさま事のやぶれになる、義旗のもとに死ぬのは望むところだが、脱藩の罪で死んでは真実が闇へ葬られるだけだ、しかも多くの同志をも道伴れにしなければならぬとすると、冒《おか》すべき危険は大きすぎる」 「危険と申すよりも、それは無謀に近いと存じます、為さんとする意義さえたしかなれば誰が為すかは重大ではありません、かれらは充分やると信じます」 「おまえはどうだ」ずばりと斬り込むように、宗兵衛は秀之進の眼をつよくみつめながら云った、「太橋と木曽から大阪へゆくというが、おまえはみんなと事を倶《とも》にするつもりはないのか」 「……それは」  秀之進はちょっと眼を伏せ、そのことはなんとも申上げられませんと云った。しばらく言葉がきれて、軒に吊《つ》ってある風鈴の音がはっきりとうきだした。 「今夜は泊ってゆくがいい」宗兵衛がふとかえりみて云った、「このような時勢だ、これが生別になるかも知れぬ、家族は中屋敷の家のほうへいっているから遠慮はいらぬ、どうだ」 「……はい、忝《かたじけ》のうございます」秀之進はじっと眼をあげたが、「しかし太橋も待っていましょうし今宵は戻ってやすみたいと存じます、高松へはいつおたちでございますか」 「もう四五日うちだ」 「御旅中をおいとい下さいまし、水戸のことも亀阜荘さまへお願い申します」  秀之進は暇をつげるために座をすべった。  宗兵衛が泊めたがっていること、もっと話したがっていることはよくわかった。けれど秀之進は反対に、一刻も早くそこを去りたくなっていた。父との再会に当って、云いたいこと、聞きたいことの数々の期待をもっていたが、実際にはその期待は一つも酬《むく》われなかった。父と対座した瞬間に秀之進が感じたことは、自分たちが、もはや単に父と子の対面に溺《おぼ》れることができなくなっているという事実だった。日本という国の当面している大きな苦悩、生れようとするもの、胎動、そのことの前にはもう父と子の個人的な感動などは入りこむ隙がないのだ。秀之進からみれば、宗兵衛はもう「生みの父」ではなかった。倶に起って闘うべき同志のひとりだった。かれが泊ることを拒んだのは、その感じの壊れることを惧《おそ》れたのである。改めて父子の感動が生れることが耐えられなかったからだった。  ――そうだ、今はもう父も子もない、みんなが倶に闘うべき兵だ。それ以外の感動は寄り道にすぎない。  秀之進はそう思い、ひきとめたげな宗兵衛のようすをふり払って校川家を辞した。……すると小石川御門を出て三町あまり来たとき、うしろから「秀之進」と呼びながら追いついて来た者があった。立ち停った秀之進の前へ、大股にはせつけて来たのは宗兵衛だった。 「云い忘れた、水戸家の久木直二郎という人がおまえをたずねている、なにがあったかおれは知らぬが、覚えがあるか」 「……ございます」 「捜しているようだ、久木氏はなかなか剛気の仁《じん》だ、注意しろ」 「有難うございます」  ではと云って、宗兵衛はじっと秀之進の顔をみつめ、すぐに踵《くびす》を返して去っていった。 [#3字下げ]三当旗[#「三当旗」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  うだるような暑い午後だった。  皀莢小路の大助の別宅から、暑さを截《た》ち切るかのように蕭索《しょうさく》と横笛の音が聞えていた。吹いているのは藤尾である。梅八は膝をそろえ、俯向いてじっと眼を閉じたまま、なにもかも忘れたように聞きいっていた。……笛はいうまでもなく、いつかふしぎな客から餞別にといって貰った「鈴虫」であった。  大助と秀之進とは、三日まえに此処を立っていった。そのとき梅八は藤尾のことをたのまれていた、「九月うちに帰るつもりだが、それに後れるようなら帰りは延びる、藤尾どののゆくすえはおまえに任せるから、仕合せな落ち着き方を考えてやって呉れ」大助はそう云って、帰るまでの手当だと、かなりな額の金を置いていった。  梅八にはまだ藤尾の気心がよくわからない。女どうしだから、或るところまでは通じ合う。けれど芯《しん》に触れることがどうしてもできない。少し近寄ろうとするとかちんと突当るものがある。そこから先へはどうしてもはいってゆけないのだ。――やはりお武家の育ちだ。梅八はそう思って嘆息するだけだったのである。だからゆくすえをたのむと云われても、どうすることが藤尾にとっては仕合せなのか、まるで見当がつかなかった。  ――女の身にとって仕合せな落ち着き方といえば、武家とか町人とかの区別はない筈だ、これならばと思うことをしてさしあげればいいのではないか。  そうも思うが、しかしどんな暑さのなかでも衿ひとつ寛《くつろ》げず、鬢《びん》の毛ひと筋みだしたことのない、凛《りん》とした身がまえをみると、まるで違う世界の人を見るようでとっつきばがない感じだった。……今もそうである。あの夜客から貰ったまま納《しま》ってあった笛を、二人っきりのつれづれに、ふと取りだしてみせると、藤尾は珍しくまあと眼をみはった。  ――結構なお品でございますこと。  ――さる客から頂いたのですよ。  ――拝見させて下さいまし。  かつてみせたことのない執心をあからさまにして、笛を手に取ると飽かずうちかえして眺めていた。  ――あなたお嗜《たしな》みなさるの。  ――嗜むというほどではございませんけれど。  そう云う言葉の裏に、吹いてみたいという気持がいじらしいほども表われている。それで一曲しょもうすると、少し羞《はにか》みはしたが、いそいそと歌口をしめすのだった。心得があったのである。もとの主にまさっているとはいえぬまでも、梅八の耳には甲乙をわけがたいものだった。――このひとが。とおどろいたし、ますます底の知れない感じにつき当らせられた。むろん、今はそんなことを思ってはいない。梅八の全身は笛の音に溶けこみ、われを忘れるほども恍惚《こうこつ》としているのだった。  やがてどうしてか、笛の音がはたと杜絶《とだ》えた。  どうなさいました、梅八がそう云おうとしたとき、格子戸が明いて竹亭寒笑の声がした。はいって来るのを見ると、ひどく仔細《しさい》らしい顔で、風呂敷包を抱えていた。 「若旦那はもうお立ちですか」 「緞帳《どんちょう》芝居でたて[#「たて」に傍点]を弾きあしまいし、ものを云うなら坐ってからにおしな、お嬢さんのいらっしゃるのが見えないのかい」 「坐りゃあいいんでしょう」寒笑は坐った、「どうもげせねえ、おいらがちょっと顔を出せば待ってましたと許りにお小言だ、へえ坐りました、生かすとも殺すとも」 「うるさいねえ暑いんだからそう吠《ほ》えなさんな」 「吠える、……なるほど、然しものには云いようもあり聞きようもありやすからな、和言で聞けば犬の遠吠だが、これをヨーロッパの言葉で解けば、ホウエルてえと、……つまりその、なんでさあね、鯨だかなんだったか、そのう」 「鯨も毛物だそうだから吠えるには違いないじゃないか、別に威張るほどのことでもないだろう」 「仰しゃるとおりでげす、ところで柿崎さんのお嬢さん」旗色が悪いので彼はこう向きを変えた、「いま笛の音がしていたようですが、お嬢さんのお嗜みですか」 「いたずらでございます」藤尾は屹《きっ》とした調子で、こう云いながら笛を袋に納めた。あの事があって以来、彼女の寒笑に対する態度は際立って凛とし、話しかけることをさえ許さないような厳しい姿勢を見せていた。 「とんでもない、御|謙遜《けんそん》でげす」こっちはかなり神経が鈍く出来ているから、そんなことにはお構いなしに力みだす、「私も劇場でながいこと飯を頂いた人間ですから、笛の音色のよしあしくらいはわかりやす、こう申しちゃあ口幅ったいようでげすが、お嬢さんのはなに流でございますかな」 「…………」藤尾は黙っている。 「お武家では三条とか甘露寺などという伝法があるそうでげすな、里|神楽《かぐら》や下座鳴物の笛とは格別でげしょうが、実は私こんどの作の道具廻しに笛を使う積りでして、ちょっとまあ文献を調べてみたんでございます、へえ」 「またでたらめをお始めかい、おまえさんの作なんぞ笛が出たって太鼓が出たって代り栄えはありあしないよ、それよりなにか用があって来たんだろう、用から先に片付けたらどうなのさ」 「せっかく蘊蓄《うんちく》を傾けようと思うとこれだ、ひと口めにはおまえなんぞの作はとくるが、小説なんぞと軽く考えたら大間違いですぜ、なにげなく出て来る笛一本にしたところが、諸家を尋ねて故実来歴から名物まで調べ、これを婦人がたや子供衆にも理会のいくように、話の筋とうまく絡めて知らず知らず学問の足しにもなろうという」 「可笑《おか》しくって笑えもしないよ」梅八は癇性《かんしょう》にきせるで莨箱《たばこばご》を引寄せた、「精ぜいが用捨箱か嬉遊笑覧が守り本尊、三才図会となると返り点も頼みにならない頭で、孫|索《び》きをうぬが知恵のように書きちらすのさ、だいたい小説などというものは学問も見識もある人が書くから面白くもあり情も移るのだが、おまえさんのはすっからかんの頭で筋のつじつまを合わせるだけなんだからお笑い草だよ、尤もそれを版にする頓狂な本屋があり、おたからを出して買う酔狂がいるから太平楽さ、なにかお云いかい」 「いいえなんにも申しやせん」寒笑は舌を畳んだ、「……御高説を拝聴して用事を思いだしやした、若旦那はお立ちでげすか」 「ああお立ちになったよ」 「なにか云い残しはござんせんでしたかね、実はこないだ和蘭陀《オランダ》語の字引を貸して遣ろうと云って下すったんだが」 「ああその本ならお預かりしてあるよ」梅八のきせるから薩摩《さつま》のいい香りがひろがった、「但しこの家から持出すのはお断わりだからね、読みたかったら此処へ来て拝見おしな」 「あっしもその積りで来たのさ」寒笑はこう云って包を解いた、「日本に幾冊とない大事な御本だ、お借り申して万一のことがあっちゃあならねえと思ってね、毎日ここへ通って写しちまおうという魂胆ですよ」 「和蘭陀だか英吉利斯《イギリス》だか知らないが、若旦那にからかわれたのを本気にしてまた知ったか振をひけらかすのだろう、よく天道様の罰が当らないものさ」 「なんとでも仰しゃいやし、これでまた重版重版、こっちは版料が貰えれば文句はありやせんだ」寒笑は包の中から罫紙と矢立を取出した、「……で、ひとつその字引というやつをどうか」 「いま出してあげるけれど、そこらへ店を弘げられちゃあ邪魔だね」 「なに幅は取りやせん、精ぜい縮まってやるからそっちの隅でも貸してお呉んなさい、ひとつ小机があれば有難えのだが」 「勝手な熱をあげるよ」  くち小言を云いながら、それでも梅八は立っていって小机を出し、大助の離室から和綴の「長崎ハルマ字書」を持って来てやった。 「へっへっへ」擽《くすぐ》られるような、卑しい笑い声をあげながら、彼は机に向い字書を披いた、こんな男でも新しい知識に触れると幾らか気が昂《たかぶ》るらしい、「さあ矢でも鉄炮《てっぽう》でも持って来い、憚りながら唐音もじりなんぞとは種が違うんだ、こっちは和蘭陀語のくぜつといくんだから吃驚《びっくり》して馬鹿にでもなるなだ」  そして罫紙をひろげ筆を執った。  寒笑はその日、夜の十時頃までせっせと筆写して帰った。あくる日のことである、朝からやって来て、机にかじりついたきり、午《ひる》もわざわざ弁当をとって喰《た》べ、浴衣の背筋を汗でひたしながら、まことにめざましい熱心さで筆を動かしつづけている。 「ええカイマン、カイマンが鰐《わに》、カアルト、歌留多《かるた》ときた、カーフル、カーフルは炉端、カーネル……カーネルクウク、カーネルクウクは……菓子と、なるほどね、嬶あ寝るぐうぐうが菓子か」  などとやっている。聞きつけて思わず笑いだした梅八は、窓へさす陽の傾いたのにびっくりした。 「おやもうこんな時刻かしら、藤尾さん、汗を流して来ようじゃございませんか、留守番には雇ったような人がいるんですから」 「仰しゃいましたね」寒笑は慌てて手帳を繰った、「そんなのを、ええと、そんなのを、へへ、ボスメンスだ、ボスメンスというのを知らねえな、ボスメンスの云うことなんざあ人間さまには通じやせんのさ、仰しゃいやし仰しゃいやし」 「しき写しを早速お座敷へかけるのかい」梅八は鼻で笑いながら立った、「それで作者とか易者とかいうんだから人を食ったものさ、こんなところを見たら本を買う者はなんと云うだろう」 「先生お骨折りですねって、新造っ子が寄って来て按摩《あんま》攻めにするこってしょう」 「少しは天道さまを怖れるものだよ」云い合いながら支度をして、「では留守をたのみますよ」  と梅八は藤尾とつれだって銭湯へ出ていった。路次を表へぬける馬喰町の通りへ出たところで、向うから来る柳通助に会った。 「おやお暑うございます」 「お揃いでどこへゆく」 「お風呂へまいるところですが、貴方さまはどちらへ」 「おまえのところへ来たのだが」 「では戻りましょう、どうぞ」 「済まんな、ちょっと貰ってゆきたい物があるので……」 「御遠慮には及びません、ひと跨《また》ぎですから、藤尾さんはどうぞお先へいらしって」 「いいえ、わたくしも」  それではと、梅八は先に立って皀莢小路へ戻った。油竹を左右に植えた敷石伝いに、木戸をあけて格子へ手をかけたが、動かなかった。力をいれて引くとかちりと揷し錠の音がする、梅八は首を捻《ひね》って、「寒笑さん、ちょっと」と声をかけた、「ちょっと開けておくれな、鍵なんぞおろしてどうしたのさ」  返辞がなくて、奥の方にあわただしく物を掻《か》き捜すけはいがした。梅八はとっさに台所口のほうへまわり、腰高障子をひきあけて中へとびこんだが、あっといって劈《つんざ》くように叫んだ。 「柳さん早く、早く来て」 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  柳通助が家のなかへ踏みこんだとき、離室から寒笑がとびだして来たところだった。右の小脇になにか抱えている。通助を見たとたん、かれは横っとびに庭へ走った。 「ああ裏の抜け路次です」  梅八が叫ぶより早く、通助はそのあとを追い、えいっと大喝しながら刀を抜きうちにその背へあびせた。「うぬ、斬るぞ」寒笑は抜け路次の木戸へからだを叩きつけた。錠がおりているからばりッと音がしただけである。ふり向いた、硬化した顔に眼がひきつっている。ひっというような悲鳴をあげ通助の刀を避けて右へ走った。つくばいがあったのを忘れている。逆上しているので掬《すく》われたように転倒した。ひっしに抱えていた包がとんで、さっと庭上へ巻き解いたのは、三当旗であった。 「動くと斬るぞ、動くなよ」通助は大剣の切尖《きっさき》をつきつけながら、「早くこれを片付けて呉れ」  こう梅八にふりかえった。そして梅八と藤尾とが旗を片付けているあいだに、寒笑の衿を掴んでひき起こし、そのまま離室へとぐいぐい曳いていった。 「きさま、こんどはのがさんぞ」 「…………」膝を固くして坐ったが、唇の色もなく全身わなわなと畳にひびくほど震えている。 「このあいだ立聴きをしたとき、おれたちはながい馴染に免じてみのがしてやった、覚えているだろう、相手が寒笑でなければあのとき首は無かったんだぞ」 「……へえ」 「三当旗を盗んでどうしようというんだ、誰にたのまれたんだ」  梅八がはいって来た。すっかり蒼《あお》くなって、これもぶるぶると身を震わしていた。 