奇談クラブ〔戦後版〕 暴君の死 野村胡堂 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)新庄佐太郎《しんじょうさたろう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)最早|憚《はばか》り [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)姒 ------------------------------------------------------- [#5字下げ]プロローグ[#「プロローグ」は中見出し] 「これは低俗な義理人情や、歪められた忠義を鼓吹した時代には発表の出来なかった話で、長い間私の材料袋に秘められて居りましたが、今となっては最早|憚《はばか》り恐るる節もなく、この物語を発表したからと言って、私を不忠者不義者扱いにする、頭の固い便乗者も無くなってしまったことでしょう。私は思い切ってこの秘話を発表いたしますが、たった一つ、殿様の本当の名前だけは隠さして頂きたいと思います。旧藩関係がうるさい[#「うるさい」に傍点]上に、この話に関係した人の子孫はまだ生きていて、盛んに活躍しているからであります」  作家の新庄佐太郎《しんじょうさたろう》は、斯《こ》んな調子で始めました。奇談クラブの席上、会長の美しい吉井明子《よしいあきこ》夫人、幹事の今八郎《こんはちろう》をはじめ、三十六人の会員達は、真珠色の光の中に、歌劇「サドコ」の海中の情景《シーン》を見るように、静まり返って、怪奇な話に聴入《ききい》って居ります。  作家新庄佐太郎は戦争中はわけのわからぬ筋からの圧迫で、殆《ほと》んどお筆留めのような羽目に逢って来た男ですが、近頃はすっかり羽を延ばして、その構成力を存分に発揮し、彼独特の怪奇主義を真っ向に、諸方を苦笑させたり、面白がらせたり、兎《と》にも角《かく》にも、当時の文壇には厄介な存在の一人でした。 「さて、前置は宜《い》い加減にして、早速本題に入りますが、最初に皆様に知って置いて頂きたいことは、徳川時代の百姓町人は、その無知と無力のために、領主と称した大名の暴政を、随分トコトンまで辛抱しておりましたが、腹の中では決して悦服《えっぷく》していたわけではなく、機会さえあれば、百姓一揆その他の形で、随時随所にその不平を爆発させ、辛うじて三百年間噴火山上の泰平を維持したに過ぎないということであります。  私は好んで百姓一揆の事実を調べましたが、既に小野武夫《おのたけお》氏、田村栄太郎《たむらえいたろう》氏、森嘉兵衛《もりかへえ》氏等には尊敬すべき専門の著書があり、私もまた、私だけの蒐集として、百姓一揆に関する写本と手記を少しばかり持っています。  この物語は、その手記に書かれたものの一つで、時代は天保の始め、所は東北のある大藩、所領何十万石、阿武隈大膳正《あぶくまだいぜんのしょう》の乱行記の一節、世にも馬鹿馬鹿しく、そして凄惨極まる話であります」  新庄佐太郎の話は続きます。 [#5字下げ]一[#「一」は中見出し]  阿武隈大膳正はその時三十二歳、健康で賢くて、一寸《ちょっと》良い男で、自惚《うぬぼれ》が強くて、我儘《わがまま》で、恥を知らないとなると、全く暴君型の条件を悉《ことごと》く備えて居りました。桀紂《けっちゅう》でも、ネロでも、昔から暴君に馬鹿はなく、その非を遂げ、諌《いさめ》を退けるところに、暴君の暴君たる特質があるのです。  大膳正は二十七歳にして父に別れ、大藩の若い大守として、最初はなかなかに名君振りを発揮しました。木綿の羽織を着て、草鞋《わらじ》を穿いて領内を巡視したり、お城の中に水田を作らせたり、貧しい百姓町人を引見して訴《うったえ》を聴いたり、それは不徹底で間に合せの名君振りだったにしても、何《ど》うやら領内の噂もよく、隠密を通して響く、大公儀の受けも至極でした。  