其角と山賊と殿様 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)衾《よぎ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)その頃|榎本其角《えのもときかく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)毮 -------------------------------------------------------  その頃|榎本其角《えのもときかく》は、俳友|小川破笠《おがわはりゅう》と共に江戸|茅場町《かやばちょう》の裏店に棲んでいた。  芭蕉の門に入ったばかりで、貧窮のどん底時代だった、外へ出る着物も夜の衾《よぎ》もひと組しかなく、それを破笠と共同で遣っている有様だった。  同門の親友、服部嵐雪《はっとりらんせつ》は、その時分|井上相模守《いのうえさがみのかみ》に仕えていたから、其角の貧乏を心配して、絶えず金や衣服を調達してやるのだが、性来酒好きな上に恬淡《てんたん》な其角は、たちまち何もかも酒に代えてしまうのだった。  或時、其角の貧乏を聞かれた井上相模守侯が、 「榎本にも邸へ出入をするよう、言ってみたらどうか」  と嵐雪に相談した。勿論、嵐雪は非常に悦んで、すぐに茅場町へとんで行った。ところが其角は一向に嬉しくなさそうで、 「まあお断りをしよう」  と言う。 「何故だ、こんな貧乏が続いては、ろくな勉強もできぬではないか」 「ばかなことを――、天地自然が金で購えるか、春秋四季変化の妙諦を極めるのに、貧乏で悪い理由はあるまい、それに」  と其角は苦笑しながら、 「私は大名の為に俳諧《はいかい》をよむのは御免だ」 「――――」  嵐雪もそう言われては致方がないので、侯の邸へ帰ってその通り復命した。井上侯はもとより蕉門の俳諧に通じ、芸道に理解のある人であっただけ、其角の言葉がかちんと癇《かん》に障ったらしい、 「そうか、大名の為に俳諧はせぬと言ったか――」  と少々不愉快な顔をした。  そんな事があって間もなく、深川松川町の佐野屋喜左衛門《さのやきざえもん》という材木問屋の隠居所で、俳諧の催しがあるのに其角は招かれた。喜左衛門は似相《じそう》という俳号をもって、蕉風の俳諧では、すでに旦那芸の域をぬきんでていた。  興行は七つ[#1段階小さな文字](午後四時頃)[#小さな文字終わり]から始まって夜の五つ[#1段階小さな文字](午後八時頃)[#小さな文字終わり]に終り、それから酒が出たので、其角が佐野屋の邸を辞したのはもう四つ[#1段階小さな文字](午後十時頃)[#小さな文字終わり]を過ぎた時分だった。 「駕籠《かご》を雇いましょう」  と喜左衛門がすすめるのを断って、 「春寒の夜風で、酔を醒《さ》ましながら参るのも妙でしょう」  そう言って外へ出た。  浅春二月中旬の、どこかうるんだ空に、もうろうと薄月がかかっていたし、川面を吹渡ってくる風も、潮の香を含んで快かった。歩きだしてから却《かえ》って酔を発した其角は、相川町を右に折れて、蹣跚《まんさん》と蜆河岸《しじみがし》へさしかかった。すると片側町の暗がりから、 「待て待て、町人待て!」  と声をかけられた。吃驚《びっくり》して振返ると、手に手に大刀を抜いた五六人の覆面の武士が現われ、ばらばらと其角を取囲んだ。 「何か御用か」  其角も若かったし、未だ酔が充分に廻っているから、弱味を見せまいとして、傲然《ごうぜん》と相手を見廻しながら言った。 「ふふふふ大分強そうな口を利くな、如何《いか》にも御用だ、気の毒だがここへ通り合せたのが貴様の不運、身ぐるみ脱いで置いて行け」 「文句を吐かせば遠慮なく斬って棄てるぞ、早く裸になれ!」  一人が白刃で其角の頬をぴたぴたと叩く、其角すっかり毒気をぬかれたが、 「冗談おっしゃってはいけません、私は御覧の通りの貧乏俳諧師、逆さにふるったって鐚《びた》一文ありゃしません、この襤褸《ぼろ》を身ぐるみ脱いだところで――」 「ええ、ぐずぐず申すか!」  気早な一人が、いきなり其角の胸倉を取って、刃をどきどきする喉元《のどもと》へ突つけた。 「網にかかった獲物なら、大名乞食の差別はない、尾羽根まで毮《むし》るが我等の掟《おきて》だ、脱がぬとあればおのれ――!」 「お、お待ちください、脱ぎます」  すっかり酔の醒めた其角は、手早く帯を解いて着物を脱いだ。 「何だ、未だ残っているではないか」 「これは襦袢《じゅばん》です!」 「いかん、そいつも脱げ」  褌《ふんどし》ひとつになった其角、浅春とはいえ二月の内、川から来る風はまだ素肌には冷たかった。