日本名婦伝 静御前 吉川英治 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)義経《よしつね》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)六条|室町《むろまち》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)寠 ------------------------------------------------------- [#8字下げ][#中見出し]一[#中見出し終わり]  義経《よしつね》はもろ肌を脱いで、小冠者《こかんじゃ》に、背なかの灸《きゅう》をすえさせていた。  やや離れて、広縁をうしろにし、じっと、先刻《さっき》から手をつかえているのは、夫人《おくがた》の静《しずか》の前《まえ》であった。  八月の真昼である。  六条|室町《むろまち》の町中とは思えぬほど、館《やかた》は木々に囲まれている。照り映える青葉の色と匂いに室内も染りそうだった。  ――が、静《しずか》にとって、気になるのは、二十九という良人の若い肉体まで、そのせいか翡翠《ひすい》を削《けず》ったように蒼《あお》く見えることだった。 「…………」  蝉《せみ》の声ばかりであった。小冠者は細心に、主君の肌へ火を点じていた。  義経は、熱いともいわず、身もだえ一つしなかった。けれど、見ている静のほうが、その一火《ひとひ》一火《ひとひ》に、骨のしんまで灸《や》かれるような怺《こら》えに締めつけられていた。 (――お熱くはないのかしら)  と疑うように、小冠者はそっと、主君の肩ごしにその顔をのぞいてみた。  やはり彼とて熱いには違いない。義経は、眼をふさぎ、奥歯をかんで、鼻腔《びこう》でつよい息をしていた。  ――と。ふいに、義経は、 「静《しずか》」  と振向いて、さっきから返辞を待っている妻へ、こう云った。 「通せ、景季《かげすえ》を。――会ってやろう」 「えっ……。では、お心を取直して」 「そなたにも、また家臣たちにも、そう心配かけてはすむまい。……今は何事も忍《にん》の一字が護符《ごふ》よ。この九郎さえ忍びきればお許《こと》らの心も休まろう。――通せ、ここでよい。義経が仮病《けびょう》でないことも、景季の眼に見せてくりょう」 [#8字下げ][#中見出し]二[#中見出し終わり]  宇治川の合戦に、名馬|摺墨《するすみ》に乗って聞えを取り、その後、頼朝《よりとも》にもお覚《おぼ》えのよい梶原景季《かじわらかげすえ》であった。  その頃は、義経の幕下であったが、今日は、鎌倉殿の権力を、背に負っている使者で来たのである。 「異《い》な臭い……。これはまた、何のけむりか」  景季は、そこへ坐るなり、天井を見まわして、訊ねた。義経は、脇息《きょうそく》に倚って、苦笑しながら、灸《きゅう》をやいていたところ故と答えると、 「そうそう、先頃から、何度訪ね申しても、御病中とのみで、追い返されたが――時に、御容態はいかがでござりますな」 「景季。おん身は、義経が会わぬのは、仮病ならんと、家人《けにん》へ云われたそうなが、篤《とく》と、この灸の痕《あと》を見られよ」  と、襟《えり》をはだけて示し、 「兄頼朝へ、其方どものそうした邪推や偏見を、そのまま伝えてくるるなよ、先にも義経は、兄上のおひがみや誤解を解こうものと、病躯《びょうく》を押して下ったが、腰越《こしごえ》にて阻《はば》められ、遂に、鎌倉へ入るも許させ給わず、空しく京へ立ち戻って来たが……骨肉の兄と弟とが、かく心にもなく隔《へだ》てられ、浅ましい相剋《そうこく》の火を散らすことよと、世間の眼にも見らるる辛《つら》さ。……景季《かげすえ》、おぬしら、臣下の者にも分ろうが」  義経は、彼の姿を見ると、云わずにいられなかった。情熱に生き情熱に戦って来た彼は今――平家の旧勢力を一掃して、源氏という、また、鎌倉幕府という新しい組織の段階に入ってくると、もうその役割のすんだ無用の破壊者の如く扱われて、ことごとに、兄頼朝からは疎《うと》んぜられ、幕府の一部からは曲解をうけた。  ――心外な!  彼はまたそれを、情熱の焔につつんで深刻に悩むのだった。