「寒笑さん、おまえ」といったが言葉がつかえた。 「ゆだんだなあ梅八」通助が咎めるように眼をあげた、「此処には大切な品がある、留守にするなら閉りを厳しくして置かなければいかん、水口を明け放していったのではないか」 「いいえ、この人に、この人に留守をたのんでいったんです、この人が和蘭陀語とやらを写したいとたのむもんですから、それで昨日から脇眼もふらずに写し物をしているもんですから、まさかこんな事を企んでいようとは知らずに留守をたのんだんです」  通助はぎろっと眼を光らした。 「誰にたのまれた寒笑、このまえの時とは違うぞ、うろんなことを申すと本当に斬るぞ、この旗を盗めと誰にたのまれた」 「へえ……たき、た、滝川」 「はっきり云え、きさま、それでも男か」柳は平手打ちをくれるように叫んだ。  先夜のとき笑ってみのがしたのも、寒笑の小胆者になにができるかという気持と、むしろ可笑しさが先に立ったからである。いま眼の前に膝を固くして、大きなからだをぶるぶる震わせているさまを見ると、その胆の小さいことも臆病なことも絵に描いたようで、どなりつけるのも可哀そうな感じさえした。……寒笑はひとたまりもなく白状した。 「滝川内膳さまにおたのまれ申しました」 「この旗のことを内膳が知っている筈はない、きさまこのあいだ聞いていて饒舌《しゃべ》ったのだろう」 「いいえ決して、決してわたしは申しません、ほかから出た話なんです、まったくです」 「ほかから出たとは」 「水戸さまの内からです」  通助は寒笑をねめつけた。 「誰だ、水戸家のなに者だ」 「よ、よくは存じません、たた滝川さまがそう仰しゃるのを伺っただけなんで、なんでも結城とか寅寿さまとか云っておいでのようでした、嘘は申しません、まったくです」 「結城寅寿……かれが知っていたというのか」 「その他にも色いろなことを知っていらっしゃるようすでした」 「ほかにとはどんなことだ」 「此処の若旦那が木曽から大阪へいらしったこともご存じのようすで、なんでもあとから探索をつけてやったとか、云っておいででした」 「太橋の木曽ゆきが知れた」  通助はさっと蒼くなった。しかし蒼くなったのは通助だけではない、結城寅寿という名が出たときから梅八の顔はひきしまっていたが、そこへくるなりまるで死人のように色を喪った。 「探索をつけてやったというのは間違いないな、そしてそれは高松家中の者か、それとも水戸か」 「その結城という人のご家来と滝川さまのご家来だそうです、数はわかりませんが、話のもようではたしかに間違いございません」 「――間に合えばよいが」  通助は即座に立とうとした、すると藤尾がしずかにはいって来て、そこへ坐った。 「わたくしお使いを致しましょう」 「えっ、あなたが」通助はびっくりした。 「柳さまがいまお屋敷を出ていらしっては、滝川さまとやらの眼について却って事を悪くは致しませぬか、わたくしなればどちらへも知れず、ご存じの身の上ですから心配なくお使いできると存じます」 「しかし御婦人の身では……」 「かような事には女のほうがよろしゅうございます、乗物でまいれば道もはかどりましょう、ただ道中切手がございませんけれど」 「それはなんとかなりますが」  通助は梅八を見た。梅八は死人のような顔をしたまま宙をじっとみつめていた。  ――そうだ、それがいいかも知れぬ。  通助はすばやくそう思った。かれがいま屋敷を出ることは、否かれには限らない、誰にしろいま屋敷を出れば、必ず滝川派の者に気づかれるだろう。そのうえ大助と秀之進を追っていった探索の者らも、顔を見知っている、それよりは少し冒険だが、藤尾にたのむほうがどちらにも好都合ではないか。――たしかにそうだ。と心をきめたとき、梅八が妙に干からびたような声で云った。 「あたしも藤尾さんにお願いするのが、いちばんいいと思います、柳さん、そうなさいまし」 「そうだな、お気のどくだが、そうして頂ければ」 「わたくしからお願い申します、太橋さまには大そう御恩になりまして、なにもお返し申すことができませんでした、これが御恩返しになるとは決して存じませんけれど、そうさせて頂ければ、わたくし嬉しゅう存じます」 「では、おたのみ申しましょう」通助は寒笑を顎《あご》で示して、「こいつは江戸に置くと危険です、といって斬るほどのこともなく、貴女のお草履持ちに伴れていって下さい」 「いいえ寒笑はあたしが預かります」梅八がきっぱりと遮《さえぎ》った、「いくらお武家育ちでもお嬢さんお独り、こんな者をお伴れなすっては却ってお危のうございます、いいえそうでなくとも、この人にはあたし、少し用がありますから」 「わたくしも独りで大丈夫でございます」藤尾も微笑しながら云った。 「そうですか、ではだいぶ日数が経っていますから、乗物を継いでいって下さい、べつに云うことはありません、お聞きのとおりを伝えて下されば結構です、こちらは予定通りに事をはこんでいますからと」 「わかりました、必ずお伝え申します」 「ではいちど帰って、道中切手を作ってもういちど来ます」通助はそう云って立った、「その旗を頂いてまいりましょう」片付けてあった三当旗の包を取った。  寒笑はまだ固くなって、自分の膝をみつめたきり石のようにじっとしていた。通助はそのありさまをちらっと見た。 「おい寒笑、おまえこれで二度命びろいをしたな、おまえの知恵ではこんな仕事は無理だということがわかったろう、だが馬鹿は痛さが身にしみないものだ、おれがいなくなったら、滝川のところへ藤尾どのの出立を内通にゆくかも知れん」 「いえ、け、決して」 「いってもいいよ、ただそれが三度めだということだけは覚えておくんだ」  通助は大剣の鍔《つば》をぱちっと鳴らした、そして首を竦《すく》めた寒笑には眼もくれず、大股《おおまた》にそこを出ていった。  その日の暮れ方に、柳通助が道中切手を届けて来た。よほど緩《ゆる》くなっていたとはいうものの、まだ当時は武家でも婦人は関手形が必要だったのである。殊に江戸から出る場合は厳しかったが、高松藩は幕府の重職だったし、そういう用意は出来ているとみえ、継ぎ乗物の会符まで添えてあった。 「お武家育ちはこういうときにわかりますね」その夜、藤尾と寝床を並べた梅八は、いつまでも残り惜しそうに話をやめなかった、「御自分から、その使いはわたくしがと仰しゃった、あたりまえの御用ではないのに、そのうえこんなに世間が騒がしいときに、まだお若い嬢さまの身でわたくしがと仰しゃる、……お武家さまの生立ちは厳しいものと伺っていましたけれど、今日はじめてその証拠を見せて頂いたように思います」  あまり言葉つきが常と違うので、藤尾はそっとふり向いて見た。蚊帳《かや》越しにさす有明のほの暗い光りの下で、梅八はじっと天床を見まもりながら話している。その両眼はまるで苦悶《くもん》を表白するように輝いてみえた。 「片方には御国のために、ご自分の命を捨ててはたらいている方々がいらっしゃる、此処でお集まりなさる柳さま大河さま方、若旦那もそうです、あたしはそういう方々を自分の眼で見ていながら……御国のためというのがどういうことか、ご自分の命を捨てるということがどういうものか、霧の向うにある物を見るような朧《おぼ》ろな気持でしか考えられませんでした、あたしなんぞには縁のないもの、違う世界のことだというふうに思っていました、どんなに厳しくとも芸の道は自分を出ないんです、世間を知らないことが自慢になるぐらいなんですから、……あたし本当に自分たちと貴女がたの違いを悟りました」 「まあ、そんなことはございませんですよ、人はそれぞれ身の上も生き方も違うのですから」 「いいえそうじゃあございません、町家育ちでもみんながみんなとは云いませんけれど、ああいうようにすぐ心をきめることはむつかしゅうございます、どんなことがあるかわからない道中、それも初めての旅へ女ひとりで……ふだんきちんと行儀を厳しくしていらっしゃるのも、こういうときのためなんですね」梅八はほっと太息《といき》をついた、「人間はふだんの気持が大切だ、三味線や唄、踊りなどという芸の道でも、ふだんの心の行儀はなにより大切に云われています、そしてあたしも、自分ではその行儀を忘れずに生きて来たと思っていました、けれどもこんどというこんどは気がついたんですよ……あたしの芸は自分だけのためのものだった、世の中がどうなろうと、自分は自分の芸だけ考えていればいい、いいえそれどころか、世の中がこんなにひどくなって、自分の芸をわかって呉れる方が無くなったなどと、勝手なぐちをこぼしたりしていたくらいです、そんなことだから……」  そんなことだから、あのような取返しのつかない失策をしてしまったのだ。梅八は言葉の終りを胸のなかで云って、自分の愚かさを罵《ののし》り辱しめた。とりかえしのつかぬ事、大助の木曽行を平気で告げた、それがどんな大事になるか気付きもしないで、……その愚かさは平常の生き方からきているのだ。生き方の中心が違っていたら、あのようにばかなまねはしなかったであろう。それがいま梅八の心を八千にひき裂くのである。  世の中というものは人間が集まって出来ている、どんな生業をしようとも、世間と関わりなしに自分ひとりで生きられるものではない。梅八はいましみいるようにそのことを思った。……人間は生きているというだけで誰かの恩恵を蒙《こうむ》っている、他人の造った家に住み、他人の作った米麦を喰べ、他人の織った着物を着る、日々の生活に欠かせない有ゆる必要な品々が、すべて見も知らぬ他人の丹精に依って出来たものだ。ひとから物を借りれば、いつかは礼を付けて返さなければならない。返せない借物なら、それに代るだけの事をするのが人間の義理である。世の中に生きて、眼に見えない多くの人たちの恩恵を受けるからには、自分も世の中に対してなにかを返さなければならないだろう、自分はそれをしたであろうか。 「どうかなさいまして……」  梅八の微かな呻《うめ》きごえを聞いて、藤尾がそっとこちらを見た。  梅八は身動きもせず、軽い寐息が聞えるばかりだった。藤尾は安心したように枕をし直し、間もなくしんと眠りいってしまった。……こちらはもちろん眠っているのではなかった。思わず呻かずにいられないほど、回想の切なさに苦しめられていたのだ。  ――若旦那へお詫《わ》びだけはしなくてはならない、寒笑も伴れてゆこう、あの男も私も、若旦那にはお返しのできないほど御恩を受けている、それが二人とも、恩を仇《あだ》で返すような事をしてしまった、たとえ恩返しはできなくとも、せめてお詫びぐらいしなければ人間じゃあない、……江戸っ子らしく、さっぱりと、……そしてこんどはもう少しましな者に生れてきて、この世で借りたものを返さなければならない。  梅八の頬にひとすじ涙が滴《したた》った。どこの軒に吊った籠で鳴くのか、すいっちょが澄んだ声を張って鳴き続けていた。 [#3字下げ]高原の風[#「高原の風」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  甲府盆地から八岳の裾へと、めぐりめぐり登って来た道は、小淵沢のあたりですっかり高原の爽涼な風景のなかへはいる。盆地のうだるような暑さに比べると気温もかなり低い。桑畑や茅原《かやはら》を吹きわたってくる風は、山気をふくんで秋かと思うほど冷やかだった。空気は乾いて澄み徹っているので、ずいぶん遠い山々のひだがあざやかに見えるし、防風林にかこまれた農家のひっそりとした聚落《しゅうらく》や遠く近く点々と茂っている落葉松《からまつ》林のたたずまいなど見るものすべてがどこかに秋のふぜいをもっていた。 「日本人のなかでは宗教が正しい発達をしない、……というのは、現実にどういう点をさすのかね」  肥っている大助は風の涼しさにも拘らず、笠の下で額の汗を拭きながらこう反問した。もうだいぶ草臥《くたび》れているらしい、然し秀之進のほうは、例に依っておちついた、静かな歩調でゆっくりと歩いている。 「一例を挙げれば禅話だ、これはおれの私観としていうのだが」  ちょっと苦笑するような表情をみせながら、秀之進はつづけた、「大さんは弘安の役における北条時宗と祖元との話を知っているだろう」 「宋僧の祖元かね」 「弘安四年に元軍が来寇《らいこう》したとき時宗は祖元をたずねて『大事到来せり如何《いかが》すべき』と問うた、すると祖元が『煩悩《ぼんのう》すべからず』と答えた、時宗が言下に大喝した、祖元はにっこと笑って、『獅子児よく吼《ほ》えたり』といったという」 「有名な話だね」 「しかし虚妄《きょもう》の伝説だ」  大助は訝《いぶか》しげに見かえった、「虚妄の説だって、なぜさ」 「よく考えてみろ、元はそれより以前からしばしば国使をよこして隷属すべしと威脅している、しかしそれに対して日本はつねに断乎《だんこ》たる拒絶の態度を示していた、そこで文永十一年に元軍は壱岐《いき》対馬《つしま》へ来寇し実力を見せてから又しても杜世忠ら五人の使者をもって臣従を迫った、そのとき時宗は怒って使者たちを斬ってしまった、いいか、国使五人を斬って捨てるということは、時宗の決意がどこにあったかをはっきりと示している、そのときすでにいかなる事態が将来するかわかっていたんだ、それなのに元軍が来寇したと聞いて、慌てて『大事到来せり、どうしたらいいか』などと禅僧の門を叩く、そんなばかな、うろたえたはなしがあると思うか」秀之進はさらに続ける、「時宗の決意は杜世忠らを斬ったときすでにきまっているんだ、いざとなって、慌てて禅僧のところへどうしたらいいかと聞きにゆくほど不確実なうろたえものなら、国使五人を斬るなどという断乎たることができるわけはない、『獅子児よく吼えたり』というこの揷話は、禅宗によって捏造《ねつぞう》されたものだよ」 「なるほど多少|穿《うが》ちすぎてはいるが、たしかにそういう視《み》かたもあるな」 「湊川《みなとがわ》合戦のときにも同じような話がある、楠公は合戦の前に楚俊《そしゅん》という禅僧を訪《おとな》い、『生死不識の時如何』と死に臨んでの覚悟をきいた、楚俊は答えて『両頭を裁断し一剣天に倚《よ》って寒し』という、正成が重ねて『畢竟《ひっきょう》するところ如何』と問うや僧は喝《かつ》と叫んだ、それで正成は大いに悟るところがあり、勇んで湊川へ出陣したという、だが考えてみたまえ、楠公は桜井駅で正行と別れるとき、あきらかに戦死と心をきめている、それは烈々たる遺訓によくあらわれている、いやそれよりも初めて吉野へめされたとき、すでに一族必死の決意をかためているんだ……いいか、それなのにこれぞ最期という合戦に臨んで、改めて生死関頭を問う必要があると思うか、否だ、これも禅家の拵《こしら》えた虚妄の伝説だよ、楠公はそんな人であってはならないんだ」  こんどは大助はなにも云わず歩いている自分の足の爪尖へじっと眼をおとしていた。その朝はやく小淵沢の宿を出てから、二刻あまりひと休みもせず歩いて来た。陽はもう高く、乾いた道の埃《ほこり》に照りかえしてぎらぎらと眼に痛い、しかし二人は時どき後ろを振返るだけで、あとは熱心に話し耽《ふけ》りながら、大股に歩きつづけていった。 