正直者 国木田独歩 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)見《み》た |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|言《ごん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)じつくり[#「じつくり」に傍点] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)たう/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------  見《み》たところ成程《なるほど》私《わたくし》は正直《しやうぢき》な人物《じんぶつ》らしく思《おも》はれるでせう。たゞ正直《しやうぢき》なばかりでなく、人並《ひとなみ》變《ちが》つた偏物《へんぶつ》らしくも見《み》えるでせう。  けれども私《わたくし》は決《けつ》して正直《しやうぢき》な者《もの》ではないのです。なまじ正直者《しやうぢきもの》と他《ひと》から思《おも》はれたばかりに容易《ようい》ならぬ罪《つみ》を今日《こんにち》まで成《な》し遂《と》げて生涯《しやうがい》の半《なかば》を送《おく》つて來《き》たのであります。  鏡《かゞみ》に對《むか》へば私《わたくし》にも直《す》ぐ私自身《わたくしじしん》の容貌《ようばう》が能《よ》く解《わか》ります。私《わたくし》の顏《かほ》には角《かど》といふものがありません。冴《さ》えた色《いろ》がありません。眉毛《まゆげ》が濃《こ》く、頬鬚《ほゝひげ》が多《おほ》く、鼻《はな》が丸《まる》く、唇《くちびる》が厚《あつ》く、そして何處《どこ》かに間《ま》の脱《ぬ》けたところがあります。笑《わら》へば眥《まなじり》に深《ふか》い皺《しわ》が寄《よ》るのです。それが――淺《あさ》ましいことには――言《い》ひ知《し》れぬ愛嬌《あいけう》になつて居《ゐ》ます。それに私《わたくし》は隨分《ずゐぶん》大《おほ》きな方《はう》ですから、何時《いつ》も着物《きもの》は裄《ゆき》の足《たり》ないのを着《き》て太《ふと》い手《て》が武骨《ぶこつ》に出《で》て居《ゐ》るので一見《いつけん》素朴《そぼく》らしくも見《み》られるのであります。身體《からだ》の小《ちさ》い人《ひと》はチヨコマカと才《さい》はじけて、身體《からだ》に重味《おもみ》のないばかりか心《こゝろ》の重味《おもみ》までが無《な》いやうに他《ひと》から推《とら》れるものですが、身體《からだ》の太《ふと》い男《をとこ》は、馬鹿《ばか》でも惡黨《あくたう》でも横着者《わうちやくもの》でも先《ま》づ他《ひと》から重《おも》く思《おも》はれるのが普通《ふつう》で、私《わたくし》も其例《そのれい》には洩《もれ》なかつたのであります。  口數《くちかず》多《おほ》ければ未《ま》だしも、私《わたくし》は口無調法《くちぶてうはふ》でした、けれども滔々《たう/\》と饒舌《しやべ》れないかといふに左樣《さう》でもないのです。時《とき》に由《よつ》ては隨分《ずゐぶん》人並《ひとなみ》の辯舌《べんぜつ》は振《ふる》ふのであります。唯々《たゞ》、(これが天稟《うまれつき》でせう、)大概《たいがい》の場合《ばあひ》は他人《ひと》の言《い》ふことのみ聞《き》いて、例《れい》の眥《まなじり》の皺《しわ》を見《み》せるばかり、それで居《ゐ》て他人《ひと》の言《い》ふことは何《なに》もかも能《よ》く解《わか》り、推測《すゐそく》もする、邪推《じやすゐ》もする、裏表《うらおもて》も知《し》つて居《ゐ》るのであります。  私《わたくし》のやうな男《をとこ》は世間《せけん》に隨分《ずゐぶん》見受《みうけ》ますが、皆《み》な其身《そのみ》の置《お》かれた境遇《きやうぐう》、例《たと》へば昔《むかし》でいふ士農工商《しのうこうしやう》の境遇《きやうぐう》に居《ゐ》て、それ/″\面白《おもしろ》い芝居《しばゐ》を打《う》つて居《ゐ》ます。たゞ此種《このしゆ》の人《ひと》は、(私《わたくし》も其一人《そのひとり》、)滅多《めつた》に其境遇《そのきやうぐう》から外《そと》には飛《と》び出《だ》し得《え》ないものであります、其《その》飛《と》び出《だ》し得《え》ないところに彼《かれ》の重味《おもみ》も着《つ》いて、其《その》打《う》つ芝居《しばゐ》が愈々《いよ/\》巧《うま》く當《あた》るのであります。  ところで私《わたくし》の境遇《きやうぐう》の低《ひく》いのと、それから私《わたくし》には或《ある》特別《とくべつ》の天性《うまれつき》があるのとで、私《わたくし》の演《えん》じて來《き》た芝居《しばゐ》が誠《まこと》に淺間《あさま》しい、醜《みにく》いものとなつたのであります。或《ある》特別《とくべつ》の天性《うまれつき》といふのは、今《いま》こゝで言《い》はないでも、後《あと》で段々《だん/\》に解《わか》つて來《く》るでせう。  しかし誤解《ごかい》をふせぐ爲《た》めに一|言《ごん》します、私《わたくし》は決《けつ》して世《よ》の中《なか》のこと悉《こと/″\》く芝居《しばゐ》と同《おな》じだといふ説《せつ》を持《もつ》て居《ゐ》るのではありません。たゞ前《まへ》に説《と》きました如《ごと》き、私共《わたくしども》のやうな性質《せいしつ》を持《もつ》て居《ゐ》る連中《れんぢゆう》は、何處《どこ》かに冷《つめた》いところがあつて、身《み》に迫《せま》つて來《き》た事柄《ことがら》をも、靜《しづ》かに傍觀《ばうくわん》することが出來《でき》るのです、それですから極《ご》く眞面目《まじめ》な、誠實《せいじつ》な顏《かほ》をしながら、而《しか》も克《よ》く巧《たく》んで物事《ものごと》を處置《しよち》することが出來《でき》ます。既《すで》に巧《たく》んで處置《しよち》するといへば、其處《そこ》に芝居《しばゐ》らしい趣《おもむき》があるではありませんか。  さて、これから私《わたくし》の身《み》の上《うへ》噺《ばなし》を一ツ二ツお話《はなし》いたします。  