避けぬ三左 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)訊《き》いて [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#6字下げ] ------------------------------------------------------- [#6字下げ]一[#「一」は中見出し] 「おい、むこうから来るのは三左だろう」「そうだ三左だ」「天気を訊《き》いてみるから見ていろ」天正十七年十二月のある日、駿河国《するがのくに》府中の城下街で、小具足をつけた三人の若者がひそひそささやいていた。  そこへ大手筋の方から、ひとりの大きな男がやって来た。眉のふとい、口の大きな、おそろしく顎骨《あごぼね》の張ったいかつい顔である、眼だけは不釣り合いに小さく、おまけに処女のような柔和なひかりを帯びている。肩は岩をたたんだようだし、手足のふしぶしは瘤《こぶ》のような筋肉がもりあがっている。葛布《くずふ》の着物におなじ短袴《たんこ》をつけているが、袖は肱《ひじ》にとどかず、裾はようやく膝《ひざ》をかくすにすぎないから、このたくましい肉体はまるでむきだし同然だった。……こういうなりかたちといい、腰に帯びた四尺にあまる大剣といい、およそひと眼を惹《ひ》く存在であるのに、彼はそのうえ痩《や》せこけたちっぽけな犬を一匹つれていた。大げさに云えば掌へ載りそうである。毛色の黒い鼻面の尖《とが》った、いかにも臆病そうに絶えずきょときょとして、ちょっと大きな音でもすると、ひとたまりもなく悲鳴をあげて跳びあがる、つまり頑厳たる主人とはまったく相反したやつで、なんとも奇妙なとりあわせであった。  待っていた三人のうち、口髭《くちひげ》をたてた一人の若侍は相手が近よって来るのを待ちかねて呼びかけた。 「やあ三左ではないか、いい天気だな」「…………」「富士がよく晴れている、すこし歩くと汗がでるぞ、なんといい天気ではないか」三左と呼ばれた相手は答えなかった。黙ってまっすぐ前の方を見ていたが、やがてむっとしたような調子でしずかに云った。「そこを通してくれ、拙者は嫁をもらいにゆくところだ」三人はあっと云った。  あっと云って眼を瞠《みは》っている三人のそばを、三左と呼ばれた男は大股《おおまた》に、悠々たる足どりで通りすぎた。彼はまっすぐにゆく。おなじ歩幅とおなじ歩調でゆっくりゆっくりあるいてゆく、どう見たって、「嫁をもらいに」という姿ではない、しかし、番町高辻へさしかかったとき、ちょっとした間違いがおこった。  それは辻へ出たとたんに、西からやって来た旅装の武士とばったり突き当ったのである。相手はどこかの大身らしく、槍をたて、供を四五人つれたりっぱな武士だったが、であいがしらに両方から突き当ると、そのはずみで、冠っていた笠がつるりと前へこけた。 「ぶれい者!」りっぱな武士はこけた笠をはねあげながら、まっ赤になって呶鳴《どな》りだした、「貴公はめくらか、当方は作法通りまがって来たのに、避けもせず真正面から突き当るという法があるか、めくらなら杖《つえ》をついてあるけ、なんだと思う、ここは天下の大道だぞ」  よほど癇癪《かんしゃく》持ちとみえて、昼間の松明《たいまつ》がどうの家鴨《あひる》の躄《いざり》がこうのと、早口でよくわからないことを、いろいろとならべながら喚きたてた。……こちらは黙っていた、今しがた天気を訊かれたときとおなじように、前の方をまっすぐに見戍《みまも》ったまま石像のように黙っていた。もっとも、彼が黙っているかわりに伴《つ》れている犬が吠えた。さかんに吠えた。りっぱな武士が叫びたてるのと一緒に、主人のうしろから鼻面をだし、きゃんきゃんわんわんと耳を刺すような声で吠えたてた。そばから見ると、まるでその武士と犬との喧嘩《けんか》にさえ見える。……ずいぶんしばらくそんな状態がつづいた、けれども物には終りというものがある、やがて三左と呼ばれる男はしずかにふりかえり、狂ったように吠えたてている犬にむかって、大喝一声、 「黙れ、貴様の出る場合ではない!」