「この二つの伝説は、禅宗を価値づけるためには絶好のものだ、しかし時宗や楠公が禅によって或る決意を固めたという、話そのものはとるに足らぬともいえるが、そういう伝説が弥蔓《びまん》したところに生ずる観念を思うと、とるに足らぬとは云いきれない問題が起こってくる、現にみろ、武士道は禅と儒教の影響を吸って全きを得たといわれている、だいたい武士道というものは、日本人の純粋な心のあらわれだとおれは信じている、……これは久米の子らの精神なんだ、武家時代にはいってから直接の主人に対する忠というかたちをとって来たけれども、その真髄にあるものは久米、大伴らの氏かばねが皇統を護る精神なんだ、そこには禅や儒教などの影響は少しもありはしない」 「然し宗教というやつは善かれ悪しかれ宣伝的なものを持つのじゃないのか」 「神社に宣伝があるかね」秀之進はこう反問した、「長者の万燈より貧者の一燈という、これは寄進の要求だろう、四万六千日とか彼岸とかの類は参詣の約束だ、……我われの神社にはこういう要求や約束はない、西行の作だと伝えられる歌に、なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるるとある、なんの約束もなくして無念無想に低頭できる神社の存在、……宗教としてこれほど純粋なものが他にあるかね」  秀之進は眼を空へ向けた。秋を思わせる白い流れ雲の間に、たとえようもなく美しい紺青の空が澄みあがっている。彼はいまその碧色の虚空に、高く高くあまかける神々のすがたを見るように思った。 「宗教に独特な煩瑣《はんさ》哲理や、奇蹟や証明なしで、そのまま我われの生活感情に溶けこんでいる神社の存在、そのものの純粋さは云うまでもないし、受容れる我われの在り方の純粋さもなおざりにはならない、……外来の宗教が地獄とかインフェルノなどの劫罰《ごうばつ》を掲げ、極楽や天国を約束することに依って、信仰を掴もうとするのは、ひと口に云えば宗教功利論になる、それは知識の低い民衆や支配者たちには、一応の帰依を受けるだろうが、根本的にはなんら影響を及ぼさないのだ、……なぜなら、理論なしに存在する神社というものがあり、それを受容れる超理論の信仰が先験的に我われのなかにあるからだ」 「……ちょっと休もう」大助が声を低くしてこう囁いた、「どうやら例のが近づいて来たようだ」 「休んでどうするんだ」 「この辺できまりをつけるほうがよくはないか、木曽へはいるまで跟《つ》けられては迷惑だ」  それはたしかだといって、秀之進は、ちょうど道が二つに岐《わか》れるところへ来ていたのをずんずん左へはいっていった。そこにある石の道標には、信濃路右と刻《ほ》ってあった。左は山越えに高遠へ出る道である。それを半町ばかりいったところで、二人は左手の杉林の中へとはいった。……そこは湿った土の香がしっとりと匂っていた。枝を密にさし交わした梢に遮られて、こぼれ日の光りも落ちず、樹間を吹きぬけて来る風は肌にしみるほど涼しかった。  道を急いで来る人の足音が聞えた、大助は秀之進の顔を見た。かれは落ち着いたようすで、じっとなにかを聞きすましている。……すぐ頭の上でひぐらし蝉《ぜみ》が鳴いているのだった。いま近づいて来る足音が新島八十吉であることは、猿橋の駅あたりから二人にはわかっていた。八十吉のほうでも気付かれたことは知っているとみえ、少しも自分を隠そうとはしなかった、蛇《へび》のような眼でじっと秀之進をにらみながら、三町ほどの間隔をおいてつけて来る必要があるのだ。  道をこっちに近づいて来た足音は、二人のいるところから四五間さきまで来るとぴたっと止ってしまった。――どうしたんだろう、大助が秀之進の眼を見た。秀之進はすっと立って松林を出ていった。道の向うへ、足早に去ってゆく八十吉のうしろ姿が見える。 「追いかけよう」大助が走ってゆこうとした。 「だめだよ、捉えたって手向いをしなければそれまでだ」 「そんなことを云っていたらきまりをつけるときはないだろう」 「そう焦ってもしようがないさ」秀之進はこう云って元の道へと戻っていった。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  茅野の駅へはいると、二人は通りがかりの宿へ昼食をとりに上った。もう時刻が過ぎて空腹でもあったし、跟けて来る者のようすも見たかった。それで草鞋を脱いで上り、風呂があるというのを幸いいっしょに汗を流した。 「さっき早水さんの云った、神社が超理論で存在するという点だけれど、超理論というと蒙昧《もうまい》という意味になりはしないかね」 「宗教というやつは元もと蒙昧なものじゃないのか」裸になると驚くほど逞《たくま》しい肉付の、広い胸を平手で擦りながら、秀之進は悠《ゆっ》くりとこう云った、「……仏教の経典を読んでも、よくは知らないが切支丹《キリシタン》の聖書というのを覗《のぞ》いてみても、道徳律以外は奇蹟と安心立命の保証に充満している、詰り現実の汚穢《おわい》と苦悩と悪徳、それに死の恐怖というもの、人間の力でうち克つことの困難な、苛烈な現実から救いを求めるところに宗教の起源はあると思う、だからその国土の自然的条件に恵まれないところ、社会状態が持久的に安定しない処では宗教の伝播《でんぱ》が旺《さか》んだ、精《くわ》しくは云えない、日本はその点でずいぶん違うんだ」 「早水さんの嫌いな万邦無比というやつですか」 「まあ聞きたまえ」彼は裸の膝を立て、それをこう両手で抱えた、「日本は気候風土も社会状態も、最大多数の人間にとっては恵まれている、安南、カンボジャ、呂宋《ルソン》などという南方地方では、肥料もやらず蒔きっ放しで稲が年に二回も三回も穫《と》れるという、稲は南方常夏の土地が原産だそうだ、我われはその米を唯一といってもいいほどの主食にしている、地味が違うから稲を作ることは原則として無理だ、その証拠は史書をみたまえ、殆んど全国的凶作と饑饉《ききん》の例は挙げる煩に耐えないほど多い、にも拘らず我われは米から離れることを欲しないで、原則的には無理な稲の耕作を続けている、……これは日本の気候風土の特徴なんだ、周期的に凶作がくるけれども、最大多数の国民が飢えるほど決定的ではない、では余剰して国民の多数を富ませるだけ有るかというと、もちろんそれほどの持続的収穫は望めない、要するにやや不足という状態が連綿と続いているんだ」 「宗教論からだいぶ飛躍しますね」 「いやそのことを云っているのさ」秀之進は平然と天床を見あげた、「……社会状態も同じようだ、歴史の転変は少なくなかったが、概して最大多数の国民とは無関係なところで行われた、平氏が天下を取ろうと、源氏が政権を握ろうと、農夫町民に及ぼす影響はいつも極めて些少《さしょう》だった、云ってみれば、平氏になっても衣食住が豊かになる訳ではないし、源氏になったから飢えるということもない、合戦は常に武士と武士との問題だし、城郭の攻防になれば土着の民は立退いてしまう、戦火が収まれば帰って来てああこんどは源氏の大将かといった具合なんだ、……いいか、この二つのうえに豊富な自然の美がある、春の花、秋の紅葉、雪見や、枯野や、螢狩り、時雨《しぐれ》、霧や霞、四季それぞれの美しい変化、山なみの幽遠なすがた、水の清さ、これらは貧富の差別なく誰にでも観賞することができる、夏の暑さも冬の寒気も、木と泥と竹と紙で造った簡易な住居で充分に凌《しの》げる、……こういう経済地理と政治条件の下では、どうしても宗教に救いを求めなければならないという状態は有り得ないんだ」 「然し実際にはあれだけ悲惨な迫害史を遺した切支丹もあるし、現在だって仏壇のない家や、寺院のない村はないでしょう」 「切支丹騒動は一部の狂信的事件に過ぎない、真理というものは圧迫の激しいほど強力になるものさ、仏教はたしかに普遍した、然しそれは特権支配者のあいだに政治手段として取上げられたもので、仏教に救いを求めざるを得ない人たちに依って相伝えられたものじゃない、だから、仏壇を飾り寺参りはするが、仏教そのものに就いては大多分がなんの知識も持ってはいないだろう、ここでも、文句なしに神社へぬかずく性情が顕われているんだ」 「結論はどっちでもいい、そういうことになるんですな、うん」大助は湯槽《ゆぶね》の中へ躯《からだ》を沈めながら云った、「……そいつは然し重大な問題ですよ、宗教に就いてそう無関心でいられるということは、生活に就いても大きい積極性が要らないということになりますからね」 「その言葉を私はこう直したいんだ、幕府が潰れようが、朝廷の御政治になろうが、己たちにとっては大したことじゃない、……これを更に押進めてみよう、亜米利加《アメリカ》が来ようが魯西亜《ロシア》が来ようが、己たちの知ったことじゃあない、……わかるか大さん」 「どうも然し、どうも、そういう傾向は動かないようだな、残念ながら」 「宗教が正しく、根強く発達しないというくにがら」秀之進もこう云いながら湯槽へはいって来た、「……この不幸なくにがらに絶えず中心となって在《おわ》すのが天皇だ、誰が覇権を握ろうと、誰が政治を執ろうと、天皇だけはそれに関わりなく、恒《つね》に国民ぜんたいの中心に在す、そして天皇と我われのあいだにはなんらの契約もない、その在すがままで至上の中心なんだ、歴史の語るとおり、権力の争奪には天皇を擁することが正義の肯定になった、だから在すことの尊さと純粋さが高ければ高いほど、これをあやまるときは禍いも決定的になる、……このまえ云った根本論はそこなんだ、王政復古は徳川幕府の倒壊で終るのじゃあない、幕府に代る勢力が天皇を擁することを打破し、国民ぜんたいの中心として在す状態まで、持ってゆかなくてはならないんだ」  風呂から上って昼食をとった。……岩魚《いわな》の煮びたしに鮎《あゆ》の塩焼、それはいいが箸休めの小皿にばった[#「ばった」に傍点]の佃煮があったのには驚いた。蝗《いなご》だろうと云ったが、女中は「おんめ[#「おんめ」に傍点]です」と笑っていた。詰りばった[#「ばった」に傍点]かと訊くと「そうでしょう」という。秀之進は苦い顔をしてそっぽを向き、大助も箸をつけようとしたがいけなかった。 「この辺ではみんな喰べますがねえ」女中はけらけら笑いながらこう云った、「こおろぎ[#「こおろぎ」に傍点]でも蛇でも蛙でも、川底の石の下にいるじゃじゃ[#「じゃじゃ」に傍点]虫でも、源五郎でも、栗の樹の虫でも蚕の蛹《さなぎ》でもなんでも、……源五郎虫なんかとても香ばしくって」 「おい止さないか、飯が食えなくなる、勘弁して呉れ」  大助の手を振るようすが可笑しいといって、女中は歯を剥出《むきだ》しにして笑いこけた。……食事が終ってから、どちらが云いだすともなく泊ることになった。予定より道は捗《はかど》っているし、うまくゆけば跟けて来る新島をやり過すことができるかも知れない。殊に依ったら二三日ここで足を休めてもいいと考えたのである。……黄昏《たそがれ》ごろから雨になり、二人は久し振で静かな深い眠りがとれた。  雨は夜が明けても歇《や》まなかった。二階の窓や障子を明けひろげると、眼の届くかぎりが緑の一色で、それが雨あしの去来につれてけぶるように薄くなり濃くなりする、翡翠《ひすい》を溶いて流すような変化の美しさに、二人は暫くうっとりと眺め飽かなかった。……朝食が済んでから、秀之進が窓際に坐って外を見ていると、大助が茶を持って来て、「お頼みがあるんですがね」と云いだした。 「実は柿崎の藤尾さんのことなんだが」 「…………」秀之進は黙っていた。 「あの人を早水さんに引受けて貰えませんかね、色いろ考えてみた結果、その他にはないように思うんですが」 「……悪い癖だね」 「おせっかいの小言ならわかってますよ、あの人を富士から伴れて来たのからして」 「そうじゃないさ」秀之進は窓外を見たままこう遮った、「あのとき富士へ置いて来られなかったのは仕方がない、大さんがいなければ私だってそうしたろう、然し身の始末まで世話をやくことはないじゃないか」 「でも考えて呉れませんか、お小言なら幾らでも聞きますよ、あの人はまったくの孤独で、私でもどうかなった後はゆき処もない身の上ですからね」 「己だって明日のことは知れやしない」 「それだけですか」大助はじっと相手の横顔を見た、「そういう意味なら、現在の青年はみんな同じ状態なんで、一人だって安心して結婚のできる者なんかいませんよ」 「その話はよそう」  秀之進は強くそう云った、大助は黙った。この家の裏手に小川でもあるのか、だくだくと溢れるような流れの音が聞えて来る。 「どこへゆくんです」  刀を取って部屋を出ようとするので、大助が呼びとめた。秀之進はそのまま店先のほうへ去ってゆく。それでかれもあとを追っていった。秀之進は宿の者に傘と履物を借り、「ちょっと歩いて来る」と云って、雨のなかへ出ていった。  大助もいっしょにゆこうとして傘と履物を出して貰い、門口から出ようとしたが、ふと身を翻して、戸袋の蔭へ隠れた。……いましも二人の武士が、向うの家並の軒下づたいに秀之進のあとを跟けてゆくのが見えたからである。  跟けているとみたのは直感だった。男は二人とも宿の着物に宿の傘をさしている。無腰だし、手拭を持ってふらっと出た恰好であるが、その眼つきと歩きぶりは前をゆく秀之進を覘《ねら》っていた。大助にはその「覘っている」という感じがぴんときたのだ。――新島ではない。二人はすぐに大助の視野から外れていったが、新島八十吉ではないことはたしかだった。  それで一応は思い違いかとも考えたが、すぐに二つの仮定が頭へうかんだ。その一つは新島の助勢ではないかということ、次は幕府の探索ということだった。  ――新島が此処へ来るまで手を出さなかったのは、この助勢の追いついて来るのを待っていたからだと云える。  ――幕府の探索ということも有り得ないことではない、太橋一家はだいぶ睨《にら》まれているから。  そう思いながら大助は部屋へ戻った。二人は無腰だった、今すぐ秀之進に危険があるとはみえない、とすればなまじこちらから挑戦するような態度はみせないほうがよいと考えたのである。部屋へ戻った大助は宿の者を呼んで勘定を命じた。 「お立ちでございますか」 「伴れの都合がわからないが、ことによると夕刻にでも立つかも知れない」 「……夕刻に」 「高島の温泉へいってみたくなったのでね」 「それはお娯しみでございます」  勘定をし終ったとき、宿の者がひき返して来て客だと伝えた。 「客だって、間違いじゃないか」 「いいえ、こちら様のお名前を仰しゃってでございます、若い御婦人でございますが」 「じゃあ通して貰おうか」  宿の者は戻っていって、すぐに客を案内して来た。それは藤尾だった。大助はえっと眼をみはった。 「どうしたんです」  藤尾はそっと微笑しながら、そこへ手をついて挨拶を述べた。どんなに急ぎの旅を続けて来たのか頬のあたり眼のまわりに疲れのあとがまざまざしく刻みつけられている。顔色もひどく悪いし眼も充血していた。 「そんな挨拶なんかよしにしましょう、いったいどうしたんですか」 「貴方がたのお後を跟けている者がございますので、柳さまのお云いつけでお知らせ申しにまいりました」 「なんだ、そのためにわざわざ来たんですか」 「もうご存じだったのですか」 「新島八十吉という者のことでしょう」 「名は存じませんのですけれど、高松藩の方と水戸家の方とがいっしょだと伺いました」 「水戸家……それは妙だ」大助は眉をひそめた、「もう少し精しく聞かして下さい」 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  秀之進が宿へ帰って来たのは一刻ほど経ってからのことだった。