併《しか》し、三十二歳で生活力の強い大膳正が、何時《いつ》までもこの名君の附け焼き刃に我慢して居られる筈《はず》もありません。  もう一つ悪いのは、徳川幕府の採った参観交代制と、大名の本妻を江戸に留めて置く一種の人質制でした。川柳に所謂《いわゆる》「大名は一年置きに角をもぎ」で、本妻と別れて、草深い田舎《いなか》のお城で暮らす若い大名に、謹厳清潔に身を持たせようとしたところで、それは無理な注文で、本国の方には大抵、草書で書いた妖艶なお妾などを置いたもので、それはやがて黒田騒動のようなお部屋様が羽を伸ばすことになって、途方もない騒ぎを起した原因にもなったのであります。  阿武隈大膳正もその数には漏れず、お金《きん》の方という凄いお部屋様を蓄えました。二十三という良い年増で、曾《かつ》ては「ありんす[#「ありんす」に傍点]国」の水も呑んだ強《したた》か者。洗い髪か何《な》んかで、椎茸髱《しいたけたぼ》の小母《おば》さん方を睨《ね》め廻しながら、長局《ながつぼね》で、八文字を踏む人柄ですが、それが退屈と慢心で毎日の生活を持て余している大膳正を、どんな具合に教育したかは大方想像の出来ることであります。  三年目にはもう名君振りの偽装をかなぐり捨てて、歌舞音曲と酒池肉林の生活に沈湎《ちんめん》して居りました。お金の方の指南で、大膳正は何時《いつ》の間にやら、曾ての柳原式部正《やなぎわらしきぶのしょう》の徳川|宗春《むねはる》のような、通人大名になりすましていたのです。  併し、滑らかな洒落《しゃれ》を言ったり、渋い小唄を聴いたりする、末梢的な通の遊戯が、何時《いつ》まで田舎大名の大膳正の興味をつなぐ筈もありません。三十を越したこの暴君は、お金の方の手綱を振り切って、一目散に強烈な刺戟へ、野性的な歓楽へと陥《お》ち込んで行ったのもまた無理のないことでした。  其処《そこ》へメキメキと頭をもたげたのは、愛臣|三文字紋弥《さんもんじもんや》でした。この男はまだ三十二三で、主人の大膳正と似寄りの年でしたが、昔将軍|家治《いえはる》に取入《とりい》った田沼主殿頭意次《たぬまとのものかみおきつぐ》のように、美男で弁舌が巧みで、その上これは――古今の佞臣《ねいしん》に共通の特色ですが、曾て人と争うことなく、かりそめにも腹を立てるということを知らぬ珍しい性格の持主だったのです。 「殿、――恐れ乍《なが》ら当国は日本全土にも比類の無い美人国で、草深く埋もれている美色の数限りも御座いません。野に遺賢を求めたのは昔の名君ですが、今の世には賢人顔をしている気六《きむ》ずかしい遺賢などは探し出してもなんの役にも立ちません。それよりは御領内から絶世の佳人を捜出《さがしだ》し、御傍に召仕《めしつか》われては如何《いかが》でございましょう」  三文字紋弥は、この様な途方も無いことを、何んの遠慮もなくヌケヌケと言える男だったのです。 「それは面白いな、ただ、お金の方がうるさい[#「うるさい」に傍点]だろう」  大膳正は、道楽指南番のお金の方には、まだ多少の遠慮はありました。 「無用の御遠慮でございます。殿の御威勢を以《もっ》てして、叶わぬ望《のぞみ》がありましょうか。ましてこれをかれこれ[#「かれこれ」に傍点]申すような者は――恐れながらお耳を――」  三文字紋弥はなにを吹込《ふきこ》んだかわかりませんが、それから三日経たないうちに、さしも城内に桃色の権力を揮ったお金の方が、黒板《ボールド》に書かれた文字を拭き消したように、城内からその妖艶な姿を掻き消してしまいました。 [#5字下げ]二[#「二」は中見出し]  三文字紋弥は多智多才で、この上もなく悪魔的な意図の持主でした。