浅草哀歌 北原白秋 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)寥《さみ》し [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)窻 ------------------------------------------------------- [#3字下げ]1[#「1」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] われは思ふ、浅草の青き夜景を、 仲見世の裏に洩るる短夜の葱のむせびを、 公園の便所の瓦斯を、はた、澄めるアルボースの香を。 あはれなる蛇小屋の畸形児を、かつは知れりや、 怪しげの二階より寥《さみ》しらに顔いだす玉乗の若き女を、 あるはまた曲馬の場《には》に息喘ぎ、うちならぶ馬のつかれを。 新しきペンキに沁みる薄暮《くれがた》の空の青さよ。 また臭き花屋敷の側に腐れつつ暗《くら》みゆく溝の青さは 夜もふけて銘酒屋の硝子うち覗くかなしき男のみや知りぬらん。 われは思ふ、かかる夜景に漂浪《さすら》へる者のうれひを、 馬肉屋の窻にうつる広告の幻燈を見て蓄音機きけるやからを、 かくてまた堂のうしろに病める者、尺八の追分ふし。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]2[#「2」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] さは思へ、さは思へ、一時《ひととき》ののち…… 五時過ぎの夕日黄色く、溝板《どぶいた》に、髪床の硝子障子に、 料理屋の軒の点《とも》らぬ角燈に、露台《バルコン》の青くさき芥子のにほひに、 照りあかり、羽虫ぞ舞へる、 甘げなる線の粘《ねば》りのうちもつれやはらかに交《つが》へるかれら。 さは思へ、さは思へ、一時《ひととき》ののち……… ここにかの三味線弾きの下司女《げすをんな》寒げに坐り、 破《やれ》むしろ籍きたる上に、 かの暗き魚燈のけぶり頬にうけて、 はらは髪賤民の児ぞ調子をかしきかつぽれ[#「かつぽれ」に傍点]を頼りなげにも踊るらむ。 さあれいま羽虫ぞ舞へる。 公園のけふのひと日を立ちつくす男の手より、 かすり絵板はひるがへり、黄なる日に暫しかがやく。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]3[#「3」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] わが友よ、わがわかき羅曼底の友よ、 日は暮れて薔薇いろの光《かげ》薄《うす》き弧燈のしめり、 水の面《も》と空気とにしみじみとにほひいでたる。 そを見つつ暮れてゆくよるべなきわれのねたみよ。 君もまた思ひ知りしや、あはれ夜《よ》のクラリオネツト、 うち囃す銀のうれひはそことなく楽しけれども、 ――いかにせむ、髪の毛すぢに沁み入りて幽かにも顫ふ香料。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]4[#「4」は中見出し] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 奥山の四時過ぎの日こそさみしけれ。 あたたかにうち黄ばむ写真屋の古きならびは、 半盲目の病児らの日向ぼこをば見るごとく、 掲げたる鈍き写真のうちにくはせ者の女役者の顔のみ白く、 罎《びん》ならぶ窻のそば、露台《バルコン》にダアリヤの花ただひとつ赤けれども、 なべてみな色もなし、入口の静かなる空椅子のうへに、 みよりなき黒猫ぞひとりまた背を高めたる。 見るものの凡てみな『過ぎし日』のごとくさびしく、 疎《うと》ましき『忘却』の腐蝕よりのこされしものの痛さよ。 げに、白き横文字はその屋根に、いかがはしけれ、 The Art Photograph とぞ読まれぬる。 [#ここで字下げ終わり] 底本:「白秋全集 3」岩波書店    1985(昭和60)年5月7日発行 底本の親本:「白秋全集 第二巻 詩集第二」アルス    1929(昭和4)年12月10日 ※本作品は底本の親本の「雪と花火」の「東京夜曲」に収められています。 入力:岡村和彦 校正:フクポー 2017年2月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。