錢形平次捕物控 鉄砲汁 野村胡堂 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)顎《あご》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)彦四郎|貞宗《さだむね》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)〼 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)へツ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#9字下げ]一[#「一」は中見出し] 「親分、近頃金の要るやうなことはありませんか」  押詰つたある日、錢形平次のところへノツソリとやつて來たガラツ八の八五郎が、いきなり長い顎《あご》を撫《な》でながら、こんなことを言ふのです。 「何だと? 八」  平次は自分の耳を疑ふやうな調子で、長火鉢《ながひばち》に埋めた顏をあげました。 「へツ/\、へツ/\、さう改まつて訊かれると極りが惡いが、實はね、親分。思ひも寄らぬ大金が轉がり込んだんで」 「大きな事を言やがる。お上の御用を承《うけたま》はる者が、手弄《てなぐさみ》などしちやならねえと、あれほどやかましく言つて居るぢやないか」 「博奕《ばくち》なんかで儲けた金ぢやありませんよ、飛んでもない」  ガラツ八は唇《くち》を尖《とが》らせて、大きく手を振りました。 「それぢや、富籤《とみくじ》か、無盡か、――まさか拾つたんぢやあるまいな」 「そんな氣のきかない金ぢやありませんよ、全く商法で儲《まう》けたんで」 「何? 商法? 手前《てめえ》がかい」 「馬鹿にしちやいけません、かう見えても算盤《そろばん》の方は大したもので。ね、親分、安い地所でもありませんか、少し買つて置いてもいゝが――」 「馬鹿野郎、二朱や一分で江戸の地所が買へると思つてゐるのか」 「二朱や一分なら、わざ/\親分の耳には入れませんよ。大晦日《おほみそか》が近いから、少しは親分も喜ばしてやりてえ――と」 「何だと?」 「怒つちやいけませんよ、ね、親分。錢形の親分は交《まじ》りつけのねえ江戸つ子だ。不斷は滅法威勢がいゝが、宵越《よひごし》の錢を待ちつけねえ氣前《きめえ》だから、暮が近くなると、カラだらしがねえ。さぞ今頃は青息吐息《あをいきといき》で――」 「止さねえか、八。言ひ當てられて向つ腹を立てるわけぢやねえが、人の面《つら》をマジマジと見乍ら、何てエ言ひ草だ」  平次も呆氣《あつけ》に取られて、腹を立てる張合ひもありません。それほど、ガラツ八の調子は、ヌケヌケとして居りました。 「箱根ぢや穴のあいたのを用立てたが、今日のはピカリと來ますぜ。親分、此通り」  さう言ひ乍らガラツ八は、内懷から拔いた野暮《やぼ》な財布《さいふ》を逆《ぎやく》にしごくと、中からゾロリと出たのは、小判が七八枚に、小粒、青錢取交ぜて一《ひ》と掴《つか》みほど。 「野郎、何處からこれを持つて來やがつた」  平次は矢庭に中腰になると、長火鉢越しに、ガラツ八の胸倉《むなぐら》をギユーツと押へたのです。 「あ、親分、苦しい。手荒なことをしちやいけねえ」 「何をツ、此野郎ツ。何處で盜んで來やがつた、眞つ直ぐ白状しやがれツ」  平次の拳《こぶし》には、半分冗談にしても、グイグイと力が入ります。 「盜んだは情けねえ、親分、こいつは間違ひもなく商法で儲けた金ですよ」  ガラツ八は大袈裟《おほげさ》に後手を突いて、斯う辯解を續けました。 「岡つ引に商法があつてたまるものか。盜んだんでなきや、何處から持つて來た。さア言へツ」 「言ふよ、言ひますよ、――言はなくて何《ど》うするものですか、――おう痛てえ、喉佛《のどぼとけ》がピリピリするぢやありませんか」 「喉佛の二つや三つローズにしたつて構ふことはねえ。さア言へ」 「驚いたなア、持ちつけねえ金を持つと、喉佛《のどぼとけ》に祟《たゝ》るとは知らなかつたよ」 「無駄はもう澤山だ。金を何處から出した、それを早くブチまけてしまへ」  平次が躍起《やくき》となるのも無理のないことでした。正直と馬鹿力を取得のガラツ八が、萬々一、その頃の岡つ引の習慣《しふくわん》に引摺り込まれて、うつかり役得でも稼《かせ》ぐ氣になつたら、貧乏と片意地を賣物にして來た、平次の顏は一ぺんに潰《つぶ》れることでせう。 「親分、心配するのも無理はねえが、これは筋の惡い金ぢやありません。實は親分も知つて居なさるあつしの赤鰯《あかいわし》を、望み手があつて賣つたんで」 「何? 手前《てめえ》の脇差を賣つた?」 「へエ――去年の暮、柳原の古道具屋を冷かし損《そこ》ねて買つた、あの脇差が、十兩になるとは思はなかつたでせう」  ガラツ八の鼻は蠢《うご》めせます。 