摺《す》れっ枯しの、爛熟し切った美女お金の方に代るものは、野の花のように素朴で、野の花のように純粋でなければならないと気が付くと、美人|狩出《かりだ》しのために特別な役人を置き、御領内何百ヶ村を毛見の衆のように探し廻らせました。  その結果見付け出したのが、枝からもぎ取ったばかりの、桃の実のようなナイーヴな娘、その名もお桃《もも》の方というのでした。珍し物好きの大膳正の寵愛は、まことに眼に余るばかりで、御城中、わけても長局を桃色に湧き立たせましたが、それも併し長く続いたわけではありません。  翌《あく》る年の春、参観交代で江戸へ出府することになった大膳正は、悪戯《いたずら》っ児《こ》が飽きた玩具を打ち壊すように、何んの未練もなく、三文字紋弥に命じて、お桃の方の存在を抹消してしまったのです。  江戸の一年は、阿武隈大膳正にとっては、まことに窮屈な一年でした。御三家筋から押付《おしつ》けに貰わされた奥方は、相当美人ではあったが、やかましくて、気むずかしくて、その上、宏大な権力を振り廻して居たので、大膳正と雖《いえど》も、うっかりした事は出来ず、それに江戸表は公儀の眼が光っているので、物の利害を読むことに聡《さと》い大膳正は、大して羽目を外すようなこともしなかったのです。  だが、一たび江戸から解放されて、領内へ帰ると話は別です。早速三文字紋弥を呼んで、もう一度領内の美人を刈り出すように申し付けました。それを待って居ましたとばかり、 「恐れ乍ら、唯《ただ》御領内の美人を漁《あさ》るだけでは興が薄う御座います。栄華を極めた昔の外国の君主にあやかって、国内から千人美女を募られては如何《いかが》でございましょう」  物事に工夫の多い三文字紋弥は、大変なことを言い出しました。 「千人美女――それは少し多過ぎるではないか」  大膳正も少しく辟易します。 「いえ、御領内から千人の美女を集め、千人から百人を選び、百人から十人を選び、最後の十人のうちから、殿御自身の御鑑定《おめがね》で御思召《おぼしめし》に叶った美人を一人だけ選び取られるので御座ります」 「成程《なるほど》、それは面白かろう、早速その手配をするように、万事は三文字紋弥、其方《そのほう》に申し付けるぞ」 「ハ、ハッ、昔の褒姒《ほうじ》、飛燕《ひえん》、貴妃《きひ》などいう絶世の美人は、悉くそうして選び出されました」  そんな出鱈目《でたらめ》なことを言って、三文字紋弥は早速領内に美女狩出の大運動を起しました。  封建時代の領主の中には、城の物見に立って、望遠鏡で城下を通る見目よき婦人を物色し、有無を言わせずに引入《ひきい》れて枕席に侍《はべ》らせた例もあり、ひどいのになると、櫓の上に立って、自分の鉄砲の腕前を試すために、城下を通る町人を、鳥を撃つように撃ち殺した大名さえあります。  阿武隈大膳正が、御国入の一年間を慰めるため、領内から美人を漁ったところで、当時の常識から言えば、大した暴政でなかったのかも知れません。それは実に神人|倶《とも》に許さざる暴挙であったにしても、「泣く子と地頭」という言葉通り、無智な百姓町人達は、それを天災と同じように、不可抗力の出来事と考えるように慣らされて居りました。  村から村へ、五人組の末端へと御布令が廻って、その月のうちに、領内から千人の美女が狩り集められ、名主附添のうえ城下の町へ召出されました。城下に集まった千人の美女、斯《こ》う聴くだけでも、その壮観は思いやられますが、千人も選び出すとなると、その悉くが三十二世揃った美女ばかりである筈もなく、中には目鼻立のやや整ったに過ぎない十人並の「所謂《いわゆる》美人」も少《すくな》くはありませんでしたが、それから百人を選び出し、更《さら》にふるい[#「ふるい」に傍点]にかけて、十人だけ選ぶとなると、流石《さすが》にピカピカとするのばかりが揃って、点者の三文字紋弥を舌なめずりさせます。 [#5字下げ]三[#「三」は中見出し] 「十人の美人をお次に控えさせました」  三文字紋弥が報告すると、 「何《ど》うじゃ紋弥、優れたのがありそうか」  阿武隈大膳正至極満悦で、すっかり相好を崩して居ります。 「如何《いかが》いたしましょう」 「一度に見ては眼移りがするだろう、一人一人これへ連れて参れ」 「かしこまりました」  三文字紋弥は天下の大事を扱うような、至極真面目な顔をして退きました。  その時大膳正は三十五歳、まさに脂の乗り切った暴君振です。さすがに照れ臭いと思ったか、脇息を引寄せて左斜のポーズになると、右手には軽く扇を取って、それをいとも無心な態度でまさぐり[#「まさぐり」に傍点]ます。 「第一番は御城下町の豆腐屋|喜兵衛《きへえ》の娘、糸《いと》と申します」  三文字紋弥の声につれて、覚束《おぼつか》ない足取で、現われた十八九の娘が一人、殿の御前へ来ると、張詰《はりつ》めた気も挫《くだ》けたものか、ヘタヘタと坐ってヒョイとお辞儀をしました。色白の眼の細い、恐ろしくポチャポチャした娘ですが、美人というには少し縁が遠過ぎます。 「もうよい、次を」  殿様は甚《はなは》だ不足らしい顔をして、邪慳《じゃけん》に長い顔をしゃくりました。  次は何々村何野何兵衛の娘、毛与《もよ》、これは少し浅黒い方ですが、中々によい目鼻立ですが、その汗臭そうな大時代の紋服姿を見ると、大膳正の頭は邪慳に動きます。 「次を」  三人目、五人目、七人目と取換え引換え首実検をしましたが、何と言っても草深い田舎から集めた美人で、一応江戸の遊里も見て来た大膳正が、これならばと札を落すように優れたのはありません。  やがて八人目、 「御城下大手前の呉服屋|江島屋郷右衛門《えじまやごうえもん》の娘|菊《きく》にござります」  此《この》辺になると、阿武隈大膳正すっかり草臥《くたびれ》て居りました。こんな泥臭いのばかりでは、どれを取ったところで変りはあるまい、いっそ籤引《くじびさ》かなんかにしようか――そんな事を考え乍ら、ヒョイと顔を挙げて驚きました。 「フーム」  大膳正思わず唸《うな》ったのも無理のないことです。それは実に抜群の美色、咲き立ての菊の花を見るような香気|馥郁《ふくいく》たる娘姿です。  線の美しい細面《ほそおもて》、情熱的な大きな眼、わななく紅い唇、町娘らしく折屈《おりかが》みも尋常で、赤い袖口から出た手の可愛らしさなどは譬《たと》えようもありません。 「菊と申すか、年は幾つじゃ――即答を許すぞ、遠慮なく申せ」  大膳正思わず膝を乗り出します。 「十八に御座ります」  その恐る恐る答えた声の美しかったこと。 「紋弥、紋弥は居るか」 「ハッ」  遠慮して隣室に引込んでいた三文字紋弥は、あわてて姿を現わしました。 「あの娘に決めたぞ」 「まだ二人残って居りますが」 「いや、もうそれは見るに及ばぬ、――早速此娘の親許に申し付けるがよかろう、今夜からでも此城内へ引取るのだ、よいか」  大膳正の大変な意気込に驚いて、お菊は顔を挙げる気力もなく、唯|顫《ふる》えるばかりでした。 [#5字下げ]四[#「四」は中見出し]  親に暇乞《いとまごい》もし、いろいろ仕度も整えたいから――という口実で、お菊は漸《ようや》く一《ひ》と晩だけ許されて帰りました。  お菊が暇乞をしたいのは、親の郷右衛門よりも、もっともっと切実な相手があったのです。それは、町の何々座に掛っている歌舞伎芝居の花形、娘形になっては、その可愛らしさで、江戸の千両役者にも類があるまいと言われた、二十歳の中村新八郎《なかむらしんぱちろう》という若者だったのです。  中村新八郎の泊っている宿屋は、お菊の家のすぐ隣で、二人は朝夕顔を見合せて、挨拶を交しているうちに、十日と経たないうちに、もう好い仲になって居りました。