大助は独りで、一通の手紙をひらいてじっと腕組みをしていたが、秀之進が坐るとすぐに云った。 「早水さん、いま跟けられていたのを知っていますか」 「そうらしかった」 「誰の手先だと思います」秀之進はなにも云わずに大助の眼を見た、「わたしは新島の助勢か、幕府の探索かどちらかだと思った、そうじゃない、あれは滝川内膳と結城寅寿の手先だそうです」 「…………」 「あんたの留守の間に柿崎の藤尾さんが来たんですよ」するどい眼で、秀之進はちらと部屋の中を見まわした、「五日間、駕《かご》と馬のぶっ通しで追って来たそうで、あんまり疲れているようすだから、風呂へはいって寝るようにすすめたんです、向うの部屋でもう眠っているでしょうが……」 「結城寅寿がどうしたって」 「ひと口には云えませんね、滝川老職も結城もひどくもがいている、ひどいもがきようですよ」  かれは藤尾から聞いたことをかいつまんで話した。竹亭寒笑が滝川内膳に脅《おび》やかされて大助の身辺を密偵したこと、寅寿が梅八をさそい出した始終、寒笑が三当旗を盗み出そうとしたことから、大助と秀之進へ探索をつけた事実がわかったことなど……。 「つまり内と外と両面から、讃岐守さまを縛ろうとしているわけです、滝川老職は亀阜荘さまを除こうともがいているし、寅寿はその事実を種に讃岐守さまの幕府における権勢を利用して、おのれの頽勢《たいせい》を立て直す手段に使おうとしている、つまり寅寿はもうそんな手段を選ばなければならぬところまで窮しているわけです」 「……もがきか」秀之進はぐっと宙をねめあげながら呟いた、「いずれにしても、悲劇は避けられない」 「その一つが、ここにもう届いていますよ」  大助は膝の上に置いてある手紙を取った。それは藤尾に託した梅八のものである。秀之進はふり向きもしなかったが、大助は構わずしずかに読みだした。  それは切々たる告白の文字だった。こころ急ぐから要点だけ書く、その手紙はそういう書きだしで、自分が愚《ぐ》であったために、寅寿という客の正体を察することもできず、大助の木曽ゆきがどんなに大事なことかも知らず、さそいに乗ってつい秘密をもらした、それがどんなに重大な結果になるかということは、柳さんの話を聞いてはじめてわかった、自分はいま身も世もあらぬ気持だ……。いかにも悔恨のにじむ筆つきで一気に書きながしてあった。 「ここからの告白を聞いて下さい」大助はひと息つき、そういってしずかに手紙を読みつづけた。――わたくしは貴方のお情けでこのとしつき安穏にくらして来ました。そしてつねづね貴方がどんなお働きをなすっているか、往来なさるお武家さまがどのような方々であるか、なにをなさろうとするか、おぼろげながら知っていました。けれどもそれはただ知っていたというだけでした。「自分などの出る幕ではない、ああいうことはあの方々に任せて置けばよい」そう思っていたのです、そういう自分勝手な、気楽な考え方をしていたために、こんどのような情けない過ちをしてしまったのだと思います。  寒笑が御恩を仇で返すようなことをしたのも、お調子者で気が弱いというだけではありません。今の時勢がどのようなものか、それを知らないのが原因です。日本人ですから禁裏さまの尊いことは知っていますが、だから今どうしなければならないのか、ということは考えようとも思わない。「誰かがやっている、自分にはかかわりのないことだ」そう気楽に構えていた、それがあんな恥知らずな事をする原因だと思います。  わたくしは今はじめてわかりました。こんな自分本位な考えかたをしている者は、いっそ禁裏さまに盾つく者より悪いということを。そうですとも、それに違いありません、わたくしや寒笑などは今日のおめぐみを受ける値うちもない人間です。……わたくしは自分と寒笑の始末を致します。どうするかはいずれ貴方のお耳にもはいることでしょうけれど、そのときはどうぞ哀れなやつと思召《おぼしめ》して、こんどの罪をおゆるし下さいまし、こんどの世には、りっぱな日本の女に生れ更《かわ》って来たいと存じます。藤尾さんのゆくすえがお仕合せであるように、わざとそれのみお祈り申します。  大助は読み終ってからしばらく黙っていた。その文書がなにを意味するかはあまりにはっきりしている、梅八は寒笑をみちづれにして死ぬ気である、おそらくはもう死んでいるかも知れない。 「それは悲劇ではないよ」秀之進が低くはっきり云った、「哀れではあるが、その女は眼が覚めた、自分がどんな人間であるかを知ったんだ、こんどの世は正しく日本の女に生れ更って来るという……悲劇じゃない、むしろりっぱだと云うべきだ」 「わたしは死なしたくなかった」 「死ぬことは問題じゃない、問題はどう死ぬかだ、……おれは先日『死』を考えた、日本人の死のふしぎさを考えた、『この次の世には』という、転世の信念のふしぎさを、……いまここにその例にぶっつかっている、おれはむしろその女の死を褒めてやりたい気持だ」 「そのことはたしかです」大助は手紙を封におさめながら云った、「だが……やっぱり哀れな、一生ふしあわせな女だった」 「柿崎という人をどうする」  秀之進がふとそう云った。 「困った、この手紙では江戸へ帰ってもしようがないし、といってほかにどうしたらいいか……知恵はないか」 「つれてゆこう」そう云われて大助は秀之進を見かえした。そして、かれが一刻ほど歩いて来たのは、そのことでなにか考えるためだったということに気づいた、「高松にひとところ落ち着き場所がある、問題なのはゆき着くまでだが……さしあたり大さんがつれて、此処をさきにたちたまえ」 「わたしが、だってそれじゃあ」 「新島と探索共はおれがひきうける、出立は今夜半がいい、そうきめよう」  そしてわれわれも昼のうち寝ておくほうがいいと、秀之進はてきぱき独りできめてしまった。……高松に落ち着き場所がある、それはいったい何処だろうか、ちょっと考えると亀阜荘のようでもある、左近頼該の側へ侍女にあげるとすれば、尤もふさわしい落ち着きどころだろう、もうひとつは秀之進の養父、得石早水市左衛門である、古い郷士で、富んでいるとはいえぬまでも生活には困らない、秀之進がいなければ市左衛門ただ独りで、下僕二人を使っている静閑な家だった。……そうだ、亀阜荘よりも早水家のほうが適当だ、おそらくかれもそう考えついたのに違いない。大助はそう考えて、ようやく肩の重荷をおろしたような気持になった。  昼食のときには藤尾は起きて来なかった。三人が顔を合わせたのは夕食のときだったが、秀之進は娘の挨拶に対して「うん」とひとつ頷いたきりだった。藤尾はさっと赧《あか》くなったが、つぎにはすぐ逆に蒼《あお》くなり、食事のあいだじゅう眼をあげることができなかった。  夜半十二時、三人は宿の者に提灯《ちょうちん》支度をたのみ、雨を冒して出立した。  藤尾は雨支度がないので、合羽も笠も大助のを借りた、大助は蓑《みの》と筍笠《たけのこがさ》で間に合わせた。宿を出てから提灯をつけた。雨は降っているがもうそうひどくはない、むしろ間もなくあがるらしく、空には断雲の流れるのがおぼろげにみえていた。……ぴたぴたと、水溜りを踏む三人の足音だけが、深夜の道に空しい反響を伝えていった。  半刻ほどして道が小さな村宿へはいって出ると、右手にかなり広い草地のあるのがみえた。左手は宮川の流れである。道に沿って草原を囲むように、灌木《かんぼく》と松林が伸びている。秀之進はそこで立ち佇《どま》った。 「おれは此処で待つ」 「此処でどうするんですって」 「かれら待つのさ」  大助はびっくりした。 「だって相手はふた組ですよ、新島と探索たちと、新島はともかくあとの連中は四、五人もいるらしい」 「おれが残るのは条件によるんじゃない、そうするほかに方法はないからだ」秀之進はきっぱりと云った、「いきたまえ、多分すぐ追いつけるだろうから」  さからってもむだである。大助は頷いた。 「じゃあ、そうしましょう、高島で待っています、宿の軒へこの筍笠を下げて置くから」 「いや高島で待つことはない、ゆけるところまでゆきたまえ、その筍笠に赤い布片でもつけて目印にしてくれれば、それをめあてに追いかける、なるべく先へゆきたまえ」  そう云い捨てると、秀之進はさっさと松林の中へはいってしまった。  何処かに雨をよける場所はないかと見まわしたが、闇のなかのことで、どっちへいったら何があるかまるでわからなかった。道から離れるわけにはゆかないので、秀之進はしばらく松林と灌木のそこ此処を歩きまわったのち、少し小高くなった処へ合羽のまま腰をおろした。……二人の去ったほうを見やったが、もう提灯の光りはみえなかった。雨はずっと小降りになっている。それもぱらぱらと来ては遠のく感じで、空もどうにか明るんでゆくように思えた。  秀之進は夜の明けるまでそこにいた。未明の頃には雨はすっかりあがって、肌寒いほどの風とともに爽やかな朝を迎えた。このあいだに農家の人夫の往来はあったが、待っている相手の姿はみえない。かれらはまだ三人の出立に気づいていないとみえる。しかしくい止めるには此処が屈竟《くっきょう》だと思うので、秀之進は辛抱づよくそこで待つことにした。それで日の出少しまえにかれは清水の流れるところへいって握り飯を喰べた。  午前十時と思える頃、新島八十吉の急いで来るのがみえた。秀之進は脱いで干してあった合羽と、両掛けの荷とをひとつに纒め、傍の松の根本へ置いて立ちあがった。……八十吉は大股に急いで来る。秀之進は小高い処に立っていたが、伸びあがって道の彼方を見た。探索の人々が来はしないかと思って……、だが宿をぬけてまっすぐに延びている道の上には、土地の者がばらばらと四五人みえるだけで、武家らしい者の姿はどこにもみあたらなかった。  近づいて来る新島の歩速に合わせて、秀之進は松林の中をそっと道の近くへおりていった。八十吉は別々に来て、秀之進には気づかずに通りすぎた。秀之進はもういちどうしろを見返して、それから新島のあとを追った。 「待ちたまえ」かれはそう呼びかけた、「早水秀之進は此処にいる」 「…………」新島はぴくっと肩をすぼめた。そして刀の柄に手をかけながら、襲われたもののようにふり返った。  ふり返った新島は、ついでに手で笠の紐《ひも》をひき千切ってはねた。これだけの動作には、不意をつかれて狼狽《ろうばい》し、むしろ逆上したともいえる気持のよろめきがあからさまだった。 「向うに草原がある」秀之進はいま自分が出て来た松林の彼方を指した、「誰にもみつけられずに立合いができそうだ、君はそれが望みで来た筈だと思う、おれも此処で片をつけるのが望みだ、来たまえ」 「…………」  刀の柄に手をかけたまま、新島はすばやく道の上下を見やった。追い詰められた獣が逃げ場を窺《うかが》うような眼つきだった。 「どうするんだ、やるのかやらないのか」 「……拙者は、一人と一人との、勝負が望みだ」  新島が舌のもつれるような調子でいった。 「だから一人と一人だ、おれに助太刀でもあると思っているのか」 「……しかし、拙者は」 「文句はいらない、やるのかやらんのか、はっきりしろ新島」 「……どこでやるんです」 「先へゆきたまえ、その松林の中へはいるんだ、右だ」  常陸の府中の宿で、大助と応対したときの傲岸《ごうがん》なようすは、今の新島八十吉には微塵《みじん》もなかった。呼びかけられて抜き合せるかたちだけはみせたが、心はまるで闘志を失っている。水戸のときで腕の違いを知っているためだろうか、しかしそれで自信がないのなら、こんどまた一人でつけて来るという筈はない、ではこっちにゆだんをさせようというつもりだろうか……うしろから挙動の端々をじっとみまもりながら、秀之進はふしぎな八十吉の態度の解釈にくるしんだ。  松林をぬけて、小高い丘を越すと、その向うにかなり広い草原がひらけていた。午前の強い日光を浴びて、夏草がかっと眩《まぶ》しいほどに輝いている。秀之進はそのなかへはいっていって足を停めた。 「此処がいいだろう、しかし、君は本当はやりたくないんじゃないか、これはおれが挑《いど》んでいるんじゃない、こんな事はおれにはなんの興味もないんだ、それはわかっているだろう」 「……そうです、仰しゃるとおりです」八十吉は唇を震わせながら眼をあげた、「拙者にはあなたを斬ることはできない、口惜しいけれど本当です、水戸のときはそうでもなかったんですが、今では……」 「じゃあどうしてつけて来た、いったいどうしようというんだ」 「むしろ……拙者はむしろ」八十吉はひどく思い詰めたようすで、ひたと秀之進を見あげながらいった、「この自分をどうにか片付けてしまいたいと思っているんです、どうにでもいい、さっぱりと解決をつけたいんです、江戸からずっとそう考えながら此処まで来ました」 「ちょっと待て」  秀之進は丘の上へはせ戻った。 「おい、こっちへ来たまえ」  丘の上へいって、道の上を見まわしてからふりかえって秀之進が叫んだ。新島はすぐにきた。秀之進はきっと相手を見て云った。 「君は病気だ、肉躰の病気じゃない心の病気だ、おれを斬る気持はないが、申付かった役目を投げだすこともできない、どうしたらいいか自分に決心がつかないで、なにかしら偶発的な出来事が、解決してくれるだろうと待っている……そういう状態がどんな原因からきたものか知らないし、また知りたいとは思わないが、しかしそれは君の心が病んでいるからなんだ、事実は偶発的な出来事をさえ恐れている、その証拠には、君はさっきおれが呼びかけたとき反射的に自分を護ろうとした、……江戸へ帰りたまえ」 「むしろ拙者を伴れていって下さいませんか」  八十吉はけんめいに云った。 「いや、よしたまえ」無遠慮に、八十吉が続けようとする言葉をさえぎって、秀之進はきっぱりと云った、「君の悩みには同情するが、それは自分で乗り越えなければならぬことだ、時代そのものが悩み苦しんでいる、われわれはその苦しみ悩みの中にいるんだ、それを自分の力で克服したところに道がある……君が、少なくともおれを斬れなくなった変化にぶっつかっていることだけでも、無意味じゃない、われわれにはひじょうな努力と根気を以てしなければ、切捨てることのできない多くのものがある、それを切捨て、そこから新しい道へ踏みだすことは、普通のことでは不可能だ、同時にその不可能を可能にすることが……われわれの唯一の生きる道だ、江戸へ帰りたまえ、腫物《はれもの》は根から剔抉《てっけつ》しなければ治りゃしないぞ」  新島八十吉は黙って頭を垂れてしまった。  秀之進には今はじめてわかる。江戸から此処へ来るまで、執拗《しつよう》にあとをつけて来たかれ、斬るつもりなら機会はいくらもあったのに、或るときはわざわざその機会を与えてやったのに、手を束ねて動こうとしなかった……つまり新島は新島なりに、自分の思考を遮るものにぶっつかっていたのだ。その内容が事実においてどれほどのものかは知らない。しかし少なくとも現在おのれの為《し》なさんとする事がおのれに満足を与えない、いや却ってそれが正しからざる事ではないかという疑いを起こしてさえいる。それだけでも、伝統のなかに生きる人間としては大きな飛躍である。あとは苦しむだけだ。その苦しみが大きいほど、かれのなかに生れる新しい命は大きい意味をもつだろう。苦悩や困難ほど人間を鍛えあげるものはないのだから。 「いつかまた、お眼にかかれるでしょうか」  新島がそう云った。 