「手前が二分で買つて、ひどく腐《くさ》つて居たあの脇差が、十兩になつたといふのか」 「その通りですよ、親分。あの脇差を見た人があつて、恐ろしく錆《さ》びて居る上に無銘《むめい》だが、彦四郎|貞宗《さだむね》に間違ひはない、若し間違ひだつたら、俺の損《そん》といふことにして、現金十兩で買ふがどうだ、といふ話でさ」 「フーム」 「本當に貞宗だつた日にや、十兩で賣つちや大變に損《そん》だから、一日待つて貰つて、知り合ひの刀屋を二三軒當つて見ると、――飛んでもない、そいつは備前物《びぜんもの》で、彦四郎でも藤四郎でもある筈はねえ。その上日本一の大なまくらだから、鍋《なべ》の尻を引つ掻くより外に役に立たない代物《しろもの》だ。望み手があるなら、拵《こしら》へごと一兩で賣つても大儲《おほまう》けだ――と言ふんで、思ひ切つて手離しましたよ、親分」 「呆《あき》れ返つた野郎だ。手前はその刀屋の鑑定《めきゝ》を、相手に言はなかつたのか」 「言ひましたよ。念入りに輪をかけて言つてやつたが、相手は少しも驚かねえ――彦四郎貞宗でなきや、師匠の五郎入道正宗だらう。折角見込んだ品だから十兩が二十兩でも買つて置きてえと斯《か》うだ」 「――」 「ね、親分。こんな正直な商法はないでせう」 「――」 「生れて初めて入つた十兩の金だ。一人で費《つか》つちや冥利《みやうり》が惡いから、取あへず親分に見て貰ふつもりで持つて來ましたよ。ね、何んか斯《か》う役に立てるやうな口はありませんか、親分、差當り拂ふ當がなかつたら、地所を買ふとか、家を建てるとか――」  ガラツ八は悉《こと/″\》くいゝ心持でした。七八枚の小判を疊の上へ並べたり、重ねたり、チヤリンと叩いて見たりするのです。 「止してくれ、俺はその音を聞くと蟲が起きるよ」 「へツ、負惜《まけをし》みが強いね、親分」 「馬鹿な野郎だ。八兩や十兩で、江戸の眞ん中に家が建つ氣で居やがる」 「家なんか建たなくたつて構やしませんよ。これ丈けありや大福餅《だいふくもち》を買つても、隨分出がありますぜ」 「呆れて物が言へねえ、――だがな、八。見す/\大ナマクラと知つて、手前の脇差を十兩で買ふのは少し變ぢやないか」 「變ぢやありませんよ。氣に入りや、跛馬《びつこうま》だつて買ひますよ」 「待つてくれ、――こいつは少し臭いぞ」  錢形平次はもう一度長火鉢に顏を埋めました。暮のやり繰《くり》と違つて、こいつは何うやら思案の仕甲斐がありさうです。それを眞似するともなく、八五郎も高々と腕を拱《こまぬ》きました。  疊の上に並べた七八枚の小判も、何となく引込みのつかない姿です。 [#9字下げ]二[#「二」は中見出し] 「八、近頃何か變なことがありやしなかつたか」  平次は改めてかう訊きました。 「變な事?」 「例《たと》へば、手前が嗅ぎ出した犯人《ほし》とか、腑《ふ》に落ちないと思つた事とか――」 「ありませんよ」 「何かの證據を握るとか――」 「なんにも握りやしませんよ」  ガラツ八はあまりにも屈託《くつたく》のない顏です。 「そんな筈はないが、――待てよ、その、手前から脇差を買つたのは誰だい」 「濱町の吉三郎、――遊び人で」 「吉三郎なら知つてゐる。賭事《かけごと》もしない樣子だが、妙に金廻りのいゝ野郎だ、――その吉三郎と何處で知合になつた」 「髮結床《かみゆひどこ》で、――あつしと丁度|互先《たがひせん》といふ碁《ご》ですよ」 「手前、濱町まで顏を剃《あた》りに行くのかい」 「いえ、吉三郎の野郎が町内の錨床《いかりどこ》まで來るんで、――あすこの親方の剃刀《かみそり》がたまらねえつて」 「錨床の親方は、髷《まげ》はうまいが、剃刀は下手《へた》ぢやないか」 「あつしもさう思ふんですがね」 「ところで、吉三郎は、何か手前に頼みはしなかつたか」 「いゝえ」 「少し變だな、八。脇差《わきざし》を賣つた時、何か言つた筈だと思ふが――」  平次の問ひは次第に核心《かくしん》に觸れて行きます。 「言ひましたよ、あつし[#「あつし」に傍点]の煙草入れの根附《ねつけ》を見て、そいつは氣に入つたから、脇差と一緒に讓《ゆづ》つてくれ――一つて」 「あの牙彫《けぼり》の――」 「どうせ濱町河岸で拾つた品だから、脇差へおまけにつけましたよ」 「濱町で拾つた?」 「へエ――」  ガラツ八の話は少し變つて居ります。――『一と月ばかり前、夜釣《よづり》に行つた歸り、白々明けの濱町河岸に船を着けたことがありました。その時自分の船より一と足先に岸へ漕《こ》ぎ寄せた傳馬が、炭俵と米俵を二十五六|俵《べう》陸《をか》へ揚げて、サツサと大川を漕ぎ戻つたのを見てゐると、足元の石垣の上に、牙彫《けぼり》の圓いものが一つ、危ふく水に落ちさうに引つ掛つて居た』――といふのです。  