「君死にたまふことなかれ」 武田麟太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから2字下げ] -------------------------------------------------------  明治三十七年九月号の「明星」と云ふ雑誌に有名な詩「君死にたまふことなかれ」が載つた。その第三聯に [#ここから2字下げ] 堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて 親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ。 [#ここで字下げ終わり]  ――とある。そんなことには迂遠な僕が詩なんぞを引用すると、人は実に滑稽に思ふかも知れぬが、堺市大小路と宿院との間に、古びた構へで、昔風にこじんまりした老舗の菓子屋の前を通る時、必ずこの詩を思ひ浮べるのである。それは駿河屋と云ふ屋号が暖簾に見られ、姓を鳳と名のつて、名物の芥子餅や長崎カステイラなぞを商つてゐる。当世風なところは微塵もなく、いつも西日がその閉め切つた硝子戸にあたつてゐるやうな寂しさを感じさせ、閑散としてゐて客人の姿も見たことはない。「旧家をほこり」年老いた人のやうに静かに坐つてゐる。――云ふまでもなく、この詩の作者、与謝野晶子氏の生家なのである。  大和川と云ふ川――雨が降ると濁つた水が烈しい勢ひで流れ、晴れた日には急に干あがつて了つて、白い洲が川幅を極度にちぢめ、砂採取人や戯れる子供たちの足跡がいつまでも消えずに一すぢに印されてゐる――その川が大阪市と堺市との境界である。だから、近代資本主義都市として頂上にまで発達しつくした都会の隣りに、川一つ越すと、徳川時代そのままの堺の町があるのに、大抵の人は驚くのである。古い開港場。低い、だががつしりとした材木と壁とで作られた格子のある家並み。酒造りの旧家も多く、稍々妖怪ぢみた大きな酒倉や広場に乾してある酒槽。町を流れる線香のにほひ。柳と木橋。誰も通らぬ寺と寺との間の長い道。くづれた土塀。文明も浅くて、ハイカラな色彩も稀である。――そんな町であるからして、駿河屋のやうな孤影も全体と調和して別に人の眼を惹かないのである。あの詩の中には、また―― [#ここから2字下げ] 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや、 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。 [#ここで字下げ終わり]  と云ふ聯がある。その旅順口に出征してゐた晶子氏の弟は、当時二十四歳とするならば、今年は五十三歳の老人になつてゐるはずである。僕は、彼が、与謝野氏の「君死にたまふことなかれ」の嘆きにも係らず「かたみに人の血を流し、獣の道に死」[#1段階小さな文字](同詩中より)[#小さな文字終わり]なれたか、または希望通り、生還されたのか知らぬものである。だが、僕は通りすがりに店をのぞきこみ、そこに坐つてゐる鼠縞の着物きた人がゐると、ああ、あの人が――日露戦争の真唯中に、もとより個人主義的にではあつたが、戦争に反抗を見せた詩の「主人公」であつたのか、と些しばかり懐古的な気持になるのであつた。  僕はまた、彼の配偶者を――恐らく、彼女もまた今日では漸く萎んで来てゐるにちがひないが――探す眼つきをする。彼女は当時、次の如くうたはれてゐた。 [#ここから2字下げ] 暖簾のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を、 君わするるや、思へるや、 十月も添はでわかれたる 少女ごころを思ひみよ、 この世ひとりの君ならで ああまた誰をたのむべき 君死にたまふことなかれ。 [#ここで字下げ終わり]  先日、冬の雨の降る夜に、堺の町からは、楽隊入りで幾人かの壮丁が送られて行つた。在郷軍人会、青年団、紋附、髭なぞの酔払ひ気味な万歳の声のうちに。濡れた提灯や旗のざわめきのうちに。そして、本人は青ざめてキヨトンとした眼と顔附きのうちに。肉親や情人の絶え入らんばかりの号泣のうちに――「この世ひとりの君ならで、また誰をたのむべき」そんな男とひきはなされ!  そんなことに迂遠な僕が、詩なんぞ引用して文章を書くのを、実に滑稽だ、なぞと云ふな。僕は堺のことと、この詩の持つ真から真底の、嘘のない感情とを引きはなして考へ得ないのである。 [#ここから2字下げ] 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ 君は知らじな、あきびとの 家のおきてになかりけり。 [#ここで字下げ終わり]  ――僕はすでに、堺の町の古きについて、昔活溌であつた港町、今は用のない棄てられたやうな、遠い過古の眠りを眠つてゐる町について語つた。だが、もとより、今日に於て、それが旧態のままにあるはずがない。古い町の中心は次第に没落の相を見せ、新開地の方には、日本でも有数の車輛工場である梅鉢鉄工所は栄え、労働者の住宅をじめじめしたところに立てこませ、赤煉瓦建ての巨大な紡績工場の横にある女工寄宿舎には争議団が籠城して、流血の騒ぎをしたり、朝鮮人は大挙して移住して来、あけつぱなしの生活を展げたり、町中に朝鮮語をまきちらしたり、だから、町の掲示板には必ず日本語のとならんで、符号のやうな諺文のが添へられ、自転車工場では、兵器分部品が昼夜兼行で製作され――  僕はそんな町の電柱や、会社の壁の上に、次のやうな文字が書かれたビラを、足をとどめて読むことがあつた。 「強制的    金絶対反対!」 「軍需品製作のための労働      !」  また、この間の市会議員選挙の際には、全国農民組合内の  反対派「全国会議派」から立つた石角候補は 「    戦争絶対反対! 労働者農民を犠牲にする    反対だ」と云つてゐたが、それらすべては、明治三十七年九月号の「明星」誌上で、与謝野晶子氏が「君死にたまふことなかれ」とうたつた同じことを、今日の言葉で云ひ現したにすぎないのである。 底本:「日本随筆紀行第一七巻 大阪|和歌山 声はずむ水の都」作品社    1987(昭和62)年1月10日第1刷発行 底本の親本:「新潮」新潮社    1933(昭和8)年6月 入力:浦山敦子 校正:noriko saito 2024年4月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。