と叱りつけた。……のちに人の伝えるところによると、そのときの一喝は、一町四方の家々の戸障子にびりびり響きわたったという。……犬は黙った、りっぱな武士も黙った。それから遠巻きに見ていた群衆も鳴りをひそめた、つまり一喝であらゆる物音がとまり、街筋は森閑となってしまった。 「ごぶれいを仕《つかまつ》った」三左と呼ばれる男はやおら向き直り、しずかに小腰をかがめながら会釈した。「ごめん」そして再び、悠々たる足どりで、のっしのっしと武家屋敷の方へあゆみ去った。  すなわちこれ国吉三左衛門常信である。徳川家一方の旗がしら榊原式部大輔康政の家来で、「避けぬ三左」とも「天気の三左」とも呼ばれる名物男だった。相貌《そうぼう》からだつきこそ頑厳としているが、その眼の色が柔和であるように、性質はおっとりとして温和《おとな》しく、たちいふるまいもどちらかというと鈍重である、「避けぬ」というのはその重いところから来ているが、事実においても証明する点が多かった。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  彼は飛んで来る矢弾丸《やだま》を避けない、道のうえで人を避けない、雨も雪も避けない(というのは雨具を用いないことだ)、酒も菓子も避けない、およそありとある場合に、こちらからそれは御免を蒙《こうむ》るというためしがないのだ。それも意地やがまんではなくて、生得しぜんの気性がそうなのである。一例をあげると、彼は朝の起出《おきい》でにはかならず、――ああ、いい天気だな、と呟《つぶや》く。晴天の日ばかりではない、雪が降り風の荒れる日もある。霖雨《りんう》の半月もびしょびしょと降りやまぬときもある。それでも彼は決して飽きたという顔をしないのだ。いかにも恍惚《うっとり》したような眼つきで空を見あげながら、さも気持のよさそうな声で呟く、――ああ、いい天気だな。それで「天気の三左」というもうひとつの綽名《あだな》ができているのだ。  三左衛門はまだ戦場でこれという手柄をたてていない。もっとも五年まえ、信濃の真田攻めの折に、ちょっと合戦に加わっただけであるが、その戦いぶりは鈍重で、将来もたいした期待はかけられぬという評判である。しかし、主君榊原康政はそう見てはいないらしい。――あいつの中にはなにかありそうだ、なにかやりそうに思える。しばしば側近の者にそうもらしていた。どちらの鑑識が当っているか、当の三左衛門はのんびりと天気をよろこび、悠々閑々と日を送っていた。  ところがこの十日余り、彼のようすが急に変ったのである。「いい天気だ」と云わなくなった。  動作はあいかわらず鈍重だけれども、顔つきがどこか沈んで、云ってみればなにか重い荷物でも背負った人のようにみえる、――三左がどうかしたらしい。からだでも悪いのではないか。まさか恋患いでもあるまいが。そんな噂《うわさ》がたちはじめたので今日しも、口の軽い若侍が「いい天気だな」と呼びかけたわけなのである。なんと答えるか、おそらく「さよう」と云うだろうと思っていたら、――これから嫁をもらいにゆく、という意外な返辞だったのである。では「まさか」という噂の一部は「まさか」ではなかったのか、国吉三左衛門が変ったのは恋患いの為だったのか。まあいい、とにかく彼のゆく所へついて行ってみよう。……番町高辻から武家町へはいった彼は、榊原家の年寄大橋弥左衛門の家をおとずれた、弥左衛門は槍組の侍大将で、三左衛門はその旗下にある。案内を乞うとすぐに通された、そのころのさむらいの家はむろんまだ板敷で、畳などというものは用いなかった、贅沢《ぜいたく》にして褥《しとね》か毛皮、たいてい大身の者でも蒲《がま》で編んだ円座(あぐら)の上に坐る、夜になれば蔀《しとみ》をおろし障屏《しょうへい》をたてるが、日中はとりはらって寒風の吹き通るままであった。 「おねがいがあって参上いたしました」 「改まってなんだ」  弥左衛門はけげんそうに、ふかく落ち窪《くぼ》んだ眼でじっと三左衛門をみつめた。