拾つて見ると、丁度手頃な根附で、眞中に穴まであいて居りますが、彫刻《てうこく》は怪奇を極めて、唐草模樣《からくさもやう》と鬼のやうな縮《ちゞれ》つ毛《け》の人間の首と、それから得體の知れない髯文字《ひげもじ》がベタ一面に彫《ほ》つてあつたのを、暢氣《のんき》なガラツ八は、自分の煙草入れに附けて、そのまゝ腰に挾《はさ》んで歩いて居たのでした。 「何だ、拾つたものをそのまゝ腰へブラ下げて居たのかい」  平次も少し呆《あき》れましたが、今に始めぬガラツ八の暢氣《のんき》さが、腹を立てるにしても、少し馬鹿馬鹿しかつたのです。 「どうせ馬の骨か牛の骨に細工をしたものですよ。吉三郎は三拜九拜して持つて行つたが、あんなものが何かになりますか、親分」 「呆れた野郎だ」  平次は誰へともなく斯《か》う言ひました。 「こんな事が商法になるなら、江戸中の古道具屋を漁《あさ》つて、安物の脇差をうんと買ひ集めようかと思ふが、どんなもので」 「いゝ加減にしないか、八。吉三郎の狙つたのは、赤鰯《あかいわし》ぢやなくて牙彫《けぼり》の根附だつたかも知れないな――兎に角、十兩の金を持つて行つて、脇差と根附けを買ひ戻して來るがいゝ」 「三日も前のことですよ、親分」 「三日前だつて、三年前だつていゝぢやないか」 「十兩の金が、三日もあつし[#「あつし」に傍点]の手に無事で居るわけはないぢやありませんか」 「仕樣のねえ野郎だ、いくら費《つか》つたんだ」 「店賃《たなちん》と米屋酒屋の拂ひと、煙草を一つと大福餅を十六文買つて、一兩二分と六十八文」 「いやに刻《きざ》みやがつたな、――お靜、一兩二分と六十八文、お前のところにないか」  平次はお勝手の方へ聲を掛けます。 「お前さん、――そんな事を言つたつて」  お靜の聲は口の中に消えました。差迫《さしせま》る大晦日《おほみそか》を控《ひか》へて此處も大世話場の眞最中だつたのです。 「氣のきかねえ事を言ふな、何のために質屋《しちや》が暖簾《のれん》を掛けて置くんだ。俺の着替《きがへ》をそつくり持つて行きや――」 「でも、あと三日で年始廻《ねんしまは》りぢやありませんか」 「この正月は風邪《かぜ》を引くことにするよ」 「――」  お靜は默つて出て行つた樣子でした。 「濟まねえ、親分」  ガラツ八は萎《しを》れ返つて、平手で額を叩いて居ります。 「こいつは罠《わな》だつたのさ、八。これからも氣をつけることだ、――なアに、お靜のことなんか心配することがあるものか、こちとらの女房は、貧乏や十手には馴れつこだよ」  平次はさう言つてカラカラと笑ふのでした。 [#9字下げ]三[#「三」は中見出し] 「た、大變だ、親分」 「又大變の大安賣が來やがつた、――何だい、八」  十兩に纒《まと》めた金を握つて、濱町の吉三郎のところへ驅けて行つた筈の八五郎が、半刻《はんとき》も經たないうちに、面喰つた旋風《つむじかぜ》のやうに舞ひ戻つて來たのでした。 「こいつは驚くぜ、親分。吉三郎が昨夜《ゆうべ》死んだんで」 「何?」  平次もさすがに立ち上がりました。 「下手人は鐵砲汁《てつぱうじる》さ」 「河豚《ふぐ》の毒にやられたのか」  大きな失望が、平次の顏をサツと翳《かげ》らせます。 「友達が三人で河豚鍋を突つき乍《なが》ら、一杯やらかしてゐるまではよかつたが、その晩吉三郎が毒に中つて、七轉八倒の苦しみ、夜明け前に息を引取つたといふことですよ」 「あとの二人は何うした」 「無事だつたさうで」 「誰と誰だ」 「そいつは聞かなかつた」 「行つてみよう、八。どうも俺には腑《ふ》に落ちない事だらけだ」  平時は帶を締め直して、草履《ざうり》を突つかけました。 「河豚で死んだと解つても――ですかい、親分」 「河豚だつていろ/\あるよ。後學のためだ、一緒に來るがいゝ」  二人はそのまゝ、濱町の吉三郎の家へ飛んだことは言ふ迄もありません。  吉三郎の派手な生活《くらし》に似ず、家は至つて地味で、贅澤ではあるが、何となく粹好《いきごの》みでした。附合ひがあまりなかつたものか、集まつて居るのは、ほんの近所の人達が二三人。それも平次とガラツ八の姿を見ると、妙に掛り合ひを惧《おそ》れるやうに、コソコソと姿を隱してしまひます。 「飛んだことだつたな、お神さん」 「ま、錢形の親分さん。飛んだことになつてしまひました」  女房のお由。二十五六の良い年増が、顏を擧げることさへ出來ない樣子で、逆《さか》さ屏風《びやうぶ》の中に泣き崩《くづ》れて居るのでした。 「昨夜の客は誰と誰だい」  平次は形ばかりの線香をあげてから、かう靜かに訊きました。 「それが、よく、わかりません」 「はて?」 「ちよい/\見かけるお顏ですが――」 「年の頃は」 「二十七八と五十二三」 「河豚《ふぐ》は何處から買つたんだ」 「年を取つた方のお客が持つて來ました。