青いボタン 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)小学校時分《しょうがっこうじぶん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|種《しゅ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き]――一九二四・一○作―― -------------------------------------------------------  小学校時分《しょうがっこうじぶん》の話《はなし》であります。  正雄《まさお》の組《くみ》へ、ある日《ひ》のこと知《し》らない女《おんな》の子《こ》がはいってきました。 「みなさん、今日《きょう》から、この方《かた》がお仲間《なかま》になられましたから、仲《なか》よくしてあげてください。」と、先生《せんせい》はいわれました。  知《し》らない人《ひと》がはいってくることは、みんなにも珍《めずら》しさを感《かん》じさせました。正雄《まさお》ばかりではありません。他国《たこく》からきた人《ひと》に対《たい》しては、なんとなくすこしの間《あいだ》ははばかるような、それでいて早《はや》く親《した》しくなって、話《はな》してみたいような気持《きも》ちがしたのであります。  それほど、他国《たこく》の人《ひと》のだれか、知《し》らない遠《とお》い国《くに》からきた人《ひと》だという、一|種《しゅ》の憧《あこが》れ心《ごころ》をそそったのでした。はじめの二、三|日《にち》は、その女《おんな》の子《こ》に対《たい》して、べつに親《した》しくしたものもなかったが、また、悪口《わるくち》をいうようなものもありませんでした。  だんだん日《ひ》がたつと、こんどは反対《はんたい》に、独《ひと》りぼっちの女《おんな》の子《こ》を、みんなして、悪口《わるくち》をいったり、わざと仲間《なかま》はずれにしたりして、おもしろがったのでした。その女《おんな》の子《こ》の姓《せい》は、水野《みずの》といいましたが、顔《かお》つきが、どこかきつねに似《に》ていましたところから、だれいうとなく「きつね」というあだ名《な》にしてしまいました。  休《やす》みの遊《あそ》ぶ時間《じかん》になると、みんなは、女《おんな》の子《こ》を取《と》り巻《ま》いて、「きつね、きつね。」といって、はやしたてました。  その女《おんな》の子《こ》は、負《ま》けぎらいな、しっかりした子《こ》でしたけれど、相手《あいて》が多数《たすう》なので、どうすることもできませんでした。それに、知《し》らない土地《とち》の学校《がっこう》にはいったことですから、小《ちい》さくなって、こごんで黙《だま》っていましたが、ついにたまらなくなって、泣《な》き出《だ》してしまいました。しかし、時間《じかん》になって、教室《きょうしつ》へはいる時分《じぶん》には、いつものごとく泣《な》きやんでいましたために、先生《せんせい》は、ちっともそのことを知《し》りませんでした。  ある日《ひ》のこと、正雄《まさお》の家《うち》へ、知《し》らないおばさんがはいってきました。 「私《わたし》の家《うち》の娘《むすめ》とお坊《ぼっ》ちゃんとは、学校《がっこう》で同《おな》じ組《くみ》だそうでございます。それで、今日《きょう》は、おねがいがあって上《あ》がりました。娘《むすめ》が、毎日《まいにち》、学校《がっこう》で、きつね、きつねといわれますそうで、学校《がっこう》へゆくのをいやがって困《こま》りますが、どうかお坊《ぼっ》ちゃんにお願《ねが》いして、みんながそんなことをいわないようにしていただきたいものです……。」と、頼《たの》みました。  正雄《まさお》の家《うち》と水野《みずの》の家《うち》とは、あまりそう遠《とお》くなかったので、それで、彼女《かのじょ》の母親《ははおや》がきたものと思《おも》われます。  学校《がっこう》では、正雄《まさお》も、いっしょになって悪口《わるくち》をいった一人《ひとり》なのでした。なかには、まったくそんな悪口《わるくち》などをいわずに、黙《だま》っていた生徒《せいと》もありました。いま、正雄《まさお》は、自分《じぶん》の行為《こうい》に対《たい》して、気恥《きは》ずかしさを感《かん》ぜずにはいられなかったのです。 「それは、お気《き》の毒《どく》のことでございます。うちの正雄《まさお》に、あとからよくいいきかせますから……。」