武人の働きや武略を必要とした世情は一転して――新しい段階では、政略家が舞台にのぼり、政治的な整理や工作が、何もかも無視して働いているのだ――というふうに冷然と見ていることができなかった。  また、幕府を繞《めぐ》る北条|閥《ばつ》や大江広元などの、いわゆる政治家肌な人たちの中では、義経が、戦時同様な威力をもって、京都守護の任にあることは、何かにつけ都合が悪かった。殊に、後白河法皇の御信任は日に厚く、九条|兼実《かねざね》なども、義経を無二の者としている傾きがある。――頼朝の心もまた、それには穏やかであり得なかった。 「いや、お暑い折を、押してお目通りを願い、恐縮でした。幕府の使いとしてなれば、御ゆるしにあずかりたい」  景季は、わざと、義経のことばをそらして、威儀《いぎ》作った。 「早速ですが、かねて頼朝《よりとも》公から、貴方へ御内命のあった一儀、何故の御延引かと、お怒りでござる。一体、いつお討果しになるお心か、確《しか》と、その儀を伺いに参った。御返答を賜りたい」 「新宮《しんぐうの》十|郎《ろう》行家《ゆきいえ》どのを、討てとの、仰せつけのことであるか」 「そうです」 「行家どのは、兄頼朝にとっても、この義経にも、叔父御《おじご》にあたるお人であろうが」 「おことばまでもありません」 「しかも、平家追討の折には、河内より兵を引っ提《さ》げられ、摂津《せっつ》では、軍船や粮米《ろうまい》を奉行せられ、勲功もあるお人」 「しかし、鎌倉殿には、忠誠でありません。頼朝公を甥《おい》と侮《あなど》られ、根が、木曾殿の幕下にあったお方だけに」 「理窟は待て。兄上には、すでに、佐々木定綱に命じて、行家どのを討てとおいいつけなされたそうだが、義経は、情において、叔父御を討つに忍びない。――そういう兵馬は義経の旗下《きか》にはない」 「噂には、あなたが、行家殿を匿《かくま》っておられるとも聞きますが」 「知らぬ。あのお方とて、犬死はしとうあるまい。隠れるのは当り前じゃ」 「では、鎌倉殿の仇を庇《かくま》われて、御命に叛《そむ》かるるお考えか」 「たれが」 「あなた様が」 「ばかっ。――疾《と》く、帰れっ」 [#8字下げ][#中見出し]三[#中見出し終わり]  物蔭に聞いていた家臣は胆《きも》を冷やした。簾の蔭に案じていた静《しずか》もハッとした。情熱の病人は、遂に、烈火のかたまりを、景季《かげすえ》へ吐きつけてしまった。  こんな結果になるなら、むしろ仮病と取られても、使者の景季にお会いさせなかったほうがまし[#「まし」に傍点]であったものをと、家臣たちは悔いたが、及ばなかった。憤然と立帰った景季は、即日、六条油小路の旅舎を引払って、鎌倉へ急ぎ帰って行ったという。 「さばさばした。これで、一夕立そそいで来れば、なお、清々《すがすが》しかろう。――静、雑色《ぞうしき》に命じて、庭木へ水を打たせい。灯ともしたらまた、そなたの鼓《つづみ》など聞こうほどに」  義経は、夕迫る縁に立って、崩れる雲の峰を見ていた。 「はい」  彼の妻は、まだ十九だった。  十五、神泉殿の舞楽の日に、初めて義経に想《おも》われた。恋を知った十六の春と共に、眉を改めて、白拍子《しらびょうし》の群れから去り、その細い腕《かいな》で養って来た母の磯《いそ》の禅師《ぜんじ》と一緒に、この館《やかた》へ移った静であった。  晴れがましく輿入れした妻ではない。それだけに、妻たる女の真実を、彼女は、良人へも召使にも、無言の真心で示して来た。よしや鎌倉にある良人の兄君からは、まだ一片の便《たよ》りにも「弟の妻」とゆるされた例《ためし》はなくても、彼女の心には、何の不足でもなかった。 [#8字下げ][#中見出し]四[#中見出し終わり]  鎌倉に帰った梶原景季《かじわらかげすえ》は、頼朝《よりとも》へ、こう復命した。 「判官《ほうがん》殿には、病中と仰せあって、なかなかお会い下さいません。遂に、強《た》って御威光を以て、お目通りしましたところ、灸《きゅう》などすえておられ、御顔色も憔忰《しょうすい》の態に見うけられましたが、一日食わず、一夜眠らず、灸などすえれば、病態は作られまする。――行家《ゆきいえ》追討の御諚《ごじょう》については、耳もかされず、疾《と》く帰れとの御一言あったのみ、取りつく島もなく立戻りました」  それからまた、都での風聞《ふうぶん》として、義経の行装の豪奢、禁中の羽振り、日常の花奢《かしゃ》など、問われないことまで告げた。 