銭形平次捕物控 南蛮仏 野村胡堂 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)屑屋《くずや》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)八|兄哥《あにい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#5字下げ] ------------------------------------------------------- [#5字下げ]一[#「一」は中見出し]  屑屋《くずや》の周助《しゅうすけ》が殺されました。  佐久間町の裏、ゴミ溜《だ》めのような棟割長屋の奥で、魚のように切られて死んでいるのを、翌《あく》る朝になってから、隣に住んでいる、蝮《まむし》の銅六《どうろく》という緡売《さしう》りの、いかさま[#「いかさま」に傍点]博奕《ばくち》を渡世のようにしている男が見付け、町内の大騒動になったのです。  周助はもう六十に手の届いた男、鉄砲笊《てっぽうざる》を担いで江戸中を廻り、古着、ガラクタ、紙屑までも買って歩いて、それを問屋に持込み、わずかばかりの口銭を取って、その日その日を細々と送っている屑屋ですから、人に怨《うら》まれる筋などのあるべきはずもなく、そうかといって泥棒につけ狙われるほど、纏《まと》まった貯えのありそうな人間でもなかったのです。  ガラッ八の八五郎は、平次の指図でとにもかくにも飛んで行きました。 「八|兄哥《あにい》、もう遅いよ、下手人《ほし》は挙がったぜ」  それを迎えて、路地一パイの大きな顔を見せるのは、お神楽《かぐら》の清吉《せいきち》です。 「ヘエー、そいつは手廻しがよかったね」  ムッと来たのを顔にも出さずに、この縄張荒らしに微笑をさえ見せるように、近頃の八五郎は鍛錬されていました。が、その微笑の苦渋な歪《ゆが》みは、八五郎の意志ではどうすることも出来ません。 「三輪《みのわ》の親分が、蝮の銅六を挙げて行ったよ。今頃は番所で調べているだろう。蝮と言われた男だから、どうせお白洲《しらす》で石でも抱かせなきゃ、素直に白状する野郎じゃあるめえ」  お神楽の清吉はそう言って、骨張った顎《あご》を撫《な》でるのです。元は三河島の馬鹿囃子《ばかばやし》に入っていたという清吉、いつの間にやら三輪の万七の子分になって、事ごとにガラッ八の向うを張っている岡っ引でした。  ガラッ八は、清吉の嫌がらせを聞き流して、屑屋の周助の家に入りました。入口の土間と、六畳一と間、それにお勝手と便所が付いたきり、見る影もなく住み荒らした長屋ですが、入口の土間は手入れ次第では、小さな店にもなるように出来たもので、周助はそこへ買い溜めのガラクタで、問屋で値の出なかったものや、古道具屋に持込んで、いくらかの利潤《もうけ》を見ようとしたものを、順序も系統もなく積み重ねて置きました。  大部分は皿、鉢、行灯《あんどん》、といった世帯道具の半端物ですが、中には大擬《おおまが》い物《もの》の高麗焼《こうらいやき》の壺《つぼ》、紫檀《したん》の半分欠け落ちた置物、某|法眼《ほうげん》の偽物の一軸、古九谷の贋物《にせもの》の花瓶――といった、物々しくもグロテスクな品物もあります。  一歩六畳に踏込むと、―― 「あッ」  物馴れたガラッ八も顔を反《そむ》けたほどでした。屑屋の周助――ガラッ八も顔見知りの親爺《おやじ》が、血潮の海の中にこと[#「こと」に傍点]切れているのですが、得物の出刃庖丁は血潮の海の中に捨ててあります。 「八兄哥、この三軒長屋は、右隣が魚屋の伝吉《でんきち》で、左隣は蝮の銅六だ。二人とも昨夜《ゆうべ》は遅く帰ったから、何にも知らないって言い張るが、――血の凝《かたま》った様子では、周助が殺されたのは夜中前だ、どっちか先に帰ったものが殺したに違《ちげ》えねえ――とこういう鑑定だ」 「どっちが先に帰ったんだ」 「それが判らねえ。伝吉は銅六の方が先だって言うが、銅六は伝吉より後だと言い張っている」 「それじゃ、銅六が殺した証拠にはなるめえ」 「銅六は亥刻《よつ》(十時)過ぎに一度帰って灯《あかり》をつけたまま、急に寝酒が呑みたくなって表の酒屋まで酒を買いに行ったが、いくら叩いても起きちゃくれない、腹は立ったが、どうすることも出来ないから、そのまま帰って寝た――とこう言うんだ」 「酒屋で訊いてみたのかい」 「そこに抜かりがあるものか。すぐ行って訊いてみたが、いかにも夜中に酒を買いに来た者はあるが、亥刻《よつ》過ぎは商売をしないことにしてるから、開けなかった、とこうだ」 「それじゃ、銅六の言うのが筋が通っているじゃないか」 「伝吉は担ぎ売りの魚屋だが、町内では評判の良い男だ。男がよくて、世辞がよくて、魚が新しく、おまけに安い、――そのうえ出刃庖丁は伝吉の家から持出したものだ。伝吉は自分の家から持出した出刃庖丁を、死骸の側《そば》へ捨てておくような馬鹿馬鹿しい男じゃねえ」 「ヘーエ」 「それに下手人が魚屋なら、もう少し庖丁使いが器用だよ。人間だって鮪《まぐろ》だって、大した違いじゃあるめえ」 「フーム」 「気の毒だが、今度の手柄はこっちだよ、――もう帰るのかい、八兄哥、銭形の親分に宜しく言ってくれ、ハイさようなら」  日頃銭形平次に鼻をあかされてばかりいる三輪の万七とお神楽の清吉は、平次のお膝元に事件があるのを狙って、疾風迅雷的に下手人を挙げて行ったのでしょう。死骸の側に捨ててあった出刃が伝吉のだから、下手人は伝吉でないと睨《にら》んだところなどは、ガラッ八が考えても、なかなかの出来栄えです。 [#5字下げ]二[#「二」は中見出し] 「こんなわけだ、親分、腹が立って、腹が立って――」  ガラッ八の八五郎は、一と通りの事を報告すると、滅茶滅茶に憤激するのです。 「それっきりかえ」  銭形平次は静かに反問しました。 「それっきりにも何にも、腹が立って、腹が立って」 「馬鹿野郎」 「ヘエ――」  平次はガラッ八の顔へ正面から叱咤《しった》を叩き付けました。 