駿府《すんぷ》は暖かい土地で、この家の庭にある梅の老木は、はやくも枝の蕾《つぼみ》をふくらましている、その枝のさきを一羽のまひわ[#「まひわ」に傍点]がちちと鳴きながら飛びあるいていた。 「じつは、妻を娶《めと》りたいと思いまして」  三左衛門はずばりと云った。弥左衛門はううんと唸《うな》った、なにを隠そう驚いたのである、当時の常識として、武士たる者がおのれの口からおのれの縁談などを云々すべきではない。それは不躾《ぶしつ》けな、不心得な、恥ずべきことだとしてあった。 「それは、その、また、けれども」弥左衛門はごくっと唾をのんだ、「どうしてさようなことをその」 「そうせねばならぬ仕儀になりましたから」 「そういう仕儀とは、どんな仕儀だ」 「申しあげなければなりませんか」彼はまったく生まじめである。 「無理に申せとは云わぬが、こと縁談とあるからは聞いておきたいものだ」  三左衛門は、うなだれて自分の膝を見た、それからすぐに眼をあげ、ぐっと拳《こぶし》をにぎりながら云いだした。 「それでは申上げますが、このたび上方と小田原おてぎれに及び、大納言さま[#1段階小さな文字](家康)[#小さな文字終わり]にはご先鋒《せんぽう》をあそばすとうけたまわります」 「これ待て、待て三左」弥左衛門はおどろいて制止した。  太閤秀吉が北条氏討伐を決したのは、その年霜月のことで、軍議のため家康は上洛《じょうらく》し、先鋒の役をひきうけて十日ほどまえに駿府へかえって来た。しかし、これらのことはむろんまだ極秘であって、いわゆる酒井、榊原、井伊、本多という主だった親近の部将たちしか知っていないことである。 「さようなことを誰から聞いた」 「おん大将(康政)よりうけたまわりました、なれどもわたくしの申上げたいのはそのことではございません」 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  三左衛門はぐっと拳をにぎりながら、 「そのご軍議のおり太閤さまの御意には、小田原めつぼうのうえは大納言さまをもって関東八州にお封じ申すと仰《おお》せられたそうにございます」 「されば、そのようにうけたまわった」 「これをなんとお考えなさいますか」 「…………」弥左衛門は口をつぐんだ。 「いまご領分の駿、遠、甲、信の土地は日本国の中部を押さえ、京へも近く、攻防共に絶好の位置でございます、まして三河は松平のおいえ発祥の地、国土も民も、おいえとは切り離すことのできぬふかい因縁にむすばれております、これに反して、関東八州はあらえびすの国と云われ、都より遠く、国土も民も荒れております、これを経営するのはまったく創業よりはじめるといわなければなりますまい」 「だが、だがそれは、まだそう決ったというわけではなく、また」 「いや決ったことでございます」三左衛門は拳でおのれの膝を打った、「太閤秀吉どのは、徳川家康のまことの力を知っております、だから箱根のかなたへ追いやらなければならぬのです。わたくしにはその肚《はら》が見える如くでございます」  弥左衛門はひそかに驚いていた。――そうだ、己《おれ》は気がつかなかったが、これは徳川家にとって一大事だ。徳川氏を関東へ移し、駿遠参甲信の地をおのれの幕下におさめれば、万一のときには東海道はじめ碓氷《うすい》、箱根の要害をもって安全に防げる、つまり太閤秀吉の天下は大盤石となるのだ。しかも関東の地は中古いらい荒蕪《こうぶ》していて、ほとんど未開拓も同様であるから、この経営のために徳川氏は当分その勢力を傾倒しなくてはならぬだろう。――大納言さまはそこにお気づきあそばされなかったのか、おん大将も、井伊どのもお気づきなかったのか。  弥左衛門は俄《にわ》かに背筋が寒くなった。 「わたくしは」と三左衛門はつづけた、「今日までわたくしは、自分一代のご奉公と考えておりましたけれども、関東移封とあいなれば、おいえの天下は遠いことになります。とてもわたくし一代のご奉公では、おいえのご運には及びますまい」 「…………」 「それで妻帯のことを想いたちました、葵《あおい》のご紋の天下にひるがえる日をみるまでは、子にも孫にも、身命のご奉公をさせたいと考えます」  戦国の武士はつねに身命を賭《と》している。