「そんな態か」  頼朝の顔いろは動いた。 「仙洞《せんとう》の御気色《みけしき》に諂《へつら》い、武功に誇り、頼朝にも計らわず、五位の尉《じょう》に昇るなど、身のほどを忘れた振舞、肉親とて、捨ておいては、覇業の障《さわ》りになる。今のうちに、九郎冠者めを討って取れ」  下知《げち》は、武府に伝えられた。  和田、三浦、千葉、佐々木など、誰もその討手は辞退した。土佐房昌俊《とさのぼうしょうしゅん》に命が下った。昌俊は、部下の藍沢次郎《あいざわじろう》、真門《まかど》太郎など八十余騎をひいて、京都へ馳せ上った。 (――鎌倉殿の討手が京へ急がれた)  街道のうわさは、軍馬よりも先に、都へ聞えてきた。洛内の庶民は、もう家財を片づけ出した。義経はそれを、仙洞《せんとう》御所へ参院した戻り道に見て覚った。 「あわれ、彼等もみな、この義経が、兄に弓引く者と思うているのか。天下、誰あって、この義経の心を知ってくれる者もない」  彼は、牛車《くるま》の中で嘆じた。――そう淋しく思う時、ただひとり彼の胸には静《しずか》のすがたがあった。 [#8字下げ][#中見出し]五[#中見出し終わり] 「京都守護の任にある義経を討たんとすれば、京都は当然兵火につつまれ、ひいては天下の大乱となろう。よろしく彼に先んじて、頼朝追討の院旨《いんじ》を、義経へ下し給うべきである」  大蔵卿泰経《おおくらきょうやすつね》は、九条|兼実《かねざね》や左大臣|経宗《つねむね》や、内大臣|実定《さねさだ》などを説きまわった。後白河法皇のお心もそこに決しられてあるという。  誰も、誰も、義経の心を知らないのだ。 「京へ、鎌倉の兵を入れるな。尾張美濃の境、墨股河《すのまたがわ》へ馳《は》せ下って、義経に、鎌倉討伐の第一|箭《せん》を放たすがよい」  同意は、多かった。  法皇を繞《めぐ》って、活溌な策動が初まっていた。――が、何たることか、その頃もう土佐房昌俊らの手勢は、変装して洛内に入りこんでいたのである。  十月十七日の夜だった。  堀川べりの六条|室町《むろまち》の館《やかた》へ、どっと襲《よ》せて、いきなり火を放《か》けた軍勢がある。義経は、元より何の備えもしていなかったし、その夜、郎党たちは、他の所用に出払って、あらかた留守だった。 「殿っ。夜討ですっ」  佐藤忠信と、四、五の家臣が、大声で広縁から呶鳴った。ばりばりと火のはぜる音がする。庭木へ螢のような火の粉が散っている。 「今参る」  義経はもう身を鎧《よろ》っていた。静が、側にあって、太刀の革《かわ》、鎧《よろい》の緒《お》など、結んでいた。 「忠信っ、忠信っ」  呼び返して、義経は、早口に命じた。 「そちは、築土《ついじ》を躍りこえて、御所へ急ぎ、火の手に、お案じあらぬよう、義経あらんかぎり、都は焦土とさせませぬと、お取次を以て、聞え上げて参れ。――その足で、出先の郎党どもを集合し、御所を守れ、また市中を警備せよ。義経は、京都守護の任にある者、私邸の火や、土佐房《とさのぼう》ごとき小勢の襲撃は、何ものでもない。よいか、急げっ」  云い終ると、静《しずか》の手から長巻《ながまき》を受け取って、義経は、わずかの家臣と共に、表門へ斬って出た。静は、良人を送ると、母の磯の禅師の部屋へ、 「母様《かあさま》っ――あっ母様、外へ出てはいけません」  叫びながら馳けて行った。  矢も、火の粉も、家のなかまで飛んで来た。凄まじい表の武者声に、彼女の母は、耳をふさいだまま、室の外に俯《う》っ伏していた。 [#8字下げ][#中見出し]六[#中見出し終わり]  外出していた郎党や、新宮十郎行家の兵などが、火の手を見て、馳けつけて来たため、土佐房|昌俊《しょうしゅん》たちの襲撃隊は、かえって挾《はさ》み討ちとなってしまった。  昌俊は、追われて、鞍馬《くらま》へ逃げこんだが、鞍馬の山僧に捕えられて、二十六日、都へ曳かれた。すぐ首斬られて、その首は、六条河原の秋風に黒ずむまで曝《さら》されていた。  十一月、洛内の動揺は、もう制しきれないものになっていた。鎌倉の大軍が上ると聞えて来たのである。義経も必ず反撃するものと見てか、頼朝自身、黄瀬川のあたりまで、兵馬を進ませて来たともいう。 「……浅ましや」  義経は、心で泣いた。  