一人ならじ 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)栃木大助《とちのきだいすけ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)大夫|業政《なりまさ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#6字下げ] ------------------------------------------------------- [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  栃木大助《とちのきだいすけ》は「痛い」ということを云わない、またなにか具合の悪いことがあっても、「弱った」とか、「参った」とか、「困った」などということを決して云わない。そのほかどんな場合にもおよそ受け身に類する言葉は選《よ》って棄てるように口にしないのである。……だがそれはただそれだけのことで、それゆえに彼が有名だとか人に注目されていたとかいうわけではない、むしろ彼はきわめて目立たない存在だった。  身分をいえば甲斐《かい》の武田晴信の家来で馬場信勝に属し、父の代からの二十人がしらである、つまり足軽二十人の頭であるが、それは戦時のことで、平生は僅かに郎党二人と長屋に住んでいるだけだ、風貌もごく尋常だった、むろん美男ではないし醜いというほどでもない、しいて特徴をあげれば、ぬきんでて骨組の逞《たくま》しいのと、いつも唇をひき結んで力んだような顔をしているくらいのものだろう。……身分も風貌もこういう平凡な男が、どんな場合にも弱音をあげないといったところで、さしたる問題でないのは知れきっている、それでも初めのひと頃かなり人の興味を惹《ひ》いたことはあった。それは彼が十五歳になった年のこと、父の権六郎《ごんろくろう》が馬場信勝の前へ彼をめみえにつれていって、 「かくべつ取得というものもございませんが、幼少よりがまんだけは強く、これまでかつて痛いと申したことがございません、また決して泣き言を口に致しません、やがて成人のうえはお役の端にもあい立とうかと存じます」  そう披露をした。  戦国の世に武士たる者が痛いと云わず、泣き言を口にしないなどとは当然すぎるはなしだ、その当然なことを取得として披露するにはそれだけの理由があるに違いない。「どうだ、それならみんなでいちど音をあげさせてやろうじゃないか」そう云いだす者があり、よかろうというので、隙を狙ってはやってみたが、本当にどうやっても弱音をあげないのである。……信勝の鞍脇《くらわき》のさむらいに高折《たかおり》又七郎という者がいた、戦場ではいつも抜群のはたらきをするが、ふだんもなかなか後へひかぬ気質で、弁舌でも腕力でもぐんと人を抑えている。或るときこの又七郎がとつぜん大助を捻《ね》じ伏せて馬乗りになり、両手でぐいぐいと首を絞めつけた。 「どうだ栃木」絞めつけながら彼はそう云った、「こうすれば息がつけないだろう、参ったか、どうだ栃木」どうだどうだと力に任せて絞めあげると、大助はやがて潰《つぶ》れたような声で、 「死ぬよりいい」  と云った。  まだごく幼い頃、五歳ぐらいのときだったが、彼は竹を削っていて指を切ったことがある、かなり深い傷でひどく血がふき出た。母親がびっくりして駈けつけ、すぐに手当をしてやりながら、「さぞ痛かろう」となんども訊《たず》ねた。彼は歯をくいしばって、「少しひりひりします」と答えたがついに痛いとは云わなかった、あとでそのことを良人《おっと》に語ったら、その少しまえに、「武士はがまん強くなければならぬ」と訓《おし》えたということがわかった。それが幼い心にかたく刻みつけられたのである。そういう年頃からの、つまりもう性格になってしまったことなので、今さら音をあげさせてみようというのが無理だったのだ。 「ちょっと骨っぽいやつだ」と高折又七郎が云い、暫《しばら》くはそのがまん強さがよく噂《うわさ》にのぼった。