「岡っ引がそんな事で済むと思うかよ、馬鹿ッ、腹を立てる暇があったら、なんだって突っ込んで調べて来なかったんだ」 「だって親分、調べようがありませんぜ」 「それだから馬鹿だって言うんだ、――何か盗《と》られた物はないのか」 「本人が殺されたんだから、そいつは解りませんよ」 「両隣の家へ行ってみたのか」 「いえ」 「周助が平常《ふだん》付き合っているのはどんな人間だ」 「それがその、蝮の銅六と、魚屋の伝吉と」 「それっきりか」 「…………」 「来いッ、八、そんな事だからお神楽の清吉なんかに馬鹿にされるんだ」 「…………」  八五郎は一言《いちごん》もありませんでした。お神楽の清吉に牛耳《ぎゅうじ》られて、日頃の八五郎に似気なく、ほとんど周助殺しの調べの筋も通してはこなかったのです。  佐久間町まではほんの一と走り。 「おや、銭形の親分」  お神楽の清吉はまだそこに粘っていました。 「ちょいと邪魔をするよ」 「ヘエ――」  貫禄の違いで、清吉も平次の前では大きな口が利けません。 「今朝、銅六が死骸を見付けた時、戸締りはなかったんだね」 「ヘエ」  平次はガラクタの山をかきわけて、六畳に入りました。  まだ検屍《けんし》前の死骸は、夏の真昼の明るさに曝《さら》されて、長屋の奥といっても、何の蔽《おお》うところもなく見えます。 「血がひどいから滅茶滅茶に見えるが、後ろから抱きこむように、急所を狙って喉笛《のどぶえ》を掻き切ったのは大した手際だね」 「すると、庖丁使いの馴れた野郎だね、――鮪だって人間だってあまり変りはねえ」  ガラッ八はとんだところで溜飲《りゅういん》をさげました。 「鉄砲笊を担いで歩く屑屋にしちゃ、品物がありすぎるようだ、周助は思いの外《ほか》暮しが良かったかも知れないよ。念入りに押入や戸棚を見るがいい」  平次はガラッ八に指図しながら、自分もお勝手のあたりを覗いておりました。 「暮しが良いか悪いかは知らないが、ろくな袢纏《はんてん》一枚無いぜ、戸棚の中だって、味噌と塩と沢庵が少しあるっきりさ。ろくな膳も無い始末だ」  清吉は少し反抗的です。 「それが金を溜めている証拠じゃないか。商売物の品をあれだけ買いためている癖に、ろくな着替えも、膳や小鉢や、鰹節《かつおぶし》の片《かけ》らも無いというのは、周助の並々でない心掛けだ」 「すると親分、どこかに金があったわけですね」 「きっとある。――その金が盗まれなきゃ、怨みの人殺しだ」 「さア大変ッ」  八五郎は少しおどけた調子で、家の中を捜し始めました。たった六畳一間にお勝手と店ですから、わけもなく眼が届きます。そのうえ床を剥《は》いだり、天井を覗いたり、清吉まで手伝って半刻《はんとき》(一時間)ばかり掻き廻しましたが、小判はおろか、鐚《びた》一枚出て来ません。 「店の品物も見るがいい」 「ガラクタばかりですよ、親分」 「そのガラクタの中に隠してやしないか」  壺も手箱も、瓶《かめ》も戸棚も、往来に持出されて、天日の下《もと》に念入りに調べました。 「ありませんよ、親分」 「その棚の上にあるのは何だい」 「仏様のお厨子《ずし》じゃありませんか」  店の棚からおろしてきたのは、持ち重りのする手頃なお厨子。 「埃《ほこり》が付いてないネ、八」 「ヘエ――」  蓋を払って見ると、中に納めてあるのは、一尺二三寸の立像が一つ、恐ろしく煤《すす》に塗《まみ》れておりますが、慈眼を垂れて、確《しか》と嬰子《えいじ》を抱いた様子は、見馴れた仏様の姿態ではありません。 「変っているね、親分」 「子育て観音だよ」 「ヘエ――」 「南蛮仏とも言うよ。昔|切支丹《きりしたん》が蔓延《はびこ》っていた時、お上の眼を免《のが》れて、これを本尊にしていたんだ。観音様と見せかけて、実は切支丹のサンタ・マリア様だよ」 「すると、屑屋の周助は切支丹だったんだね」 「そんな事が判るものか。周助は屑屋だぜ、潰《つぶ》しのつもりで買ったかも知れないじゃないか」  お神楽の清吉は口を容れました。 「いや、商売ずくで買った品なら、これ一つだけ埃を払って、丁寧に棚の上に置くはずはない、――胎内仏があるかも知れない、台座を外してみるがいい、八」  銭形平次に注意されて、子育て観音の台座を外すと、中から落ちたのは、半紙に包んだ小判。 「あッ」 「そんな事だろうと思ったよ、何枚あるんだ」 「百両ありますよ、親分」  ガラッ八は小判を勘定しながら、恐ろしく酸《す》っぱい顔をします。 「こいつは面白くなりそうだ。八、もう少し周助の身許を洗ってくれ。どこの生れで、どこから来た人間か、知合はないか、一年に一度でも往来《ゆきき》する人間はないか、周助から金を借りてる奴はないか、子供や女房はなかったか――そんな事を洗いざらい捜すんだ」 「ヘエ――」  八五郎は糸目の切れた凧《たこ》のように飛んで行きました。極《きま》り悪くモジモジしていたお神楽の清吉も、それに続いたことは言うまでもありません。 [#5字下げ]三[#「三」は中見出し] 「誰だい」 「…………」 「お前は、誰だい、何か用事があるのか」  平次は草履を突っかけて飛んで出ると、逃げ腰になった娘を呼止めました。せいぜい十七八、洗いざらしの単衣《ひとえ》を着て、色の褪《さ》めた赤い帯をしめておりますが、何となく清浄な感じのする娘です。 「あの、叔父さんは?」 「叔父さん?」 「周助さんはどうかしたんでしょうか」 「お前は周助に用事があって来たんだね」 「…………」 「周助の何だ」  平次の調子は、いつもになく厳しくなりました。飛込んで来た手掛りを、あわてて手繰《たぐ》り寄せようとしたのです。 「何でもありません」 「何でもない周助を訪ねて来たというのか」 「え」 「どんな用事があったんだ」 「なんにも用事なんかありません。この辺まで来たついでに寄ったんです」  平次はこの娘から、何にも引出せそうもない事に気がつきました。血腥《ちなまぐさ》い事件に関係するにしては、娘はあまりに明けっ放しで、清らかです。 「銭形の、うまい者が飛込んで来たようだね」  三輪の万七は、いつの間にやら、後ろに立っていたのです。 「三輪の兄哥《あにき》か、――銅六はどうした?」  平次も少しばかり皮肉になってみたい心持のする日でした。 「何にも言わねえ――、石でも抱かなきゃ口を割る野郎じゃねえ」 「で?」 「俺は銅六の家を見に来たのさ。ところが銅六よりも面白そうなのが見付かったじゃないか、さすがは銭形の兄哥《あにい》だ、そいつを現場へつれて行って、一と眼、周助に逢わせてみるがいい」  三輪の万七は娘を家の中へ入れて、碧血《あおち》の海を見せ、その顔に浮ぶ恐怖か疑惑か、ともかくも感情の動きを見ようというのでしょう。 