欝金草賣 LE MARCHAND DE TULIPES ルイ・ベルトラン Louis Bertrand 上田敏訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)香《にほひ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|尾《ひき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから7字下げ] ------------------------------------------------------- [#ここから7字下げ] [#ここから29字詰め] 花のなかなる欝金草は鳥のなかなる孔雀の如し。かれに香《にほひ》無くこれに歌無し。かれは其袍《そのうはぎ》を、これは其尾を矜《ほこ》る。   「珍華園」 [#ここで字詰め終わり] [#ここで字下げ終わり]  あたりはしんとしてゐる。博士ホイルテンの指の下に羊皮紙の擦れる音ばかりだ。博士は彩色の飾文字《かざりもじ》を散らした聖典を見つめてゐて、たまに眼を放てば、うつすり曇る水盤の中に泳ぐ二|尾《ひき》の魚の金《きん》と紅《あか》とを眺めるのみだ。  部屋の扉がすうつと開《あ》いた。花屋は欝金草の鉢をいくつも抱《かか》へて會釋《ゑしやく》しながら博學の君の讀書を妨げて眞に相濟まずといふ。  ――先生、御覽下さいまし、逸品も逸品、珍の珍とも申したいこの一株の球根は東羅馬皇帝の後宮にも百年に一度しか咲かぬ花の種で御座います。  ――なに、欝金草。と老博士はせつ込んだ。あの厭はしいヰッテムベルヒの市《まち》にルッテル、メランクトンの異端邪説を生み出した驕慢と淫樂とを象《かたど》る花か。  ホイルテン師は聖典の釦金《とめがね》を掛けて、眼鏡を鞘に收め、さつと窓掛を押しのけると、花は日なたに咲きにほふ。嗚呼主の君の受難の花。刺《とげ》の冠、海綿、苔、釘、五つのおん傷がちやんと見える。  欝金草賣は謹んで無言のままに頭《くび》を俛《た》れた。壁際高くホルバインの傑作、アルバ公爵の肖像畫が掛けてあつて、そこより瞰《にら》む糺問法官の眼光に竦《すく》んで了つた。 底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店    1962(昭和37)年12月16日第1刷発行    2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行 初出:「三高仏蘭西協会雑誌」    1915(大正4)年3月 入力:川山隆 校正:岡村和彦 2012年11月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。