空気ポンプ 新美南吉 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鍛冶屋《かじや》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|羽《わ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  村にはみるものがいくらでもあった。鍛冶屋《かじや》、仕立屋、水車小屋、せんべや、樽屋《たるや》。それから自転車屋など。それらはなんというすばらしい見物《みもの》だったことだろう。それらの一つ一つが、半日立ちつくして見物《けんぶつ》していても、けっしてあかせないだけの魅力《みりょく》を持っていたのである。そしてまたなんどみてもそこで行なわれている細かい仕事はじゅうぶんわれわれを楽しませてくれたのである。  でだれでも子どもならば、鍛冶屋がどうして火をおこし、どうして鍬《くわ》をうつか、仕立屋がどんなふうにミシンをまわし、どんな工合《ぐあい》にエプロンのポケットをぬいつけるか、またせんべやのじいさんが、せんべをさしはさんだ、うちわようのものをどんな順序《じゅんじょ》で火の上でひっくりかえすか細かいところまでよく知っていた。おそらくそれらの職人《しょくにん》たち以上に。もし職人のかわりにその仕事をさせてもらえるなら、どんなに子どもたちは手ぎわよく、一つとしてまちがいを起こさないで仕事をやってのけたことだろう。  だがおとなたちはちっともそれを信じてくれない。子どもをまるではえかなんぞのように思っている。なかなか手つだわしてさえくれないのである。遊んでいる金槌《かなづち》をこっそりにぎったりすると、鍛冶屋《かじや》のおやじは油汗《あぶらあせ》で黒く光っている額《ひたい》にけわしいしわをつくっていうのだった。 「あぶねえ。子どもはあっちいいって遊ぶんだ!」  ときにはどうした風のふきまわしでか職人《しょくにん》が手つだわせてくれることがある。たとえばふいごをおさせたり、つながったせんべを細かくくだかせたり。そんなときの喜びはまたかくべつである。何しろおとなの仕事にたずさわっていることになるのだから。しかしこの喜びも、ちょっとしたおとなの気持ちの変化でたちまちおじゃんになってしまう。おとなはちっとも子どもの気持ちを理解《りかい》してくれないのである。  正九郎《しょうくろう》はつくづく思うのだった。――自転車のパンクなおしをはじめからしまいまでやってみたいなあと。自転車屋の戸口にしゃがんで、自転車のパンクしたところがつくろわれている工作をみていると、正九郎ののどはこくりと鳴るのだった。まるでうまいものを山ほどみせつけられたように。しかしそこの主人がどんなに気むずかしいおじさんであるか、正九郎はよく知っていた。彼《かれ》は頭がはげていた。首が太くて、あまった肉が大きいしわをつくっていた。眉毛《まゆげ》が針金《はりがね》のようにあらくて、いつもおこったような顔をしていた。そしてあまり口をきかなかったが、たまに口を開くと、かみつくように短いことばをうちつける。村の人たちは、あれで金《きん》さんはいい人だといっていた。が正九郎《しょうくろう》は獣《けもの》のようにおそれていた。一度戸口のしきいの溝《みぞ》にはまった小さい微塵玉《みじんだま》をほじっていて、頭上から彼《かれ》にどなられたとき、眼《め》の前に雷《かみなり》が落ちてきたように正九郎はおじけてしまったのである。こんなおじさんだからどんなにのぞんでいても、パンクなおしを手つだわしてくれとはいえないのだった。  だがものごとは万事うまくゆく。ある日ついに正九郎の宿願は達せられることになった。  正九郎はその日学校から帰ってくるとあらいたての白ズボンにとりかえさせられた。ごわごわして、あらいたての布《ぬの》だけが持っている快《こころよ》いにおいがぷーんとする。そればかりか、戸外に出ると六月のつよい陽光にまばゆいほど光るのである。