と正雄《まさお》のお母《かあ》さんは、水野《みずの》のおばさんに答《こた》えられました。  女《おんな》の子《こ》の母親《ははおや》が帰《かえ》った後《あと》で、正雄《まさお》は、お母《かあ》さんから、弱《よわ》いものをみんなしていじめることは卑怯《ひきょう》なことだといわれて、正雄《まさお》は、真《まこと》に悪《わる》かったと感《かん》じました。  あくる日《ひ》から、正雄《まさお》は学校《がっこう》へいって、みんなが、「きつね、きつね。」といって、からかった時分《じぶん》に、自分《じぶん》はいわなかったばかりでなく、みんなに、 「弱《よわ》い女《おんな》の子《こ》をいじめるのは、卑怯《ひきょう》だから、よそう。」といいました。  正雄《まさお》のいったことを、ほんとうだと思《おも》って悪口《わるくち》をいうのをよしたものも多数《たすう》ありましたが、なかには、「君《きみ》は、きつねの味方《みかた》になったのかい。」といって、あざ笑《わら》ったものもあります。  しかし、いままでのように、水野《みずの》に対《たい》して、「きつね。」といって、からかうものがなくなりました。ただ、ときどき忘《わす》れていたのを思《おも》い出《だ》したように、彼女《かのじょ》がおとなしく遊《あそ》んでいるところへいって、「きつね。」といいますと、彼女《かのじょ》は、もう負《ま》けていずに、反抗《はんこう》しました。そして、男《おとこ》の子《こ》のほうが、しまいには逃《に》げ出《だ》してしまったのです。  正雄《まさお》と彼女《かのじょ》とは、だんだん仲《なか》よしになってまいりました。正雄《まさお》のおかげで、このごろは学校《がっこう》へいっても、みんなからいじめられないのを喜《よろこ》んでいました。そして、どうか自分《じぶん》の家《うち》へ遊《あそ》びにきてくれるようにといいました。  ある日《ひ》のこと、正雄《まさお》は、彼女《かのじょ》の家《うち》へ遊《あそ》びにゆきますと、女《おんな》の子《こ》の母親《ははおや》はたいそうお礼《れい》をいわれました。そして、正雄《まさお》がよく自分《じぶん》の子供《こども》をいたわってくれたといって、お菓子《かし》などをくださいました。  女《おんな》の子《こ》のお父《とう》さんは、すでに死《し》んでなかったのです。その家《うち》は、彼女《かのじょ》とお母《かあ》さんとの、さびしい二人《ふたり》ぎりの生活《せいかつ》でありました。女《おんな》の子《こ》は、絵本《えほん》を出《だ》したり、お人形《にんぎょう》を出《だ》して見《み》せたりしました。二人《ふたり》は、いっしょに、その絵本《えほん》をひろげてながめていましたが、その遊《あそ》びにも飽《あ》きた時分《じぶん》でした。 「ああ、私《わたし》この箱《はこ》の中《なか》に、大事《だいじ》にして持《も》っている、青《あお》い石《いし》のボタンがあってよ。亡《な》くなられたお父《とう》さんからいただいたの。これを、あなたにあげますわ。」といって、彼女《かのじょ》は、小《ちい》さな蒔絵《まきえ》のしてある香箱《こうばこ》のふたを開《あ》けて、中《なか》から、三|個《こ》のボタンを出《だ》して、正雄《まさお》の手《て》に渡《わた》しました。  正雄《まさお》は、それをしみじみと見《み》ながら、きれいなボタンだと思《おも》いました。青《あお》い色《いろ》が、いかにも美《うつく》しかったのです。 「お母《かあ》さんに聞《き》かなくて、しかられはしない?」と、正雄《まさお》はいいますと、 「私《わたし》のですから、あげてもいいの。」と、彼女《かのじょ》は笑《わら》いながら答《こた》えました。  正雄《まさお》は、それをもらって、家《うち》に帰《かえ》ったのでありました。  学校《がっこう》へゆくと、二人《ふたり》は、家《うち》で遊《あそ》んだようには親《した》しく、みんながなにかいうかと思《おも》って、できませんでした。  それは、正月《しょうがつ》のことでありました。学校《がっこう》が十日《とおか》あまり休《やす》みがあった、その後《あと》のことです。学校《がっこう》へゆくと、水野《みずの》の姿《すがた》が見《み》えませんでした。どうしたのだろう? かぜでもひいて休《やす》んでいるのでなかろうかと正雄《まさお》は、思《おも》っていました。  ある日《ひ》のこと、先生《せんせい》は、みんなに向《む》かって、 「水野《みずの》さんは、遠《とお》い国《くに》へ引《ひ》っ越《こ》しなすって、学校《がっこう》を退《ひ》きましたから、空《あ》いている席《せき》を順《じゅん》につめてください。」