薬売りの少年 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)荷物《にもつ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|軒家《けんや》 -------------------------------------------------------  荷物《にもつ》を背中《せなか》に負《お》って、薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、今日《きょう》も知《し》らぬ他国《たこく》の道《みち》を歩《ある》いていました。北《きた》の町《まち》から出《で》た行商群《ぎょうしょうぐん》の一人《ひとり》であったのです。  霜解《しもど》けのした道《みち》は、ぬかるみのところもあるが、もう日《ひ》の光《ひかり》に乾《かわ》いて、陽炎《かげろう》の上《のぼ》っているところもありました。村《むら》はずれに土手《どて》があって、大《おお》きな木《き》が立《た》っていました。かさのように枝《えだ》を空《そら》へ拡《ひろ》げていました。 「なんの木《き》だろうな。」  少年《しょうねん》は、よくこうした景色《けしき》を見《み》るのです。ゆくところ、どこにも同《おな》じような村《むら》があり、人《ひと》が住《す》んで、笑《わら》ったり、怒《おこ》ったりしていると思《おも》うと、なんとなくこのあたりの風景《ふうけい》を見《み》てもなつかしいのでした。そしてここにはもう春《はる》がきていて、木《き》の下《した》には、青《あお》い草《くさ》が芽《め》ぐみ、紫色《むらさきいろ》のすみれの花《はな》さえ咲《さ》いているのが、目《め》の中《なか》に入《はい》ったのです。  少年《しょうねん》は思《おも》わず、故郷《こきょう》の方《ほう》を振《ふ》り返《かえ》りました。青空《あおぞら》遠《とお》く雲《くも》は流《なが》れていて、もとよりその方角《ほうがく》すらたしかでなかったが、曇《くも》り日《び》がつづき、冷《つめ》たい雪《ゆき》が降《ふ》っていることと思《おも》われました。彼《かれ》は、青草《あおくさ》の上《うえ》へ腰《こし》をおろそうとしたが、そばに小《ちい》さな茶店《ちゃみせ》があるのに気《き》づいたので、さっそく入《はい》って腰掛《こしか》けへ休《やす》みました。 「いらっしゃいまし。」と、おかみさんが、愛想《あいそ》よくお茶《ちゃ》を注《つ》いでくれました。 「この村《むら》へ、薬屋《くすりや》がやってきますか。」と、少年《しょうねん》は、たずねたのであります。 「あなたは、お薬屋《くすりや》さんですね?」と、おかみさんは、少年《しょうねん》を見《み》ました。 「そうです。どんな薬《くすり》でも持《も》っています。今年《ことし》置《お》いてゆきまして、来年《らいねん》またまいりましたときに、お使《つか》いになった薬《くすり》のお代《だい》をいただくのですが、どうか、ここへも一つ置《お》かしてくださいませんか。」といって、薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、頼《たの》みました。少年《しょうねん》は、おかみさんが、どういうだろうかと心配《しんぱい》しながら返答《へんとう》を待《ま》ちました。 「よろしゅうございますよ。このへんは、町《まち》へ出《で》るには遠《とお》いし、お医者《いしゃ》さまもいない、まことに不便《ふべん》なところですから、万《まん》一の場合《ばあい》に困《こま》ってしまいます。私《わたし》の家《いえ》ばかりでなく、きっと喜《よろこ》ぶ家《いえ》がありますから、このへんをお歩《ある》きになってごらんなさい。」と、おかみさんは、しんせつにいってくれました。少年《しょうねん》は、いいところへきたと思《おも》って、たいそう喜《よろこ》びました。 「こちらは、暖《あたた》かでいいところでございますね。」  少年《しょうねん》の目《め》には、おかみさんから、やさしい言葉《ことば》を受《う》けたので、土地《とち》までが、和《なご》やかな慕《した》わしいものに感《かん》じられたのでした。 「気候《きこう》はいいが、さびしいところですよ。」  行商人《ぎょうしょうにん》は、かえって汽車《きしゃ》などの通《とお》らないところ、町《まち》のないところ、不便《ふべん》なところほど、得意《とくい》を造《つく》るのに都合《つごう》がいいとされていましたので、少年《しょうねん》とて、不便《ふべん》やさびしいということは、覚悟《かくご》でありました。ただ、こうして歩《ある》いていて、ありがたくも、うれしくも、また悲《かな》しくもしみじみと感《かん》ずるのは、人《ひと》の情《なさ》けであると思《おも》いました。  