近所の板塀《いたべい》やいけ垣《がき》には、麦わらが立てかけてほしてある。めんどりが鶏小舎《とりごや》でひくく鳴いている。村ははしからはしまで静かだ。そこで正九郎は何もすることがない。でもこんなとき、何か[#「何か」に傍点]がきっとやってくるものだ。正九郎はちゃんと知っている。  まったくである。それはこんなふうに正九郎の耳にささやきながらやってきた。 「おい正九ン、ええことがあるぞ。」  正九郎は加平《かへい》の顔をしげしげとみてききかえした。 「なんだい。」  加平《かへい》のいうところによると、自転車屋の金《きん》さんとおばさんは、今日《きょう》、金光教《こんこうきょう》の何かで朝からよそにいき、小僧《こぞう》のやあ公がひとりでるすばんをしているということだった。こいつはすばらしい!  正九郎《しょうくろう》と加平はふたりの泥棒《どろぼう》のようにひそひそと話した。すべての計画がさっさと運んでいった。まるでとんとんびょうしであった。なあに、やあ公をさそい出すくらいわけのないことはない。やあ公はくいしんぼうだ。そこで、いっぱいみのったびわの木が、加平ン家《ち》の畑のくろでやあ公を待っているといえばとんでいかぬわけがない。あいつほんとにくいしんぼうだから。だがあの金色によくみのったびわを腹《はら》いっぱいたべられると思うと正九郎はやあ公をちっとばかりうらやまずにはいられなかった。  ふたりはもう自転車屋に達しない前に、計画は実現《じつげん》されてしまったように感じていた。つまりふたりはもう、自転車のパンクをなおすやり方ばかりを考えていた。しかし戸口まできてみると、なかなか、これからがたいへんだということを感じさせられた。正九郎はなんだかいつものそこと様子《ようす》がちがうような気がした。ふたりは戸口に面してたったとき、道のまん中でしばらく躊躇《ちゅうちょ》した。  加平の方がすこしばかり勇敢《ゆうかん》だった。うさぎなんか平気でしめころすお父つあんの子だから、そう思いながら、正九郎は加平がどんどん店の中へはいっていくのをみおくっていた。何かたいへんなことがはじまったような気がした。正九郎はもうあらゆる欲望《よくぼう》をすてて、このまま帰ってもいいと思った。  だが按《あん》じたほどのことはなかった。はいっていった加平《かへい》は、そこにねそべって忍術本《にんじゅつぼん》を読んでいたやあ公と話し出したのである。みればやあ公はいつもの、あの心安いやあ公である。うたがいも何もいだいていない友だちのやあ公である。正九郎《しょうくろう》も安神《あんしん》してはいっていった。  やあ公は二つ返事で店をふたりにあずけた。何しろやあ公ときたらくいしんぼうなんだから。 「そいじゃたのむぜ。お客さんがあったらすぐよびにきてなあ。」  正九郎はうんとうなずいただけだが加平はこんなふうにつけくわえた。「火の見の横んとこで帽子《ぼうし》をふるから、それみたらこいよ。」 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し]  さて子どもがふたりで自転車屋をあずかるというのはうれしいような、だが変てこなものだ。いったい何をしていたらいいのだろう。ふたりはだまって店にならんだものをみまわしてみる。ピカピカ光る新しい自転車。天井《てんじょう》につるしてある古自転車の車体や車輪。棚《たな》にならんだ、美しい自転車油《じてんしゃあぶら》とゴムのりのかん。柱につるされたチェーンのたば。油と鉄さびでよごれた修繕台《しゅうぜんだい》、道具箱《どうぐばこ》等々。こんなものをみんなふたりがあずかったのだと思うと、胸《むね》がわくわくするのである。  ふたりはひっそりしていた。子どもを失った二|羽《わ》のはとのように。こんなこと、はじめなければよかった。でもいまさらやめてしまうわけにもいかない。なあに、パンクくらいなおせるのだ。  それからどれだけ時間がすぎたろう。