私《わたくし》の父《ちゝ》は古《ふる》い英學者《えいがくしや》で永年《ながねん》中學校《ちゆうがくかう》の教師《けうし》を務《つと》めて居《ゐ》ましたが、同窓《どうさう》の友《とも》ともいふべき人々《ひと/″\》は皆《みな》其《そ》の學《まな》び得《え》し新智識《しんちしき》を利用《りよう》して社會《しやくわい》樞要《すうえう》の地位《ちゐ》を占《しめ》ましたけれど、私《わたくし》の父《ちゝ》のみは最初《さいしよ》語學《ごがく》の教師《けうし》となつたぎり、終《つひ》に其職以外《そのしよくいぐわい》に何事《なにごと》をも爲《な》し得《え》ず、私《わたくし》の十二の春《はる》まで一|教師《けうし》として此世《このよ》を送《おく》り、變則英語《へんそくえいご》の專賣者《せんばいしや》になつて生涯《しやうがい》を終《をへ》ました。  父《ちゝ》の死《し》と共《とも》に私《わたくし》は全《まつた》くの孤兒《みなしご》となりました、といふものは母《はゝ》の顏《かほ》を私《わたくし》は少《すこし》も知《し》りません。父《ちゝ》は私《わたくし》の母《はゝ》の亡《な》くなつて後《のち》は、始終《しゞゆう》妾《めかけ》同樣《どうやう》なものを置《お》いたばかりで、それも七|人《にん》八|人《にん》ではなく、私《わたくし》の記憶《きおく》に存《のこ》つて居《ゐ》るばかりでも四|人《にん》ばかりあり、終《つひ》に眞《まこと》の家庭《かてい》らしいものは作《つく》らなかつたのです。  何故《なぜ》父《ちゝ》は、さる不倫《ふりん》なことをして居《ゐ》たかといふ理由《りいう》は知《し》りません、けれども父《ちゝ》の子《こ》なる私《わたくし》の性質《せいしつ》から推測《すゐそく》しますると、父《ちゝ》は唯《た》だ肉慾《にくよく》の滿足《まんぞく》を得《う》るばかり女《をんな》を置《お》くことを知《し》つて、家庭《かてい》などのことには全然《まるで》心《こゝろ》を動《うご》かさなかつたのだらうと思《おも》はれます。  私《わたくし》の知《し》つて居《ゐ》る三四|人《にん》の妾《めかけ》に就《つ》いても父《ちゝ》は情愛《じやうあい》を以《もつ》てこれを遇《ぐう》した樣子《やうす》は少《すこ》しもありませんでした私《わたくし》は少《すこ》しばかり酒《さけ》を呑《の》みますが父《ちゝ》は決《けつ》して酒杯《さかづき》を手《て》にしたことなく、又《ま》た私《わたくし》よりも更《さら》に無口《むくち》で、家《うち》に居《ゐ》てもたゞ茫然《ぼんやり》と火鉢《ひばち》に對《むか》つて煙草《たばこ》を吹《ふか》して居《ゐ》るか、それでなくば机《つくゑ》に向《むか》つて英書《えいしよ》を繙《ひもと》いて居《ゐ》るかで家中《うち》は常《つね》に寂寞《ひつそり》として居《ゐ》ました。  それですから女中兼帶《ぢよちゆうけんたい》の妾《めかけ》が來《き》ても初《はじめ》の中《うち》は父《ちゝ》や私《わたくし》を對手《あひて》に饒舌《しやべ》りますが、一月《ひとつき》二月《ふたつき》と經《た》つ中《うち》に何時《いつ》しかこれも無言《むごん》の業《げふ》に堪《た》へ得《う》るやうになつて了《しま》ふのです。  冷寒《つめた》い空氣《くうき》と暗鬱《あんうつ》な影《かげ》とが常《つね》に立罩《たちこ》めて居《ゐ》る中《なか》に、私《わたくし》も亦《ま》た父《ちゝ》と同《おな》じやうな性質《せいしつ》で、別《べつ》に悲《かな》しいとも辛苦《つら》いとも思《おも》はず生育《おひた》ちました。それですから私《わたくし》は父《ちゝ》の在《あ》る前《まへ》から既《すで》に孤兒同然《みなしごどうぜん》であつたのであります。  兄《あに》もなく弟《おとゝ》もなく、頼《たより》にすべき親戚《しんせき》もなく、十二|歳《さい》の少年《せうねん》は父《ちゝ》の死《し》と共《とも》に父《ちゝ》の友《とも》なる某中學校《なにがしちゆうがくかう》の國語《こくご》の教師《けうし》の家《うち》に引取《ひきと》られました。教師《けうし》の姓《せい》は加藤《かとう》。其加藤《そのかとう》の言葉《ことば》に依《よ》れば私《わたくし》を引取《ひきと》つたのは父《ちゝ》が生前《せいぜん》の依頼《いらい》であつたさうです。  加藤《かとう》が私《わたくし》を親切《しんせつ》にして呉《く》れたか如何《どう》だかといふことは別《べつ》に言《い》ふほどのこともありません。普通《ふつう》の學僕《がくぼく》同樣《どうやう》なことを仕《し》ながら英語《えいご》の夜學校《やがくかう》に通《かよ》ひ、國語《こくご》の方《はう》は直接《ちよくせつ》に加藤《かとう》から少《すこ》しづゝ學《まな》んで居《ゐ》ましたが、孤獨《こどく》には慣《な》れて居《ゐ》ますから私《わたくし》の心持《こゝろもち》では加藤《かとう》の待遇《たいぐう》に就《つい》て格別《かくべつ》の感《かん》じを持《もち》ませんでした。 『お前《まへ》の父上《おとつさん》は至極《しごく》好人物《かうじんぶつ》であつたが、惜《をし》いことに活動《くわつどう》といふものを仕《し》ないで退居《ひつこん》でばかり居《ゐ》なすツたから、折角《せつかく》の利器《りき》を懷《いだ》きながら老《おい》朽《く》ちて了《しま》はれた。お前《まへ》は一《ひと》ツウンと世《よ》の中《なか》に飛《と》び出《だ》して大《おほい》に活動《くわつどう》しなければ可《い》かん、學問《がくもん》が如何《いくら》あつても活動《くわつどう》といふことが無《な》ければ今《いま》の世《よ》は用《もち》ゐられんじや。』加藤《かとう》は其細《そのほそ》い眼《め》を光《ひか》らして自分《じぶん》に向《むか》ひ此言葉《このことば》を聞《きか》したことは幾度《いくど》であるか知《し》れません。  なるほど左樣《さう》だ、加藤《かとう》の叔父《をぢ》さんの言《い》はれる通《とほ》りだと私《わたくし》も思《おも》はぬではないが、天稟《うまれつき》は爭《あらそ》はれぬもので、重苦《おもくる》しい性質《せいしつ》は言葉《ことば》の彈力《だんりよく》や、理想《りさう》の槓杆《こうかん》では容易《ようい》に動《うご》きませんでした。所謂《いはゆ》る、なるがまゝに移《うつ》つてゆく其境遇《そのきやうぐう》に處《しよ》して唯《た》だ其日々々《そのひ/\》をじつくり[#「じつくり」に傍点]と暮《くら》す、それが私《わたくし》の運命《うんめい》であつたのです。  