けれども戦塵《せんじん》のおさまる暇のない世に、そんなことがいつまで人の注意を惹くわけはない、ましてそれからたびたび合戦に出ても、これといって目に立つほどの手柄がなかったので、しだいにその印象がぼやけてゆき、やがて多くの軍兵のなかへ存在がまぎれこんでしまった。  彼が十八歳のとき父の権六郎が死に、明くる年そのあとを追うようにして母親も亡くなった。そして二十二歳を迎えた年のことである。ながいあいだ忘れられていた栃木大助の名が、とつぜんまた人々の耳に新しく甦《よみがえ》るようなことが起った。永禄四年、武田晴信は越後の上杉輝虎と川中島に決戦を挑んだ、両者の会戦は天文二十四年このかた五度めのもので、将兵をあげてこのたびこそという意気に燃えていた。その出陣祝いのときだったが、みんな杯をあげながらそれぞれ戦場に臨む覚悟を述べあうなかに、栃木大助ひとり妙なことを云った。「きっと兜首《かぶとくび》をとってみせる」とか、「一番槍の高名はおれだ」とか、「敵の本陣へ斬りこんで討死をする」とか、みんな軒昂《けんこう》たる意気で、生還を期せずと叫んでいるのに、大助だけは「生きぬいてまいりたい……」と云った。それも自分からすすんで云ったのではなく、どうだと問い詰められて仕方なしにそう云ったのである。 「おい聞いたか、大助は生命が惜しいと云うぞ」ひとりがそう叫び、いかにも栃木らしいというので、酔っていた人々は声を合わせて笑った。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  祝宴のあとで大助は東堂舎人助《とうどうとねりのすけ》に呼ばれた。舎人助は馬場信勝の足軽がしらである。いってみるとひどく不機嫌なようすで、しばらく無言のまま睨《にら》みつけていた。 「そのもとは祝いの席でこのたびの合戦に生きて帰りたいと申したそうだが、それは事実か」 「……はあ、帰りたいとは申しませんが、生きてまいりたいとは申しました」 「それはどういう意味なんだ」  舎人助はにがい顔をしてもういちどぐいとねめつけた。大助は眼をしばしばさせたが黙っていた。 「およそもののふたる者が戦場に臨む以上、まず生きて還らぬ覚悟をかためるのが第一ではないか、しかもこのたびは味方も敵も決戦を期している、七年にわたるせりあいをこのたびこそ勝って取ろうというのだ、将も兵もない、全軍が命を抛《なげう》って戦う決意がなくてはならぬ。……そのもとは仮にも二十人頭として、さようなみれんな心得でよいと思うか」 「……はあ」  大助は困ったようすで、骨太の逞しい肩をすぼめ、膝《ひざ》の上でぎゅっと拳《こぶし》を握りしめた。 「いったいどういう考えでそんなことを云ったのだ、なにか思案があったのか」  舎人助はたたみかけてそう訊《き》いた、大助はいよいよ閉口したとみえて、思わず、「云わなければよかった」  と呟《つぶや》いた。 「なに、なんだと……」 「いえ、実は……」  彼は顔を赤くして、坐り直して、せんかた尽きたとでもいう風に云った。 「実はわたくしは、幼少の頃から、――武家に生れた男子の命は御主君のものである、と父に申し聞かされておりました。はじめから一命は御主君に捧《ささ》げてございますので、自分には死ぬべき命はない、生きぬいてお役にたつことが御奉公であると考えております。ずいぶんわかりきったことで、いまさら口にすべきではなかったのですが、……」  どうにも問い詰められて致方なく云ってしまった、まことに恥じいった次第ですと訥々《とつとつ》として述べた。いかにもあたりまえ過ぎる言葉で、口にだして云うのは寧《むし》ろおとなげ無くさえある。しかし舎人助はなぜかしらん感動した。……そのあたりまえ過ぎる覚悟は、「生きてまいりたい」という言葉へひとすじにつながっている、理窟《りくつ》なしの、ごく単純に割り切った、性根とでもいうべきものが舎人助をうったのだ。彼はつくづくと大助の顔を見まもっていたが、やがてそっと頷《うなず》きながら云った。 