日がさとちょう 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)山《やま》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)五|歳《さい》 -------------------------------------------------------  ある山《やま》の中《なか》の村《むら》に、不《ふ》しあわせな二人《ふたり》の娘《むすめ》がありました。  一人《ひとり》の娘《むすめ》は、生《う》まれつき耳《みみ》が遠《とお》うございました。もう一人《ひとり》の娘《むすめ》は、小《ちい》さな時分《じぶん》にけがをして、びっこであったのであります。  この二人《ふたり》の娘《むすめ》は、まことに仲《なか》のいいお友《とも》だちでありました。そして二人《ふたり》とも性質《せいしつ》のいい娘《むすめ》でありました。  二人《ふたり》の女《おんな》の子《こ》は、どちらも十四、五|歳《さい》になったのであります。そして、それぞれなにかふさわしい仕事《しごと》につかなければなりませんでした。  ある日《ひ》のこと、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は、びっこの娘《むすめ》のところへやってまいりました。びっこの娘《むすめ》は、いつにないお友《とも》だちの沈《しず》んでる顔《かお》つきを見《み》て、 「なにか心配《しんぱい》なことでもあるのですか?」と、やさしくたずねました。 「私《わたし》は、遠《とお》いところへゆかなくてはならないかもしれません……。」と、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は答《こた》えました。  びっこの娘《むすめ》はそれを聞《き》いて、びっくりいたしました。二人《ふたり》が、別《わか》れるということは、どんなに、悲《かな》しいことであるかしれなかったからであります。 「遠《とお》いところというのは、どこですか。」と問《と》いました。 「東京《とうきょう》へ奉公《ほうこう》にゆくようになったのです。私《わたし》は、うれしいやら、悲《かな》しいやら、わからないような気持《きも》ちでいます。」と、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は答《こた》えました。 「まあ、東京《とうきょう》へ? それは、どんなにしあわせだかわからない。私《わたし》も、一|度《ど》東京《とうきょう》へいってみたいと思《おも》っていますが、こんな体《からだ》では、とても望《のぞ》みのないことであります。あなたは、東京《とうきょう》へいって、にぎやかなところをごらんなさい。しかし、後《あと》に残《のこ》された私《わたし》は、さびしいことでしょう。」と、びっこの娘《むすめ》は、涙《なみだ》をのんでいいました。  二人《ふたり》は別《わか》れを惜《お》しみました。村《むら》の若《わか》い娘《むすめ》たちの中《なか》では、こんど東京《とうきょう》へゆくようになった耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》をうらやましく思《おも》ったものもありました。  ある日《ひ》のこと、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は、みんなに村《むら》のはずれまで見送《みおく》られて、いよいよ都《みやこ》に向《む》かって出発《しゅっぱつ》したのであります。  彼女《かのじょ》は、道《みち》すがらも、汽車《きしゃ》の中《なか》も、だんだん遠《とお》く隔《へだ》たってゆく故郷《こきょう》のことを思《おも》いました。また、仲《なか》のよかったびっこの娘《むすめ》のことなどをも思《おも》い出《だ》して、いつまた二人《ふたり》はあわれるだろうかと、悲《かな》しく思《おも》わずにはいられませんでした。  彼女《かのじょ》は、東京《とうきょう》にきて、一|年《ねん》働《はたら》き、二|年《ねん》働《はたら》き、三|年《ねん》と働《はたら》きました。そして、すっかり都会《とかい》の生活《せいかつ》になれてしまったのです。その間《あいだ》に、びっこの娘《むすめ》からは、たよりがおりおりありましたが、それもいつしか絶《た》えてしまいました。  しかし、彼女《かのじょ》は、なにかにつけて、故郷《こきょう》のことを思《おも》い出《だ》さずにはいられなかったのです。あのころのお友《とも》だちは、どうしたろう? と思《おも》いますと、どうか、一|度《ど》、ふるさとへ帰《かえ》ってきたいものだと思《おも》いました。  彼女《かのじょ》は、耳《みみ》が遠《とお》いものですから、同《おな》じ奉公《ほうこう》をしましても、ほかの女《おんな》たちのように、どんな仕事《しごと》にでも、役《やく》にたつというわけにはゆきませんでした。それですから、したがって、もらうお金《かね》は少《すく》なかったのです。  しかし彼女《かのじょ》は、それをべつに不平《ふへい》にも思《おも》いませんでした。そしてこんど、ふるさとへ帰《かえ》る時分《じぶん》に、着《き》てゆく着物《きもの》やおみやげに費《つか》おうと、すこしずつなりとためておきました。  