夜も寝られない容子《ようす》であった。その良人へ、静は、どんなに心をこめて侍《かしず》いても、慰めきれない思いだった。――果《は》ては、共に手を取り合って、 「天下の兵を敵とするも、怖ろしくはないが、肉親の兄へ引く弓はない。およそこの身ほど、骨肉に薄命《はくめい》な者があろうか。襁褓《むつき》の中より父《ちち》兄弟《はらから》にわかれ、七ツの頃、母の手からもぎ去られ、ようやく、兄君とも会って、平家を討ったと思うも束《つか》の間、兄たる御方から兵をさし向けらるるとは」 「そのお心が、どうして、鎌倉へは通じないものでしょうか。わたくしが兄君様から、弟の妻と、許されているものならば、身を捨てても、鎌倉へ下って、あなた様のお胸のほどを、お訴えいたしましょうものを……」  ふたりは身も心も一つに悶《もだ》え合って、もう大廂《おおびさし》に木の葉の雨も落ち尽した初冬の夜を泣き明かした。 [#8字下げ][#中見出し]七[#中見出し終わり]  風評が風評を生み、今にも大乱と化すように、洛中の貴賤上下の騒ぎが濃《こ》くなれば濃くなるほど、義経の心は、誰にも分らなくなっていた。  頼朝追討《よりともついとう》の宣旨《せんじ》は、もう朝議で決定していた。義経の手に下るばかりになっている。ここでも、彼の心を少しでも知ってくれる者は一人もなかった。  叔父の行家さえ、その策動に、夢中になっていた。義経を押立てて、一合戦のもくろみである。堂上《どうじょう》、世上の人々が、まったく義経の本心を見失《みうしな》って、ただ血眼《ちまなこ》に騒いでいるのもむりなかった。 「最期《さいご》の日が近づいた。――静、そなただけは、確《しか》と、わしの心を見ておろうな」 「仰せまでもございません」  ふたりは、密《ひそ》かに誓っていた。犬死する気はないが、そうかと云って、戦う気も飽《あ》くまでなかった。その間に処す身支度だった。  幸いにも、義経の望みは、法皇の御聴許となった。一先ず九州の地頭《じとう》として、都を去ることになったのである。  ――が、人々はなお、彼のそんな柔順を信じなかった。彼をよく知る九条|兼実《かねざね》さえ、その日の日記に、 (如何ナル騒乱ニ立チ至ルラン。春日明神《カスガミョウジン》ニ祈念シテ、何処《イズコ》ヘモ逃ゲズ、タダ運命ヲマカスノミ)  と誌《しる》しているほどであるから、京都の市民が、かつての平家が都落ちの時のように、また、木曾義仲《きそよしなか》が乱暴を働いたように、義経の兵も、存分な狼藉《ろうぜき》を働いて行くであろうと、怖れ顫《おのの》いていた。  ところが、十一月の霜《しも》の朝、義経は、赤地錦《あかじにしき》の直垂《ひたたれ》に、萠黄縅《もえぎおどし》の鎧《よろい》をつけ、きょう西国へ下るとその邸を出て、妻の静、その老母、その他、足弱《あしよわ》な者たちを、先へ立たせ、わずかの精兵を従えて、御所の門前に、粛《しゅく》として整列した。  御墻《みかき》ごしに、院の御所を遙拝して、彼は大地へ両手をつかえた。 「義経、不徳のため、鎌倉どのの譴責《けんせき》をこうむり、今日、鎮西《ちんぜい》に落ちて参りまする。思えば、きょうまでの御鴻恩《ごこうおん》は海のごとく、微臣の奉公は一つぶの粟だにも足りません。今一度、龍顔を拝したくは存じますが、武装の甲胄《かっちゅう》、畏れ多く存じますれば、これにてお暇乞《いとまご》いをいたして立去りまする」  従う人々には、佐藤|忠信《ただのぶ》、堀|弥太郎《やたろう》、伊勢《いせ》三郎など二百余騎の家人《けにん》、みな義経にならって拝をした。そして、粛然《しゅくぜん》と、塵《ちり》も散らさず、都を後に去った。  ――が、摂津《せっつ》、兵庫あたりには、早くも頼朝の軍令がまわっていた。諸国の地頭は、義経を討って、鎌倉殿の感賞にあずかろうものと争った。  行路《こうろ》の難は、そればかりでなかった。大物《だいもつ》の浦から船に乗りこんだ夜、暴風《あらし》に襲われて、船は難破してしまった。郎党の多くは溺死し、義経は、壊《こわ》れた船を引っ返したが、陸にはまた、執《しつ》こい敵が猛襲してきた。かくて味方とも散々《ちりぢり》にわかれて後、義経の足跡《そくせき》は、四天王寺までは見た者もあるが、そこを立退《たちの》いた先は、まったく踪跡《そうせき》を晦《くら》ましてしまった。  