竹の皮包みにして、――今日|漁《と》つたばかりのを、知合からわけて貰つて來たが、よく洗つてあるから大丈夫だ――と言つて」 「確かに三人で食つたのだね」 「それはもう間違ひもありません、大層おいしいから、私にも是非とすゝめましたが、私は河豚《ふぐ》と雲丹《うに》は我慢にもいけません」 「二人の客が歸つてから、毒が利《き》き始めたのか」 「え」 「河豚の殘りがあるだらう、生《なま》でも煮《に》たのでも構はねえ、チヨイと見せて貰はうか」  平次は妙に執拗《しつあう》に突つ込みます。 「それが、その殘つたのを、皆んな竹の皮に包んで持つて行つてしまひました」 「吉三郎は河豚をちよい/\やるのかい」 「いえ、生れて初めてださうで、ひどく嫌がつて居りましたが、二人に笑はれて我慢に食べたやうです。でも、一と箸《はし》二た箸食ひ始めると、――こりや飛んだうまいや、鮟鱇《あんかう》そつくりだ――そんな事を言つてました」 「鮟鱇そつくりと言つたのかい」 「それから酒の味がどうも變だ、舌のせゐかしらとも言つてゐました」  女房のお由は進まない樣子乍ら、問はるゝまゝに説明しました。 「三人で一つ鍋《なべ》を突ついたのだらうな」 「え、それなのに、中《あた》つたのが一人は情けないぢやありませんか」 「二人が無事とどうしてわかつた」 「何處で噂を聞いたか、今朝お二人はあわてて飛んで來ました。御近所の衆も御存じですが、何か宿が預かつたものがあるとか言つて、佛樣の懷までかき廻して行きましたが。――」 「それが見付かつたのかい」 「そこまでは解りません」  話が次第にこんがらかつて、そして微妙になつて行きます。 「おや? この脇差ですよ、親分」  ガラツ八は死骸の枕元に置いてあつた、魔除《まよ》けの脇差を取上げました。言ふまでもなく三日前にガラツ八が吉三郎に賣つた、十兩の赤鰯丸《あかいわしまる》です。 「そいつには大した用事がなかつたんだよ。ところでお神さん、毒は何|刻《どき》ほど經つて利き始めたんだ」 「鍋が空になると、二人のお客はすぐ歸りました。それを送つて出ると、上り框《かまち》で引ツくり返つた切り――」 「矢張り身體が痺《しび》れたんだね」  お由の聲が涙に途切れるのを、平次は慰め顏に言ふのでした。 「いえ、痺れもどうもしません。急に腹の中へ火が付いたやうだと言つて、目も當てられない苦しみをしましたが、到頭黒血を吐《は》いて夜明け前に息を引取りました」 「醫者は?」 「町内の玄道《げんだう》さんに診《み》てもらひましたが、何の役にも立ちません」  お由はこれだけ言ふのが精一杯でした。平次の問ひが途切れると、吉三郎の死骸に獅噛《しが》みつくやうに、時々は聲を立てて泣いて居ります。 [#9字下げ]四[#「四」は中見出し] 「親分、河豚汁《ふぐじる》ぢや十手捕繩にも及ばないぢやありませんか」  吉三郎の家を出ると、ガラツ八はもう天下|泰平《たいへい》の顏になつてゐるのでした。 「手前はさう思ふのか」 「だつて親分」 「だから幾年經つても、大物は擧《あ》がらねえのさ」  錢形平次は八五郎の鈍骨《どんこつ》を愍《あはれ》むともなく、かう言ふのでした。 「へエ――、すると、何か變なことでもあるんで?」 「其邊に居る町内の人達に、今朝吉三郎の家へ來た、二人連れの人相を訊くがいゝ。その邊が手繰《たぐ》りどころだ」 「へエ――」  ガラツ八は吉三郎の家の裏口へ廻りましたが、やがて、狐につまゝれたやうな顏をして戻つて來ました。 「どうした、八?」 「變ですぜ、親分。今朝此處へやつて來て、佛樣の懷までかき廻して行つたのは、三十前後の凄《すご》い年増と、四十恰好の浪人者らしい男ださうですよ」 「それ見るがいゝ」 「吉三郎夫妻とは餘つ程|眤懇《ぢつこん》の樣子で、時々此家へ來るさうですよ」 「所、名前は?」 「そいつは解らねえ、――お由を締め上げてみませうか」 「無駄だよ、止すがいゝ。それに亭主の死骸の側で手荒なことをしちや、いかに御用でも寢醒《ねざ》めがよくねえ」 「親分は相變らず弱氣だ」 「それでいゝのさ、氣が強くて考へが淺かつた日にや、岡つ引は罪ばかり作るよ」  平次はそんな事を言ひ乍《なが》ら、町内の本道、町野玄道を訪《たづ》ねました。  吉三郎毒死の顛末《てんまつ》を細々《こま/″\》と訊くと、 「親分、あれはどうも腑《ふ》に落ちないよ、河豚《ふぐ》の毒ばかりではなかつたやうだ」 「すると、何か外の毒でも盛られた樣子で?」 「いや、さう言ふわけぢやない。第一あんな激しい毒藥は、江戸中の生藥屋《きぐすりや》を搜したつてない――南蠻物《なんばんもの》なら知らないが――」 「南蠻物?」 「矢張り河豚にして置く外はあるまい。三人で食つて一人しか中《あた》らないといふのは、河豚の外にはないことだ。鍋《なべ》の中に外の毒が入つてゐたなら、三人が三人ともやられる筈だ」  玄道は大きな坊主頭を振るばかりです。  平次とガラツ八はもう一度吉三郎の家へ戻りました。が、お由はもう白い眼を見せるだけで、二人の問ひにもろくに答へてはくれず、親類縁者も、友達もない樣子で、話を手ぐり出す工夫もありません。 