十九の秋《あき》、加藤《かとう》は病《や》んで床《とこ》に就《つ》き、二十日ばかりで遂《つひ》に此世《このよ》を去《さ》りました。六十七|歳《さい》ですから先《ま》づ以《もつ》て長命《ちやうめい》の方《はう》でせう。死《し》ぬ少《すこ》し前《まへ》に私《わたくし》を枕許《まくらもと》に喚《よん》で、斯《か》ういひました。―― 『お前《まへ》の父上《おとつさん》から私《わたし》の受取《うけと》つた金《かね》は四百|圓《ゑん》足《たら》ずであつた、家財《かざい》や書籍《しよじやく》を賣《う》つて二百|圓《ゑん》ばかり、都合《つがふ》六百|圓《ゑん》に三十|圓《ゑん》不足《ふそく》する金《かね》を私《わたし》がお前《まへ》と一《いつ》しよに預《あづ》かつたのじや。父上《おとつさん》の頼《たのみ》は此金《このかね》を食料《しよくれう》に、金《かね》の續《つゞ》く間《あひだ》お前《まへ》を世話《せわ》して呉《く》れとのことであつた、それでお前《まへ》の十二の時《とき》から今年《ことし》までザツと八|年《ねん》の間《あひだ》で、預《あづか》つた金《かね》は大概《たいがい》無《な》くなつて了《しま》つたが未《ま》だ百|圓《ゑん》ばかり殘《のこ》つて居《ゐ》る勘定《かんぢやう》になる、それを今《いま》お前《まへ》に此處《こゝ》でお返《かへ》しするから、お前《まへ》は私《わたし》の死《しん》だ後《あと》、この金《かね》を持《もつ》て獨立《どくりつ》して見《み》るが可《よ》からうと私《わたし》は思《おも》ふのぢや。』  加藤《かとう》の言《い》ふことは私《わたくし》に能《よ》く飮《の》みこめました。要之《つまり》、加藤《かとう》の死《しん》だ後《あと》、私《わたくし》は百|圓《ゑん》の金《かね》を持《もつ》て、加藤《かとう》の家《うち》を出《で》てゆき、如何《どう》にもして獨立《ひとりだ》ちで世《よ》の中《なか》を渡《わた》つて行《ゆ》くことになつたのであります。それでも加藤《かとう》が私《わたくし》に百|圓《ゑん》の金《かね》を渡《わた》すといふのが今《いま》から思《おも》ふと不思議《ふしぎ》で、實《じつ》いふとあの時《とき》、加藤《かとう》から一|文《もん》なしで直《す》ぐ立退《たちの》きを命《めい》ぜられても私《わたくし》は文句《もんく》なしに其言葉《そのことば》に從《したが》ひ、文句《もんく》のないばかりか、當然《たうぜん》のことゝ考《かんが》へて立退《たちの》いたのであらうと思《おも》はれます。ですから百|圓《ゑん》受取《うけと》つた時《とき》は、眞實《しんじつ》私《わたし》はうれしう思《おも》ひました。加藤《かとう》の死《しん》でから一|週間《しうかん》經《た》つて、私《わたくし》は住《す》みなれた家《うち》を、別《べつ》に大《たい》して悲《かな》しいとも思《おも》はず、出《で》てゆきました。  落着《おちつ》く先《さき》は麹町區《かうぢまちく》某小學校《なにがしせうがくかう》の直《す》ぐ近所《きんじよ》にある下宿屋《げしゆくや》の一室《ひとま》です。私《わたくし》は加藤《かとう》生前《せいぜん》の世話《せわ》で小學校《せうがくかう》の英語《えいご》の教師《けうし》になりましたので、月給《げつきふ》は十|圓《ゑん》、下宿料《げしゆくれう》が七|圓《ゑん》ですから差當《さしあた》り食《く》ふには困《こま》りませんでした。  其頃《そのころ》の私《わたくし》は今《いま》よりも丸顏《まるがほ》の、可愛《かあい》い顏《かほ》つきをして居《ゐ》ました上《うへ》に、言葉《ことば》の少《すく》ない、それで愛嬌《あいけう》もある少年《せうねん》でしたから、校長《かうちやう》初《はじ》め同僚《どうれう》からも可愛《かあい》がられ、下宿屋《げしゆくや》のおかみさんからも「澤村《さはむら》さん/\」とちやほやされました。大概《たいがい》のものは斯《か》うなると一寸《ちよつと》得意《とくい》になるものです。まして年《とし》からいふと生意氣盛《なまいきざかり》ですから、つひ言《い》はないでも可《よ》い惡《にく》まれ口《ぐち》をたゝいたり、怒《おこら》んでも可《よ》いことに顏《かほ》を赤《あか》くして聲《こゑ》を高《たか》めて見《み》たり、かりそめにも先生《せんせい》を鼻《はな》の先《さき》にぶら下《さげ》て居《ゐ》るものですが、私《わたくし》に限《かぎ》つてそれがありません。何時《いつ》も同《おなじ》やうな顏《かほ》をして下宿《げしゆく》を出《で》て、同《おな》じやうな風《ふう》で歸《かへ》つて來《く》る、袴《はかま》を脱《ぬ》ぐと直《す》ぐ疊《たゝん》で納《しま》ふ、見《み》たところ實體《じつてい》な感心《かんしん》な青年《わかもの》であつたに違《ちがひ》ありません。  下宿屋《げしゆくや》のかみさんといふのは其《その》ころ四十四五でしたらう、年頃《としごろ》の娘《むすめ》と十四になる男《をとこ》の子《こ》と三|人暮《にんぐらし》の後家《ごけ》の内職《ないしよく》で、間數《まかず》は僅《わづか》に四|個《つ》、それも立派《りつぱ》な部屋《へや》は一間《ひとま》もないのです。娘《むすめ》はおかみさんに似《に》て細面《ほそおもて》の、色《いろ》の蒼白《あをじろ》い、病身《びやうしん》らしい子《こ》でしたが、眼《め》は黒眼勝《くろめがち》のはつきりとしたのが、先《ま》づ此子《このこ》の特長《とりえ》とでもいひませうか、其眼《そのめ》で熟《じつ》と人《ひと》の顏《かほ》を見《み》て、暫《しばら》くして微《かす》かにほゝゑむのが此娘《このこ》の癖《くせ》でした。名《な》はおしんですから、私《わたくし》どもはしんちやんと呼《よ》んで居《ゐ》たのです。  おかみさんは輕薄《けいはく》な御世辭《おせじ》も言《い》ひませんが、下宿人《げしゆくにん》の誰《たれ》にも親切《しんせつ》であつたやうです。分《わけ》ても私《わたくし》を可愛《かあい》がつてくれて二月《ふたつき》三月《みつき》居《ゐ》る中《うち》には親子《おやこ》かと思《おも》はれるまでにしてくれました。けれど私《わたくし》は情《なさけ》ないことに、親子《おやこ》の情《じやう》といふものを知《しら》ない人間《にんげん》ですから、うれしいとは思《おも》ひましたが、たいして感動《かんどう》もしなかつたのです。  人《ひと》の心《こゝろ》ほど奇態《きたい》なものはありません。