伊豆左衛門|有綱《ありつな》と、堀弥太郎|景光《かげみつ》という武士二人。  それと、妻の静に、妻の母の磯《いそ》の禅師《ぜんじ》と、わずか四人を連れたきりであったと、四天王寺の僧は、後で、取調べをうけた鎌倉の武士へ語った。 [#8字下げ][#中見出し]八[#中見出し終わり]  彼は奈良《なら》に潜《ひそ》んでいる――という噂《うわさ》があるかと思うと、 (いや、多武《とう》の峰《みね》で、それらしい落人《おちゅうど》を見た)  とも聞え、 (十津川の筋へ逃げた)  とか、その他、紀州だ、いや、京都の中に潜伏しているのと、彼の足跡を繞《めぐ》って、神出鬼没なうわさばかり乱れ飛んだ。  鎌倉勢は、その詮議《せんぎ》に、手をやいた。翻弄《ほんろう》されているようだった。躍起《やっき》になって、探しぬいたが、手懸《てがか》りもない。  その前後。北条時政の手勢は、何事か、確証をつかんだものらしく、雪ふる中を、吉野の峰へ馳《か》け上って、何の前触れもせず、南院藤室《なんいんふじむろ》の僧房を襲った。 「九|郎《ろう》判官《ほうがん》が、これに潜んでおろう」 「存ぜぬ」  白眉《はくび》の僧が、応答している間に、彼方の蔵王堂《ざおうどう》の方で、 「いたっ」  という兵の声がした。  僧の中で、密告した者がいたとみえる。どやどやとそこへ押入った武者輩《むしゃばら》の中に、その僧も立ち交じっていた。 「やっ……。女と老母のみではないか」 「これは、判官どのの愛妾《あいしょう》静《しずか》どのと、その母御の禅師《ぜんじ》です」  兵を導《みちび》き入れた僧は云った。 「あ。……静《しずか》か」  白拍子《しらびょうし》の頃から麗名は高い。舞の上手、またなき容色の持主と、誰も聞いている。わけて、九郎判官が、天下《てんか》に身を容《い》れる尺地《せきち》もなくなった後も、労苦を共にして、連れ歩いている麗人とは、いったいどんな女性かと、武者輩《むしゃばら》は、眼を研《と》ぎたてて、まわりに立った。  母子《おやこ》、ひしと抱き合っているので、一つの大きな繭《まゆ》のように見えた。静《しずか》のふところに顫《わなな》いているのは老母だった。静は、まわりの刀や槍を、黒い瞳《ひとみ》で、まろまろと見つめながら、母の体のうえに蔽《おお》いかぶさっていた。 「静っ。――こらっ静っ。……義経はどこへ落ちた。申さぬと、先ず見せしめに、その老《お》いぼれの首から斬り離すぞ」 「知りません。……良人の行先は、何も聞いておりません」 「うぬっ」  雪まみれの土足を上げて、一人が蹴とばそうとすると、 「まあ待て、そう怯《おび》えさせては、口もきけまい」  と、他の武者が押し止めて、宥《なだ》め賺《すか》しながら訊問した。 「これまでは、良人と共に、辛くも辿《たど》って参りましたが、深山《みやま》の雪、母の持病、足手まといと思し召してか、この蔵王堂に四、五日いよ、やがて馬を送りて、迎えをよこすまで――と申されまして、良人とここで別れたまま、先のお行方は存じませぬ」  静のことばは明晰《めいせき》であった。その落着《おちつ》いた様を見すえて、 「嘘《うそ》でもないらしい」  と、武者たちは、麓《ふもと》の北条時政へ、使いを馳《は》せて、処置の命を待った。  馬の鞍《くら》に縛りつけて、すぐ鎌倉へ追い下せとあった。静は、武者の手に引っ立てられる母へ、自分の上着《うわぎ》を脱いで老いの肩をつつみ、その耳もとへ、熱い息して囁《ささや》いた。 「ゆるして下さい。不孝をおゆるし下さいませ。わたくしが、世の常の白拍子《しらびょうし》のように、判官様へ無情《つれな》くあれば、年老いたあなたに、こんな艱苦《かんく》はおかけしないでもよいのに……私の婦道《みさお》のために……お母様までを、憂目《うきめ》に追いやって」 [#8字下げ][#中見出し]九[#中見出し終わり]  明けて文治《ぶんじ》二年の一月末には、静も母も、鎌倉幕府の罪人として、安達《あだち》新《しん》三|郎《ろう》清経《きよつね》の邸《やしき》に預けられていた。  氷のような吟味《ぎんみ》の床に、静は、幾たびも、坐らせられた。 「義経の行方を云え」  との厳問である。  清経《きよつね》は、こう責めた。 「そちのように、情《じょう》の細《こま》やかな者が、途中で義経と別れ去ったとは腑《ふ》に落ちぬ。