頌歌 ポオル・クロオデル Paul Claudel 上田敏訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)魂《たましひ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)頃|森陰《もりかげ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)ヸ /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)もろ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- わが魂《たましひ》は主《しゆ》を崇《あが》め奉るなり。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 噫《あゝ》今は越方《こしかた》となりし辛《つら》き長き途《みち》よわれたゞ孤《ひとり》なりしその日よ。 都大路《みやこおほぢ》の流離《さすらひ》よ、御堂《みだう》へ下《くだ》る長町《ながまち》よ。 宛《あたか》も若き競技者が方人《かたうど》、調練者《ならして》の群《ぐん》に急《せか》れてか楕圓砂場《だゑんさぢやう》をさして行く時、 一人《ひとり》は耳に囁きつ、またの一人《ひとり》は腕《かひな》に自由を許しつゝ布《きれ》もて腱《すぢね》を卷き縛《しば》る如きめをみて、 わが神々の忙しき足の中をわれは進みぬ。 聖約翰祭《せいヨハネさい》夏至《げし》の頃|森陰《もりかげ》の音《おと》なひよりも、 あるは、ダマスコの里水《さとみづ》さやぐ山川《やまかは》の音《おと》に、 荒野《あれの》の吐息|雜《まじ》り、夕されば風|戰《そよ》ぐ高木《かうぼく》の搖《ゆる》ぎも加はるその聲《こゑ》よりも繁きは、 欲望さはなる若き心の言葉なり。 嗚呼《あゝ》神よ、若き人は女の生みたる子は、御供《ごくう》の牡牛《をうし》よりも御心《みこゝろ》に適《かな》ふべし、 かくてわれ、相撲《すまふ》の身を屈する如く、御前《おんまへ》にあり、 自らを敢《あへ》て弱しと思ふにあらず、他の更に我より強きが爲《ため》ぞ。 君はわれを呼び召して、 夙《つと》にわが名を知り給ふ如く、同じ齡《よはひ》の者の中《なか》より特にわれを擇《えら》び給ふ。 嗚呼、神よ、若き人の心はいかに愛に滿ち、いかに汚辱と虚榮とを忌むかを知り給ふならむ。 是《こゝ》に於《おい》てか、君、急《には》かにわが前に現はれ給ふ。 主《しゆ》は昔|御力《みちから》を示して孟西《モオゼ》を驚かし給ひぬ、されど、わが心には、罪なき一《いつ》の實有《じつう》とこそ見えたれ。 さすがはわれも女の生みたる子なるか、そは此時《このとき》、理性も師説《しせつ》も、すべての妄誕《ばうたん》も、 わが心の雄誥《をたけび》に對《むか》ひて、この幼兒《をさなご》のさし伸べたる手に對《むか》ひて、全く無力なればなり。 噫《あゝ》、涙、噫《あゝ》、情深《なさけぶか》き心、噫《あゝ》、涙はふり落つるこの顏容《かんばせ》かな。 諸《もろ/\》の信者たち、來《きた》れ、この今生れたる幼兒《をさなご》を尊《たつと》び敬《うやま》はむ、 われを君が仇《あだ》と思《おぼ》し給ふ勿《なか》れ、われは君のいづこに在《いま》すかを辨《わきま》へず、また見ず、また知らず、唯《たゞ》この涙に暮《く》るゝ面《おもて》を君の方に向けたり。 われらを愛する者、人誰か愛せざらむ、わが心、救世主《すくひぬし》を見て、躍り喜ぶ。諸《もろ/\》の信者たち來《きた》れ、われらが爲に生れ出で給ふこの幼兒《をさなご》を尊《たつと》び敬《うやま》はむ。 ――さてもわれは今|童兒《どうじ》にあらず、生《いのち》の央《なか》に在りて、事理分別を辨へ、 歩《ほ》を停《とゞ》めて、力量と堪忍とを楯に直立して、各方面を眺めたり。 かくて君、われに置き給ひし心と音《おと》とを元《もと》に、 われはくさぐさの言葉を作り、説を工《たく》み、わが胸の内に、異る聲々《こゑ/″\》を集めたるが、 今や長論議《ちやうろんぎ》もはたと止《や》みて、 われ唯《たゞ》孤《ひとり》となりぬ。君の御前《みまへ》に出《い》でては、更に新らしきわが身の思《おもひ》して、 復音《ふくおん》の一聲《いつせい》、たとへば、弓をもて、二つの絲《いと》を彈き鳴らしたるヸオロンの如く歌ひ出づ。 