少年《しょうねん》は、その茶店《ちゃみせ》から出《で》て、おかみさんに教《おし》えられた道《みち》の方《ほう》へ、荷《に》を負《お》って、とぼとぼと歩《あゆ》みをつづけたのです。  松原《まつばら》へつづいている小道《こみち》で、一人《ひとり》の少女《しょうじょ》がしきりに下《した》を向《む》いて、なにかさがしていました。 「この松原《まつばら》の奥《おく》にもお家《うち》がありますか?」といって、薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、たずねたのです。女《おんな》の子《こ》は、両手《りょうて》についた砂《すな》をはらって、少年《しょうねん》の顔《かお》を見《み》ました。 「ええ、ずっと奥《おく》の、がけの上《うえ》に一|軒家《けんや》があってよ。」といいました。 「一|軒《けん》きりですか?」 「ええ、一|軒《けん》だけ、そして、たった一人《ひとり》だけ住《す》んでいるの。」 「一人《ひとり》だけですか……。」 「先生《せんせい》が一人《ひとり》住《す》んでいるの、変《か》わった人《ひと》なの。」 「どんなに変《か》わっていますか?」 「そうね、よく知《し》らないわ。おもしろい人《ひと》ね。」  少女《しょうじょ》は、笑《わら》って、こう答《こた》えると、また下《した》を向《む》いて、なにか草《くさ》をさがしていました。 「嫁菜《よめな》をつんでいるのですか?」と、少年《しょうねん》は、道《みち》ばたの青《あお》い草《くさ》を見《み》ました。 「いいえ、おんばこをさがしているの。」と、少女《しょうじょ》は、答《こた》えたのです。 「おんばこをさがして、なんになさるのですか。」と、少年《しょうねん》は、ききました。 「せきのお薬《くすり》にするのよ。兄《にい》さんが、せきをしてなおらないのですもの。」 「ああ、せきの薬《くすり》ですか、せきのお薬《くすり》なら、私《わたし》がたいへんきくよい薬《くすり》を持《も》っています。」と、少年《しょうねん》は、いいました。すると、少女《しょうじょ》は、驚《おどろ》いたふうで、少年《しょうねん》をながめました。 「あんた、お薬屋《くすりや》さん?」 「ええ、私《わたし》は、薬屋《くすりや》ですよ。いい薬《くすり》を持《も》っています。あなたのお家《うち》はどこですか?」と、少年《しょうねん》は、いったのでありました。 「おじいさんに聞《き》いてみるわ。私《わたし》の家《うち》はあすこなのよ。」と、少女《しょうじょ》は、先《さき》になって、小道《こみち》を走《はし》っていきました。薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、すこしおくれて従《つ》いていくと、 「おじいさん、お薬屋《くすりや》さんをつれてきた。」と、いう声《こえ》がきこえたのでした。その家《いえ》の周囲《しゅうい》は、桃《もも》の木《き》の林《はやし》になっていました。鶏小舎《とりごや》があって、鶏《にわとり》がのどかな声《こえ》でないていました。おじいさんの前《まえ》へいってあいさつすると、 「年《とし》の若《わか》い薬屋《くすりや》さんだな、いくつになるかな。おお、うちの孫《まご》より五つは多《おお》いが、感心《かんしん》なこった。孫《まご》もその年《とし》になったら、独《ひと》りで船《ふね》に乗《の》って、父親《ちちおや》のいるハワイへいくことができるだろう。孫《まご》も、かぜをひいて、せきがなかなかしつこくて困《こま》っているが、よくきく薬《くすり》があったらもらって、すぐ飲《の》ましましょう。」と、おじいさんは、かわいい孫《まご》のことで、心《こころ》がいっぱいだったのです。  薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、荷《に》を下《お》ろして、薬《くすり》を出《だ》す間《ま》にも、自分《じぶん》にもこんなやさしいおじいさんがあったらば、と思《おも》われるのでした。 「このお薬《くすり》をあげてください。せきによくききますから。」  この声《こえ》をききつけて、臥《ね》ている男《おとこ》の子《こ》は、 「ありがとう。」と、薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》の方《ほう》を向《む》いて、お礼《れい》をいいました。まくらもとの壁《かべ》には父親《ちちおや》がいっている、ハワイの風景《ふうけい》の写真《しゃしん》が貼《は》られていました。 「坊《ぼっ》ちゃん、早《はや》くなおってください。」