「まるで予想がつかない」秀之進は松の根本へ置いた合羽と両掛とを取りあげた、そして道の向うから急いで来る五人づれの武士をさし示して云った、「現にあの人々とも果し合をしなければならないかも知れないのだから、……ではこれで」  秀之進が道へ出たとき、五人づれの武士はもう二十間ほどさきへ通り過ぎていた。――これでは追う者と追われる者が逆ではないか。そう思って苦笑するほど、かれの心には余裕ができていた。余裕というより意力の堆積というほうが当っているかも知れない。新島八十吉に頭を垂れさせた、一挙手の労もなく、生きかたの差で勝った、これは若い秀之進にとって確信を強める大きな収穫だった。自分で気づかないが、拡充された意力のたしかさが、かなりはっきりと身内に感じられる。……かれはいま唇許《くちもと》に微笑さえうかべながら、ゆっくりと五人のうしろへ近づいていった。  道の左を流れている上川が、諏訪《すわ》の湖へはいる前に少し左へ曲ってゆく、その彎曲《わんきょく》したところが草原になっていた。秀之進はそれを見当に足を早めていって、しずかに五人を追いぬいた。追いぬいて五つ足、くるっと向きなおって五人の前へ立ち塞がった。かれらはすぐにこちらを誰だか認めたらしい、あっといいながら左右へひらいた。 「貴公らがつけて来るのは知っていた」秀之進はしずかに云った、「なるべくならば双方に怪我《けが》のないよう、うまく別れる方法はないかと思案して来たが、どうやら抜き合せなくては始末がつかぬようだ、……そっちに文句があるか」 「それは、どういう意味かね」ひどく声のしゃがれた男が、右の端からそう反問した、髭《ひげ》の濃い眼のするどい男である、「われわれには貴公の云うことがさっぱりわからん、つけて来たとか、抜き合せるとか、いったいそれはなんのことかい」 「理由は滝川内膳が知っているだろう」五人はちょっと息をのんだ、秀之進はおっかぶせて云った、「結城寅寿も承知の筈だ、おれは事を好まないが、どちらかに決定しなければならぬときは仕方がない、小を捨てて大をとる、これでこっちの決意はわかったろう、……解決は二つある、此処から江戸へ戻るか、それとも」  秀之進がそこまで云ったとき、右の端にいた髭が「貰った」と叫ぶなり抜打ちを仕掛けて来た。斬るというより気を奪うという感じの打である、秀之進は僅かに躰をひらいただけであるが、五人は野蛮な叫びをあげながら抜きつれて左右を固めた。彼は柄に手をかけたまますばやく相手の動作を見やった、いま仕掛けた一人が手ごわいように思える、あとの四人はたいしたことはないようだ。  ――この髭を倒せばいい。  そう思って、かれはじりっと躰をうしろへひいた。吹きわたる風が、この人々の袴《はかま》の裾をひるがえし、さやさやと夏草の葉ずれの音をたてていた。  えいっと秀之進の言葉を叩っ切るように、右の端から抜き打ちを掛けた者があった。あの髭の濃い眼のするどい男だった。秀之進はその切尖をひきはなして、さっと道から草原へとびしさった。 「いまのは水戸藩士だな」秀之進は刀の柄に手をかけて、「常陸びとの骨は硬いという、おれにはこれが二度めの見参だ」 [#3字下げ]甲冑[#「甲冑」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  讃岐のくに高松城の南西にあたる宮脇村の亀阜荘では、その朝はやくから表門をひらき、清砂を掃いたり水手桶を積んだりして、客を迎える支度をととのえていた。参覲《さんきん》のいとまで帰国している藩主松平頼胤が、微行のかたちでおとずれる日だった。  午前十時頃になって、なんの前触れもなく城から目付役が出張して来た。亀阜荘の周囲から道筋の辻々へ、警護の人数が配られた。亀阜荘の家扶がおどろいてその理由を詰《なじ》った。  ――今日は御兄弟おこころやすく御対面とのことで、御微行の式と承っており、そのために当方でもその心得で支度をした、それなのに今になって、この厳しい警護はどういうわけであるか。  ――自分は御老職がたの申付けどおりにしたので、仔細《しさい》はなにも知らぬ。  目付役はそう答えた。家扶は重ねて、  ――御兄弟のあいだに、とかく聞き苦しい風説のたえぬ折から、このような事をされるとますます世上の疑惑をまねくもとである、早速その筋と相談して警護を解かれるよう、いずれにしても亀阜荘の周囲に人数を配ることはおことわり申す。  ――ではその旨を相談してみましょう。  そうは云ったが、目付役ははじめから承知とみえ、改めて老職に相談するようすもなく、また亀阜荘まわりの人数も解かなかった。それでちょっと不穏な空気がながれたが、左近頼該が耳にとめて、  ――さようなことに口を揷んではいかん、讃岐守どのはこの国のあるじだ、警護を配るのは当然のことではないか。そう云ってきびしく妄動《もうどう》を禁じたので、あやうく事は起こらずに済んだ。  頼胤はそれから半刻ほどして到着した。供まわり二十人ほどの微行である、左近は式台まで出迎え、そこからつれだって客殿へはいった。左近頼該は四十三、頼胤は四十一歳、どちらかというと弟のほうが老けてみえるのは、幕府の枢機に与《あずか》って、激しい時代の潮流と闘っているためだろうか。左近はゆったりと肉の厚いからだつきで、唇のあたりにたえず穏やかな微笑を湛えている、ぜんたいに田園の隠士という風格があった。 「貞どのはお痩せなすったな」  左近は頼胤の幼な名貞五郎を呼んでそう云った。挨拶が済むとすぐのことである、頼胤は兄のうちとけた調子に心をうごかされたようすで、手を頬にやりながら苦笑した。 「不敏の身で人がましい大役に奔走しているからでございましょう、貞五郎などはもう隠居をすべきときでございます」 「みなそれぞれに骨の折れる時勢だから、御苦労はつねづねお察し申している、……まして貞どのにはこの左近などという邪魔者があるので、なにかとお心をいためることが多いであろう」  述懐するような言葉だったが、頼胤には思いがけなかったので、ふっと眉を曇らせながら兄の眼をみた、左近は穏やかな微笑を含んだまま、べつに他意のないようすで弟を見かえしていた。 「この頃はなにか御宗旨に凝っておいであそばすとうかがいましたが」  頼胤は兄の言葉には触れず、話頭を転じた。 「凝るというほどでもないが」と左近はしずかに答えた、「ちょうど世の中のありさまが似ておるので、元寇の役のことを少し調べていたら、僧日蓮の宗論に眼をひかれた、ここで披露することもないだろうが、日本国体というものを中心にした考え方、殊に宗教を大陸の影響から離脱して、自主的に確立しなければやがて国家の大難を招来するだろうと予言しているところなどは、なかなか肯綮《こうけい》に当っていてするどい、その日本を主とした宗教観は現在にも有要だと思えるので、ひまひまに読んだり話を聞いたりしているようなわけです」 「それは立正安国論とかいうのですね」 「それにもある、ほかにもいろいろはげしい論文がある、いまはどちらにしても」と左近はさりげない調子で付け加えた、「文にも武にも、わが国体の尊厳というものを煥発《かんぱつ》することを中心にすべき時だ、そのためには庶民の耳に入りやすい宗教なども、これでなかなかお役に立つと思う」 「いろいろとむずかしい時代でございます」  頼胤は再びかるく兄の話題から躰をかわした。間もなく質素な午餉《ひるげ》が出て、それが終ると二人は茶室へ席を移した。話はいくたびも時事に触れようとしながら、さりげない方へとそれた。どちらも相手に要求をもっている。兄は弟に対して幕府の先覚者たれと云いたいし、弟は兄に尊攘派の人々との往来を断って貰いたかった。そして同時に、兄は弟の地位の並々ならぬ困難さを知り、弟は兄の心事の動かすべからざることを了解している。こうして互いに相手に求めるものをもちつつ、相手の立場を理解するために云いだせないことが、ともすれば会話をとりとめのない方向へとそらせてしまうのであった。  半刻ほどして茶室を出ると、左近は弟をおのれの書斎へ案内していった。 「お忘れではなかろう」 「なんでございますか」 「あの上段にある甲冑《かっちゅう》」  左近が正座した膝を向直して床間を見やった。頼胤も兄に倣《なら》ってそちらへ眼を向けた。そこには一領の甲冑が飾ってあった。青、黄、赤と三段|威《おどし》の美しい鎧《よろい》で、兜《かぶと》にも腹巻にも菊水の金章が打ってあった。 「楠氏の鎧でございますか」 「……そうだ」 「幼い頃いちにど拝見をした覚えはございますが、この鎧だったでしょうか、もっと古びたもののように思いましたが」 「いやあの鎧だ、先年わたしが頂戴して手入れをしたから、感じなども違ってみえるかも知れない」  左近は膝の上に両手を置いた。  楠氏の甲冑はふるく家に伝わるものだったが、左近頼該はかねて正成公の遺烈を敬慕するあまり懇願してこれを貰いうけ、名ある工人に修飾させたうえ、座右にそなえてあるものだった。 「ときに……貞どの」左近はふと弟を見かえった、「このたびのお国入りの供のなかに、他家から紛れこんだ者がいるのだが御承知か」 「いや、なにも知りません、そのようなことがあったのですか」 「わがままなおたのみだが」左近は弟の反問を聞きながし、かたちを改めた調子で云った、「その他家から紛れこんで来た者を、貞どのの手で追放して頂きたいのだが」 「しかし、いったい他家の者が供に紛れこんだという、……そのことがよく解せません、それはどういう仔細なのでしょうか」 「簡単に云えば、甲辰のもつれの尾だ」 「…………」  頼胤はじっと兄の眼をみつめた。左近もやさしくその眼を受けとめた。そのときまで触れようとしては脇へそれていたものが、いまや二人の間にしっかとその姿をあらわしたのである。頼胤は唇をひきしめた。 「供のなかに紛れこんで高松へ来たのは、水戸どのの家臣だ、というよりも結城寅寿ふくしんの者だ、姓名は大峰庄蔵、矢田部源七郎という、途中は下郎にやつしていたが、いまでは栗林荘にいる」  口調は穏やかであるが、まるで掌の物を指すような、あまりに確たる云い方なので、頼胤にはかえすべき言葉がなかった。 「早速とりしらべまして、さような者がおりましたら仰しゃるように計らいましょう……そして、その者共は水戸家へ渡しますのか、それとも追放するだけでございますか」 「栗林荘から追い出して下さればよい、あとは見ぬふりで……」 「承知いたしました」 「なるべく御自分でおはからいなさるよう」  左近はじっと弟の眼を見ながら、念を押すように云った。それがどういう意味かは頼胤にはよくわかった。寅寿ふくしんの者を供のなかに紛れこませたのが滝川内膳らの計らいであるのは云うまでもない。そうだとすれば老臣に命じても、その二名の追放は実行されぬとみなければならぬ……斉昭に私淑する左近が云いだすからは、その事実を指摘して来たのは水戸の激派であろう。ここでもし二名の追放がうやむやに終るとすれば、必ず水戸家とめあいだに悶着《もんちゃく》が再発する、――この問題だけは兄の言葉どおりにするほかはない、頼胤はそう心をきめた。  その話が済むと左近はまたもとの磊落《らいらく》なようすにかえり、弟をさそって庭へ出ていった。  かれはにこにこ笑いながら、この頃は世間でいろいろ亀阜荘の評判がやかましいこと、左近頼該が瘋癲《ふうてん》人だとさえ噂《うわさ》されていることなどを冗談のように話した。  「下人どものあいだで、少し気のおかしい者のことを『左近さま』と云うそうだ」  そう云ってしずかに笑った。  左近頼該を瘋癲人だという評判はかなりまえからあった。それは前にも記したが、家臣の多くに頼胤を廃して左近を藩主にたてようとする機運がうごきだしたとき、左近がにわかにおのれを歌舞遊楽に韜晦《とうかい》した、その頃にもう根ざしていることだった。その後も遊侠の徒日柳燕石を近づけたり、名も知らぬ諸国の浪人処士を出入りさせたり、法華経に凝ったりすること、その表面をとりあげて浅見の徒が「病狂人」と謂《い》うのは、さして咎むべき誹謗《ひぼう》ではなかったといえる。しかし……頼胤にはべつの意味で、兄の言葉が心に痛くつき刺さった。その世評はしぜんに弘まったものではなく、いやしぜんに弘まったことが事実であるとしても、それを抑えなかったもの、寧《むし》ろ助長させたともいえるものがあることを知っていたからである。  ――ここにも時勢のはげしい潮流がしぶきをあげている。  頼胤はそう思った。正しくそのとおりなのだ、頼胤を擁立する勢力は伝統保守である、封建の世を保守しようとする人々には、左近頼該はその在ることすら邪魔なのだ。どんな方法をもってしても喪いたい人物なのだ、生命が喪くならないとすれば、少なくともその存在を無意味にするだけでもよい、それが左近を「病狂人」と云わせる蔭のちからになっているのである。 「比較をするのは僭上かも知れぬが」と左近はもの思わしげな弟に構わず、かえって明るくさえある調子で続けた。「大楠公も御自分を死んだとみせて、まず味方を妄信《もうしん》させられたことがある、激しい戦いのさなかに、一軍の統帥たる身が死んだと偽ることは、その計策の価値とは離れて、非常な英断と云わなければならない、わたしはそれを敢えて実行したときの大楠公の心事を想う、王事のためにはおのれを殺し、一族を殺す、あらゆる条件をこぞって、ただひと筋にみいくさにうちこむ、その心事の清純壮烈さに、ただただ頭がさがる……わたしが瘋癲人であるかないかは、わたしがこれからなにをするかで決定するだけだ、わたしはそれを考える、あの甲冑を拝するたびにそれを考える、下人の評判というものも」  そう云いさして、左近は、なにか眼に見えぬものに低頭するような調子で言葉をむすんだ。 「まことに下人の評判というものも、天のこえだと思う」  頼胤は夕餉までいて城へ帰った。……弟を送りだした左近は、屋形へ戻るとすぐに、居間に隣接した密室へはいった。そこは側近の者もちかづくことを禁じられている。或るとき小姓のひとりが、厳秘にされている室内のようすに興味をひかれ、隙をみてそっと覗いたことがあった。するとそこには頭を丸めた異形の男がいて、まるで餓鬼のように芋粥《いもがゆ》を喰べているのがみえた。そしてあまりその男のありさまが異様なので、その年少の小姓は気絶し、間もなく勤めを退いたと伝えられる、……つまり左近のほかには何人も近づくことをゆるされぬ部屋だったのである。かれはそこへはいっていった。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  密室の中にいたのは武田魁介と久木直二郎の二人だった。久木は作田金吾、武田は上杉三十郎と変名している。武田が寅寿から訊きだして、大峰、矢田部の在所をつきとめて此処まで来たことは云うまでもあるまい。左近が頼胤に求めたのは、この二人の指摘に依るものだったのである。 「望みのことはとりはからって置いた」座に就くなり左近が云った、「いつ追放となるか、日時はわからぬが、二人が追い出されることだけはたしかだ、栗林の不浄門を見張っておれば誤りはないと思う、あとのことは見ぬふりをせよと申して置いた」 「御厚志なんともおん礼の申上げようがございません」久木が丁寧に礼を述べた、「御配慮に依りまして、事が穏便におさまりまする、かたじけのう存じ奉りまする」 「われわれは勿論」とそばから魁介が云った、「御当家のおんためにも、不要のいざこざなしに相済んで、祝着に存じます」  勃然《ぼつぜん》たる眉つきであった。