原始林の縁辺に於ける探険者 une ode 富永太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)陽《ひ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)Ⅰ ------------------------------------------------------- Ⅰ 陽《ひ》の眼《め》を知らぬ原始林の 幾日幾夜の旅の間 わたくし 熟練な未知境の探険者は たゞふかぶかと頭上に生ひ伏した闊葉の 思ひつめた吐息を聴いたのみだ。 たゞ蹠《あなうら》に踏む湿潤な苔類の ひたむきな情慾を感じたのみだ。 Ⅱ まことに原始林は 光なき黄金の水蒸気に氾濫し 夏の日の大いなる堆肥の内部さながらに エネルギーの無言の大饗宴であつた。 あゝ嘗て私の狂愚と慚羞とを照した太陽は この探険の最初の日 さりげなく だが 赤々とその身を萎み 私をこの植物の大穹窿の中へと解き放つた。 その日から私に与へられたのは 獣類の眠りのやうな漆黒の忘却であつた…… それを思へば 今もなほ あゝ 喜びに身が慄ふ! Ⅲ [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 毛並さはやかな仔豹のやうに しづしづと また軽捷に 私は怪奇な木賊族の夢を貪婪に掻き分けた―― 何ものの悪意も知らず 怖れもなくて 強靱な植物らの絶え間なく発汗する 強酒のやうな露を身に浴び 誇りかに たゞ誇りかに 鼻孔をひらき かぐろいエーテルを分けて進み行くわが身は 心楽しく闇と海とに裂傷をつくる 春の夜の無心の帆船であつた。 だが ときをりは 嘗て見た何かの外套《マントオ》のやうな 巨大な闊葉の披針形が 月光のやうに私の心臓に射し入つてゐたこともあつたが…… [#ここで字下げ終わり] Ⅳ 恥らひを知らぬ日《にち》々の燥宴のさなかに ある日(呪はれた日) 私の暴戻な肉体は 大森林の暗黒の赤道を航過した! 盲ひたる 酔ひしれたる一塊の肉 私の存在は 何ごともなかつたものゝやうに やはり得々と 弾力に満ちて さまざまの樹幹の膚の畏怖の中を 軽々と摺り抜けて進んでは行つたが、 しかし 喩へば肉身を喰む白浪の咆吼を 砂丘のかなたに予感する旅人のやうに 心はひそやかな傷感に衝き入られ 何のためとも知らぬ身支度に おのが外殻の硬度を験めす日もあつたのだ! Ⅴ [#地付き](未完) 底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社    1975(昭和50)年7月10日初版第1刷    1984(昭和59)年10月1日第6刷 底本の親本:「定本富永太郎詩集」中央公論社    1971(昭和46)年1月 入力:村松洋一 校正:川山隆 2014年3月7日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。