「そいつは殺生《せっしょう》だよ、三輪の」  銭形平次は驚いて止めました。証拠を掴《つか》めるかどうか判りませんが、この明けっ放しで生一本らしい娘に、残酷な死骸は見せたくなかったのです。 「そんな気の弱いことを言っていちゃ埒《らち》が明かねえ、――さア、ちょいと、こっちへ来るがいい。面白いものを見せてやるから」  娘を小手招く三輪の万七。 「…………」  娘は本能的な恐怖に思わず身を退《ひ》きました。 「怖がる事はない、ちょいと覗いてみるがいい、とんだ面白いものがあるぜ」  三輪の万七は、娘の手を取って、惨憺《さんたん》たる六畳を覗かせたのです。 「あッ」  娘は、一と目、悲鳴をあげて土間に崩折れました。 「お澪《みお》ちゃんじゃないか――そんなものを見ちゃならねえ」  飛込んで来たのは、二十六七の若い男、右隣の魚屋伝吉です。 「俺が見せたんだ、文句があるなら俺に言うがいい、――なア、伝吉」 「親分さん、あんまり殺生じゃありませんか」  伝吉は三輪の万七に突っかかります。 「余計な世話だ、それとも、お前はこの娘の何かでもあるのか」 「親分さん」 「まずそれから聴こうじゃないか、伝吉」  三輪の万七は機会を掴んでグイグイと突っ込むのです。 「何でもありゃしません」 「何でもなきゃ引っ込んでいるがいい。さア、娘、――おみお[#「みお」に傍点]とか言ったね、俺は三輪の万七だ、お前の訊ねる周助は、昨夜《ゆうべ》人手に掛ってこの有様だ。下手人はまだ解らねえ、が、殺した出刃は、その伝吉の家から持出した品だ、――ちょいと、その血染めの庖丁を取ってくれ」  三輪の万七は、血にひたったまま、畳の上に転がっている出刃庖丁を指すのでした。 「…………」  正気を取戻した娘は、あわてて顔を覆いました。首を振ると、つまみ細工の簪《かんざし》が、短冊形の小さい銀板をキラキラと光らせます。 「親分、そいつは可哀想だ。庖丁が入要なら、あっし[#「あっし」に傍点]が取って上げますよ」  伝吉は膝で畳の上を這《は》い寄ると、血染めの庖丁に手をかけるのでした。 「止《よ》さないか、伝吉」 「ヘエ――」 「誰がお前に取れと言った。鮪や鰹《かつお》を切りつけているお前に、血染めの庖丁を持たせたって面白くも何ともあるものか」 「ヘエ――」  万七の調子はどこまで冷酷だか解りません。良い男の伝吉は、それを聞くとさすがにムッとした様子でしたが、思い直して庖丁を畳の上に置きました。  銭形平次は、黙ってそれを見ていたのです。飛入りの三輪の万七の苛辣《からつ》な調べが、平次にいろいろの事を教えてくれるのでしょう。 [#5字下げ]四[#「四」は中見出し] 「親分、いい心持だぜ」 「何だ、八」 「三輪の万七親分大眼鏡違いさ。銅六が帰って来たのは、伝吉の後と解ったんだ」 「すると伝吉が嘘を吐《つ》いたのか」 「それが変なんだ。伝吉は友達のところに祝儀があって亥刻《よつ》半(十一時)過ぎに帰ったって言うが、灯《あかり》は亥刻ずっと前から点《つ》いていたそうです。証人は並び長屋に二三人あるから、こいつは間違いっこはねえ」 「フーム」 「銅六が表の酒屋へ貧乏徳利をブラ下げて行ったのも本当だが、そいつは亥刻半過ぎだ。酒屋が言うんだから、嘘じゃねえ」 「…………」 「あんな浅まな三軒長屋の真ん中に住んでいる周助を殺して、両隣に知れねえわけはねえ。銅六のいないとき伝吉がやったか、伝吉の留守を狙って銅六がやったか」  方々嗅ぎ廻って帰った八五郎は、威勢よくまくし立てるのでした。 「右も左も留守だったら、どんな事になるんだ」  平次は横槍を入れました。 「おっと、そこに気のつかねえあっし[#「あっし」に傍点]じゃねえ」 「近頃めっきり智恵が付いたんだね」 「赤ん坊と間違えちゃいけませんよ、――ね、親分、聞いて下さい。宵のうちは三軒とも灯がなかった、そのうち一番先に戌刻《いつつ》半(九時)頃伝吉の家の灯が点いて、間もなく周助が帰って来た、周助が帰って四半刻(三十分)もすると、寝てしまった様子で周助の家の灯が消え、間もなく銅六が帰って来てしばらくすると酒を買いに出かけた――こうですよ、親分」 「少しうるさいな、――こうだろう、一番先に伝吉、それから周助、一番後に銅六が帰ったのだな。そのうち伝吉だけは姿を見られたわけではない、灯が点いたから、近所の者が帰ったと思った、――とこう言うんだろう」 「その通りで」 「周助の殺されるのを、両隣の者が知らずにいるはずはないな」  と平次。 「壁は穴だらけで、坐ったまま隣の家と金槌《かなづち》や硫黄付け木の貸し借りをしている長屋だ、周助があれだけノタ打ち廻るのを知らないはずはない、ギャッとかスウとか言えば、すぐ気が付きますよ」 「有難う、それでだいぶ判りそうだ、――ところで、三輪の兄哥が眼鏡違いをしたというのは、どういうわけだ」 「銅六を帰しましたよ」 「それっきりか」 「銅六は路地の外から町内中に聞えるような声で呶鳴《どな》りましたよ。――自慢じゃねえが、昨夜たった一枚こっきりの袷《あわせ》は殺したが、人なんか殺した覚えはねえ、岡っ引|奴《め》どこへ眼玉を付けてやがる、周助の切支丹野郎が死んだのは仏様の罰だ、ざまア見やがれ――って」  ガラッ八の八五郎にとっては、銅六は自分の代弁者のような心持だったのでしょう。 「ところで、三軒長屋の出入りを、誰がそんなに詳しく見ていたんだ」 「向うの駄菓子屋の女房ですよ、――神田一番の金棒曳《かなぼうひ》きで、町内のお菜《かず》の匂いまで嗅ぎわけて歩く女で」 「…………」 「店番をしながら、夜業《よなべ》の亭主の帰りを待って、八方へ眼を配っているんで」 「大変な女だな、――だが、その駄菓子屋の女房の眼をのがれて、裏口から帰る術《て》もあるだろう」 「術はあったって用いませんよ、たった一枚の袷を質に入れたことまで、ワメき散らす人間の住んでいる国だもの」 「なるほどな」 「ところで、周助の身許を根こそぎ洗って来ましたよ」 「それは有難い、――九州生れで、十七年前に江戸へ来たこと、その頃から独り者だったこと、医者の石沢閑斎《いしざわかんさい》と懇意だったこと、それからどんな事を聞き出した?」 「あれ、親分は、あっし[#「あっし」に傍点]の言うことをみんな知ってるじゃありませんか。