それほどの親切《しんせつ》に對《たい》して私《わたくし》が感動《かんどう》もせず、初《はじ》めて下宿《げしゆく》に來《き》た時《とき》と少《すこし》も變《かは》らぬ態度《たいど》を保《たも》つて居《ゐ》ましたので、おかみさんの心《こゝろ》は益々《ます/\》動《うご》き、愈々《いよ/\》私《わたくし》に感心《かんしん》して、私《わたくし》をば又《また》とない正直《しやうぢき》な、温順《をんじゆん》な謙遜《けんそん》な青年《わかもの》だと全然《すつかり》信仰《しんかう》して了《しま》つたのです。  娘《むすめ》のおしんも同《おな》じことで、母《はゝ》のやうに口《くち》こそ餘《あま》り出《だ》して言《い》ひませんが、私《わたくし》を信仰《しんかう》する熱度《ねつど》は母《はゝ》と少《すこし》も變《かは》らぬことが其擧動《そのそぶり》で私《わたくし》には能《よ》く解《わか》つて居《ゐ》ました。  今《いま》から思《おも》ひますと、眞實《ほんたう》に正直《しやうぢき》な、温順《をんじゆん》な、謙遜《けんそん》な人《ひと》といふは無論《むろん》、此私《このわたくし》ではなく、此娘《このむすめ》でありました。私《わたくし》はおしんをば完全無缺《くわんぜんむけつ》の人間《にんげん》とは思《おも》ひませんが、少《すくな》くとも女《をんな》として彼《あ》の位《くらゐ》なのは餘《あま》り類《るゐ》がないと今《いま》では信《しん》じて居《ゐ》るのであります。ひとつは健康《けんかう》のすぐれないためでもありませうが、おしんの起居振舞《たちゐふるまひ》から言葉《ことば》から、こゝろばせ[#「こゝろばせ」に傍点]までが如何《いか》にも穩《おだや》かで、おつとりとした中《うち》に情深《なさけぶか》いやうなところがありました。  年《とし》は二《ふた》つ違《ちがひ》で、先《ま》づ同年輩《どうねんぱい》ですが、私《わたくし》は年《とし》よりもふけて見《み》える方《はう》、おしんは小供《こども》らしいところがあつて、二《ふた》ツも若《わか》く思《おも》はれるはうでしたから、おしんの私《わたくし》に對《たい》する心持《こゝろもち》は母《はゝ》と同《おなじ》ながら、其《その》うちに何處《どこ》かあまへる[#「あまへる」に傍点]やうな風《ふう》もあつたのであります。  私《わたくし》が一人《ひとり》部屋《へや》にすつこん[#「すつこん」に傍点]で居《ゐ》ると能《よ》く遊《あそ》びに參《まゐ》りまして色々《いろ/\》な話《はなし》をして事《こと》によると夜《よ》を更《ふか》すこともありましたが、そんなこんなの例《れい》を申《まう》せば或晩《あるばん》のことです、 『あなたの親父《とうさま》はどんな方《かた》で厶《ござ》いました、』とおしんが訊《き》きましたから、 『どんな人《ひと》ツて別《べつ》に言《い》ひやうもないが、大變《たいへん》煙草《たばこ》が好《す》きでした。』 『きつと好《い》い方《かた》でしたらうねえ。』 『何故《どう》して?』 『だツて貴樣《あなた》の親父《とうさま》ですもの。』  又《また》或時《あるとき》のことです、おしんは私《わたくし》が謝絶《ことわ》るのを無理《むり》に私《わたくし》の衣服《きもの》を疊《たゝみ》ながら 『貴樣《あなた》は他《ひと》から話《はな》しかけないと、めつたにお口《くち》をきゝませんねえ。』 『さうですか、自分《じぶん》ではそんな積《つも》りもないのだが。』 『でも母《はゝ》もさう申《まう》して居《ゐ》ますよ。』 『さうですか、それではこれから氣《き》をつけませう。』 『あら、別段《べつだん》惡《わる》いと申《まう》したのでは厶《ござ》いませんわ。』 『イヽヱ、そんなことは善《よ》くないことです。私《わたくし》の父《ちゝ》など始終《しゞゆう》默《だま》つて居《ゐ》て、碌《ろく》に私《わたし》にも口《くち》をきかないで死《しん》で了《しま》ひました。』 『でも必定《きつと》お心《こゝろ》は優《やさし》い方《かた》でしたらうよ。なんでも宅《うち》の父上《とうさま》のやうであつたらうツて、母《はゝ》が申《まう》して居《ゐ》ました。』 『あなたの父上《とうさま》はどんな方《かた》です。』 『口數《くちかず》はきゝませんが、何時《いつ》でもにこ/\して居《ゐ》て母《はゝ》でも私《わたくし》でもめつたに叱《しか》るなんぞいふことは厶《ござ》いませんでした。』 『私《わたくし》の父《ちゝ》はにこ/\したことは厶《ござ》いません。』 『まア、それでは可恐《こは》い方《かた》でしたの。』 『別《べつ》に可恐《こは》くもありません、たゞ默《だま》つて居《ゐ》るばかりで小言《こゞと》も言《い》ひませんから。』 『母上《おつか》さんは如何《どう》でした――さう/\貴樣《あなた》は母上《おつか》さんは御存《ごぞん》じないのですねえ、』と言《い》つておしんは暫《しば》らく默《だま》つて居《ゐ》ましたが、何《なん》と考《かんが》へたか、 『貴樣《あなた》宅《うち》の母《はゝ》を如何《どう》思《おも》つて居《ゐら》つしやいます?』と訊《き》きました。 『優《やさ》しい方《かた》と思《おも》つて居《ゐ》ます。眞實《ほんと》の母《はゝ》のやうに思《おも》ひます。』 『あら、うれしいこと、母《はゝ》が聽《き》いたら如何《どん》なによろこびませう。』  先《ま》づ斯《か》ういふ風《ふう》でしたが、おしんは矢張《やはり》年頃《としごろ》の娘《むすめ》です、母《はゝ》と同《おな》じ親切《しんせつ》な心《こゝろ》ばかりではすみません、月日《つきひ》の經《た》つと共《とも》に、親切以上《しんせついじやう》の心《こゝろ》で私《わたくし》に近《ちかづ》くのが私《わたくし》にも解《わか》るやうになりました。母親《はゝおや》も心《こゝろ》づいて居《ゐ》たには違《ちがひ》ないですが、如何《どう》いふものか、それを少《すこし》も氣《き》にしないばかりか、娘《むすめ》と一《いつ》しよになつて益々《ます/\》私《わたくし》を可愛《かあい》がつてくれました。さてそれなら私《わたくし》はおしんを如何《どう》思《おも》ひましたかと言《い》ふと、おしんの情《じやう》の十|分《ぶん》の一も私《わたくし》にはありませんでした、そんなら私《わたくし》はおしんを冷《ひやゝ》かに扱《あつか》つたかと言《い》ふとさうではありません、おしんの思《おも》ふまゝ思《おも》はせ、するがまゝにさせて置《お》きました。  