ふたりはとうとう退屈《たいくつ》になってしまった。パンクってこんなに少ないものかしらとふたりは思った。パンクどころか、ただの自転車さえ通らないのである。そこでふたりは道具箱《どうぐばこ》から、日ごろ顔なじみの、だが手をにぎったのはこれが最初の、道具をつかみ出してはいじくった。加平《かへい》は道に出ていって、南をみたり北をみたりして「パンクのくる」のを待つのだった。  と、とうとう目的物はやってきた。それは洋服を着て皮のかばんを持ったどこかのおじさんであった。彼《かれ》はパンクした自転車を日おおいの下に立てておいて、汗《あせ》をふきながら店にはいってきた。 「おい、坊《ぼう》! 家のもんいないか。」  おじさんは、ふたりを自転車屋の子とまちがえたのである。こいつはふたりにとって好都合である。 「ンにゃ。ンでもおれたちだってなおせる。」と加平がいった。  なお都合のよいことに、おじさんはくたびれていたとみえ、ふたりに自転車をまかせたきり、上がりがまちにあおむけにねころんで眼《め》をとじてしまったのである。だれにもみていられない方が仕事はしいいしまたそれだけたのしめる。ひとりでたべる方がご馳走《ちそう》がうまいのと同じことである。  ふたりはわくわくして修繕《しゅうぜん》にとりかかった。まったく夢《ゆめ》のような気持ちだ。自転車をなおしたことのない人にはとてもわかるまい。タイヤを脱《はず》して、チューブに空気を入れて、赤《あか》ん坊《ぼう》の腕《うで》のように柔《やわ》らかくふくれたチューブを水にくぐらせて穴《あな》の場所をさがす。ぷくぷくぷくと小さい泡《あわ》の出るところがみつかる。これだ! よく切れる長いはさみで、つぎにあてるゴムをじょきじょきと切る。はじめはカードのように四角にきって、つぎに角をまるくする。それから人さし指をゴムのりのかんの中につっこんで、どろりとしたよいにおいのするやつをつぎのゴムとチューブの穴のある個所にぬらぬらとぬる。ああ、こんな快《こころよ》いことがまたとあるものではない!  はじめのうちふたりはあまりわくわくしていたので、四つの手がぶっつきあってしかたがなかったが、そのうち本物の自転車屋の子どものようにすらすらとうまくやっていくことができた。だがむろん、正九郎《しょうくろう》のあらい立ての白ズボンがみるみる汚《きたな》くなってゆくことはまぬがれなかった。よいことがあればすこしくらいはわるいこともがまんしなければならない。  だがこんなことになろうとは思っていなかった。修繕が終わって正九郎が空気ポンプでタイヤの中に空気を送っていたとき、急に空気の抵抗《ていこう》がなくなって、ポンプがきかなくなってしまったのだ。五六度おしたりひきあげたりしてみたが、水の中へ棒《ぼう》をさしこむようなものである。正九郎は加平《かへい》と顔をみあわせた。たいへんなことをしてしまったという気持ちがお互《たが》いの顔にあらわれていた。正九郎は眼《め》の前が暗くなってきた。そして耳の中に波がおしよせたように、ざあざあと鳴りだしたのである。  やれやれ! 何も知らないお客さんが、十|銭玉《せんだま》を加平《かへい》の手ににぎらせて、自転車にのっていってしまうと、ふたりはポンプの破損《はそん》という大きな壁《かべ》のような罪《つみ》に面と向かわねばならなかった。不幸というものはこんな工合《ぐあい》にやってくるものだということをふたりはいまさらのように感じた。 「おれ知らんじゃ」と加平がいった。  加平はやっぱり他人である。正九郎《しょうくろう》はなき出したくなってしまった。でもないたとてどうにもならないと彼《かれ》が考えたほど、その罪は大きなものに思えた。それは石のようにのしかかってきて彼の心をおさえつけた。騎馬戦《きばせん》の馬になっていて、大勢の下じきになったときみたいな苦しい圧迫感《あっぱくかん》がみぞおちのあたりに感ぜられた。  むろん加平がこのおそろしい過失《かしつ》をやあ公につげるものと正九郎は観念《かんねん》していた。