どこで立聞きしていたんで?」 「立聞きなんかするものか――ところで、外に何か聞き出したのかい」 「それっきりですよ。驚いたな、どうも」 「それじゃ今日の聞込みは俺の方が勝ちだ。石沢閑斎に娘が一人ある、お澪と言って、十八だが、これは滅法《めっぽう》可愛らしい娘だ」 「その通りですよ、親分」 「同国の誼《よし》みで、石沢閑斎と周助、身分は違うが昵懇《じっこん》にしているから、お澪はときどき周助のところへ遊びに行く、――そのうちに、つい、お隣の魚屋――若くて威勢がよくて、男っ振りのいい、伝吉と懇意になった」 「ヘエ――、そいつは知らなかった。それからどうしました、え、親分」 「今日も周助に逢うのは口実――実は伝吉の顔を見たさにフラフラとやって来たところを、三輪の兄哥に捕まって、いやもうギュウギュウ言わされたよ」 「畜生ッ、何てことをしやがるんだ」  ガラッ八はモリモリ腹を立てます。万七の子分のお神楽の清吉に、さんざんイヤな事を言われた上、これは、御存じの通りのフェミニストだったのです。 「まア、怒るな八、怒るより本当の下手人を挙げて、諸人の迷惑を一日も早く取り払ってやることだ」 「諸人なんかより、その十八になる滅法可愛らしい娘の迷惑を取り払ってやろうじゃありませんか」 「呆《あき》れた野郎だ」  平次はガラッ八を伴《つ》れて、お玉ヶ池の医者、石沢閑斎のところを訪ねました。 [#5字下げ]五[#「五」は中見出し] 「銭形の親分ですか、――娘からいろいろのことを承りました。うっかりとんだところへ行き合せて、三輪の親分とやらに、既に縛られそうになったところを、銭形の親分に助けて頂いたと、娘は這《ほ》う這《ほ》うの体で帰って参りました。有難うございました。だから佐久間町の三軒長屋へ行ってはならないと、小言を申していたところでございます」  一向|流行《はや》りそうもない医者ですが、半分は幇間《たいこ》らしく、よくしゃべる五十五六の坊主です。 「お前さんは周助と昵懇だったそうじゃないか」  と平次。 「とんでもない、これでも代診こそ置きませんが、門戸を張っている医者ですよ、鉄砲笊を担いで歩く屑屋と昵懇でいいものでしょうかね、親分」 「屑屋だって人間に変りはあるめえ。大名高家じゃあるまいし、医者が友達になっても構わねえように思うがどうだろう」 「そう言えばそれに違いないようなものですが――」 「それに、お前さんと周助は、同国だっていうじゃないか」 「同国には同国ですがね」 「やはりその切支丹仲間のようなものかい」  平次はズバリと言い切りました。 「と、とんでもない、私は切支丹なんかじゃございません、先祖代々の禅宗で」 「仏壇があるかい」 「この通り、大したものじゃありませんが」  次の間の唐紙《からかみ》を開けると、一間一パイの大仏壇、扉をあけると、燦爛《さんらん》たる仏具が眩《まぶ》しいばかりです。 「禅宗の仏壇にしちゃ大奢《おおおご》りだ、――もっともあまり線香やお灯明をあげた様子もないが」 「そんな事はございません」 「第一、ひどい埃《ほこり》じゃないか」 「なにぶん娘と二人の無人《ぶにん》でございます。薬箱持ちの男はおりますが、それは通いで、夜は帰ってしまいますし、下女は一人おりますが、居睡《いねむ》りするより外に芸のない女で――」  石沢閑斎の説明する前に、平次はざっと四方《あたり》に眼を配りました。門戸の大きいに似ず、恐ろしく流行らない医者らしく、内輪の苦しさは、仏壇の雄大さに似ず、貧しい調度にもよく判ります。 「昨夜はどこへも出なかったんだな」 「病人はありました、松永町の伊勢屋《いせや》の隠居、――これはもう長い間の病人でだいぶよくなっていたんだが、近頃の暑さでぶり返しましてな」 「時刻は?」 「戌刻《いつつ》前に行って、亥刻《よつ》ちょいと過ぎに帰りましたよ」  これより外に平次にも訊くことはありません。それから奥の部屋に、たった一人つくねんとしている娘のお澪に逢っていろいろ訊いてみましたが、父親が昨夜|何刻《なんどき》に出て何刻に帰ったかも知らず、今朝佐久間町へ行ったことが知れて、ひどく父親に叱られた、という以外には何にも纏《まと》まったことは掴《つか》めません。 「お澪さんは、いつ頃から周助を知っていたんだ」  と平次。 「ずっと、――小さい時から知っています」 「国許にいる時からだね」 「いえ、私は江戸の事しか知りません、九州で生れたということですけれども」 「周助は身寄りではなかったのだね」 「え、でも、叔父さんのように思っていました」 「魚屋の伝吉は?」 「…………」  お澪は黙って真っ赤になってしまいました。うな垂れると、よく鼻筋が通って、柔かい頬のふくらみ、眉のあたり打ち霞んで、不思議に可愛らしい娘です。 「これは、ぜひ訊いておきたいが、――伝吉と、お前と、何か約束でもあったのかい」 「…………」  娘は何にも言いませんが、妙に打ち湿《しめ》った姿です。 「二人の間に何か約束をした――と思って構わないだろうな」 「でも、父さんが許しては下さいません」 「なるほどね――」 「私は――」  あとはもう何にも言えませんでした。 「父親が承知しないのは、ワケのある事だろう」 「奉公をしろと――」  お澪は涙の隙《ひま》にこれだけの事を言うので精一杯でした。 「よしよし、もうお前を困らせない。あんまり物事はクヨクヨしないことだ。思案に余ることがあったら、俺にそう言って来るがいい、十手捕縄を投《ほう》り出して、相談に乗ってやろう」  平次はとうとうそんな立入ったことまで言う気持になっておりました。お澪はそれほど人の心をひく娘だったのです。  石沢閑斎の門を出ると、 「イヤな坊主だね、親分」  ガラッ八は大きな声でこんな事を言います。 「その代り、いい娘を持っているじゃないか」 「へッ、――あっし[#「あっし」に傍点]もそれを言いたかったんで」 「そんな事はどうでもいい、松永町の伊勢屋へ行って、隠居の容体と、昨夜閑斎が行った時の様子を訊いてくれ」 「ヘエ――」 「それからもう一つ、娘からは訊けなかったが、あの親父が、娘をどこへ奉公にやるつもりか、それを訊き出すんだ、こいつはむつかしいかも知れないよ」 「なアに、わけはありません」 「じゃ頼むぜ、他にも気の付いたことがあったら訊いてくれ」 「親分は?」 「俺は魚屋の伝吉と、蝮の銅六にもう一度逢ってみる」  二人はそこで別れました。 [#5字下げ]六[#「六」は中見出し]  平次は佐久間町の三軒長屋に引返しました。 「銭形の、見当は付いたかい」  三輪の万七はまだこの辺に頑張って、いやがらせな顔をひけらかしております。 「いや、少しも」 「銅六は一番臭いが、癪《しゃく》にさわることに一番後で帰って来ている。すると、一番先に帰った伝吉が怪しいと思うがどうだろう、出刃庖丁の事も、考えようでは伝吉の下手人という証拠になるが――」  こんがらかった事件を持て余して、万七は競争相手の平次の智恵まで頼ろうとするのです。 「それも尤《もっと》もだが、ね、兄哥《あにき》、どんな証拠があるにしても、伝吉は人を殺すような人間には見えないが、どういうものだろう」 「顔や様子じゃ判らないよ、お澪といい仲になっているようだから、世帯を持つ金でも欲しかったんだろう、お玉ヶ池の閑斎坊主は、百も出しゃしめえ」 「だが、金は奪《と》った様子はないぜ、それに、娘をくれないから、伝吉が憎いのは閑斎で、周助は若い二人にとっては恩人だぜ――唄の文句にもあるじゃないか、恋の取持ちゃ何とかよりも可愛い――とな」  平次は洒落《しゃれ》たことを言いました。 「フーム」 「その周助を殺すわけはないじゃないか」 「出刃庖丁は伝吉のだし、流し元は血だらけだし、袢纏《はんてん》はプンと腥《なまぐさ》いぜ。魚の血だか、人間の血だか解ったものじゃない」  万七が頑固に主張するのも無理のないことでした。事件のあった朝、駆け付けて三軒長屋を調べると、伝吉の家の流し元から溝《どぶ》へかけて、鮮血を洗った水が溜っていたばかりではなく、袢纏は大抵魚の脂と血に染んで、その上へ人間の血が付いても見分けのつかないほど汚れていたのです。  その時万七の注意は銅六にばかり向いたので、伝吉を突っ込んで調べる気にはならなかった様子ですが、もし、銅六というものがなかったら、伝吉は免《まぬか》れようがなかったことでしょう。 「魚屋の流し元に血があっても、それだけでは縛るわけに行くまい、――それより大事なのは、伝吉は友達の祝言で遅くなったと言っているが、その友達はどこの誰で、祝言の席に何刻まで居たか、それが解りさえすればいい、周助や銅六より先に帰ったか帰らないか、――俺はそれが知りたいよ」  銭形平次のさり気ない言葉が、ひどく万七を刺戟《しげき》した様子で、 「それじゃ、銭形の、俺は一と廻りして来るぜ」  コソコソと万七は姿を消しました。たぶん伝吉の友達の家へ行って、祝言の席に列《つら》なった人から、伝吉の帰った時刻を聞き出すつもりでしょう。  その後ろ姿を見送った平次は、一番奥の蝮の銅六の家を覗きました。 「居るかい、銅六」 「誰だ、人を呼捨てなんかにしやがって」  ヌッと出した鼻の先へ、平次の顔が近々と笑います。 「大層威勢がいいんだね、銅六親分」 「ああ銭形の、からかっちゃいけません、これでも神妙に控えているんですぜ」 「よしよし、お前の神妙を疑っているわけじゃない、ところで、――本当の事を言って貰いたいんだがな、銅六」 「ヘエ?」 「隠し立てをすると今度こそは周助殺しの下手人で、伝馬町に送られるよ」 「とんでもない、親分」 「昨夜お前は亥刻《よつ》時分に帰って来た、――それは駄菓子屋の女房が見ているから間違いはあるまい」 「ヘエ――」  銅六は気味が悪そうに金壺眼《かなつぼまなこ》を光らせました。 「日頃周助が大金を持っていることを知っていて、お前は昨夜という昨夜、周助の家へ借りに行ったはずだ、嫌だと言ったら手荒なことをするつもりで――」 「親分、そいつは」 「黙って聞かないか」 「ヘエ――」 「麻裏《あさうら》を突っかけて行って、お勝手から這《は》い上がり、出刃庖丁を捜したが見えなかった。仕方がないから、拳骨《げんこつ》で脅かすつもりで障子を開けると、周助は一と足先に斬られて血の海の中に死んでいた。驚いて元の裏口から帰るとき、お前は履いて行った麻裏と、雪駄《せった》と間違えて来たはずだ、――その雪駄はこれだ」  平次は銅六が上がり框《かまち》の下へ突っ込んでおいた白鼻緒の雪駄を引出して見せたのです。 「えッ」 「間違った雪駄がお前の家になきゃ、この平次もお前を周助殺しの下手人と思い込むに違いない。何が仕合せになるか解らないな、銅六」 「親分」 「弁解《いいわけ》したって無駄だよ、――雪駄を湯屋で間違えたなんて誤魔化《ごまか》しても通用しないよ。裏革が裏口の水溜りへ踏込んだと見えて、ひどく濡れているし、周助の家のお勝手の土間にある、何か古道具の詰物に使ったオガ屑が付いている」 「…………」 「本当の曲者《くせもの》はお前が入って来たのに驚いて、一たん表口へ逃げ出したが、間もなくお前が帰ったので、裏口へ廻った。その時はもう雪駄はなかったので、仕方なしに、お前の麻裏を履いて帰った――どうだ、銅六」  平次の論告には一分の隙もありません。 「恐れ入った親分、それに寸分の違いはねえ」  銅六は額の冷汗を拭いました。 「それから景気付けに一杯呑むつもりで、表の酒屋へ行ったが開けてくれなかった、仕方がないから家へ戻った、――訴えて出ようと思ったが、傷もつ足でそれも出来なかった。とうとう一と晩マジマジと明かしてしまって、翌《あく》る朝見付けたような顔をして騒ぎ出したろう」 「その通りですよ、親分」 「ところで一つだけ訊きたい、――魚屋の伝吉が昨夜帰ったのは、何刻だか知ってるだろう」 「そいつがよく解らねえよ、親分、灯はあっし[#「あっし」に傍点]が帰って来た時は点いていたが、人間が居るような様子はなかった」 「よしよし、それじゃ、この雪駄は借りて行くよ。――しばらく足止めだ、下手人が挙がるまで外へ出ちゃならねえよ」 「ヘエ――、それは構いませんが、ね、親分、何日ぐらいかかるでしょう」 「相手は容易ならぬ曲者だ、明日挙げられるか、明後日《あさって》挙げられるか、それとも十日、一と月かかるか」 「冗談じゃありませんよ、親分、米櫃《こめびつ》は空っぽですよ、下手人が七日も挙がらなかった日にゃ、あっしは干乾《ひぼ》しだ」 「心配するな、その時は米代ぐらいは立て引いてやる、銅六の干物なんざお上だって有難くないよ」 「ヘエ――」  心細そうにする銅六を見捨てて、平次の足は一軒置いて隣の魚屋伝吉の家へ向っておりました。 [#5字下げ]七[#「七」は中見出し] 「これは、親分」  これも足止めを喰らっている伝吉、少し迷惑そうな顔を平次の前に出します。 「とんだ気の毒な隣付き合いだが、掛り合いだ、何事も隠さずに話してくれ」 「ヘエ」  そう言う伝吉は、腥い身扮《みなり》にも拘わらず、本当に良い男でした。少し焦《や》けた真珠色の皮膚の色も、糸を引いた三白眼も、絵に描いた若衆に袢纏を着せたようで、界隈《かいわい》の娘達に騒がれるのも無理のないことです。 「隣の周助とは、大層懇意だったそうだな」 「ヘエ――、親身も及ばぬ深切にしてくれやした」 「お澪との仲を取持ったのも周助かい」 「取持ったというわけじゃありませんが、何としてもウンと言ってくれないお玉ヶ池の父さん(石沢閑斎)を納得させて、きっと二人を一緒にしてやる、閑斎が何と言おうと、俺には俺の考えがあるから――とそんな事も言ってくれました」 「何か、閑斎の急所を掴んでるわけだね」 「いえ、そんな事もないでしょうが――」  伝吉は少しヘドモドしました。自分達には辛《つら》くとも、お澪の父親の事を、悪く思って貰いたくない様子です。 「ところで、昨夜お前が帰ったのは、何刻だえ」 「亥刻《よつ》半過ぎでした」 「前から灯は点いていたというが、それはどういうわけだ」 「それがあっし[#「あっし」に傍点]にも判りません」 「お前が帰って来た時、灯が点いていたというのか」 「ヘエ――」  伝吉は首を捻《ひね》るばかりです。 「それじゃもう一つ訊くが、この雪駄は誰のだい」  平次は最後の切札を出しました。銅六の家から持って来た南部表《なんぶおもて》革鼻緒の雪駄が一足。 「それは」  伝吉の顔色がサッと変りました。 「この雪駄が昨夜周助の家の裏口にあったんだ、――本当の事を言わなきゃ取返しがつかないよ」  平次の刺した釘《くぎ》が、想像以上に利いた様子です。 「あっしのですよ、親分」  伝吉の応えは予想外です。 「何?」 「二三日前に、お隣の裏口へ忘れて来た雪駄ですよ」  伝吉はゴクリと固唾《かたず》を呑みました。 「自分の履いて行った雪駄を忘れて来たというのか」 「ヘエ――」 「魚屋がなめし[#「なめし」に傍点]革の鼻緒の雪駄を履いて歩くのか」 「…………」 「こいつは武家の履くものだよ、伝吉」 「そんなのが履いてみたかったんです、親分」  伝吉は泣出しそうでした。 「この雪駄がお前のだとすると、気の毒だがお前をここで縛らなきゃならない、それも承知か」  平次は立ち上がって、懐の十手を取出しました。が、その時、 「親分」  飛込んで来たのは閑斎の娘のお澪でした。 「あ、お澪さん」 「お前、そんな事を言って縛られて行く気かえ」  いきなり伝吉に取縋《とりすが》った娘――お澪の純情な姿を、平次の十手も引分け兼ねました。幇間《たいこ》医者の石沢閑斎に、どうしてこんな娘が生れたことでしょう。海坊主が弁天様を生んだような造化の気紛れを平次はまざまざと見せられるような気がしたのです。 「お澪さん、こいつはわけのあることだ、こんな所にいて掛り合いになると悪い、早く帰っておくれ」  伝吉はそう言いながら、証拠の雪駄をお澪の眼から隠そうとするのです。 「お澪さん、――お前この雪駄を知っているだろうな、――」  平次は伝吉の後ろから雪駄を取出して、お澪の眼の前に突きつけます。 「えッ」 「伝吉は自分のだって言うが」 「伝吉さんのじゃありません、伝吉さんはそんな雪駄なんか履くものですか」  お澪が躍起となって、伝吉を庇《かば》うように平次の前に袖を振りました。 「それじゃ誰のだ」 「知りません」 「本当に知らないのか」 「…………」 「お前の顔には、知ってると書いているが――」  明けっ放しな娘の顔から、ある種の表情の動きは見ましたが、それ以上は平次も手繰れそうもありません。 「ともかく伝吉は大事な掛り合いだ、どこへも行っちゃならねえよ」 「…………」  何やらうなずき合う若い二人を後に、平次は引きあげました。ガラッ八の報告を聞いてから第二段の活動に移ろうというのでしょう。 [#5字下げ]八[#「八」は中見出し] 「親分、判ったぜ」 「八か、――何が判ったんだ」 「自慢じゃねえが、みんな判ったつもりさ」  八五郎が帰って来たのは、その日も暮れてからでした。 「大きな事を言うぜ、どこへ行って何を聞き出したんだ」 「周助が切支丹の南蛮仏を持っているというし、石沢閑斎と昵懇で、九州から江戸へ来た者だというから、宗門御改めの書役に願って、二人の身許を書き留めたものはないか訊いてみたんだ」 「そいつは上出来だ、で、どんな事が判ったんだ」  平次もガラッ八の気の廻るのに感心しました。 「周助は宗門御改めの台帳に載っている転び切支丹(改宗者)でしたよ」 「フーム」 「正直屑屋で通っているし、別に切支丹を弘《ひろ》めるわけでもないから近頃は放ってあるが、昔はなかなかうるさい男で、江戸へ出る時は何千両の金を持って来たが、宗旨の事で大方は費《つか》い果し、何べん磔刑柱《はりつけばしら》を背負《しょ》いかけたか解らない」 「フーム」 「綺麗な女房と小さい娘があったはずだが、女房は十七年前に死んでいる、娘はどうなったか解らない」 「それから」 「周助は佐賀の者だっていうから、念のために鍋島様のお留守居へ行って訊いた、すると親分の前だが、石沢閑斎の身許まで一ぺんに解った。――周助は城下の大町人だが、石沢閑斎はあれでも武家だ、鍋島様の家中で五十石取の石沢勘十郎というのがあの海坊主野郎の本名だ。不都合なことがあって永の暇《いとま》になり、十八年前江戸へ出て、少しばかり心得があるのを幸い医者になった」 「閑斎の石沢勘十郎は女房子があったのか」 「それがないから不思議で」 「待て待て、すると可怪《おか》しなことになるよ」 「…………」 「十七年前女房と娘のあった周助は独り者で、女房も子供もなかった閑斎が、今では十八になる娘がある、――そのうえ閑斎は海坊主のような男だが、お澪は弁天様のように綺麗だ、――周助は屑屋こそしていたが、なかなか良い親爺《おやじ》振りだった」 「…………」 「二人は鍋島様の御家中と城下の商人だが、同じ頃国許を退転し、十七年の後まで昵懇に付き合っている」 「八、こいつは面白くなって来たぜ」 「?」 「周助と閑斎は同国で昵懇で、同じ頃国許を退転したんだろう」 「閑斎は海坊主のような野郎だが、お澪は弁天様のように綺麗だ」  とガラッ八。 