われ、世に在りて何か爲《な》さむ、一帶の砂上に立ちて、眼《まなこ》常に、あのうち重《かさ》なれる晶光七天《しやうくわうしちてん》を眺むるのみ。 君、今ここにわが前に在《い》ます。われは、カルメル山《ざん》に孤雲を望む牧人の心となりて、君が御爲《おんため》にやをら美《うつく》しき一條《いちでう》の歌を捧げむ、 時これ十二月|寒《かん》の土用に際して、萬物《ばんぶつ》の結目《むすびめ》は縮《ちゞ》まり竦《すく》み、夜天《やてん》に星斗《せいと》闌干《らんかん》たれど、 歡喜の心、逸散《いつさん》にわが身を撞《つ》きて、 今は昔、カヤパス、アンナ大司祭たり、ヘロデは、 ガリレヤに、弟ピリポ、イツリヤとトラコニチスとに、リサニヤスはアビレナに分封《わけもち》の王《きみ》たりし世、荒野《あれの》のヨハネに御言葉《みことば》の降《くだ》りし時の如し。 われらの奏問《さうもん》し奉る言葉と同じ言葉もてわれらにも、宣《の》らせ給ふわが神よ。 君は今もわが聲を輕しめ給はず、君が幼兒のいづれもの聲、または、君が婢女《はしため》マリヤの聲、 マリヤはその心の溢《あふ》れ湧きて、その謹《つゝし》みを受け入れ給ひし嬉しさに叫びし其《その》聲と同じやうに嘉《よみ》し給ふ。 嗚呼《あゝ》、わが神の御母《おんはゝ》、女のうちにての女よ、 この長旅《ながたび》のはてに、君がわが胸に達し給ひしか。わが身の内にある代々の人々よりこの我に至る迄《まで》、一齊に呼ばはりて、君を祝福されたる者と仰ぎ奉る。 そも君が室《しつ》に入るや、エリザベエタは耳を傾け、 石婦《うまずめ》と呼ばれし者も身重《みおも》になりてはや六月《むつき》となりぬ。 わが心、頌歌《ほめうた》を負ひて重く、御前《おんまへ》にむかふも苦しげなり。 宛も乳香《にうかう》と炭火《すみび》とに充ちたる金の香爐《かうろ》の重たげに、 鎖の長さに振上げられて、 次に降《お》り來るその跡は、 濛々《もう/\》たる香煙《かうえん》を日光に漲《みなぎ》らす如し。 主《しゆ》よ、口訥《くちごも》る萬物の中《なか》に立ちて、わが心、願はくは其《その》言ふ所を知る者の如くあらなむ。 造化《ざうくわ》の主《しゆ》に對するこの大歡喜、千萬の天軍が嚴守《げんしゆ》するこの祕密は空《くう》にあらず。 嗚呼《あゝ》、わが言《げん》の力を、その無言《むごん》の力と同じからしめ給へ。 又、萬有のすぐれてめでたき事も空《くう》にはあらず又かの虚《うつ》ろ蘆莖《あしぐき》の戰《そよ》ぎも空《くう》ならず、裏海《りかい》の濱《はま》アラルの麓《ふもと》なる古塚《ふるづか》の上に坐して、 東方聖人は此聲《このこゑ》を聞きながら星を考へ、大《おほい》なる代の近づくを察したらずや。 されどわれは唯《たゞ》、ふさはしき言葉を見出で、これを見出でたるのち、唯、わが心の言葉を吐出《はきい》で、 これを言出《いひい》でたるのち、命《いのち》を終《をは》り、又これを言出でたるあとは、頭《かしら》を胸に俛《た》れて、宛《あたか》も老僧が聖祭《せいさい》を行ひつゝ絶命する如くならむ。 主《しゆ》は祝すべきかな、諸《もろ/\》の偶像よりわれを救ひ給へり、 君を他《ほか》にして、我に敬《うやま》ひ尊《たつと》ぶもの無からしめ、イシスにもオシリスにも、 又は「正義」「進歩」「眞理」或は「神性」「人道」「自然法則」また「藝術」にも「美」にも額《ぬか》づかしめず、 元來世に在らざる物又は君|在《いま》さぬ爲《ため》に生じたる空虚に存在を容《ゆる》したまはず。 見よ、空舟《うつろぶね》を刳《く》りて、殘る船板《ふないた》をアポロオンに彫《ほ》り刻みし未開人の如く、 かの唯、辯《べん》を辯ずる者どもは、形状言《けいじやうげん》の剩餘《じようよ》をもて、實體もなき多くの怪物を造りつつ、 童男《どうなん》童女《どうぢよ》を食とするモロックよりも虚誕《きよたん》にして又、殘忍なり醜惡《しうを》なり、 音《おと》ありて聲無し、名あれど體《たい》無し、 荒野《あれの》またすべて空《くう》なる物に住まふ不淨の氣ここに漂ふ。 主《しゆ》よ、君はすべての書籍《しよじやく》、思想、偶像、祭官等よりわれを救ひ給ふ、 以色列《イスラエル》が、「柔弱家《にうじやくか》」の軛《くびき》に屈するを許し給はず、 君が死者の神にあらず、生きたる人の神なるをわれは知れり。 