そして其《そ》の結果《けつくわ》は如何《どう》でせう!、忘《わす》れもしません二|月《ぐわつ》十五|日《にち》の夜《よ》のことです。夜《よ》の十二|時《じ》過《す》ぎでした。下宿人《げしゆくにん》は勿論《もちろん》、母《はゝ》も男《をとこ》の子《こ》も皆《み》な寢《ね》て了《しま》つて家《いへ》の内《うち》はシンとして居《ゐ》ましたが、外《そと》はドン/\雪《ゆき》が降《ふ》りそれに風《かぜ》が出《で》て雨戸《あまど》をうつ雪《ゆき》の音《おと》サラ/\と折《を》り節《ふ》し聞《きこ》えて居《ゐ》ました。おしんは九|時《じ》ごろから私《わたくし》の部屋《へや》に來《き》てゐたのですが、十二|時《じ》打《う》つて何分《なんぷん》か經《た》ちまして部屋《へや》を出《で》てゆく時《とき》、 『よう厶《ござ》いますか、必定《きつと》二三|日《にち》中《うち》に母上《おつかさん》に言《い》つて頂戴《ちやうだい》よ、母上《おつかさん》は二《ふた》つ返事《へんじ》で承知《しようち》しますから、ね、必定《きつと》言《い》つて頂戴《ちやうだい》よ、』と繰返《くりかへ》して言《い》ひました。その時《とき》のおしんの顏《かほ》は今《いま》でも忘《わす》れません。  この晩《ばん》から私《わたくし》とおしんは母親《はゝおや》の眼《め》をも忍《しの》ぶ仲《なか》となりまして、おしんは望《のぞみ》を達《たつ》したといふ滿足《まんぞく》の樣子《やうす》の外《ほか》に、深《ふか》い決心《けつしん》と、かすかながらも言《い》ひ知《し》れぬ恐怖《おそれ》とで、小供《こども》のやうに笑《わら》ふ時《とき》があるかと思《おも》へば、蒼《あを》い顏《かほ》をして吐息《といき》をついて居《ゐ》る時《とき》もあり、そして私《わたくし》の樣子《やうす》は以前《いぜん》と少《すこし》も變《かは》らんのであります。たゞ竊《ひそ》かに願《ねが》つて居《ゐ》た慾望《よくばう》、おしんの身體《からだ》が自分《じぶん》の身體《からだ》に近《ちか》づく毎《ごと》に愈々《いよ/\》つのる慾望《よくばう》、後《のち》には機會《をり》があつたらとまで熱中《ねつちゆう》して居《ゐ》た慾望《よくばう》が達《たつ》せられたので大《おほ》きに滿足《まんぞく》しましたが、心《こゝろ》の平穩《へいをん》なることは以前《いぜん》の通《とほ》りで自然《しぜん》變《かは》つた樣子《やうす》が顏《かほ》にも擧動《きよどう》にも現《あら》はれなかつたのであります。  おしんは身《み》も魂《たましひ》も私《わたくし》にゆだねて了《しま》ひました。私《わたくし》を愛《あい》し私《わたくし》を信《しん》じて少《すこ》しも疑《うた》がはないのです。それですから、早《はや》く母親《はゝおや》に打明《うちあ》けて結婚《けつこん》を申込《まうしこ》んでくれろと言《い》ひましても、私《わたくし》がまア/\私《わたくし》にまかして置《お》けと申《まう》せば、それで安《やす》んじて居《ゐ》たのです。  私《わたくし》が前《まへ》に、自分《じぶん》に特別《とくべつ》の天性《うまれつき》があると申《まう》したのは肉慾《にくよく》のことです。私《わたくし》のやうな物《もの》に偏《かたよ》らず。冷《ひや》やかに、其傍《そのかたはら》を素通《すどほ》りしてゆくことの出來《でき》る男《をとこ》が、男女《なんによ》の慾《よく》となると前後《ぜんご》を顧《かへりみ》ることが出來《でき》ませんでした。それですからおしんの操《みさを》を一度《ひとたび》破《やぶ》りました以後《いご》は、おしんの好《この》む好《この》まぬに關《かゝ》はらず、母親《はゝおや》の目《め》も同宿《どうしゆく》の者《もの》の眼《め》もくらまし得《う》るかぎり、此慾《このよく》を滿《みた》しました。それをおしんは私《わたくし》の愛情《あいじやう》の猛烈《まうれつ》なためだと解《かい》して居《ゐ》たのです。  それで私《わたくし》は結婚《けつこん》の積《つもり》がないかといふに、さうでもないのです。いつそ結婚《けつこん》して了《しま》はうかと思《おも》つたことも有《あ》りましたが、どうもそれをおかみさんに打出《うちだ》していふ決心《けつしん》は起《おこ》りませんでした。言《い》へばおかみさんは大《おほ》よろこびで承知《しようち》することも知《し》つては居《ゐ》ましたけれども、ぐづ/\で二月《ふたつき》ばかり經《た》ちました。  ところが四|月《ぐわつ》の末《すゑ》のことです、其日《そのひ》は日曜《にちえう》で私《わたくし》は同僚《どうれう》の一人《ひとり》から是非《ぜひ》遊《あそ》びに來《こ》いと招《まね》かれまして、宿《やど》に歸《かへ》つたのは夜《よ》の八|時《じ》ごろでした、部屋《へや》に入《はひ》るとおしんが其處《そこ》に坐《すわ》つて居《ゐ》ましたが私《わたくし》の顏《かほ》を見《み》るや直《す》ぐ突伏《つゝぷし》て了《しま》つたので、流石《さすが》の私《わたくし》も胸《むね》がドキリしました、急《いそ》いで傍《そば》に坐《す》わり、 『如何《どう》したの、え、如何《どう》したの。』  見《み》ればおしんは泣《な》いて居《ゐ》るのです。『え、如何《どう》したといふに、しんちやんやコラしんちやん?』 『だつてね、母上《おつかさん》が餘《あんま》りなことを言《い》ふのですもの、』といひながら擧《あ》げた顏《かほ》を見《み》ますと、なるほど涙《なみだ》は出《で》て居《ゐ》るけれど泣《な》いて居《ゐ》るのか、笑《わら》つて居《ゐ》るのか判《わか》らないのです。これで私《わたくし》も少《すこ》しは胸《むね》が落着《おちつ》きましたから 『何《なん》て言《い》つたの母上《おつか》さんが。』 『何《なん》とつて別《べつ》に判然《はつきり》したことは言《い》ひませんけれど、何《なん》だか二人《ふたり》のことを母上《おつかさん》は感付《かんづい》て居《ゐ》るらしいことよ。』 『それで何《なん》とか言《い》つて。』 『お前《まへ》どうする氣《き》かとだしぬけに聞《き》きますから、どうするツて何《なに》を、と言《い》ひましたら、母上《おつかさん》にだけは明亮《はつきり》言《い》つておくれお前《まへ》は澤村《さはむら》さんと約束《やくそく》でも仕《し》たのではないかと言《い》ひますから、私《わたくし》はたゞ默《だま》つて居《ゐ》たのよ。