ところが予想はまちがっていたのである。やあ公が腹《はら》いっぱいたべた証拠《しょうこ》にげっぷをしながら帰ってくると、加平はお客さんがおいていった十銭玉をわたして簡単《かんたん》にわけを話したきり、何もいわないのであった。  しかし正九郎はむしろつげてもらった方がよかった。そうすればそこでわあとなき出してしまうこともできたのである。  罪《つみ》を隠匿《いんとく》することはなんと苦労のいることだろう。ふたりは空気入れの方をあまりみてはいけないのである。さもないとやあ公がそれをあやしみはじめるかもしれないからだ。また、話をやあ公のすきなものの方にのみ局限《きょくげん》しなければならない。そうでないと、いつ話が空気入れの上に落ちぬともかぎらぬからである。にもかかわらず正九郎《しょうくろう》はしばしば空気入れの方を盗《ぬす》みみないではおれなかった。気になってしかたがない。いまにも空気入れがひとりでに歩いてきて、正九ンがぼくをこわしたとしゃべり出しやしまいかとさえ思うのだった。  いちばんいい方法は早く空気入れのいないところへいってしまうことである。私たちの良心が苦しくてたまらないときは、その良心を苦しめるもののみえないところへいってしまうのが、最上の策《さく》だということを私たちはよく知っている。だからだれでもみるもあわれな乞食《こじき》の前は急いで通りぬけてしまうのである。  ふたりは、やあ公が十|銭玉《せんだま》をいつもの手さげ金庫にちゃりんとほうりこんだのをしおに、にげ出すような気持ちで店を出た。もうここへはこんりんざいこないと正九郎は思った。自転車屋の店がみえなくなった道角でふたりはややほっとした。  だがここでも不幸はふたりを待っていた。ほっとしたとたんに、正九郎はあらい立てのズボンをすっかり汚《よご》してしまったことに気がついたのである。その上|加平《かへい》までが、やあ公がびわの木をあらしすぎやしなかったかということを心配しだしたのである。気がついてみれば、加平のお父つあんはうさぎでもにわとりでも平気でしめころすおそろしいおじさんだった!  ふたりは水からあがったばかりの仔猫《こねこ》のようにしょんぼりつっ立って、もの悲しげに夕暮をみた。もう彼《かれ》らにはいくところがない。すべては終わってしまった! [#7字下げ]三[#「三」は中見出し]  でもまだ終わってしまったのではない。どうすることもできない空気ポンプのことがある。空気ポンプはそのよく日もまたそのよく日も正九郎《しょうくろう》をおびやかした。村中の人がそのことを知っているような気がして、正九郎は人の顔を正視《せいし》することができなかった。先生が朝礼台にのぼるたび、そのことをいい出しやしないかと、きもを冷やすのだった。自転車屋の方へなど足も向けなかった。空気入れからのがれるためなら、正九郎はいっそう煙《けむり》のように消えてしまいたいほどだったのである。  しかしとうとうおそろしいことになってしまった。あのことがあってから一週間ばかりのちのある夕方、お母さんが正九郎にふろしきをわたしていったのだった。 「自転車屋へいってナ、卵《たまご》を二十|銭《せん》、買っといで。」  ついにきたと正九郎は思った。顔からさあっと血がひいていくのを感じた。 「清太《せいた》ンとこじゃいかんの、おっ母さん?」  お母さんはわざと正九郎《しょうくろう》を苦しめるようにいうのだった。 「あそこの卵《たまご》は粒《つぶ》が小さいで損《そん》だよ。」  これがお母さんのいつものいい草だ。  正九郎は観念《かんねん》して外に出た。曲角を三つ曲がれば自転車屋であると正九郎は思った。もうあと二つだ。もうあと一つだ。清太《せいた》ンとこで買ってきてお母さんをごまかしたらどんなもんだろうと思った。でも思ったきりだった。加平《かへい》なら、そんなことをやれるかも知れない……。あ、とうとう最後の角を曲がってしまった。