われは幻影と傀儡《くわいらい》とを敬《けい》せず、ディヤナも「義務」も「自由」も牛の姿のアピスも、 又はかの「天才」かの「英雄」或は大人《たいじん》、超人《てうじん》、すべて忌《いま》はしき異形《いぎやう》のものを敬せむや。 死の中にありてわれ自由なる能《あた》はざればなり。 われは眞に有る物の間に有りてこれをわが身に缺《か》く可《べ》からざる物とするに努む。 われは何物をも凌駕《りようが》せむとはせず、唯《たゞ》眞の人たるを欲す。 主《しゆ》が諸《もろ/\》の實在中《じつざいちゆう》にありて、完《まつた》く、且《か》つ眞に、且つ生き給ふ如く眞ならむを欲す。 世上の假説《かせつ》何ものぞ、われは唯《たゞ》窓に出《い》でゝ、夜《よる》を開き、眼にはかの一|齊《せい》に列《なら》びたる數字となりて、 わが必然の一《いち》といふ係數の後《あと》に幾多の零《れい》がつづく如き無數無限の星影を映さむのみ。 げに君は晝《ひる》の後《あと》に偉大なる闇を與へ、夜天《やてん》の實在を示し給へど、 われ今ここに在る如く、まさしく晝もまた幾千萬の星となりて現はれ、 六千有餘の昴宿《ばうしゆく》となりては寫眞紙《しやしんし》の上に署名すること、 調書《てうしよ》の紙に罪人が指紋を押付くる如し。 天象《てんしやう》の觀測者は星辰《せいしん》の樞軸《すうぢく》を求めて、ヘルクレス、ハルキュオオネを見出し又|諸《もろ/\》の星宿が、 司祭《しさい》の肩なる鉤鈕《かぎぼたん》の如く、色《いろ》燦爛《さんらん》たる寶玉《ほうぎよく》を鏤《ちりば》めたる莊嚴《さうごん》に似たるを知る。 又ここにかしこに、世界の果《はて》には創造の業《げふ》終る所、星雲あり、 宛《あたか》も大海の波濤荒び卷き上がりて、 後《のち》やうやく治まる時、見よ、未《いま》だ靜まらぬ潮騷《しほざゐ》の亂るる如く、 基督《クリスト》の信徒は信仰の天に生きたる同胞《どうはう》の萬聖節《ばんせいせつ》が行はるるを見る。 主《しゆ》よ、今君の奉仕者《ほうししや》と記入されたるわれらは鉛にあらず、石にあらず、朽木《きうぼく》のはしにあらず、 「我は仕へず」といふ姿して、自《みづか》らの心を堅め得るものあらむや。 ここに死が生《いのち》に克つにあらず、生《いのち》が死を破《は》するものにして、死は到底|生《いのち》にはむかふ力なし。 嗚呼《あゝ》、主《しゆ》は諸《もろ/\》の偶像を破棄し給へり。 君は諸《もろ/\》の力を其《その》座より退け給ひ、火の中の焔《ほのほ》さへも從へ給ふ。 港灣《かうわん》に掃除の行はるる時、人夫等の黒き集團は埠頭《ふとう》を蔽《おほ》ひて、船舶《せんぱく》の傍《かたへ》に立騷《たちさわ》ぐ如く、 わが眼には星辰《せいしん》雲集し又|無限《むげん》夜天《やてん》は生動《せいどう》す。 われは總額中《そうがくちゆう》の一數字の如く、この身脱する能《あた》はず、 われに課せられたる業《わざ》は唯《たゞ》、永遠の間《ま》に行《おこな》ふ可《べ》し。 われはわが務を知る、神われに信を置き給ふ如く、われまた主《しゆ》を信ず。 君が御言葉《みことば》をこそわれは頼め、豈《あに》證書《あかしぶみ》の用あらむや。 さればこそ、われら、夢の覇絆《きづな》を破りて、諸《もろ/\》の偶像を足蹴《あしげ》にし、十字架《クルス》をもちて、十字架《クルス》を抱かむかな。 それ、死の像《かたち》はやがて死を來《い》たし、生の姿は 生《いのち》を産《う》みて、神を仰ぎ見る時は、永生《えいせい》を生ずればなり。 [#ここで字下げ終わり] 底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店    1962(昭和37)年12月16日第1刷発行    2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行 初出:「三田文学 七ノ二」    1916(大正5)年2月 ※「Cinq Grandes Odes(五大頌歌)」の中の「Magnificat」の前半。 入力:川山隆 校正:成宮佐知子 2012年11月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。