さうすると母上《おつか》さんが、女《をんな》といふものは操《みさを》が大事《だいじ》だとか何《なん》とか色々《いろ/\》なことを言《い》ふのですよ。私《わたくし》悲《かな》しくなつて泣《な》きだしたの。さうするとね、母上《おつか》さんが、若《も》しお前《まへ》が澤村《さはむら》さんの妻《つま》になる氣《き》なら私《わたし》も決《けつ》して否《いなや》は言《い》はない、澤村《さはむら》さんなら私《わたし》も氣《き》に入《い》つて居《ゐ》るのだからお前《まへ》の決心《けつしん》さへちやんと打明《うちあ》けて呉《く》れゝば私《わたし》から今夜《こんや》にでも澤村《さはむら》さんと相談《さうだん》するが如何《どう》かと申《まう》しますのよ。私《わたくし》もそんならさうして頂戴《ちやうだい》と言《いは》うかと思《おも》つたけれど、若《も》しね、だしぬけに母上《おつか》さんが貴樣《あなた》にそんなことを言《い》ひだしたら、貴樣《あなた》に考《かんが》へがあつて其《それ》とぶつかるといけないと思《おも》ひましたから、何《なん》と言《い》つて可《い》いか分《わか》らなくなつたから默《だま》つて居《ゐ》ました、さうすると母上《おつか》さんが默《だま》つて了《しま》ひましたから、私《わたくし》尚《な》ほ悲《かなし》くなつて泣《ない》て居《ゐ》ましたのよ。けれどもね、何《なん》とか言《い》はないと惡《わる》いと思《おも》ひましたから、それじやア母上《おつか》さん何卒《どう》か貴女《あなた》から澤村《さはむら》さんに聞《き》いて見《み》て下《くだ》さいと頼《たの》みましたの。けれども其前《そのまへ》に私《わたくし》から一寸《ちよつと》澤村《さはむら》さんに言《い》うて見《み》ますから其後《そのあと》にして下《くだ》さいと言《い》ひましたのよ。それじやアまアお前《まへ》の可《よ》いやうになさいと母上《おつか》さんは何《なん》だか機嫌《きげん》の惡《わる》いのよ。だから私《わたし》も直《す》ぐお部屋《へや》へ來《き》て先刻《さつき》から待《まつ》て居《ゐ》ましたの。』  斯《か》う言《い》はれて私《わたくし》はすつかり當惑《たうわく》して了《しま》つたのです。これが當前《あたりまへ》の方《かた》なら、「ウンよろしい、それなら私《わたくし》から直《す》ぐ母上《おつか》さんに相談《さうだん》しやう」と決心《けつしん》するところですけれど、私《わたくし》には其決心《そのけつしん》が出《で》ないのです。私《わたくし》の性質《せいしつ》として、かういふ場合《ばあひ》に直《す》ぐ熱《ねつ》することが出來《でき》ないのです。 『それは困《こま》つた、』と口《くち》を衝《つ》いて出《で》るかといふに、さうでもないのです。 『それでは母上《おつか》さんが今《いま》に何《なん》とか相談《さうだん》に來《く》るでせう、其時《そのとき》よく相談《さうだん》すれば可《い》い、』と靜《しづ》かに言《い》つて火鉢《ひばち》にもたれて涙《なみだ》の痕《あと》をハンケチで拭《ふ》いて居《ゐ》るおしんの背《せなか》を撫《な》でました。すると例《れい》の慾情《よくじやう》が燃《も》えあがりましたから我知《われし》らずおしんに摩寄《すりよ》りました。何《なん》と淺間《あさま》しい人間《にんげん》ではありませんか。  其《その》トタンにすツと障子《しやうじ》を開《あ》けて入《はひ》つて來《き》たのが母上《おつか》さんです(其頃《そのころ》私《わたくし》はおかみさんと呼《よ》ばず母上《おつか》さんと言《いつ》て居《ゐ》ました他《た》の下宿人《げしゆくにん》の一人《ひとり》二人《ふたり》もさう呼《よん》で居《ゐ》たのです)  おしんの來《き》て居《ゐ》る時《とき》、母上《おつか》さんの來《く》ることは此《この》二三ヶ|月《げつ》殆《ほとん》ど無《な》いことですから私《わたくし》は喫驚《びつくり》しておしんの傍《そば》を飛退《とびの》きました。おしんは起《た》つて外《そと》に出《で》てゆきました。其《その》あとに母上《おつか》さんは坐《すわ》りましたから、私《わたくし》も其《その》向《むかふ》に坐《す》わり、二人《ふたり》の仲《なか》には[#「仲には」はママ]小《ちひ》さな長火鉢《ながひばち》があるのです。 『私《わたし》少《すこ》し御相談《ごさうだん》があるのですが、』と先方《むかふ》は直《す》ぐ切《き》りだしました、そして力《つと》めて話《はなし》を眞面目《まじめ》にしやうとする樣子《やうす》ですが、やはり言《い》い惡《にく》いと見《み》えて笑《わらひ》を含《ふく》んで居《ゐ》るのです。 『ハア、』と言《い》つたきり私《わたくし》は何《なん》とも言葉《ことば》が出《で》ません。 『大概《たいがい》お察《さつ》しでも厶《ござ》いませうが。それで貴樣《あなた》のお心持《こゝろもち》は如何《どう》でせうか、それを一|應《おう》承《うけ》たまはりませんとね、私《わたし》も心配《しんぱい》でなりませんから。』 『イヽえ、最早《もう》僕《ぼく》には如何《どう》といふ意見《いけん》もないのですから、母上《おつか》さんのお心持《こゝろもち》一《ひと》つで……』 『それでは私《わたし》にも別《べつ》に否應《いやおう》はないので厶《ござ》います。あんなものでも貴樣《あなた》が生涯《しやうがい》連《つ》れ添《そつ》て下《くだ》さるといふことなら、私《わたし》も貴樣《あなた》の御人物《ごじんぶつ》は承知《しようち》して何時《いつ》も感心《かんしん》して居《ゐ》ますのですから何《なに》よりだとよろこびます。』 『なに僕《ぼく》のやうな男《をとこ》が……』 『それでは急《きふ》に話《はなし》を決《き》めませうでは厶《ござ》いませんか、それでないと、それでないと、まア貴樣《あなた》に限《かぎ》つて萬々《ばん/\》そんなことはありませんけれども、若《わか》いもの同志《どうし》のことですから世間《せけん》では又《ま》た何《なん》と申《まう》すか分《わか》りませんし、さうすると貴樣《あなた》の學校《がくかう》の方《はう》も何《なん》ですから……』 『さうです/\、だから僕《ぼく》も何《なん》です、その一|應《おう》その校長《かうちやう》に丈《だ》けは打明《うちあ》けて相談《さうだん》して置《おか》うと思《おも》ひますから……』 『それは何《い》いお考《かんがへ》です、校長《かうちやう》さんにお話《はなし》になりまして、校長《かうちやう》さんが表面《おもてむき》仲《なか》に立《たつ》てくだされば何《なに》よりで厶《ござ》います、』とこれで相談《さうだん》は決定《きまつ》たのです。  