「……わかった、ではおれも一緒に、お役に立つまで生きてまいろう」  取って返されたような言葉なので、大助はもういちど顔を赤らめながらもじもじと膝をかたくした。  川中島に出陣した甲越両軍は、その年八月から九月へかけて前後八回はげしく戦ったが、どちらも決定的な勝利を得るに至らず、九月十日の合戦をさいごに、両軍とも陣をひいて郷国へ帰った。……甲斐へ凱旋《がいせん》して間もなく、東堂舎人助は娘の初穂《はつほ》と栃木大助との婚約の披露をした。これは真冬の雷のように人々をおどろかした。東堂の娘はまだ十六ではあるが、利発な生いたちとぬきんでた縹緻《きりょう》とで評判だった、甲府の若ざむらいたちのなかには、まだ見ぬ恋にあこがれる者も少なくなかったのである。それが人もあろうに栃木大助と婚約を結んだというのだからおどろきもし呆《あき》れもした。……もういちど人々の前に、彼の名が新しく甦ったというのはこのときのことだ。「そういえばそんな男がいた」と思い当り、「だがそれにしても東堂どのはどこを見込んだのだろう、あの男のどこにそんなねうちがあるのだろうか」そういってまた暫くのあいだ栃木大助の噂が人々の口にのぼった。  婚約はしたが祝言は一年さきということだった。大助は約束の盃《さかずき》をするとき初めて初穂に会ったが、むろん姿をちらと見たくらいのもので、評判の美しい顔かたちがどんなだったかほとんど印象に残らなかった。それから三日にいちどずつ東堂の家を訪ねるが、娘は決して姿をみせない。或るとき訪ねると遠くの部屋から横笛の音が聞えてきた、――あの娘だな、そう思って暫く耳を傾けていたが、たしかめたわけではないから事実それが初穂であったかどうかわからなかった。ただふしぎなことにはそのときその笛の音といっしょに初穂という者がはじめて心のなかへしみ込んできたのを彼は感じた。それはちょうどその人が妻戸を明けて部屋へはいってきたような感じだった、もう決して出てゆくことのない人のように。……  おなじ年の冬のはじめから武田晴信は上野《こうずけ》のくにへ馬を入れ、しきりに諸方の城を攻めたが、明くる年の二月、国峰《くにみね》の城をやぶって箕輪《みのわ》へと取り詰めた。箕輪はやはり上杉氏に属し、長野左衛門《ながのさえもん》大夫|業政《なりまさ》が城将としていた。業政は在五中将|業平《なりひら》の裔《すえ》であり、智謀すぐれた人物で、七年このかた武田氏に攻められながら、好防善戦かたく守って動《ゆる》がなかった。だが晴信もこんどは必至の采配《さいはい》をとった、輝虎と川中島に五たび戦い、ついにまた勝敗を決することのできなかった彼は、その余勢を集中して上野へ殺到したのである。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  箕輪城は上野のくに群馬郡に在り、椿《つばき》山という丘陵によって築かれている。国峰を屠《ほふ》ってひた押しに攻め寄せた武田軍は、外塁を蹂躪《じゅうりん》して城外へ逼《せま》ったが、そのとき大手の攻め口に新しく堅固な壕《ほり》が掘られてあるのを発見した。左衛門大夫業政は武田勢の必至の軍配を察し適宜に兵をおさめて籠城《ろうじょう》対陣の策をとるものとみえる。……晴信は物見から篤《とく》とこのようすを見やって、 「左衛門大夫どのはさすがにいくさ巧者だな」  と呟いた。 「こんどは当るべからずとみて永陣へ嵌《は》める算段か……これは迂濶《うかつ》には攻められぬ」  そう云うのを聞いて長坂釣閑斎《ながさかちょうかんさい》が思いついたように、 「おお申上げるのを忘れておりましたが、左衛門大夫は病死したらしいという聞きこみがございます」 「……ほう」  晴信はじっと眼を細くした。 「かたく喪は秘しておりますが、去る秋の頃たしかに死んだという噂を、つい今しがた報告してまいった者がございます」  それはというどよめきが起り、晴信の子の四郎勝頼が前へすすみ出た。