「口真似をするな、――転び切支丹と言っても、周助は腹の底から転んだわけじゃない、十七年後の今でも、南蛮仏の子育て観音を拝んでいる男だ、――いつどんなことで縛られて、磔刑柱を背負わされるかも解らない、母親に死に別れて、漸《ようや》く乳を離れた、たった二つの娘までそんな目に逢わせたくはない」 「尤《もっと》もだ」 「馬鹿野郎、人の話を囃《はや》す奴があるか」 「ヘエ――」 「どうだ八、お澪は周助の娘[#「周助の娘」に傍点]とみたが、――この鑑定《めきき》は当るか」 「大当りだよ、親分」 「町人出の周助、屑屋をしても百両の小判を持っている男だ、その頃はまだまだ何千両の大金を持っていたんだろう、娘の行末を案じて、一生|親娘《おやこ》の名乗をしない約束か何かで、金をつけて閑斎にやったに違いあるまい」 「その通りだよ、親分、自分の本当の娘でないから、閑斎の海坊主|奴《め》、お澪を大旗本の何とかの守《かみ》の妾《めかけ》に差出すことを承知したんだ」  ガラッ八は大変なことを言い出しました。 「そいつは本当か」  屹《きっ》となる平次。 「お玉ヶ池の桂庵が万事取持って、支度金が三百両、越後屋へ夏冬の物まで誂《あつら》えたそうですぜ」 「本当の親の周助は、隣に住んでいる魚屋の伝吉の男前と気風《きっぷ》に惚れて、お澪を伝吉にやる気になっている。腹の底からの切支丹の周助が、娘を旗本へ妾奉公に出すのを承知するはずはない、切支丹じゃそんな事がやかましいそうだ」 「切支丹でなくたって、阿呆陀羅経だって畜生承知をするもんか、あれ程の娘を旗本なんかへ妾奉公させたら俺が勘弁しねえ」  ガラッ八はいきみ出しました。 「周助と閑斎とが揉み抜いたことだろう。閑斎から言えば、十七年も手塩にかけて育てた娘を、担ぎ魚屋にやる気はない、周助は旗本へ妾奉公に出す気はない、――閑斎の海坊主奴、それが嫌なら周助に三百両とか五百両の金を出せとでも言ったんだろう」  と平次。 「太《ふて》え野郎だ」 「怒るな八、これは俺の拵《こさ》えた筋書だ。ところで周助の方は、どうしてもお澪に妾奉公をさせる気なら、十七年前の事を娘に打ち明け、『お澪は閑斎の子ではなくて、真実俺の子に相違ない』と言うつもりだったかも知れない」 「ありそうな事だ、親分」 「そんな事を言われちゃ閑斎はたまらない、そうでなくてさえ、伝吉との間を割かれて、妾奉公をさせられる事になってから、お澪は父親を怨み抜いている」  平次の想像は一つの無理もなく、次第次第に大きな現実の姿に築き上げられて行くのでした。 [#5字下げ]九[#「九」は中見出し] 「ところで、松永町の隠居はどうした」  平次は不意に他の事を訊きました。 「大した病気じゃありませんよ、長い間の喘息《ぜんそく》なんだそうで」 「真夏に喘息が悪くなったのか」 「悪くなったわけじゃないが、呼びもしないのに閑斎が来て、戌刻《いつつ》過ぎまで無駄話をしていたそうですよ」 「松永町の伊勢屋から、佐久間町一丁目裏の三軒長屋は近いな、八」 「背中合せだぜ、親分」 「それだッ、無人の家を空けて、薬箱持ちの男もいない夜中、わざわざ呼びもしない病人のところへ行ったのは、深い企みがあったからだ」 「あっし[#「あっし」に傍点]もそれを言いたかったんだ、親分」 「三軒長屋の裏から廻って、伝吉の家のお勝手から入りゃ、金棒曳《かなぼうひ》きの駄菓子屋の女房も気が付くわけはねえ、灯が点いたのを見て伝吉が帰ったものと思い込んでいる」 「すると、親分」 「その晩伝吉が友達の祝言で遅くなることを、閑斎はお澪の口からでも聞いたんだろう。周助を殺して、その疑いを伝吉へ持って行きゃ、思う壺だ」 「海坊主奴、太《ふて》えことをしやがる」 「わざわざ血だらけな手を伝吉の家の流し元で洗っているが、商売が魚屋だから折角の企みも無駄だった。伝吉の家から出刃庖丁を持出したのまで、かえって伝吉の無実の証拠になった。三輪の兄哥《あにき》は銅六ばかり狙った」 「親分」 「八、来い、お玉ヶ池だ」 「合点」  二人は石沢閑斎の家へ飛んで行きました。 「おや? 誰も居そうもないぜ」 「裏へ廻ってみよう」  空き家のような大きな家の裏へ廻ると、お勝手で山出しの下女が一人、クラリクラリといい心持そうに行灯を拝んでおります。 「あ、お前様は誰だい」 「シッ、静かにしろ、これが見えぬか」  平次は一番効果的な十手を見せて、この女の放図《ほうず》もない声を封じました。 「シエー」 「主人は居るか」 「先生は奥に居るだよ」 「よしよし、いい娘《こ》だ、静かに、俺の訊くことに返事をしろ」 「シエー」 「昨夜、主人の帰ったのは何刻だった」 「知りましねえよ、戌刻《いつつ》半から子刻《ここのつ》の間だんべえ」 「それじゃ何の役にも立たない、――そこで、この雪駄を知ってるだろうな」  平次は銅六の家から持って来た革鼻緒南部表の雪駄を見せました。 「先生の大事にしてる雪駄だよ」 「本当か」 「間違いはないだ、二|分《ぶ》もした雪駄だって自慢をしていただ」 「ところで今朝、見馴れない麻裏草履があったはずだが――」 「庭の方に変な焼印を捺《お》した麻裏があっただよ。見付けて持って来ると、先生がいかく怒って、そんなものを置いちゃならねえって神田川へ持って行って捨てただ」  下女の話は一つ一つ証拠の裏付けをして行きます。 「八、これで沢山だろう、来いッ」  平次は八五郎を促して奥へ踏込みました。 「御用ッ」 「閑斎御用だぞッ」  がしかし、主人石沢閑斎が居るはずの奥の一と間は空っぽ。 「親分」 「八、風を喰らったか」  二人はしばらく顔を見合せるばかりでした。 「これは何だ」  平次が取上げたのは、机の上に、封を切ったまま載せた手紙が一通。 「女の筆蹟《て》じゃありませんか、親分」 「あッ、――こいつはお澪の遺書《かきおき》だ、伝吉と一緒に死ぬつもりだぜ、八」  くりひろげると、哀れ深く綴った文句は、――父親の非道を責めながらも、添い遂げ兼ねる伝吉と一緒に死んで行くことが、先立つ不孝の罪――といった極《きま》り文句で書いてあるのです。 「父親が周助を殺したことも、大方察していたんだね、――雪駄の事を問い詰められて、自分のだと言った時、伝吉はもう閑斎の罪を覚《さと》ったんだろう」 「助ける工夫はないでしょうか、親分」 「それだよ、閑斎が周助を殺した事は気が付いても、周助がお澪の本当の父親だとは知るまい。