中村新八郎の美しさと芸達者が、お菊をすっかり夢中にさしたのも無理のないことですが、中村新八郎もまた、色子上りらしくないうぶ[#「うぶ」に傍点]な性格で、お菊の可愛らしさと純情に引付けられ、二人は何時《いつ》の間にやら、二世かけて誓う仲になって居りました。  田舎《いなか》を打って廻る芝居は、土地に馴染《なじみ》がつくと、二《ふ》た月も三月も、中には半歳も滞在するのは例の少くないことで、中村新八郎の一座も、春から夏にかけてこの土地に留まり、中村新八郎とお菊の交情も、日を経るままに益々|濃《こま》やかになるばかりでした。  その夜お菊の両親は、娘のために、意味の深い別れの宴を開きました。これが娘お菊の出世の緒口《いとぐち》になって、思いも寄らぬ玉の輿に乗るかも知れないというのは、娘に力を落させないための口実で、実は世間の評判通り、一年の奉行《ほうこう》の後、お金の方やお桃の方のように忽然として姿を掻消《かきけ》し、死骸もわからずになるのかも知れないといった、恐ろしい予感と恐怖に、兎もすれば、沈み勝ちになるのを何《ど》うすることも出来なかったのです。  明日は早いから――と、親類達を帰した後、親子水入らずに別れを惜しんで、お菊が床へ入ったのはやがて子刻《ここのつ》(十二時)近くになってからでした。  お隣にいる中村新八郎に、たった一と目別れを惜しみたい――と、思い乍らも、此時刻になっては、呼出《よびだ》す手段《てだて》もありません。  フト、窓の戸にサラサラと笹の葉などの当るような音がします。お菊はそれを聴くと、夜の物のまま、床から脱《ぬ》け出して、雨戸をサッと開きました。それが若い二人の逢引の合図だったのです。 「新八郎さん」 「お菊さん」  二人は沓脱《くつぬぎ》の上に立って、犇《ひし》と抱き合って居りました。女の涙は男の襟を濡らし、男の温い息が、女の顔と前髪を撫でて居ります。 「お前は本当に、殿様のところへ行く気かえ」 「でも、新八郎さん」 「私を後に残して」 「でも」  二人は誘い誘われるように、庭の闇の中を裏木戸のところへ辿って居りました。其処《そこ》には夜目にも白々と、大きい川が流れて居ります。 「死んでくれないか、お菊さん」  新八郎はもう一度お菊を抱き上げるように、その小さい耳に、恐ろしい囁《ささや》きを吹き込みました。 「でも、新八郎さん、私が死ねば、父さん母さんが、どんな目に逢わされるかわかりません、――今日も三文字とかいう人から、殿様の御執心は並大抵でないから、万一逃げ隠れでもすると、江島屋を取潰した上、両親は軽くて打首、重ければ磔刑《はりつけ》にもなると言われました」 「それは脅かしだろう」 「いえ、脅かしでない証拠は、あの通り」  お菊が指を挙げて指す方を見ると、子分の者に率いられた足軽が五人三人ずつ、江島屋の店を遠廻しにして、蟻の這い出る隙間もなく堅めているではありませんか。 「すると、私は、この私は何《ど》うなるのだえ」 「堪忍して下さい、新八郎さん」 「お前はそのまま、人身御供になって、狒々《ひひ》の餌食になる気かえ」 「新八郎さん」 「殿様だろうが領主だろうが、取換え引換え若い娘を餌食にして、それで宜いという筈は無い」 「新さん」 「私は許さない、私はきっと思い知らせてやる」  その頃川原乞食とまで卑しめられた役者風情が、血の涙を流したところで、それが何んの足しになるものでしょう。 [#5字下げ]五[#「五」は中見出し]  翌《あく》る日の早朝、江島屋のお菊は、お城から迎えに出した善美を尽した女乗物に乗って、装いを凝らして城中に迎え入れられましたが、それは、予想した通り、二度と帰らぬ旅立ちだったことは言うまでもありません。  お菊を迎えた当時の、阿武隈大膳正の有頂天さは、全く馬鹿馬鹿しいほどでした。