そのとき十八歳の初陣だった彼は、きおい立つ若駒のような闘志を示しながら、 「父上、四郎に先陣をゆるしてください、敵が大将の喪を秘しているとすれば、真一文字に城へ突っ込むべきです、そうすればひと揉《も》みに乗り潰《つぶ》せます。四郎を遣《や》ってくださいお願いです」  そう云って今にもとび出しそうにした。業政が病死しているとすれば、武将はその子の左京亮業盛《さきょうのすけなりもり》であろう、それなら軍配のほども知れている、――よし、晴信はそう思ったので馬場信勝をまねいた。 「四郎が先を乗ると申す、まっすぐに城へ斬って入るそうだが問題は、あの架橋だ……」  晴信は手をあげて指さした、 「壕に架けてあるのは大手に見えるあの一つだけだ、あの架橋を落されてはならぬから、まずそこもとの手で押えてくれ」 「承知つかまつりました」  信勝は待ち兼ねていたとみえ、そう答えるなり物見を下りていった。  この合戦では架橋を確保するかしないかが戦局を左右するやま[#「やま」に傍点]だ、信勝はそうにらんだので、おのれの陣へ戻るとすぐに高折又七郎を呼んでその旨を告げた。又七郎はにっと微笑して立った。声いっぱいにからからと笑ったように思えたが、誰も笑ったわけではない、立ちあがるとき又七郎の鎧《よろい》が鳴ったのだ。彼もまたこの役目の重要さを、すばらしくやり甲斐のあるところとみてとったのである。……  手順がきまり、東堂舎人助によって先鋒《せんぽう》の兵が選ばれた、このときの兵の組立てはちょうど薤《らっきょう》のようなかたちだった。橋を確保すべき先鋒は五十人で、これを三百人の兵が包んでいる。敵陣へ斬り込むと薤がひと皮ずつ剥《む》けるように、外側にいる兵が所在の敵と戦い、これを次ぎ次ぎと移していって、中核にいる先鋒を架橋まで送りこもうというのである。又七郎はみずからその中核の五十人の指揮を買って出た。そしてその下に栃木大助を指名したが、これは東堂舎人助もおなじ意見だった。「さぞよろこぶであろう、……」そう云ってすぐに大助を呼んだ。  仔細《しさい》を聞かされた大助はかくべつ感動したようすもなく、いつもよりいっそうつよく唇をひき結んだだけで、黙々と与えられた位置についた。そして間もなくこの奇襲の攻撃は決行された。  数日まえに雪が降って、戦場はなかばぬかるみだった。高折又七郎の指揮する、栃木大助以下五十人の先鋒隊と、それを包む三百の馬場勢は、鬨《とき》をつくって敵陣のまっ唯中へ斬り込んだ。……散開していた敵は小勢とみて左右から押し挾《はさ》み、退路を断って攻めたてたが、馬場勢は巧みに応戦の兵を残しつつ、前へ前へと先鋒の道をひらいた。大助は高折又七郎にひき添って中核の先頭にいた。彼は噛《か》みつくような眼で、じっと壕の架橋を睨みながら前進した。挾撃《きょうげき》してくる敵兵も、それと斬りむすぶ味方の兵もない、ただ架橋だけを睨みながらぐんぐんと前進していた、……ところが壕まで二段ばかりの処《ところ》へ来たとき、敵は馬場隊の目的がなんであるかに気付いたのであろう、城門のあたりへ敵兵がとびだしてきたと思うと、手に手に斧《おの》や鉞《まさかり》をとって橋を破壊しはじめた。 「突っ込め」  又七郎が絶叫した。その声を追いぬくように大助がとびだした。それはつぶてのようだった。彼は疾走しながら刀を抜き、架橋へとまっしぐらに走せ込んだ。橋を打ち毀《こぼ》っていた城兵たちは、これをみつけてなにか叫び、二三人が抜きつれて迎え討とうとした。しかし大助のうしろから突っ込んでくる五十人の先鋒をみて、とまどいをしたように城の中へ退却した。そのとき大助は架橋を走りぬけていた。見ると橋詰の一部が壊され、片方の大桁《おおげた》はまったく台石から外れている、多勢の重みが懸かれば橋は落ちるに違いない、彼は咄嗟《とっさ》に石垣へ身を支え、ぐいと潜り込みざま、外れている台石と大桁との間へおのれの右足を突込んだ。つまり自分の足をそのまま楔《くさび》にかったのである、呼吸五つのひまもない咄嗟の機転だった。彼が足を楔にかうのと、ほとんど同時に先鋒隊が橋へ殺到してきた。