雨夜の怪談 岡本綺堂 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)殊《こと》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)大久保|何某《なにがし》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)颺 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ぶら/\ -------------------------------------------------------  秋……殊《こと》に雨などが漕々《そうそう》降ると、人は兎角《とかく》に陰気になつて、動《やや》もすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人《しちへんじん》は百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人《わごうじん》の土場六先生はヅーフラ([#割り注]註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。[#割り注終わり])を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠《よ》れば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会合があると云ふ。で、私も流行を趁《お》うて、自分が見聞の怪談二三を紹介する。但《ただ》し何《いず》れも実録であるから、芝居や講釈の様に物凄いのは無い。それは前以てお断り申して置く。 [#6字下げ]一[#「一」は中見出し]  明治六七年の頃、私《わたし》の家《うち》は高輪《たかなわ》から飯田町《いいだまち》に移つた。飯田町の家は大久保|何某《なにがし》といふ旗本《はたもと》の古屋敷で随分広い。移つてから二月《ふたつき》ほど経つた或夜の事、私の母が夜半《よなか》に起きて便所に行く。途中は長い廊下、真闇《まっくら》の中《なか》で何やら摺違《すれちが》つたやうな物の気息《けはい》がする、之《これ》と同時に何とは無しに後《あと》へ引戻されるやうな心地がした。けれども、別に意にも介《と》めず、用を済《すま》して寝床へ帰つた。  こゝに住むこと約半年、更《さら》に同町内の他へ移転した。すると、出入《でいり》の酒商《さかや》が来て、旧宅にゐる間に何か変つた事は無かつたかと問ふ。いや、何事も無かつたと答へると、実は彼《あ》の家《うち》は昔から有名《なだい》の化物屋敷、あなた方が住んでお在《いで》の時に、そんな事を申上げては却《かえ》つて悪いと、今日《こんにち》まで差控《さしひか》えて居《お》りましたと云ふ。併《しか》し此方《こっち》では何等の不思議を見た事無し、強《しい》て心当りを探り出せば、前に記《しる》した一件のみ。これでも怪談の部であらうか。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し]  安政《あんせい》の末年《まつねん》、一人の若武士《わかざむらい》が品川から高輪《たかなわ》の海端《うみばた》を通る。夜は四《よ》つ過ぎ、他《ほか》に人通りは無い。芝《しば》の田町《たまち》の方から人魂《ひとだま》のやうな火が宙《ちゅう》を迷《まよ》うて来る。それが漸次《しだい》に近《ちかづ》くと、女の背に負《おぶ》はれた三歳《みっつ》ばかりの小供が、竹の柄《え》を付けた白張《しらはり》のぶら[#「ぶら」に傍点]提灯《ぢょうちん》を持つてゐるのだ。唯《ただ》是《これ》だけの事ならば別に仔細《しさい》無《な》し、こゝに不思議なるは其《そ》の女の顔で、眼も鼻も無い所謂《いわゆる》のツぺらぼう[#「のツぺらぼう」に傍点]。武士《さむらい》も驚いて、思はず刀に手を掛けたが、待て暫《しば》し、広い世の中には病気又は怪我《けが》の為に不思議な顔を有《も》つ女が無いとも限らぬ、迂闊《うかつ》に手を下《くだ》すのも短慮だと、少時《しばし》づツ[#「づツ」に傍点]と見てゐる中《うち》に、女は消ゆるが如《ごと》くに行き過ぎて遠く残るは提灯《ちょうちん》の影ばかり。是《これ》果《はた》して人か怪《かい》か竟《つい》に分らぬ。其《そ》の武士《さむらい》と云ふのは私の父である。  忠盛《ただもり》は油坊主《あぶらぼうず》を捕へた。私も引捕へて詮議すれば可《よ》かつたものを……と、老後の悔《くや》み話。