暫《しば》らくはその新鮮さと可憐さに魅惑されて、夜も昼も無い惑溺の生活を続けたと言っても差支《さしつかえ》は無いでしょう。  それにも拘《かかわ》らず、肝腎のお菊は少しも楽しまず、その豊かな頬からは笑いが消え、その輝かしい眼からは、青春の光が失せて、半歳経たないうちに、それは見る影もない生ける屍になってしまったのです。  お菊の胸を往来するものは、役者らしくもなく純情な中村新八郎の姿で、阿武隈大膳正の、情痴に爛《ただ》れた醜怪な大肉塊は、恐ろしく厭《いま》わしく、そして汚らわしくさえ思われました。一方阿武隈大膳正にも、そのお菊の心持が反映しないわけに行きません。惑溺がやがて嫌悪に代り、嫌悪が憎悪に変って、翌年の春の参観交代で、大膳正が江戸へ出府する時は、三文字紋弥の手を借りて、何んの未練もなく、この哀れな女を処分してしまったことは言うまでもありません。  青髥大名――阿武隈大膳正は、斯《こ》うして三人目の犠牲を葬りました。が、長袴《ながばかま》に附いた一片の埃を払い落したほどの関心も持たず、その年の三月には早江戸の桜の下に、奥方の厳しい眼を逃れ乍ら、新《あた》らしい歓楽を追う大膳正だったのです。  翌年の春、本国に引揚げた阿武隈大膳正は、最早三十七歳の分別盛りでしたが、邪悪淫蕩な血は五体を駆けめぐって、一日、一刻も無事な日は暮せないようになって居りました。 「紋弥、居るか」 「ハッ」  寵臣三文字紋弥は、旅衣の埃も払わぬ主君の前に呼び出されました。 「今年もまた千人美女を選び出させるとしようか」  ニタリと大膳正は笑って居ります。 「恐れ乍ら、その術《て》は最早古いかと存じます」 「それは又何故じゃ」 「村々へ布令《ふれ》を廻した位では、美女佳人は隠してしまって、決して御前には差出《さしだ》しません。それより御領内の美女を悉く集めた上、その顔は申すに及ばず、身体《からだ》から身のこなしまで御覧の上、殿御自身にて御鑑定《おめがね》に叶いました者を御留置《おとめお》き遊ばされる工夫が御座います」 「それは何《ど》うするのじゃ」  大膳正は乗出《のりだ》しました。 「少し時節は早う御座いますが、御領内から、嫁入前の眉目《みめ》よき娘を狩り集め、女ばかりの盆踊りをいたさせるので御座います。唯の人形のように坐った御目見得と違って、手振り身振り面白く踊る娘達の中から、御好み次第に選《え》り出せるので御座います」 「それは面白いな、早速村々に布令を出して、番組を作るがよい。用意万端其方に任せるぞ」 「ハッ」  それは実に途方もない計画でした。領内の村々から、一と組又は二た組三組ずつ、実に百二十組の娘盆踊《むすめぼんおどり》が編成され、それぞれ二十組位ずつ、七日《なのか》に亙《わた》って、大守大膳正が自ら検分し、優れたものには、褒美を取らせるということになったのです。  日取は五月一日から七日迄、場所はお城の大手、町で隊伍を整えた盆踊は、一隊一隊と順序よく大手門を入り、桟敷の上に悠然と構えた大守の前に、手振り身振り面白く、五彩の輪になって踊りに踊るのでした。  囃子《はやし》と唄には男を交えましたが、踊るのは全部妙齢の娘達、一隊は二十人三十人ずつ、真夏の陽を浴びて、此処《ここ》を先途と競い踊る様は、まことに奇観と言うの外《ほか》はありません。  踊は毎日昼に始まって夜に及びました。八方に篝を焚いて、湧き起る唄と音楽の中を、翩翻《へんぽん》として踊りに踊る処女《おとめ》の大群は、全く前代未聞の不思議な観物でした。棧敷の上に軽服をして、悠然と眺め入る大膳正の爛れた好奇心は、これこそ何に譬うべきでしょう。  踊りは一日二日と過ぎて、まさに絶頂期の三日目になりました。処女《おとめ》達幾千人の踊る姿態のうちにも、まだ大膳正の望に添うほどの優物は無く、その日の番組も漸く終《おわり》に近づいて、大膳正の精力をもってしても、さすがに倦怠を催す頃でした。 