そしてそのあとへ四郎勝頼の隊が怒濤《どとう》の如く押し詰めた。……その人数と橋の重みの下で、楔にかった足の骨がめりめりと砕ける音を、大助は他人のもののようにはっきりと聞いた。 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し]  合戦は武田軍の勝に終った。そのとき箕輪城では左衛門大夫業政が病死して、その子業盛が采配を執っていた。業盛も父の気性を受けたなかなかの武将だったが、さすがに晴信の軍配には敵しがたく、ほとんど全滅のかたちで敗れ、彼また自ら刎《は》ねていさぎよく死んだ。  大助が発見されたのは、戦が終って、馬寄せの法螺《ほら》が鳴りわたったあとのことだった。高折又七郎が思いだして、四五人の兵といっしょにやってきた。彼は失神していたが、助けだされるときの痛みで気がついたとみえ、二人の兵の肩にかかるとき「済まないな」と云った。その足は太股《ふともも》の中ほどから下へかけて布切れのように潰れていた。大助はそれを手で叩いてみたが、橋の上へあがるのを待って、 「これは切り放すよりしようがないな」  と呟いた。 「そうだ、切り捨てるより仕方があるまい、……」  又七郎がそう云って頷いた。 「おれが切ってやろう」 「お願い申します」  大助は草摺《くさずり》をひきあげた。兵たちが潰れた足を取って支えた。又七郎は一刀でみごとにそれを斬り放した。そしてみずから傷口を縛ってやりながら、 「……ばかだぞ栃木、あれを見ろ」  と傍らを顎《あご》でしゃくった。 「あすこに丸太が転げているではないか、あれを楔にかえばなんの事はなかったのに、片足を無くしてどうするんだ」  心外なやつだというのを聞いて、大助はそちらを見た。なるほど、橋詰の石垣の下に手頃の丸太が四五本も転げていた。 「はあ……」  と彼は溜息《ためいき》をつきながら云った。 「少しも気がつきませんでした、申しわけのないことを致しました」 「おれにあやまることがあるか、自分の足だぞ」  又七郎がそう云ったので、兵たちが思わず笑いだした。手当が済むと再び二人の兵が大助を担ぎあげた。 「しかし思いきってなさいましたな、……」  担いでゆきながら兵の一人がそう云った。 「骨が砕けるときはさぞ痛かったことでございましょう」 「……さあ、どうだかな」  大助はよそ事のように答えた。 「それはいま切って捨ててきた足に訊くがいい」 「…………」  えっというように兵は顔をあげた。そしてその意味がわかると、「なるほど」と頷きながら、痛いと云わぬ栃木の日頃を思いだして二人いっしょに笑いだした。  武田軍の上州侵攻を聞いた上杉氏は、これまたすぐに兵馬を下野《しもつけ》へ進めてきた。そこで晴信は箕輪城代に内藤修理《ないとうしゅり》をのこし、国峰へ小幡泉龍《おばたせんりゅう》を据えたうえ、すばやく軍をひきあげて甲斐へ帰った。……このあいだずっと、大助は人に負われたり馬の背にかかったりしなければならなかった。同情する者もあったが、概して悪い評判のほうが多かった、――すぐそばに手頃の丸太があるのに気づかないで、あたら片足を失ったということが、いかにも不たしなみに思えたからである。「がまん強いだけでも仕方のないものだ……」そういう言葉がいまさらのようにとりかわされるのを、大助も幾たびか耳にしたが、どう考えているのか自分では僅かに苦笑するだけで、それに就ては一言も弁解はせずに通した。  甲斐へ帰ってから間もなくのことだった。或る日ふと東堂舎人助が訪ねてきて、むすめ初穂との婚約を破談にしてくれと云いだした。 「人情としては云うに忍びないが、そのもとは再び戦場へ出ることのならぬからだとなった。これでは婿にと見込んだおれの志が外れるし、そのもととしても娶《めと》りにくいことであろう、こころよく無かったことにしてくれぬか」  ずばずばと飾りのない言葉が却《かえ》ってうれしかった。大助は承知した。 