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し]  慶応《けいおう》の初年《しょねん》、私の叔父《おじ》は富津《ふっつ》の台場《だいば》を固めてゐた、で、或日《あるひ》の事。同僚吉田|何某《なにがし》と共に近所へ酒を飲みに行つた帰途《かえりみち》、冬の日も暮れかゝる田甫路《たんぼみち》をぶら[#「ぶら」に傍点]/\来ると、吉田は何故《なぜ》か知らず、動《やや》もすれば田《た》の方へ踉蹌《よろ》けて行く。勿論幾分か酔つてはゐるが、足下《あしもと》の危い程でも無いに兎角《とかく》に左の方へと行きたがる。おい、田へ落ちるぞ、確乎《しっかり》しろと、叔父は幾《いく》たびか注意しても、本人は夢の様、無意識に田の中《なか》へ行かうとする。  其中《そのうち》に、叔父が不図《ふと》見ると、田を隔《へだ》てたる左手《ゆんで》の丘に一匹の狐がゐて、宛《さなが》ら招《まね》くが如くに手を挙《あ》げてゐる。こん畜生! 武士《さむらい》を化《ばか》さうなどゝは怪《け》しからぬと、叔父も酒の勢ひ、腰なる刀をひらり[#「ひらり」に傍点]と抜く。これを見て狐は逃げた。吉田は眼を摩《こす》りながら「あゝ、睡《ねむ》かつた……。」それから後《のち》は何事も無い。  動物電気に依《よっ》て一種のヒプノヂズム式作用を起すものと見える。狐が人を化すと云ふのも嘘では無いらしい。 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し]  鼬《いたち》の立つのは珍しくはないが私は猫の立つて歩くのを見た。  時は明治三十一年の八月十二日、夜の一時頃であらう。私は寝苦しいので蚊帳《かや》を出た。庭を一巡して扨《さて》それから表へ出やうと、何心なく門を明けると、門から往来へ出る路次《ろじ》の真中《まんなか》に何物か立つてゐる。月は明るい。其《その》うしろ姿は正《まさ》しく猫、加之《しか》も表通りの焼芋商《やきいもや》に飼つてある雉子猫《きじねこ》だ。彼奴《きゃつ》、どうするかと息を潜《ひそ》めて窺《うかが》つてゐると、彼《かれ》は長き尾を地に曳《ひ》き二本の後脚《あとあし》を以《もっ》て矗然《すっく》と立つたまゝ、宛《さなが》ら人のやうに歩んで行く、足下《あしもと》は中々《なかなか》確《たしか》だ。  はて、不思議と見てゐる中《うち》に、彼は既《すで》に二|間《けん》ばかりも歩き出した。私は一種の好奇心に駆られて、背後《うしろ》から其後《そのあと》を尾《つ》けやうと、跫音《あしおと》を偸《ぬす》んで一歩|蹈《ふ》み出すや否や、彼は忽《たちま》ち顧《みかえ》つた。と思ふと、平常《へいぜい》の四脚《よつあし》に復《かえ》つて飛鳥《ひちょう》の如《ごと》くに往来へ逃げ去つた。私も続いて逐《お》うたが、もう影も見せぬ。  翌日、焼芋屋の店を窺《うかが》ふと彼は例の如く竈前《かままえ》に遊んでゐる。併《しか》し昨夜の事を迂闊《うっかり》饒舌《しゃべ》つて、家内の者を閙《さわが》すのも悪いと思つたから、私は何にも言はなかつた。が、其後も絶えず彼の挙動に注目してゐると、翌月の末頃から彼は姿を現はさぬ。同家に就《つい》て訊けば、猫は二三日前から行方不明となつたと云ふ。  動物学上から云へば、猫の立つて歩くのも或《あるい》は当然の事かも知れぬ。併《しか》し我々俗人は之《これ》をも不思議の一つに数《かぞ》へるのが慣例《ならい》だ。 [#6字下げ]五[#「五」は中見出し]  明治|廿三《にじゅうさん》年の二月、父と共に信州軽井沢に宿《やど》る。昨日から降積《ふりつ》む雪で外へは出られぬ。日の暮れる頃に猟夫《かりうど》が来て、鹿の肉を買つて呉《く》れと云ふ。退屈の折柄《おりから》、彼を炉辺《ろへん》に呼び入れて、種々《いろいろ》の話をする。  木曾路の山へ分け入ると、折々に不思議を見る。猟夫仲間では之《これ》をえてもの[#「えてもの」に傍点]と云ふ。現に此《こ》の猟夫も七八年|前《ぜん》二三人の同業者と連れ立つて、木曾の山奥へ猟《りょう》に行つた。斯《かか》る深山へ登る時には、四五|日《にち》分《ぶん》の米の他に鍋《なべ》釜《かま》をも携《たずさ》へて行くのが慣例《ならい》。  登山してから三日目の夕刻、一同は唯《と》ある大樹《たいじゅ》の下に屯《たむろ》して夕飯《ゆうめし》を焚《た》く。で、もう好《よ》い頃と一人が釜の蓋《ふた》を明けると、濛々《もうもう》と颺《あが》る湯気《ゆげ》の白き中《なか》から、真蒼《まっさお》な人間の首がぬツ[#「ぬツ」に傍点]と出た。あツ[#「あツ」に傍点]と驚いて再び蓋をすると、其中《そのなか》で物馴《ものな》れた一人が「えてもの[#「えてもの」に傍点]だ、鉄砲を撃て。」