「お神さん、もう一つ二つ訊きたいが、お前さんところの宗旨《しうし》は何だえ」  平次はつかぬ事をきくのでした。 「門徒《もんと》ですよ、今お寺樣が來ますから、お宗旨の事ならそつちへ訊いて下さい」  少し劍もほろゝです。 「江戸には親類もないんだね」 「あつたつて遠い身寄は音信不通で、附合つちやくれません。尤も長崎には亭主《やど》の弟が居ますが、お葬式《とむらひ》に間に合ふわけはなし」 「そいつは氣の毒だ」  そんな事を言ひ乍ら、家の中を念入りに見ましたが、ひどく裕福《ゆうふく》らしいといふ外には、何の變つたところもなかつたのです。 「吉三郎は遊び人で通つてゐたが、勝負事は好きぢやなかつたさうだ。立入つたことを訊くが、世過ぎは何でやつて居たんだ」  平次の問ひはかなり突つ込みます。が、 「私にも解りませんよ。金の成る木でも持つて居たんでせう」  お由は空嘯《そらうそぶ》いて相手にしさうもありません。 「もう一つ、三日前に八五郎が、この脇差と牙彫《けぼり》の根附《ねつけ》を一つ、十兩で吉三郎に賣つたさうだ。少しわけがあつて、それを返して貰ひたいんだが」  平次は十兩の金をお由の前に押しやつて、相手の出やうを待ちました。 「勝手にその脇差を持つて行つて下さい。尤《もつと》も牙彫の根附なんかは知りませんよ」 「確かに持つてゐた筈だが――」 「親分も、佛樣の懷が見たいんでせう。勝手にするがいゝ、馬鹿々々しい」  お由は氣が立つて居るらしく、かう言つてプイと座を立ちました。 「見ませうか、親分」  立ちかゝる八五郎。 「無駄だらう、今朝拔かれてしまつたよ、――赤鰯丸《あかいわしまる》なんか持つて行つても仕樣があるまい、――十兩の金さへ返しや氣が濟む。さア歸らうか、八」  平次はもう何の未練氣《みれんげ》もなく立ち上がるのでした。 [#9字下げ]五[#「五」は中見出し]  その日半日、平次は何處ともなく飛んで行つてしまひました。ガラツ八は吉三郎の家を宵まで見張りましたが、町内の百|萬遍《まんべん》の講中が來たのと、お通夜《つや》の小坊主が、お義理だけの經《きやう》をあげた外には、何の變りもありません。  フラリと平次の家へ來たのは亥刻《よる》少し過ぎ、食はず飮まずで見張つてゐてひどく疲《つか》れて居ります。 「親分は?」 「まだ戻りませんよ。入つて待つてゐて下さいな、八さん」  お靜の蟠《わだかま》りない調子に、八五郎はいつものやうにヌツと入つて長火鉢の前に頬杖《ほゝづゑ》を突きました。 「何處へ廻つたらうなア」 「お支度は、八さん」  お靜はそれに構はず、腹の減つてゐるらしい八五郎の顏を、少し遠くから鑑定《かんてい》して居ります。 「親分が歸つてから御馳走になりませう」  ガラツ八にも矢張り遠慮はあつたのです。 「それぢや、せめて一本|燗《つ》けませう」 「へエ、――變なことがあつたもので――」 「まア、八さん、たまにはお酒位はありますよ。――ツイ先刻、八丁堀の旦那から、心祝ひがあるからと、わざ/\一升屆けて下さいましたよ」 「そいつは豪儀だ、――さすがに笹野の旦那は氣が付くぜ、へツ、へツ」  八五郎はすつかり相好を崩《くづ》してしまひます。  お靜はその間に、銅壺《どうこ》に突つ込んだ徳利を拭いて、八五郎の前に据《す》ゑた膳の上へ、そつと載《の》せてやりました。元は水茶屋に奉公してゐたお靜ですが、さすがに夫の留守に、子分の酒の酌《しやく》までしてやるのを憚《はゞ》かつたのでせう。 「濟みません」 「なアに、此方が勝手なんで、有難てえな。ト、ト、ト、散ります散りますと來やがる。へツ、へツ、良い色をしてゐるぜ」  グツと喉《のど》を鳴らし乍ら、猪口《ちよく》の手を胸のあたりまで持つて行つた八五郎。 「待ちな、八」  ガラリと格子が開きました。錢形平次が歸つて來たのです。盃《さかづき》を膳へ置くかと思つた八五郎の手は、意地汚くそのまゝ唇《くち》へ―― 「あツ」  八五郎の手をハタと打つたものがあります。盃は後ろに飛んで、パツと胸から膝へ飛散る酒。平次の煙草入《たばこいれ》が飛んで來たのでした。 「親分」  八五郎の聲にも怒《いかり》があります。 「馬鹿ツ、そいつを呑《の》むと命がねえぞ」 「えツ」 「今路地の外まで歸《けえ》つて來ると、變な野郎がウワウロして居るから、樣子を見てゐるうちに、お靜の話を聞いてしまつたよ、――八丁堀の旦那が、心祝ひに酒を下すつたなんて、そいつは大嘘《おほうそ》だ。俺はつい先刻まで、八丁堀に居たんだから、お酒を下さるなら、そんなお話の出ないわけはねえ。心祝ひどころか、笹野の旦那は明日は先代樣の法要《ほふえう》で、牛込のお寺まで行かなきやならないと言つて居なすつたよ」  さう言ひ乍《なが》ら平次は、埃《ほこり》も叩かずに入り込んで、默つたまゝお靜の差出す樽《たる》を受取つて眺めました。 「親分、そ、そいつは本當ですかえ」 「嘘だつた日にや、俺は八に申譯がねえことになる。