早くそれを教えてやったら、考えが変ったかも知れない」 「親分」  ガラッ八はしきりに気をもみますが、平次もどうする事も出来ません。 「この手紙が来たのはいつだい」  平次は下女に訊きました。 「つい先刻《さっき》だよ、お前様が来る少し前だ」 「誰が持って来たんだ」 「お嬢様が自分で持って来て、ソッとお勝手へ置いて行っただ」 「閑斎はそれを読んで、あわてて飛んで出たんだろう」 「そうだよ」 「行ってみましょう、親分」  ガラッ八はもうスタートを切りそうにしています。 「どこへ行くんだ」 「サア、そいつは解らねえ」 「遺書《かきおき》には死に場所が書いてないぜ」 「見当はつきませんか、親分」 「江戸っ子が心中をするんだ、二人並んでブラ下がるような色気のない事はしないだろう」 「並んでヘドを吐くのもいい図じゃないぜ」 「近いところは浜町河岸か両国だ。行ってみようか、八」 「合点」  二人は呆気《あっけ》に取られている下女を残して、月夜の街を浜町河岸に飛びました。 「居ないね、親分」 「人目に立つように身を投げる奴はないよ」 「でも、伝吉は魚屋でしょう、ちっとは水心がありゃしませんか」 「魚屋は魚じゃないよ」 「そう言えばそれに違《ちげ》えねえが」  二人は無駄を言いながら両国の橋の袂《たもと》へ来ました。 [#5字下げ]一〇[#「一〇」は中見出し]  夜になると、その頃の橋の上の淋しさは、今考えたようなものではありません。 「親分、あれは?」 「シッ」  朧銀《おぼろぎん》のような橋の上の月夜、その上をトボトボと歩いて行く男女二人、中ほどに差しかかると、欄干《らんかん》に凭《もた》れるように、しばらく何やら話している様子です。  その後ろから、二人の後を慕うように、もう一人の人影。 「八、お前はあの心中を止めろ、俺は他に用事がある」 「…………」  二人が囁《ささや》く間もありません。橋の上には凄《すさ》まじい旋風のような騒動が起りました。  欄干を越えて飛込もうとする二人、それを止める人影、一団になって揉み合うその三人の上へ、平次とガラッ八がのしかかって行ったのです。  一瞬の後、平次は怪人を縛り上げました。それが石沢閑斎であることは言うまでもありません。ガラッ八の手はむずとお澪を押えるのを、 「何をしやがるんだ」  事情を知らぬ伝吉は猛然として突っかかって行きます。 「どっこい待った、これにはわけがある」  平次は声を絞りました。 「何を」  果し眼になって勢《きお》う伝吉。 「お澪の本当の父親は、殺された周助だ。閑斎は養い親だが、生みの親じゃない」 「…………」  平次の言葉が、いろいろの事を考えさせました。周助の法外な同情も、閑斎の慾《よく》に眼のない冷酷な態度も、この言葉一つで解けてしまったのです。 「解ったか、――お澪さんには養い親だが、閑斎は悪い野郎だ、今までも周助からどれだけ絞っていたかわからない。周助は転び切支丹だが、佐賀の大町人で、江戸へ来る時、何千両もの金を持って来たはずだ。それを、娘可愛さに、閑斎に絞り取られた。万一切支丹と知れて、娘まで処刑《おしおき》になっては可哀想だと思い込んでいたのだ、――閑斎はそれをつけ目に十七年の長い間周助を脅かし続けた、が、もう強請《ゆす》ろうにも絞り尽してしまって、周助には金が無くなってしまった。そこで閑斎はお澪を大旗本へ妾奉公に出そうとした。切支丹の周助はそれを承知するはずはない、――父娘《おやこ》揃って処刑《おしおき》にもなる覚悟で、妾奉公にやるなら、娘に本当の事を打明け、親娘名乗をして引取ると言い出した」 「…………」  平次の論告は半分想像の上に築き上げられたものですが、抜き差しならない条理が、整然として組み上げられて行くのです。 「閑斎は本当の悪人だ。お澪を餌《えさ》にしてこの上の大金儲けをするには、周助と伝吉が邪魔でしようがない、いろいろ考えた末、伝吉の家に忍び込んで灯までつけた上、周助を殺して疑いを伝吉に振り向けるように精一杯の証拠を残すつもりだったが、銅六に驚かされて雪駄を置いて逃げ出し、伝吉の家のお勝手へ戻って、流し元で血の付いた手を洗って引揚げた。こんな悪智恵の廻る野郎はない」 「…………」 「この悪党に義理を立てて死ぬことがあるものか、本当の親の周助を殺した敵《かたき》だ、そのうえ放っておいたら、お澪は骨までしゃぶられる」 「違う、そいつは大違いだ、――俺は、俺は周助を殺した、が、お澪が可愛いから殺したんだ。お澪を俺の手から奪《と》られたくなかったんだ、――お澪に栄華をさせたかったんだ」  石沢閑斎は縛られた身をもがきながら、必死と叫ぶのです。蒼白い夏の月が、真上から照して、しばらく往来《ゆきき》の絶えた両国橋の上は、灰を撒《ま》いたようにほの白く見えます。 「妾奉公をさせるのがお澪のためだというのか」  平次は突っぱねました。 「担ぎ魚屋の伝吉の女房になるより、七千八百石の旗本の寵者《おもいもの》になった方が――」 「馬鹿ッ」  ガラッ八は縄尻をとって二つ三つ小突きました。腹が立って立ってたまらない様子です。 「伝吉とお澪は佐久間町の三軒長屋へ帰るがよい。お玉ヶ池の閑斎の家は、いずれお上で没収するだろう、――周助の残した金が百両、町役人に預けてある。あれは誰が何と言ってもお澪のものだ、二人はそれで表通りへ店でも持つがいい、――祝言には俺と八五郎も呼んでくれ、――何? 仲人《なこうど》を頼みたいと言うのか、あ、いいとも」  平次はそう言いながら、閑斎を引立てて神田の方に向いました。  その後ろ姿を見送る伝吉とお澪、月の光の中にしょんぼりと立って、手を合せて拝んでおります。養い親の「死の旅」を弔うのか、銭形平次へのお礼心か、それは判りません。 底本:「銭形平次捕物控(十)金色の処女」嶋中文庫、嶋中書店    2005(平成17)年2月20日第1刷発行 底本の親本:「銭形平次捕物百話 第九巻」中央公論社 発行   1939(昭和14)年8月5日 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:結城宏 2017年9月24日作成 2019年11月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。