おけらになった話 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)性質《せいしつ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|夜《や》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き] -------------------------------------------------------  あるところに、あまり性質《せいしつ》のよくない男《おとこ》が住《す》んでいました。この男《おとこ》は平気《へいき》で、うそをつきました。また、どうしてもそれがほしいと思《おも》えば他人《たにん》のものでも、だまってそれを持《も》って帰《かえ》りました。  こういう人間《にんげん》をば、世間《せけん》は、いつまでも知《し》らぬ顔《かお》をしておきませんでした。みんなは、だんだんその男《おとこ》をきらいました。その男《おとこ》と交際《こうさい》することを避《さ》けました。けれど、そんなことで、この男《おとこ》は、反省《はんせい》するような人間《にんげん》ではなかったのであります。  とうとう男《おとこ》は、悪《わる》いことをしたために、捕《と》らえられて牢屋《ろうや》へいれられてしまいました。いままで、自由《じゆう》に、大空《おおぞら》の下《した》を歩《ある》いていたものを狭苦《せまくる》しい牢屋《ろうや》の中《なか》で送《おく》らなければならなかったのでした。 「あの男《おとこ》も、ついに牢屋《ろうや》へいれられてしまった。こんどは、すこしは、目《め》がさめるだろう。そして、真人間《まにんげん》になって、出《で》てきてくれればいいが……。」と、みんなはうわさをしていました。  牢屋《ろうや》へいれられた男《おとこ》は赤《あか》い舌《した》を出《だ》していました。 「おれが魔法使《まほうつか》いのことを知《し》らないか、ばかどもめが……。」といって、冷笑《れいしょう》していました。  この男《おとこ》は、いつ、その牢屋《ろうや》から逃《に》げたものか、わずかのまに、そこにいなくなってしまいました。  牢屋《ろうや》の番人《ばんにん》は、たまげてしまいました。まったく影《かげ》のごとくに消《き》えてしまったこの男《おとこ》を、普通《ふつう》のものとは思《おも》われなかったのです。  男《おとこ》を知《し》っているものは、そんなうわさをしているやさきに、男《おとこ》が、目《め》の前《まえ》へ姿《すがた》をあらわしたものですから、びっくりして、 「はや、おまえは、牢《ろう》から出《で》たのか?」と、いうものもあれば、 「いつ、そんなからだになったのか……。」と聞《き》いて、あまり、その許《ゆる》されようの早《はや》いのにあきれたものもありました。  男《おとこ》は、ずるそうな目《め》つきをして、みんなの顔《かお》を見《み》まわしながら、にやにやと笑《わら》って、 「なんで、こんなに早《はや》く許《ゆる》されるものかな、おれは、逃《に》げてきたのさ。しかし、おれを捕《と》らえておくなどということは、無理《むり》だよ。おれは魔法使《まほうつか》いだからな。」と答《こた》えました。  みんなは、腹《はら》の中《なか》で、ほんとうに、この男《おとこ》は、魔法《まほう》を使《つか》うのだろうか? なんにしても、また困《こま》ったことができたものだと思《おも》ったのであります。  男《おとこ》は、さかんに悪《わる》いことをしました。しかし、世間《せけん》は、それを許《ゆる》すものではありませんから、じきにまた捕《と》らえられてしまいました。こんどは、手《て》きびしくされて、ふたたび逃《に》げられないように、牢屋《ろうや》の中《なか》へいれられてしまいました。 「こんどは、ゆだんをして、この男《おとこ》を逃《に》がすようなことがあってはならないぞ。」と、番人《ばんにん》は、目上《めうえ》の役人《やくにん》から注意《ちゅうい》をされました。  番人《ばんにん》は、またと、そんなような手落《てお》ちがあっては、自分《じぶん》の生活《せいかつ》に関係《かんけい》すると、不安《ふあん》に感《かん》じましたから、日夜《にちや》怠《おこた》りなく、この男《おとこ》を注意《ちゅうい》したのであります。 「こんどは、あの男《おとこ》も、逃《に》げ出《だ》してくるようなことがあるまいから、まあ安心《あんしん》していてもさしつかえない。」と、彼《かれ》を知《し》って、迷惑《めいわく》を受《う》けたことのある人《ひと》たちは話《はなし》をしていました。  ちょうど、このとき、男《おとこ》は、牢屋《ろうや》の中《なか》で、このまえのように大胆《だいたん》にも、赤《あか》い舌《した》を出《だ》して、 「おれを知《し》らないのか。いまに見《み》ろ、魔法《まほう》を使《つか》って、この牢屋《ろうや》から逃《に》げ出《だ》してやるから。」