しかし彼はいま主家の運命があたらしい困難に当面し、おのれ一代をもってしては徳川氏の天下がおぼつかないとみて、子の代、孫の代まで奉公するため、あえて出陣のまえに妻を娶ろうと決心したのだ。 「よくわかった」弥左衛門はふかく頷《うなず》きながら云った。「ご移封のことに就てはなにも申すまい、だが男子たる者はいずれ妻帯をせねばならぬ、わしに仲立せよというならよろこんでひきうけるが、誰ぞこれと思う相手があるか」 「ございます、この人こそと思いきわめた娘があるのです」  顔も赤めずにずばずばと云った。 「執心とみえるが」弥左衛門の方でたじたじとなった、「それはどこの娘だ」 「お使役、鷲尾八郎兵衛の妹ごでございます」 「鷲尾の妹」弥左衛門はぴくっと眉をあげた。 「はあ、鷲尾の妹を妻にもらいうけたいと思います、もはやそうきめてしまったのでございます」 「ちょっと待て、まあ待て」弥左衛門は慌てておし止《とど》めた、なにかひどく驚いたらしい、正気かというように三左衛門の顔をみつめたり、相手が平然として動かないのを見て低く唸ったりしていたが、「それで、その、……その相手の娘とは、会ったことがあるのだな」 「いや、さようなことはいちどもございません、ただ八郎兵衛はあっぱれもののふでございますから、彼の妹なれば、妻にして過ちなしと信じたのです」 「では、まるで相手を知らないのか」 「さればでございます」そう聞いて弥左衛門は眼を剥《む》き、唸った。こちらはそんなことにお構いなく、懐中から白紙に包んだ物をとりだし、「出陣も近いうちと存じますので、できるだけ早く祝言《しゅうげん》をしたいとお伝えください、これは結納のかたちでございます」 「けれども、それは、とにかくその……」 「万事こなたさまにお任せ申しますから」  三左衛門は自分の云うことだけ云うと、あきれている弥左衛門をあとに、のっしのっしと帰って行った。 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し]  じっさいのところ、三左衛門は嫁にもらう相手を知らなかった。顔を見たこともなし、しぜん話をしたこともない、鷲尾八郎兵衛が榊原家中の高名な勇士であり、それに年頃の妹があるということだけで、この縁組を思いたったのだ。そのほかのことはなにも知らない、申し込んだら相手が承知するかどうかなどということも考えない、……つまりこの辺はまったく「避けぬ三左」の本領であった、これで出陣のまえに祝言ができる、そう信じて三左衛門は家へかえった。しかしその翌朝、まるで思いがけないことが出来《しゅったい》して、彼の計画はいっぺんに破れ去った。  思いがけぬ事とは「出陣進発」の命令である、本軍を発する先行として、榊原康政の軍の一部に、まず三島駅まで挺身せよという命令がくだったのだ。密令でもあり、急を要した。間にあわなかった。三左衛門は眼をつむって歎息《たんそく》した。  先行隊はすぐに準備を了《お》え、その夜のうちに東へむかった。真田攻めいらい五年ぶりの戦争である、みんな血を沸かしていた、誰も彼もきたるべき合戦と、おのれの功名手柄に対する空想で胸をふくらせていた、――箱根の一番のりはおれだ。なにくそおれだ。おれは小田原の本城の一番のりだ。それはおれの物だ、まあ見ていろ。かれらは互いにそう云って勢いたった。  夜明けちかく、江尻の駅へさしかかったときである、うしろから馬をとばして追って来た者があった。 「国吉はいないか、国吉はどこだ」そう呼びながら、乗りつけて来た馬を隊列に沿って進めるうち、ようやく聞きつけた三左衛門が出て来た。 「国吉三左衛門はここにおる」 「おお国吉か」馬からとび下りたのは、鷲尾八郎兵衛であった。ひどくとばせて来たとみえて、小具足の下に着たよろい垂衣《ひたたれ》はぐっしょり汗にひたっていた。「妹を嫁にほしいというはなしを、大橋どのからたしかに聞いた、結納ももらった、よろこんで貴公にさしあげる」 「だが、もはや出陣のうえは」 「なにを云う、出陣にあたって縁談のまとまるのは二重のよろこびではないか、妹小萩は貴公の妻だ、忘れるな」八郎兵衛はどなるように云った。 