母《はゝ》は事《こと》の成行《なりゆ》きを少《すこし》も疑《うたが》ひませんので、校長《かうちやう》に相談《さうだん》すれば萬事《ばんじ》好結果《かうけつくわ》と呑《の》みこんで了《しま》つたのです。私《わたくし》が校長《かうちやう》に相談《さうだん》すると言《い》つたのは一|方《ぱう》の血路《けつろ》を開《ひら》いて置《お》いたのです。私《わたくし》のやうな正直者《しやうぢきもの》は何時《いつ》も波《なみ》に流《なが》されながら波《なみ》に乘《の》つて居《ゐ》るのです。  母上《おつか》さんが自分《じぶん》の居間《ゐま》(私《わたくし》は一|室《ま》しかない二階《にかい》に居《ゐ》ました)に歸《かへ》つてゆくや私《わたくし》はごろり寢《ね》ころんで二十|分《ぷん》ばかり茫然《ぼんやり》して居《ゐ》ましたが、其間《そのあひだ》何《なに》も考《かんがへ》がないので、たゞぼんやりと天井《てんじやう》を眺《なが》めてまじ/\と眼瞼《まぶた》を動《うご》かして居《ゐ》たばかりです。けれども今一度《もいちど》おしんが來《く》るだらうと待《まつ》て居《ゐ》たのです。來《き》さうもないから床《とこ》をのべて寢《ね》てしまひました。  翌朝《よくあさ》おしんが來《き》て部屋《へや》を片附《かたづけ》て呉《く》れましたが、すつかり妻《つま》といふ擧動《こなし》です。眼《め》だけで物《もの》を言《い》つて、口數《くちかず》は多《おほ》く聞《き》きません、袴《はかま》の皺《しわ》などを直《なほ》してくれて、私《わたくし》の出《で》てゆく時《とき》、ちひさな聲《こゑ》で 『それでは今日《けふ》校長《かうちやう》さんに相談《さうだん》して下《くだ》さいな、』と言《い》ひました、其聲《そのこゑ》、其調子《そのてうし》、少《すこ》しも疑《うたが》はないのです相談《さうだん》といふのはたゞ一|通《とほ》り話《はな》して置《お》く丈《だ》けのことゝ初《はじめ》から決《き》めて居《ゐ》るのでした。  授業《じゆげふ》が終《す》むと私《わたくし》は校長《かうちやう》に少《すこ》し相談《さうだん》があるからと、一室《いつしつ》に連《つ》れ込《こ》んで、結婚《けつこん》の一|條《でう》を話《はな》しました。けれど勿論《もちろん》私《わたくし》とおしんの關係《くわんけい》は言《い》ひません、たゞ手短《てみじか》に下宿屋《げしゆくや》の女主人《ぢよしゆじん》から娘《むすめ》を貰《もら》つて呉《く》れろと言《い》はれて居《ゐ》るが如何《どう》したものだらうと持込《もちこ》んだだけです。これが他《ほか》のものなら直《す》ぐ校長《かうちやう》に娘《むすめ》との關係《くわんけい》を疑《うたが》はれるのですが、私《わたくし》は信用《しんよう》されて居《ゐ》るから校長《かうちやう》も平氣《へいき》なもので、 『君《きみ》は結婚《けつこん》する氣《き》かね、』と聞《き》きました、先《ま》づ。 『私《わたくし》は如何《どう》でも可《よ》いと思《おも》ふのです、だから貴下《あなた》の御意見《ごいけん》を伺《うか》がひますので、』と私《わたくし》も平氣《へいき》な顏《かほ》でいひました。 『まア不贊成《ふさんせい》だねえ、早《はや》いよ、せめて二十五六になればだが君《きみ》は丁年《ていねん》にすら足《た》りないのだからねえ、尤《もつと》も君《きみ》は二十五六の者《もの》でも及《およ》ばぬ確固《しつかり》したところのある人《ひと》だけれど、矢張《やはり》年《とし》は年《とし》だからねえ。』 『兔《と》も角《かく》校長《かうちやう》に相談《さうだん》してと先方《むかふ》には申《まう》して置《お》きましたのですから……』 『宜《よろ》しい、それぢやア私《わたし》から謝絶《ことわ》つて上《あげ》ませう、』と校長《かうちやう》の言葉《ことば》は頗《すこぶ》る手輕《てがる》いのです。 『けれど隨分《ずゐぶん》先方《むかふ》では熱心《ねつしん》なのですから唯《た》だ謝絶《ことわ》るわけにも參《まゐ》らんやうですが。』 『おかみさんが全然《すつかり》君《きみ》にほれこんで居《ゐ》ると聞《き》いたが愈々《いよ/\》事《こと》が持上《もちあ》がつたね。まア待《ま》ち給《たま》へ妙案《めうあん》があるだらう、』と校長《かうちやう》は笑味《ゑみ》を含《ふく》んで考《かん》がへて居《ゐ》ましたが 『妙案《めうあん》がある/\、君《きみ》今日《けふ》歸《かへ》つて斯《か》ういひ給《たま》へ、校長《かうちやう》に相談《さうだん》したら可《よか》らうと贊成《さんせい》したが、然《しか》し校長《かうちやう》の言《い》ふには下宿屋《げしゆくや》に居《ゐ》て下宿《げしゆく》の[#「下宿の」はママ]娘《むすめ》と結婚《けつこん》するのは不味《まづ》い、それよりか其處《そこ》を出《で》て校長《かうちやう》の宅《うち》に當分《たうぶん》厄介《やくかい》になる、そして一月《ひとつき》も經《た》つたところで校長《かうちやう》からお前《まへ》さんのところの娘《むすめ》を澤村《さはむら》にくれんかと斯《か》う相談《さうだん》を持《もち》こむ、さうすれば、人目《ひとめ》もよし、勿論《もちろん》儀式《ぎしき》にも適《かな》ふし、さうし給《たま》へと親切《しんせつ》に言《い》つてくれたから其議《そのぎ》に從《したがは》ふと思《おも》ふ、斯《か》う言《い》ひ給《たま》へ。それならおかみさんも最《もつと》もだと思《おも》ふに違《ちが》ひない。其處《そこ》で君《きみ》は直《す》ぐ私《わたし》の宅《うち》に移轉《ひつこ》し給《たま》へ。狹《せま》いけれど玄關《げんくわん》の三|疊《でふ》に弟《おとゝ》が居《ゐ》る、當分《たうぶん》あれと同居《どうきよ》するサ。