これを見るがいゝ、樽は町内の酒屋のだ。八丁堀から屆いたのではない證據は、この〼定《ますさだ》の印《しるし》で判るだらう」 「――」  八五郎もさう言はれると、口もきけません。 「危いところだ、八。そいつを一《ひ》と猪口《ちよく》呑んだだけで、手前《てめえ》は俺の身代りに、血へどを吐《は》いて死ぬところよ」 「――」 「だが、癪《しやく》にさはる野郎ぢやないか。この平次を鰌《どぜう》と間違へやがつて」 「誰がこんな事をしたんで、親分」  八五郎は漸《やうや》く人心地がつきました。 「吉三郎を殺した奴だよ」 「ぢや河豚《ふぐ》?」 「馬鹿、河豚が酒を買つて、屆けるかよ」 「さア解らねえ」 「俺も解らねえが、こいつは大變な曲者だ。退治しなきや御府内の難儀、お上の御威光《ごゐくわう》にも拘《かゝ》はる。來い、八。今晩のうちに埒《らち》をあけてやる」 「へエ――」  八五郎は平次の劍幕に釣られて、モソモソ立上がりました。 「お靜、その酒は匂ひを嗅《か》いでもならねえよ。封印《ふういん》をして大事にしまつて置《お》け」 「ハイ」  言ひ捨てた平次。其足で驅け付けたのは、町内の酒屋|升定《ますさだ》でした。番頭に訊くと、 「いゝ年増でしたよ。一番良いのを一升|量《はか》らせて、小僧に持たせてやりませうと言ふと、イヤ、それには及ばない、私が持つて行かなきや、親切が屆かないつて」 「その女は三十前後の――」 「大店《おほだな》の御新造といつた風でした。頭巾を冠《かぶ》つて居るので、髮形はわかりませんが」 「有難う、飛んだ手數だつた」  平次は外へ出ると、眞つ暗な師走《しはす》の空を仰いで、大きく息をしました。見えざる敵のしたゝかさを改めて犇々《ひし/\》と感じた樣子です。 [#9字下げ]六[#「六」は中見出し] 「お神さん、そいつは間違ひだぜ。吉三郎は河豚《ふぐ》で死んだんぢやねえ、立派に毒害《どくがい》されたんだ」  通夜の人數を追つ拂つて、八五郎に見張らせた平次は、吉三郎の死骸を中に、お由と膝詰め談判を始めたのでした。 「まさか、親分」  お由は容易《ようい》に信じさうもありません。 「證據はいくらでもある。第一、昨夜三人で食つたのは、河豚《ふぐ》ぢやない鮟鱇鍋《あんかうなべ》だ、吉三郎が河豚を食つたことがないと言ふから、鮟鱇を持つて來て、河豚といふことにして食はせたんだ。鮟鱇鍋で死ぬ氣遣ひはないが、河豚なら隨分三人のうち一人死ぬといふことがないではない――、彼奴等は其處を狙つたんだ」 「――」 「殘つた魚を竹の皮包にして持つて歸つたのは、後で鮟鱇《あんかう》と判つては面白くないからだ。それから、河豚の毒なら身體が痺《しび》れる筈だが、そんな事がなくて、腹の中が燒け爛《たゞ》れるやうで、血を吐いたのは南蠻渡《なんばんわた》りの毒藥に違ひない。玄道さんもさう言つて居る」 「――」 「毒は、吉三郎の盃の中に入つて居たんだ。多分、ちよいと立つた時か何か、投げ込まれたんだらう。――その證據は、昨夜は三人共、盃のやり取りはしなかつた筈だ」 「えツ、そ、その通りですよ。親分。いつも差したり差されたりするのが、昨夜は最初から御家人喜六の言ひ出しで、盃のやり取りなし、うん[#「うん」に傍点]と食つて飮まうといふことにしたやうでした」 「それ見るがいゝ。お前の配偶《つれあひ》は、その御家人喜六と、もう一人の年増に殺されたんだ。今夜は俺のところへまで毒酒を持込みやがつたよ。放《はふ》つて置くと何をやり出すか解らない」 「えツ」 「解つたか、お神さん。夫の敵を討つ氣はないのか」 「畜生ツ、さうとは知らずに、――私は亭主《やど》に口止めされたのを守つて、今まであの二人を庇《かば》つてばかり居ました、――敵を討つて下さい。親分さん」  お由にも、漸《やうや》く事件の全貌《ぜんばう》が解つた樣子です。 「それにしても相手の素姓《すじやう》が解らなくちや、敵の討ちやうがない。あの女は何だい」 「唐人《たうじん》お勇といふ大變な女ですよ」 「三人で何かやつて居た筈だが――」 「何か大仕事をしてゐるやうでしたが、私には言つてくれません」  お由は全く何にも知らない樣子でした。 「仲間はたつた三人切りか」 「子分は二三十人ある筈です」 「ね、お神さん。佛樣のことを惡く言ふわけぢやないが、吉三郎はその御家人喜六と唐人お勇に荷擔《かたん》して大層なことをやつて居たんだ」 「――」 「俺の見當では、多分拔荷を扱《あつか》つて居たのだと思ふ、――拔荷といふと何でもないやうだが、こいつは大變な御法度で、露顯《ろけん》すると獄門にも磔刑《はりつけ》にもなる」 「――」 「自分の榮華のために、紅毛人《こうまうじん》に御國の寶《たから》をやつて、厄體もない贅澤な品物を買入れ、それを三倍五倍の利潤《まうけ》で、金持や物好きな人間に賣り付けるのだから、拔荷扱ひは商人の風上にも置けねえ、屑《くづ》のやうな人間だ」 「――」 「お國の寶の大判小判《おほばんこばん》、あれを紅毛人は命がけで欲しがるさうだ。