「それにしても鷲尾、このことは」 「云うな、大橋どのからすべては聞いた、おれはただ承諾を告げさえすればよい、あっぱれ武運を祈るぞ」 「鷲尾、待ってくれ」  呼びとめようとしたが、八郎兵衛はそのまま馬にとび乗り、 「忘れるな、小萩が待っているぞ」  そう云いざま、鞭《むち》をあげて駿府の方へ駈け去ってしまった。  これだけの会話は、むろんまわりにいる者の耳にはっきりと聞えた。同時に、聞いた人々の顔にはありありと驚きの色がうかんだ。そして次ぎから次ぎへと、なにごとかささやき交わすのだった。「……ええ、本当かそれは」「まさか、まさかあの娘が」「あの駿府のかぐや姫がか」そんな声があっちにもこっちにも起った。しかし三左衛門の耳にはなにも聞えない。彼は黙々とあるいている、彼のあたまのなかには、父祖伝来の三河と、荒茫たる関東の原野のまぼろしが明滅している、いま天下のうえにますます不動の地歩を占める秀吉と、関東の隅へ追われるしゅくん家康の困難な将来とが、明暗、表裏の画像となって揺れていた。  こうして国吉三左衛門は、まったく無口な、動く木像のような存在となったのである。  さて小田原征討がまさしくはじまったのは、天正十八年二月一日のことであった。先鋒たる徳川家康は二月二日に出馬。酒井、榊原、本多、平岩、鳥居、大久保これら旗下精鋭の軍を第一線に、犇々《ひしひし》と箱根の敵塁へおしよせたのである。……しかしここで精《くわ》しく歴史を記すいとまはない、俗に「小田原評定」というくらいで、この時は敵も味方もいろいろ錯雑した理由のため、合戦までにかなり多くの日をついやした。そしてようやく三月二十九日早朝敵の前衛たる山中城、韮山《にらやま》城への攻撃をもって、いよいよ北条氏討伐の火蓋は切っておとされたのである。山中城には、大将松田やすなが以下、四千余人の軍兵がたてこもっている。寄手は中納言秀家を総大将として三万余、二十九日の未明を期して合戦を挑んだ。……これには徳川軍の一部も加わり、なかにも戸田左門、青山虎之助などはぬきんでた働きをしているが、わが国吉三左衛門もその一人だったのである。 [#6字下げ]五[#「五」は中見出し]  三左衛門は大股に進んでいった。……矢弾丸は雨の如く飛来する、硝煙と、土埃《つちぼこり》のはためきなびく最前線だった。彼の巌《いわお》のようなからだはいつも駿府の街をあるくのとおなじ歩調で、ただまっすぐに、悠々閑々といったようすでまっすぐに矢弾丸のなかを進んでゆく。大橋弥左衛門がこれを見つけた、あぶないと思ってわれ知らずあとを追った。 「三左あぶないぞ、頭が高すぎるぞ」 「…………」 「身を伏せろ、伏せてゆけ」叫びながら追いついた、「このはげしい矢弾丸が見えないのか、身を捨てるにも法があるぞ、避けてゆけ」  すると三左衛門がふりかえって叫びかえした。 「みんながそうよけてばかりいてはいくさ[#「いくさ」に傍点]に成りません」  山中城はその日の午《うま》の刻までに陥落した。そしてその夜、陣中で弥左衛門はこのことを榊原康政にはなした。康政は手を拍《う》って笑った。 「そうか、そう申したか、みんなが避けてばかりいては戦にならぬ、面白いな、なんでもない言葉のように聞えるが、なかなかふかい味をもっている」 「けれども」と康政はそのあとで云った。「三左めはこの合戦で死ぬつもりかも知れぬ、よく眼をつけて犬死させるな」 「そう思召《おぼしめ》しまするか」 「そのほうから聞いた関東ご移封についてのかれの意見、あれを考えるとそう思える、よくよく眼をつけて乱暴な真似をさせるな、万一のことがあると駿府に待っているもの[#「もの」に傍点]に嘆《なげ》きをみせる」  康政の顔には、ふしぎな笑いがうかんでいた。  徳川の軍はつづいて前進し、山中城の炎上する煙を見ながら、二子山、駒ヶ岳のあいだを突破して鷹巣城へと迫った。この先鋒をのり打ったのは榊原康政の兵である、山路は嶮《けわ》しいうえに、敵の作った堀切、壕《ごう》などが至るところにあった。それで予《かね》て甲府から召集してあった黒鍬《くろくわ》の者たちに道をつくらせつつ前進した。  