さすがに其角中っ腹になって、 「こんな姿では歩いて家へは帰れません、何とかして頂かなければ困ります」 「よしよし、良い工夫をしてやる」  賊の一人がそう云って向うへ行った。丁度そこへ戻りとみえる辻《つじ》駕籠が一挺、何も気がつかずにやって来るのを、 「駕籠屋」  と呼止めた。見ると手に手に白刃を提げた怪しい者達、吃驚して逃げようとするのを、早くも前へ廻って引戻した。 「へえ、どうか生命ばかりは――」 「生命を貰おうと言うのではない、この裸を一人乗せて行くのだ」 「そんな事ならお安い御用で」 「早くしろ」  其角はその駕籠へ乗った。 「どちらまで……」 「黙って跟《つ》いてくれば分る」  賊が答えた。其角が駕籠の中から、 「茅場町へ帰るのだが」  と言ったが、誰も返辞をしない、駕籠は調子よくあがった。  駕籠は右へ曲ったり左へ折れたりしながら長いこと進んで行った。左右には例の賊がついているらしく、お頭がどうしたとか、昨夜は若い娘の生胆をぬいたとか、今夜の生贄《いけにえ》は五人だが、丁度これで五人目だから、これで役目も終った、あとは掠《さら》って来た例の女を肴《さかな》に朝まで呑み明そう――などと、不気味なことを低い声で話し合っている。  ――これはどうやら賊の家へ連れて行かれるらしいぞ。  と思ったから、折があったら救いを呼ぼうと、外の気配を伺っていると、番所へでも来たらしく、咎《とが》める声がした。 「これこれ、この夜陰にいずれへ参られる」 「はい、実は急病人でございまして、医者の許《もと》へ参る途中でございます」  其角が伸上って、助けてくれ! と叫ぼうとしたとたん、駕籠の垂の間から、すっと白刃が出て、其角の脾腹《ひばら》へぐいと差しつけられた。あっと言っても刺殺さん気配――其角はそのまま身動きもできなくなった。  こうして、三五度も木戸や番所で咎められながら、遂に救いを呼ぶ機会もなく、やがて一刻あまりも乗り続けた後、駕籠はどしんと荒々しく下へ置かれた。 「出ろ!」  と言う声に、其角が恐る恐る駕籠を出て見ると、鬱蒼《うっそう》と常緑樹の茂った深山のような中で、向うから髭《ひげ》だらけの面をして松火《たいまつ》を持った、異装の荒くれ男が二人やってきた。そして茫然としている其角の手を両方からひっ掴《つか》むと、物も言わずに引摺《ひきず》って行く。  樹立をぬけると立派な玄関構え、そこにも熊の皮の胴巻を着け、山刀をぼっこんだ大男がいて其角を受取った。玄関から廊下へ出て、幾曲りもした後、やがて煌々《こうこう》と燈火の輝く大広間へ導かれた。そこは岩屋の一部へ造りつけたと見え、正面はぐっと刳込《えぐりこ》んだ洞窟で、槍、長巻、山刀、矢鉄砲、掛矢なんど、見るも恐ろしい武器が置並べてある。  上段には面を蔽《おお》った男が一人、七八人の女達に囲まれて傲然と構えているし、広間には髭、月代《さかやき》を伸ばした異装の男達が、これも女達に酌を執らせてい並んでいた。女達はいずれも誘拐されてきた者と見え、衣服も髪かたちも区々《まちまち》であったが、みんな眼を泣腫《なきは》らして、ぶるぶる顫《ふる》えている様子だった。 「これ、そこの裸の男」  其角が末席に座ると、上段にいる頭領らしい男が声をかけた。 「貴様は幸運な奴じゃな、今宵は儂《わし》の祖先の百回忌で、女三人、男五人を生贄《いけにえ》に祭る日じゃ、貴様が男では五人め――最後の贄になるのじゃ、名誉であろうが」  其角は胴顫いの出るのを止めることができなかった。  と――その時、 「ひ――!」  と言う若い女の悲鳴が聞えてきた。すると上段にいる頭領は愉快気に、 「襖《ふすま》を明けろ、贄を肴に呑もうぞ」 「はっ」  手下の二人が立って、次の間の襖をさっと左右へ引明けた。其角はひと眼見るよりあっと叫んで眼をつむった。  次の間には大きな炉が切ってあって、火が烈々と燃えている、その火の上へ、天井から鉄の鎖で縛りあげられた半裸体の女が、逆さ吊《づ》りに吊り下ろされているのだ。 「ひ――!」  喉も裂けよと悲鳴をあげて、白い手足を蛇のようにのたうつ女。烈火の篝《かがり》に形相変じて、今にも悪鬼に化するかとばかり、そのままの地獄図絵だった。 「はははは、よいざまじゃな」  頭領はあざみ笑いながら盃をあげた。 「裸の男、どうだ、よい心地であろうが、貴様もすぐにあのようにしてやる、ま酒でも参るが宜いぞ」  手下共は女を急きたてて、其角の前へ酒と山海の珍味を並べ、厭がるのを無理強いにぐんぐん呑ませた。 「ところで裸坊主、我らの慈悲として、気に入った芸をして見せる者は、生贄の責を免じてやる定だが、貴様何か芸はできるか」 「はい」  其角は顫えながら、 「私は俳諧師でございますから、俳諧をよむことはできますが、外に芸と申しまして別に何も――」 「俳諧――? 