といわれました。正雄《まさお》は、はじめてそれと知《し》ってびっくりしてしまったのです。 「どこへ越《こ》していってしまったろう。」と、正雄《まさお》は、彼女《かのじょ》を思《おも》い出《だ》してさびしい気《き》がしたのであります。  正雄《まさお》は、彼女《かのじょ》からもらった、三|個《こ》のボタンを取《と》り出《だ》してながめていました。はじめは、それほどとも思《おも》わなかったのが、だれでも、このボタンを見《み》た人《ひと》は、「まあ、きれいなボタンだこと。」といって、ほめぬものはなかったのでした。  そのうちに、春《はる》となりました。空《そら》の色《いろ》は美《うつく》しく、小鳥《ことり》は鳴《な》いて、いろいろな花《はな》が咲《さ》きました。正雄《まさお》はこうした景色《けしき》を見《み》るにつけて彼女《かのじょ》のことを思《おも》い出《だ》しました。  ちょうど彼女《かのじょ》が、学校《がっこう》へ上《あ》がったときには、唇《くちびる》をはらして、髪《かみ》をみょうな形《かたち》に結《ゆ》っていたので、どこか、その顔《かお》つきがきつねに似《に》ていると思《おも》ったのが、後《のち》には、そうでなかったこと。そして、その目《め》の色《いろ》のうるんで、やさしみのあったのが、ちょうど、この春《はる》の空《そら》を見《み》るときに感《かん》じるのと似《に》たものがあったような気《き》がして、正雄《まさお》は、空想《くうそう》にふけりながら、うっとりとしたのであります。 「なんで、黙《だま》っていったんだろうか? そして、手紙《てがみ》もくれないのだろうか。遠《とお》い国《くに》ってどちらの方《ほう》なんだろう……。」と、正雄《まさお》は思《おも》いました。  三|個《こ》のボタンだけは、まだ、彼《かれ》の手《て》に残《のこ》っていました。正雄《まさお》は、それを糸《いと》につないで、持《も》って遊《あそ》んでいました。その青《あお》い色《いろ》は、水《みず》の色《いろ》のようにも、また空《そら》の色《いろ》のようにも、ときには、海《うみ》の色《いろ》のようにも、光線《こうせん》の具合《ぐあい》で、それは、それは、美《うつく》しく見《み》えたのであります。このボタンを見《み》た人《ひと》は、だれでもちょっと立《た》ち止《ど》まって、じっと目《め》をその上《うえ》に落《お》とさないものはありませんでした。知《し》らない人《ひと》は、黙《だま》って見返《みかえ》ってゆきました。知《し》った人《ひと》は、「まあ、美《うつく》しいボタンだこと、ちょっと見《み》せてください。」といって、掌《てのひら》の上《うえ》に載《の》せてながめたのであります。  しかし、だれも、この青《あお》いボタンが、石《いし》で造《つく》られたものか、貝《かい》で造《つく》られたものか、判断《はんだん》に苦《くる》しんだのでありました。 「この青《あお》いボタンを、一つくださいな。」と、正雄《まさお》は、たくさんの人《ひと》からいわれました。けれど、このボタンをなくしてしまうことは、彼女《かのじょ》に対《たい》する思《おも》い出《で》からも、遠《とお》く離《はな》れてしまうことだと考《かんが》えて、彼《かれ》は、だれにもやらなかったのであります。 「このボタンを僕《ぼく》にくれた、女《おんな》の子《こ》の居所《いどころ》がわかって、そして聞《き》いてみなければあげられない。その女《おんな》の子《こ》はお父《とう》さんからもらって、大事《だいじ》にしていたのを僕《ぼく》にくれたのだから……。」と答《こた》えました。  みんなは、「もう、いままで、なんの便《たよ》りもないのだから、その女《おんな》の子《こ》の居所《いどころ》のわかりっこはない。」といいました。  しかし、正雄《まさお》は、青々《あおあお》と晴《は》れた大空《おおぞら》を見渡《みわた》して、「この、空《そら》の下《した》のどこかに、きっと女《おんな》の子《こ》は、お母《かあ》さんと住《す》んでいるのだろう……。」こう考《かんが》えると、いい知《し》れぬ悲《かな》しさと、なつかしさとが、感《かん》じられたのであります。  ある日《ひ》のことでした。近所《きんじょ》に住《す》む、脊《せ》の高《たか》い、顔《かお》の黒《くろ》い男《おとこ》が、 「坊《ぼっ》ちゃん、私《わたし》に、どうかこのボタンを一つください。私《わたし》は、これを時計《とけい》のかぎにぶらさげておきます。