何か眼《め》にみえないものが正九郎をひっぱっていく。もうのがれっこはない……  自首しに交番にはいってゆくすりのように、正九郎は自転車屋にはいっていった。どんなに深く彼《かれ》はあきらめていたことだろう。自転車屋のこわい金《きん》さんが、丸太をふりあげて待っていたとしても、正九郎はその前におとなしく首をさしのべていったにちがいない。だがそれにもかかわらず、金さんがいないことがわかったとき彼は喜ばずにはいられなかった。  もうすべてのことは発覚していると思っていたのに、ボロ自転車の掃除《そうじ》をしていたやあ公は正九郎の顔をみても、別になんともいわなかった。そして卵のことをきくと、背戸《せど》へいっておばさんに話してきてくれた。正九郎は勝手がちがって変な気持ちだった。なんとかいわれたら、こんなふうにわびようと、道々口の中でくりかえしてきた哀願《あいがん》のことばが口の中でとまどいするのが感ぜられた。だがむろんわるい心地ではなかった。  おばさんが、前だれに卵《たまご》を入れて持ってきた。そして正九郎《しょうくろう》のふろしきを畳《たたみ》の上にひろげて、そこへ前だれから移した。いつものおばさんとすこしもかわりはない。おばさんも知らないのだ。するとあの空気ポンプはどうなったのだろう。  正九郎は別段《べつだん》みたわけではない。だがはじめから空気ポンプがどこにあるか知っていた。さわってみなくてもはれもののあるところがわかるのと同じことである。ところが正九郎のそのはれものに、突如《とつじょ》現《あら》われた闖入者《ちんにゅうしゃ》が手をふれたのである。  正九郎はあっというひまもなかった。樽屋《たるや》の次郎《じろう》さんがつかつかとはいってきて、 「空気入れ、すまんがかしてや」 といったかと思うと、もう、空気ポンプをつかんで出ていったのである。正九郎ははれものの中に指をつっこまれたようにぎょっとした。何がなんだかわからなくなってしまった。胸《むね》がしきりにいたんだ。耳のあたりで百も千もの鐘《かね》が一時にわめき出したような音がした。  それはほんの一|瞬間《しゅんかん》のできごとであったが正九郎には長い苦しみであったように思えた。もし、シューッ、シューッという空気ポンプの健全な音をきくことができなかったら正九郎はどうなっていただろう。正九郎ははじめほんとうとは思えなかった。自分の耳を信ずることができなかった。しかし軒下《のきした》で空気ポンプは力にあふれた声をあげるのだった。「シューッ、シューッ」それは頑丈《がんじょう》な男が、歯をくいしばってその歯のあいだから、ゆっくり息をおし出すような音だった。  おばさんは卵《たまご》をみんなふろしきにうつすと、最後に小さい卵を正九郎《しょうくろう》の手ににぎらせていうのだった。「これは駄賃《だちん》だよ。いまうんだばかりだからまだぬくといだら。」  片手《かたて》にふろしきづつみ、片手にうみたてのほろぬくい卵を持って通りに出ると、正九郎は身も心もかるくなったのを感じた。長いあいだいたんだむしばがポロリとぬけたような気持ちだ。ほんとうに長い苦しみだった。ところで心がかりがないということはなんという心持ちのよいことだろう。世界は美しくみえる。空気はよいにおいがする。ほんとうに! このとき指先でちょっと正九郎をつつく者があったら、彼《かれ》は腰《こし》を前に折ってげらげらと笑ったであろう。際限《さいげん》もなく笑って、しまいには垣根《かきね》の下にぶったおれたことであろう。  彼はせんべやの前で突如《とつじょ》かけ出し、家まで一息に走って帰った。 底本:「新美南吉童話集 2 おじいさんのランプ」大日本図書    1982(昭和57)年3月31日初版第1刷発行    1996(平成8)年2月15日初版第7刷発行 入力:江村秀之 校正:持田和踏 2022年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。