と、少年《しょうねん》がいいました。 「また、来年《らいねん》きてください。僕《ぼく》、待《ま》っているから。」と、臥《ね》ている、男《おとこ》の子《こ》がいいました。 「きっと、まいりますよ。」  少年《しょうねん》は、振《ふ》り返《かえ》って、あいさつしながら、出《で》ていくと、後《うし》ろ姿《すがた》を少女《しょうじょ》とおじいさんが見送《おく》っていて、 「気《き》をつけて。」と、おじいさんが、いってくれました。  少年《しょうねん》が、がけの上《うえ》にあるという、一|軒家《けんや》をたずねていったのであります。それが、自分《じぶん》の職業《しょくぎょう》であるうえは、たとえ一|軒《けん》といっても捨《す》ててしまうわけにはいきませんでした。小《ちい》さな門《もん》があって、開《あ》けると、二、三|人《にん》の子供《こども》が花壇《かだん》のところで、遊《あそ》んでいました。南《みなみ》の海《うみ》から吹《ふ》く風《かぜ》が暖《あたた》かなせいか、もう、ヒヤシンスが咲《さ》き、すいせんや、フリージアなどが咲《さ》いていました。 「だれかきた。」と、一人《ひとり》の子供《こども》が、いいました。 「いま、先生《せんせい》は、お留守《るす》ですよ。」と、他《た》の子供《こども》が、少年《しょうねん》を見《み》ていいました。 「薬売《くすりう》りですが、お留守《るす》ですか。」と、少年《しょうねん》は、いって、恍惚《こうこつ》として、かなたに輝《かがや》く青《あお》い海《うみ》をながめたのです。 「カナリヤにやる、はこべを採《と》りにいらしたのだからすぐお帰《かえ》りになるわ。」と、女《おんな》の子《こ》がいいました。 「いい景色《けしき》ですね。」と、思《おも》わず口《くち》に出《だ》して、薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、がけっ鼻《ぱな》の方《ほう》へ歩《ある》きました。 「この家《いえ》は、あぶないのだよ。先生《せんせい》は、変人《へんじん》だから、人《ひと》の住《す》まない家《うち》に住《す》んでいるのだ。」と、一人《ひとり》の子供《こども》が、いいました。薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、おんばこを摘《つ》んでいた少女《しょうじょ》が、いった言葉《ことば》を思《おも》い出《だ》したのです。 「どうして、変人《へんじん》なんですか?」 「だって、がんこなんだもの、人《ひと》があぶないといっても平気《へいき》でいるからさ。けれど、先生《せんせい》は、僕《ぼく》たち子供《こども》だけはかわいがってくれるよ。」 「いい人《ひと》ではありませんか?」 「それは、いい人《ひと》さ。けれど、大風《おおかぜ》が吹《ふ》いたり、地震《じしん》があったりしたら、この家《いえ》は、がけがくずれてひっくり返《かえ》るかもしれん。そうすれば、僕《ぼく》たち安心《あんしん》して、本《ほん》を習《なら》うこともできないだろう。」と、子供《こども》が、いいました。  薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、下《した》を見《み》るとはるかに波《なみ》が岩《いわ》に砕《くだ》け、日《ひ》の光《ひかり》が射《さ》して、美《うつく》しい虹《にじ》を描《えが》いています。なるほど、がけの下《した》まで、土《つち》は削《けず》り落《お》とされて、五|色《しき》に彩《いろど》られた潮《しお》の匂《にお》う海《うみ》が迫《せま》っていました。汽船《きせん》がいくとみえて水平線《すいへいせん》に、一|抹《まつ》の煙《けむり》が上《のぼ》り、沖《おき》の小島《こじま》には、夜《よる》になると煌々《こうこう》として光《ひかり》を放《はな》つ燈台《とうだい》が、白《しろ》い塔《とう》のようにかすんでいます。 「あれは、燈台《とうだい》ですか?」 「そうだよ、あの燈台《とうだい》の明《あ》かりは、先生《せんせい》のお家《うち》の座敷《ざしき》へ入《はい》るのだよ。」 「坊《ぼっ》ちゃんたちは、日本海《にほんかい》の冬《ふゆ》の海《うみ》を知《し》らないでしょう。それは、すごいですよ。」と、薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》がいいました。 「そうかい、そんなにすごいかい。けれど、台風《たいふう》がくるのは、たいていあちらの南《みなみ》の方《ほう》からだぜ。そのときは、大《おお》きな風《かぜ》が吹《ふ》いて、波《なみ》も高《たか》いのだよ。」 「なるほど、台風《たいふう》がきますね。」  