「わたくしにはいささかも異存はございません……」  そう云ってすぐに話題を変え、この頃は鎧師の真似をしていると云って、部屋の一隅にひろげてある鎧おどしの道具をさし示した。当時の身分の軽い者はたいてい自分で鎧具足の繕いをやる。大助も少年のころ父に手ほどきをされたが、繕いだけではなく拵《こしら》えもやってみた。自分の用いてきた具足は二領とも手作りだし、ひとにも二三領作ってやったことがある。舎人助はそれを知っているので、彼が鎧作りを始めたと聞くと、 「それはいいことを思いついた」  と云い、さっそく自分にも一領たのむと申し出た。  ひと月ほど経つと、二人いた郎党のうち若い一人が暇をとって出た。すでに戦場へ出るのぞみの無くなったというべき大助には、それをひきとめる言葉はなかったが、身近な者に去られるさびしさはかなりこたえたようである。するとその明くる日、残ったほうの源八《げんぱち》という老人が、ひとりの娘をめみえに伴《つ》れてきた。 「これからずっと家のお暮しではどうしても女の手がなくては御不自由でござります、わたくしの姪《めい》に当るむすめでお弓《ゆみ》と申しますが、下働きにでも使って頂こうと存じまして、……」  そうは云ったが、寂しくなった家のなかに幾らかでも色どりを添え、主人の心を慰めたいという思い遣りがよく感じられた。大助は黙って娘のようすを見まもっていたが、いいとも悪いとも云わなかった。娘は美しい額を伏せて、可憐《かれん》なほどじっと息をひそめていた。 [#6字下げ]五[#「五」は中見出し]  お弓は十七歳といったが、上背のある、すんなりと伸びたからだつきはずっと年《とし》長《た》けてみえる。つややかに黒い余るほどの髪をむぞうさに括《くく》って背へ垂れ、帯も布子も粗末なものを着けてはいるが、頬から顎《あご》へのひき緊まった線といい、眉つき唇《くち》もとに凛《りん》としたものがあって、なかなか下人の生れとみえぬ人品があらわれていた。 「……お待ちなさい」  大助は娘が挨拶をしてさがろうとするのを呼び止め、 「はなしがある、そこへお坐りなさい」そう云って源八にはさがれと命じた。  二人だけさし向いになってから、大助はなお暫く娘のようすを見まもっていたが、やがてしずかな声で口をきった。 「……あなたは源八の姪だというがそれは嘘でしょう」 「……まあ」 「あなたは東堂の初穂どのだ、そうではないと云えますか」  娘はふいに蒼《あお》ざめ、大助を見あげてなにか云おうとした。しかし唇がふるえるだけで言葉は出なかった。 「……あなたとの婚約は破談になった。ここへ来られた気持はおよそ察しがつくし、またありがたいとも思うが、武家の作法としてゆるされることではない。お志だけはお受けしますが帰ってください」 「いいえ、……」  娘はそっとかぶりを振った。 「いいえとは、帰らないということですか」 「はい、……わたくし」と云いかけて娘は屹《きっ》と面をあげた。「わたくし父に義絶をされてまいりました、この家のほかにまいるところは、ございません」 「義絶……それはまことですか」 「はい……」大助を見あげる娘の眼へ、そのときふつふつと泪《なみだ》が溢《あふ》れてきた。 「貴方《あなた》が箕輪の戦に片足をおなくしあそばしましたことは、いろいろ世間のとり沙汰でうかがいました。よくは存じませんけれども、そのとき傍らに恰好の木がございましたそうで、それを楔にかえば足を失わずとも済んだ、ふたしなみだという噂でございます。わたくしそれを聞くたびに、あんまり口惜しくて幾たび泣いたか知れませぬ」  初穂はせきあげてくるものを抑えるように、唇を噛《か》んでぐっと喉《のど》を詰まらせた。それから再び面をあげ、忿《いか》りと訴えとを籠《こ》めた口調で続けた。 「……他人の事はどのようにも申せます、また事の済んだあとなら幾らも手だての思案はつきます。貴方がご自分の足を楔にかったのはふたしなみだったかも知れませんし、そうしなければならなかったかもわかりません。