だから、命知らずの紅毛人は、羅紗《らしや》だの、ビードロだの、いろ/\の小間物だの、あまり生活の足しにならぬ物を持込んで、この國の大判小判と換《か》へて行くのだ。長崎ではお役人の目がやかましいから、九州の沖で日本の船に積換《つみか》へ、米や炭の荷に交ぜて、公方樣お膝元へ持つて來るに違ひない。江戸へは諸國の荷が集まるから却《かへ》つてわからない道理だ、――現にお前の夫の吉三郎を殺したのも、その拔荷《ぬけに》で入つた南蠻祕法《なんばんひはふ》の毒藥だ」  平次の舌は焔《はのほ》のやうに燃えます。 「親分さん」 「私慾のために掟《おきて》を破り、その上、人まで殺すやうな惡者は放つては置けない。お前の知つてることがあつたら皆な言つてくれ、許して置けない奴等だ」 「親分さん、皆んな申上げます」 「それは良い心掛だ。夫の罪亡ぼしにもなるだらう」 「私は何んにも知りません、――でも、船の入る時の合圖《あひづ》だけは知つてゐます。――時々見張りをさせられましたから」 「有難い、それが解りや」 「――」  お由は聲を潜《ひそ》めました。 [#9字下げ]七[#「七」は中見出し]  その晩神田の平次の家は燒けたのです。  そればかりは、錢形平次も氣が付かなかつたのでせう。毒酒の計略《けいりやく》は見事に見破りましたが、それだけで油斷をしてゐると、その夜の丑刻《やつ》半頃、三方からあがつた火の手は、瞬《またゝ》く間に平次の長屋を燒き落し、近所の二三軒を半燒にして、漸《やうや》く納まつたのでした。  風がないのと、暮の街で注意が行屆いたので、これ丈けで濟んだのは不幸中の幸ひでしたが、困つたことは、肝腎《かんじん》の錢形平次が、それつ切り行方不知になつてしまつたことです。  ――錢形の親分が燒け死んだとよ――  ――表裏の戸口は外から閉めてあつたさうだ、お靜さんが命から/\逃げ出したといふぜ――  そんな噂が八方から飛びました。全く、燒跡《やけあと》にシヨンボリと立つてゐる、氣の拔けたやうなガラツ八の姿や、顏から腕へかけて、晒木綿《さらしもめん》で卷かれた、痛々しいお靜の樣子を見ると、錢形平次が死んだといふのも、滿更の噂《うはさ》ばかりではない樣子です。  晝頃には八丁堀の與力笹野新三郎も來ました。江戸中の顏の良い御用聞も、五人十人と集まつて來て、夕方には、それが二三十人になり、打ち濕《しめ》つた樣子で、ポツポと烟《けむ》る灰を掻かせて居ります。  日が暮れると、平次の遺骸を板圍《いたがこ》ひの中から運び出し戸板に載《の》せて、回向院《ゑかうゐん》に移しました。江戸中の名ある御用聞手先が二三十人、笹野新三郎と一緒に、それに從《したが》つたことは言ふ迄もありません。  その晩の戌刻《いつゝ》半頃、この一行は回向院の寺内に入り、其處でお通夜が營まれたのです。  同じ夜、子刻《こゝのつ》過ぎ、永代のあたりから漕ぎ上がつた傳馬が一|艘《さう》、濱町河岸に來ると、船頭が舳《とも》の灯を外して、十文字に二度、三度と振りました。  師走二十九日、漆《うるし》のやうな闇の中に、その光が水を渡つて走ると、何處からともなく河岸に集まつた人數がざつと二十人ばかり。 「變な時船が入つたものだね、お首領《かしら》」 「宵のうちに、永代から合圖があつてびつくりしたよ、――今頃入る船はない筈だが、春になつてから來るといふのが、何かの都合で早く入つたんだらう」  さう言つた囁きが、彼方、此方に交《かは》されます。 「それよ、板を渡してくれ」 「おい」 「酒の荷が先か米の荷が先か」 「明日は大晦日《おほみそか》だ、酒の荷を先にしてくれ。三河屋も、長崎屋も來て居るぞ」  何時の間にやら、屋號を入れた提灯が二つ三つ用意されました。屈強《くつきやう》な若者達が、船から運び出す荷を、陸《をか》に待つて居る人足が、言葉少なに受取つて、何處ともなく姿を消します。  船の中の荷物はザツと二十七八。その全部を運び終ると、後に殘つたのは、頭巾《づきん》を目深に冠《かぶ》つた男と女の二人でした。 「これでよし、歸らうか」 「歸りませう」  歩みを移《うつ》す二人の前へ――、 「御用ツ」  ヌツと突つ立つたのは八五郎のガラツ八です。 「何?」 「御家人喜六、唐人お勇、神妙にせい」  パツと組付いて行くガラツ八、お勇は身をかはして、トンと肩のあたりを突きました。 「ワツ」  二三歩泳いで立直るガラツ八。その後ろから、 「えいツ」  後家人喜六の一刀が闇を劈《つんざ》くのを、 「俺が相手だ、來いツ」  横合から飛込んだ十手が、ガツキと受止めました。 「邪魔だツ」 「拔荷《ぬけに》の惡事、吉三郎殺しの下手人《げしゆにん》まで露顯《ろけん》をしたぞ。觀念せいツ」 「何をツ」  御家人喜六は、お勇を後に庇《かば》つて、一刀を闇に構へます。 