かれにすれば、それでも寧ろ云い足りなかったのである。大峰、矢田部の二奸賊のために、ここまで出かけて来なければならなかったのは、ひとえに高松藩が二人を隠匿したためである。礼を述べるどころか、逆に詫びを求めたいところでさえあった。……魁介の気持はそのまま左近に通じた、けれどこちらは穏やかに笑った。 「粗飯ではあるがいま支度をさせておるから、夕飯をたべてゆくがよい、捨て扶持の身の上でもてなしもできぬが」 「お側に早水秀之進と申す仁がおりますか」  久木が訊いた。 「早水……ああ、家臣ではないが、眼をかけておる者にいる」 「当地へ帰りましたろうか」 「……なんぞ用か」 「帰っていたら会いたいのです、ちょっと貸があるものですから」  左近はなんとも答えなかった。一昨日、夜になって校川宗兵衛がひそかに訪ねて来て、秀之進からの返辞を聞いた。「水戸への使者の目的は達せられなかった」ということであった。秀之進がそれからどうしたかは、宗兵衛はなにも云わなかったけれど、その口うらから察すると、すぐに高松へは帰れぬ要務に就いたらしい、だから久木直二郎の「貸」がどういう種類のものかわからないが、仔細を聞くには及ばぬだろうと思ったのである。  運ばれた食膳は心の籠ったものだった。しかし久木も武田も無雑作にたべ、終るとすぐにいとまを告げた。 「帰国するまえにまた訪ねてまいるがよい」  左近がそう云うと、魁介はぶっきらぼうな調子で答えた。 「名だかい左近さまの法華講釈も、高松みやげに拝聴して帰りたいと思いますが、天下多事のおりから、それもかなわぬかと存じます、御平安をいのりあげます」  そして二人はさっさと辞去していった。  久木と武田を送りだして、書斎へ戻った左近は、侍臣から校川宗兵衛が面会を求めに来ていると告げられた。「城代家老よりの使者としてまいりましたと、口上にござります」城代からの使者、左近はちょっと眼をつむった。……大峰、矢田部を追放すると、弟に約束させてから半日、案外すらすらとはこんだので、やっとひと息ついたところである。そこへ追っかけて城代からの使者といえば、両人追放に反対を申し出たのではあるまいか。そうだとすれば事は面倒になる。頼胤の立場が困難なことをよく知っているかれは、無理に押し切ることが、弟をどんな苦痛に押しやるかわかるし、さりとて老臣たちの申し条を容《い》れれば、今とりかわしたばかりの、水戸家臣との口約を裏切ることになる。――こういうつまらぬ事の縺《もつ》れから大事を誤るものだ。左近は使者にどう応待すべきかをややしばらく考えたのち、引見の間へと出た。  使者の校川宗兵衛は、紋服に麻上下を着けて来ていた。左近はすぐに扈従《こじゅう》の者をさがらせ、膝をつき合せるようにして坐った。 「城代の用向きはなんだ」 「お上御帰国の供の中に、他家の家臣が紛れこんでおるとの御意につき、さようなる事実はこれなく、思召し違いに存じ奉るとの口上にございます」 「使者の役たいぎ」そう云って左近はじっと宗兵衛を見た、「宗兵衛、そのほうに城代の使者を申付けたのはなに者だ、老臣のさしずか、それとも」 「お上の御指名にございます」 「讃岐守どのの……」ああそうかと、左近ははじめて安堵《あんど》の微笑をうかべた、「では大峰、矢田部と申す二名の者は、たしかに追放されるのだな」 「御意のとおりにございます、二名を隠匿せる事実なしと、老臣共の言質をとるためのお上の御遠慮にて、その旨を言上のためわたくしめにお使者の御指名があり、時刻はずれにございますが伺候つかまつりました」 「それでよい、もし不調に及んだらと案じたが、それで余も安堵したぞ」 「もう一つ言上がございます」宗兵衛はそう云ってちょつと眼をふせた、「今朝はやく、倉敷代官さし添いにて、木阪町奉行よりの使者がまいり、高松郷士早水秀之進に対する追捕《ついぶ》の旨を申し達しました」 「秀之進に追捕の命とは」 「信州高島城下にて闘争に及び、五名殺傷のうえ逃亡との理由にございます」  左近はじっと宗兵衛を見た。なんのために秀之進が信州などへ行ったのか、殺傷した五名の対手はどこの者か、左近には見当もつかなかったが、宗兵衛はなにごとか知っているように思えたのである。 「秀之進はなんのために信濃へまいったのだ」 「わたくしも存じません」 「少しも知らないのか」左近はたたみかけた、「このたび水戸への使者を申付けたのも、そのほうに会って添書をたのめと申したのも、余にすれば秀をそのほうに対面させたいと思ったからだ、そのほうは知らぬであろうが、秀は学芸武術にすぐれた質をもっている、うまく伸びれば御国の役にたつべき者だ、……しかしかれには心の傷があって」そう云いかけて、左近頼該はふと苦しげに眉をひそめた、「……世事人情を疎んずる風がある、なにごとにも夢中になれず、燃えあがるということができない、その根は、おのれが日蔭の生れだということ、実の親にみはなされた、ということ、この点だった、世間に例のないことではなし、他人にはさほど問題にすべきことではないと思えるが、かれにはその根が一生を支配する大きな悩みのもとだった、余はその悩みをとってやりたかった、心の傷をとって、御国の役にたつべき資質を生かしてやりたかったのだ」 「思召しのほどは、わたくしにも相わかりました、はじめて訪ねてまいりました夜、正直に申せば……」宗兵衛はぐっと唾をのんで、「わたくしは、あれに会うことが辛うございました、父子らしい言葉を交わそうと努めましたが、どうしてもそれが口に出ず、あれもなにやら隔てありげにて、ついによそよそしく別れてしまったのでございます、水戸からの戻りに、再び訪ねてまいりましたおり、このたびこそはと存じました、このたびこそ、そう存じましたが、そのときはもう、父子の情などははいり込む隙もないほど、かれのようすは変っていたのでございます」 「秀のようすが変っていた」 「変っておりました」宗兵衛はその夜のありさまを回想し、甦《よみがえ》ってくる感動をそのまま伝えたいというように、双眸《そうぼう》をうるませながら云った、「あれは正しく時勢の大きさを正しく視ております、自分の出生についても、生みの父に対する怨みも、あれの心にはもうあとを留めません、……あれには、父とか子とかいう考えすらなくなって、ただ共に死ぬべき同志としてわたくしをみるようになりました」 「共に死ぬべき同志とは」 「あれは……彦根城攻略の旗挙げに加わる所存だと思います」  左近はさっと眼の色を変えた。 「彦根を攻めると」 「わたくしの企てたものでございます、失敗するのは明らかですが、もう誰かがなに事かをなさぬといかぬ時期です、わたくしは拳を空に揚げるだけの意味で、事を計りました、それを若い者共がとって代ったのです、……恐らく秀之進はその挙兵に加わるため、或る用務を帯びて木曽へまわる太橋の大助と同行したのでございましょう、信州の出来事はその途中のことと存じます」 「暴挙はいかんと、くれぐれもそう戒めて置いたに」  左近はそう云いながら、しかしそこにはもう堰《せ》き止めることのできない、時代の流れのはげしさを認めざるを得なかった。 「それで、かれらは本当にやる決心か」 「柳、松崎らが中心になり、武器軍資は太橋の調達で、秋十月には決行ときまっていたようでございます、……しかし、信濃で問題が起こったとしますと、あるいは齟齬《そご》を来たすかもわかりません」 「齟齬を来たしてもよい、秀はここで殺したくない男だ、こんな事で殺すには惜しい人間だ、高松へ戻れるであろうか」 「大阪の奉行から追捕がまいるようでは、それもおぼつかのう存じまするが」 「その出来事に大助は関わっていないのか」 「その点はまるで相わかりません」 「よし……秀は太橋の店を知っておる筈だ、大阪と堺の店へ余から舟の支度を命じて置こう、亀阜荘の御用舟なれば、うまく渡ることができるかも知れぬ」 「忝《かたじけ》のうござります」  宗兵衛は心うたれたように平伏した。左近はそのようすをみて、なにやら気づいたらしく苦笑をもらしながら云った。 「そのほう、余の法華執心をだいぶ悪く申しておるそうだが、どんなものか見たいとは思わないか」 「……はっ、それは……」 「まいれ、見せて遣わす」  そう云って立ってゆくので、宗兵衛もしかたなしにあとからついていった。……左近は別棟になっている講堂のような建物へ導いていった。御殿とは渡り廊下でつながっている。まわり廊下で、畳五十帖ほど敷ける広間の、一方に祭壇の設けてある部屋だ。そしてその祭壇には七字の名号を書いた軸が掛けてあった。 「ときどき信徒を集めては、ここで余が法華講釈をやる、いとまと場所の都合さえつけば、領内どこへでも出かけて講釈をする……だが宗兵衛」左近は眼を細めて見かえった、「余がどんな講釈をするかを、今こそそのほうに見せて遣わそう、頭が高いぞ」  頭が高いぞと云われて、宗兵衛は両手をおろしたが「なんの法華経が」と思うので面はさげなかった。左近は祭壇に近づき、三拝の礼をしたのち、しずかに七字の軸をとりはずした、その下には白無地の軸がある、それをさらにはずすと、いきなり宗兵衛の眼へ、今上天皇――という文字がとびこんで来た。宗兵衛はあっと叫び、五六尺とびしさって平伏した。左近も座をしりぞいて両手をおろし、水のように静かな声で云った。 「宗兵衛、拝んだか」  雷が頭上へ墜《お》ちたかと思った。宗兵衛は全身に汗をおぼえながら畳へ老いの額をすりつけていた。 [#3字下げ]秋の水[#「秋の水」は大見出し] [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  昏《く》れがたに大阪から船がはいり、その荷揚げが夜をこめておこなわれたし、一部は店のほうの土蔵へも運び込まれるので、塩屋町にある太橋屋の店は提灯をあかあかと表にかけ列《つら》ねて、かなり更けるまで人の出入りが賑やかにつづいた。  塩屋町から通町へかけては高松城下の問屋町ともいうべく、多くの老舗《しにせ》が軒を並べていた。太橋屋はそのなかでも指折りの店だったが、この数年はひだりまえだという噂がもっぱらで、もう挽回はできまいとさえ云われていた。それでその夜の活気立った荷揚げのありさまは、商売を盛り返したというよりも、かえって最後のひともがきという印象を与えたのである。  ――落ち目になってからの悪あがきは重荷ときまっているのに、太橋さんほどの人にもそれがわからなくなるものか。  町筋の商人たちはそう囁《ささや》きあい気のどくそうに見て見ぬふりをしていた。  十日ほど前に江戸から帰って来た大助は、使用人たちの先に立って、しきりに浜と店とを往来していたが、十二時頃になってひと区切りつけ、東浜の倉庫のひとつで酒と弁当のふるまいをした。そして沖人足や店付きの者が、酒に酔って着荷祝いの唄をはじめると、かれは、そっとぬけだして塩屋町の店へ帰った。  店はもう提灯を消し、大戸をおろして、ひっそりと寝しずまっていた。大助は母屋から離れた別棟の一戸に住んでいる。それは広い地内の庭はずれにあり、二階建てで土蔵造りの書庫が付いていた。 「お疲れさまでございます」  まだ寝ずに留守をしていた老女のしほ[#「しほ」に傍点]が、手燭《てしょく》を手にもって戸口まで迎えに出ていた。 「まだ起きていたのか、帰って寝ろと云って置いたのに」 「お夜食を召しあがると思いましてね」 「もう今夜はよそう」 「でもお支度ができておりますけれど」 「お客さんは済んだか」 「はい……」 「そんならいい、いま浜で弁当をちょっと摘《つま》んで来たから」  そう云いながらあがって風呂場へはいっていった。かれは寒中でもよく水を浴びる。秋のはじめとはいいながら、夜半の気温はもうかなり冷えるので、風呂場の水音は聞く者の耳にも寒ざむとひびいた。汗を流して上り、常着に着替えると、待っていたしほ[#「しほ」に傍点]の手から手燭を取り、あとはいいからと云って、そのまま土蔵の書庫へはいっていった。書庫の二階には畳敷の八帖があって、彼の勉強部屋になっている。いま彼がはいってゆくと、有明け行燈が仄《ほの》かにまたたいており、その脇に床が二つのべてある、その一つに秀之進がしんと寝ていた、大助は手燭を消して静かに坐った。 「もうおやすみですか」 「水をいきなりかぶるのはからだに毒だよ」秀之進が眼をつむったままでそう云った、「いま聞いていると大さんはいきなり肩から浴びたようだ、あれはいけない、手足の先からはじめて胴、胸と一応しめしてからかぶるのが法だ、あれは乱暴だよ」 「で……ございますかね」  大助は自分の寝床の枕許《まくらもと》に坐って、煙草盆をひき寄せた。高松のこの家にいるときだけかれは煙草を喫《す》うのである。 「しかしとにかく、これで一応ほっとしましたよ、大抵のことは経験ずみだが、人間の抜け荷だけは初めてですからね、本当のところ汗をかきましたよ」 「荷物のほうも大丈夫かね」 「てっきり厳重な荷改めがあるものと覚悟していたんですが、浦奉行からは与力が下役を二人つれて来ただけで、これが薬の利く男でしたから案外すらすらとはこびました、うまくいくときはこんなものですよ」 「銃五百|挺《ちょう》、弾薬、鉛、鉄」秀之進はそのときを回想するように、低いこえでそっとそう呟《つぶや》くのだった、「堺で荷積みのときおれは見ていた、そしていざとなれば沖人足などという者も度胸の据わるものだと感心したよ」 「みんな三四代も太橋の飯を食っている者たちですからね、そうでなくともああいう人間は『頼む』と云われるとびっくりするような大胆なことをやります、しかしこんどの事はちょっと天佑《てんゆう》という感じでした」 「ときに……木曽のほうはどうした」  そう云いかけて秀之進は床の上へ起きなおった。大助は煙管を置いた。 「残念ながら、三日の違いで先を越されました、こんどの買付けを知ったのか、それとも偶然かち合ったのかわからないが、尾州家から馬匹売買停止の布告が出て、どうにもしようがなかった、それで例の鋳工所のほうだけでも見て置こうと思ったのだが、これもだめさ」 「女づれではどちらにしても無理なことだ」 「そうじゃない、却ってそういうことには女づれのほうが好便なんですよ、いけなかったのは早水さんのおかげさ」 「でたらめをいうな」 「誰がでたらめを云いますか、木曽から大阪まで、宿でも道でも到るところで調べられどおしでしたぜ、いったいあなたはどうやって大阪へ出たんです、いやそれよりも、あれから五人やったという話を聞かせて下さい」  信濃の諏訪領で、雨の降る夜半にわかれたまま、二人が会うのは今はじめてである。大助は藤尾と共に高島城下で朝を待ち、それからわざとゆっくり道をつづけて塩尻までいった。そして塩尻で三日待ったが秀之進は来ないし、そのうえ「高島城下の付近で讃岐の郷士が幕府の探索を五人斬った」という噂が伝わり、犯人の探索がにわかに厳しくなったので、心を残しながら木曽へ立ってしまったのであった。 