どこか、再会の場所を約しているのであろう」  静は、余りに責められるので、幾分、しどろ[#「しどろ」に傍点]になって、 「いえいえ、一度は私も、お別れするに耐《た》えかねて、峰《みね》の一の鳥居あたりまで、お後を慕《した》って行きましたが、女人《にょにん》の入峰《にゅうぶ》は禁制とのことに、泣く泣く戻って参りました」  吟味《ぎんみ》の筆記が、やがて頼朝《よりとも》の手もとへ上げられて来た。頼朝は、それを見て、 「先に、吉野の蔵王堂《ざおうどう》で、時政が調べ取ったことばと相違がある。いよいよ、厳《きび》しく折檻《せっかん》して、実を吐《は》かせい」  と、清経《きよつね》に対して、不機嫌を示した。  清経は、恐懼《きょうく》して、さらに、静を辛辣《しんらつ》に責めた。余りに長い時間を冷たい板床にひき据《す》えられていたせいか、静は、急に眉をひそめ、蒼白《あおじろ》くなって苦しげに俯《う》っ伏した。  驚いて、医師を呼び、薬を求めると、医師は云った。 「病気ではない。この容体は陣痛《じんつう》じゃ」 「えっ。陣痛?」 「ひどく冷《ひ》えこんだため、早めた容子《ようす》はあるが、はや八月《やつき》は越えている」 「さては、妊娠していたのか」  清経は、息を嚥《の》んで、先頃から自分のした折檻《せっかん》が、ひそかに今は自分を責めた。  何しても、騒ぎとなった。しかし、案外に産室へ入ってからは軽くすんだ。産れた子は、男であった。初産《ういざん》だし早目でもあったせいか、ふつうの嬰児《あかご》より小さかった。 「お母様、見てください。似ておいで遊ばすことを……。このお眼、このお唇《くち》」  彼女はこの邸が、獄舎《ごくしゃ》であるのも忘れて、掻抱《かきいだ》いては、欣《よろこ》んだ。――お見せしたい、一目でも、かの君にと。  木々の芽《め》もふく春に向いて、嬰児《あかご》の手足は、日ごとにまろくなって行った。父の血をうけて、この子も意志強い容貌《かおだち》していた。 「ああ、お目にかけたい。それにしても、わが夫《つま》は何処の野路を……?」  思うにつけ、胸が傷む。すると怖ろしいほどすぐ乳《ちち》が止るのである。嬰児《あかご》は泣く。――せめてこの啼《な》き声なと、良人の耳に届《とど》くすべもないかと、また、涙に溺《おぼ》れてしまう。 「ちッ……。うるさい餓鬼《がき》だ」  昼夜、室の外に、番をしている詰侍《つめざむらい》が、時々、聞えよがしに、舌打ち鳴らした。  築地《ついじ》の外の桜並木が、枝もたわむばかり咲き誇ってきた。夜も昼も、そこからチラチラ白いものが母子《おやこ》の室へ散り迷って来た。  嬰児《あかご》は、眸《ひとみ》をうごかしぬく。もうお目が見えるそうなと、老母は、その生命《いのち》の育ちをむしろ儚《はかな》げに呟《つぶや》いた。静は、花の散るのを見ると、吉野の雪の日が思い出されてならなかった。――別れた人のうしろ姿に、霏々《ひひ》と雪ふぶきの吹いていたその日の別離を。――幾たびも振向《ふりむ》いては去った彼の君の眸《ひとみ》を。遂には、雪の中へ泣き倒れて、雪に埋もれていた自分の姿を。 [#8字下げ][#中見出し]十[#中見出し終わり]  四月の一日であった。  もう桜も若葉だった。散り消えた花の影が、何か遠い過去であったような心地のする朝。 「折入って、静どのに」  と、いつになく丁寧《ていねい》に、安達清経《あだちきよつね》がはなしに来た。 「ほかでもないが、この四日、頼朝公には夫人《おくがた》の政子《まさこ》の方と御一緒に、鶴ヶ岡に御参詣がある――」  そう前提《まえお》きして、清経は、頼朝の命《めい》として、次のような事を伝えた。かねて頼朝にも、弟の内縁の静が、神泉殿の雨乞《あまご》いの舞楽に、九十九人の舞姫のうちでも優れた白拍子《しらびょうし》であったということは聞き及んでいるところから、 (四日はちょうど参詣のついで、ぜひ社殿の廊《ろう》においてなと、隠れなき上手の舞をよそながら見たい)  という熱望だというのである。  捕《とら》われて、鎌倉へ送られて来たその当座にも、早速のように、舞を見せろという頼朝の下命はあったのである。――が、静《しずか》は、どうしても、かぶりを振って肯《き》かなかった。  