合戦のまっ唯中で、しかも呼吸の間ものがせぬ必至の場合、こうかああかの思案ができましょうか、貴方が片足をおなくしなすったのは、そうしなければならなかったのだとわたくしは存じます。……父が婚約を破談にしましたのは、貴方が再び戦場へ出られぬおからだになったからだと申しました、まことは世間のとり沙汰にひかれているのでございます。そうでなくてなぜ破談に致しましょう。討死をして、すでに世に亡き良人《おっと》にさえ女は操を守りとおすではございませんか、わたくしは一年まえから栃木家の嫁でございました」  思いつめた娘ごころが切々と言句のうちに脈うっていた。云い終るとすぐ面を掩《おお》って、堪えかねたように泣く初穂の姿を、暫く黙って見ていたが、やがて大助は冷やかとも思える声で云った。 「……あなたはたいそう世間のとり沙汰を気にしているが、いったい箕輪の戦は勝ったのですか負けたのですか」 「…………」 「どう思います、味方は勝ちましたか負けましたか」  思いもつかぬ問いである、初穂は泪を抑えながら、――お味方の勝利だと存じますがと答えた。 「そうです、味方が勝ったのです。そしてそれが全部ですよ」大助は力を籠《こ》めてそう云った。 「味方が勝つまでは、もののふはみなすすんで死地にとび込む、そのとき毀誉褒貶《きよほうへん》を誰が考えるか、将も兵も身命を捨てて戦いぬき、勝利をつかむところが全部だ。……わたくしは片足を失った、それがふたしなみだという噂も聞いている、だが、……こういうことはわたくし一人ではない」 「…………」 「戦場では幾十百人となく討死をする、誰がどう戦ったか、戦いぶりが善かったか悪かったか、そういう評判は必ずおこるものだ、わたくし一人ではない、なかにはそういう評判にものぼらず、その名はもとより骨も残さず死ぬ者さえある、そしてもののふの壮烈さはそこにあるのだ」  そう云いきって大助は声をのんだ、つきあげてくる感動を抑えているのであろう、膝の上にある拳が見えるほど固くにぎり緊められていた。 「家へお帰りなさい……」  暫くして彼は平生の声にかえって云った。 「一年まえから栃木家の嫁だったという、その言葉が本当なら家へ帰ってください」 「でもわたくし……」 「いや帰らなければいけない、なぜなら」云いかけて大助は身をひねり、とりひろげてある鎧作りの道具のかげから、長さ三尺ばかりの太い杖《つえ》のような物をひき出して見せた。 「これがなんだかわかりますか」 「…………」初穂にはわからないので、そっとかぶりを振った。 「……足です」 「足とおっしゃいますと」 「この右足を継ぐのです」  大助は確信ありげに云った。 「……片足の不自由な者でも、つまり跛《びっこ》でさえ、りっぱに戦場ではたらいている者が少なくない、現にお身内にも山本勘助《やまもとかんすけ》という人がいる。うまく継ぎ足ができて修練すれば、案外このからだでもお役に立つかと思う」 「まあ……」 「二年かかるか三年かかるかわからないが、わたくしは必ず戦場へ出るようになってみせます、……初穂どの、そうすれば婚約をもどすことができる、そう思いませんか」  泪に濡れた初穂の顔がそのとき輝くようにみえた。いっぱいに瞠《みは》った眼は新しい希望に活き活きとした光を湛え、双の頬にはあざやかな紅がさした、そしてしっかりとした力のある声で云った。 「わたくし戻ります……」 底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社    1983(昭和58)年10月25日発行 初出:「富士」大日本雄辯會講談社    1944(昭和19)年9月号 ※表題は底本では、「一人《いちにん》ならじ」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:北川松生 2022年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: 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