三左衛門はつねに先頭を押していた。二間柄の大槍を手に、黙々として前へ前へとあるいていた。暮春の空はあざやかなみどりに晴れあがって、箱根竹のこまかな葉に微風がわたっていた。わあーッわあーッという鬨《とき》の声と、陣鉦《じんがね》や法螺《ほら》の音が、山々にこだまして遠く近く聞えて来る。やがて味方の銃隊が散開した、敵城からは早くも銃声がおこり櫓《やぐら》から矢狭間《やざま》から硝煙が巻きたった。絹地に白く「五」の字をぬいた四半の旗をさした使番が、伝令のために馬をとばして往《ゆ》きつ来つした。先押しはさらに前進し、右翼はずっと城の西南を圧する隊形をととのえた。そして味方の銃隊がいっせいに火蓋を切った。  そのときである。突撃にかかる前、敵味方の銃撃のもっとも旺《さか》んなとき、先押しの槍隊の中から国吉三左衛門の大きなからだが、ぬっと前へ進み出て行った。「ああ国吉、あぶないぞ」「無理をするな国吉、もどれ」うしろからみんなが叫んだ。  三左衛門は戻らなかった、大槍を手にして、まっすぐに敵の城門をねめつけながら、ゆっくりと大股に、ずんずん進んでいった。弾丸は彼をめがけて集中した、しかし彼は身をかがめようともしない、眼も動かさない、ただまっすぐに、ずんずん進んだ、そして城門まで二三十間の近さへ来ると、槍を大地につき立てて停り、 「城の大将にもの申す」と大音をあげて叫んだ。それは敵味方の銃声を圧倒するほどの響きをもっていた。「城の大将にもの申す、山中城すでに落ち、守将松田康長どのはじめ池田民部、椎津、行方、栗木、山岡、各部将それぞれ討死をされた、韮山城もまた乗り崩され、箱根山中には小田原軍の影もとどめぬ、あわれ鷹巣城の諸公も及ばぬ腕立てをせんよりは、早く城門を開いて降参せられよ」りんりんと四方にとどろく声だった、「さらば国吉三左衛門、ここふみ破って見参申すぞ」  大槍を、空へ高く突きあげながら、そう叫んで前へ出たその刹那《せつな》である、城方から射かけた矢が、三左衛門の体へふつふつと突き立った。彼の大きなからだは僅かによろめき、兜《かぶと》をはねている頭がぐらりと前へ傾いた。あ、やられた。早くもこのようすを見てとった榊原康政は、「三左を討たすな、国吉を討たすな」と喚きながら、自ら馬を駆って陣をとびだす、同時に旗下の軍勢も、わっと鬨をつくりながら怒濤《どとう》の如く押出した。 [#6字下げ]六[#「六」は中見出し]  三左衛門は、胸と胴に矢を四筋うけた。  しかし彼はぐっと槍を掴《つか》み、城門をねめつけたままさらに悠々と、大股に前進した。それは人間の姿ではなかった。人間力をはるかに超絶して、悪鬼とも羅刹《らせつ》ともいうべき姿だった。これを見た城兵たちは恐怖にうたれ、眼に見えぬ動揺がおこった。そのとき大将康政を先頭に榊原勢が殺到して来たのである。城兵の動揺はそのまま大きく敗走へむかった。 「突っ込め、敵はくずれたぞ」「ふみ破ってゆけ、敵を逃がすな」おめき叫びながら味方の兵は早くも城門へ城壁へとりついた。このあいだに、康政は馬を三左衛門のそばへ乗りつけ、なおも進んでゆこうとする彼をしかと押えつけた。 「三左、もうよい、城は落ちる、もどれ」 「お放し下さい」  彼はふりきってゆこうとした。しかし、もう力が尽きていた、彼の大きなからだはぐらっと傾き、そのまま康政の腕へ倒れかかった。 「源七郎、まいれ」康政は身ぢかの者を呼んだ、「三左を余の馬へ乗せて、陣まではこんでゆけ、余は城乗りを見てもどる、傷の手当をよくしてやれ」そう云って、康政は前進していった。  三左衛門は陣へ運びもどされた。傷はふかでだったが、命だけはとりとめた。突き立った矢を抜きとる痛さはどんな傷の痛みよりも耐えがたいものだという、けれども三左衛門は眉をしかめもしなかった、それだけではなく、医者が二本めを抜こうとしたとき、「うまくやれよ、血がもったいないから」と云ってにやりとした、しかし手当が終ると間もなく彼は意識をうしなってしまった。  鷹巣城はひとたまりもなく落城した。三左衛門の不敵な仕方と、彼を討たすまいとして強襲を敢行したことが、はからずも功を奏したのである。