五|年《ねん》めの春《はる》の終《お》わりのころ、彼女《かのじょ》は、ふるさとへ、幾日《いくにち》かの暇《ひま》をもらって、帰《かえ》ってくることにいたしました。  彼女《かのじょ》は、新《あたら》しい着物《きもの》を造《つく》りました。新《あたら》しいげたも買《か》いました。そしてもっとそのうえ、東京《とうきょう》から帰《かえ》ったということを、田舎《いなか》の人《ひと》たちに見《み》せたいために、どんなものを買《か》っていったらいいだろうかと考《かんが》えました。  都《みやこ》は、ちょうど夏《なつ》のはじめの季節《きせつ》でありましたから、街《まち》の唐物店《とうぶつみせ》には、流行《りゅうこう》の美《うつく》しい日《ひ》がさが、いく種類《しゅるい》となく並《なら》べてありました。 「あの日《ひ》がさをさして帰《かえ》ったら、どんなにみんながたまげるだろう……。」と、彼女《かのじょ》は、思《おも》いますと、それをさして帰《かえ》って、みんなに見《み》せてやりたいものだという気《き》になりました。  彼女《かのじょ》は、唐物店《とうぶつみせ》へいって、その中《なか》のハイカラなのを、かなり高《たか》いお金《かね》を出《だ》して買《か》いました。それをさして歩《ある》いた姿《すがた》は、まったく東京《とうきょう》の女《おんな》であって、どこにも、山奥《やまおく》の田舎娘《いなかむすめ》らしいところは見《み》えなかったのであります。  彼女《かのじょ》は、自分《じぶん》の姿《すがた》を鏡《かがみ》にうつして見《み》とれていました。そして、いよいよふるさとに向《む》かって旅立《たびだ》ったのであります。  山《やま》の中《なか》のさびしい村《むら》では、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》が、見《み》ちがえるほどに、美《うつく》しくなって帰《かえ》ったといって、あちらでもこちらでも、うわさをしました。 「たいへんな、ハイカラさんになってきた。」と、みんなは、口々《くちぐち》にいいはやしたのであります。娘《むすめ》たちは、まだ、こんなりっぱな日《ひ》がさを見《み》たことがありませんから、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》が、日《ひ》がさをさして歩《ある》くと、みんなはそのそばに寄《よ》ってきました。はじめのうちは、目《め》を円《まる》くして見《み》ているばかりで、遠慮《えんりょ》をして、貸《か》してくれなどといったものもありませんが、日数《ひかず》がたって、昔《むかし》のいっしょに遊《あそ》んだ、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》であったということが、頭《あたま》の中《なか》にはっきりとわかると、 「私《わたし》に、ちょっと貸《か》してくんなさい。」といって、娘《むすめ》たちは、美《うつく》しい、うす紅色《べにいろ》と水色《みずいろ》の模様《もよう》のついた日《ひ》がさを借《か》りて、喜《よろこ》んで、それをさしてみました。 「東京《とうきょう》では、こんなりっぱなものを毎日《まいにち》さし、道《みち》を歩《ある》くだか……。」といって、聞《き》いたものもあります。 「これから、街《まち》の中《なか》は、こんなパラソルがいくつ通《とお》るか、数《かぞ》えきれないくらいだ。」と、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》はいいました。  これをきくと、田舎《いなか》の娘《むすめ》たちは、都《みやこ》のありさまをいろいろに想像《そうぞう》しました。 「それだら、たくさん、きれいなちょうが、飛《と》んでいるように見《み》えるだろう。」といったものもありました。 「ほんとうに、ちょうが飛《と》んでいるように美《うつく》しいだろう。」といったものもありました。 「どら、おらにも、ちょっと貸《か》してくんなせい。おら、生《う》まれて、はじめて、こんなりっぱなものをさしてみるだ。」といった娘《むすめ》もありました。  その娘《むすめ》は、日《ひ》がさを借《か》りてさしてみました。そして、仰《あお》ぎますと、うすい絹地《きぬじ》をとおして太陽《たいよう》の光《ひかり》が、まばゆく、顔《かお》の上《うえ》に映《うつ》るような気《き》がしました。 「まあ、お日《ひ》さまが、すいて見《み》えるだ。なんという、うすいりっぱな、羽《はね》のようなこうもりだろう。」と、ため息《いき》をもらしました。 「どら、私《わたし》にも貸《か》してくんなせい。」といって、村《むら》の娘《むすめ》たちは日《ひ》がさを、たがいに奪《うば》い合《あ》いました。  そのうちに、一人《ひとり》の娘《むすめ》は、すこしでも長《なが》く自分《じぶん》がさしていたいと思《おも》って、日《ひ》がさをさしながら、あちらへ逃《に》げてゆきました。 「なんだずるい。自分《じぶん》ばかりさして、おれにも貸《か》してくんなせい。」といって、他《た》の一人《ひとり》の娘《むすめ》は、その後《あと》を追《お》いかけました。  逃《に》げた娘《むすめ》は、山道《やまみち》を日《ひ》がさをさして駆《か》けてゆきました。そのあとを他《た》の娘《むすめ》たちは、追《お》っていったのです。  