と云ふ。一同|直《すぐ》に鉄砲を把《と》つて、何処《どこ》を的《あて》とも無《な》しに二三|発《ぱつ》。それから更《さら》に釜の蓋を明けると今度は何の不思議もない。  えてもの[#「えてもの」に傍点]の正体は何《なん》だか知らぬが、処々《おりおり》に斯《こ》ういふ悪戯《いたずら》をすると、猟夫の話。 [#6字下げ]六[#「六」は中見出し]  日露戦争の際、私は東京日々《とうきょうにちにち》新聞社から通信員として戦地へ派遣された。三十七年の九月、遼陽《りょうよう》より北一|里《り》半《はん》の大紙房《だいしぼう》といふ村に宿《とま》つて、滞留約|半月《はんつき》。其間《そのあいだ》に村人の話を聞くと、大紙房と小紙房との村境《むらざかい》に一間の空家《あきや》があつて十数年来|誰《たれ》も住まぬ。それは『鬼《き》』が祟《たたり》を作《な》す為だと云ふ。  支那の怪物《ばけもの》………私は例の好奇心に促されて、一夜を彼《か》の空屋に送るべく決心した。で、更《さら》に委《くわ》しく其《そ》の『鬼《き》』の有様を質《ただ》すと、曰《いわ》く、半夜に凄風《せいふう》颯《さっ》として至る。大鬼《だいき》は衣冠《いかん》にして騎馬、小鬼《しょうき》数十|何《いず》れも剣戟《けんげき》を携《たずさ》へて従ふ。屋《おく》に進んで大鬼|先《ま》づ瞋《いか》つて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、光熖《こうえん》屋《おく》を照《てら》すと。  何の事だ。宛《まる》で子不語《しふご》が今古奇観《こんこきかん》にでも有《あ》りさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、探険の勇気も頓《とみ》に失《う》せた。 [#6字下げ]七[#「七」は中見出し]  これは最近の話。今年の五月、菊五郎一座が水戸《みと》へ乗込んだ時《とき》。一座の鼻升《びしょう》、菊太郎、市勝《いちかつ》等《ら》五名は下市《しもいち》の某旅店《ぼうりょてん》(名は憚《はばか》つて記《しる》さぬ)に泊つて、下座敷《したざしき》の六畳の間《ま》に陣取る。で、第一日の夜、市勝が俯向《うつむ》いて手紙を書いてゐると、鼻の頭《さき》の障子《しょうじ》が自然にすう[#「すう」に傍点]と明いた。之《これ》を序開《じょびら》きとして種々《いろいろ》の不思議がある。段々《だんだん》詮議すると、これは此家《このや》に年古く住む鼬《いたち》の仕業《しわざ》だと云ふ。  併《しか》し人間に対して害は加へぬと分つたので、一同も先《ま》づ安心。其後《そのご》は芝居から帰ると、毎夜|彼《か》の鼬を対手《あいて》にして遊ぶ。就中《なかんずく》面白いのは、例の狐狗狸式《こくりしき》に物を当てさせる事で、例へば此室《このへや》に女が居《い》るかと問ひ、居ない時には彼《かれ》が廊下をとん[#「とん」に傍点]と一つ打つ。居る時にはとん[#「とん」に傍点]/\と二つ打つと云ふ類《たぐい》だ。  或時《あるとき》、此室《このへや》に手拭《てぬぐい》が幾筋《いくすじ》掛けてあるかと問へば、彼は廊下を四つ打つた。けれども、手拭は三筋より無い。更《さら》に聞直しても矢はり四つだと答へる。で、念の為に手拭を検《あらた》めると、三筋と思つたのは此方《こっち》の過失《あやまり》で、一つの釘《くぎ》に二筋の手拭が重ねて掛けて有《あ》つて、都合《つごう》四筋といふのが成《なる》ほど本当だ。是《これ》には何《いず》れも敬服したと云ふ。が、彼《かれ》は果《はた》して鼬《いたち》か狸《たぬき》か、或《あるい》は人の悪戯《いたずら》かと種々《いろいろ》に穿索《せんさく》したが、遂《つい》に其正体を見出し得なかつた。宿《やど》の者は飽《あく》までも鼬と信じてゐるらしいとの事。 底本:「近代異妖篇 ――岡本綺堂読物集三」中公文庫、中央公論新社    2013(平成25)年4月25日初版発行 底本の親本:「木太刀」    1909(明治42)年10月号 初出:「木太刀」    1909(明治42)年10月号 ※「……」と「………」の混在は、底本通りです。 ※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。 ※表題は底本では、「雨夜《あまよ》の怪談」となっています。 入力:江村秀之 校正:noriko saito 2019年10月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。