「あれは?」  大膳正、手に持った扇で踊の輪を指しながら、思わず立ち上ったのも無理はありません。  城下のある村から出た一隊の中に交って、一と際見事な踊り手の一人が、大膳正ならずとも、すべての眼をひかずには居なかったのです。  遠くなり近くなる踊りの輪の具合で、それは十七八とも二十歳《はたち》近いとも見えましたが、すぐれて高い背も美しく、差す手、引く手、返す肩、捻《ねじ》る腰、すべての線の躍動する見事さ、雲を踏むかと、足取りの軽さ。大きい眼に篝が燃えて、僅《わず》かに開いた唇に紅芙蓉が咲くと見た瞬間、不用意に莞爾《にっこり》すると、傾けた頬にトロリとえくぼ[#「えくぼ」に傍点]が出来て、その可愛らしさというものはありません。 「あれだ、紋弥、あの娘をつれて参れ――踊はもうよい」 [#5字下げ]六[#「六」は中見出し]  踊の輪から引き抜かれた娘は、そのまま奥御殿に導かれました。  其処《そこ》には、ざっと酒肴を用意して、殿――大膳正を待っている様子。隣の部屋を覗くと、恐ろしく贅沢《ぜいたく》な夜の物に、金環《きんかん》の蚊帳《かや》が霞《かす》んで、絹行灯《きぬあんどん》の灯がほのぼのと照らして居ります。  間もなく衣服を改めて、大膳正が入って来ました。四十近い脂切った肉塊で、娘に近くどっかと坐ると、もう昼から飲み続けの酒の息が、どぶ[#「どぶ」に傍点]臭く娘の顔を打ちます。 「名前は何んという」  大膳正は初心《うぶ》な客のようでした。すっかり悦に入って、先《ま》ず盃を取って娘に酌などをさせます。 「――何、梅《うめ》と申すのか、よい名じゃのう、領内の何処《どこ》だ、親は何んという」  大膳正は盃を重ねながら、問わでものことを訊ねます。娘の酌の手振りは見事ですが、口数は至って少く、多くはその多彩な表情と、行届《ゆきとど》いた動作で返事をするといった有り様です。  暫らくすると、大膳正は頓《とみ》に酔が発した様子で、足取危うく娘の手を取って隣の部屋に入りました。 「来い、可愛がって取らせるぞ」  グイと引寄せて、内懐へ抱え込んだ娘、それは実に大膳正にとっては、何んの防ぎも無い、致命的な一瞬でした。 「己れッ」  声はもう男でした。大膳正を突き飛ばすと、キラリと娘の手に光ったのは、毒蛇のような匕首《あいくち》。 「曲者《くせもの》ッ、ブ、無礼だぞッ」  それは併し、死物狂いの最後の声でした。左胸先を深々とえぐ[#「えぐ」に傍点]られて、白綸子《しろりんず》の夜の物を真紅に染めた大膳正は、蚊帳の上へドッと倒れると、四つの釣手を切って、波の中の醜い魚のように、のた打ち廻って断末魔の苦しみをもがくのです。 「馬鹿ッ」  娘は吃《きっ》と身構えました。が、この醜い魚は最早起き上る力も尽きた様子です。  その物音に驚いて、バタバタと飛んで来たのは、五十七八の老武士でした。 「あッ、これは?」  この有様を一と目、暫らくは凝然《じっ》として立ち縮《すく》むばかりです。 「御家老様――あなたは、御家老の高塚蔵人《たかつかくらんど》様というんでしょう、――御覧の通り殿様は此《この》私がやっつけましたよ――私? 私は中村新八郎という役者ですよ」 「――――」 「幾人の娘を人身御供に上げて、一年経てば蟲《むし》のように殺してしまった殿様、今まで生きて居たのは少し寿命を儲け過ぎましたよ。さア、斬るなり突くなり縛るなり、どうとも勝手にして下さい。――私は江島屋のお菊さんと二世を言い交した仲だ。御所刑場《おしおきば》へ引出されると、大きい声でそいつを怒鳴るかも知れませんよ」 「――――」  家老高塚蔵人は、黙ってこの女装の青年、中村新八郎を見据えて居りました。それに対して、血染めの匕首をカラリと投げ捨て、観念し切った顔を挙げた、女装の中村新八郎の美しさ。 