「おれもちょっと驚いた」秀之進は苦笑しながら、「滝川ふくしんと寅寿のまわし者が急に『公儀の探索』となったのにはな、おそらくはじめからそういう連絡がついていたのだろう、そうとは知らぬものだから」 「五人みんなやったわけですか」 「……草原に風が渡っていた」秀之進はぽつんと云った、「それだけが眼にのこっている」 「なるほど、そういう表現もあるわけだ」大助はごまかされぬぞという眼つきをした、「正直のところ、すると五人とも始末をつけたんですね」 「なに、みんな一刀ずつさ、一人として片輪になる気遣いのない程度だよ、あれなら新島八十吉ひとりのほうが手耐《てごた》えがあった」 「かれはどうしました」 「……どうしたかなあ」  ふっと、遠くを見るような眼つきをしたが、それはそのままで話を変え、天竜を下って、わざと東海道を大阪まで出た道次を語った。尾州領へはいらなかったこと、宮から鳥羽へ渡り、船でじかに大阪へはいったことが、幕府の追捕の手を巧みにのがれる結果となったのであろう、それから太橋屋と連絡をとると、大助はすでに高松へ帰ったあとで、四五日すれば荷船が出るという、秀之進はさらに大事をとり、その船便で大助とうち合せをしたうえ、こんどの船でようやく高松へ帰ったのだった。  江戸を出るときのもくろみはすべて手違いになった。尾州家の売買停止令で、木曽駒の買付けはできなくなり、鉄砲鋳工所への手掛りしかつかなかった。そのうえ信濃での出来事から、秀之進とその背後関係がにわかに幕吏の注目を惹《ひ》いて、太橋屋の大阪の倉庫さえ、いつ捜査にふみ込まれるかわからぬ状態となった。それで積込んであった銑《せん》鉄、鉛の類を、急遽《きゅうきょ》高松へ移すことになったのだ。 「まあとにかくこれじゃあしようがない、当分のあいだ日和《ひより》を見るんですね、いかに成敗を度外にするからといって、このありさまでは指一本動かせやしませんから」 「……おれはでかけるよ」  秀之進は再び夜具の中へ身を横たえながら云った。 「でかけるって、何処へです」 「京都へさ、亀阜荘さまはかねて堂上がたと御連繋をもっておいでなさる、おれはその地固めをするつもりだ、江戸へも、またもういちど水戸へもゆきたい、身にかなうことならなんでもするよ」 「今あんたは覘《ねら》われているのをご承知でしょうね、此処を一歩そとへ出れば、幕吏の網へとびこむのも同様ですよ」 「高松だって安全ではないさ」秀之進は睡《ねむ》けを催したらしく、小さく欠伸《あくび》をしながらそう云った、「おればかりじゃない、今はみんながおのれの安全を棄てるべき時代だ、考えてみると、幕吏に追われはじめてから、却って足が地についたようだ、つまり為すべき事がぎりぎりに凝縮されるからだろう、おれはまえよりも生き甲斐を鮮やかに感じだしている」 「……早水さんはまったく人が違ってきた」 「たしかに」と秀之進は云った、「水戸へ使いしたおかげだよ」 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  明くる日から秀之進は書庫へ籠《こも》りきりでせっせと書き物をした。水戸へ使いした始終のことを、精しく記して左近頼該に呈出したいと思ったからである。 「いつかの相談だが」午後の茶菓を自分で運んで来た大助が、机のそばへ坐りこんで云いだした、「柿崎嬢のことはどうしてくれるお考えですか」 「今夜きまりをつけるよ」 「今夜……本当ですか、そしていったいどう落ち着けるおつもりです」 「おれが嫁に貰う」  あんまりずばりと云われたので大助はあっけにとられた。大助こそ苦しまぎれにそれを望み、いちどは秀之進にそう云いかけさえした。そのときかれは一言のもとにはねつけられたし、考えてみると藤尾が承知しそうもないことに気づいたのである。いつぞや箱根の宿でかの女は、――わたくし、あの方を憎みました、人間はあのような眼で人を見るものではないと存じます、そう云ったことがある。今こそ秀之進の人柄は変っているが、あの時分のかれは正しくそういう印象を与えた。風雪の暴れ狂う富士の岩屋で、死と闘っている兄を抱え、いわば途方にくれていた藤尾にとって、秀之進の冷酷ともみえるあのときの一|瞥《べつ》は忘れがたいものに違いない。したがっていま「おれが嫁に貰う」と云われた大助は、その突然さに驚くよりも、藤尾の不承知が見えるようで、すぐには返辞ができなかった。 「しかし早水さん、わたしはまた亀阜荘へでも託すのかと思っていましたがねえ、そのほうが面倒がなくていいと」 「女は家の妻になるべきだ、落ち着くといえばそのほかにない」 「けれどいつか、信濃の宿でわたしがすすめたとき、早水さんはだいぶ違った意見のようでしたがね、なにか御思案が変ったんですか」 「あの娘の気性をみとどけたからだ、あれならおれがいなくなったあとのことが任せられる、早水家の嫁として家の始末、養父のゆくすえを託すことができるだろう」 「……それは、わたしから柿崎嬢にはなしてはみるが……」 「その必要はない、おれが自分で云うよ」  些《いささ》かも躊躇《ちゅうちょ》のない、むしろ確信ありといいたげな言葉なので、大助はなにも云うことができず、ふたたび机に向って書き物をはじめる秀之進の高い額を、しばらくまじまじとみつめるばかりだった。  書庫へ籠って五日めに、頼該に呈出する覚書ができあがった。そこで大助から一応その旨を用人まで通じておき、夜になるのを待ってそっと亀阜荘へ伺候した。頼該は秀之進を書斎で引見した。むろん扈従の者は遠ざけた二人きりで、燭台の光りが、いかにも秋の静夜らしく、書院窓から忍び入る微風に、ときおりはたはたと揺れていた。 「よく戻ったな、健固でなによりだった」左近は五つ月ぶりで逢う秀之進の顔をしげしげとみまもりながら、「ゆるす、近う近う」と座をさして示した。  使命が不調に終ったことは、校川宗兵衛からもう言上してある筈だ。秀之進は自分の口からはなにも申述べるつもりはなく、「仔細は精しくこれに記してありますから」といって持って来た覚書をさしだした。 「あとでみよう」  左近は秀之進の気持を察したので、覚書を受け取ると、しいて不調の理由を問おうとはせず、旅中の話、会った人々の印象などをたずねる。そして宗兵衛が云ったとおり、かれが出立していったときとはみちがえるほど変っていることに気づいて驚いた。 「彦根奪取の企てが手違いになったそうだが」 「そのように聞きました」 「そのように聞いたと申して、秀は企ての采配《さいはい》をとる筈ではなかったのか、宗兵衛はさよう申しておったが」 「わたくしは加わるとしましても雑兵でございます」秀之進はしずかに微笑した、「彦根攻めの事も、精しいところはなにも存じません、挙兵の機にめぐまれましたら雑兵となって死のうとは覚悟を致しましたが、この手で采配をとるなどとは夢にも考えておりませんでした」 「本当に雑兵になるつもりか」 「それがこの時代に生きる者の、もっとも大切な道だと存じますから」 「……そうかも知れぬ」左近にもそれは頷《うなず》けることだったらしい、そうだ、とさらに低くつづけて云った、「あまりに、大将になりたがる者が多すぎるからな」 「両三日うちに」と秀之進がしばらくして云った、「わたくし当地を出立したいと存じますが」 「当地を出る、……出てどこへゆくのだ」 「京へ出てみまして、それからどこへでもまいります、江戸にも、水戸へはぜひもういちどまいりたいのです、お耳に達しているかとも存じますが、わたくしはいま幕吏の追捕を受けている身の上でございます、万一にも当地で縄にかかるようなことがありましては、御家に御迷惑を相かけるやもはかられません、彦根の事も一|頓挫《とんざ》の折から、一日もはやくたち退きたいと存じます」 「それがよいかも知れぬ」左近はふかく頷いた、「そのほうはもう大海の潮の味を覚えて来た、高松の濠の水には棲《す》みつけぬであろう、出てゆくがよい、京へのぼるなら徳大寺家へたよりをつけてとらせる」 「実はそれをお願い申したかったのでございます」  徳大寺大納言家は高松と姻親のかかわりにあり、これまで左近と堂上諸家とのあいだを、しばしば斡旋《あっせん》してきた。秀之進はまずそこから第一歩を踏みだそうと考えたのである。 「……申上げます」そのとき襖《ふすま》の向うで侍臣のこえが聞えた、「校川宗兵衛どの急のお目どおり願わしゅう伺候にございます」 「それはよい折だな」  宗兵衛と聞いた左近はすぐに此処へ案内してまいれと命じた。秀之進はさがろうとしたが、左近はゆるさなかった。 「出てゆけば再会はおぼつかぬかも知れまい、またとない折だ、会ってゆくがよい」  しいて拒む理由もないので、秀之進はおとなしく座を少しすべって待った。……伺候した宗兵衛は、まず上段に飾ってある楠氏の甲冑に拝礼をし、それから左近に挨拶をのべた。ひどく急いで来たものとみえ、押しぬぐうあとから汗がふつふつと湧きだしてくる。 「宗兵衛、なにごとだ」 「申上げます、かねて栗林御殿うちに隠れておりました大峰、矢田部の両名につき、お上御側近において在所を捜査しておりましたところ、今宵ひそかに御殿よりいずれかへ押送する模様にございます」 「そうか、……それでは不浄門を見張っておれと申して置いたが、いかんな」 「切手御門か、萩の御門、この二ついずれかと申すことでございます」 「ではすぐ知らせねばならぬ」  左近は高いこえで源十郎まいれと呼んだ。戸越源十郎という侍臣がすぐに来た。五尺そこそこの小男で右額に李《すもも》ほどの瘤《こぶ》がある。「瘤の源十」といって、秀之進もよく知っている左近側近の名物男だった。 「そのほうすぐに栗林の不浄門へまいれ、その付近に水戸家の者がおる筈だ、その者たちに萩の門か切手門へまわれと申せ」 「さよう申せば相わかりましょうか」  源十郎がすべるように出てゆくと、秀之進がしずかに口を揷んだ。 「唯今のおはなし、仔細は存じませんが、不浄門から東御門[#1段階小さな文字](切手門)[#小さな文字終わり]までは距離がございます、よろしければわたくし先に東御門へまいって見張りを仕りましょう」  宗兵衛はその声でびっくりして振向いた。……秀之進が席をうしろへ退っていたので、かれはそこに人がいるとは気づかなかったのである。振向いた宗兵衛は、それが秀之進であるのを認めると、微かにあっといった。 「うん、それは好都合だ」左近は頷いた、父子を眼の前でゆっくり会わせようと思ったが、それよりも栗林のほうが急を要するのだ、「精しく話すいとまはない、いま聞くとおり栗林荘に匿《かく》まっておった二名の水戸藩士をいずれかへ押送する、その後を追ってさらに水戸から討手が来ているのだ、ぜひともその二名を討たせなければならぬ、よいか」 「承知仕りました」 「宗兵衛、言葉をかけてやれ」  とつぜん云われて、宗兵衛はとまどいをしたらしいが、すぐにその意を悟って、もういちど秀之進へ振向いた。秀之進もそっちへ眼をあげた。わが子の眼をじっと射抜くように見ながら、宗兵衛はなにか云おうとして唇をしめした。しかしなにも云えなかった。 「……御免」  秀之進は辞去して立った。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  栗林荘、また栗林御殿ともいうのは松平家の下屋敷で、東西百三十間、南北三百三十間、およそ五万坪あまりの広大な地域を占め、遠州流の林泉のみごとさで名高かった。左近頼該の亀阜荘からは南東にあたる。秀之進は近い裏道をとって、まっすぐに切手御門の前まで来た。そこからはさらに南にある萩の門の出入りも見える。かれは道を隔てた槻《つき》の木の林の中へ身をひそめて、じっと二つの門を注視していた。  空には棚雲がかかっていた。月はその雲のかげになっていたが、あたりはかなり明るかった。もう十時に近いであろう、此処は城下町から離れているし人家も稀《まれ》で、もちろん人の通るけはいもなく、虫の音の高く澄んだ響きが、ずっと更けた夜半であるかのように思わせた。……そう長く待つ間もなく、眼の前にある切手門の中で人の動くさまが聞えてきた。秀之進は北のほうを見やった。「瘤の源十」の知らせでもう水戸の討手の人々が来てもよい頃だと思った。雲にかくれた朧《おぼ》ろの月明りで、築地塀《ついじべい》の延びている道はかなり遠くまで見えるが、人の来るようすはなかった。……ぎいと軋《きし》る潜り戸の音がした。門内から人が出て来た。二人、三人、ぜんぶで七人出て来た。かれらは二人の男を中に囲うようなかたちで提灯を持たず、そのまま萩の門のほうへと急ぎ足にゆく。  ……どうしよう。  秀之進はもういちど振返った。討手の人々の姿はまだ見えない。そのままにして置けば二人はどこへ隠匿されるかわからなくなる。かれは咄嗟《とっさ》に心をきめて道へ出ると、急ぎ足に七人のあとを追った。  かれらは栗林荘の築地塀に沿って、南のはずれまでゆき、そこから道を左へ折れた。それからさきは畑地と雑木林になる。曲り角まで、いっきに走った秀之進は、「おーい、来たぞ、そっちを塞げ」といきなり絶叫した。かれらの行手に待伏せがあるとみせるためだった。不意ではあるし、待伏せを恐れていた七人の者はこの叫びにまんまとひっかかった。 「ゆだんするな、散るな」  一人が叫びながら振返った。そしてそこに秀之進が一人しかいないのを見ると、「ひき返せ」と喚き、刀を抜きながら戻って来た。秀之進も刀を抜いた。抜いて身構えながら、ぱっとうしろへとびしさった。誘い戻しである。とびしさりながら、「此方へ戻るぞ、うしろを詰めろ」と叫びたてた。七人はまったく背後に敵があるものと誤認したらしく、一斉に抜きつれて元の道へと戻って来た。  ――しめた。秀之進はかれらが広い道へ出てしまうと、こんどは逆にその前へ立ち塞がった。 「大峰、矢田部の二人を受け取る、ほかの者は手をだすな」  その声を聞いて「ああ早水だ」という者があった。  藩の師範、吉田家の道場で学んだことのある者は、早水秀之進の刀法がどんなものかをよく知っている。骨の髄まで知らされた者も少なくはない。だからいまかれの声を聞いて、中の一人が「早水だ」と叫んだとき、大峰と矢田部を除く五人のあいだに、さっと眼に見えぬ動揺の色があらわれた。かれはその動揺の色をのがさず、 「そうだ、早水秀之進だ」と押っつけるように云った、「だが心配するな、貴公たちを斬ろうとはいわない、そこの二人を受け取ればいいんだ、ほかの者はどいておれ」  そう云いながらかれは向うから走って来る四、五人の足音を耳にした。来たなと思った。七人の者もそれに気づいたとみえ、秀之進の動作をみつめながら、じりじりと萩の門のほうへ位置を移しはじめた。 「大峰と矢田部は此処だ」  秀之進が絶叫した。走って来る人々の中から「おう」と答えるのが聞え、同時に七人の者はどっと萩の門のほうへ崩れだした。 「ほかの者はどけ」  叩きつけるように怒鳴って、秀之進は七人の中へとび込んだ。そこへ向うから走せつけて来た五人の人影が、すさまじく叫びながら殺到した。秀之進は、「二人へおかかりなさい、あとは拙者がひきうけた」そう叫びかけておいて、護衛の五人をぐんぐん塀際へ追い詰めた。それで大峰と矢田部は、走せつけて来た討手の人々にまったくとりかこまれたのである。瘤の源十郎もその人々といっしょに来たとみえ五人をひきうけたのが秀之進だと知ると、「よう来ていたのか、秀さん」と叫びながら駆け寄った。 