少年《しょうねん》は、沖《おき》の方《ほう》を見《み》て、茫然《ぼうぜん》としていますと、そこへ、先生《せんせい》が片手《かたて》にはこべを持《も》って、門《もん》を開《あ》けて入《はい》ってきました。 「おまえは?」  先生《せんせい》は、けげんな顔《かお》をして、少年《しょうねん》の前《まえ》に立《た》ちました。 「私《わたし》は、薬売《くすりう》りですが、この後《のち》ごひいきにしていただこうと上《あ》がりました。」と、少年《しょうねん》は頭《あたま》を下《さ》げました。 「ここには、病気《びょうき》にかかる人《ひと》はいないよ。」と、先生《せんせい》はそっけなくいって断《ことわ》りました。 「でも、万《まん》一ということがあります。どうか一袋《ひとふくろ》置《お》かしていただきます。」と、少年《しょうねん》はもう一|度《ど》頭《あたま》を下《さ》げました。 「薬《くすり》など置《お》いていかれると、病気《びょうき》を引《ひ》き起《お》こすようなものだ。いらないからさっさと帰《かえ》ってくれ。」と、先生《せんせい》は少年《しょうねん》をしかりつけるようにいいました。薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、なるほどがんこな人《ひと》だと思《おも》いました。そして、こういう人《ひと》は、話《はな》し相手《あいて》もなく独《ひと》りぼっちでいて、どんなに寂《さび》しかろうと想像《そうぞう》されたので、 「お一人《ひとり》でいらしって、お心細《こころぼそ》いことはありませんか。」と、少年《しょうねん》は、いったのでした。 「なんの、さびしいことがあるものか。人《ひと》の声《こえ》を聞《き》きたいと思《おも》えばラジオがあるし、カナリヤは、一|日《にち》じゅうこの窓《まど》でさえずっているし、ここは、前《まえ》が海《うみ》だから、台湾《たいわん》、上海《シャンハイ》、ハワイ、どこのラジオも手《て》に取《と》るように入《はい》ってくるのだ。」と、先生《せんせい》は、海原《うなばら》を見《み》やって、誇《ほこ》らしげに語《かた》ったのです。 「ハワイからのラジオも聞《き》こえますか?」 「夜《よる》の十|時《じ》ごろには、手《て》に取《と》るようによく聞《き》こえる。」  先生《せんせい》は、はこべをカナリヤにやろうとして窓《まど》のところへ近《ちか》づきました。 「あ、カナリヤの足《あし》から血《ち》が出《で》ていますよ。」と、薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》は、おどろいて、叫《さけ》びました。 「ねずみか、からすにやられたとみえる。このあたりに、悪《わる》いからすがいるからな。」  先生《せんせい》は、案外《あんがい》カナリヤの痛々《いたいた》しい傷《きず》を見《み》ても平気《へいき》でした。 「かわいそうに。」  少年《しょうねん》は、こういって、荷物《にもつ》の中《なか》から、傷薬《きずぐすり》を取《と》り出《だ》しました。 「おい、薬《くすり》なんかいらないよ。」 「いえ、お代《だい》をいただくのではありません。ちょっとこれをつけてやってください。」  少年《しょうねん》が、白《しろ》い塗《ぬ》り薬《ぐすり》を出《だ》すと、 「おまえは、なかなか感心《かんしん》だ。」と、先生《せんせい》は、機嫌《きげん》がよかったのです。少年《しょうねん》が、ここから去《さ》ろうとすると、 「お薬屋《くすりや》さん、また来年《らいねん》くるの?」と、子供《こども》たちは、少年《しょうねん》を取《と》りまいてききました。 「あの、桃《もも》の木《き》のある家《いえ》へまいりますよ。」 「あ、重《じゅう》ちゃんの家《いえ》だ。」  子供《こども》たちは、なんと思《おも》ったか、喜《よろこ》んで、手《て》をたたきました。 「もしきたら、ここへもお寄《よ》り。」と、先生《せんせい》が、いいました。 「みんなが、あぶないといいますから、早《はや》くこの家《うち》をお移《うつ》しなさい。」と、少年《しょうねん》がいうと、 「はっ、はっ。」と、先生《せんせい》が、笑《わら》いました。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日    1983(昭和58)年1月19日第5刷 底本の親本:「小学文学童話」竹村書房    1937(昭和12)年5月 ※表題は底本では、「薬売《くすりう》りの少年《しょうねん》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年9月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。