殆んど無血に等しい勝ちであった。 「どうだ、傷は痛むか」明くる朝はやく、みまいに来た康政は三左衛門の枕近くへ寄って呼びかけた、「いやそのまま寝ておれ、命を儲《もう》けたと聞いてあんどしたぞ」 「かたじけなき仰せでございます、三左はただ……」 「あっぱれ避けぬ三左の名を見せたな、すさまじい武者ぶりであったぞ、けれども三左」康政はしずかに身をのりだした、「そのほうは少し考えちがいをしておる、避けていては戦にならぬという覚悟はよい、まことに戦う者の意気だ、なれども死に急ぎは勇士のすべきことではない、そのほうは小田原めつぼうのうえ、大納言さまが関東へご移封にあいなると聞いて、徳川のご運が遠くなったと考えたそうな」 「いかにも、仰せのとおりでございます」 「ちがう、それは大きな思いちがいだ」康政は力をこめて云った、「なるほどそのほうの申すとおり、駿遠参の地は都に近い、日本国の中央を押えている、松平家発祥の由緒ふかい土地だ、けれども三左、これらの土地はもう古いぞ」 「古いと仰せられますのは」 「古い、いかにも古い、昨日までは日本国中部の押えであった、だがいつまでも不動の押えではない、時代は変りつつある、古いものは絶えず新しいものに移る、関東は都から遠いが……見ろ、豊饒《ほうじょう》な山野が無限にひろがっている、箱根、碓氷を境にした彼方《かなた》はあらえびすの国といわれ、土地も人も世の流れに染っていない、徳川家の力をもってこれを開拓し、正しくこれを経営をしたあかつきには、日本国をふたつにわかつ半分の大勢力となるだろう、しかもその民たちは新しく国土は若い力に満ちているのだ。わかるか三左」 「…………」 「大納言さまのおんまなこは大きい、そのはかりごとは深い、太閤どのは箱根の東へ追うことによって、徳川の勢力をそぐつもりであろうが、その箱根をまもりとして、葵の花は関八州に根をおろすのだ、新しい国土、新しい民たち……そのうえに葵の花をらんまんと咲かせるのだ、これがそのほうにはわからぬか三左」  三左衛門の顔がいつか柔かくほぐれていた、ながいあいだ、重い荷物を背負った人のようだった眉つきが、雨去る空のように少しずつ明るくなって、その唇《くち》もとに微笑さえみえはじめた。 「おねがいがございます」やがて三左衛門が云った。 「なんだ」 「まことにわが儘《まま》なおねがいですが、小田原城を見とうございます」 「小田原を見たい、そうか」康政は三左衛門の心を察した、「よし見せてやろう、誰ぞまいれ、三左を山へ運ぶのだ、楯《たて》の用意をしろ」  軍兵八人が、楯の上に三左衛門をよこたえて、二子山を登っていった。今日もよく晴れあがった空には雲一つない、相模灘《さがみなだ》も青い畳を敷いたように凪《な》いでいる。  楯は山の中腹でとまった。  三左衛門は片手を眼庇《まびさし》にして東を見た、……はるかに、相模野はかすむはてまで一望である、小田原城は指呼のうちにあった、彼はじっと眼を凝らして、その城郭のすがたを見ていたが、やがてゆらりと空をふり仰いだ、そして恍惚とした声ではれやかにこう云った。 「ああ、……いい天気だな」  その声でみんな空を見た、絶えて久しい三左の「いい天気」である。空をふり仰いでこういうことに気付いた兵たちは、思わず顔を見合せて笑った。そしてそのなかの一人が、脇の者にこうささやくのが聞えた、「鷲尾の小萩どのを見たらもっといい天気だろうぜ、なにしろあの人が駿府のかぐや姫といわれる佳人だとは、彼まだ知らずにいるのだから」 底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社    1983(昭和58)年10月25日発行 初出:「講談雑誌」博文館    1941(昭和16)年12月号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:北川松生 2025年10月1日作成 青空文庫作成ファイル: 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