「御用ツ、御用ツ」  八方から、ヒタヒタと詰めよる捕方の人數。 「えツ、寄るな/\、一人殘らず切つて捨てるぞツ」  御家人喜六の腕は拔群《ばつぐん》でした。 「傳馬は此方で仕立てた僞物《にせもの》だ、仲間は一人殘らず生捕られたぞ。神妙にお繩を頂戴せい」  先刻、船から揚げた荷物を、一つ/\擔《かつ》いで行つた子分は、回向院に通夜《つや》をすると見せかけた、江戸中の手先に、一人殘らず後を跟《つ》けられ、落着く先で縛られたとは、御家人喜六もまだ知らなかつたでせう。 「えツ、其方共に縛《しば》られる喜六ではない、退け/\」  サツと身を飜《かへ》すと、眼にも止まらぬ早業で、早くも二三人の捕方は淺傷《あさで》を負はされた樣子。 「油斷するなツ」  後ろから激勵の聲を掛けたのは笹野新三郎です。 「灯《あかり》だツ」  誰やらの聲に應じて、何處に隱してあつたか、十幾つの御用の提灯が、一度にパツと二人の曲者を照します。 「あつしが行きませう。この野郎には家を燒かれた怨《うらみ》があります」  パツと飛出した美丈夫。 「平次だ、平次だ」  捕物陣は二つに割れて、その道を開きました。 「生きてゐたのか平次、命冥加《いのちみやうが》な奴だ」  苦《にんが》りする御家人喜六、右手の刄《やいば》は、油斷なく灯にギラリとうねります。 「手前のすることは一々|卑怯《ひけふ》だ、我慢のならねえ野郎だ」  さう言ふ口を塞《ふさ》ぐやうに、喜六の刄はサツと伸びます。 「おつと危ねえ、――これでも食やがれ」  平次の右手が擧《あ》がると、夜風を剪《き》つて錢が一枚、御家人喜六の唇《くち》へ――。 「己れツ」  僅かに刄の平で受けましたが、二枚目は強《したゝ》かに頬骨へ、三枚目は額へ、――眼へ――。 「野郎ツ」  ひるむ後ろから、無手《むず》とガラツ八が組付いて居たのです。 「危ねえ、八」  錢形平次は驚いて飛込みました。喜六の後に居る唐人お勇は、匕首《あひくち》を拔いて、ガラツ八の脇腹へサツと突いて出たのです。  平次は危ふくそれを突飛ばすと、お勇の匕首は飛龍《ひりう》の如く平次の胸へ飛んで來たのでした。それをかはして、 「女、いゝ加減にしろツ」  飛付く平次。その手を拂つてお勇の身體は、大川の寒水へ、水音高く飛込んでしまひました。         ×      ×      × 「變な捕物だつたね、親分」  その歸り路、柳原土手でガラツ八は斯《か》う誘《さそ》ひかけました。 「脇差を十兩に賣つたのが始まりさ。手前《てめえ》が感のいゝ人間で、吉三郎の心持を讀むと、こいつは危ないことだつたよ」  平次は面白さうです。 「へエ――」 「まだ判らねえのか、――手前に拔荷《ぬけに》を揚げる現場を見られたから、大なまくら[#「なまくら」に傍点]を十兩で買つてな、手前《てめえ》の御機嫌を取つたのさ、――見て見ぬ振りをしてくれといふ謎さ」 「なアーる」 「今頃感心する奴があるものか、十兩の元手を唯取られたやうなものだ」 「へエ――」 「あの牙彫《けぼり》の根附《ねつけ》は、多令拔荷を受取る手形のやうなものだらう。吉三郎は仲間では三下《さんした》だが、あの牙彫の手形を手前のところから見付けて持つて行くと、急に頭領《かしら》の株を狙つて、拔荷の大儲《おほまう》けを一人占めにしようといふ大望を起したのさ」 「――」 「それと氣の付いた御家人喜六と唐人お勇が、吉三郎如きに大事の手形を取られちや叶《かな》はないから、鮟鱇《あんかう》を河豚《ふぐ》と言つて食はせ、實は毒酒で殺して死骸から牙彫《けばり》の手形を拔いたのだよ」 「さう繪解きをして貰ふと、さうでなかつたら嘘見たいで、へエ――」  ガラツ八はまだ長い顎《あご》を撫でて居ります。 「だが、自分達の利潤《まうけ》のために、お上の御法を破る奴は憎いね。その上仲間を殺したり、――俺の家まで燒いたり」 「さう言へば、親分は何處へ行きなさるつもりで――」 「お靜は當分里のお袋に預けたよ。――俺はな、八。當分、八五郎の家に居候《ゐさふらふ》ときめたよ」 「そいつは有難てえ。親分を居候に置いたとあれば、あつし[#「あつし」に傍点]も肩身が廣い」 「ハツハツハツ、ハツハツ」  柳原土手の夜は白みかけて居りました。大晦日《おほみそか》の江戸の街は、一|瞬轉毎《しゆんてんごと》に、幾百人かづつ最後の足掻きの坩堝《るつぼ》の中に、眼を覺《さま》さして行くのでせう。 底本:「錢形平次捕物全集第十三卷 焔の舞」同光社磯部書房    1953(昭和28)年9月5日発行 初出:「オール讀物」文藝春秋社    1938(昭和13)年12月号 ※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:門田裕志 2014年5月25日作成 青空文庫作成ファイル: 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