といっていました。  その男《おとこ》は、まったく人間《にんげん》とも思《おも》われなかった早業《はやわざ》の名人《めいじん》で、また、さるのように、すばしこく木《き》の上《うえ》へ登《のぼ》ることもできれば、また風《かぜ》のように、すこしのすきまがあれば、そこからはい出《だ》すことができたのであります。  あるあらしの晩《ばん》に、この男《おとこ》は、ふたたび牢屋《ろうや》から、姿《すがた》を消《け》してしまいました。牢屋《ろうや》の扉《とびら》にかかっている錠《じょう》もそのままであれば、なにひとつあたりに、かわったこともなかったのに、男《おとこ》ばかりは、いなくなったのであります。  こうなると、この男《おとこ》のうわさは、世間《せけん》にひろまりました。そして、平生《へいぜい》、男《おとこ》を知《し》っている人々《ひとびと》は、安心《あんしん》して家《うち》にいることができませんでした。また、取《と》り締《し》まる役人《やくにん》たちは、このままに捨《す》ててはおかれないので、こんどは、どういうようにしたらいいかということを協議《きょうぎ》したのであります。  広《ひろ》い世間《せけん》は、だれ一人《ひとり》として、この男《おとこ》を悪者《わるもの》だといって憎《にく》み、おそれ、きらわないものがありません。こうなると、男《おとこ》は、思《おも》うように牢屋《ろうや》を逃《に》げ出《だ》したけれど、自分《じぶん》の身《み》を置《お》くところがなかったのでした。  あちらに隠《かく》れ、こちらに隠《かく》れしていましたが、捜索《そうさく》が厳重《げんじゅう》であったために、また捕《と》らえられてしまいました。 「おまえは、魔法《まほう》を使《つか》うというが、こんどばかりは、逃《に》げ出《だ》されないぞ。」と、役人《やくにん》はいって、男《おとこ》を、鉄《てつ》でつくった、狭《せま》い牢《ろう》の中《なか》にいれてしまいました。  男《おとこ》は、その鉄《てつ》の牢《ろう》の中《なか》では、自由《じゆう》に歩《ある》くことすらできませんでした。また、指《ゆび》を出《だ》すにも出《だ》されないように、外部《がいぶ》は、金網《かなあみ》で張《は》られていたのでした。  もう、こうなっては、赤《あか》い舌《した》を出《だ》して笑《わら》うどころでありません。男《おとこ》は、ただじっとしていました。どんなに寒《さむ》くても、また、どんなに暑《あつ》くても、ただ、じっとしていなければならなかったので、さすがに男《おとこ》はいまは後悔《こうかい》したのでありました。 「神《かみ》さま、私《わたし》は、人間《にんげん》に生《う》まれてきたばかりに、つい、みんなよりも楽《らく》をし、またおもしろいめをしようとする気《き》になりました。それで、うそをついたり、他人《たにん》のものを盗《ぬす》んだりしたのです。私《わたし》は人間《にんげん》になりたいとは思《おも》いません。ほんとうに一ぴきの虫《むし》でもいいから、この強欲《ごうよく》な心《こころ》と不正《ふせい》の考《かんが》えを、私《わたし》からうばってください。そして、私《わたし》を虫《むし》にしてください。私《わたし》は、虫《むし》となって、神《かみ》さまのおぼしめしに従《したが》って、自由《じゆう》に生活《せいかつ》をしたいと思《おも》います。神《かみ》さま、どうぞ、私《わたし》を虫《むし》にしてください!」と、いっしんに、牢《ろう》の中《なか》で祈《いの》ったのであります。  ある朝《あさ》のこと、男《おとこ》は、そこに見《み》えませんでした。番人《ばんにん》は、夢《ゆめ》かとばかりにびっくりしました。 「あの男《おとこ》は、どこへいったろう? ねずみでさえこの金網《かなあみ》の目《め》はくぐれないはずだ。ふしぎなこともあればあるものだ。」といって、さわぎたてました。  役人《やくにん》たちは、集《あつ》まってまいりました。そして、みんなは、頸《くび》をかしげました。 「この世《よ》の中《なか》に、魔法《まほう》を使《つか》うというようなことが、はたしてあるものだろうか?」  錠《じょう》のかかっているのを役人《やくにん》たちははずして、狭《せま》い牢《ろう》の扉《とびら》を開《ひら》いて中《なか》へはいり、くまなく、あたりを調《しら》べてみました。  このとき、一ぴきのおけらが、入《い》り口《ぐち》から出《で》て、だれも、それに気《き》のつかなかったまに、町《まち》の方《ほう》を指《さ》して、大地《だいち》をはっていったのであります。  もう、すでに世界《せかい》は、夏《なつ》から秋《あき》にうつりかけていました。空《そら》の色《いろ》は青《あお》く晴《は》れて、長《なが》くつづく道《みち》は、白《しろ》く乾《かわ》いていたのであります。  おけらは、あちらの青《あお》い空《そら》の下《した》に見《み》える街《まち》の建物《たてもの》を望《のぞ》んで、自分《じぶん》のすむところをその近《ちか》くに定《さだ》めようと思《おも》ったのです。