それで君《きみ》は今後《こんご》下宿屋《げしゆくや》に立寄《たちよ》らんやうにする、一|月《つき》も經《た》つたところで私《わたし》から理窟《りくつ》をつけて破談《はだん》を申込《まうしこ》めば先方《むかふ》だつて文句《もんく》はなしそれなりで君《きみ》の身《み》の方《かた》がつくといふものだ、これだ/\、此妙案《このめうあん》しか外《ほか》にあるまい。』  私《わたくし》は其意《そのい》を奉《ほう》じて下宿屋《げしゆくや》に歸《かへ》りました。そして校長《かうちやう》の妙案《めうあん》を持出《もちだ》しますと、母上《おつか》さんは大《おほ》よろこびです、おしんは鬱《ふさ》いで居《ゐ》ましたが別《べつ》に否《いや》とも言《い》ふことが出來《でき》ません。其晩《そのばん》おしんは十二|時《じ》過《す》ぎまで私《わたくし》の室《へや》に居《ゐ》ましたが、其《その》いじらしい風《ふう》は今《いま》も私《わたくし》の目《め》に殘《のこ》つて居《ゐ》ます。繰返《くりか》へして、どうか一月《ひとつき》と言《い》はず一時《いつとき》も早《はや》く一緒《いつしよ》になつてくれろといひました。そして私《わたくし》が一月《ひとつき》の間《あひだ》は遊《あそび》にも來《こ》ないやうにするからと申《まう》しましたら、それでは九段《くだん》の公園《こうゑん》あたりで時々《とき/″\》會《あ》つてくれろといひますから私《わたくし》もそれは承知《しようち》したのであります。  校長《かうちやう》の宅《うち》に移《うつ》つてから一月《ひとつき》經《た》ちました。私《わたくし》は一|度《ど》も下宿屋《げしゆくや》には行《ゆ》きませんでした。けれどもおしんとは四|度《たび》媾曳《あひゞき》しました。最後《さいご》のとき、おしんは 『それでは明日《あした》ですよ、きつと明日《あした》ですよ。若《も》し明日《あした》校長《かうちやう》さんが來《き》て呉《く》れないなら貴郎《あなた》でも可《い》いから來《き》て下《くだ》さいよ、』と言《い》つて、いそ/\して私《わたくし》と別《わか》れました。  おしんの望通《のぞみどほ》り、其翌日《そのよくじつ》校長《かうちやう》は下宿屋《げしゆくや》を訪《たづ》ねました。私《わたくし》は如何《どう》なることかと、ない/\大心配《おほしんぱい》で待《まつ》て居《ゐ》たのです。事《こと》によるとおしんとの關係《くわんけい》が全然《すつかり》ばれて了《しま》ひはせんかと、心配《しんぱい》はそれのみでした。間《ま》もなく校長《かうちやう》は歸宅《かへつ》て來《き》ました。 『案外《あんぐわい》話《はなし》が早《はや》く着《つ》いた。君《きみ》、あのおかみさんなか/\解《わか》つて居《ゐ》るなア、』と、これを聞《き》いて私《わたくし》はほつと呼吸《いき》を吐《つ》きました。 『如何《どう》でした、おかみさん何《なん》とか申《まう》しませんでしたか。』 『何《なに》、何《なに》を言《い》ふものか。私《わたし》がこれ/\で結婚《けつこん》はまだ早《はや》いし、それに澤村《さはむら》には未《ま》だ勉強《べんきやう》がさせたいからイヤといふ氣《き》はないけれど、先《ま》づ當分《たうぶん》見合《みあは》せてもらひたい、縁《えん》があれば何年《なんねん》か先《さき》のことだが、何時《いつ》のことかそれも分《わか》らぬから娘《むすめ》さんは良縁《りやうえん》のあり次第《しだい》何時《いつ》でも嫁《よめ》にやられたら可《よか》らうと言《い》つただけサ。それでもとは言《い》へないじやアないか。』 『娘《むすめ》が傍《そば》に居《ゐ》ましたか。』 『イヤ私《わたし》が入《はひ》つたら直《す》ぐ二階《にかい》へ上《あが》つて了《しま》つた。』 『おかみさん何《なん》と申《まう》しました。』 『だから今《いま》いつたやうに私《わたし》が言《い》ふと、顏色《かほいろ》を變《か》へて居《ゐ》たが、私《わたくし》ももとは判事《はんじ》の妻《つま》です。無理《むり》にとは申《まう》しません。何卒《どう》か澤村《さはむら》さんに宜《よろ》しく仰《おつしや》つて下《くだ》さいだつて。判事《はんじ》の後家《ごけ》さんとは知《し》らなかつた。君《きみ》あれはなか/\確固《しつかり》ものだぜ。』 『それから娘《むすめ》を御覽《ごらん》になりましたかお歸《かへ》りに。』 『イヽヤ見《み》ない。二階《にかい》で待《まつ》て居《ゐ》たのサ。可哀《かあい》さうに。』  その後《ご》私《わたくし》も二度《にど》とおしんには遇《あ》ひません。破談後《はだんご》一|週間《しうかん》經《た》つて、私《わたくし》は夜《よる》そつと下宿屋《げしゆくや》の前《まへ》を通《とほ》りましたら戸《と》が閉《し》まつて、「かしや」の札《ふだ》が闇《やみ》の中《うち》を薄《うす》く張《は》つてあるのを見《み》ましたばかりです。  正直者《しやうぢきもの》の仕事《しごと》の一《ひと》つがこれです。いづれ其中《そのうち》、外《ほか》のをもお話《はなし》いたしませう。 底本:「定本 國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社    1964(昭和39)年10月30日初版発行    1978(昭和53)年3月1日増訂版発行    1984(昭和59)年1月20日第10刷発行 底本の親本:「獨歩集」近事畫報社    1905(明治38)年7月26日 初出:「新著文藝 第一卷第四號」弘文社    1903(明治36)年10月1日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「イヽヱ」と「イヽえ」、「少《すこし》」と「少《すこ》し」、「就《つい》て」と「就《つ》いて」、「母上《おつかさん》」と「母上《おつか》さん」、「言《い》つて」と「言《いつ》て」、「呼《よ》んで」と「呼《よん》で」、「考《かんがへ》」と「考《かんが》へ」、「考《かん》がへて」と「考《かんが》へて」、「繰返《くりかへ》して」と「繰返《くりか》へして」の混在は、底本通りです。 ※「私」に対するルビの「わたし」と「わたくし」、「父上」に対するルビの「おとつさん」と「とうさま」の混在は、底本通りです。 入力:葛西重夫 校正:Masaki 2024年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。