手を焼いた前例があるし、こんどは、頼朝のいいつけも、厳重であったから、清経は、この下話《したばなし》には、充分|周到《しゅうとう》な要意を胸に持って、彼女を説いた。 「いちどお目にかかっておけば、お怒《いか》りの度もよほど和《なご》もう。舞だに終ったなれば、老母をつれて、京へ帰るもさしつかえないとまで仰せられてある。御老母のためにも……ここ忍《しの》ぶべきところではないかな」  母のために。  そう云われると、否《いな》む言葉もなかった。また、良人の義経に対する鎌倉殿の感情が、すこしでも解けてくれたらと、静《しずか》は、そうした恃《たの》みも抱いて、 「まだ、良人の生死も聞えず、別離の涙もかわかぬ今、恥かしい身を、鎌倉殿のおん前に曝《さら》すのは耐えられぬここちがしますが、あわれわが夫《つま》への、故なきお怒りが少しでも解《と》かれたなら、どんなに欣《うれ》しゅうございましょう。恥を忍んで舞に上がりましょう」  恥、怨《うらみ》、無念――あらゆる胸揺《むなゆ》らを嚥《の》んで、きっと、決意をした唇から、静は、遂にそう答えた。 [#8字下げ][#中見出し]十一[#中見出し終わり]  その日、清経《きよつね》に伴《ともな》われて、静は、頼朝《よりとも》夫妻の前に出た。――初めて、実にきょう初めて、わが良人と血をわけている兄なる人と、嫂《あによめ》の君とを見たのであった。  舞殿《ぶでん》の東側《ひがしわき》の一段高い席に、頼朝と政子《まさこ》は居並《いなら》んで彼女を見た。夫妻は、物珍しいものでも見るように、静のしとやかな礼儀を見まもっていた。 「思ったよりは、寠《やつ》れてもいない。なかなか気丈《きじょう》そうな女子ですこと。――何か、お言葉をかけておやりなさい」  政子に囁《ささや》かれて頼朝は初めて云った。 「静《しずか》というか」 「……はい」 「幾歳になった」 「二十歳《はたち》になりました」 「二十歳……ほう」  夫妻は、顔を見あわせた。何の品評《しなさだめ》をしているのか、静には、その心が酌《く》めなかった。 「愚《おろ》かよのう。まだ年ばえも二十歳を越えず、世に隠れない舞の手も持ちながら、何で、九|郎《ろう》冠者《かじゃ》のような、埒《らち》もない男を恋い慕うぞ。……はははは、酔狂《すいきょう》な女子よ」  静は、水のように、冷やかな感情になった。この良人の肉親は、またその妻である人も、自分を、弟の妻とはまったく視《み》ていないことがよく分った。飽くまで白拍子あがりの遊び女《め》と遇《ぐう》しているのである。 (なんで、こんな人に憐《あわ》れをすがろうぞ)  彼女は、唇《くち》をかんだ。愍《あわ》れを乞う者と誤られるのも無念である。涙もこぼすまい。頭も下げまい。  屹《きっ》と、彼女は、胸を上げた。――そしてむしろ愍《あわ》れむべき二個の人形よ! と頼朝夫妻を、その情熱の沸《たぎ》りを持つ黒い瞳《ひとみ》で、じいっと、眼も外らさず見つめていた。 「舞え。――起て」  頼朝は、急《せ》いた。 「はい」  静は、きりっと答えた。水色の水干《すいかん》、真紅《しんく》の袴。――起って、頼朝の夫妻を、高くから見て微笑んだ。 「わたくしの、好きな歌舞でよろしゅうございますか」 「何なりと」  夫妻は共に頷《うなず》いた。  鼓《つづみ》の上手、工藤左衛門尉祐経《くどうさえもんのじょうすけつね》は、はや一拍子《ひとびょうし》入れて、此方《こなた》へ眼を向けた。銅拍子《どびょうし》は、畠山庄司重忠《はたけやましょうじしげただ》。――静のすがたを、祐経と挾《はさ》み合って、床《ゆか》を取った。  遠く――遠く――静は眸《ひとみ》をやって、なお、舞い出さなかった。恍惚《うっとり》と、鶴ヶ岡のここの高さから空を見ていた。行く雲を見ていた。 「さっ!」  鼓、銅拍子、気を合せて、舞のきッかけを促《うなが》した。――と、空ゆく雲のそれのように、静の水干《すいかん》の袖が瑤々《ゆらゆら》とうごいた。美しい線を描いて舞い初めたのである。 [#ここから2字下げ] よしの山 峰のしらゆき ふみわけて 入りにし人の あとぞ恋しき あとぞ恋しき [#ここで字下げ終わり]  眼にはいっぱいな紅涙があった。けれどまた、その眼には頼朝もない鎌倉幕府の権力《けんりょく》もない。  元より上手に舞おうなどとは、みじん思ってもみなかった。