とんぼや、はちは、美《うつく》しい羽《はね》を輝《かがや》かしながら、頭《あたま》の上《うえ》の空《そら》を自由《じゆう》に飛《と》んでゆきました。おけらは、なぜ自分《じぶん》には、あのような自由《じゆう》に飛《と》べる美《うつく》しい羽《はね》がないのかと怪《あや》しみました。そして、途中《とちゅう》で水《みず》のたまったところに出《で》て、自分《じぶん》の姿《すがた》を、その水面《すいめん》に映《うつ》して見《み》たときにびっくりしたのです。 「なんという私《わたし》は、みにくい虫《むし》に生《う》まれてきたのだろう……。」  おけらは、恥《は》ずかしくなりました。しかし、神《かみ》さまは、これがために、この虫《むし》に、反抗心《はんこうしん》を起《お》こさせるようにはしなかった。そのかわりに、つつましやかな謙遜《けんそん》の心《こころ》を与《あた》えられた。おけらは、どこか、野菜畑《やさいばたけ》か、果樹園《かじゅえん》のすみに、あまり世間《せけん》に知《し》られずにすむ、自分《じぶん》の小《ちい》さな穴《あな》を掘《ほ》ってはいるために、乾《かわ》いた道《みち》を急《いそ》いでゆきました。――人間《にんげん》が一|夜《や》にして、おけらになったというようなことは、ひとり神《かみ》だけが知《し》り、またこうした奇蹟《きせき》は、神《かみ》だけがよくなし得《う》ることでした。神《かみ》は、自分《じぶん》の創造《そうぞう》したおけらが、いま道《みち》を歩《ある》いてゆくのを、じっと青《あお》い空《そら》からながめていたのです。  ちょうど、このとき、美《うつく》しい花嫁《はなよめ》を乗《の》せた自動車《じどうしゃ》が通《とお》りました。花嫁《はなよめ》は、金銀《きんぎん》・宝石《ほうせき》で、頭《あたま》や、手《て》や胸《むね》を飾《かざ》っていました。そして、はなやかな空想《くうそう》にふけっていました。その自動車《じどうしゃ》は、町《まち》の方《ほう》から、同《おな》じ道《みち》をこちらに向《む》かって走《はし》ってきたのです。  神《かみ》さまが、はっと思《おも》うまもなく、自動車《じどうしゃ》は、おけらを轢《ひ》きつぶして過《す》ぎていってしまいました。このことは自動車《じどうしゃ》の上《うえ》に乗《の》っている花嫁《はなよめ》も知《し》らなければ、ただ神《かみ》さまよりほかにはだれも知《し》らなかったことです。  神《かみ》さまは自分《じぶん》が悪《わる》かったと感《かん》じられました。そして、罪《つみ》もない、おけらの一|生《しょう》としては、あまりに、みじめであったと思《おも》われました。 「やはり、人間《にんげん》にしてやったほうがいい。」と、考《かんが》えられて、おけらは、特別《とくべつ》のおぼしめしで、人間《にんげん》にされたのであります。  男《おとこ》は、ふと目《め》をさましました。すると、自分《じぶん》はよくないことをして、捕《と》らわれて、牢屋《ろうや》の中《なか》におりましたが、鉄《てつ》の牢《ろう》にもいなければ、また実際《じっさい》、自分《じぶん》が魔法《まほう》を使《つか》って、牢屋《ろうや》の中《なか》から消《き》えるなどということはあり得《え》なかったことでした。  あるとき、自分《じぶん》は、そんなことを空想《くうそう》したことがあります。そして、前夜《ぜんや》、ふしぎにも、虫《むし》になった夢《ゆめ》を見《み》たのでした。  彼《かれ》は、いまさら、口《くち》もきかなければ、したいと思《おも》うこともできない虫《むし》もあるのに、口《くち》もきければ、したいと思《おも》うこともできる、すべての生《い》き物《もの》の中《なか》でいちばん自由《じゆう》に生活《せいかつ》される人間《にんげん》に生《う》まれてきて、心柄《こころがら》から、みずから苦《くる》しまなければならぬ愚《おろ》かしさを悟《さと》りました。彼《かれ》の性質《せいしつ》は、このときから、だんだん善良《ぜんりょう》に変《か》わってまいりました。  それほどの悪《わる》いことをしたのでもなかったから、男《おとこ》はじきに自由《じゆう》の体《からだ》となったが、その後《のち》は、約束《やくそく》は守《まも》り、うそはつかず、また悪《わる》いことをしなかったので、人々《ひとびと》から信用《しんよう》されるようになったのであります。 [#地付き]――一九二六・八―― 底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社    1977(昭和52)年3月10日第1刷 初出:「赤い鳥」    1926(大正15)年10月 ※表題は底本では、「おけらになった話《はなし》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:江村秀之 2014年1月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。