俳諧とは何じゃ」 「深く説明致しますとむつかしゅうございますが、発句の例をとって申しますと、十七字の中へ森羅万象を詠《よ》みこみまするもので、和歌よりやや狂体に転じた一種の――」 「面白い、それをひとつやって見ろ、気に入ったら生贄を免じてやるぞ」 「はい」  其角は溺《おぼ》れんとして藁《わら》を掴んだ気持、膝《ひざ》を正して句案にかかった。しかし先刻から顛倒《てんとう》している心気は頓に鎮まらず、なかなか名句が浮んでこなかった。 「どうした、刻《とき》がうつるぞ」 「は、唯今」  苦案に苦案を重ねて一句を得た。 「一句浮びました」 「よしよし、そこで披露してみろ」  其角は厳かに手を膝へ置いて詠んだ。 [#2字下げ]霜を見る蛙は百舌《もず》の沓手かな 「なる程」  頭領は頷いた。 「百舌の早贄にかかったので、蛙が霜に逢うというのだな、面白い」  と盃をあげたが、 「だが、百舌の早贄などとは、この座に当つけた心持があって不愉快だ、折角だが助けることはできないぞ」 「な、何故でございます」 「何故も風もない、それ、そやつを生贄にかけるのだ」  言下に立上る賊共。 「ま、待ってください」  立上る其角、四五人の荒くれが取って押えると、いきなり頭から黒い布を冠せた。脱れようと必死に争ったが、ずるずると引摺って行かれる其角、かっかと燃える烈火のほてりを感じたまま、遂に気を喪ってしまった。  それから随分ながい刻が経った。夢から醒めるように、其角は自然と目覚めた。 「おや!」  と思って起上ると、自分は茅場町の裏店のひと間に、破笠と並んで寝ている。夜の衾も共同の物だし、着物も佐野屋へ出掛けた時のままである。悪夢か――狐狸に化かされたのか、余りの不思議さに、 「破笠、破笠ちょっと起きてくれ」  と友達を揺り起した。 「おれは全体どうしてここに寝ているのだ」 「何を寝呆《ねぼ》けているのだ」  破笠は眼をこすりながら、 「ひどく酔って帰ってきて、家の前のところでぶっ倒れたじゃないか」 「何刻頃のことだ」 「大分おそかったぞ、何でも浄願寺の鐘が九つ[#1段階小さな文字](十二時頃)[#小さな文字終わり]を打って暫くしてからだった」 「一人で帰ったのか」 「そうさ」  其角はうーんと唸った。  あの山塞《さんさい》をどうして脱出したろう、どうして生贄にならずに済んだろう、それともあれは何も彼も夢か。  ――分らない。  破笠が訝《いぶか》しがって、どうしたんだと訊《き》いたが、話したところで信じてもらえるものでもなし、其角は黙って横になった。  それから三日後のこと、其角は芭蕉の家で偶然四五人の客と同座した。柳田出雲守《やなぎだいずものかみ》、倉持但馬守《くらもちたじまのかみ》の二人は顔見知りだったが、あとの二人は初めての客だった。  すると未知の客の一人が、 「こういうのを一句、最近得たのですが」  と言って筆紙を取り、すらすらと一句認めて芭蕉に差出した。芭蕉は暫く口の内にその句を誦していたが、 「どうだ」  と言って其角に渡した。 「拝見致します」  其角は膝を正して受けた。見ると意外! 墨痕《ぼっこん》美しく書かれた句は、(霜を見る蛙は百舌の沓手かな)。 「あ! これは⁉」  と見上げると、相手は微笑しながら、 「名乗り申そうか、拙者は井上相模守」 「や」  振返ると芭蕉も顔をほころばせている。相模守はにこにこしながら、 「大名の為には俳諧をせぬという尊公に是非一句|咏《よ》んでもらいたかった悪戯じゃ、許せ」 「ではあの山賊の頭領が――?」  呆《あき》れる其角。 「いや!」  侯は頭を振って、 「拙者は手下の賊で、尊公に酒を呑ませた方だ、ここにいる三人は、尊公を生贄にしようと手籠にした賊じゃ」 「はははは、ま許せ!」  三人も高く笑った。其角は膝をすすめて、 「ではあの、上段にいた方は?」 「他言無用だぞ」  相模守は声をひそめた。 「当上様だ」 「え? 将軍家」  其角は愕然《がくぜん》と眼を瞠《みは》った。  将軍家綱が、戯れに催した『百鬼夜行』の酒宴は有名である。其角の導かれたのはその内の『山賊』の催しであったらしい。市中から有ゆる芸人を誘拐し、それぞれ懸命の芸をさせて楽んだものである。井上相模はそれを良い機会に、若い其角を一ぱいはめたのであった。 底本:「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」新潮社    1983(昭和58)年6月25日発行 初出:「キング」大日本雄弁会講談社    1934(昭和9)年2月号 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:きゅうり 2021年3月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。