きれいな日《ひ》がさは、木《き》の枝《えだ》や、奪《うば》い合《あ》いのために切《き》り株《かぶ》などにあたって、破《やぶ》れました。村《むら》の娘《むすめ》たちは、はじめてたいへんなことをしてしまったと驚《おどろ》いて、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》のところへきて、あやまりました。  彼女《かのじょ》は、せっかく買《か》ってきた大事《だいじ》な日《ひ》がさの破《やぶ》れてしまったのを見《み》て、ただぼんやりとしてしまいました。美《うつく》しい日《ひ》がさが破《やぶ》れると、もう村《むら》の娘《むすめ》たちは、用事《ようじ》がないといわぬばかりに、どこかへ散《ち》ってしまいました。 「見《み》たとこばかりきれいでも、あんな紙《かみ》ようなものが、なんの役《やく》にたとうかさ。」と、村《むら》の娘《むすめ》はあざ笑《わら》ったものもあります。  耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は、急《きゅう》にさびしくなりました。しかし、びっこの娘《むすめ》は、昔《むかし》もいまも、やさしい心《こころ》をもっていて、すこしも変《か》わりはありませんでした。  びっこの娘《むすめ》は、家《いえ》にいて、百姓《ひゃくしょう》をしていましたが、暇《ひま》をみては、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》のところへたずねてまいりました。そして、彼女《かのじょ》から都会《とかい》の話《はなし》をきくのを楽《たの》しみにしたのであります。 「ああ、私《わたし》は、いつ東京《とうきょう》へいって、そのにぎやかな光景《こうけい》を見《み》られるだろう?」と、びっこの娘《むすめ》は、ひとりでため息《いき》をもらしたのでした。  そのうちに、日数《ひかず》がたって、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は、また東京《とうきょう》へ帰《かえ》らなければならなかったのです。 「私《わたし》は、また明日《みょうにち》、東京《とうきょう》へ立《た》つことになりました。」と、びっこの娘《むすめ》のところにきて、暇《いとま》ごいを告《つ》げたのであります。 「こんどは、いつ、二人《ふたり》が、あわれようか……。」と、びっこの娘《むすめ》は、別《わか》れを悲《かな》しみました。ついに別《わか》れる日《ひ》となりました。びっこの娘《むすめ》は耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》を村《むら》のはずれまで送《おく》ってゆきました。 「どうぞ、お達者《たっしゃ》で暮《く》らしてください。この日《ひ》がさは、あなたに置《お》いてゆきます。」といって、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は、日《ひ》がさをかたみに、びっこの娘《むすめ》に与《あた》えました。  二人《ふたり》は、そこで悲《かな》しい別《わか》れをしました。びっこの娘《むすめ》は、ひとり山道《やまみち》を歩《ある》いて帰《かえ》ります途中《とちゅう》、道《みち》ばたの石《いし》の上《うえ》に腰《こし》をかけて休《やす》みました。そして、ふたたび都《みやこ》へ旅立《たびだ》っていった友《とも》だちのことを思《おも》い出《だ》しながら、美《うつく》しい日《ひ》がさを開《ひら》いてながめていました。  たちまち、青葉《あおば》の上《うえ》を波立《なみだ》っていました山風《やまかぜ》が襲《おそ》ってきて、この日《ひ》がさをさらってゆきました。びっこの娘《むすめ》はいっしょうけんめいであとを追《お》いかけましたが、とうとう日《ひ》がさは、深《ふか》い谷《たに》の中《なか》へ落《お》ちて見《み》えなくなりました。  しかし不思議《ふしぎ》なことに、そのあくる年《とし》からこの山《やま》には、美《うつく》しい更紗模様《さらさもよう》のついたちょうが、たくさん谷《たに》から出《で》てきました。  村《むら》の娘《むすめ》たちは、みんなそのちょうを見《み》て、いつか、耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》がさして帰《かえ》った、日《ひ》がさを思《おも》い出《だ》さないものはなかったのです。  また、それから幾年《いくねん》にもなりますが、二|度《ど》と耳《みみ》の遠《とお》い娘《むすめ》は、ふるさとへ帰《かえ》ってこないのです。 底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社    1977(昭和52)年3月10日第1刷発行 初出:「週刊朝日」    1924(大正13)年7月 ※表題は底本では、「日《ひ》がさとちょう」となっています。 ※初出時の表題は「日傘と蝶」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:雪森 2013年5月4日作成 2013年8月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。