「いかん、乱暴なことはいかん、二人を討たせさえすればいいんだ、この連中に罪はない、抜くな」 「だがこいつらは滝川内膳の走狗《そうく》だぞ」 「それとこれとは違う」秀之進はきっぱりと押えつけ、五人のほうへ刀をつきつけたまま、訓《さと》すような調子でこう云った、「お手前たち、ごらんのとおりもう役目は済んだ、お退きなさい」 「…………」  五人は抜いた刀を構えているのが精いっぱいで、反撃する元気もなく、といってすぐ逃げだすわけにもいかず、ひどく具合の悪い立場に立ってしまった。 「大峰庄蔵、矢田部源七郎」  六、七間はなれた道の上で大きく叫ぶのが聞えた。天誅《てんちゅう》だという言葉につづいて、わっというような声と、地を蹴《け》る人の足音とが、深夜の空気をぶきみに震動させた。  ――やった。  骨を断つ刃の音で、秀之進がそう呟いたとき、塀際に追いつめられた五人は、ばらばらと踵を返して逃げた。  逃げだした五人の背へ、源十郎が待てこいつらと喚いた。本当にうしろから斬りかけそうな声だった。ぺっと唾を吐きかけ、臆病者めと罵《ののし》って、いかにも口惜しそうに首を振りたてた。  討手の人々は二人をもう仕止めていた。秀之進が近寄っていくとみんな刀をぬぐいながらこちらへ会釈をした。 「御助勢くだすって忝《かたじけ》ない」  そう云いながら前へ出て来たのは久木直二郎だった。秀之進にはすぐわかったし、意外な対面でちょっとまごついた。 「やあ、久木氏だな」  直二郎もあっと云った。こういう会いかたをすべき筈ではなかった。こんど出会うときには、竹隈の藤田家でとり交わされた問答の解決に当面しなければならぬ。たとえ秀之進は好まぬにしても、直二郎は到るところでそう宣言してきた。だからこのような会い方になったことは、直二郎はいうまでもなく、秀之進にもかなり具合の悪いことだった。 「いや、はなしはあとのことにしましょう」秀之進が先を越して云った、「逃げていった者が加勢をつれて来るかも知れない、此処は構わず立退いて下さい」 「そう……」直二郎は刀をおさめた、なにか云いたいのだが、口をひらけば心にもない言葉がとび出そうでなにも云えなかった、「そう、はなしもあるが、すべて後日のことにしよう、今宵のご助力は恭なかった、ありがとう」  かれは低頭するとすぐ振り向き、おいゆこうと大きく叫んだ。 「なんだ、あれは」  源十郎は去ってゆくかれらを見送りながら、ぺっと唾をとばした。秀之進は源十郎を促してそこを去りながら、 「覚えて置け、あれが水戸っぽうというものだ」 「水戸っぽうというやつは礼儀を知らんのか」 「そうではない、礼儀のかたちが違うんだ、殊にいまの男とおれとは、ひと口に云えない妙ないざこざがある、それで一層あんな態度が出たのだが、あの人たちは水戸でも相当知られた人物なんだ」 「仔細はよくわからないが」源十郎はやはり不満らしくそう云った、「ああいう挨拶にはたびたび会いたくないもんだ、亀阜荘へもよく水戸人が来るけれど、あの国びとには人をみくだす悪い癖がある、おれは……」  云いかけて源十郎がぴたっと足を止めた。向うから走って来る大勢の足音が聞えたから、秀之進はすぐ右手の細い露路口へとび込んだ、目付方の印のある提灯を持って、およそ二十人ばかりの者が栗林荘のほうへ走り去った。 「いそいで帰れ源十郎」 「どこへ……」 「亀阜荘じゃないか、おまえそのほかにゆくところがあるか」 「いや早水さんはどうするかというんだ、あんたは何処へゆく」 「己か、己は……」こう云いかけて、彼はそうだと頷いた、「己はこれから高松を出てゆくよ、済まないがお屋形へそう申上げて呉れないか」 「だってこのままでか、御挨拶なしということはないだろう、一緒にいかなくちゃいかんよ」 「いやもういちおう御挨拶は済ませてある、いまの出来事で国境の警戒が厳しくなるに違いない、今夜のうちに御領内を出るよ」秀之進は刀を拭って鞘《さや》に納めた、「……だからその意味を申上げて、ここから立ったとお伝え申して呉れ」 「久し振で会って己も色いろ話があるんだぞ」 「生きていればまた会うさ、頼むよ」  こう云って秀之進はさっさと踵を返した。  たしかに、この事件で国越えはむずかしくなる、出るなら今夜のうちだと思った。然しその裏にはもう一つ父のことがあった。……さっき御殿で父に会ったとき、互いに眼を見交わした一瞬、そして父がなにか云いたげに唇を動かすのを見て、秀之進の心にふしぎな感動が起こったのである。父はもうこんなにも老いている、いきなりそういう感じがきて、なにかが胸へつきあげるように思った。それは初めて父と子の心が触れ合ったということかも知れない、はっきり理由はわからないが、父上と呼び、もう御苦労はたくさんです、私が代りますからお休み下さい、そう呼びかけたい衝動を激しく感じた。  ――もう会ってはいけない、こんど会うとみれんなことを云い兼ねない、秀之進はこう思ったのだ。  かつて竹隈で聞いた「時代の怒濤《どとう》」という譬喩《ひゆ》を思い返した。それはあらゆる人々がいま怒濤にのまれた家の屋根にしがみついているという風な表現だった。家の根太は既に洗い去られている。いつその家は濁流に押流されるかわからない、然も眼の前にある大きな新造の船に乗るだけの勇気がない、というような。……秀之進はいま自分をその怒濤の中に感じた。然しそれは東湖の云う如き意味ではない。彼は押流される者ではなく、怒濤と共に古いものを打破する側にあるのだ。 「己の身を投じたのは新しい潮流だ、国史にかつて存在しないまったく新しい潮流だ」  青史に遺る王政復古は権力交代の象徴であった。然しこんどは違う。こんどこそ国民ぜんたいを統一し、正しく国家のおおみおやとして在《おわ》すところまでやり遂げなければならない。 「有《あら》ゆる日本人はなにもかも捨てて、この新しい潮の方向を不動にするための、努力と責任を負わなければならない、為すべき事はその一つだ、そこから凡てが創《はじ》まるんだ」  秀之進はこう呟きながら、照りはじめた月の道を大股《おおまた》に歩いていった。 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し] 「お帰りでございます」  藤尾が手燭を持って、こう云いながら上って来た。大助はとびあがるように立って迎えた。秀之進は刀を右手に持って、夜露にでも濡れたのであろう、片手で髪を撫でながらはいって来た。 「どうしたんです、ばかにおそかったじゃありませんか、なにかあったんですか」 「妙な事に立会ってね」秀之進は興もないという風に脇を向いた、「……風呂を貰えるかしら」 「いいでしょう、ぬるかったら焚《た》かせます」 「焚くことはない、汗を流せばいいんだ」  わたくしがみましょうと云って、藤尾の立ってゆく後から秀之進も下りていった。……大助は二人の姿を見送りながら、これでいい、と独りそっと頷くのだった。実はその日、大助は藤尾を呼んで秀之進の意を伝えたのである。秀之進は自分で云うといったが、かれにはどうしても旨く纒《まと》まるとは思えなかったから、……しかし案外にも藤尾は拒絶しなかった。  ――なにごともおまかせ致しますから。  そう答えて、なにやら面映ゆげに眼を伏せた。いつか箱根の宿で告白した言葉を思いだしたのか、それとも単純にその場のつくろいだったか、大助にはどっちともわからなかったが、これでこの娘の落ち着きどころがきまったと思うと、久しいあいだの肩の荷をおろした気持で、ほっとすると同時に心のどこかではなにかしら抱いていた小鳥に逃げられたような、一種の淋しさを感じずにはいられなかったのである。 「夜明け前に舟を支度して貰えるかね」  風呂から戻って来て、坐るとすぐに秀之進がこう云った。 「支度はできるが、今夜は止したほうがいいだろう」 「しかし危険なことは此処にいても同じだ」 「そうでもないよ、太橋が睨《にら》まれていることはたしかだが、老臣がたにも年来いろいろの関係があるから、そうむやみに踏み込むことはできない、まあ四五日ようすをみてからにするほうがいいと思う」 「そのほうが安全かも知れない」秀之進は首を振った、「だがそれでは此処から出られなくなる惧《おそ》れがある、今日は危険も多いだろうが、出るには却って都合がよい」 「だってきっと番所で船止めをしたと思うがな」 「ああ失敬」秀之進は苦笑しながら、「おれの言葉が足りなかった、舟の支度をして呉れといったのは、おれが乗るためじゃない、おれは陸を志度までゆくんだ」 「では、囮舟《おとりぶね》というわけか」 「あしの速いのがいい、少し番所舟を集めて呉れればその隙に脱出できるだろう」 「よし、すぐ都合しよう」  立とうとする大助を秀之進は呼ひ止めた。 「ここに酒があるか、なかったら戻りに用意して来てくれ」 「酒はここにあるが……」  云いさしてふと大助はその意味を了解した。そして、よし心得たと云うと、しずかに庭へと出ていった。その足音が遠のいてゆくと秀之進はふり返って、 「藤尾どの、これへ」  と呼びかけた。藤尾は後から上って来て、それまで部屋の一隅に坐っていたが、呼ばれるとはいと答え、しずかに立って秀之進の前へ座をすすめた。……二人がこのように向き合って坐るのは初めてである。行燈の光りをうけて、艶《つや》やかな藤尾の頬は蒼《あお》いほども冴《さ》えてみえ、理知を絵に描いたような額から眉間《みけん》へのひきしまった皮膚の感じが、秀之進の記憶にある富士の一夜の情景をまざまざと思いかえさせた。 「あなたにおたのみがある」秀之進はしずかに口を切った、「あなたとはまことにふしぎな御縁でお会いした、風雪の吹きしまく富士での邂逅《かいこう》も、それから今日までの月日も、このような時代なればこそあり得たのだと思う、しかしわたしは今その偶然さに因縁をむすびつけようとするのではない、むしろめぐりあった偶然さよりも、さらに思いきったことをあなたにお願いしなければならぬのだ」  秀之進はそう云ってぐっと藤尾の顔をみまもった。かの女は陶器のように冴えた頬を、さっと蒼白くしたが、双眸は臆さずに秀之進の眼を受けとめていた。 「お願いというのは、あなたにわたしの妻になって貰いたいことだ、理由は改めて云わないが、わたしは今お聞きのとおり今宵のうちに高松を出てゆかなければならない、いつ帰れるかも、いや、生きて再び帰れるかどうかもわからぬ、わたしには一人の老父があって、三谿と申す郷村に独りで住んでいる、もしあなたが早水の妻になることを御承知なら、三谿の家でわたしの帰るまで老父に仕えていて貰いたいのだ、勿論しいてとは申さぬ、よく考えたうえで御思案のほどを伺いたいと思う」  藤尾は黙って終りまで聞いていたが、やがてしずかに眼を伏せながら云った。 「そのおはなしは、さきほど太橋さまから伺いました、わたくしのようなふつつか者には分にすぎた思召しと存じます、御辞退申すのが本当だとは存じますけれど……」  そこまで云いかけて、藤尾は眩暈《めまい》でもするようにくらくらと頭を垂れ、両手を畳へおろしてぐっと絶句した。  ――可哀そうに。  秀之進はしめつけられるようにそう思った。武家の娘として、このような求婚に遭わなければならぬとは、……あたりまえなら仲人が立ち、父母がすべての心配をしてくれる筈だ、自分はむしろ羞恥《しゅうち》の帳《とばり》の蔭から、若い胸をおどらせて、父母の羽交の下に身をひそめていればよいだろうに、思いも設けぬ相手から膝詰めで、このような申込みをされる、しかも誰とてたよりにする相手もないのだ。  ――しかしこれでいいのだ、今はそのような小さな個人の感慨に溺《おぼ》れている時ではない、すべての者がおのれを棄てなければならぬ、女も、子供も、もっと大きな苦しさ悲しさを踏み越えてゆかなければならぬ時なんだ。  かれは心をひきしめ、惨酷なほど冷やかな態度で娘の答えを待っていた。藤尾はしばらくのあいだ、つきあげて来る嗚咽《おえつ》を抑えつけていたが、ようやく心をたてなおしたとみえ、低く頭を垂れながらむせぶような声で云った。 「ありがたく、思召しをお受けいたします、どうぞゆくすえながく、お導き下さいませ」 「……ありがとう」 「まことに、ふつつか者でございますから」  きっとくいしばる歯のあいだから、抑えかねた嗚咽が洩れ、藤尾は両手をついたまま、背に波をうたせてすすりあげた……そのとき大助の戻って来る足音が、戸口のほうに聞えて来た。 「早水さん、手が廻ったよ」  大助はそう云いながらはいって来た。藤尾ははじかれたように座をしさったが、秀之進はそれを押し止めた。 「いいからそこにおいでなさい」 「いま店先を叩いている」大助はさすがに色を変えていた、「此処へ来ながらようすを見ると、この屋敷のまわりへもすっかり人数が配られたらしい、出るなら今のうちだ」 「まあ坐れよ」秀之進はしずかに云った、「藤尾どのに話をして、いま承諾を得たところだ、却って悲運に誘う結果となるかも知れぬが、このような時代と事情のゆえに、すべてを忍んで承知して貰った、まことに勝手だが、大さんを仲人がわりにかたちばかりだが盃を交わしたいと思う、済まないがその支度をしてくれないか」 「それは心得たが、しかし、いや心得た」  大助は厨《くりや》へとんでいった。そして銚子《ちょうし》と盃を持って戻ったとき、表の店のほうで雨戸でも蹴《け》やぶるような、すさまじい物音が聞え、人々の喚き騒ぐのが、夜の空気を震動させた。 「婚礼の盃は、女から先だ、落ち着けよ大さん」 「いや、なにしろ」  大助は気があがっているので、三宝を持つ手が見えるほど震えていた。藤尾はしずかに盃を取った。盃は三たび、しずかに二人のあいだを往来した。このあいだ店のほうの物音はしずまり、庭へなだれ込む人の足音が、ばらばらとこの家のほうへ迫って来た。 「藤尾、これでおまえは早水秀之進の妻だ」かれは容《かたち》を正して云った、「わたしのゆく道は改めて云うまでもあるまい、おまえも秀之進の妻であるからには、良人《おっと》のゆく道を怖れはしない筈だ、いいか、なにごとがあっても怖れたり怯《ひる》んだりしてはならんぞ……あとをたのむ、ゆくぞ大さん」  秀之進は立った。藤尾はすばやく大剣をとってさしだした。戸外には人の足音が入り乱れ「此処だ」「集まれ」という叫び声が闇を劈《つんざ》いて聞えた。秀之進は大剣を腰に差し、土間へ下りた。藤尾は手燭をさしかざしながら、大助はむしろ茫然として、酔ったように秀之進の動作をみまもるばかりだった。  かれは雨戸を明けた。戸口から洩れる手燭の光りがさっと前庭へながれ、二三人の人影がつぶてのように闇へとんだ、秀之進は外へ出ると、足を止めて空を仰いだ。 「大さん、雲が切れてる、明日はよく晴れるぞ」  かれはそう云うと、大股に闇のなかへとあるきだした。絶叫と怒号が起こり、地を蹴る足音が夜気をひき裂いた。……大助は苦痛の呻《うめ》きをもらしながらそこへどっと坐った。そして藤尾は、……かの女は手燭をかざしたまま、血のにじむほども唇を噛みしめつつ、けれど少しも怯まぬ表情で、しずまりゆく戸外の物音をじっと聞きすましていた。まるでその物音をおのれの魂に彫《きざ》みつけでもするかのように。 底本:「山本周五郎全集第一巻 夜明けの辻・新潮記」新潮社    1982(昭和57)年7月25日発行 初出:「北海道新聞」    1943(昭和18)年6月12日〜12月20日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:北川松生 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。