「さア、何んとかして下さい。御家老、私を成敗すれば、その代り夜の明けないうちに村々の訴人が江戸へ飛んで行って、殿様の悪政振りを龍の口に訴え出ますよ、――だから私を助けてくれなんてケチ[#「ケチ」に傍点]な事を言やしません。どうせ潰れるなら、何十万石のお家が、玉子の殻のように一ぺんに叩き潰されるのも面白いじゃありませんか、ね、御家老」  中村新八郎は死を決して居りました。  丁度《ちょうど》その時でした。 「何事で御座る、高塚殿」  愛臣三文字紋弥は、あまりの騒ぎに驚いて馳《か》けつけたのです。 「この通りだ、三文字氏」 「あッ」  高塚蔵人に指さされる迄もなく、主君大膳正の浅ましい姿を見て、三文字紋弥は顫《ふる》え上ってしまいました。 「――何者の仕業《しわざ》――高塚氏、狼藉者は何者で御座《ござ》る」  三文字紋弥はいきなり勢《いきおい》立ちました。それを押えるように、 「殿が、斯《こ》うなられた元々を訊きたいと仰《おっ》しゃるか」  高塚蔵人の声は不気味なほど静かです。 「何者が殿を」 「其方だよ――三文字紋弥、よく聴け、殿を此様な羽目に引入れたのは、其方――三文字紋弥だ」 「何」 「覚悟せい、奸賊」  高塚蔵人の一刀は、三文字紋弥にたった一合を許しただけ、踏込《ふみこ》んだ二の太刀は見事紋弥を袈裟掛に斬って、主君大膳正の死骸と並べたのです。 「――――」  驚き呆れる女装の中村新八郎に向けた高塚蔵人の眼には、最早殺気などは微塵もありません。 「帰れ、お前はお梅とか言ったな――三文字紋弥が乱心して主君を害《あや》め、この高塚蔵人の手で成敗されたのだ、――だが、大公儀はそれでは通らぬ。いずれ御病死の届《とどけ》をすることになるだろう、――お前は此処《ここ》から脱出《ぬけだ》して、村々の自訴を止めるのだ。よいか、阿武隈の御家を取潰しても、百姓町人が直《す》ぐ幸せになるとは限るまい。江戸の若君の成人まで、此高塚蔵人として、決して百姓町人を泣かせるような事はしない積《つも》りだ、――解ったか、解ったら早く行け」  そう言う高塚蔵人の眼には涙がありました。夢心地の中村新八郎を誘って、不浄門から外へ突出《つきだ》し、静かに元の部屋へ引返して行くのです。 [#5字下げ]フィナーレ[#「フィナーレ」は中見出し] 「この後中村新八郎は何《ど》うなったか、其処《そこ》までは伝わって居りません。阿武隈家は無事に維新まで伝わりましたが、その後大した悪政も無かった様です。――高塚蔵人が主君を刺した中村新八郎を許したのは怪《け》しからん――などと仰しゃる方は無いでしょうね。徳川時代も此頃になると、忠義とか家とかの観念はすっかり変って、お家が立ち行かなくなると、随分主君に詰め腹を切らせ兼ねない忠臣があったものです。事情は違いますが、主君の非政を公儀に訴えて大いに抗争した栗山大膳《くりやまだいぜん》などでさえ、一方からは忠臣扱いされて居るではありませんか。――この話には、いつも此奇談クラブの会員が申し上げる通り、偶意も教訓も何んにもありません。唯一介の役者が女装して、大大名を一人刺し殺したということが、奇談としての値打があると思ったのです」  新庄佐太郎はそう言って壇を下りました。 底本:「野村胡堂伝奇幻想小説集成」作品社    2009(平成21)年6月30日第1刷発行 底本の親本:「お竹大日如来」高志書房    1950(昭和25)年1月 初出:「サロン」    1947(昭和22)年7月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:門田裕志 校正:阿部哲也 2015年2月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。