ただ祈るのは、この舞が、良人の恥辱にならないことであった。義経の妻として世の物嗤《ものわら》いとなるまいとする懸命だけであった。 [#ここから2字下げ] しずやしず 賤《しず》のおだまき くり返し むかしを今に なすよしもがな ――なすよしもがな [#ここで字下げ終わり]  歌い終るのと一|緒《しょ》であった。彼方《かなた》の頼朝夫妻の席で、断《き》って落したように、ばらりッと、簾《れん》が落ちた。――その簾中《れんちゅう》から洩れる怒りの声だった。 「八幡の御宝前《ごほうぜん》、しかも頼朝が前なるも憚《はばか》らず、叛逆人《はんぎゃくにん》の義経を、明らさまに、恋い慕って舞い歌うとは。――ゆるせぬ女、余《よ》を、余を、小馬鹿にした舞ではある!」 「あなたの御不興《ごふきょう》は、お身勝手というものです」  そうたしなめているのは夫人であった。 「何が身勝手か」 「流人《るにん》として、伊豆の配所においで遊ばした頃のことを考えてごらんなされませ。私は、静の歌を聞いて、女子《おなご》はやはり女子よと、思わず眼がうるんで来ました。……私が、配所にあるあなた様をお慕《した》いして、闇の夜、雨風の夜も、通《かよ》うた頃の心を思い較《くら》べると、かの女子《おなご》の今はさこそと察しやられます。このようなことに、席を蹴って、御不興のままお帰りなどなされたら、坂東《ばんどう》武者に、あなたの鼎《かなえ》の軽重《けいちょう》を問われましょうが」  政子は、かえって、機嫌《きげん》よかった。静をさしまねいて、卯《う》の花|重《がさ》ねの御衣《おんぞ》を、きょうの纒頭《はなむけ》ぞと云って与えた。  静は、舞が終るとすぐ、わき見もせず、清経《きょつね》の邸へ帰った。――そして馳《か》けこむように、乳《ち》を待つわが子の部屋へ這入ったが、わが子は見えなかった。 「……和子《わこ》よ。和子よ」  老母の答えもない。いや、灯火《ともしび》もない一室の隅に、磯《いそ》の禅師は、喪心したようにすすり泣いていた。 「和子は、どうなさいましたか。――お母様、わたしの和子は」 「…………」  老母は、ただ泣いて、遠い海鳴《うみな》りのする夜空を指さすばかりだった。 「――げっ。では……では和子さまを」 「武者たちが、海のほうへ、引っ攫《さろ》うて行った。――鎌倉殿のおいいつけじゃと」 [#8字下げ][#中見出し]十二[#中見出し終わり]  水と空の界《さかい》だけが、ぼっと夜明けのように明るいだけだった。夜の海は、真っ暗に吠《ほ》えすさんでいる。常でも浪の激しい由比《ゆい》ヶ浜に、こよいは風がある。 「和子ようっ。――和子ようっ」  痛む乳を抱きしめた水干《すいかん》の舞姫は、沖へ向って声をからしていた。浪に漂《ただよ》う木片や芥《あくた》を見ては馳けて行った。しぶきを浴びて、走り狂った。  松明《たいまつ》を振って追って来た人々の中に、安達清経《あだちきよつね》もいた。わが子の後を追って死のうとする静《しずか》を抑えて、遮《しゃ》二|無《む》二連れ帰った。一夜に、痩《や》せ衰えた舞姫は、その夜から囈言《うわごと》に、子と良人のことばかり云いつづけて、夏の中も病の床《とこ》から起てなかった。  静が、気がついてみると、初秋《はつあき》八月の風が萩叢《はぎむら》にふいていた。笠《かさ》と杖とが手にあった。老母と共に鎌倉を立つ日であった。 「良人は何処に?」  生きるかぎり、彼女は思いつづけたであろう。また、果《は》てなき道を歩いたことでもあろう。――私たちが旅にふと見る、名知らぬ路傍の草の花叢《はなむら》は、そこが彼女の足が止った最期《さいご》の地であった墓標《しるし》かも知れない。  彼女の咲かせた情操の姿は、野の花に見るあんなふうに、またなく純《じゅん》で飾り気もない愛だったから――。 底本:「剣の四君子・日本名婦伝」吉川英治文庫、講談社    1977(昭和52)年4月1日第1刷発行 初出:「主婦之友」    1940(昭和15)年5月号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:川山隆 校正:雪森 2014年8月7日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。