紙幣鶴 斎藤茂吉 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)倚《よ》った [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)„ -------------------------------------------------------  ある晩カフェに行くと、一隅の卓に倚《よ》ったひとりの娘が、墺太利《オウストリー》の千円紙幣でしきりに鶴を折っている。ひとりの娘というても、僕は二度三度その娘と話したことがあった。僕の友と一しょに夕餐《ゆうさん》をしたこともあった。世の人々は、この娘の素性などをいろいろ穿鑿《せんさく》せぬ方が賢いとおもう。娘の前を通りしなに、僕はちょっと娘と会話をした。 「こんばんは。何している」 「こんばんは。どうです、旨《うま》いでしょう」 「なんだ千円札じゃないか。勿体《もったい》ないことをするね」 「いいえ、ちっとも勿体なかないわ。ごらんなさい、墺太利《オウストリー》のお金は、こうやってどんどん飛ぶわ」  そうして娘は口を細め、頬《ほお》をふくらめて、紙幣で折った鶴をぷうと吹いた。鶴は虚空に舞い上ったが、忽《たちま》ち牀上《しょうじょう》に落ちた。  娘は、微笑しながら紙幣で折った鶴を僕に示して、[#横組み]„fliegende oesterreichische Kronen!“[#横組み終わり]こういったのであった。この原語の方が、象徴的で、簡潔で、小癪《こしゃく》で、よほどうまいところがある。けれども、これをそのまま日本語に直訳してしまってはやはりいけまい。  この小話は、墺太利《オウストリー》のカアル皇帝が、西班牙《スペイン》領の離れ小島で崩じた時と、同じような感銘を僕に与えたとおもうから、ここに書きしるしておこう。 底本:「斎藤茂吉随筆集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    2003(平成15)年6月13日第7刷発行 底本の親本:「斎藤茂吉選集 第八巻〜第十三巻」岩波書店    1981(昭和56)年〜1982(昭和57)年 初出:「改造」    1925(大正14)年6月号 ※底本巻末の相澤正己氏による注釈は省略しました。 入力:秋谷春恵 校正:高瀬竜一 2018年4月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。