私《わたし》は、汽車《きしゃ》に乗《の》って、方々《ほうぼう》を歩《ある》くのが勤務《きんむ》ですから、どこかで、そのお嬢《じょう》さんが私《わたし》の乗《の》っている汽車《きしゃ》にはいっておいでになり、私《わたし》の胸《むね》にぶらさがっている、この青《あお》いボタンを見《み》て、どうして私《わたし》が手《て》に入《い》れたかとおたずねにならんものでもありません。私《わたし》の乗《の》っている汽車《きしゃ》は、幾《いく》百マイルも先《さき》までゆき、その間《あいだ》に、数《かぞ》えきれないほどの停車場《ていしゃば》を通過《つうか》するのですから……。」といいました。  正雄《まさお》は、この若《わか》い汽車乗《きしゃの》りのいうことを聞《き》くと、なるほど、そうしたことがあるかもしれないと思《おも》いました。それで、女《おんな》の子《こ》の居所《いどころ》がわかったら、すぐに知《し》らせてくれるようにという約束《やくそく》で、この男《おとこ》に青《あお》いボタンを一つ分《わ》けてやりました。またある日《ひ》のことでありました。正雄《まさお》は、家《うち》の前《まえ》で遊《あそ》んでいますと、金魚《きんぎょ》売《う》りが通《とお》りました。金魚《きんぎょ》売《う》りは、みんなを見《み》ると、金魚《きんぎょ》のはいっているおけを地《ち》に下《お》ろしました。みんなは、そのまわりに集《あつ》まって、金魚《きんぎょ》をのぞいて見《み》たのです。尾《お》の長《なが》いのや、円《まる》いのや、また黒《くろ》と金色《きんいろ》のまだらなどの金魚《きんぎょ》が泳《およ》いでいました。  そのとき、金魚《きんぎょ》売《う》りは、正雄《まさお》の持《も》っていた青《あお》いボタンを見《み》つけて、目《め》をまるくしながら、 「坊《ぼっ》ちゃん、いい金魚《きんぎょ》をあげますから、そのボタンを一つくださらないか?」と、頼《たの》みました。  正雄《まさお》は、金魚《きんぎょ》売《う》りのおじさんに、青《あお》いボタンの由来《ゆらい》を話《はな》したのです。すると、金魚《きんぎょ》売《う》りは、 「坊《ぼっ》ちゃん、私《わたし》は、こうして、諸国《しょこく》を流浪《るろう》します。それは、どんな村《むら》でも、また小《ちい》さな町《まち》でも、春《はる》から夏《なつ》にかけて、歩《ある》いてまわります。この青《あお》いボタンを私《わたし》のかぶっている笠《かさ》のひもに結《むす》びつけておいたら、いつか、そのお嬢《じょう》さんが、金魚《きんぎょ》を買《か》おうとなさる時分《じぶん》に見《み》つけて、どこから、この青《あお》いボタンを手《て》に入《い》れたかとお聞《き》きなさらないものでもありません……。」といいました。  正雄《まさお》は考《かんが》えましたが、なるほど、この金魚《きんぎょ》売《う》りのいうことは、ありそうなことでした。そこで、青《あお》いボタンを一つ分《わ》けてやりました。金魚《きんぎょ》売《う》りは金魚《きんぎょ》を、正雄《まさお》がいらないといったのに、三びきくれました。  正雄《まさお》の持《も》っていた、青《あお》いボタンは、残《のこ》り一つになりました。彼《かれ》はこの一つのボタンだけは、けっしていつまでも放《はな》すまいと思《おも》いました。いつになったら、停車場《ていしゃば》で、また、汽車《きしゃ》の中《なか》で、あの男《おとこ》は、彼女《かのじょ》に出《で》あうでしょうか。そして、またあの金魚売《きんぎょう》りは、いつになったら、彼女《かのじょ》の住《す》んでいる町《まち》へ着《つ》くでしょうか。  三びきの金魚《きんぎょ》は、まだ達者《たっしゃ》で水盤《すいばん》の中《なか》に泳《およ》いでいます。正雄《まさお》は、青《あお》いボタンの一つをまくらもとに置《お》いて寝《ね》たある晩《ばん》に、赤《あか》い家《うち》のたくさん建《た》っている港《みなと》の景色《けしき》を夢《ゆめ》に見《み》たのでありました。 [#地付き]――一九二四・一○作―― 底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社    1977(昭和52)年3月10日第1刷発行 初出:「赤い鳥」    1925(大正14)年1月 ※表題は底本では、「青《あお》いボタン」となっています。 ※初出時の表題は「青い釦」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:雪森 2013年4月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。